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2010年2月13日(土曜日)

一つ前の投稿の修正など(などが多い!)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 04時05分10秒

石田さんから,僕のメールに違和感があると返事をもらった.直ぐにもらったが,忙しくて返事ができなかった.
実は今も忙しいのですが,現実逃避しています.(^^;)
#なぜ,忙しいか: 石田さんの集会での展示の準備.やったことがないポスター作成,展示ビデオ作成
#で困っている.で,展示のためにヒルベルト日記研究の論文原稿を見直していたら,変なところがあることを発見!
#その後,数日,数学史研究に没頭!結果として,solvability note の執筆時期の評価の質が前よりかなりよくなった.:-)
#何が最も optimize された結論か単純には分からないような議論となったが,これは池田さんのRWMの研究の
#対象として,面白そう.ということで,複数の良い成果に結びついたが,しかし,緊急の実務は停滞!:cry:
#実によくあるパターン....

先のメールの僕の議論では,石田さんのお父さんが,現在もあるいは最近まで現役であるかの
ように書いているが,考えてみたらそれはありえない.石田さんはほぼ僕と同じ年齢のは
ずなので.(^^;)僕は父が還暦に近いころの子供なので,どうも世間一般の標準的年齢感覚
とずれているところがある.というより,そういうことを考えていない?

石田さんのお父上は,終戦前後に卒業を迎えた世代らしい.かなり名の知れ
た方だったようだったので,文学部図書館で著書などを少し見てみたら,
現代の京大文学部の歴史学のセンスからすると,少し「飛んでいる」方だったらしい.
(^^;)

発想が面白くて「飛んでいる」ということ,これは,この世代や,その少し下の
世代の学者には共通したことだが,それ以後,
大学人は,急速に「象牙の塔」にこもってしまったかのように思われる.
#僕も飛ぶのは好きだが,無根拠に飛ぶことがないように自戒している.

石田さんは,それは知らないし,理系の人はマスコミに出てくる人が文系の
主要研究者と思う傾向があるので,「文系とはロマン」と思っていることが
多いから,その両方があいまって誤解されてるらしい.
#梅原猛さんなど,京大文学部出身者として有名だが,文学部内部での
#評価は「...」.何でも最初に提出された学位論文は落とされたとか..

で,人文学の組織・教育機関というだけでなく,そういう学問のスタイルの
変化という意味でも,数十年前と人文学の状況が大きく変わっているという
ことがある.それ以上に,特に社会のアカデミックな人文学への視線が変
わってしまったという意味が大きいだろう.石田さんは理系の中では,
人文学への視線が暖かく,また,より理解力のある人だと思うが,
それでも現場に身を置くものがもつ感覚と大きく違う.

どこが変わったか?色々あるが,一つには,もの凄く専門化が進んだのである.

例えば科学史の伊藤さんは,伊東俊太郎先生とか,村上陽一郎さんの世代に東大で
教育を受けた人だが,あの世代の学問のやり方はもう不可能だという意見だ.そのころ
なら書けた,また,石田さんのお父様も書いている,古代から現代までを貫くような
通史は,もう誰にも書けないというのが,伊藤さんの意見だ.

これは僕にも良く分かる.科学史研究でも一次資料を駆使した精密な研究
が当たり前になっているから,通史など書いたら,各所でボロがでてしまう.
最近だと評判が高い Katz の数学史も,僕の専門のあたりはボロボロに近い.
おそらく,僕にはわからないだけで,他にもそういう所が相当にあるだろう.
米国人研究者による,ちょっと評判の戦後日本史の通史を買ったら,少し読んだだけで
嫌になって読むのを止めたこともあった.現在では難しい通史を書いたものとして
評価が高かったので買ったのだが,相当に無理があったようだ.僕はその分野の
専門家でないにも関わらず,そういう人が読んでもすぐに馬脚がでる.専門家で
なくても,昔に比べれば随分情報をもっているから,ボロが直ぐに見える.(深くGoogleる
能力さえあれば,昔の並みの大学教授程度の知識は直ぐに手に入る.)だから,
現代では,通史を容易には書けない.そういうものに堪ええる程度に
書こうとすれば,Max Weber 並みの2次史料読解力と構想力,かつ,
パワーが必用だが,もちろん,Weber ほどの人文学者は極く稀にしかいない.

で,今日(物理的には昨日),偶々,科学哲学の伊勢田さんと関連した議論をした.最近,よく学者・研究者
ではない,マスコミ関係の「博識」の著者を,マスコミが「知の巨人」として持ち上げ
ることがあるが,僕らからみたら,そういう有名人は「飛んでいた」上の世代の学問と
比べても,月とすっぽんくらいちがう.伊東先生などはラテン語(だったかな?)文献の
研究など,海外でも通じる本物の学問をして,かつ,ポピュラーなものも書かれていたわ
けなので,その背景知識の豊かさや確実さが,日本のアカデミズムでさえ通用しない
「巨人」たちとはわけが違う.

大学人にも同じような人がいて,たとえば,中沢新一さんの田辺元の
本など,読み物としてはおもしろいが,これが僕の学生の卒論原稿だったら
「文章はうまいね,でも,学問てそういうもんじゃなくて内容なのよ」といって
留年させるだろうというレベルのものだ.良くてノンフィクション風,フィクション.
田辺のテキストを全然読めていない.というか,読んでないのだろう.
田辺を利用して,自分の考えを書いているだけなのだが,それをあたかも
田辺が主張していたかのように書いている.しかし,実際に田辺が言っていた
ことは,中沢新一さんが書いていることとは全く違う.
#数学が分かってないのに,滔々と書く所がまた「凄い」(^^;)けれど.

僕のアンソロジーにも記事を書いてもらったことがある哲学の高橋さんなども,
まあずっと「良心的」ではあるが,同じようなところがある.彼が実は学会より
マスコミを狙っているらしいことは,彼が米国から帰国してすぐに書いたらしい
科学朝日の記事を見たときに感じた.でも,その文章は面白くて僕は好きだった.
僕らの若いころは,「とにかく難しければ偉い!」という,これも大変困った風潮が
あって,違和感を覚えていたから,日本でもこういう風に書ける学者がでたか
と思い注目し,それでアンソロジーの著者にもお願いしたのだが,どうも高橋さんの
本や記事には間違った記述が多すぎていけない.ライターとしての能力は大変
評価するが,専門家としての能力には「?」をつけたくなってしまう.(^^;)
それに,間違いを僕や八杉が指摘すると,非常に低姿勢で謝りがくる.
僕らに謝っても仕方がないと思うのだが.人情として,それ以上きつく
言えなくなるのだが,また,次の本で同じことをやっているような....(^^;)

そういえばマスコミにでる人は,共通して「謙虚」なところがありますね.
高橋さん以外にも,郡司さんとか,茂木さんとか「謙虚」な感じの人でした.
ただ,これは学者・研究者としては,決して良いとはいえない.
「このヤロー,糞生意気な!」と思って攻撃しようにも,その学問の凄さに
歯が立たない.そういう人の方が本物だ.「良い人」を売りにする学者は,
最初から学者としては逃げているともいえる.
#もちろん,自然に「良い人」の場合は,それでよいし,変な言い方だが「仕方がない」.
#稀にすばらしい人格とすばらしい能力が同居している人がいる.もの凄く稀であるが.

またまた,脱線気味.現実逃避で文章を書くと,こうなる.(^^;)

で,本題に戻して...伊勢田さんに,現代日本はマスコミに乗り,ポピュラーに
なる学問というものにあまりに低レベルのものが多い,戦前の京都学派
が活躍した時代や(現代の)米国などと比べると,あまりに落差が多すぎる.
何が原因だと思うか,と聞いたら,「アカデミズムの人間が,あまりに
専門的な研究にこだわって,外に眼を向けなかった.それが災いしている」
という意見だった.僕も,大体,同じような意見をもっていたので,大いに納得した.

伊勢田さんには,サイエンス・カフェの取り組みなど,知らないことを色々
教えてもらったが,一つ面白かったのが,物理系だと,今の「知の衰退」
はそれほど酷い状況ではないという意見.WEBなどで酷い意見がでても,
それを他の素人の人たち自身が修正する力が,日本社会でも
十分あるし,その傾向が強くなっているとのこと.これは不完全性定理,
数学基礎論関係の状況とかなり違うので,新鮮で面白かった.

僕の研究分野の関係では,例えば,学者の間でも相当に酷いのが多い.
これもアンソロジーに書いていただいた大澤さんの著書の集合論の記述を
見て,のけぞってしまったこともあった.(^^;)彼の「代数学」などは,
「殿はご乱心じゃ」のレベル.(大澤さんの社会学には,ときどき,
ハッとするようなのがあって,割りとすきなのだが,玉石混交.)

ところが,ゲーデルや数学基礎論関係だと,こういうものに殆ど修正がかからない.
これは,やはり,そういう分野が物理などに比べて,この国では弱いということで,
それがこの国の現状だと思ってはいけないのだろう.それはソフトウェア部門(弱)と
機械工学,化学(強)などにも当てはまるのかも.

ということで,話が,石田さんの話から,とんでもなく遠くまで来
てしまったが,ただ,問題意識は同じ.石田さんは,どうも学者が
夢を語ることを期待され,また,それが大学の研究者でも「ゆるされた」
時代のお父様の姿を見て,また,自身が理系の研究者で,文系の仕事
をしたことがないため,人文学の今の姿を理解されておらず,文系に
「ロマン」を求めているらしい.

しかし,現在の「方法論が進化し,精度を増した人文研究」は,
そういう「ロマン」を許さない.ある意味では,自然科学以上に,
地道な研究分野といえる.本物だと,そういう重箱の隅をつつくような
研究から,あっと驚くような飛翔が起きる.Google の村上さんに
紹介した社会学の本を読んで,村上さんは「学者というものは,
ご苦労様なものだ」と言っていたが,そう言われるほどの研究でないと
本物とはいえない.その上でようやく飛翔ができるし,そうやって起きた
飛翔は,研究主体の「思い」を超えるので,「思い」から発するもの
(たとえば,中沢田辺論)などを遥かに超える力を持つ.

しかし,残念なことに「教養主義」が理系の学生にも文系の知識を
植えつけることに貢献していた時代は去り,全共闘世代以下の
理系の文系的素養は実に悲惨.(僕だって,割と最近まで,
平均以下だった.)だから,なかなか説明を伝えられない.
伊勢田さんによれば,これらのことの原因は,歴史的には,
大学紛争があるといわれているとのこと.確かに....

いずれにせよ,異分野の人と議論をすると,色々と考えが進む.
石田さんとのメールの交信は以前からの疑問をかなりクリアにする
のに役立った.一度,時間があるときにじっくり議論してみたいものだ.
石田さんならば理解してくれる可能性も高いだろうし.

しかし,もう少し理系の人たちが文系に歩み寄る努力が
必用だろうと思う.C.P.スノーの時代の英国と,今の日本
では完全に状況が逆転しているのだから.
#19世紀ドイツではどうだったのだろうか???


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