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2014年6月1日(日曜日)

昭和30年代西谷の科学技術論

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時57分17秒

特殊講義「再魔術化」は、もう後、8回しかない。明日からは、Ann Harrington Reenchanted Science で、19-20世紀ドイツ生理学の話。もちろん、これにはヒルベルトが意識していたヘルムホルツもデュボアレイモンも、そして間接的ながら、クロネッカーの弟、ヒューゴ・クロネッカーも関係を持つ。つまり、数学基礎論史と同時代で、それに深く近接し、しかも、数学より深く哲学に関連していたともいえる話。

その準備でしんどくなって、西谷の方に「逃げた」ら、丁度、同型のテーマの所が目に入る。

第10巻「虚無と空」、pp.89-95の、科学・技術の話。技術に「目的論」が現れるというところあたり、僕や他のソフト関係者が言っている「目的因の目的=仕様」というのと同じなのだが、これが1960年代(50年代?)に書かれたものであるために、情報、特にソフトの話が日常的に人々の目に触れる以前、環境問題が温暖化のような大問題として立ち現れる前であるため、実に古臭い印象を与える。

まあ、おそらくは(勉強していないのでわからないが)、これはハイデガーの技術論と多くは違わないのだろう。そして、西谷が言いたいのは、この部分の後の、pp.95の二以後の方なのだから、まあ、これは大きな問題ではないのだが、この二以後も、現在の「感情マシンとしての人間」「感情というエネルギーを持つ部品(資源)としての人間」という、感情労働という言葉が社会学を超えて一般に使われるようになっている現在の状況も無縁の時代に西谷は生きて、そして、死んだ。

彼の議論は、現在、どこまでの意味を持つのだろう。しかし、感情を燃料として燃やすことを強いられる現代人の状況を「ニヒリズム」という単純な言葉で処理できるのだろうか?疑問!時代は、そこまで来てしまっている…


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