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2013年8月28日(水曜日)

McLartyのGordan論文の問題点3

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時27分46秒

同題名の1,2、特に2を史料再調査の結果、書き直し。

1889年M.A.のbinary form のゴルダン問題の短い証明と、1888年、Goett.Nachrichten、1890年、M.A.のn変数formのゴルダン問題の証明、および、それへのゴルダンのかかわり方。

1.1889年M.A.の証明、Leipzigでゴルダンに助けてもらってかんがえ,ゲッチンゲンに向かう前に、手紙でクラインに知らせ(Klein,Hilbert書簡集)、(論文の最後にある)1888年3月30日ゲッチンゲンという日付と場所の記述から、ゲッチンゲンでクラインに直接渡したと思われる、この証明は、ヒルベルトの1897年の講義、英訳、Theory of Algebraic Invariants, Cam.Univ.PressのII.1に証明がある。これは、I.11で示された2変数x1,x2のformとx1/x2の1変数多項式の対応を使い、invariantを、その1変数代数方程式の根の差の関数として表す方法を元にしている。全集2巻、Nr.11, S.163, の第2パラグラフで、Die vorgelegte Grundform f ..in den homogenen Valiablen x,y stelle man als Produkt ihrer Linearfaktoren dar, … の所で代数学の基本定理が使われている(Linearfaktoren が x/y=z として、f を z の一変数多項式としたときの因数分解の因数の一次式にあたる。講義英訳のp.98では、陽に「代数学の基本定理により」と書いている。

2.その故に、同訳書、p.116(II.1)に注意されているように、これは2変数でしか使えない。

3.それを一般化できる証明が有限基底定理による証明であり、ヒルベルトはこの2証明の関連を説明していない。内容を検討してみたが、僕の理解ではまず関連はない(僕の代数の理解は良くないから、一度は専門家に聞く必要あり。広大の木村さん?)。
3.1.最初の証明は速報のそれは証明が殆どないので難しいが、上記の英訳された講義は、入門講義なので、大変詳しく、僕でもわかる。それによると、概形は2変数同次式を1変数多項式に変換し、代数学の基本定理による因数分解により得られる。ただし、その形をする式は無限にあるので、パラメータをある線形方程式系の正の解として抑える。つまり、正の解をすべて生成する有限個の*正*の解の存在を示し、これが有限性のポイントとなる(現在、整数計画法のヒルベルト基底として知られるものの起源)。
3.2.代数学の基本定理がクロネッカーなどに言わせれば、純粋な意味では代数的でないだろうが(こう書くと本当に矛盾的。(^^;))、ゴルダンは多分、気にしなかっただろう。クラインによればリーマンのアーベル関数論をやりたがっていた人なのだから。

4.だから、McLartyの、ゴルダンがヒルベルトのtheologyを実は助けていて、ライプチッヒでそれについて二人が議論していたという記述は歴史資料の勝手な読み込み、自分に都合が良い読み込みによる錯誤であることになる。

5.McLarty は、ゴルダンの「数学でない。神学だ」が、ネーターの1914年のゴルダン追悼文で最初に現れることを指摘し、それが1890年のイベントの遥か後であって信憑性にかける、また、その発言の意味もネーターの文章では明瞭でないとして、この「神学」の話の信憑性に疑問を呈している

In the myth Gordan denounced Hilbert’s proof and his anathema rebounded against himself when he said: This is not Mathematics, it is Theology!
The quote appeared a quarter century after the event, as an unexplained side comment in a eulogy to Gordan by his long-time Erlangen colleague Max Noether (1914, p. 18). Noether was a reliable witness speaking to an audience that knew Gordan well but he says little about what Gordan meant. A series of Göttingen mathematicians took it up in succeeding decades.

しかし、この話は、Mathematische Annalen という専門誌に掲載されて、その後の世代にはほとんど読まれることがなかったであろうMax Noether による追悼文ではなく、クラインの有名な著書「19世紀の数学の発展」の言及から広まったと判断するのが自然。該当箇所は、S.330-1で、Noether の unexplained side comment と異なり、かなり詳しい数学的歴史的背景と状況の説明が書かれており、さらには、Gordan war anfangs ablehnend: “Das is nicht Mathematik, das is Theologie.” Spaeter sagte er dann wohl: “Ich habe mich ueberzeugt, dass auch die Theologie ihre Vorzuege hat.”… と書いている。この「後にゴルダンは「神学にもメリットがある」と言った (sagte)」は、ネーターには言及がない。このクラインの歴史講義録が出版されたのは1920年代だが、クーラントなどによるそのまえがきからすると、実際に講義されたのは第一次世界大戦中から1919年まで。ゴルダンの死去は1912年で、ネーターの追悼文の日付が1913年で10月なので、確実にクラインの講義よりネーターの追悼文の方が前なのだが、実はネーターの追悼文のタイトルの直下に、Max は、「クラインと(娘の)エンミ・ネーターの助けにより」と書いている。McLartyの言う通り、ネーターの記述は非常に短く説明がない。一方、クラインの記述は生き生きとした、おそらく、ゴルダン本人との会話の記録に基づいて書かれた関係者による記述であることが想像できる。しかも、そのクラインにネーターはゴルダンの追悼文執筆の助けの感謝をしている。つまり、この場合、ネーターの記述は早かったものの、それは Gordan-Klein dispute に関係していなかったネーター自身の記憶によって書かれたものではなく、次に説明するように、そのdisputeの当事者で、しかも、それをもっとも客観的に眺めることができたはずのクラインの記憶を元に書いたもの、と考える方が妥当なのである。

M.A.編集長として、ヒルベルトの論文をハンドリングした、つまり、Gordan に Hilbert の論文の(今の言葉でいう)査読を依頼し、Gordan < -> Hilbert の対立を引き起こし、また、それを調停して、Hilbert 論文をM.A.に出版したのはクラインなのである。しかも、dispute と書いたものの、実は Gordan と Hilbert は、直接には対峙していない。クラインを通しての正確な言葉の意味からしたら dispute とは言えない対立にすぎない。つまり、この Gordan-Hilbert dispute を引き多し、最初から最後まで関わったのは、実はクラインだけなのである。そのクラインの印象と記憶以上に正確なものはないはずだ。(実は、ヒルベルトの書いた日記などは、かなり感情的になっており、客観性にかけるのではないかと思えるところがある。しかし、その故に、それはヒルベルトの「考え方」を知る上では最適の史料である。一方で、ゴルダン、クライン、ヒルベルトの三者間で何が起きたかを知るには、ヒルベルトの日記の彼自身の考えの記述は、そのまま信じてはいけないのである)クラインは、ヒルベルトの方法はあまりに革新的で色々問題を引き起こした。たとえばゴルダンは最初批判した。しかし、自分は、逆に、この仕事を見て、ヒルベルトをなるべく早くゲッチンゲンに呼ぼうと考えるようになった、と書いている。これが正しいイベントの内容を表しており、McLartyの「神学は伝説」説は、信憑性を持たない。これは、有名な話であり、知られておらず、また、Gerhard Kowalewskiのような関係のない人物の評などを持ち出して、ゴルダンが最初からヒルベルトを評価していたとするのには大変な無理がある。

補足情報メモ1:ヒルベルト・クライン書簡集、クライン・ゴルダンのクライン・アーカイブの書簡によれば、クラインは、ゴルダンにヒルベルトの論文への意見を聞き、それに対しゴルダンは結果は高く評価しながら、証明法に否定的な意見を書き、それにヒルベルトが強く反応してクラインに手紙を書いたのが3月3日。そして、4月14日にクラインがヒルベルトに手紙を送り、Gordan ist jezt 8 Tage bei mir gewesen und wir haben viel mit einender verhandelt. Ich muss Ihnen doch mittheilen, dass er ganz anders ueber Ihre Arbeiten denkt, als dies nach dem an mich gerichteten Brief scheinen konnte…. という、この時までに、Gordan の意見が大きく変わっていることを示唆する、しかも、その前置きで haben viel mit einander verhandelt と書いていること、しかも、8日もすでに滞在した後で極く短い書簡が送られていることを考えると、クラインがゴルダンを説得して、それで意見が変わった可能性も高そうだ。
補足情報メモ2:クラインは、後の手紙、Nr 65 で、新しい仕事(零点定理などを含む、ゴルダン問題の第2証明)の長い仕事をどのように読みやすくするかに言及した際に、Nur diese eine Bemerkung moechte ich mir aus der frueheren Gordan’schen Kritik (mit der ich mich sonst keinewegs identificire) aneigenen, … と書いている。
補足情報メモ3:クラインは、ゴルダンと非常に近しい人だったと言われている。史料としても、クライン・アーカイブの、ゴルダン・クライン往復書簡の量は凄い。しかも、お金の話など、近しさを感じさせる文章が多い。

McLartyの間違いを証明するために行った調査のお蔭で考えたこと:
この時代の数学者には、解析学と代数学で、使える方法を分けているような傾向がみられる。この「不純」さを嫌ったのが、クロネッカーの「有限主義」。実際には、「代数主義」だったはず。これはニュートンが微積分学で得た結果を、プリンキピアでは、すべてユークリッド幾何学で書き直した、セルバーグの素数定理の初等的証明(つまり、解析整数論を使わない証明)に、フィールズ賞が与えられた、というのと同じ、数学のセンスの問題。

これはクロネッカーについて、エドワーズが主張したことだが、ゴルダンの気持ちの悪さは、こういう数学の「センス」の問題であった可能性はないか?ゴルダンは、ヒルベルトの最初の2変数の場合の証明の、代数学の基本定理を嫌った形跡がない。また、クラインのEntwicklung… Sibentes Kapital, S.307-8 に、.. suchte nun Gordan in die Riemannschen Theorien einzu dringen. Diese Gedankenwelt war aber doch nicht fuer ihn geschaffen. Seiner Veranlagung fuehlte er sich viel staerker zu der formalen Seite der Invariantentheorie hingezogen (die er durch Clebsch kennen lernte).という文章があり、面白い。このリーマンの思考世界というのは、リーマンのアーベル関数論のこと。クラインは、このリーマン思考世界で、それ以前の幾何学者たちが多くの計算を駆使して得られた結果が、単純な概念的思考で理解できることを強調している。つまり、Hilbert の Kummer-Kronecker/Riemann-Dedekind 対比と同じ。ネーターの追悼文にも、それを示唆する言及がある。ただし、ネーターが Algorithmiker という言葉で追悼文を結び、また、クラインが、リーマンの思考世界は、彼には向いておらず形式的方法が彼に向いていた、と書いたように、リーマン・デーデキント・ヒルベルト的なものには敬意をもちつつ、苦手だった、なかなかそのセンスを持てなかったと考えるのが、良いのかもしれない。ちなみに、ネーターは追悼文で、ヒルベルトの有限基底定理の証明を、begrifflichen Deduktionen と書いている。Algorithmiker は、概念的思考は苦手だったのだろう。

数学基礎論史に見られる誤解の数々は、それが有限・無限の問題に、なまじ、関連していたために起きた不幸だったのだろう。McLarty も、それをパラダイムにしていると思われる、Edwards の thesis を僕流に解釈すれば、「実は数学基礎論論争として描き出される数学者の方法論的対立は、数学の文脈で考えれば(これは論理学を含む哲学にも関連するので、こういう必要がある)無限・有限の問題というよりは、こういう整数論・代数学対幾何学・解析学のようなセンスの問題から来ているのではないか」となるが、このエドワーズのテーゼを、この時代のテキストの分析で示せないか。ただ、マイヤーの報告論文では、Wissenschaftとして疑問がでているという記述あるので、こういう点だけでないことには注意。この時代、数学は数学だけで閉じることはできなかっのだから、どうしても哲学的問題が絡む。問題は、両者の関係、および、その影響の大小だろう。エドワーズのテーゼとは、哲学的な有限・無限の議論だけではなく、数学的センスの問題が大きい、と解釈すべきだろう。

しかし、理解不可能なのは、Hilbert の全集やHilbert,Klein書簡集など、少し丁寧にチェックすれば、すぐに解る、1889年の2変数の場合の証明と、1890年公刊の証明との違いを、全く読めていないこと。結論ありきでトップダウンに議論を進めてしまったのだろう。ヒルベルト・クライン書簡集では、間違えて Ihnen と書かれているものを、正しくihm となおしているので、オリジナルを読んでいる可能性が高く、それは評価すべきなのだが、他のがあまりに酷いので、最初は故意に読み換えたのかと疑ったし、今でも、なにかの偶然で、そうなってしまったのかと疑ってしまう…


2013年8月6日(火曜日)

Telugu文字の解読ワークショップ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時32分45秒

定例ミーティングで久木田さんよりTelugu文字の解読ワークショップの報告。
志田さんたちが作成したSMART-GS資料は、
行対応、検索まですべて可能となっており、見事なので驚く。
Telugu語はアルファベット表記。志田さんの学生さんが頑張ったの
だとか。

非常に短期間に機能を学習し使いこなし、我々が気が付かなかった
色々な提言までもらえた。

若い人文学者にとってSMART-GSは難なく使いこなせるレベルにまで来ている。

問題は行きりだしの面倒さ。今改造しているSMART-GSの行エディタが完成すれば
かなり事情が変わるものの面倒は面倒。

翻刻・内容理解に比較すれば非常に小さいものの、ある程度、内容や言語の
理解が関係するので、完全な自動化は難しいだろう。
#各資料ごとに自動化は可能かも。

ここがビジネスが入ってくるチャンスではないかと
思う。何かお金が動くようにしないと、一定以上の
普及はしないというのがITの歴史的法則。

技術革新の余地が大きく、しかし、完全な自動化は難しく
経験も生きる。AMTにもぴったりの作業。
うまくビジネスモデルを
作れば人文学まわりの企業にとっては、
良いビジネスになるはずだ。


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