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2013年9月27日(金曜日)

来年度特殊講義予定

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時02分56秒

来年度の特集講義の計画 ver.2013.10.02

1.前期月曜日5の特殊講義
1.1.題名:再魔術化の概念
1.2.内容:1980年代以後に、歴史学、社会学で様々な形で登場した再魔術化の概念を概観し、その再検討と分析を行う。手法は、歴史社会学、および、社会哲学。
1.3.検討対象(増やす)
   Morris Berman history, sociology (social criticism?)
   Anne Harrington history of science
   George Ritzer sociology
   Alan Bryman Organisational and Social Research
など。
  直接、再魔術化と言っていないものも検討。Bryman は、それ。
  日本的経営。感情労働。WEB上の die Materie としての Scheler の
  Wissenssoziologie 的意味での集合知。
1.4.理論化:
ウェーバーのスケール的概念構成からすれば、2分的な、魔術 v.s. 脱魔術
  では世界は説明できないことは自明。しかし、ウェーバーは時間軸の未来を見ることが
  なく、しかも、脱魔術化が最高潮にかかる時代の人で、まずは、その分析が
  急務だったのだから、これが強調されないのは自然。
  しかし、それはウェーバー理論とは全く矛盾しない。
1.5.「再」の意味:
  これは広く言われていることだが、再は、もとに戻ることではない。
  田辺などの言い方での「否定」。肯定的変化。
1.6.ゲーデルの「左右と中央」論を、これに適用すると、現代的数学は、
  最初から再魔術化されていたことになるのか?この問題を解明。
  リーマンとワイルの Perle。クライン。
1.7.ハイデガーの位置: ハイデガー哲学は再魔術化か否か。
  京都学派の哲学者たちの位置は?西谷、田辺、西田、その他の人たち。
1.8.情報と再魔術化: なぜ情報技術は再魔術化を引き起こすのか。
   ハイデガー、ビノグラード。ハイデガーAIも調べる。

2.後期水曜日5の特殊講義
2.1.題名:田辺元と西谷啓治:ある思想の系譜
2.2.内容:
 西田と田辺、西田と西谷が比較議論されることは多い。しかし、田辺と西谷という
 テーマは、殆んど取り上げられることがなかったようの思われる。しかし、この
 二人は、ドイツに留学して同じハイデガーに師事し、その後、ハイデガー哲学との
 対峙が、その哲学の重要な柱となった人たちであるばかりか、西谷の回想からすると、
 西谷の子供たちが、子供がいなった田辺の家で遊ぶなど、個人的にも非常に近い
 関係にあったといえる。この近さは、その夫人同士の人間的近さの故らしいが、
 田辺のS19年の北軽井沢への疎開の際の京都から北軽井沢までの鉄道旅行の際、
 田辺と西谷が二人で間断なく哲学の議論を続けていたという逸話が記録されて
 いるように、その関係は個人的関係を超えたものがあったと考えられる。
  一方で、西谷の田辺への言及には、師に対する敬意とともに、明らかに「冷やか」な
 ものが感ぜられる。「田辺先生には、結局、これは解らぬ」というような西谷の
 田辺への視線が感ぜられるのである。それは田辺哲学の本質を見事の見切っていた、
 田辺に最も近かった、しかも、ハイデガーにも身近に接した宗教的哲学者の視線であり、
 その西谷の態度は、彼のニヒリズム論と密接に関連している。この両者の
 関係を、史料ベースの思想史の手法で解明する。
  西谷の「回互構造」は田辺の「切断構造」に形態的に非常に近い。
 また、西谷ニヒリズム論の「世界」概念も、田辺の図式「世界」論に近い。
 しかし、田辺と西谷の思想の根本的相違は、田辺の世界は、時間がハイデガーの
 時間であっても、西谷には、それはニヒリズムである点。西谷はハイデガーの
 存在と時間の思想さえ、ニヒリズムとする、というより、それこそがニヒリズムの
 頂点とするわけだから、ある意味では当然。
2.3.史料分析:田辺、西谷、書簡。西谷→田辺は下村文書。逆はないか?
 大谷大?特に西谷のドイツ時代と、戦後。
2.4.前置:この話の前置きとして、田辺の切断論の発生史を、新カント派と 
 その没落の思想史の中で説明。なぜ、田辺は、ハイデガーを微積分の哲学を使って
 批判したのか。その歴史的背景。そして、これが西谷の「世界」の概念の理解を
 通せば、田辺への冷やか視線に深く結びつく、ことの説明。


2013年9月21日(土曜日)

応用哲学会サマースクール (続きの続き)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時42分03秒

応用哲学会サマースクールについての投稿について2件

久木田さんから、自分は司会ではなく、運営の手伝いとチューターの役割で、また企画にも一部
タッチしていて資料も事前に見ていたので、自分にも責任があるから、僕の書いた記事を訂正
してほしいとのこと。ということで訂正。久木田さんも真面目な人だ。 :-)

僕のイートン校云々の記憶のもとになったのは、映画「いまを生きる」ではないかと、
このブログをみた方から教えてもらった。この映画、見た記憶がなく。
また、イギリスのパブリック・スクールでなくて、
アメリカのボーディング・スクールの話なのだが、
主演が僕の好きな役者さんのロビン・ウィリアムスだからあり得る。

今は、殆んど日本からでないが、昔、よく海外に行っていたころ、機内や
ホテルで映画を見るのを楽しみにしていた。英語もたいしてできないし、
大体、時差ボケで半分寝ているような状況で見るので、記憶が混濁している
のが多い。これの可能性大だな…

特に忙しかったころは、飛行機に乗ったら疲れがでて、
時差ボケも手伝い、本当にボーッとしていたことが多い。
ダーラムに呼ばれたときなど、さいわい、真ん中の
4人掛けの席を一人で占拠できて、寝ていたのだが、なんだか滅茶苦茶に
だるい。それほど疲れているのかと思っていたが、なんだか変なので、
イギリスについて、体温を測ってみたら38度くらいあった。
しかも、全然下がらない。で、結局、自分の招待講演以外は全部ホテルで寝ていた、
というようなこともあった。多分、他にすることがないので、映画ばかり見ていたはずだ。
こういう時の記憶は、本当に霞がかかっているような感じ。
もっとも、年取ってからは、殆んどの記憶が曖昧なのだが。 :-(

しかし、見たら思い出すかもしれないと考えて、レンタルビデオを予約。

どうだろうか…


2013年9月15日(日曜日)

田辺と西谷

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時05分20秒

後期特殊講義のシラバスが、どこか気に入らなかったのだが、
前期特殊講義の関連で始めた西谷啓治研究のお蔭で、その理由が判明。
事務の方には申し訳ないが、シラバスを更新予定。

後期講義は「危機の時代の思想家たち」がテーマなのだが、
問題は「何が危機だったのか」を簡単な言葉で説明することが
できていなかった点。これが西谷哲学を使うと、「ニヒリズムという
危機」として綺麗に説明できる。

西谷のニヒリズムの思想はニーチェ以来、繰り返されている思想の系譜
にのるものだが、それを説明する文章の明晰さが、僕の知る限りでは、
他に比べるものがない。そうそれが僕の言いたかったことなんですよ、
という感じで読んだ。やはり、この人は凄い。

これが解れば、「ハイデガー哲学が徹頭徹尾詩から生まれ、
田辺哲学が徹頭徹尾数理から生まれた」という彼の文章の
意味が実によくわかる。この立場から、すれば、ハイデガーも
田辺もニヒリズムなのである。

で、面白いことにゲーデルの歴史観の文章が、ほぼ、この西谷の
ニヒリズム論と同じ論調のこと。ただし、西谷の意味からすると、
ゲーデルの立場もある種のニヒリズムとなる。そこには
M.フリードマンの意味での parting ways がある。ゲーデルは、
西谷がいう「世界」*から一歩も出ない。そうなると、その世界には、
H.Weylがいう Perle が確かにある。しかし、宗教学者西谷の立場からすれば、
その様な淡水の海の Perle は真の Perle ではないのだろう。
数学者はある意味では、この世を生きていない。アルキメデスの死の
逸話がその象徴。クロネッカーの Ueber den Zahlbegriff のトーンが、
そして、ヒルベルトの1930年の講演が、それを良く物語る。

*この用語は、田辺の「図式世界」の「世界」
とほぼ同じ使い方。ただし、田辺が「存在と時間」以後、世界図式の
中の時は、外延的なものでなくハイデガー的になると言っている
ことに注意。彼は divide されてないから。これに反して、divide
されながらも、その division にこそ最大の問題を見る西谷がいう
世界は、田辺の言葉では外延的世界だろう。ただし、「存在と時間」
をニヒリズムの完成とみる西谷の立場からすると、田辺の「内包的世界」
も西谷の「世界」なのかもしれない。ここは調べる。

田辺が見たハイデガーの内包的時間も、西谷には、すでにニヒリズムの
産物。ハイデガーは、これを否定したようだが、どうも西谷の
方が正しい。死に至る時間という形式から倫理性を生み出そうとすると、
結局は 内包のWissenschaft になる。Wissenschaft は、どの様に
足掻いて、努力しても、本質的に外延的・形式的となる。
この構造は、ゲーデルが無限集合論を「右」と呼び、公理的集合論
まで「右」と考えていたように思われる点と重なる。

これは結局、ハイデガーが Sein und Zeit で、哲学が、心理学などの科学(諸学)
に解体されると書いたことに当たるか?しかし、淡水の Perle は、本当に
真の Perle ではないのか。もし、人間のすべてが Lotophagen ならば、
確かに社会は文明は滅びる。しかし、それ故に、数学者を lotus-eater を
呼ぶことも不自然だ。クロネッカーやヒルベルトの楽観には、確かに根拠が
ある。これは自分が数学者だった経験があるからか?一人の数学者がオルテガ・イ・
ガセットの意味で大衆となっている場合、末人と呼ばれるにふさわしいだろうが、
完全な Lotophage は大衆とは程遠い、たとえば、ゲーデル、小平。
この様な数学者を末人と言えるか。ニーチェの意味では?ウェーバーの(引用の
意図の)意味では?…


応用哲学会サマースクール (続き)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時18分11秒

21日に訂正とさらに追加の投稿あり。応用哲学会サマースクール (続きの続き)2013.09.21

応用哲学会サマースクールの司会だった久木田さんから、丸山君と僕にお礼のメール。(僕はなにもしてないのだけれど。 :-)

講師の森田さんは、自分の理解が浅いこと、専門家(丸山君)から色々間違いを正してもらったことに
レクチャーの際に、ちゃんと言及していたとのこと。

久木田さんに、圏論のレクチャーの司会をしなくてはならないという話を聞いたとき、
なんで応用哲学会で、と嫌みを言っておいたのだが、久木田さんのメールによると、
水谷さんが、初日のレセプションでの挨拶で、「圏論はトンでも哲学を誘発する危険がある、
そうならないよう圏論の基礎をきっちりと学んでおく必要がある」と発言していて、
それが企画の本旨だったらしいとのこと。(久木田さんは司会を頼まれただけで、
企画とかはまったくタッチしてないらしい。)

そういう趣旨ならば大変良くわかる。丸山君が国内にいなくて、相談に
のれなかった(どうも彼は応用哲学会の関係者らしい)ために、騒動が
起きたらしい。

しかし、今回のこと、森田さんという方の清々しい対応といい、丸山くんの頑張りといい、
若い人たちは実にすばらしい。

丸山君のメールによると、最初ちょっと感情的な行き違いがあったらしく、
自分は言い過ぎた(書きすぎた?)ので、謝罪したそうだが、
そういう風に、ちゃんと謝罪して修正できること、また、森田さんという
人が、資料改善の努力をし、また、自分の理解ががまだ十分でないことを
素直に表明するということ、これは、何も起きないより、よほど素晴らしいことだ。

現在の日本の「おとな」たちは、なんらの失敗も許さない
という非現実的態度に終始している。要するに問題が起きたときに対応しないといけない
(これを responsibility という。土下座して謝って見せることではない)のを
避けようとしているだけ。僕からみれば、これは大人げない態度だと思う。

多分、失敗することを恥だと思っているのだろうが、もしそうならば、
「恥を回避し続け、恥をかかない人生」なんて恥ずかしいのだろう。
#うむ、われながら名言。ハハ :-D  :hammer: なんだ?某アニメのOPテーマのパクリだろうが!

僕は、そういう人生を送るのが嫌なので、平気で恥をかくし、失敗する。
#でも、書類の間違いは、事務の人には迷惑。いつも、すみません。誰も読まないだろうけど…
しかし、一旦、間違いがあることがわかれば懸命に修正する。そして、そういう間違いと、
修正から、よりよい理解や社会が生まれるし、何より生きているのが楽しくなる。

日本のアカデミズムは、いわゆる庶民という怪物(正確に言えば、マスコミと大衆の
モンスター的共同体)を恐れて、発言を控える傾向があり、これが変なマスコミ学者を
産む温床になっている。アカデミズムを単に「お上」の一種として、最初から
ケンカ腰に対応する大衆の肥大化が現代日本の知の状況の最大の問題であることは明らかだが、
その状況を生んだ原因の大半は、むしろアカデミズムの努力不足にあったのではないか、
と僕は考えている(これは明治以来の知識歴史社会学、文化史として、ちゃんと検証
すべき、大きな問題なので、今は結論・意見でなく、ただのスペキュレーション・仮説
としてのみ書いている)。

で、アカデミズムの権威が地に落ち始めたころ(この権威は日本の近代化の特性のため、
主に権力に依存するところが多かったため、日本のアカデミズムは脆弱だったのだと思う)、
早めにアカデミズムが積極的に動いていれば、なんとかなった可能性もあるが、
今は、あまりに問題が肥大化し過ぎていて、何かしようと思っても茫然として、
大河の濁流の前で立ち尽くす、というような感がある。

それでも、アカデミズムで生きているものの仕事・責任(responsibility)として、
何も効果はないだろうことは半分以上わかってはいながら、
濁流に抗すべく、石を投げいれたり、懸命に櫂をかいたりするのだが、
僕自身の場合は、今のところうまく行ったことがあまりない。

その点、応用哲学会というアカデミズムの場所で起きたことではありながら、
森田さんという独立系の数学者を自称する方と、アカデミズムの世界の住民の
丸山君の間に、そして、応用哲学会との間に、こういうインタラクションが、
起きたということは、実に希望を抱かせる。

でも、森田さんは、数学者と名乗るより、サイエンスコミュニケータ、
数学コミュニケータと名乗った方がよいだろうけど。僕は、結城浩さんが
学者と名乗ったことを知らないし、本人は、全くそう思ってないようだ。

優秀なコミュニケータ、著者、教師は、ちょっと位優秀な学者
よりずっと凄いと、僕は思っている。
これはパートナーに聞いたのだが、*)(一昔前の?)イギリスの若者の
理想の人生は、イートンなどの教師になることだったとか。
どんな偉人でも、人生の長さを考えれば、一人で達成できることには
限りがある。しかし、自分が名前を残さなくても、自分から
教えを受けた多くの人たちが、歴史に名の残すようになることは
ありえるからだろう。そういう人たちが、あの時、あの先生に
教えを受けたことが、今の自分に繋がったのだ、と言ったり、
書いたりしたのを見たら、それこそ満足して死んでいける。
そういう考えからのことらしい。実にイギリス的で、パートナー
が教えてくれた多くのことのなかでも、僕は特に好きな話だ。
結城さんの活動には、その様な気持ちがありありと見えて、
だから僕は彼が好きだし尊敬するのだが、こういうメンタリティーの人が、
一人でも多く増えてほしい。
森田さんにも、それを期待したい。

*) このブログを見たパートナーが、それはあなたから聞いた、
ワタシじゃない、とのこと。??? なんじゃらほい…
老人(一歩手前)の記憶は怪しい。どこで聞いたんだろう、あるいは、
読んだのだろう… 同じの見た人がいたら教えてください。m(_ _)m
連絡はこちらまで:susumu@shayashi.jp
#ちなみに、当ブログは、本当のブログではなく、
#僕の活動や独り言を周囲(主に僕の研究室の学生さん)に
#知ってもらうためと、自分の研究上の記憶のために書いているだけ
#なので、コメントは一切できません。世間的意味のブログじゃないのよね、
#実際!要するに、僕のログなのです。


2013年9月13日(金曜日)

応用哲学会サマースクール

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時58分39秒

オックスフォードに行っている丸山君からメール。応用哲学会サマースクールでの
森田真生さんという人の圏論に関する講義資料が酷い、指摘しても理解してくれない。
どうしたものだろうか、との相談。

資料を拝見してみて、確かに丸山君の言う通り。あまり知らない人が頑張って書いているのはわかるのだが、
圏論における論理の勘所を完全に誤解している。これでは丸山君が心配するのもわかる。

ただ、八杉の父が筆一本で家族を養っていたころに(売れっ子でラジオ、テレビなどにも出ていた)、
母が常に将来のことが不安だったと言っていたことを伝えて、フリーランスの人なのだから、
あまり非難しないようにと言っておいた。

僕らは給料をもらえるので、その時は徒労に見えることにでも、時間をフンダンに使うことが
できる。しかし、フリーの人は、これができない。本当に大変だろうと思う。
#その点、結城さんは、本当に頭が下がる。
#まあ、情報関係だということが有利だということはあるが。
#それとは関係なく、よくあれだけ勉強するなと感心する。
#そういう人なら、少し位間違えても何にも言う気にはなれない。
#第一、僕の方が遥かによく間違う。(^^;)

この場合、森田さんという人は、丸山君もそう思っているらしいが、
誠意のようなものが感じられるので、問題だったのは、
むしろ、トポスが良くわかっていない
素人さんに講師を依頼してしまった、応用哲学会の判断だと思う。
サマースクール開催を広報するウェブページが妙に軽薄な感じ。

応用哲学会は、僕の知人、同僚たちが中心になって始めたらしいので、
波風がたつので、あまり言いたくないが、最初の印象どおりで、本当に変なのかも。(^^;)
もちろん、みんなが変だとは思わないが、変な人まで清濁あわせのみ過ぎという
感じかな。清濁でなく濁濁になってしまわないことを祈るのみ。
#まあ、最初のころは、何かと変な人が多数紛れ込むものだから。
#こういうのも歴史をやってから解るようになった。
#京都学派だって、凄いのが混じっていたりするので… ハハ。


2013年9月10日(火曜日)

共立数学文献を読む会 講演資料

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時49分29秒

先週末、東京の共立出版で、数学文献を読む会で講演。前回が2007年。
講演資料:http://www.shayashi.jp/kyoritu2013.pdf


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