Welcome Guest 
メインメニュー
林晋ブログ 最近のエントリ
Blogカレンダー
2014年 7月
« 6月   8月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
Blog 月別過去ログ
Blog 検索
カテゴリ一
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

リンク
検索

2014年7月11日(金曜日)

DH 2014 ポスターセッション

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時42分23秒

現在、スイスのローザンヌでDH2014が開催中。これに、SMART-GS開発チームから、院生の橋本君と名古屋大の久木田さんがポスターセッション発表に行っている。目的は、SMART-GSの海外初のデモだが、橋本君から状況報告。1時間で30名も見に来てくれたとのこと。二人だけで、こんなに集中的に来れられるとさぞかし大変だったろう。まずは、よかった!今頃、橋本君と久木田さんは祝杯をあげていそうだな。 :-D

これに向けて、発表者の橋本君は当然として、院生のThompson君とそのお友達や、学部生の秋元君、伊藤君、沼田君に色々とバイトで仕事をお願いし、僕自身も LineSeg Editor のコーディングや(これで、またまた、sourceforge.jp 活動ランク14位になった!)、英語マニュアルの作成などで、研究室は大忙しだった。名古屋大の久木田さんもバージョン管理システムHCPの英語マニュアルの作成で大変だっただろう。

で、みんなの努力が報われたようで、まずは、目出度し! :-)

SMART-GS は、この1年で、見違えるほど進歩しているが開発が忙しく、リリースに時間を割いている暇がないので、もう1年ほどリリースをやってない。できれば、TEI対応が終わってから、次のリリースをしたいところだが、この分だと、夏休み後あたりに、TEI非対応版のリリースをやった方がよいかな?すくなくとも現在の LineSeg Editor が入った版を、できるだけ早くリリースした方がよさそう…


2014年7月5日(土曜日)

Du Bois-Reymond と Gödel

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時09分44秒

一つ前(July 3)の du Bois-Reymond と Gödel の類似性はテキスト上では、全く確認できなかった。使っている単語がかなり違う。Gödel の
… daß man sich begnügen muß, Beobachtungsresultate vorausszusagen; was eigentlich das Ende jeder theoretischen Wissenschaften im üblichen Sinne ist…
は、igonorabimus とは、直接の関係はなく、最初に持った印象どおり、量子力学などの発展を受けた1960年代の感想と理解した方が妥当のようだ。しかし、この類似性は実に興味深い。まあ、ウェーバーの、Wissenschaft als Beruf での聴衆への戒めとしての Entzauberung の強調も同じラインだから、時代精神というべきか。そうなるとやはり、ゲーデルは、再魔術化の方で、ユクスキュルに近いという僕の判断は、相当に正しい。この線、もう少し追う事。

調べたのは、Über die Grenzen der Naturerkennens-Die sieben Welträthsel の Kindle版。価格0円! こういうとき、直ぐに手に入り検索もできので、Kindle版は実に便利。ただし、書き込みやブックマークをしにくいのが欠点なので、ハードコピー版も別に注文しておいた。しかし、なんだか見たような本だったので、もしかしたら、すでに買っていたかも…

よく、同じ本を二度買う。シェーラーを調べていたときだか、同じ解説書を確か三度買いそうになったこともある。しかし、表紙に見覚えがあって、とどまった。年を取って記憶力が怪しくなっているのもあるが、本の購入がITのお蔭で便利でやすくになったのと、僕が色々同時に沢山のことをやりすぎていることの代償。読もうと思って買って、読む前に別なことを始めると買ったことさえ忘れてしまう。怪しいときは、一応、本棚を点検するが、大学と家の両方にあるのと、多種類の本に埋もれているので、新書位のサイズのシェーラーの解説書などは、別の本の間に埋もれてしまって見つからない。しかし、この本は表紙のシェーラーの写真だったか、イラストだったかで買ったのを思い出して調べてみたら、すでに二冊あった。 :-(

特に困るのがドイツの岩波文庫というべき stw suhrkamp taschenbuch wissenschaft やら UTB Uni-Taschenbücher などのシリーズ。装丁が、すべて全く同じ!Religonssoziologie II, Religonssoziologie III なんて一文字違い。全く同じに見えてしまう…岩波文庫ならば、安いし、まあ、二冊あっても大学と家の両方におけるしよいかという感じだが、UTBのReligonssoziologie IIなど3000円近くするので、間違えて複数買うのあまりうれしくない。 :-(

それはさておき。du Bois-Reymond の Reden を調べていて、ドイツ語ならば Emil du Bois-Reymond の本が、ほんの少しでかつ古いものの数冊はあることを発見。さっそく注文。明日には来る!著名なダーウィニスト Anton Bohrn との Briefwechsel まで見つかる。これは期待できそうだ。手紙には本音がでるものだ。また、色々な時間的事項の identification には手紙が一番手がかりとなる(日付があるから)。ドイツは、こういう学者間の Briefwechsel が実に充実している。ただし、やはり殆ど売れないらしく、直ぐに廃刊になってしまうが、兎に角、どこかの図書館にはあるので、それで十分。今は、ILLがあるので他校の資料でも簡単に読める。学問がブンブン進む、実に良い時代になった。しかし、これも Entzauberung=Rationalisierungだな…


2014年7月3日(木曜日)

History, Man and Reason

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時58分22秒

Du-Bois Reymond の関係で注文していた History, Man and Reason: A Study in Nineteenth Century Thought by Maurice Mandelbaum が届く。1971年刊だが著者は Johns Hopkins 大の哲学者。しかし、この本を見る限りでは思想史家と言ったほうがよい。しっかりした歴史になっている。

Du-Bois Reymond は、Part IV The Limits of Reason の chap.14 Ignormus, Ignorabimus: The Positivist Strand の 1. Helmholtz: Science and Epistemology で、Helmholtz 理解のための「前座」として出てくる。扱いはカッシーラ、ハリントンと同じで、自身の生理学的研究の成功により、物理主義、力学主義的世界観を生理学の世界までに広げると逆にでてきてしまう不可知論だ、という理解。限界論は限界論なのだが、立ち止まるための限界論ではなく、むしろ、広野を猛然と進みつつ、遠い将来にしか到達できないほどに遠い地平線の彼方に限界を見る立場。足元の平原では、自身の目前では、それこそ手に余るほどの新知見が広がっているので、限界を嘆いている暇がない。そういう意味での限界。だから、それをハリントンは「傲慢」と呼んだわけだ。

Maurice Mandelbaumによれば、Du-Bois Reymond は、この限界を限界のままとして放置したがヘルムホルツやスペンサーは、その問題を考察したという。自分自身や現実の科学にとっては、まったく限界でないのだから、Du-Bois Reymond にとって、それに必要以上に立ち入る必要はなかったのだろう。Helmholtz が Hilbert, Du-Bois Reymond がBourbakiなどの主流数学者に対応する。

それに関連して、ゲーデルの歴史観論文の一節を彷彿とさせる文章が、Maurice_Mandelbaum にあった。ゲーデルは現代の自然科学が左傾化しニヒリズムに陥り、世界の本質を探る学問から、入力から出力を予想するための方法の学問に「堕して」いるとし、しかし、それは、TVや atomic bomb を作れるほどにプラクティカルには優れている、と書いた。

それに対応して、Maurice Mandelbaum p.292 に、Thus we cannot know the world as it exists independently of how it appears within our experience; all that we can say of such a world is that all events in it are in principle predictable on the basis of a single set of absolutely uniform laws, the laws of theoretical mechanics. という文章がある。これは、Du-Bois Reymond の ignorabimus の主張の二つの内の二番目として説明されている。

ゲーデルは、Zilsel講義で Hilbert の Über das Unendlich での無矛盾性証明の意味の説明を、ほとんど、そのまま(冠詞の一つが、片方ではAkkusativ で他方では Dativ)に引用している。TV や atomic bomb という1960年代を象徴するものがでてくるので、ゲーデルの議論は彼独自の文章で書かれたと思っていたのだが(もちろん、内容は少なくともニーチェにまで遡るが)、ゲーデルは、Du Bois-Reymond の Rede を再現している可能性がある。Du Bois-Reymond のドイツ語を見つけて比較すること。幸い、ゲーデルの文章もドイツ語で書かれている。


24 queries. 0.040 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress

XOOPS Cube PROJECT