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2012年12月13日(木曜日)

誤解

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時25分29秒

月曜日に白眉セミナー(水谷さんの応用倫理のセンターと共催)のデジタル人文学
(デジタルヒューマニティーズとか人文情報学と言われることが多いもの)の集会で久木田さんが
SMART-GSについて講演、僕は講義で出られず、懇親会だけ出席。

その懇親会で、僕のことを田辺研究者として知ったという人がいた。うれしい。 :-)

「田辺をやっている人がいるのかとびっくりしたが、調べてみると
デジタル人文学とか色々やっているのが分かって….」というようなことを
言っていたが、如何に田辺が忘れられているかの証拠。

その後、たまたま、今夜、著者の一人からいただいた、金森修編「昭和前期の
科学思想史」を見ていて、金森さんが(ちなみに面識はありません)、
「田辺元をつぐはずだった下村寅太郎」という表現をしているのをみる。

金森さんは新カント派に言及しているのだが、おそらく、新カント派も、
田辺も、ちゃんと読んだことはなく、「田辺は日本最初の科学哲学者」という
流布した理解をそのまま使ってしまったのだろう。田辺は確かに日本の
初期の「科学」哲学者なのだが、科学を括弧で囲ったように、
この科学哲学とは、新カント派マールブルグ学派の意味での
科学哲学なのである。

しかも、それに善の研究あたりの西田の思想に基づくことにより、
マールブルグの「論理主義」に依拠しながら同時に反発したの
が田辺の「科学哲学」なのである。

新カント派マールブルグ学派の「科学哲学」は、その祖 H. Cohen を、
B. Russell がボロボロにくさし、それにCohenの後継者Natorpが真面目に
答えようとしたように、現代の科学哲学とは、似て非なるものなのである。
それに近い現代でもよく知られたものをあげるとすれば、おそらく
極めて逆説的ながらハイデガー哲学しかない!(ウームなんたる皮肉!!!)

下村は、金森さんが書くように確かに晩年に科学哲学を逸脱していくし、
僕の論文で何度か書いたように、田辺を否定する。しかし、それは下村が、
本質的に合理的で、田辺の持つ「闇の部分」を、おそらくは感じながらも
理解できなかったからではないかと思う。この「闇」を的確に理解した人
が西谷啓治であり、下村は西谷に比べると「合理的」すぎる。つまり、
田辺の本質を、なんにも理解できてない。あるいは、見えていても理解
したくない人なのである。

そういう意味で、下村と田辺ほど異質なペアは京都学派の中には、
おそらく他にない。これに比べれば、田辺と戸坂、そして、田辺と
三木というペアが、どれだけ共鳴していることか。田辺が三木の
女性関係を嫌ったので三木を避けたなどという理解が広まっている
ようだが、確かに田辺ならば三木の女性にたいするルーズさ
は嫌ったであろうが、田辺が女性を嫌いだとか、理性ばかりで
熱情がないなどというのでは全くない。鎧を着ている人なので
(これは久野収の表現)それが見えないだけ。それは、晩年の
プラトニックラブの相手、野上弥生子の日記で読める田辺に対する
評価がなによりもよく表していると思う。

それらに比べても、さらに深い対が田辺と西谷。
西谷は田辺に、その性根にある自然科学性に辟易して
(うん?本当かな?西谷を調べる必要あり!)、
限界を見出しながらも、
田辺の最大の理解者だったと思う。

その一つの理由は、田辺、西谷の夫人たちが、
仲がよく、それによる家族ぐるみの
付き合いという、田辺としては稀有のことが
あったことが、あるのだろう。
#おそらく田辺にとって夫人の存在は何よりも
#大きかったはず。田辺は夫人が亡くなったとき
#「妻が私を救ったのです」
#と言って涙したという話さえ語り継がれている。

西谷が回想した、自分の子供たちが
田辺家で遊んでいるのを、田辺が、それを怒りも
せずに覗いたというエピソード(子供達は
田辺を大変恐れたらしい。その一人が西谷祐作)は、
田辺の性格からすると驚くべきことのように思える。

おそらくは、子供のない田辺にも「おじいさん遺伝子」が
出現したのだろう。これを初老になった僕は実感として
感じる。最近、特格、なんでも、子供がかわいい!
自分と何にも関係がなくても、子供、赤ちゃんというだけで、
可愛い!

僕は昔から、子供好きだったが、田辺と同じく、
こどもがいない僕の場合、甥や姪にその対象は限られていた。
しかし、今、状況は、自分でも驚く程で、兎に角、
子供だ、ということだけで、体の芯の部分から、
「カワイイー!!!」と反応してしまう。
#ほとんどお婆さんの状況。
#もともとがおばさんおじさんだったので。 :-)

前立腺がんでホルモン治療をしているので、
完璧色気抜きのお爺さんになっているということもあるだろうが、
(なんでも色事に根拠を求める人がいるが、それが
間違いだということを経験しているこのごろ。
実に得がたい経験だ。うれしい!!!)、それ以前からも、
そういう傾向があったので、要するに、これは、
お爺さんになった人に出現する性向なのだろうと
思う。実に、おもしろいし、ある意味楽だ。

人間の本質は、やはり、シェーラーが言うように、
欲望とかいうものとは違うのだろう。


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