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2012年6月12日(火曜日)

田中煕

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時22分55秒

書籍名  社会哲学から政治哲学へ
著者名  田中 煕
著者紹介 大正15年京都帝国大学文学部哲学科卒。昭和4年から西山専門学校教授。昭和4年同志社女子専門学校講師。12年高田専門学校教授。15年台北高等学校教授。17年台北帝国大学助教授。21年関西大学教授。22年立命館大学講師。23年京都大学講師。36年同志社大学講師。39年(京都大学)文学博士授与。46年関西大学名誉教授。西山短期大学教授。
発行社  田中煕博士古稀記念事業会
総頁数  244
定価・頒価  非売品
発行日  昭和46年12月10日 1971
判サイズ(mm×mm) 211 150
貸出料金 480円

http://library.main.jp/index/jst31276.htm

自伝的もの
http://ci.nii.ac.jp/els/110004640761.pdf?id=ART0007357162&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1339428112&cp=

広辞苑に「分有」あり。普通に使われる言葉(だった)か?


2012年6月10日(日曜日)

西哲叢書 弘文堂

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時50分23秒

金2演習で山田さんが調べてきた田中著「シェーラー」は田辺の監修の弘文堂西哲叢書の一冊で、佐藤省三の「コーヘン」もそうだった。そして、ライプニッツを下村が、下程がフッサールを書いている。

これについては、これの、3.2.1に引用されている言語学者泉井久之介の著書の序言に情報がある。

田中のシェーラーでは teilhaben が分有と訳されているらしい。


2012年6月6日(水曜日)

不如帰

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時54分59秒

おっ!不如帰忍音?夜中だな…
今年は少し遅い。

日曜に未生流笹岡の御呼ばれで、宇治のミュージアムで
都名所図絵の展示を見たときに、山科は昔、不如帰の名所だったと
八杉にいったら、徳富蘆花の不如帰の旧山科駅のシーンは、
そのためかと問われた。考えても見なかった…

どうなんだろう。ありえるかも。


シェーラー!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時45分37秒

金曜日の演習の準備のために春に買っておいたシェーラー全集を見る。改めて全体のタイトル屋内容を見て唖然。共感は親密圏、文化社会学の基本公理は現代のWWWなどを連想させ、すべてが現代を先取りしているかの様にさえみえる。まだ、それが本当かどうかは分からないが、どうして、この様な思想家がハイデガーの陰に「忘れ去られた」か。これは思想史の大きなテーマだし、現代の情況を考える上で大きそうだ。

西田・田辺講演での中川久定先生の田中美知太郎の(おそらくは)田辺への嫌味についてのコメントのソースを探すのは難しそう。田中がこんなにマスコミでもてはやされていたとは思わなかった。量が多すぎて… しかし、図書館で全集を捲ってみて、田中美知太郎という人の哲学者としての業績がさっぱり見えてこない。基本的には紹介者かつ論壇の人であったらしい。これと戦前の京都学派の対比、さらには西などとの対比が、現代日本の「思想」、特にそれと大衆との関係の理解という、以前から気になっていて、どうアプローチして良いかわからずにいたテーマに近づく道を示唆しているような…. (だとよいけど。)

データマイニング、ビッグデータの本とともに、新井紀子さんの本が来たのでざっとみる。このテーマは日本ではマスコミの殆ど乗っておらず、それが気になっていたが、新井さんの本は、そういう意味で良い本だ。しかし、後半の数学云々は蛇足のような。数学は必須だが、数学だけは乗り切れない。むしろ「人文系」が重要。

とは言いながら、刺激を受けて、色々考えている内に生命工学との関連に思い至る。コンピュータは職を奪わない(すくなくともコンピュータが完全に自立するまでは)。職を奪っているのは、バベッジ・マルクスの時代も、現代も、機械(社会システム、官僚制などを含む)で武装したサイボーグである「資本家」や「ビジネス」。(ただし、これはアダム・スミスがいうように職を生むものでもある。)つまり、人。経済・経営学の「バベッジの原理」がポイント。格差が水力発電のための水位差として利益を生む。

そうなると昔僕が超忙しかったころにマンガのパーマンのコピーロボットが欲しかったのと同様に生命工学を利用した自分の脳の拡張とか、自分のスペアや、自分の分身として使う肉体を生まれたときから育てておく、ということが起きるだろう。早晩、脳と機械は連続に繋がる。その時、機械(マシン、コンピュータ)を介して、自分(?)と、自分の分身がシャム双生児のように繋がることは「当たり前」のことだろう。それをどう「使う」かは、社会的には法律の問題となるだろう。「分身」が「本身」に従うべきというようなルールは社会的な方法、例えば法律でしかコントールできないはずだ。となると、これは倫理学などが重要な役割りを果たす。その時、多分、シェーラーが出てくる。

それを見てから死にたいような、見たくないような….


2012年6月3日(日曜日)

西田・田辺記念講演会 藤田正勝講演

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時24分47秒

2012の西田・田辺記念講演会の藤田さんの講演を聞いた。

昨年まで特殊広義に出席させてもらっていたが(今年は担当している講読とぶつかり出席できず残念)、
その内容とほぼ同じで新味は無いはずなのだが、数年の間に藤田さんがその研究を発展させながら話した内容を、
1時間余に纏めた形で聞くと多いに違う印象で、特に田辺のドイツ留学から以後のタイムスケールを僕は正確に
つかめていなかったことがわかった。

で、兎に角、大変に面白かった。講義で聞いているときから、「おおっ!極めて慎重な人が随分大胆なことを言うな」
と驚いていたが、纏めて聞いてみると、これは大変な研究で、田辺と西田の関係の通説を否定する、実に大胆かつ
真っ当な提言。確実で真っ当なものは大胆になれる。

宗教学の杉村さんの質問への回答にあった研究方法の示唆とともに、これは今後の日本哲学史研究の行方を
決定づける重要な提言だと思う。土日は大学には極力出ない方針にしているが、今日は出て本当によかった。
藤田さんの後任がどうなるのか心配だが、藤田さんのような学者としての実力のある人が来て、この路線を
継いでくれることを願う。

善の研究出版後の百年が過ぎ、西田に加えて田辺の著作権がもう直ぐなくなる。また、戦後、田辺や京都学派に
貼られたレッテルから自由な世代の研究者が主流となってきた。京都学派研究は、こういう時間の問題で言えば、
これからが始めて中立的研究が可能な時代に入る。つまり、正当な学問としての京都学派研究は、これから
始めて可能なのである。西田、田辺、九鬼、和辻、朝永、三木、戸坂、西谷、高山、….,この多彩な
人脈を考えれば、これからの思想史、文化史、哲学史、哲学を担う若手にとっては、京都学派研究は、
大きな可能性を秘めた領域だろう。

そのためにも旧時代となりつつある第2次世界大戦後、特に戦後民主主義の時代以後の京都学派観を
根底から見直す必要がある。


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