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2010年6月22日(火曜日)

Giddens on Peter Drucker?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時10分16秒

「知の巨人ドラッカー自伝」を読む.「日本的経営」などの要素が,すでにスローン,ワトソン,ドラッカーたちによって用意されていたことがわかる.やはり源流は米国.ここで疑問が起きる.Giddens は,なぜ Sociology で日本の経営に言及しながら,その源流としての Drucker たちには言及しないのか?(Soc. 6th ed. には Drucker はない.装丁は by Peter Ducker MISTDだけど. :-D). もちろん,Giddens は Drucker を「知って」いる.Giddens, Introductory Readings, revised edition, http://www.amazon.co.uk/Sociology-Introductory-Readings-Anthony-Giddens/dp/toc/0745624405
には “Beyond the Information Revolution” Peter F. Drucker がある.

もうひとつの疑問は,ドラッカーたちは情報の UNIX ハッカーたちと自分たちの「類似性」に気が付いていたかということ.Winograd さんが Steve Kline を知らなかったことからして,この間に人的つながりが無かった可能性が高い.いままでに判っているのは Nathan Rosenberg が S. Kline と同じ委員会にいたこと.(S. Kline が日本について書いているものがある.それが和訳もされていることも面白いが.)あまりに弱いリンク.無きに等しい?

これは何度も経験した不思議な現象.本質的なアイデアを出す人たちは,案外サークルが狭い.そして,同じような考えが,関係のないいくつものサークルから生まれてくる.田辺だったら「絶対無・絶対媒介がそうさせる」というだろう.要するに「社会・歴史」の圧力・流れが thinkers たちを導いている.その流れの中で我々は動いている.流されているのではない.下流に流されつつ,上流に泳いで見たり,横にずれたり,様々に行動する.だから,歴史としての「時間」は局所的には後ろに流れるようにさえ見えるし,実際,そう流れている.しかし,結局のところ,つまり,大局的には,時間はやはり下流にのみ向けて流れ,我々は水流の上を流されている.しかし,水流は沢山ある.ある水流から別の水流に泳ぎつくことくらいの能力(自由)は我々には備わっている.


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