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2013年10月25日(金曜日)

歴史学の未来

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時37分03秒

来年度の情報技術演習I,IIの擦り合わせのために関西大学喜多さんと相談。

その際、歴史学者の能力(喜多さんの言葉では expertise) や digital humanities の話になり、数十年後の歴史学が、史料が電子媒体に主に記録されていることにより、
大きく変わるのではないかということで意見が一致。

それについて、僕は、現代史の小野沢さんとの議論を通して、あまりに膨大な史料が残ると歴史学がビッグデータ解析になってしまわないか、その際に、僕らのような
史料ベースの研究を行う、つまり、テキストを深く読む能力で生きている人間は能力を発揮する場所がなくなるのではないかと思っていたのだが、喜多さんは、そんな
ことにはならないという。その理由は、たとえばオバマの意思決定は、オバマが残した記録の読み込みでしか解明できないからというもの(オバマという例は、ただし、
僕のもの)。

これは正しい!僕は完全に思い違いをしていた。データの数が多くなるということだけで、なぜかそれがフラットなWEBのようなものだと誤解してしまっていた。
考えてみれば、一国の意思決定のほとんどの部分は少数の人々によってなされる。つまり、史料の重要性にはムラがある。そのことを考えれば、歴史研究の中枢部分は、殆んど
変わらない。しかし、たとえば、太平洋戦争、第二次世界大戦を引き起こしたのが、軍部だったのか、国民だったのか、そういうことの分析は、今まで量の問題で
できなかったようなことができるようになるかもしれない。そういう部分にも、僕らのような歴史学者のスキル(expertise)が生きるのではないか、というのが
喜多さんの意見(ただし、太平洋戦争云々というのは、僕が考えた例)。これも実に納得!!!

となると、SMART-GSのようなテキストを読む人の力を増強するためのツールは、そういう歴史学の仕事に大変役に立つものになるだろう。
そういう機能を考えるのも面白そうだ。

しかし、喜多さんは、まるでリッカートのような議論をしていた。理系の人はジェネラルな方法で自動的に問題を解決したがるが、
歴史家は、一つしかない歴史を相手にするので、それと方法が全く異なる、というもの。その通りなのだが、まるで西南学派そのもの
の議論。リッカートを踏まえて言っていたのだろうか。後で気になってきた。今度会ったら聞こう。


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