メシアンとドゥルーズの関係を間違えていた
澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について―田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)―のメシアンとドゥルーズのセリーの関係の記述は間違いだろう。もとはヘーゲルあたりかと思っていたが、今朝、伊藤さんの最近の新書でベルグソンの項目を読んでいて直接にはベルグソンだと知る。これを知ったら、澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について―田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)―を書いているときに、メシアンがドゥルーズの素だと信じてそう書いたものの、その歴史的根拠を検証しなかったことに気が付いた。メシアンもドゥルーズもベルグソンなどの「歴史主義」に影響されたと理解する方が遥かに自然。その作業仮説で調査中。
で、どうして、安易にああ書いてしまったか、今となっては、全く自分自身を理解不可能。あれを書いていたときは、そうとうに「追いつめられて」いたので、ブラウワー、ホワイトヘッド、メシアン、ドゥルーズの類似性に気が付いて、全体がパッとつながり視界が開けためだろう。多分、こういうのが哲学的直観で、哲学としては、もしかして、あの論文で一番評価されるべきポイントなのかもしれないが、思想史で、それをそのまま使っては駄目だ。反省。
もう少し調べてから修正予定。ただし、この同型性は、思想史論文としても、田辺のシェリング的な絶対弁証法と、ドゥルーズの違いを明瞭に描くためには重要なので欠かせない。歴史的には間違いか根拠薄弱なのだが、説明のためのレトリックとしては本質的。ここが僕の理解・解釈が入る処。メシアンのセリーがドゥルーズのセリーの由来だという記述を、メシアンのセリーでドゥルーズのセリーを説明する or 理解する、に変えればよいだろう。ベルグソンからの由来や、この二つの思想の何らかの歴史的関係性を言えれば、それで十分だろう。最大のポイントは、ドゥルーズの様な立場だとスピノザ的に神が世界を演奏してしまうと言う思想に自然に結びついてしまい、田辺とは違うという解釈にあるのだから。
これは「自由」の概念をどう理解するかと関係していて大変難しい問題。実際、実存主義的に言えば、神が演奏していようと実存には関係なく、それは自由とみなせるのだが、しかし、ブラウワーの自由選列にすでに決定論を見出す田辺にとっては(ブーレーズが音列を選べるのだから創造性があるのだと主張したらしいが、これの対極。田辺的な音楽だと、さっき演奏した音は良くなかったので変えます、というような音楽になる。 )自由ではない。ここが田辺哲学の複雑なところで、田辺は「図式世界の軽視」に、どうしても傾いてしまうハイデガー的実存主義を批判し、「絶対」を想定して、これは決して手放さないのだが、同時に個の「自由」も死守しようとする。この両者を融合させると、殆ど、論理的必然性として、個の自由な選択・行為において絶対が顕現する、という「絶対還相」、つまり、懺悔道以後の切断概念に行きつくことになる。戦前の種の論理だと、この切断が「種」のレベルで起きていて、それは別の言い方をすれば、絶対である類が、国家として、この世にすでに顕現している(権現、菩薩のようなもの。神の代理店。神そのものではない)という、戦後、田辺が間違えていたと「種の論理の弁証法」のイントロで書いた思想に「留まって」いる。しかし、懺悔道で、この種が方便という名で、類と個の媒介、メディア、通信媒体の地位に落とされ、個と類が直接に切断で関わることになる。で、絶対も個を契機としなければ行為を現出できないと考えることにより「個の自由」が確保される。しかし、これも外延的に考えれば、スピノザ系の世界観と何ら区別ができない。つまり、位相モデル的な思想が簡単に作れる。そういう意味で、田辺はハイデガーの「世界の軽視、無視」に哲学的には反論ができない。ただし、個人の生き方のレベルで、この両者は大きな差をもたらす。しかし、田辺の人生はむしろハイデガー的だった気がする。ここが、僕が、この人を理解できない点だ。なんだが、畳の上の水練をものすごく真面目に懸命に命をかけてやっているというイメージ。即物的な僕としては、そんなことやってないで、溺れるかもしれないけど、兎に角、水に飛び込めばいいじゃないの、と言いたくなる…