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2012年2月17日(金曜日)

内部対立では種としては不十分

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時27分56秒

全集6、論理の社会存在論的構造、p.320: ところで種が自己否定を本質とし、
無限なる反対とその抑圧との二重の否定的対立性の重積であるとしたならば、
一見種の内部に於いて相異なる種と種とが否定し合う如く見えるでもあろう。
併し仔場合に重要なのは、若し互に否定し合うものが相異なる種であってそれが一の
種の内部に対立的に並存するならば、両種を其内部に含む一の種は類的性格を現し、
恰も赤と青とに対する色とふ如きものとなり、同一の種が自己否定をなすとは
いい難いことである。赤と青との何れとも限定されずして而も何れでもあり得る如き
種的類としての色は、例えば音の如き異なる種的類に対して相異の関係を有するものとして
種の性格をもつとしても、自己の内部に赤と青との異種を共存せしめる限り類的であって、
種が種として自己否定をなすということにはならぬ。寧ろ赤自身が自己の両立
し難き青を自己の内部から発展せしめ、又青が自己の否定者としての赤を自己の
内部から産出するという如き事態にして、始めて自己否定的とふことが出来るであろう。
併し其様に一を否定する他が一の内部から発生してそれが一に更わるならば、
其事態は変化であって、一の種が他の種に代わるに止まり、種がテンソル的構造を有する
といふことにはならぬ。それは単にヴェクトル的運動的というに止まる。
———————————-
種がテンソル的力学的構造を有する為には、その自己否定をなす媒介となるものが、
飽くまで依然当該種そのものとしてそれの外に離れ出でることなく
それと統一せられるのでなければならぬ。即ち否定的なるものも其自身として
それの対立が種の統一に禁圧せらるという二重の対立性に於いて有るので
なければならない。従って種の統一は種の自己否定に由り自己の内部に無限の
層をなして自己とその否定者との交互的緊張を引渡し、
横に自己とその否定との対立する均衡を、縦に自己自身の内部に無限の層を
成して重ね合はせる如きの構造をもつと云ってよい。
数学的にテンソルが行列式からの発展として考えられる意味をもつのも此構造に
由って苑根拠を或程度まで理解し得られはしないか。
とにかくテンソルの二次元的伸展凝収の力的緊張は、変化運動の一次元的ヴェクトル的構造に
対し明瞭に区別せられなければならぬ。
是れに由りそれが運動の無限なる重畳を却って静止の緊張に堪え、プラトンのティマイオス篇の
質料を狂乱怒涛の大海に比した其比喩
の正確なる意味は、此の如きものでなければならぬ。
———————————-
斯かる種の激動的自己否定態に於いても、勿論分析的外延的に考えれば一の種を否定するものはその種に
対する他でなければならぬ。自己否定に於ける否定者といえども、単なる否定者という一般的概念ではなくして
特定の積極的内容をもつ種そのものでなければならぬ。ただ、その他たる種がその否定すべき一の種の外に
外延的に並存するのでなくして一の種の内部から内包的に湧出し、而も(しかも)それの否定的対立性が依然として
一の種の統一に圧えられ(おさえられ)、それの内部に保たれるのに由って、他の種が他にしても而も一に
帰し一の種と内面的に繋がるのである。相違する二つの種が連続する場合に、一つの種の外に
他の種が並存するのでなく一の種が他の種に入込み他の種が一の種から滲出すること、ベルグソンの純粋持続
の構造に比すべきものがあるとすれば、その所謂相互貫入の統一は即ち種の自己否定の構造に他ならぬ。


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