Welcome Guest 
メインメニュー
林晋ブログ 最近のエントリ
Blogカレンダー
2010年 11月
« 10月   12月 »
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930  
Blog 月別過去ログ
Blog 検索
カテゴリ一
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

リンク
検索

2010年11月13日(土曜日)

岩波文庫 田辺元哲学選

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時17分27秒

藤田さんから田辺元哲学選靴鯆困。見本とのこと。書店にでるのは来週だろう。内容は「哲学の根本問題」と「数理の歴主義展開」。数学についての解説をチェックして欲しいとのことなので、そういう点を詳しく読む。さすがの藤田さんも、今回は細かい間違いが幾つかあるが、まあ、それはご愛嬌程度。数理の歴史主義展開への理解は、僕のものとほぼ同じで安心した。徒手空拳に近い形で2年ほど田辺研究をやってきたが、僕が手懸かりにしてきた文献は、専門家の藤田さんが、これは重要、とされる文献ばかりだった。まるで、僕の研究を承認してもらえたようで、大変に安心する。

しかし、やはり専門家にはまったくかなわない所があり、特に西田哲学を知らないので、西田との関係がからっきし駄目だし(本当は、これが凄く大切なはずなのだが)、もう一つは懺悔道・死の哲学が十分視野に入っていない。それでも「数理」をキーにしているから何とか意味のあることをやれているわけだ。

先日、藤田さんの懺悔道の講義で、Jasper との関係が重要という説明があり、これなど指摘されると、ウームという感じ。種の論理の成立には新カント派と関係しつつも、距離があった人々、特に Scheler と Hartmann が重要なようなのだが、この二人の哲学は認識論が中心らしいので、ここまでだと種の論理の中にある実存哲学的な傾向が説明できない。それより、Heidegger という巨大な存在の影響が、ドイツ留学時の「家庭教師」以後、ずっと続いていてこれの方が重要なはずなのだが、自然科学が対象にするような「世界」を常に視野にいれる田辺哲学では、Heidegger とすれ違いになるのである。Scheler, Hartmann などを盛んに refer しながらも、何故か冷たい、田辺の態度が不思議でしようがなく、新カント派とそれに続く哲学者との関係で、田辺哲学を見るという僕の思想史研究の方向に一抹の不安を感じていたのだが、藤田さんのこの説で、ストンと腑に落ちた感じ。

藤田さんの説明では、Jaspers ではumgreifen という行為により、Dasein が Welt に繋がる道筋が、その哲学体系の中に(中心にだろうか?)組み込まれているので、実存哲学が田辺哲学と通じることができる。もちろん、田辺は、絶対無の弁証法により、Jaspers も越えていると自負していたはずだが。これは非常に説得力がある考え方で、これで一挙にわかった気がする。おそらくは、Scheler, Hartmann などは認識論にとどまってしまって田辺には新カント派と同様の不満な存在だったのだろう。Jaspers への評価は、丁度、Brouwer を評価しつつも、「おしい」と書いた、そんな位置の取り方だったかもしれない。

幸い、藤田さんに聞かれた、Jaspers をテーマに論じた1939年(S14)の特殊講義「実存哲学対現実哲学」の講義メモを探したら、それと思われるものが僕が昨年撮影した資料の中にあった。これは群馬大の目録ではリストされてない箱に入っていた資料だが、比較的綺麗。早速、藤田さんに渡した。

こういう「偶然」、自分の力を超えた event が起きるのが史料ベースの歴史学の一番ワクワクするところで、こういうのがあるからやっているようなところがある。考古学とか、実験物理、生物学、天文学、などと同じセンスなのだろうな。工学も同じようなところがあったが、工学の場合、やっていたのがソフトウェア工学で、自分で作っている人工物相手の工学が主だったので、いまいち、「発見した!」感が乏しかった。史料だと、本当に、「何の気なしに棚から史料を手に取り、ペラッと捲って、『エッ、エエーッ!』」というのがある。これが楽しい。

この史料も至急、SMART-GS でサーチ&翻刻可能にしなくては!色々仕事が多くて、西田資料の画像も田辺資料の画像も清水光芸社に納入してもらったそのままになっている。NF休みを利用して至急にやらねば!

これで田辺の思想の大きな流れが、凡そ解明できることになるのではないだろうか。後は、一番の難物、西田との関係。これは資料的にも、ちょっと辛いけれども、おそらく群馬大、京大の蔵書書き込みとか手帳(日記)が手懸かりになるだろう。そういうところでは気を抜くので田辺も正直になる。田辺は、うそつきではないが、「気遣い」「気配り」が強いのが、出さない、婉曲にする、というところがあるように思う。ちょっと、「ドイツ人の沈黙」を連想。僕はドイツを研究しているが、どうもドイツ人は苦手な所がある。お喋りな(過ぎる?)僕には、ドイツ人は寡黙すぎる。それを「ドイツ人の沈黙」と名づけている(正直に言うと、今、名づけた ;-))。それに比べると、イギリス人とかアメリカ人、フランス人は、なにかと喋る。特に前二者とは僕は話しやすい。ドイツで学位をとった藤田さんはやはりドイツ系の学者を連想させる。自分は英米系ではないと思っていたけれど英米系なのかな…………..

ケルト系だったりして。 :-D


TrackBacks

このコメントのRSS

TrackBack URL : http://www.shayashi.jp/xoopsMain/html/modules/wordpress/wp-trackback.php/102

この投稿には、まだコメントが付いていません

コメント

_CM_NOTICE

24 queries. 0.030 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress

XOOPS Cube PROJECT