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2009年10月13日(火曜日)

本当の学者

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時21分20秒

京大文学部に転職して文系の研究や教育というものがどんなものか初めて知って,カルチャーショックの連続だった.その内の一つに,歴史のプロは自分の意見や価値観を容易に明かさないものだということを知ったことがある.広く浅くの知識しかないマスコミ学者やライターは,少しの『種』をもとに多くの結論を引き出そうとする.その方が読者に受けるし,努力と印税の比としての経済性も高いから当然だろう.

そういう学者は地平線の彼方まで「軽々と飛翔」して・・・,そして,そのままにしてしまう.一方で玄人は飛んだ経路をもう一度徒歩で確認しようとする.徒歩の旅は,大洋にぶつかって中断せざるを得ない場合もある.しかし,その場合はなんとしてでも大洋を渡るために船を作る.それでも無理ならば潔く諦める.そして,徒歩で歩きとおすまでは,自分が地平線の彼方まで飛翔したことは容易に明かさない.本当の文系の学者とはそういうもののようだ.

少し学問をやっていると「飛翔」することは割と簡単にできるようになる.実は文系の教育というのは,そういう飛翔の危険性を教えることに相当の比重がある.座禅をしていると空中を浮遊したりするような感覚になることがあり,それを悟りだと誤解する人があるが,禅宗ではそれを野狐禅と呼んで強く戒めているという話を聞いたことがあるが、これと良く似た話であるようだ.素人や能力の低い編集者は自分では飛翔ができないので,飛翔する人を『天才』などと持ち上げたりするが,実は天才などではなくて,単に歯止めが利いていないだけの野狐禅である場合が殆どだ.

文系の正統的な教育を受けていない私は「軽々と飛翔」するのは大得意で,セミナーなどで好き勝手なアイデアを思いつくと,そのまま話してしまう.自分でも良くこれだけ奇抜な発想がでてくるなと思うが,殆どは野狐禅である.だから,学生が引いているのが見えることも少なくない.しかし,私は,その後,必ず徒歩での再検証を行うか,意見を撤回することにしている.「飛翔した」ことを隠さないのが,本当のプロと違うところだが,そこは「理系出身」ということを悪用して大目に見てもらうというストラテジーをとっている. ;-)

こういうずるいストラテジーも使って飛翔するのは,そうすると気分が良いからだが,後始末はちゃんとやっているつもりだ.しかし,飛翔しっぱなしの人たちは・・・、怠惰とし
か言いようがないな。:-(


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