Welcome Guest 
メインメニュー
林晋ブログ 最近のエントリ
Blogカレンダー
2012年 3月
« 2月   4月 »
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
Blog 月別過去ログ
Blog 検索
カテゴリ一
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

リンク
検索

2012年3月3日(土曜日)

フラクタルでなく連続体

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時28分41秒

フィロソフィア・ヤポニカ p.112

「論理の社会存在論的構造」からの引用。この論文での、唯一のテンソルへの言及。ただし、回顧的・説明的
とでもいう言及:

<1行略>
その際特に重要なことは、質料が分裂性多様性というごとき抽象的規定を意味するのではなく、
その自己否定は種が種を否定することであり、しかもそれらの種が互いに対立する別個のもの
として単に並存するのではなくかえって相互に含み含まれ連続的に相違なるものの内部において
一部が他部を否定することを意味するにある。いかに分割するももはや分割するあたわざるい
わゆる不可分者(原子)に到達することなく、かかる単純要素を有するのでなくして、いかに
分割を進むるも分割しない前と相似の、反体力の張り合う構造を示すのが種の特色であって、
私がこれを前にテンソル力場に比したのもそのためであった。<以下略>(「論理の社会存在論的構造」)

<ここから中沢の文章>
「種」はどのように分割を進めていっても、分割しない前と相似の構造を示す、力学的な構造を
している、と田邊元は考える。彼の思考は、ここであきらかに今日「フラクタル」と呼ばれてい
る構造を、はつきりととらえている。
<中略>「種的基体」は反対力の張り合う力学的な多様体(シン
プレクティック多様体)として最初描き出されたが、ここまでくると、田邊元の直観のとらえて
いる空間は、今日私たちが手にしているような多様体論(その数学は基本的には微分可能な、
「滑らかな多様体」を扱っている)ではとても手におえない複雑さ、深遠さをおびてくるように
なるのだ。そして、それが自然のなかに存在している、もっとも具体的な空間の構造をしめして
いる。それは無限小の超薄領域に、非有(無)を折り畳みこんだ「バシュラール・パイ」のよう
な出来上がりをし、いたるところに対立する力の緊張が張り渡された空間なのである。田邊元の
思考は、じつにとてつもない構造を直観していたものである。

<ここから分析>

中沢がフラクタル的な自己相似集合の構造を読み取った「いかに
分割を進むるも分割しない前と相似の、反体力の張り合う構造を示すのが種の特色であって」は、
そういう無限に降下するフラクタルのツリー構造を言っているのではなくて、その後に
「私がこれを前にテンソル力場に比したのもそのためであった。」という文があるように、
これは応力テンソルのような剛体内部の力のようなイメージ。田邊が言いたいには、
部品のようなものから種が成り立っているのではなく、それが連続体であること。
連続体の局所的な切片は、幾ら分割しても、同じ相似な切片となる。
現代数学的に言えば稠密姓にあたる性質だが、これが一九世紀終わりに、
デーデキント、カントールなどにより、連続性が一種の完備性として
明瞭に定義される以前の連続性のイメージのかなりの部分をしめており、
たとえばパースなども、一次は稠密性が連続性を導くと考えていたらしい。
田邊の初期科学哲学の時代の1922年の「実在の無限連続性」では、
この稠密性の議論をもちいてデーデキント切断のカントール基本列に対する
哲学的優位性が主張されており、このころ、まだ、これが我が国においては、
消化されるべき問題であったことがわかる。1874年に連続性の最終的定義
が登場してから、48年後のことであり、現在で言えば2012−48=
1964年、つまり、東京オリンピックのころの数学的発見の哲学的意味について
議論している感じになる。代数幾何のSGAが、このころ。

とにかく、この場合のテンソルとは佐藤省三のケースと同じく、テンソル概念の
創始者Voigtから来ているので、応力テンソルをイメージしていると考えるのが、
妥当だろう。外から力がかかっている剛体中の一点にかかる力、たとえば、その剛体が
木の円柱で、その両端から大きなプレス機で力をかけたばあい、その円柱の中の
あらゆる点で、両側からの力がかかる。そのときある点pにかかる点を決定するには、
pを通るベクトルmを考えて、その方向の応力を考えればよさそうに思うのだが、
そうではなくて、pを通る面Sを考え、その面を通して働く応力のベクトルm方向成分
を考える必要がある。これが応力テンソルであり、n,m二つのベクトルにより、
決まる量であるために2階のテンソルとなる。(たとえば、山本義隆、中村孔一
「解析力学I」、例1.5.1.応力テンソル、pp.76-78のp.78の記述を参照。)
そのテンソルの計算では、面Sを有限の大きさにとり、その面を通しての応力を
計算し、その後にSを無限小にまで小さくして、点pにおける面Sを通しての応力を
考える。これを説明するのにVoigtは、pを含む小さい立方体を考えて、それの
三次元の三つの方向の面での応力を考え、これを Tensortripel (tensor triple)
と呼んだ。立体は小さくしても、より点pに近づくものの、また、同じ情況(相似)
の応力を考えることができて、応力という力のTensortripelが円柱という「種」
のなかに張り巡らされていることになる。そこには原子のようなものはなく、例え
点という極微の極限があっても、それは佐藤がいうように局所近接作用の場、
つまり、「環境」の中で考えるしかないものである。

中沢が、ここでフラクタルを持ち出していることから、中沢が、イメージテいるものが、
ドゥルーズ、ガタリの「千のプラトー」などに現れた思想であることがわかる。
「千のプラトー」ではマンデルブローが引用されフラクタルの図も掲載されている。

中沢がいうように田辺の種のイメージ、より精確には、絶対弁証法のイメージは、
多様体のようにノッペリしたもので理解することはできない。それはどのような一点も、
世界の全体を反映するようなホリーズムを前提にしており、それがたとえば晩年の
絶対還相の議論、絶対無が、この世に顕現できるは、各個の行為を通してのみ
だという議論につながっており、実は、この思想は彼の戦前の切断論にすでに現れている。
WHHERE?どこだった?「論理構造」か?


TrackBacks

このコメントのRSS

TrackBack URL : http://www.shayashi.jp/xoopsMain/html/modules/wordpress/wp-trackback.php/203

この投稿には、まだコメントが付いていません

コメント

_CM_NOTICE

24 queries. 0.031 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress

XOOPS Cube PROJECT