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2018年2月28日(水曜日)

「ゲーデルの謎を解く」の新版?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時45分14秒

「ゲーデルの謎を解く」の改訂版の話が浮上。

少し前から、あれが出た平成5年とは、社会におけるITの位置が、根本的に変わったので、
今、書くとしたら、前より良いものを、ずっと楽に書けるのでは、と思っていた。

例えば、当時はファミコンでしか説明できなかったことが、
今はスマホで説明できる。

万能チューリングマシンの万能性は、スマホが電話にも、電卓にも、ラジオにも、テレビにも、
そして、コンパスやGPS、最近では気圧計にまで「化ける」という、生活実感で説明できる。
#この話し、単にたとえ話ではなくて、HCIの観点から、理論化できる可能性さえある。
#つまり、人間の視覚、聴覚、触覚が、これこれだと前提し、それとインタラクションする、
#センサーとアクチュエータ(スピーカや画面も含む)が、どれだけの機能あれば、万能HCIと
#言えるかなどという議論ができるはず。実にカント的な話!!

面白そうだと思い、書き換えの検討を開始したが、
もう25年も前の話なので、こんなものを書いていたのか、
と他人が書いたもののように読む。

このころは、まだ、龍谷の理工学部のころで、純粋の理系学者だったのだが、
自画自賛になるが、案外良い文章を書いていて、自分で驚く。もしかしたら、
人文学者になった今の方が文章は下手かも。(^^;)

大幅書き換えを考えていたが、どうも、大半は、少しだけの手直しで、
そのまま使えそうだ。

しかし、ファミコンのところは全面書き換えだな。

変身機械をどうするかは、難しい所。

面白いことに、分かり易いと思って書いたのだろうが、
変身機械でかえって分からなくなった、と言う様な
読者が当初は多く、正直、がっかりしたのだが、
最近になって、これが面白い、分かり易いという人が
増えている様な気がする(もう、新品は売られていないので、
多分、古本で読んでいるのだろう。最近は、オークションなど
で古本が買いやすいから。)

これがおそらくは、IT慣れした人が増えたためではないか、
と思っている。

そういう人をターゲットに書けば、色々と面白い話をかけるはず。

ただ、この本、どう見ても、文字数が少ない。その割には高い。(^^;)


2018年2月22日(木曜日)

〇〇の者と〇〇の人(その2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時29分53秒

昨日書く筈だったが、今日、続きを書いている。

○○者というのは、○○という学問をすることを仕事とする人。

○○の人というのは、○○という学問をしたい人。

これは、大きく異なる。

数学史上、著名な数学者中の数学者と言いたくなるフェルマー、そして、少し毛色が違うが、ビィエタ。

この二人は、数学者ではなくて、法律を職業として、そして、数学の人だった。

フェルマーも、ビィエタも、実は本業は法律なのである。

さらに言えば、メービウス、ガウス、リーマンなども、皆、天文台の学者であり、数学者ではなく、数学の人!

で、こういうことがあるので、数学を行うことと、数学者というものを分離して考えようというのが、
僕の最近の考え方。

○○の人は、○○について、本当に知りたいだけなので、○○の職業人が囚われがちな、
○○の「商習慣」から自由でいられる。その故に、才能があれば○○者より、はるかに
本質的な仕事ができる。

こんな事を考えていたら、以前、科学史の院生に、「林先生のアイデンティティが分からない」と、
批判的に言われて、意味が解らず、戸惑ってしまったことを思い出した。

要するに、僕があまりに色々なことをやるので、どの○○の、○○者か、分からない、という発言だったと、
漸く理解。

ところが、○○の人、という観点からは、これは全く的外れで、僕が、色々やっている学問は、
殆ど、全部、「近代化とは何か?自分が関わって来たことを、近代化の文脈で理解すると、
どう理解できるのか?」という、個人的な疑問に突き動かされて行なっていることを理解!
つまり、自画自賛になるが、僕の学問ほど、一貫した学問は、あまりないことになる。 ;-)

今でも思い出すが。「来年の特殊講義は、京都学派です」と言ったときに、今はグーグルで働いている、
清水君が、本当にのけぞって、数十センチ後退した。 :-D

しかし、それが、数学基礎論史の疑問を解決してくれたわけで、僕が、数学史学者ではなくて、
数学史の人だったから、この様なことが出来たのだという気がする。

京大文に転職したときに、僕のような情報工学の人間が、人文学の学部に転職して、吉と出るか、
凶と出るか、分からないという意味の事を、京大文の同窓会の雑誌「以文」に書いたが、
有難いことに、吉と出た様だ。 :-)


2018年2月20日(火曜日)

○○者と○○の人

カテゴリー: - susumuhayashi @ 04時21分59秒

かほく市の西田記念館からの依頼で行っている、西田「新」資料翻刻・調査のプロジェクトを実施するための膨大な書類を作っていたら夜中の3時を過ぎてしまった。締切は2月19日だったのだが、完成したのは、20日の未明。こういう締切は、1,2日の余裕は取ってあるものだし、かなり遅れる猛者もいるらしいから、僕のは、多分マシな方だろう。

それにしても、少し前までの京大の事務は、こういうことに非常に柔軟に対処してくれたが、大学改革とかいう、明らかな改悪のために、今まで奉職した大学の中でも、神戸大並のワースト大学になってしまった京大…。

実に嘆かわしいことで、これのツケは、これから露わになるはずだ。どうして、日本は、第2次世界大戦の教訓を生かせないのだろうか。暗澹たる気持ちになる…

ということで、寝付かれず、このブログを書いている。

3月に物理学史の稲葉肇氏と会って、最近考えていることを聞いてもらえることになった。そのための旅費の申請も2月19日がデッドラインだったが、こちらの方は、少なくとも日付が2月19日の間にメールを送れた。 :-)

これは、前にも書いた気がするが、岩波新書の「ゲーデルの不完全性定理(仮題)」で書く、新しい数学基礎論史観を、同時期の物理学史と、どの様に整合させるかという問題のために、色々な人の意見を聞いている、その一環。稲葉君は、僕のヒルベルト論文の草稿をちゃんと読んでくれた数少ない人のひとりだし、この物理学史とのすり合わせに使っている Quantum Generations という本の和訳者のひとりなので、意見を聞くには最適な人の筈。

僕の「新」史観のポイントは、数学基礎論史を、単独で見ることなく、その時代の文化史の文脈において見て、M.Weber の意味での近代化の一例として理解するということなのだが、そこまでやると、当然ながら、では、お隣にある物理学の歴史では、どうなのですか?、という疑問が湧く。

そういう質問があった場合に、ちゃんと答えられるようにするために、これをやっている。

ポイントは、○○者、たとえば、数学者、哲学者、物理学者、と、英語でいう、Men of mathematics、数学の人たち、の様なものを区別すること。

数学者、哲学者、物理学者、などという枠組で考えていると、19-20世紀に起きた変動を理解できないのではないか、というのが、最近得ることができた見解。

そうではなくて、「哲学的問題」、「数学的問題」、「哲学的手法」、「数学的手法」という、2×2の組み合わせjで考えるべきではないか、というのが、僕の史観のポイントで、そうすると、ヒルベルトは、「数学に関する哲学的問題」を、「数学的手法」で解決しようとした人、と理解できる。

こうすれば、彼の無名の若き日の哲学紛いの日記のアイテムと、哲学者を見下す1930年のケーニヒスベルグやハンブルグでの講演の内容が整合性を持つ。

…と、こんなことを考えていたら、以前から、違和感のあったことが何となく腑に落ちるようになった感じ。

もう、遅いので、また、眠くなってきたので、続きは、明日!


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