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2010年12月11日(土曜日)

Corry の Modernism in Math 批判

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時56分05秒

Corry がGray,Mehrtensを批判している:"How Useful is the Term ‘Modernism’ for Understanding the History of Early Twentieth-Century Mathematics?”, Unpublished Manuscript - Forthcoming http://www.tau.ac.il/~corry/publications/articles/Math-Modernism.html

これで、 「現代数学をモダニティの観点からみる新しい数学史の流れがうまれつつある」という主張をしやすくなった。 :-)

Corry の論点のいくつか:

1.modern math の時代を数学の modernazaiton と考える widespread agreement がある。p.1
2. most historians は Modernism を意識しつつ研究をすすめる。しかし、final accounts を書くときには、まだ深く考える
べきだ、改善が必要だ、と思って、それを表に出さない。しかし、2つの例外 two glaring exceptions がある。
それが Mehrtens, Grayだ。p.4
#まさに、その通り。例外が、二人だけだと Corry が思っているということは、大変ありがたい情報!
#書いていたとおり!! :-D

3. こういう historiographical あるいは conceptual な考察をするとき、歴史家は、(1)パースペクティブにより、
歴史をよりよく理解しようと狙っている、(2)それを例にする事により、概念の方を逆に洗練しようとしている。
p.4
#賛成。要するに理念型を用いた研究ということ。

4. Gray, Mehrtens のような研究が、数学史に何か新しいインサイトをもたらすか、それが問題だ。p.6.

ここで、Gray は数学史研究者に自身を限定している。そのため3の(2)が議論から落ちてしまっている。
一方で、僕の研究は意識的に(2)をターゲットにしている。(1)をやるときも、(2)のため、と自己規定している。
だから、ヒルベルト研究のような純粋数学史の場合も、ロングレンジでは(2)の研究、つまり、近代性理解のため
と割り切っている。これは僕の研究のモチベーションとして、数学以上に情報技術の歴史社会学が重要であるため。
ただ、まだ考えが足りないと思い隠している(3のCorryの説明どおりに行動しているわけだ ;-))ので、
ぼくの学生を含めて、それが他の人には見えない(ただし、見る人が見ればミエミエのはず)。

5. 数学と、Gray, Mehrtens が modernism を考察した、literature, art, music は、本質的に異なる
所がある。それを無視して議論はできない。むしろ、自然科学、特に相対性理論のような modernism を孕み、
それが専門分野をこえた影響を持った物理学が、考察のスコープに入るべきだ。p.7を中心に、p.11くらいまで。
 
6. Modernity を論じる場合、数学、芸術だけでなく、数学、自然科学、社会科学、芸術、哲学、のように
スコープを広げて考えるべきだろう。p.11

正しい! ただし、科学技術、特に情報技術が、リストから抜け落ちている。僕の視点は、
近代性を、数学(ヒルベルト研究)、技術(情報技術、標準化、生産工学とその歴史)、
経済(Nathan Rosenberg の経済・経営学史をWeb2.0,i.e. Google, Amazonまで拡張),
哲学・思想史(田辺研究、更に広くは、日本論理学導入史、新カント派などのドイツ思想史)から
構築されているので、構成要素の選択が少し違うだけで、ほぼ同じ考えといえる。

Corry のものは問題提起だが、僕のは、すでにかなり研究が実質的に進んでいて、
Corry の問題提起に、一部、答えを与えている。特に、
ウェーバー,ギデンズ社会学の近代化論で理論化されている点、がそれにあたる。

ただし、それが数学史理解に何か新しい視点をもたらすかどうかは、
議論の余地があるだろう。そういうつもりでやってないので、
そのなっているかどうかわからない。
ヒルベルト研究は、そういう概念枠が必要ないほど具体的かつ文献学的。
そういう歴史観が僕に常に問題意識をなげかけ、それが新しい史料的
エビデンスの発見や既存資料の新解釈に繋がっているのは確かだが、
結論は、 Modernity の概念枠無しでも歴史学の意味ある研究成果
になるように構成してあるので、Modernity というカンバンを必要としない。

研究の方向としては、相互関係を社会学理論だけでなく、
歴史学、特に文化史、教育史、思想史により、
歴史学的相互関係、つまり、どのように、同じ Zeitgeist を、
それぞれが反映しているかを示すという
大仕事が残っている。これは、本当に巨大な仕事になるだろう。
また、確かに Corry が言うように、自然科学史の視点が必要だ!
とても、生きている間には完成できない。小出しにしなくては! :-)

その第一歩が「ゲーデルと数学の近代」になるわけだ。
しかし、やはり英語で世界に出すべきだな。


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