Welcome Guest 
メインメニュー
林晋ブログ 最近のエントリ
Blogカレンダー
2009年 10月
    11月 »
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
Blog 月別過去ログ
Blog 検索
カテゴリ一
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

リンク
検索

2009年10月12日(月曜日)

田辺元研究

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時19分56秒

長年続けていたヒルベルト研究が一段落して以来,「京都学派の論理」を調べていたが,今年度になって哲学者田辺元の思想史的研究を本格的に始めた.出版された著作の分析,群馬大・京都大両田辺元文庫の手稿や蔵書への書き込みの調査より,色々と面白いことが分かってきつつある.その中で,私のすべての研究の背景にあるともいえる「数学基礎論史」と田辺哲学の深い関係を発見したことが,最も予想外のことだった.時代的に言えば,また日本の学術がドイツから大きな影響をうけていたことを考えれば,密接な関係があることは当然ともいえる.しかし,まさか田辺哲学の「種の論理」がブラウワーの自由選列による実数論をモデルにしているとは思わなかった.

田辺自身が「種の論理の意味を明にす」でそう強調しているにもかかわらず,見過ごされていたことに違和感を感じるが,当時も現在も「数理哲学」的なアプローチが日本では困難であり,殆ど田辺の独擅場であることが影響しているのだろう.高橋里美が種の論理を批判する際にも「私には直観主義数学云々という部分は理解不能だが」という風に,田辺にとっては核心でさえあったと思われる部分を棚上げにして議論をしている.西田・田辺の数学への「嗜好」は良く語られるところだが,これは単なる「嗜好」ではなく,西洋哲学,特に19世紀後半からのドイツの思想史的状況からすると,むしろ当然の興味だったといえそうだ.

私の研究は極く最近になってまた少し進み,新カント派 Marburg 学派をキーとして,Marburg 学派と田辺哲学の関係,Marburg 学派とドイツ社会特に19世紀科学万能論,そして,それにつらなる数学基礎論における議論の関係、というパースペクティブがかなり見え始めてきている.しかし,Marburg 学派という当時の時代的状況を理解するための鍵になる集団がカッシーラーなどを除き,殆ど見向きもされない状況になっていることに驚く.G.B.Moynahan は科学哲学にみえるMarburg 学派のそれが実は当時の Wilhelmine Germany の政治社会状況に分かちがたく結びついており,政治社会状況の変化により意味を失ったという説を立てているが,Klein, Hilberlt, Brouwer, Weyl などの政治性を知っている人間としては,納得できる見解だ.

しかしながら,その衰退からおよそ1世紀を経て新カント派の持つ意味と意義がようやく学術研究の俎上に載り始めた兆候も見える.これは数学基礎論を数学の近代化の過程の一つとして捉える傾向が(欧米の)数学史家の間に広がりつつあることとも無縁ではなかろう.日本では,数学と思想の関係がゲーデルや数学基礎論への言及が多かった日本的ポストモダン思潮,所謂ニューアカのために「素人のための嗜好品」に堕してしまった.しかし,これからようやく彼らが何かと発言しながら,解明しえなかった近代の「歴史の流れ」の本当の姿が地道な学術的研究により解明されるのだろう.


TrackBacks

このコメントのRSS

TrackBack URL : http://www.shayashi.jp/xoopsMain/html/modules/wordpress/wp-trackback.php/3

この投稿には、まだコメントが付いていません

コメント

_CM_NOTICE

24 queries. 0.029 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress

XOOPS Cube PROJECT