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2010年3月25日(木曜日)

渕一博 その人とコンピュータサイエンス

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時53分27秒

「渕一博 その人とコンピュータサイエンス」(近代科学社)が2010年3月31日発売.これに「上前淳一郎 ジャパニーズドリーム」という本への参照を見つける.これはチェックしてなかったので取り寄せて今日来た.完全な小説仕立て.僕の「情報技術の思想家 渕一博」(第1部,第1章)でも上前氏の本を引用しているが,実はこれからは何もとっていない.これも小説仕立てで現場の状況描写が「詳しすぎる」.当時の通産省側の人たちから見た価値観・視点の影響らしいものが強すぎるので,これから何かとると,disinformation にさえなると判断したので「カッコ」に入れた.「ジャパニーズドリーム」はもっと凄いので,これは引用してなくても問題ないだろう.上前氏の本を何らかの史料として読む場合,それは第5世代プロジェクトの研究というより,上前氏の著作,この時代のジャーナリスト(とおそらくこの時代の通産官僚)のストーリーとして読まねばならない.その読解の結果,第5世代のことが何かわかる可能性は高いが,この作業は,より客観的な史料から第5と渕さんを読む作業より,よほど困難なので,これをそのための史料として使うのは,研究が殆ど進んでいない現段階では無意味.これが意味がでてくるのは,相当先,というか,そういう時(つまり,それだけ研究が進んだ時)が到来するかどうかがまず疑問.

歴史というものは本質的に「解釈的」な知的行為だ.だからこそ,少しでもそれが持つ「主観性の弊害」を薄めるために「一次資料」に徹底的にこだわる.そして,解釈的行為だからこそ,二次だろうが三次だろうが,n次史料でも意味を持つ.しかし,「主観性の弊害」「価値観・視座の枠の弊害」が強いと判断したら,とことん1次史料にこだわった方がよい.しかし,「こだわる」だけで,n次史料(n>1)を無視するということではない.無視したら,それは失敗への途.

僕の歴史学への態度はこんな所.年をとってから歴史を始めたので,「身に着けた」ものがないので,こういう根底から考えざるを得なくなるわけ.ヒルベルト日記をやっている頃は,自分がやっていることは何だろうと何度も自省して文献学の本だけでなくディルタイとかも読んだが,最近少し自分の考え方が固まり(収束)し始めているのを感じる.まあ,そういうのを元に「情報技術の思想家 渕一博」を「歴史社会学的」に書いたのだが,果たしてどれだけの人がその真意を読んでくれるか・・・


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