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2018年1月27日(土曜日)

デザイン思考、パナソニック、松下幸之助

日経のニュースを見ていて、パナソニックが、シリコンバレーにデザイン思考の「工場」を作ったという記事を見つける。

調べてみたら、2016年頃から、日本国内でデザイン思考が流行っているらしい。
以前、「デザイン思考だ。d.schoolだ」と喚いていたものとしては、嬉しいような気もするが、
もう遅すぎないか、今からやると却ってマイナス面がでないかと心配になる。
アメリカで、「もうデザイン思考ではないだろう」という様な記事が書かれるようになったのは、
かなり前なのだから。もう一つジャンプした方が多分いい…

それに、この記事の「プロジェクト発足に先駆けて「米スタンフォード大学のd.schoolを経営会議のメンバーで訪問した」(宮部専務執行役員)。」という所などを
読むと、正直、ため息がでる。デザイン思考の持つ雰囲気は、こういうのにもっとも反するものだ。
デザイン思考を説明するのは難しい。あれは体で会得するしかない。
だから、d.school なのだが、パナソニック(β?)の経営会議の人たちは理解できただろうか。

実は、パナソニックにとっては、デザイン思考の最大のお手本は足下にある。

松下幸之助の二股ソケット、これこそデザイン思考そのものだ。


2018年1月24日(水曜日)

最終講義?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時00分40秒

来年度末で、京大を定年退職になる。その事もあって、来年度から、僕が唯一の教員である情報・史料学専修と、同じく、教員一人のみで、その教員の杉本さんが、
再来年度末で定年退職の二十世紀学専修が合併してメディア文化学専修になる。

科学哲学科学史専修の伊藤さんも言っていたが、現代文化学系(専攻)に、二つも「一人専修」(教員一人だけの専修)があって、良く長年なにも起きなかったものだ。
一人だけの教員が、病気や怪我、あるいは死去などということになると、一人専修は本当に大変なことになる。

教員2名体制になり、これでちょっと一安心という所。

ただ、僕は来年度最後なので、杉本さんには悪いが、講義などで、少し楽をさせてもらっている。特に、二つもやっていた特殊講義を来年度はしないことにした。

実は、この特殊講義が、僕の研究の原動力で、京大文に転職した後に、物凄く研究が進んだのは、これをやっていたから。

つまり、講義をすすめるためには、どうしても研究しないといけないという風に自分を追い込むためにやっていた。さらには、講義の参加者からの質問・コメントなどが、非常に役立った。

しかし、兎に角、しんどかった。亡くなった、哲学史の小林道夫先生が、大阪市立大学から京大文に定年前に移ったことは、大変にしんどかったと仰っていたが、これも同じことだろう。
京大文で特殊講義をすると、一種の真剣勝負のようになる。

西田、田辺なども、同じようにして、研究を進めていたらしい。少なくとも、僕が長年研究している田辺の場合は、講義ノート(メモ?)から、自信をもってそう言える。
金3の田辺演習で、先日まで読んでいた昭和9年の講座の秋くらいの部分は、明らかに種の論理が形を成し始めているのが見える。ただし、出版されたものとも微妙に違っていて、
理論が形成されていくところが見えて興味深い。西田の宗教学と倫理学の講義ノートを現在プロジェクトを組んで翻刻しているが、こちらは、特殊講義ではないようで、
それもあって、田辺のものより整然としているが、それでも西田の思考の努力の跡が見える。

ただ、僕が、特殊講義を「利用して」研究をしていたのは、西田や田辺の様な京大文の大先輩たちを真似をしたのではなくて、
京都学派の研究に手を染める前の主な研究対象だったヒルベルトの真似。ヒルベルトの講義資料を読んで、
なるほど、こうやって講義しながら、理論を作って行っていたのかと感心して、それを真似た次第。

それが許される、というより、原則としては、そうしないといけない特殊講義というものがある京大文に10年以上に渡って在職できたのは、実に幸運だった。

80ページを超える論文を書きながら結論が書けず、塩漬けにしていたヒルベルトの初期数学思想についての論文も、この京都学派研究を通ったお蔭で、漸く結論が書けそうな状況になっている。

しかも、幸運なことに、その内容を公表する絶好の機会が巡って来た。僕が、数学史の研究のベースの一つにしている、数学における modernism 研究である
Plato’s Ghost の著者の J.Gray 氏が、来日されて応用哲学会でシンポジウムをするので、僕にも話してほしいとの依頼が、名古屋の久木田さんから、極く最近あったのである。
これは、実に、願ってもないタイミングで、大変、ありがたいので、すぐに引き受けた。この講演で、僕の歴史観の最初の紹介をすることになる予定。

ただし、そのためには、ヘルムホルツやエミール・デュ・ボア=レーモンの様な自然科学者と哲学との関係を押さえる必要がある。これが、どの様にヒルベルトの哲学との関係の取り方と違うのか、
それへの理解を整理しないといけない。そのために、色々な人の意見を聞いているのだが、ゲーデルの1960年ころの歴史観における「数学だけはイデアの学問なので、自然科学とは異なる」
という意見と、非常に上手くマッチする結論になりそうだ。

というような、ことをやっていたら、先日、Gabriel Finkelsteinさんから、エミール・デュ・ボア=レーモンについてのメールが、3年ぶりに来たわけで、これも、あまりのタイミングの良さに驚く。

京大文の在籍期間は、この様な在り得ない幸運の連続であり、正に、有難いことだった。

とは、いうものの、その有難い状況は、特殊講義を中心に、講義のために懸命に努力せざるを得ない状況を作り続けていたから生まれたのだろうと思う。
セレンディピティを能力だと言うと、オカルトになるが、反セレンディピティ能力というものがあって、
その能力がないことをセレンディピティ能力であると定義すると、これは自然なものとなる。

反セレンディピティ能力とは、「そんな話あるわけない」、「そんな大変なことできない」と言って、目の前にある重要な資料やアイデアややるべき仕事を、
最初から、見もせず、やりもせず、スルーしてしまう能力のこと。こういう能力を持つ人には、実によく出くわす。つまり、実は、奇跡みたいなことは、
我々が思っているより、日常的に、我々の身辺を通り過ぎているのだが、それを自分で見ないようにしているから、
多くの人には、それが「在り得ない」と見えるのだ、というのが僕の見方。
この動画のゴリラの様なもの。 :-D

この様に考えるようになったのは、Cコンビネータと、Curry-Howard の関係が目の前にありながら、それを発見する、それ以上はない位置につけていながら、
「そんなバカな…」と見過ごしてしまったという経験をしたことが大きい。つまり、誰よりも反セレンディピティ能力を持っているのが自分だ、
と気が付いて反省して考えを変えた。それがよかった。

まあ、いずれにせよ、そういう「有難い」特殊講義の最後の回が、今週で終わった。ある意味で、最終講義で、悲しいかと思いきや、何か、肩のあたりが、スーッと軽くなった。

はあ―っ、もうこれで、あの苦行も終わりだ、と思って、自然に、そうなったらしい。苦しいから前進できるのだが、しかし、若い時のような体力がなくなっているので、
徹夜が無理なので、時間的に追い詰められることが増えてきて、すごいストレスになっていたのだが、それが突然消えたので、「すーっ。はあーっ。ほっ!」となったらしい。 :-)

で、定年はまだなのだが、亡くなった山口昌哉先生が、「林さん定年はいいもんですよ」と仰っていた事の意味を、漸く、実感として感じる。

特殊講義に割いていた膨大な時間を、今度は、今までの研究のまとめに割くことになる。まずは、岩波新書、そして、応用哲学会の講演の準備、先日の京都哲学会の「田辺元と西谷啓治」の論文も、
まだまとめていない。翻訳も二つあるし、それより、Gray 氏が見えるまでに、ヒルベルト論文の結論を書かねば。これに西田プロジェクトと、科研費萌芽、SMART-GSの最終まとめと、
橋本君のみんなで翻刻への機能移植など、やること一杯。

でも、僕の時間の半分は占めていた特殊講義の準備が無くなるので何とかなるだろう。


2018年1月22日(月曜日)

風邪が漸く治る!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時37分30秒

先々週の土曜日、朝起きたら咽喉が酷く痛かった。

これから始まり、体温が急激に上下し、最低で35.9度、再考で36.9度と変動し、胃腸も不順で下痢も伴い、もろもろの風邪の症状に1週間以上苦しんだ。

10日近くたった、今日、漸く、風邪から脱したという感触。

この間、連れ合いが、得意とは言えない食事の準備などしてくれた。

すごく嬉しい。ありがとう!!

エクササイズをする様になってから、長引く風邪は無かったのだが、今年の風邪はなかなか手強い。

学生や事務の方たちも、同じような風邪をひいているらしい。

先日は、総務掛のドアを開けたら、一斉に振り向く3名の方が、皆、マスクだった。 :-(

話しは変わるが、家の前の寮の桜が4本、切られてしまった。勿体無い!!

我が家の庭では、古家を買ったときは、小さかった桜の木が、今は、巨木になっている。

うちの桜は、何時まで元気でいてくれるのだろうか。

できるだけ、長く、咲き続けて欲しい。


2018年1月14日(日曜日)

食糧は十分!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時39分52秒

RIETI(経済産業研究所)のAIの社会影響プロジェクトの研究を行っていた際に、
大きな違和感を感じたのが、AIの社会影響を論じる人が、僕を含めて先進国の
状況しか考えていないこと。

世界には、まだ、電気も水も食料も十分でない生活をしている人が沢山いる。

そういう人たちのことを無視して、AIがどうのこうのと言っても無意味ではないのか?

もし、世界の食料生産を世界人口で割った時に、それが飢餓のラインを下回っていたとしたら、
AI議論など問題外だろうと思っていたのだが、今日、それを始めてサーチしてみて驚く!!!

http://www.hungerfree.net/hunger/food_world/
によると、食料の生産高は、現在の総ての地球人口を潤すに十分らしい!!!

なんと、素晴らしいことか!!

しかし、そういう時代に、どうして、飢餓が存在するのか???

そう考えると、IT/AIに可能性が見いだせる。

そうあって欲しい…


2018年1月12日(金曜日)

三年ぶりの返信

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時37分05秒

2014年、Gabriel Finkelstein というアメリカの歴史家による Emil du Bois-Reymond についての著作を見つけ、
購入し、それを、このブログに書いた。

それを、著者の Finkelstein さんが、何かでみつけてメールをくれたので、
幾つか疑問に思っていたことなどを問う返信を送った。

しかし、なしのつぶてだったのだが、この1月3日に返事が来た!!

どうもスパムキラーにやられていたのを、何かの偶然で見つけたらしい。

丁寧な、また、有用な返事で、Finkelstein氏の人柄に好感を持ち、また、学者としての力量が相当ある人らしいと感じる。

面白かったのは、du Bois-Reymond への興味は、M. Friedman の影響かと聞いたことへの返答が否だったこと。

この人の説によれば、du Bois-Reymond への影響が多かったのは、むしろ、フランスの哲学者たちだったらしい。

これはヘルムホルツと大きな対照を成す。

そして、そのことは、今、構築中の新史観と、おそらくピッタリ合いそう。

と書きながら、まだ、Finkelsteinさんに御礼の返事を書いてない。

あまりに、興味深いメールだったので、そう簡単に返事ができないでいる。

これって、旧世代の人間の感覚かなあ?


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