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2018年6月15日(金曜日)

「リゾーム」復刻版の古書を注文

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時16分59秒

学生、院生が就活で忙しく開くことができなかった田辺演習を再開。
情報・史料学は、昨年度、募集停止にしたので、4回生とM2しかいないために、
こういうことになってしまった。昨年からの顔ぶれが半分位だが、
日哲の院生さんが新メンバーとして参加。ドイツ語も良くできるようで、
初回から良く読めていた。立派。

今年は数学をやっている北部キャンパスの院生さんも参加してくれている。
それで演習後にツェルメロとハイデガーの逸話などを少し話す。
やはり、意外に響くらしい。

僕には、もう当たり前のことになってしまっていて、特に話すまでもない、
と、ついそう思ってしまうことの一つだ。皆の反応からして、
多くの人が面白いと思うはずだし、また、文系は国立大から出ていけと
聞こえるような提言がでるような、この時代には広く知ってもらうことに
意味があることの一つだろう。

不完全性定理が濃密だった哲学と数学の交流を最終的に切り離したという、
僕の説に基づく岩波新書「ゲーデルの不完全性定理」、
早く書かねば!

それにしても、人文知と科学技術の乖離は大きい、というより、広がるばかりか…

先日、サントリー財団の堂島サロンでお会いした、経済学者の猪木武徳先生から、人文知の復興のような
ことを書く本のシリーズ(ただし、数冊)を作るので、一冊書いて欲しいと依頼を頂く。本当に書けるか、
もう、言いたいことは書いてしまったのでは、と思って、少し躊躇していたのだが、もう一度考えて
みたら、実は、書いてないことが沢山あることに気が付く。京大文に在籍中に考えたことの
大半は、実は、本とか論文になってなくて、僕の講義資料の中にのみあることに
自分では気が付かなくて、もう、どこかで公表した様に誤って認識していたことに気が付く。 :-(

これは、困ったことだが、しかし、定年後、本にすべきストックが沢山あることに、
今頃、漸く気が付く。人間の自己理解なんていい加減なものだ。
猪木先生のお陰で、これに気が付けてよかった。 :-)

僕の講義資料は、書籍並みに詳しいので、つい、書いた気になっていたらしい。
考えてみると、2回生用の「情報歴史社会学入門」と、タイトルは、もう忘れて
しまった「ITと哲学の関係」の講義を組みわせると、ちょうど良いことに気が付く。
後者は、論文にする予定だったのだが、講義を終わったら、あまりにも当たり前の
ことに思えてきて、面白くなくなって、今まで書いていなかった。当たりまえというのは、
たとえば、トニー・ホーアさんが、オブジェクト指向の祖となるようなことを、
最初に提案した文章をみると、用語や考え方に明らかに、伝統的論理学の影響が見えることなど。

で、これは、英米人などに言うと、「林は、また、当たりまえのことを大変そうに言っている」
と言われるのではないか、と思い書くのを止めた。

それが、今回は、日本の情報技術者に、ITが如何に伝統論理学などから影響を受けているかを
示すための客観的証拠に使えることに気が付く。この場合、当たりまえだから良い!
ということで、お引き受けすることして、それで先週だったか、先々週だったかに、
進々堂でお会いして、内容など相談。小林道夫先生や、中馬さん、久米さんなど、
共通の知人が多くて、話が弾んだ。

猪木先生が、僕に声をかけてくださったのは、文理の両方を専門的にやった人間だから。

そのためだったか、何かの偶然だったか、WEBブラウジングしていて、立教大学の
数学の学生だったころだと思うが、要町の交差点の北東の角にあった小さな本屋で
買って、読んで衝撃をうけ、思考法が大きく変わった、ある本が、そのころあった
雑誌エピステーメーの臨時増刊号「リゾーム」であったことに気が付く。

記憶に残っていたのは、おそらく訳本にだけあるのだろうが、ペンで描いたような地下茎を意味する
らしい、くしゃくしゃの線の塊と、題名が地下茎リゾームだということ、そして、エピステーメーという
雑誌の名前、それから、これを元に、数学は複数の星雲から成り立ち、ある星雲は、他の星雲を観測できて、
それは互いに、観測可能で、これが中心という場所はないのだ、という考え方にたどり着いたこと。
まあ、要するには、直観主義数学も、古典論理に基づく標準的数学も、哲学的には同じ価値を
持つという思想。

で、もう一つ記憶があって、その本を読みつつ、数学ではなくて、こういうことを
やって生きていけたらいいな、と一瞬思ったこと。数学で食えるかどうかも分からなかった
修士の学生には、それは絵空事で、すぐさま、頭から外したが、記憶は鮮明に残っている。

で、その「リゾーム」、どうやらドゥルーズ・ガタリの「千のプラトー」の序になった
文章らしい。また、出版が1977年で、ちょうど、僕の最初の論文(というより報告、学士院
紀要なので)が出た年。ということで、おそらく、あれは立教大学の修士の2年生ことの話だと
気が付いた次第。それまでは、学部生のときだったのか、院生のときだったのかも、思いだせ
なかった。

で、僕は、この論文で、「千のプラトー」について書いているわけで、
修士の院生だったころの一瞬の夢が、実現していることに気が付いて驚く。

こういう時、歴史家なので、ちゃんと確認したくなる。で、1977年刊の朝日出版社の
「リゾーム」が、本当に僕の記憶の「リゾーム」なのか、確認しておこうと思い、
田辺演習後に、教育の図書館にある学内唯一らしい、それを、Kulineで検索して
みたら、貸し出し中…

アマゾンでみたら、1987年の復刻版が古書ででていたので注文。明日には来るだろう。


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