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2011年5月10日(火曜日)

Pulkkinen Thought and Logic, 分析哲学系からの試み

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時22分00秒

 Michael Friedman の大陸哲学、英米哲学の分裂についての研究は、
比較するとすれば、大陸哲学的観点の要素が英米系観点よりは大きいだろう。
これと同じ問題を英米系から扱ったと看做せるのが、
Jarmo Pulkkinen, Thought and Logic, The Debates between
German-Speaking Philosophers and Symbolic Logicians
at the Turn of the 20th Century, Peter Lang, 2005. Googleってみつけ、
寝込んでいるときに届いたので読んでみたが様々な
エピソードが大変多く記載されている。

 しかし、Pulkkinenも、Friedman 同様、大陸哲学、英米哲学の分裂の奇妙な状態への疑問をから始めて、
この仕事をしたらしいが、その本に、その出版より5年も前のFriedman への引用がない。おそらく気が付いてない。
両者の内容は、大きくオーバーラップし、事象の詳しさ(多さ)では、Pulkkinen の方がはるかに興味深いのだが、
何分、著作自体の力がFriedmanのそれより劣る。あるいは、これは僕のバイアスのためかもしれないが、
どういう傾向の人か知らずに読んだのだが、英米系哲学の論文を読むときに感じる虚しさと同じもの感じたので。
なぜFrege, Schroeder は学派形成に failしたか、という節タイトルなど、この著書のスタンスと歴史の
見方を明瞭に表していると思う。著者は「英米系の哲学は哲学史を無視する」と批判しているが、
歴史に目の向けたのは良いのだが、歴史研究のやり方を間違えている。自分のバイアスの危険性を自覚して読んでみても、
Friedmanに比べれば文章に力がないように思う。仕方ないのだろう。しかし、その網羅的な調査は非常に有用であること
は間違いない。両者に言及しているものをGoogleったら、2010年の若い人の論文がひとつみつかる。やはり、この傾向が
流れになりつつあるか?そうあって欲しい。そして、日本では、それが京都学派研究と連動する故に、大変重要なテーマといえる。

ところで、この本、京大にないかと思ってKULINEでサーチしたら、文、情報・史料学にあった。 :-? これは田中一之さん
が引用していた本だった。多分、それで買ってあったのだろう。見た記憶があるのだが、その時はまだ新カント派などにつ
いて知識がなかったので気にしなかったのだろうか…


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