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2018年6月29日(金曜日)

砂礫質台地

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時48分40秒

以前から、地震の際の危険度を理解するために、自宅の地域の地質を知りたかったのだが、
それが分かるサイトがあることを、遅ればせながら発見。

それによると、僕の自宅の辺りの地質は、砂礫質台地というらしい。疎水沿いの散歩道を
歩くと、そういう堆積した砂礫からなる地層を目にするので、これは非常に納得。

この地質は、山地やら岩盤やらに次いで地震に強い地質らしい。

それで阪神大震災の際に、今回の大阪の地震より強い揺れがありながら、ほとんど何も
倒れず、近所の方たちとも「報道されている、京都の震度ほど、大きな揺れでしたかね?」と、
話しあっていた理由も説明できる。

今回は、揺れの波長が小さかったために、逆に、軽いものが沢山落ちたので、
補修したのに、家が地震に弱くなったのか、と心配してしまったが、
取り越し苦労だったようだ。

まずは、一安心。 :-)


2018年6月20日(水曜日)

リゾーム、地震被害

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時58分25秒

注文したリゾームが週末に来る。
1977年版で見たはずの挿絵の様なものがない。
復刻でなくて、再版だからだろう。
あるいは、別の本だったのか?
覚えているのは、絵と題名だけだから、
確認のしようがない。それにしても、
1977年版は、古書として出るとすぐ売れる
らしい。

月曜日は関西大高槻キャンパスで講義なのだが、
早朝に地震で休講。

京大は、創立記念日で、閉まっていたのだが、
家で色々なものが落下したので、整理整頓が
できておらず、書類など積み上げている研究室が
心配になって午後に登校。

いろいろ、落ちたり、倒れたりしていて、
多くは無事だったが、京大招き猫が落ちて割れていたので掃除。
neko

関西大高槻は明日、木曜日から、講義を再開とのこと。
来週月曜日も、まだ、余震があるかな??


2018年6月15日(金曜日)

「リゾーム」復刻版の古書を注文

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時16分59秒

学生、院生が就活で忙しく開くことができなかった田辺演習を再開。
情報・史料学は、昨年度、募集停止にしたので、4回生とM2しかいないために、
こういうことになってしまった。昨年からの顔ぶれが半分位だが、
日哲の院生さんが新メンバーとして参加。ドイツ語も良くできるようで、
初回から良く読めていた。立派。

今年は数学をやっている北部キャンパスの院生さんも参加してくれている。
それで演習後にツェルメロとハイデガーの逸話などを少し話す。
やはり、意外に響くらしい。

僕には、もう当たり前のことになってしまっていて、特に話すまでもない、
と、ついそう思ってしまうことの一つだ。皆の反応からして、
多くの人が面白いと思うはずだし、また、文系は国立大から出ていけと
聞こえるような提言がでるような、この時代には広く知ってもらうことに
意味があることの一つだろう。

不完全性定理が濃密だった哲学と数学の交流を最終的に切り離したという、
僕の説に基づく岩波新書「ゲーデルの不完全性定理」、
早く書かねば!

それにしても、人文知と科学技術の乖離は大きい、というより、広がるばかりか…

先日、サントリー財団の堂島サロンでお会いした、経済学者の猪木武徳先生から、人文知の復興のような
ことを書く本のシリーズ(ただし、数冊)を作るので、一冊書いて欲しいと依頼を頂く。本当に書けるか、
もう、言いたいことは書いてしまったのでは、と思って、少し躊躇していたのだが、もう一度考えて
みたら、実は、書いてないことが沢山あることに気が付く。京大文に在籍中に考えたことの
大半は、実は、本とか論文になってなくて、僕の講義資料の中にのみあることに
自分では気が付かなくて、もう、どこかで公表した様に誤って認識していたことに気が付く。 :-(

これは、困ったことだが、しかし、定年後、本にすべきストックが沢山あることに、
今頃、漸く気が付く。人間の自己理解なんていい加減なものだ。
猪木先生のお陰で、これに気が付けてよかった。 :-)

僕の講義資料は、書籍並みに詳しいので、つい、書いた気になっていたらしい。
考えてみると、2回生用の「情報歴史社会学入門」と、タイトルは、もう忘れて
しまった「ITと哲学の関係」の講義を組みわせると、ちょうど良いことに気が付く。
後者は、論文にする予定だったのだが、講義を終わったら、あまりにも当たり前の
ことに思えてきて、面白くなくなって、今まで書いていなかった。当たりまえというのは、
たとえば、トニー・ホーアさんが、オブジェクト指向の祖となるようなことを、
最初に提案した文章をみると、用語や考え方に明らかに、伝統的論理学の影響が見えることなど。

で、これは、英米人などに言うと、「林は、また、当たりまえのことを大変そうに言っている」
と言われるのではないか、と思い書くのを止めた。

それが、今回は、日本の情報技術者に、ITが如何に伝統論理学などから影響を受けているかを
示すための客観的証拠に使えることに気が付く。この場合、当たりまえだから良い!
ということで、お引き受けすることして、それで先週だったか、先々週だったかに、
進々堂でお会いして、内容など相談。小林道夫先生や、中馬さん、久米さんなど、
共通の知人が多くて、話が弾んだ。

猪木先生が、僕に声をかけてくださったのは、文理の両方を専門的にやった人間だから。

そのためだったか、何かの偶然だったか、WEBブラウジングしていて、立教大学の
数学の学生だったころだと思うが、要町の交差点の北東の角にあった小さな本屋で
買って、読んで衝撃をうけ、思考法が大きく変わった、ある本が、そのころあった
雑誌エピステーメーの臨時増刊号「リゾーム」であったことに気が付く。

記憶に残っていたのは、おそらく訳本にだけあるのだろうが、ペンで描いたような地下茎を意味する
らしい、くしゃくしゃの線の塊と、題名が地下茎リゾームだということ、そして、エピステーメーという
雑誌の名前、それから、これを元に、数学は複数の星雲から成り立ち、ある星雲は、他の星雲を観測できて、
それは互いに、観測可能で、これが中心という場所はないのだ、という考え方にたどり着いたこと。
まあ、要するには、直観主義数学も、古典論理に基づく標準的数学も、哲学的には同じ価値を
持つという思想。

で、もう一つ記憶があって、その本を読みつつ、数学ではなくて、こういうことを
やって生きていけたらいいな、と一瞬思ったこと。数学で食えるかどうかも分からなかった
修士の学生には、それは絵空事で、すぐさま、頭から外したが、記憶は鮮明に残っている。

で、その「リゾーム」、どうやらドゥルーズ・ガタリの「千のプラトー」の序になった
文章らしい。また、出版が1977年で、ちょうど、僕の最初の論文(というより報告、学士院
紀要なので)が出た年。ということで、おそらく、あれは立教大学の修士の2年生ことの話だと
気が付いた次第。それまでは、学部生のときだったのか、院生のときだったのかも、思いだせ
なかった。

で、僕は、この論文で、「千のプラトー」について書いているわけで、
修士の院生だったころの一瞬の夢が、実現していることに気が付いて驚く。

こういう時、歴史家なので、ちゃんと確認したくなる。で、1977年刊の朝日出版社の
「リゾーム」が、本当に僕の記憶の「リゾーム」なのか、確認しておこうと思い、
田辺演習後に、教育の図書館にある学内唯一らしい、それを、Kulineで検索して
みたら、貸し出し中…

アマゾンでみたら、1987年の復刻版が古書ででていたので注文。明日には来るだろう。


2018年6月4日(月曜日)

物書きになるか!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時58分49秒

もうすぐ65歳になり、今年度の末で定年退職になる。

その後、どうするのですか、と聞かれることが増えているが、予定はない。

昔ならば、どこかの私大に就職するところだろうが、今時は、僕程度の学者では、なかなか、そういう声はかからない。

年金だけでは、少し心もとないので、何か働くべきだと、色々と思案してみたが、やはり物書きが一番良いように思う。

実は、30代、龍谷大学の教員だったころ、あまりに働きすぎて、ダウンしてしまい、1,2年使いものにならなかったことがある。そのころ、よく言われていた燃えつき症候群になってしまったのである。

幸い、その後、神戸大に移って、亡くなったKさんの贔屓のお陰で、随分、サボれたので、回復して、今に至っている。

その頃、考えていたのが、大学を辞めて物書きになり、それで生きていくこと。つまり、本を書いて、印税で生きていくという人生。

それで、真剣に、どれだけ本を書けば食べていけるか計算していた。

その結果は、かなりシビアであった。

実は、岳父の八杉龍一が、まさに、そういう風に生きて、家族を養っていた。

龍一は、本当に素晴らしい人で、山口昌哉先生とともに、学者としての僕の目標なのだが、八杉の母に、そういう生活の厳しさを諭されて、そういう路線は諦めた。

実際、物書きだけで家族を養うのは、本当に大変で、ギャンブルの様なところがある。それをできた八杉龍一は、やはり素晴らしい人物だと思うが、年取って、少しは物事がわかるようになった今、義母の心配がよくわかる。

僕の場合は、年金に幾ばくかをプラスすれば良いだけなので、何とかなる可能性がある。

と、いうことで、これからは、一般向け解説書の著者モードに移行したいと思っている。

その矢先に、割烹飯田の予約が年内一杯ということを知る。

今日、パートナーが、以前の様に、予約の電話をしたら、年内は、一杯とのこと。

段々、予約が難しくはなっていたが、これは異常だ。多分、ミシュラン三ツ星の効果で、わけも分からない人たちが、予約を入れているのだろう。これでは、以前のように飯田で食事をするのは、ほぼ、無理だ。悲しいことだが、仕方がない。

以前、もう、20−30年前だと思うが、好きだった、三つのお店が、閉店した。

木屋町のとんかつ一番、三条小橋西詰の望月本舗、そして、岡崎道の「きんこうあん」というおはぎ屋さん。

京都のものは、悠久と思っていたので、ちょっとショックだったのだが、考えてみると、どれも新興のお店ばかりだった。2代以上続いていたのは、望月本舗だけで、これも明治だったか、その頃の操業。他の二つは、一代限りのお店だった。物事はうつろうと感じた。

庭の桜を切らないといけないこと。べにやや島田さんの火事といい、錦に押し掛けるあまりの多くの観光客に辟易して、
錦に行くことが極端に減ったことといい、その時以来、生活が大きく変わりつつあるのを感じる。

時代は変わる。

老人が、消えていくのに従い、若い人たち、たとえば、橋本君などが、時代の中心に躍り出てくれればよい。

そうなって欲しいところだ。


2018年6月2日(土曜日)

西田幾多郎新資料

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時55分48秒

西田幾多郎のお孫さんで、2016年に亡くなった西田幾久彦さんが、西田哲学館に寄託された新資料を、金沢大学、京大、そして、哲学館で、補修・翻刻している。

寄託されたのが、二年ほど前で、田中上柳町の西田旧宅の保全活動で、大忙しになる前の静かな頃の話だと記憶している。

その時、二度目の哲学館訪問をして、一度目は福井での湯治のついでだったのだが、この時は、当時の館長さんや、学芸員の山名田さんにも初めてお会いした。僕の講義や演習によく出てきてくれていた、日本哲学史専修出身の中嶋君も、すでに哲学館の研究員となっていた時期で、彼とも再会。

宇野気の駅まで送ってもらって、駅前に停車しているときに、そういう史料の存在を聞き、協力の打診をされた。当然ながらOKの返事を即答した。

史料というものは、期待していても、何もなかったり、あるいは、あっても大したことがないことが多いのだが、ヒットするときは、本当に凄まじくヒットする。

それで、今回の史料が、西田幾多郎という、日本の哲学史の中で、一番の有名人で、大部の全集も出版されている人物が残したものとして、どれだけの価値があるものか、それが問題だった。

しかし、兎に角、日本の哲学、哲学史の人たちは、一次資料を軽視するということは、良く知っていたので、これは、基本的に歴史家である、僕がかかわる必要があると判断して、その場でOKを伝えたように思う。

そして、それが今、初めて、社会に公開されたわけだ。

今まで、いろいろなメディアから問い合わせがあったが、今日、最後まで、僕に連絡がなかった、M社から連絡があり、これで、全国紙が勢揃い。これの一部でもよいから、金沢版、北陸版でなくて、全国版の記事になると良いのだが。それは今の所不明。


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