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2014年11月29日(土曜日)

京大時計台占拠!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時55分19秒

この「ブログ」は、基本的には研究や教育のことしか書かない方針なのだが、
時々、このルールを破る。今日は実に面白いことがあったのでルール破り。

インフルエンザの予防接種をするので、体力をつけておこうと、何時もは
食べない昼ごはんをカンフォーラの前の屋台に買いにいったら、熊野寮の
学生たちが時計台を「占拠」していた。これが何とものんびりしていて、
僕等が若いころの学生運動も、最近まで続いた松本体制も、全部、皮肉って
パロディ化しているようで何とも良い。特に熊野寮歌の下手さ加減が最高!
計算しているとしか思えない。

で、先日、公安警察と熊野寮の学生がもめたので、その関係かと思ったら、
どうも僕が知らなかっただけで、恒例行事らしい。

卒業式の仮装とか(仮想ではないが炬燵を卒業式会場に持ち込んで
オデンを囲んでいた学生たちの動画を見つけたときはパートナーと一緒に大笑い(^0^)。
なんという発想だ。そういうの大好き!でも、その能力を少しは学問の方に向けよ!!!!)、
入試の時の折田先生とか、京大の学生は実に面白くて、
そういう所が好きだ。でも、英語もう少し勉強してね…
#最後のは僕が担当している文学部英語Bに出ている学生さんや、僕の研究室の
#学生さんたちへのメッセージです。
##おや?最後はやはり教育に…


2014年11月26日(水曜日)

「…の到達点」:思想史と哲学の違い

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時52分01秒

明日の特殊講義「京都学派 ある思想の系譜」の準備中に面白いことに気が付く。

できれば明日、西谷のパートを終えて、次回から田辺に移りたいのだが、
その纏めで西谷の「空」思想が中期から後期にかけて本質的に変わったのか
どうかに色々な見方があることを指摘するために資料を探していたら、
宗教学専修の紀要に良いものを発見。

これを使って、僕の講義の観点からすると、昭和20-30年代の「虚無と空」「空の立場」から、
昭和59年の「空と即」までの変遷は、確かにあるが、あまり関係ないことを説明する予定。

しかし、この紀要を見ていて、氣田さんが書いていること強く反応。それは、この部分
「三人の発表は、いずれも「根源的構想力」を西谷の空の思索の到達点、終極と見なし、
それを実存的境位の深まりの事柄に納め込む方向性をもっているように見える。」
これの「西谷の空の思索の到達点、終極と見なし」という言い方を見て、僕が日本哲学(史)の
多くの人たちに感じる違和感(中嶋君や竹花君などの若い人たちにはあまり感じない)の
理由が分かったような気がした。

分析哲学や英米哲学と呼ばれるものは、少なくとも僕が知る日本のものは、
哲学的側面は言うに及ばず、記号論理学のようなテクニカル面でも、
信じられないくらいレベルが低い思考ゲームに堕していると僕は
考えているが、それとは異なり、所謂「日本哲学(史)」は、意味の
ある議論が多いと感じている。

しかし、さりながら、常に何らかの違和感を、「日本哲学(史)」に感じていたのだが、
その原因が氣田さんの文章を見て分かった。「…の到達点」という言葉は日本哲学(史)の
論文や著書などで比較的見かける表現であるが、これは「ある思想家の思索は歳と共に深化し、
その晩年に頂点を極める」という、東洋的というか日本においては強い支持を集めるだろう
「前提」を仮定している。

つまり、こういう言い方をする人は、何かしら修行の様なものを経て、自分が西谷や
西田のような先人と同じ「精神の高み」に近づこうとしているのではないかと思う。

僕の場合は、そういうことは全くなくて、思想家を「対象」として突き放してみている。
だから、田辺元の最も注目すべき思想は、戦後に彼がそれを恥じた昭和一桁と10年代の
種の論理だということになる。これが最も田辺らしいし、もっとも彼が社会から受け入れらていた
時代の思想だからである。

しかし、「到達点」の立場からすれば、これは忌むべき「通過点」にしか過ぎない。

この様な違いで、僕は「日本哲学(史)」に、ある種の違和感を覚えるようだ。


2014年11月18日(火曜日)

怒涛の一か月半

常滑市の谷川の会や図書館におじゃやましてから、もう1ヶ月以上がたつ。
その間、森下さんや森口さんから手紙など頂いたのに、お返事も書いていない。
もし見ておられたら、ここでお詫び。大変に申し訳ありません。

遅くなったのは、後期になってから、兎に角忙しくて、人間ドックの予約やら、
インフルエンザワクチンの接種とか、そういうことさえしている暇がなかったため。

忙しさの主な原因は、新学期の講義で、新しいことを三つもやっていることだが、
それ以外に、外部資金関係の仕事にも時間を取られた。三菱財団に頂いたSMART-GS
のTEI対応化の研究費の収支報告は、財団の柔軟な対応と文系共通事務の岩村さんのお蔭で、思ったより楽だっ
たのだが、科研費申請に凄く時間がかかった。

SMART-GSの科研費を狭い意味のテクノロジーの範囲で出していたのだが、
完成に近づきつつあり、もうその範囲では、やることが無くなったので、以前から考えていた、
ある意味一番大事な社会テクノロジーの方向に舵を切ることにした。
つまり、この記事で言っている、古文書のWEB、オムニプレズントWEB
(同時にどこでもがユービキタス、オムニプレズントは、同時にどこでも、かつ、いつでも。
つまり、未来は無理だが、過去の情報資源ならば、ほとんどすべてにアクセス可能という意味)の実現を目指そうということ。

そのための第一歩として、京大防災研・理学部の古地震研究会へ参加している
院生の橋本君や、同会を運営している、防災研究所の加納さんなどとの議論で、
ロンドン大学でやっているベンサムのクラウド翻刻 (crowd です。cloud では
ありません。cloud を使うけれど)で古地震史料翻刻などをやると面白いことに
なるのではないかと考えつつあったときに、常滑の谷川の会を実地で拝見し、
また、森下さんのお母様から参加しておられる翻刻の会のことを伺い、
30代、40代くらいまでの比較的若い人たちが中心のベンサムの crowd 翻刻の場合と
違い、我が国における古地震史料翻刻の場合は、古文書の勉強会、講習会に参加
するような高齢の方たちが実現の鍵であることに気が付き、その方向で計画を練り上げた。

これにかなり時間がかかってしまった。なんせ分野を工学から文化資源保全に変えた
のだから、大チェンジ!その方向転換は、またまた「他力」で、自分で考えたのではなくて、
関西大学の喜多さんに示唆してもらった。それまで、そういう分野での応募など考えてもみなかったので、
自分では考え付くことができなかった。日頃、テクノロジーの箍(たが)を外せ!、と言っているのに、
その自分の頭に箍がはまっていた(^^;)

箍の話は、色々な講演で話してきたが、文章としては、思修館の山口さんの編集で出版の準備が進んでいる本の
9章で始めて詳しく書いた。これが「プレプリント」
要するに原稿の古いバージョン。タイトルも「あるソフトウェア工学者の失敗」と最終版では副題に
なったもののままで、まだ、てにをは、も直してないもの。完成版を見たい人は本を買ってあげてください。
#他人事のように言っているのは、これは山口さんのグループの研究報告集で、僕と
#成城大学の中馬さんは「友情出演」しているようなものだから。

そして、この1ヶ月半の間に、丸山君の白眉採用、溝口君のプロジェクトのグッドデザイン賞金賞、
岩波の互さんから転職の知らせなど、随分色々な目出度いことも続いた。で、実にめまぐるしく、
ほんとに忙しかったなあ。最近にない忙しさ…

と、NF(11月祭)を目前に控え、ここで少し一息つけそうな状況。とはいいつ休めるということではなくて、
締切のある仕事が大体片付いたので、これでNFの期間に積み残しの仕事ができそうという意味。

積み残しの仕事は、山ほどあるが、当面の仕事としては、まず、京都派アーカイブの全面改装の開始。
常滑訪問で互さんから示唆のあった、全国の史料館、図書館などに保管している文書がないか問いあわせるという方向を、
文書での問い合わせと同時に、京都学派アーカイブを、現代の西田幾多郎、田辺元に限定したものから、
京都学派全体に広げ、それを通して史料についての情報の提供をお願いするという方向に再変更。

これは常滑での取材の情報を京都学派アーカイブで公開しようと思って、京都学派アーカイブをデザインしてくれているMMJの松本さん
と議論した結果、現在のデザインが、西田・田辺に最初からターゲットを絞ってもらったものであるために、
この目的にそぐわないと言う結論になり、最初からデザインしなおしてもらうことなったため。今度はスマホなどにも対応予定で、
橋本君が開発してきた JavaScript のツールなども、ふんだんに使うことになる。そういう動きの部分は、
全部橋本君に任せ、彼のサイトという性格が強くなる。ただ、コンテンツは僕が全部書くのだけれど。

と、いいつ、これの試験公開開始までにでも2ヶ月はかかるだろうから、とりあえず、常滑の取材情報を
現在のデザインの範囲でまとめて公開しないといけない。これが、まずやる仕事だな。


常滑市、谷川徹三史料調査

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時47分44秒

これは10月半ばに書いた記事。文章途中のまま一度投稿したが文章が途中で終わっていたので、一度消して、あまりの忙しさに、そのままになっていたもの。少し手を入れて、1ヶ月遅れで投稿。土曜日というのは10月11日のこと。

ここから本文

土曜日に科研費プロジェクトの出張で常滑市に。

市立図書館の谷川徹三文庫、谷川徹三を勉強する会が岩波書店から借り受けた
谷川史料などを保管している「収蔵庫」(中心的会員の森下肇さんが借りているマンション
の一室)、森下さんのご自宅、常滑市文化会館での谷川徹三を勉強する会の月例会、を訪問。

常滑駅に、会員で同会作成の資料の作成を一手に引き受けておられる杉江孝夫さんと
森下さんが迎えに来てくださった。

お二人と、同会の代表で、法政大で谷川の薫陶を受けた、杉江重剛さん(谷川の
御親戚とか)と合流し、常滑市立図書館へ。

市立図書館では、僕が、電話でご連絡した後、担当の古橋さんなどが、
資料を探してくださったとのことで、なんと、日本経済新聞の
人気連載記事「わたしの履歴書」のための谷川の手書き原稿など、
相当数の谷川の文書や、そのコピーがあることが判明。

図書館では館長の田中邦夫さんにも臨席頂いて恐縮。
文化遺産として、こういう史料を大切に保管頂くようにお願いした。

どうも、丸まま丸善系のTRCという会社に図書館業務を委託しているらしく、
名刺からすると、館長さんも、その会社の方らしい。
同社のグループでデジタル画像アーカイブ関係を担っている
TRC-ADEACの社長の田山健二さんまで東京から見えていた。
TRC-ADEACは、高速の地図などのWEB画像提示の技術を持っているようで
古地震の地図への応用など興味深い。時間ができたら連絡を取る予定。

谷川の会や、常滑図書館の様に、貴重な京都学派史料をもつグループ、
機関、あるいは、個人のお役に立てるように
して、結果として、京都学派の史料を保全するのが、現在の
科研費プロジェクトの主な目的になりそうだが、これから申請する、
次のプロジェクトでは、これが京都学派を超えて行われなくてはならない。
その布石になりそう。(11月18日:次の投稿参照)

谷川史料を保管している「収蔵庫」では、岩波からの借出し
史料など、面白いものを沢山見せてもらった。谷川が、
行った、国策ラジオ放送ともいうべきものの史料が実に
興味深い。歌手藤山一郎の「戦争協力」など、
戦後の異様なまでの「平和主義・平等主義」の立場からは
理解できないものが、ここにあるのではないか?

史料について同会が纏めた冊子を頂いたので調査・研究の予定。

旧家である森下家では、森下肇さんの御母上を始め、
奥様など、ご一家をあげて歓待を受け恐縮。
それにしても森下さんのお母様は凄い。
八杉の母を連想。

谷川徹三を勉強する会に出席させて頂き、京都学派アーカイブの説明。
杉江重剛さんのご依頼で、田辺についても一言。谷川の会の後、森下さんの
お宅に返り、暫く懇談。森下さんのお母様から古文書の勉強会について、
資料付で色々教えて頂く。これが科研費申請に向けて大変ありがたかった。

次の投稿「怒涛の一か月半」に続く


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