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2013年6月27日(木曜日)

McLartyのGordan論文の問題点2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時14分15秒

2013.08.28 に調査をし直し、大幅に修正。同日、投稿の同じ題名の投稿の3にそれを置く。

1889年M.A.のbinary form のゴルダン問題の短い証明と、1888年、Goett.Nachrichten、1890年、M.A.のn変数formのゴルダン問題の証明、および、それへのゴルダンのかかわり方。

書きかけのヒルベルト論文など調べたら、昔、理解していて、史料に線を引いたり論文に簡単な説明を入れたりしている。それをすっかり忘れていた。(^^;)

で、再度忘れないようにメモ!

1.1889年M.A.の証明、Leipzigでゴルダンに助けてもらってかんがえ,ゲッチンゲンに向かう前に、手紙でクラインに知らせ(Klein,Hilbert書簡集)、(論文の最後にある)1888年3月30日ゲッチンゲンという日付と場所の記述から、ゲッチンゲンでクラインに直接渡したと思われる、この証明は、ヒルベルトの1897年の講義、英訳、Theory of Algebraic Invariants, Cam.Univ.PressのII.1に証明がある。これは、I.11で示された2変数x1,x2のformとx1/x2の1変数多項式の対応を使い、invariantを、その1変数代数方程式の根の差の関数として表す方法を元にしている。

2.その故に、同訳書、p.116(II.1)に注意されているように、これは2変数でしか使えない。

3.それを一般化できる証明が有限基底定理による証明であり、ヒルベルトはこの2証明の関連を説明していない。もしかしたら、ない。あっても、簡単ではないのだろう。

4.だから、McLartyの、ゴルダンがヒルベルトのtheologyを実は助けていて、ライプチッヒでそれについて二人が議論していたという記述は歴史資料の勝手な読み込み、自分に都合が良い読み込みによる錯誤。歴史学者の立場から言わせてもらえれば、学部の学生でも許せずに、長々と説教をしないといけない程度の錯誤!!!

で、一つ、収穫。McLarty がとんでもをやってくれたおかげの収穫:おそらく、1889年のバイナリの場合には代数学の基本定理が使われている。この時代の数学者には、解析学と代数学で、使える方法を分けているような傾向がみられる。この「不純」さを嫌ったのが、クロネッカーの「有限主義」。実際には、「代数主義」だったはず。これはニュートンが微積分学で得た結果を、プリンキピアでは、すべてユークリッド幾何学で書き直した、セルバーグの素数定理の初等的証明(つまり、解析整数論を使わない証明)に、フィールズ賞が与えられた、というのと同じ、数学のセンスの問題。

ゴルダンの気持ちの悪さは、こういう数学の「センス」の問題であったはずであり、また、ヒルベルトは、「既存のセンスを無視するとよりセンスの良い数学ができる」ということを示したわけ。それが有限・無限の問題に、なまじ、関連していたいのが不幸だったのだろう。おそらく、数学的センスによる代数・解析の対立は、有限・無限で特徴づけることはできない。大幅に重なってはいるはずだが。(解析学の算術化が始まる前のことを考え、歴史的に言えば、解析学とは実は無限次元多項式による無限次数代数学なのだから。)他の書簡などで、こういう点を示せないか。ただ、マイヤーの報告論文では、Wissenschaftとして疑問がでているという記述ある
ので、こういう点だけでないかもしれない。しかし、これはクロネッカー派の人たちが言っていた可能性もある。これもベルリン系の数学者の間の手紙でいけるのでは?

この二つの証明の成立の歴史と、LCMによるその構成性のdegreeを分析する論文を別立てで書く必要あり。

しかし、理解不可能なのは、Hilbert の全集やHilbert,Klein書簡集など、少し丁寧にチェックすれが、すぐに解る、1889年の2変数の場合の証明と、1890年公刊の証明との違いを、全く読めておらず、そればかりか、勝手にクロネッカーについてのエドワーズの研究のパターン(これはすばらしいもの!)をゴルダンの場合に、検討もなく適用し、結論ありきでトップダウンに議論を進めて、挙句の果ては、活字でIhnen と書かれているものを(Hilbert,Klein 書簡集)、ihn と読み替えてしまい、himと英訳までして論文に書いてしまうこと。

これが招待講演なのだから驚く。最近の経験で「史」の文字が付かない(つくのは西哲史など)哲学の人の中にはテキスト読解能力が、僕ら歴史家の常識からしたら、信じられない位低い人が多いらしいとわかって、茫然自失に驚いていたのだが、これは国内だけでなく、アメリカでも同じなのかも…
#Sieg さんとか、Paolo Mancosuさんとか、まともな人もいる。そのあまりの落差…

英米系の哲学者の書く歴史は今後信用的できないな…
もちろん、それらが全部うそという意味ではない。
かなず、最高レベルの懐疑をもって読まないといけないという意味。
しかし、そういう作業を必要とする論文、書物を読むのは時間の無駄だと思うのは自然なことだろう。
また、そういうことをして平然としている凡才とか、あたかも哲学史をやっているように書く人たち
を批判するのは当然のことだろう。クリプケのヴィトゲンシュタインは、哲学史には見えず、それを
ネタに自分の考えを書いているのは明らかだった。そういうのならば、僕も文句を言う気はしなし、
内容が良いので、素晴らしいと思う。しかし、いかにも歴史めかして、努力不足のものを書くのは
歴史家の立場からしたら、止めてほしいと思う。迷惑だ。

先日、伊勢田さんに頂いた面白い本の伊勢田・須藤論争で、
須藤さんのあまりの不勉強と物理帝国主義に付き合わされた、
伊勢田さんに同情したが、この点に関しては、まったく、
面識のない須藤さんに共感。
#伊勢田は、問題のあるものを書いたのを見たことがないが、
#ただ、同じ哲学の業界人として、この問題を理解しながら、
#許容しているらしい。しかし、ポストモダンや現代思想ならば、
#すでに、その「トンでも」性が広く知られているから、ある意味では、
#何を書いてくれてもよいことはよいのだが、アカデミックな哲学者がそれを
#やるのは理解できない…


2013年6月23日(日曜日)

McLartyのGordan論文の問題点

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時56分24秒

2013.08.28に編集。間違いを削除。同題名投稿の3に詳細。
1888年3月に発見して1889年のUeber die Endlichkeit der Invariantensystems fuer binaere Grundformen, Math. Ann. Bd.33, S.223-226, 1889で発表した2変数の場合のゴルダン問題の短い証明(4ページ)を、1888年のフルのゴルダン問題の解決と混同しており、ゴルダン問題の有限基底定理による証明がゴルダンの助けでできたと書いている。

ゴルダンのクラインへの手紙で、Rekursionによる証明で再帰的な呼び出し側のFORMがeinfacherになるようなFormenのEinteilungsprinzipが必要で、それがないからヒルベルトの証明はだめなのだ、と書いているところを引用せずに(…にしている!??!?)、他の部分の文章を利用して、ゴルダンの批判は数学の内容ではなく証明の仕方が不明瞭でよくないといっているだけだと主張している。さらに、その引用中のIhnen=Klein を ihm と読んで、ヒルベルトのことだとして、「あなたにライプチッヒで言ったように」を「ヒルベルトにライプチッヒで言ったように」と変えてしまい、ヒルベルトに問題点を説明していたいかのように説明している。手書きのIhnenとihmが読みづらいのならわかるが、これは出版された Klein-Hilbert書簡集から引用しているので意図的に読み換えた(翻刻間違いだと強引に理解した)か、ドイツ語ができないのか、どちらかとしか思えない。(2013.08.28追加:ここは、オリジナルで確認したら、McLartyの方がただしかった。オリジナルが、ihm と書いてあるところを、Klein-Hilbert書簡集では Ihnen になっている。なぜ、ドイツ語を母国語とする人が、かなり明瞭な手書きを、こう読み間違えたのかはわからない。また、それを正しく読んでいるところをみると、もしかしたら、McLartyは原典を読んでいるのかもしれない。それとも僕の持っているKlein-Hilbert書簡集が古くて、どこかで誤植が修正されていて、それを読んだのか?いずれにしても、これが1888年春のライプチヒでのゴルダンとヒルベルトとの議論のことであるかどうかは不明。2年近くも前のことなのだから。一方で、1888年3月にゴルダンの助けによって発見したとクラインに報告した証明が、1888年にゲッチンゲン紀要で概略が速報された有限基底定理による2変数の場合のゴルダン問題の証明でないことを支持する強い証拠が多くあるので、従来の理解、僕の理解の方がずxっと蓋然性が高い。)こう読むと、この書簡集の該当部分の向かいのページにあるヒルベルトのクラインへの手紙の内容と食い違う。

その他、間違いだらけ。良く読むと、歴史的イベントの時間的同定の検討が、ほとんどなされていないらしいことがわかる。

解釈に続く解釈の塊。伊勢田さん言っていた「変わった解釈をするのが仕事」というタイプの哲学者か?哲学だからと言って、こういう勝手なことでいいのか?梅原法隆寺論のレベルだ…歴史家の立場からは、あまりのずさんさに茫然自失という感じ。(まともな学者が、こんなことをできるということが理解できなくて、ショック!、ということ。)

この論文はクロネッカー論文と同じパターンをとっており、「神学」はジョークで言った、本当はほめている、という風に解釈している(ジョークであるのはそうかもしれない)、これではクロネッカー論文も信用できない…検討しなおし。


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