物書きになるか!
もうすぐ65歳になり、今年度の末で定年退職になる。
その後、どうするのですか、と聞かれることが増えているが、予定はない。
昔ならば、どこかの私大に就職するところだろうが、今時は、僕程度の学者では、なかなか、そういう声はかからない。
年金だけでは、少し心もとないので、何か働くべきだと、色々と思案してみたが、やはり物書きが一番良いように思う。
実は、30代、龍谷大学の教員だったころ、あまりに働きすぎて、ダウンしてしまい、1,2年使いものにならなかったことがある。そのころ、よく言われていた燃えつき症候群になってしまったのである。
幸い、その後、神戸大に移って、亡くなったKさんの贔屓のお陰で、随分、サボれたので、回復して、今に至っている。
その頃、考えていたのが、大学を辞めて物書きになり、それで生きていくこと。つまり、本を書いて、印税で生きていくという人生。
それで、真剣に、どれだけ本を書けば食べていけるか計算していた。
その結果は、かなりシビアであった。
実は、岳父の八杉龍一が、まさに、そういう風に生きて、家族を養っていた。
龍一は、本当に素晴らしい人で、山口昌哉先生とともに、学者としての僕の目標なのだが、八杉の母に、そういう生活の厳しさを諭されて、そういう路線は諦めた。
実際、物書きだけで家族を養うのは、本当に大変で、ギャンブルの様なところがある。それをできた八杉龍一は、やはり素晴らしい人物だと思うが、年取って、少しは物事がわかるようになった今、義母の心配がよくわかる。
僕の場合は、年金に幾ばくかをプラスすれば良いだけなので、何とかなる可能性がある。
と、いうことで、これからは、一般向け解説書の著者モードに移行したいと思っている。
その矢先に、割烹飯田の予約が年内一杯ということを知る。
今日、パートナーが、以前の様に、予約の電話をしたら、年内は、一杯とのこと。
段々、予約が難しくはなっていたが、これは異常だ。多分、ミシュラン三ツ星の効果で、わけも分からない人たちが、予約を入れているのだろう。これでは、以前のように飯田で食事をするのは、ほぼ、無理だ。悲しいことだが、仕方がない。
以前、もう、20−30年前だと思うが、好きだった、三つのお店が、閉店した。
木屋町のとんかつ一番、三条小橋西詰の望月本舗、そして、岡崎道の「きんこうあん」というおはぎ屋さん。
京都のものは、悠久と思っていたので、ちょっとショックだったのだが、考えてみると、どれも新興のお店ばかりだった。2代以上続いていたのは、望月本舗だけで、これも明治だったか、その頃の操業。他の二つは、一代限りのお店だった。物事はうつろうと感じた。
庭の桜を切らないといけないこと。べにやや島田さんの火事といい、錦に押し掛けるあまりの多くの観光客に辟易して、
錦に行くことが極端に減ったことといい、その時以来、生活が大きく変わりつつあるのを感じる。
時代は変わる。
老人が、消えていくのに従い、若い人たち、たとえば、橋本君などが、時代の中心に躍り出てくれればよい。
そうなって欲しいところだ。
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