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2012年1月7日(土曜日)

「多様体の哲学」について(2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 04時31分14秒

澤口論文 (二) p.51

引用:「田辺博士の晩年の数理哲学は結局のところ「種の論理」の数学化に帰着する。」
分析:「晩年の数理哲学」は第2次世界大戦敗戦終結以後の哲学のこと。この文で一番問題なのは「数学化」
の意味が不明であること。これより後の文章を吟味しても、あまり明瞭な答は得られない。解釈は、おそらく、
二つあって、(1)種の論理を数理論理学的にする、(2)種の論理で、数学(の特定の理論)を理解する、
つまり、種の論理を数理哲学に応用する、のふたつだろう。つまりは、目的が、(1)種の論理の理論体系、
(2)数学、ただし、数理哲学の対象としての数学、のどちらか、ということ。

おそらくは、後者(2)が正しい。

引用:そこで数学化に必要なかぎりで種の論理の要点を摘出しておかねばならない。
分析:先ほどの(2)が正しいとして、数学に適用する限りで「必要な種の論理の特徴」を考えよう、ということであろう。
「必要な限りで」という言い回しに、すでに澤口の思想の問題点を感じざるを得ないが、それは置いて、
澤口の思想を即物的・客観的に、しかしながら、解釈学的に解明すべきだろう。

引用:この論理の特質はいうまでなく、<略>、これとともに種の論理はもう一つ特異な側面を持っている。
それは矛盾の相のもとでものを見るといういわば裏返しの論理であることである。
分析:是に続けて澤口はヘーゲルの弁証法では、時間がたてば矛盾は統一・解消されるが、
田辺の絶対弁証法では、収束することがない、「次のより深き矛盾へと下る」とする。
かなり正確な理解と言える。

引用:それではこの裏返しの論理にては何ゆえに中間段階たる種が決定的役割を演ずるのであろうか。
これは個と類は同一性的性格が強いからであろう。
分析:この様に主張し、それの裏づけの議論が続く。それは論拠が明瞭でない断定的な推論であるが、
この「種に矛盾が集約される」という澤口の理解が、後の「種=シンプレクティック多様体」という
断定に繋がっていると思われる。つまり、シンプレクティック多様体は、座標系の様なもので、
非常に抽象的である。澤口は「抽象」を、群・環・体のような抽象数学と関連づける。
抽象性=捨象性=不定性、という特質により、各個における矛盾が解消されると考えていると思われる。

引用:博士は種として何を考えているであろうか。まず国家、人倫が典型的な種としてあげられている。
これは政治的種といわれるべきであろう。<中略>そして国家は方便性を持つという。
分析:「方便的性格」という言及から澤口が、その脚注(3)で述べているように、
戦後の「種の論理の弁証法」で、種の論理を理解しているということが明瞭である。
澤口の種の論理論の議論では、その思想の変遷が考慮してあるとは思えず、
「種の論理の弁証法」でフィックスすれば、種の論理が理解できるという
前提で議論が進めらていると思われる。また、その思考法には狭義の歴史主義、
思想はその最終系に向かい進歩するものだ、従って、その最終段階を理解すれば、
その思想を理解できる、という悪しき「歴史主義」が見て取れる。田辺哲学を歴史的存在として、
理解する場合、これが大きな間違いを招くことを指摘したい。田辺哲学は昭和一桁から
十年代への国家主義への流れと、その後の敗戦という、歴史的現実と無縁であることは
できない。これは田辺が背負った歴史的な条件であり、それが田辺の哲学を思想史的に
みれば、最大の難局の時代にすでに世事から引退していた幸運な西田の哲学より
遥かに深みのあるものとする。西田の選科時代の不遇などは些細な不幸に過ぎない。
家族との死別は確かに西田に大きな陰を落としたであろうが、子供や家族の死亡は、
この時代では『当たり前』のことでさえある。むしろ、子供ができないことを知りながら、
貞節を保持した田辺の方が、明治人としては異例なのではないか。再婚のことなど考えると、
西田の後半生は、信じられない程の幸運に満ちている。それに反して、知的エリートなどと「揶揄」される
田辺の方が、実は、その人生の最盛期に、第二次世界大戦と日本のファシズムという
「世界史的」条件に対峙・関係せねばならなかったという「歴史的不遇」を抱えている。
2011年3月11日を、1945年8月6日を、「腑に落とす」ことができるための
哲学は西田哲学なのか田辺哲学なのか、と問われれば、後者の方が、「より良い」と
言える。「竹林の賢者の思想」は、個を容易に捻り潰す圧倒的な「世界史的条件」には応えられない。
それが北森の西田・田辺への評価に顕れていると思う。
かなり『脱線』してしまったが、澤口の議論には、こういう視点は全くなく、
田辺哲学の分析哲学化、あるいは、戦後日本でも共用される哲学に変えること
しか念頭にないように思える。それは田辺哲学の正反対を目指す途だろう。


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