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2010年6月22日(火曜日)

組合は “participation” を嫌う

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時26分46秒

ドラッカー「知の巨人ドラッカー自伝」:p.149, 知識労働者=責任ある労働者. GMについての1940年代の調査から生まれた概念.最初は「責任」後で「知識」に変更.(when?) pp.150-151. しかし,その participation を UAW http://en.wikipedia.org/wiki/United_Auto_Workers は嫌った.UAW会長ルーサー「経営陣が管理し,労働者が働く.労働者に対して管理者としての責任まで負わせるということは,労働者に大きな負担をもたらす」.

日本企業のそれは,おそらく「マイクロ・ファイナンス」と同じく,「マイクロ・マネージメント」だった.だから,労働者は喜んで参加できた.階層構造は明らかで,どんなに現場で工夫をしようとも,それで社長になれるわけではないことが「文化的・社会的に保証」されているので安心できた.

そういうことか????あるいは,敗戦国として,労働者に上昇へのガッツがあったのか?しかし,日本労働者のメンタリティーの中の TQC が社会的階層中の上昇志向と結びついていたとは思えない.

現在は「雇用」の確保のためにさえ, participation を求められる.その participation は,現代日本ではマイクロに限定されているかどうか?人々は,それをどう望むのか?おそらく「正しい京都人」の多くはマクロを望まないのだろうけれど. ;-)


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