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2011年4月26日(火曜日)

西田の影響

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時10分16秒

今年度初めて藤田さんの特殊講義にでる。今年度は凄く人が多くて、
うらやましい。人が多ければよいというものではないが、僕の
特殊講義は少し少なすぎ。(^^;)
#でも、今の演習形式だと、あれ以上の多いのは問題だな…
#適正なのかも。来年は、特殊講義と演習を交換しよう。

藤田さんの講義の、講義前半の田辺の措定判断について
の処女論文に対する考察が大変に面白い。

ここから西田・田辺講演を始めるとよさそう。

要するに田辺が京都に来てから西田哲学に染まったいう俗説は
間違いで、善の研究出版以前の処女論文にすでに、西田の
純粋経験への言及と判断できるものがあり、それを新カント派
としては「異端」といえるAlois-Riehl http://de.wikipedia.org/wiki/Alois_Riehl
の措置判断 setzende Urteil を西田の純粋経験と関係付けて
いる。むしろ、田辺こそがアカデミズムにおける西田の「紹介者」
であるという議論。

これと良く似た意見を、僕は、どこかで読んだ記憶があり、それに基づいて
Wikipediaの田辺の項目を修正した記憶があったので、
そのことかと思って聞いていたが、後で質問したら、藤田さん独自の
意見とのこと。

で、ここで僕の間違い。金2の特集講義の出席者へ訂正です:
田辺が処女論文で西田に陽に言及したというのは間違い!
実質言及しているが、陽に名前を出すのは第二論文(善の研究出版
の後)、というのが正しい!

で、自分が編集したWikipediaを見たら正しく書いていた。
ようするに、その後で忘れたらしい….(^^;)

ソースは、全集1の武内の解説。藤田さんへのメールから
抜粋:
特にp.475の高橋里美の学士院における田辺追悼
演説に、この論文への言及があり、「既に西田先生の直観主義への同感がそこに
うかがはれるものであった」とあります。また、p.477に今日先生が話されてい
たこととほぼ同じことが武内の意見として書いてあり、しかし、p.478に西田哲学
の名前をだしての引用は第二論文からとあります。僕は、この3箇所に線を引い
て付箋をつけていましたが、記憶間違いで、第一論文に西田の名前があると
思っていました。

多分、藤田さんならば、このあたりはチェック済みで、「論文では書いたものが
ない」というようなことを言っていたから、アカデミックにちゃんと議論ができている
ものは今までない、という意味だったのだろう。

Alois Rihelの思想の藤田さんの説明が、
Max Scheler の ekstatisches Wissen にダブる。
ここあたりこそ、田辺の源流があるらしい。
だからこそ、コーエンへの言及が東北大時代から多い。

この時期は、田辺は、まだ、現実(たとえば社会)と、
個の、自我を超越した純粋一如の経験、を信じている。

やがて、それを信じられなくなる。

田辺の絶対弁証法は、旧約聖書のヨブ記の神に
ダブる。しかし、現在の旧約のヨブ記のそれではなく、
北森嘉蔵の言う、とっつきやすくされたヨブ記でなく、
「本来のヨブ記」(あったかどうか、誰にも
実証的にはわからない)のそれだ。

そのとき西田批判が始まったのだろ。


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