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2013年10月31日(木曜日)

来年度特殊講義予定2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時10分57秒

西谷:回互、田辺:切断の思想の関係論に、西田の「非連続の連続」論も関係づける。
非連続の連続は、おそらく、昭和8年(1933)の「哲学の根本問題」と翌年の続編、で登場しているので、
田辺の種の論理をわずかに先行している。その議論は、田辺の種の論理の種と個の関係とよく似ているが、
よりオーダー(時間順序)に強く注目しているようにも思える。そこらあたりを分析。
彼等を明らかに先行しているのが、シェーラーであり、ハイデガー。また、ベルグソン、ブラウワー。

西田とも比較すべきこと、藤田先生の suggestion。どうもご自分でも考えて
おられたのかも。田辺と西谷の関係は、Rickert の自然科学の限界論への Cassirer の批判
と似ており、西南学派とマールブルグ学派の対比とも関連付けると面白そう。


2013年10月25日(金曜日)

歴史学の未来

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時37分03秒

来年度の情報技術演習I,IIの擦り合わせのために関西大学喜多さんと相談。

その際、歴史学者の能力(喜多さんの言葉では expertise) や digital humanities の話になり、数十年後の歴史学が、史料が電子媒体に主に記録されていることにより、
大きく変わるのではないかということで意見が一致。

それについて、僕は、現代史の小野沢さんとの議論を通して、あまりに膨大な史料が残ると歴史学がビッグデータ解析になってしまわないか、その際に、僕らのような
史料ベースの研究を行う、つまり、テキストを深く読む能力で生きている人間は能力を発揮する場所がなくなるのではないかと思っていたのだが、喜多さんは、そんな
ことにはならないという。その理由は、たとえばオバマの意思決定は、オバマが残した記録の読み込みでしか解明できないからというもの(オバマという例は、ただし、
僕のもの)。

これは正しい!僕は完全に思い違いをしていた。データの数が多くなるということだけで、なぜかそれがフラットなWEBのようなものだと誤解してしまっていた。
考えてみれば、一国の意思決定のほとんどの部分は少数の人々によってなされる。つまり、史料の重要性にはムラがある。そのことを考えれば、歴史研究の中枢部分は、殆んど
変わらない。しかし、たとえば、太平洋戦争、第二次世界大戦を引き起こしたのが、軍部だったのか、国民だったのか、そういうことの分析は、今まで量の問題で
できなかったようなことができるようになるかもしれない。そういう部分にも、僕らのような歴史学者のスキル(expertise)が生きるのではないか、というのが
喜多さんの意見(ただし、太平洋戦争云々というのは、僕が考えた例)。これも実に納得!!!

となると、SMART-GSのようなテキストを読む人の力を増強するためのツールは、そういう歴史学の仕事に大変役に立つものになるだろう。
そういう機能を考えるのも面白そうだ。

しかし、喜多さんは、まるでリッカートのような議論をしていた。理系の人はジェネラルな方法で自動的に問題を解決したがるが、
歴史家は、一つしかない歴史を相手にするので、それと方法が全く異なる、というもの。その通りなのだが、まるで西南学派そのもの
の議論。リッカートを踏まえて言っていたのだろうか。後で気になってきた。今度会ったら聞こう。


2013年10月5日(土曜日)

後期始まる

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時22分34秒

後期の演習が始まり、久しぶりに学生さんたちの顔を見る。

カッシーラからの引用で、ヘルムホルツが出て来たところで、Thompson君から、
今読んでいる、ロシア(ソ連)におけるサイバネティクスについての本にも、
ヘルムホルツへの言及が何か所かあるとの指摘。彼はマルクーゼの孫弟子なので、
この辺りに詳しい。ウィーナーの人間機械論には、最初、資本主義への
不信が見えるが、それが後の版では、アメリカの企業人たちのお蔭で、
人間の機械化への懸念が避けられたという記述になる。

この辺り、カーネギーたちの時代の猛烈熾烈な資本主義が、批判を受けて
ビナインなものになり、アメリカがある意味で、社会主義的になっていった
点や、ギデンズたちの Japan model v.s. ウェーバー官僚制モデル、との
話とも関連するだろう。(クロッペンバーグによれば、そのアメリカにおける
社会民主主義とでも言うべき、プラグマティズムの伝統の体現者の
オバマが、またまた、左右イデオロギーの対立のために苦しんでいる…)

いずれにせよ、ロシア、共産主義、社会主義、ルートの
話は重要。Thompson君に、関連した話をしてくれるよう依頼。英語でやってもらう
かな… :-D3回生の人たちには、またまたきつ過ぎる。やはり日本語だな。 :-)

演習には久しぶりにPDの溝口君も参加。相変わらず宮城県山元町で
思い出サルベージの活動を続けているが、
アンケート調査を開始するなど、社会学への実質的反映が出て来て期待大。

こういうボランティア活動の当事者、しかも代表、が社会学者というのは、
珍しい。いってみれば、ある社会学者の研究対象が、その社会学者自身
ということ。このリフレクションにはプラスの面もマイナスの面もあるだろうが、
昔は、そとから見ること=客観性、という思い込みがあったように思える。実際は、
見る位置で客観性が自動的に担保できたり消えたりするわけではない。見る人の
心構えと方法のみが客観性を担保する。

僕の情報学、数学の歴史学的、社会学的、研究ものこの自己参照的性格をもつ。
ただし、数学の場合は、元がつくし、やはり、僕は本質的に数学者とは
言えない人なので、情報の場合とは少し違うが。ここ辺りが、最近、
学問として漸く、まとまった形になってきた、僕の「数学を対象とする歴史学、
歴史社会学」の研究が、数学史に興味を持たれる数学者のひとたちに、すれ違って
受け取られる原因だろう。ただ、文系の学者のなり立てのころは、それが自分でも
良くわかってなくて、数学史家と名乗っていたので、それも誤解を招いているのかも。
実際、そのころやっていたのは、本当に数学史だったのだが、今は、それは、
僕のアクティビティの全体のなかでは、ちいさい一部分に過ぎなくなっている。

といいつつ、早くその純粋数学史のヒルベルト論文を完成せねばならないのだが、
今年の夏休みもダメだった。(^^;)
#数学の歴史社会学の岩波新書「ゲーデルと数学の近代」も進まず。
#先日の特殊講義に来ていた理学部の学生さん(もう大学院進学なんだな。
#時がたつのは(老人には)速い…)に、まだ、ですか、と言われてしまった。(^^;)
#頑張ります!
#…と何時も言っているような。 :-D
#でも新しいことが夏休み中に随分沢山わかったよー。 :-)


2013年10月4日(金曜日)

Turingの本

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時01分26秒

京大文現代文化科哲史出身の佐野勝洋さんと杉本舞さんによる
アラン・チューリングの論文の和訳・解説本の原稿新版を見る。
非常に良い本になりそう。素晴らしい!

特に、まだ、和訳が出たことがないはずの、人工知能関係の部分、
非常に興味深く、学術書として意味があるはずだ。

佐野君は文学部出身のロジシャンだが、歴史的な部分もよく頑張っている。
大変だったろう。

若い(ん?もう二人とも中年か?)力に期待!


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