Welcome Guest 
メインメニュー
林晋ブログ 最近のエントリ
Blogカレンダー
2012年 2月
« 1月   3月 »
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
26272829  
Blog 月別過去ログ
Blog 検索
カテゴリ一
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

リンク
検索

2012年2月21日(火曜日)

二つの多様体論の意義

カテゴリー: - susumuhayashi @ 09時51分17秒

二つの多様体論は、田辺哲学の「核心の理解」には貢献しない。

一方で、思想論文で指摘したような、田辺哲学を世界思想史の文脈におくという点では、
英米分析哲学(澤口)、フランス現代思想(中沢)の出発点としての意味を持つ。
特に後者は、フランス現代思想における擬似数学の利用という田辺哲学にも見られる
方法での両者の比較という大きなテーマにつながる。しかし、中沢は、これを田辺理解
としてしまった。そこに批判が起きる(田中裕や京大宗教学専修雑誌の論文)原因がある。
しかし、これを単にマスコミ学者の論とするのは間違い。
#ただし書きとして、中沢のアプローチ、特に調査、議論の問題点
#の批判。澤口論文の引用、アブラハム、野上、シンプレクティク幾何学、微分形式などもろもろ。

Plotnisky論文使う。quasi-math. という概念。

また、これを通して、math の概念の使い方の違いから、
逆に思想の違いを見る。たとえば、ドルーズ・ガタリの
リーマン多様体はどのような意味でもhomogeneousではない、
という文。田辺ならばハイデガー哲学など Hier-Jetzt の
思想から、これを批判するだろう。

非モダンという中沢の用語をモダンでない
もの一般に意味を変えて使う。たとえば、前モダン、
反モダン、脱モダン、超モダン、超(克)モダン。

田辺、京都学派は最後のもの。新カント派もそうだろう。
モダンは一応承認している。

これをギデンズなどのXXモダンと比較。


Voigtでなく佐藤?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時03分50秒

Voigtの教科書の田辺の書き込みには「テンソルは2次元」と読めるようなものは見つからず。
しかし、佐藤に次のような部分がある。おそらくこれか?

佐藤省三「高次の方向量の論理」、哲学研究、第234号、1022ff.

元来方向の一面性を持って特徴付けられるヴェクトルにあっては、
それが方向の規定を自分の外に有し、方向との間に偶然的、
外面的な関係を残す所の量と考えられるが故に、
その根底には上述のテンソルの如き方向の規定を自分の中に
含み之を必然化する所の一つの閉じられたる自己完結的なるものが
存しなくてはならぬ。方向の必然化とは勿論之を不動の一方向にのみ
固定化することではなくして、方向並びに大きさの可変性を容れ之を
自分の中に成立せしめることに他ならない。
<この後に、テンソルがベクトルの Operator であるという議論など
が続く>

かかるヴックトルとテンソルの関係が又成文の上から前者に対応せしめ
らるる系列と後者に帰せしめられる「系列の系列」としてのマトリックス
との関係を示唆し、ここに「テンソルの論理」と「マトリックスの論理」
とが必然的に連関し相通ずる所がある。我々が高次の方向量の論理
として特色付けた近代の自然の論理は又他方に於いて一次元的な
「系列の論理」ではなくして二次元的な、かかる系列としての
「マトリックスの論理」であるとも言うことが出来るであろう。
然しマトリックスの論理的意義については後章に於いて論ぜんとする。

<以上>

ここでは佐藤も「次」でなく「次元」としている。


微分->極微

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時17分20秒

初期科学哲学の時代には、一貫して微分と言っているようにみえる。極微はまだ、
見つけていない。極微の最初のものは、細谷が指摘した「カントの目的論」の
ものが最初か?

私は一般に当為というもおはかならず極微 infinitesimal を現実を含まずしては成立しないものであると思う。


24 queries. 0.037 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress

XOOPS Cube PROJECT