大雨の中、田辺演習、なんと、Hilbert!
昨夜からの大雨で、京津線は止まっているらしく、これは休講になるかと思って、
WEBで調べたら、どうも休講ではないらしく、念のため、総務と教務に電話したら、
通常どおりとのこと。
また、担当者の吉水君もやるつもりとのことで、田辺元演習のために登校準備。
こういうときは地元のタクシーを呼ぶのだが、いつもすぐ来てくれるタクシー会社が、
ずっと話中…
大慌てで地下鉄へ、改札口に近づいたところで、電車が出る音が聞こえた。
で、7分待ち。いつもならば、多分、乗り入れている京津線の電車が
くるところなのだろう。
東山三条では、幸い、すぐタクシーをつかまえることができて、
結局20分以上遅れて、ようやく研究室へ。
で、昭和9年講座(講義のこと)、27頁S09_027.jpg に、
すごいものが2つみつかる。
最初はのものは、これ
種の論理の特徴を、生の哲学、ハイデガー、西田などを意識して、
書いており、Welt(世界)を社会から考えることとしている。
これは後の「論理の社会存在論的構造」(昭和11年)ででてくるテーゼだが、
なんと、種の論理が建設され始める、その最初から、これが準備されていたことになる。
Welt 世界とは、田辺が数物と呼ぶ、数学や自然科学が入っていて、
社会学の論理で、自然科学の論理を解明するということになっていて、
通常の考え方の逆なので、「論理の社会存在論的構造」では、
ノイラートの統一科学などを持ち出して「弁明」をしているのだが、
かなり、無理がある議論に見えるので、種の論理を進めて行って、
少し勇み足気味に、数物にまで言及したのだろうと思っていたのだが、
実は、種の論理が、まだ、形作られてない時から、社会→数物が、
意識されていたらしい。
さらに驚いたのが、これ
まだ、完全には読めてないのだが、ヒルベルトの公理論を、
歴史、社会、進歩に関連づけて議論していることは確か。
もし、ヒルベルト公理論に、公理の自由性の故に、そこに
歴史が入ると言う意味ならば、これは戦後の「数理の歴史主義展開」
のテーゼ、そのものだ。
ここまで種の論理の最初に準備されていたとは、本当に驚いた。
以前から、僕は田辺を「螺旋の哲学者」と呼んでいるが、これは、
田辺が同じテーマに何度も立ち返りながら、段々と議論を進化
させるから。
例えば、戦後、田辺は種の論理を真宗の往相還相で改変するのだが、
この内、還相は、浄土の先達が、この世に戻る、つまりは、菩薩となる
ことと理解できるが、実は、昭和9年の「社会存在の論理」には、
すでに「菩薩道」という言葉がある。
田辺は、色々の可能性をいくつも考えて、その中から、適切なものを
選んで理論を組み立てているらしい。それで、古い時期の傍系的
ものが、随分、年月を経て、新たな主題として採用されるということが
よくある。
しかし、まさか、数理の歴史主義展開まで、種の論理の建設時に
考えられていたとは…
ビックリ!!!
こういう、あっと驚くようなものが、突然見つかるのが、
一次史料ベースの歴史学の醍醐味で、これがあるからやめられない。
午後、講義のために教室に行ったら、休講の張り紙。
なんでも、12時台の終わりころに吉田学区に避難勧告が
出たので、休講になったとのこと。
どうせかなり離れた東山かどこかの崖が危なくて、
そのために出た避難勧告だろう、なんと大げさな、
それなら朝から休講にしてくれと、思って、
後で調べたら、何と神楽岡(吉田山)の西側が
土砂災害警戒区域になっていた。
がけ崩れが、想定より酷ければ、情報学の建物あたり
まで土砂が来る可能性がある。
考えてみれば、白川通を超えるから、東山は吉田学区ではない。
なるほどと納得。
#調べたら、真如堂も吉田ではなかった。
#神楽岡通で分かれているらしい。
これを書いている夜中には、雨も上がり、
鴨川の水位も下がってきているようだ。
ただ、桂川は大変らしい。
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