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2011年5月30日(月曜日)

京都学派と新カント派

カテゴリー: - susumuhayashi @ 21時17分49秒

1.田辺全集、4巻、月報、務台理作「京大来任当初の田邊先生」
大正四年の末であったか、五年のはじめ頃であったか、京大での西田先生の哲学概論の講義に
田邊先生の名が出てきた。それは『哲学雑誌』に発表された田邊先生の論文、新カント派における
「論理主義の限界」にかんするものであった。その折西田先生は、ようやく日本で流行になりかえて
きた新カント派の論理主義
について話され、直観主義の上から批判された。
2.戸坂潤、1936年(S11年)、現代の哲学と宗教、「思想と風俗」より:日本にはヨーロッパ・アメリカに行なわれた
哲学が凡て一応は輸入紹介されている。そしてそのどれかの一哲学の相当忠実な信奉者は探せばいつもいないことはない。
しかし、世界大戦直後の頃、最も有力なるものとして現れたのは、カント主義または新カント主義であった。なぜその時に
なって有力になったと称するかと云えば、その時期になって初めて、この哲学学派が経済学や法律学・自然科学の領域に
或る種の実を結ぼうとし始めたから
である。
 この哲学は日本に一時、方法論全盛期を画したのであったが、….


2011年5月29日(日曜日)

新カント派文献

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時50分25秒

Neo-Kantianism in Comtemporary Philosophy
edited by R.F.Mkkreel, S.Luft, 2010, Indiana Univ. Press
イントロから:The present volume is the first of its kind to be published
in English, and it is published in the hopes that it will secure Neo-Kantianism a
significant place in comtempolary philosophical discussions.
これも論文集。本はまだでてないということ。Kohnke の英訳だけとのこと。


メモ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時24分27秒

http://www.imaginativeuniversal.com/blog/category/Heidegger.aspx


Heidegger哲学てそんなに狭いのかーっ?!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時21分32秒

西田田辺記念講演で、種の論理における人間学的要素について論じるために、田辺の人間学の時期(種の論理の直前)におけるハイデガーの「存在と時間」の哲学への言及(ただし、成立前!)を理解するため、いろいろとハイデガーを調べる。
 で、Design や渕さんについて調べていた頃、Winograd さんの本を読んでから、どうももやもやして変だったものが氷解したような気がするのでメモる(あるは、さらに誤解しただけ?これから検証、とりあえず検証のために纏める)。それにより、M.Friedman の構図、分析哲学、大陸哲学、田辺哲学の位置、Winograd さんやドレイファスの哲学、ハイデガーとITのことなど、何か全部がまとまった。
 疑問はいくつかあった:

  1. なぜ「存在と時間」の哲学が現実のITのプラクティスの場で役立つのか(Winograd)
  2. なぜ「存在と時間」のような語り方で存在論が議論できるのか?(できるはずがないと感じていた)
  3. なぜハイデガーが偉大な哲学者として持て囃されたのか

 これは僕がハイデガー哲学がライプニッツとか、カントとか、ヘーゲルとか、そういうものと同列のものだと誤解していたから。この2グループはドレイファスがいう『前者は「哲学者」、そして、ハイデガーやらヴィトゲンシュタインはnon-philosopher』という分類に似ていて、(ドレイファスではむしろ方法論の相違が強調されるが)見ている対象が異なる。実は、ハイデガーなどの「非哲学者」は、パラドキシカルなことに「哲学者」より、「科学的」になってしまっている。つまり、世界を一括して理解したいという本来の西洋哲学に充満していたはずの欲と言うか目的が失われていて、「この分野に限定」という後退がある。これが田辺には我慢がならない。それが、ハイデガー批判であり、西田批判になる(ただし、西田批判の方は少し違って実践の問題が大きいのだろう。逆にハイデガーにはナチスに拘わったという「実践」がある)。
 破壊と構築―ハイデガー哲学の二つの位相,門脇 俊介やら、この阪大の高田さんという人のパンフレット、そして、田辺の日本最初のハイデガー哲学紹介(一つ前の投稿タイムライン参照「…転向」)からすると、ハイデガーは要するに存在論をOeffentlichkeit(公共圏:田辺訳)に限定してしまい、そこだけで存在論をDasein の「直観」のみから構築しなおすという戦略で哲学を進めたということになる。これは田辺の説明の受け売りで、正しいかどうかしらない。しかし、これは「存在と時間」出版の数年前の説明であることに注意!つまり、個人教授の先生だったハイデガーから田辺は、これから書かれる「存在と時間」でとられることになる方法論について「親しく聞いた」わけだ。本を書くときには、最初の意図どおりにはまず書けない。ということは、この田辺の記述は逆にハイデガーに極めて近い哲学者からのハイデガーの研究戦略の「証言」なのである。(で、気になるのが群馬大田辺文庫のハイデガーの講義のノート。もし、あれが個人教授のときのものならば田辺研究ではなくハイデガー研究のための第一級史料となるはず。講義のものでも重要だろう。ちゃんと読んでみなくては!)
 要するに、田辺が後に批判するように、ハイデガーは世界を相手にしていない。ハイデガーの世界は狭い意味の社会学が扱うような、人間の社会、公共圏についてしか語っていない。もしそれこそがそれのみが Dasein に語りえることだというのならば、我々のような理系の人間からしたら「まったくの現実無視!」といいたくなる。それは哲学者が文系の都市住人であり、そこに生きる世界が限定されているからだろう(当然、ここで京都学派左派の問題が生じる。しかし、今、京都学派として知られものには、多かれ少なかれ「文人・墨客」のイメージがつきまとう)。哲学者ならば相手にしているのはみんな人だろう。しかし、工学者や理学者、そして、数学者が相手にしているのは人間ではない。都市以外の住人ならば、たとえば農業のように否応なく自然に対峙する人もそうだろう。僕には、これについては庭仕事くらいの経験しかないので大きいことは言えないが、僕が実際に直接、かつ、長年経験している、ソフトウェアの世界、数学の世界、そして、IT教育の(インフラ整備の)世界では、この世界観は全くなりたたない。
 たとえば、百数十台のワークステーション(平成元年の話)の世話をして、それで学生たちを教えるといときに日常性として起こるハードウェアの障害(Winograd ソフトウェア論では、そういうものは異常事態として説明される)は、同僚やら学生やらとの関係と同じように重要だし、さらには、個人でできる研究に没頭し始めると最も身近なものは人ではなく物(ソフトウェア含む)となる。要するにハイデガー哲学には、ヴィトゲンシュタインが「語りえぬものについては語ってはならない」としたような狭さというか、学問がなりたたないからそこは無視しましょう、という卑怯さのようなものがみえる。田辺にはそこが許せなかったはずだ。たとえば、こういう哲学では1945年8月6日に広島に(偶々)いたということと、その帰結について何らの「納得」もできなくなる。おそらく、そういうものはハイデガーには「語りえぬもの」なのだろう。要するに基礎付け主義というか、厳密主義にすぎないので、裏返しの分析哲学のようなものだろう。ぼくには、田辺の態度の方が共感できる。(態度の問題で哲学のシステムとしてどうかというのはでないことに注意!)
 では、そのように狭いにも拘わらず、なぜ、ハイデガーがもてはやされたか?それはもてはやした人たちが、「同じタイプの公共圏」に住む人たちだったからだろう。そして、そういう問題、田辺の言い方を真似れば、「体系的学問的明証的であることを保ちつつ、Leben について自分という Dasein に直接与えられていると信じることができるものだけを使って哲学したい」ということを可能にし、しかも、それまでの哲学をちゃんと総括できるという、職業的哲学者として実に際立った能力で処理された哲学体系であり、しかも、それに乗れば自分たちも何某かのことができると見えたからだろう。実に近代的であって、分析哲学と対抗する位置に立つに相応しい思考のスタイルであったわけだ。
 ハイデガーの議論のスタイルを使えば、職業としての哲学が継続しえる。しかも、自然科学などという、その時点ではドイツ社会に投げ入れられている Dasein 自身としてはあまり語りたくもないものと決別して哲学という「仕事」を継続しえる(ある伝記によるとハイデガーも最初、数学の方向にいこうとしていたそうだ。本当ならば大変納得)。そうなると「とにかく哲学をやりたい」という人たちには、物凄く魅力的に見えるだろう。プロイセンの科学・工業の時代ころから、哲学は成立しないという強迫観念にドイツの哲学者は長く直面しているのである。そして、哲学者のなかでも、そうでない人たち、特に自然科学とか、ハイデガーが「語りえぬもの」にしてしまったことを語ろうとする人たちは、ほぼ同時期に記号論理学という別のスタイルを得て分析哲学への道を歩み始めていたわけだ。つまり、フリードマンが言う分裂である。
 では、そのような自然科学とかに全く関係のないはずのハイデガー哲学が、どうして、ITの世界で重宝されるのか?これは簡単で、要するにWinogradさんとか、僕とか、Google などのWeb2.0企業とか、そういう人たちが対面しているITの世界というのが、圧倒的にハイデガーが住んでいた哲学の世界に近いから。つまり、そこには津波も原爆も加速器もない。インターネットというやつは、おそろしく安定的で、物理的・自然的干渉から独立だ。だから、ほぼ、物理的・自然的制約を無視できる。もちろん、ケーブルにケッつまずいて電源落ちて何年分かのコードが消えた原稿が消えたということはありえるわけだが、それは僕らの若い頃までの話で、今はOSやマシンが凄くロバストだし、ネットがあれば分散してのストレージというのもありえるし、また、アマゾンで本を注文してもアメリカから1日で洋書が来たり、Math. Ann. の古い巻のページをドイツのサーバで楽々と検索し閲覧できる時代。つまり、工学者や実験系の科学者が日々対面しているような問題からほぼ自由で居られる(ディズニーランド化の技術的原因)。
 Winograd さんはワープロの電子機器としての存在はユーザーにはそれが故障するまで立ちあらわれないというところから、ハイデガー存在的発想のソフトウェア開発での重要性を説明したが、要するに実質的にその「故障」がほぼなくなってきている。つまり、ほぼハイデガー的世界だけで、サイバー世界だけで閉じて生きられるような世界になっている。もちろん、アマゾンの最終部分が(本当の最終は宅急便なのだが)FCであるように、また、 Googleの大きな技術的競争力がデータセンターの運営能力であるように、物理的なものはかならずある(それが田辺では第3次元)。しかし、それがあまりに安価かつ容易に提供されるものだから、それはないに等しいわけだ(しかし、提供側にはその分、凄まじいほどの能力が求められる)。そういう世界でプラクティカルにはほぼ不必要な物理的存在までケアしようとする哲学(形而上学)より、ハイデガー存在論が便利なのは当たり前だ。ソフトウェアはハイデガー的 Dasein とのその公共圏の中だけで構築されるのだし、そうしないと、複雑すぎて、とても構築できない。
 しかし、そうはいっても津波は来る。災害は起きる。事故も起きる。ハイデガー哲学のターミノロジーでは、その「稀」なことにはなんら対処できない。実は社会自体が、こういう世界では自然としてたちあらわれる。ハイデガーにとってのナチスと連合軍、田辺にとっての日本ファシズムと連合軍が、そういう意味での自然となる。そういうものをハイデガーは自分の圏内から実質的に排除しているのではないかと、全然ハイデガーを読んでないのに(^^;)思う。これに反して、Ulrich Beck のリスクの概念などは、ちゃんと危険からリスクに問題の多くの比重が移動したという形で両者について語れる。このことが、現代ではハイデガー的なものは、むしろITの技術の背景として立ち現れ、Dasein のために世界観としては成り立たなくなっている理由の一つだろう。この方向に行くならば北森や晩年の田辺のような方向に行くしかない。
 もうひとつ考えたことを書いておかねば。ハイデガーの立場は、あるいみでヒルベルトの有限の立場とかブラウワーの直観主義の立場と同じ。要するに、どれも基礎付け主義、近代的なのだが、この方向に多くの人が進んでしまう理由、誤解の理由が有限と無限の問題にあるように思う。これは数学の有限・無限ではなく、Dasein としての自分と超越の関係のこと。しかし、長らく集合論のような無限で超越的な対象を考え続けた人にとっては、パイの1000^1000^1000^1000^1000^1000^1000^1000^1000^1000桁目の数字という有限的存在より、巨大基数の方が余程慣れ親しんだ具体的存在になる。実験物理学にちゃんと通じるような形の物理学、たとえばCERNで実験をするような人などにとっては、我々には意味も理解できないような素粒子(?)の方が具体的であるはずだ。このようにヒルベルト的に考えれば、19世紀終わりから20世紀初頭の数学や哲学の基礎付け主義の誤りがわかる。ゲーデルなどは、それから自由なのだが、それが彼が古臭く見える理由なのだからおもしろい。田辺はもしかしたら超古いので新しいのだろうか?
 この問題は、さらに京都学派左派の三木、戸坂などの「実践」の問題に繋がるが、長くなりすぎたので、ここで打ち切り!
プログラミングとか、講演のレジュメ書きとか、頽落せねば! :-D
#新書原稿も忘れてはいません。>千葉さん


2011年5月28日(土曜日)

タイムライン

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時14分56秒

第一次世界大戦勃発 1914(T3)年7月
ヴィンデルバント死去 1915(T4)10月
ヘルマン・コーエン死去 1918(T7)4月
第一次世界大戦終結 1918(T7)年11月
ベルサイユ条約 1919(T8)年6月
リッケルトの生の哲学批判 1920(T9)年:
Die Philosophie des Lebens: Darstellung und Kritik der
philosophischen Modeströmungen unserer Zeit (1920), 2nd ed., 1922.
ロンドン会議 1921(T10)5月 賠償金1320億マルク決定
ドイツ封じ込め推進者 Raymond Poincare は Henri Poincare の従兄弟
田辺ドイツ留学 1922(T11)年3月
フランス・ベルギー軍ルール占領 1923(T12)年1月
賠償金支払滞りが理由
田辺ドイツ留学より帰朝 1923(T12)年1月
ナトルプ死去 1924(T12)8月
田辺「現象学に於ける新しき転向」出版 1924(T13)10月(理想)
 ハイデガーの「解釈的現象学」(全集4、p.24)
 「ただ氏の方法上の創見、現象学に与へんとする転向の如何なるものなるかは
  私の親しく氏から聴いた所に由つても、少しは詳しく説くことが出来るかと思ふ」(同,p.25)
田辺「認識論と現象学」 1925(T14)1,2月(全集4、pp.37-71)
シェーラー対ハイデガーの図式
  p.41 「新カント派凋落に傾き」
ハイデガー「存在と時間」出版 1927(S2)年


2011年5月17日(火曜日)

決まり!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時30分04秒

下の投稿をした後、はたと思いついて M.Friedman, A.Nordmann “The Kantian Legacy…” の著者紹介をみる。
Fridemanは、"He works on the relationship between the history of philosophy and the history
of science from Kant through the early twentieth century, and on the prospects for
post-Kuhnian philosophy of science in the light of these developments” だそうだ。
ようするに「哲学史と科学史の狭間から」ということ。となると、「種の論理再考−科学思想史の観点から」で良いかな?
この場合「科学思想史」には、(科)学の哲学であった新カント派についての思想史も入る。そういう意味での
科学思想史。つまり、現代の意味ではなく、広い意味での科学哲学についての思想史。
#下村がいう「田辺の科学哲学」だな要するにこれは!
#… よし!これで行きましょう。 :-)


副題失敗した…

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時17分03秒

西田・田辺記念講演会の講演タイトル「種の論理再考―数理思想史の観点から」はまずかった。
これを考えた時点では、Riehlとか人間学とかわかってなかったので仕方ないのだが、
特化しすぎ。離す内容の半分から3分の1しか「数理」に該当しない…

仕方ないので、当日、変更することにする。しかし、どうかえるか??
Friedman が科学哲学史の人ならば、
「種の論理再考―科学思想史の観点から」
でよいだろうが、Friedmanはカント研究家とも
いうし。困った….

竹花さんから教えてもらった服部健二「西田哲学と左派の人たち」が来る。
確かに観点が非常に近い。しかし、今度は話内容とは、やはり、少し違う。
今回の最大のポイントは、田辺の「人間学」の時代に、M. Friedman たち
が指摘する、大陸哲学 vs 分析哲学の対立が、生の哲学 vs 学の哲学の
対立としてあり、その対立が、新カント派ではなく、それから出た幾人かの人たち
により担われていること、それがシェーラー、ハイデガーであり、そのもとには、
critical realism とか現象学とか、この両者の「調停」を目指す、
別の立場があり、これらの人たちはそこから出ていること、そして、今は我々の
視野からほぼ消えてしまっている、この情景を思い浮かべて出ないと、田辺哲学の
意味を正しく理解できないこと、これを理解すれば、さらには西田や他の京都学派
の人々、たとえば三木の思想(服部は三木、船山たちは田辺からインスピレーション
を得ているとする。非常に納得)を理解する手懸かりになるということ、これを
主張する。これをすれば少なくとも田辺以後の仏教系(?)でない京都学派
の人々を世界思想史の文脈におくことになり、Friedmanの、大陸哲学、
分析哲学の壁の撤去の試みに、さらに日本哲学を組み入れることができる
ようになる。という、それが最大のメッセージだろう。これに比べれば、
ブラウワーがどうのというのは、そういう主張の妥当性を証明するための
一傍証に過ぎなくなる。

だから、数理でなく科学。でも、Friedmanはどこに分類すればよいのだ????


2011年5月14日(土曜日)

Yet another paper on Riehl

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時16分54秒

Heidelberger, Michael.
From Neo-Kantianism to Critical Realism: Space and the Mind-Body Problem in Riehl and Schlick
Perspectives on Science - Volume 15, Number 1, Spring 2007, pp. 26-48

http://muse.jhu.edu/login?uri=/journals/perspectives_on_science/v015/15.1heidelberger.pdf


2011年5月13日(金曜日)

西田・田辺記念講演会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時39分57秒

西田・田辺記念講演会で「種の論理再考―数理思想史の観点から」という講演をします。
土曜日ですが専修の学生さんたちはなるべく参加してください。金2の特殊講義と深く関係し、
水曜日の院の演習とも関連した内容の話をします。

リンク:http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/nittetsu/nishidatanabe/nishidatanabe.html


2011年5月10日(火曜日)

Pulkkinen Thought and Logic, 分析哲学系からの試み

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時22分00秒

 Michael Friedman の大陸哲学、英米哲学の分裂についての研究は、
比較するとすれば、大陸哲学的観点の要素が英米系観点よりは大きいだろう。
これと同じ問題を英米系から扱ったと看做せるのが、
Jarmo Pulkkinen, Thought and Logic, The Debates between
German-Speaking Philosophers and Symbolic Logicians
at the Turn of the 20th Century, Peter Lang, 2005. Googleってみつけ、
寝込んでいるときに届いたので読んでみたが様々な
エピソードが大変多く記載されている。

 しかし、Pulkkinenも、Friedman 同様、大陸哲学、英米哲学の分裂の奇妙な状態への疑問をから始めて、
この仕事をしたらしいが、その本に、その出版より5年も前のFriedman への引用がない。おそらく気が付いてない。
両者の内容は、大きくオーバーラップし、事象の詳しさ(多さ)では、Pulkkinen の方がはるかに興味深いのだが、
何分、著作自体の力がFriedmanのそれより劣る。あるいは、これは僕のバイアスのためかもしれないが、
どういう傾向の人か知らずに読んだのだが、英米系哲学の論文を読むときに感じる虚しさと同じもの感じたので。
なぜFrege, Schroeder は学派形成に failしたか、という節タイトルなど、この著書のスタンスと歴史の
見方を明瞭に表していると思う。著者は「英米系の哲学は哲学史を無視する」と批判しているが、
歴史に目の向けたのは良いのだが、歴史研究のやり方を間違えている。自分のバイアスの危険性を自覚して読んでみても、
Friedmanに比べれば文章に力がないように思う。仕方ないのだろう。しかし、その網羅的な調査は非常に有用であること
は間違いない。両者に言及しているものをGoogleったら、2010年の若い人の論文がひとつみつかる。やはり、この傾向が
流れになりつつあるか?そうあって欲しい。そして、日本では、それが京都学派研究と連動する故に、大変重要なテーマといえる。

ところで、この本、京大にないかと思ってKULINEでサーチしたら、文、情報・史料学にあった。 :-? これは田中一之さん
が引用していた本だった。多分、それで買ってあったのだろう。見た記憶があるのだが、その時はまだ新カント派などにつ
いて知識がなかったので気にしなかったのだろうか…


2011年5月8日(日曜日)

身体論・人間学から種の論理へ、そして数学史

種の論理が、その直前への身体論、心身論から生まれたという竹花さんの講演を「善の研究」出版100年記念の会議で聞いたときは、
大変おもしろい指摘で、田辺が、これに関連して後に自分の病気が種の論理の契機なったと書いたことの理解として(これが僕には
何か全然わからなくて、咽喉のかかった小骨状態だった)大変良いと思っていたのだが、どうも、そんな軽いものではない。
7,8日の引用から明らかなように、処女論文からあった志向性が、この段階で、ほぼ明らかになり、まだ、理論(論理)構造を
つかめていないが、その条件は、ほぼ、すべてそろっている。欠けているのは「社会」というタームぐらいだろう。
しかし、すでに「共同体」まではでている。そう考えるとシェーラーの Wissenssoziologie は大きな契機だったのでは?
面白いのは、すでに弁証法が完全に前提となっている点。これはやはりマルクスなのか、それとも純粋哲学的動機のほうが、
大きいか。全集4ではマルクス主義の姿が見えない。マルクス主義・弁証法との対峙と、全集4で示された性の哲学の
理論化=論理化=被媒介化の方向と、田辺が弁証法研究に傾倒したという、この二つのほぼ同時に起きている(前者が
一応は後だが)歴史的プロセスの関係がわからない。これ大きな興味深い問題。

風邪で寝込み中に、竹花さんにもらった論文別刷りを読んで気になり、竹花さんが参照していた全集4の諸論文を調べた。
その結果わかったことをメモッたのが、5月7−8日の投稿。その纏めが上のメモ。

要するにWeylの1921年の危機論文、Ueber die neue Grundlagenkrise der Mathamatik
http://www.scribd.com/doc/49885193/Hermann-Weyl-Ueber-Die-Neue-Grundlagenkrise-Der-Mathematik
がひとつの例である、第一次世界大戦前後のドイツ思想界の激動と変化を田辺の人間学はみごとに反映している。
単にマルクス弁証法への対峙で種の論理の発生を説明するのは間違い。

今まで調べてきた様々な分野の歴史・思想史研究間の関係が、すべて関係。要するに現代の西洋哲学の2分の弊害により
見えなくなっているウィルヘルム2世朝からワーマール共和国にかけての激流のようなドイツ思想史の問題。数学基礎論史は、
そのひとつのエピソードとなる。(ただし、重要なエピソード。)

関連するもの:
1.数学(基礎論)史
1.1.Gray, 林の近代性の視点からの数学史
1.2.
2.思想史。主に科学・数学に関連する思想史
2.1.Michale Friedman, Alfred Nordmann 系統の研究
2.2.これらは、いわゆる科学史や科学哲学どいう「専門分野」とはずれているが、
 Friedman, Nordmann eds. の proceedings(?) に GrayとLuetzenの
 論文があるのが、これに道をつけている。
3. 思想史
3.1.Herbert Schnädelbach, Bambach など。
4.そして日本では京都学派。
4.1.今は田辺のみだが、九鬼、三木、戸坂、高坂など、特に第2,3代世代への関連は?
 時期的に岩波の哲学講座昭和6年が手懸かりとならないか?これらの著者が多く書いている。


史料メモ#127,人間学の立場

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時37分40秒

人間学の立場 全集4巻 pp.357-382 1931 理想10月号
(1)p.35「一方於いてはフォイエルバッハへの回顧を通じ、他方に於いてはディルタイ、シェーラー、
ハイデッガー等に対する関係に於て、哲学的人間学なるものが今日次第に重要の意義を加へつつあることは、
現代哲学の趨勢に注意する何人にも疑いなき明白な事実と云ってよいであろう。」
(2)pp.361-362 要約。人間の存在論は存在者(「明証の所在」の意味の Sosein 林注)の存在論
ではありえない。人間はそのあり方を離れて存在者としての本質を規定することはできない。「人間の存在論
は存在者の存在論であるに先立って、或いは少なくともそれと同時に、存在(「明証の所在」の意味の
Dasein 林注)の存在論でなければならない。加之(しかのみならず)、存在の認識も人間の作用として
其自身人間の在り方に外ならないとすれば、人間の存在論は存在の自覚たることを第一条件とする。」
このような観点からして、「本質観照の形相的現象学の立場に於て人間の本質を、対象化せられざる
作用中心としての人格性と規定したシェーラーの人間学が、其示唆的なる思想の豊富にも拘わらず、
立場として不十分なることを免れないのは当然である。
是に対してハイデッガーが
全体人間の在り方の自覚として自覚存在的存在論 existenziale Ontologie を、人間学の予想として
提唱したのは正当
といはなればならぬ(Heidegger, Sein und Zeit, S.47-48)。
人間学は全体人間としての人間の認識といふ其課題の必然的なる帰結として、自覚存在的存在論
(以下之を略して自覚存在論といふ)の方法を其方法とするのでなければならぬと考へられる。」
*ここでは Heidegger >> Scheler。しかし、Scheler に価値があるとしているところに注意。
Brouwer への言及に類似。
*しかし、ここから学の哲学への揺り戻しが始まる。これが「種の論理
へと発展する途。
(3)pp.366-367 「兎に角ハイデッガーの自覚存在論が超個人的全体に於ける人間の共同存在
を解釈する途を有しないことは、その立場の制限を示すものであって、人間学が直ちに其立場で
立せられることの不可能なるを証示するものといはなければならぬ。而して其卓越せる時間の分析も、
専ら未来に於ける可能性の自由計画を契機として行なわれるが為に、過去の被限定性と未来の
自由性との相互転換の岐機にして同時に媒介たる現在の永遠性を認めない結果、
時間性から
歴史性へ進む途を欠き、且(かつ)この現在の永遠的超時間的契機を媒介として各個人の主観的
なる時間形成が、客観的なる相互関係に統一せられる可能性を了解することが出来ない。斯くして
歴史的時間の確立は不可能に終って居る。斯様な立場に於いては所謂超越も個人的存在の内部に
於ける観念論的超越に止まり、実存的超越に達する能はざるは当然の事であろう。シェーラーの
人間学の重要なる観点を形造る所謂「宇宙に於ける人間の位置」の自覚の如きは、到底自覚存在論の
能くし得る所ではない。
自覚存在論は弁証法的人間学の抽象的契機たるに止まる。人間学は
全体人間の自己に対する在り方の自覚であるが、人間の在り方は同時に絶対的存在者に
対する相対的存在者としての自己の弁証法的位置、他の相対的存在者との共同存在、の自覚の
相互媒介を通じてでなければ自覚せられない。人間の在り方は自覚存在たることを特色とするが、
それは同時に永遠の絶対者に於ける存在、歴史的社会的共同体に於ける存在、であることの自覚を
必然の契機とする。我の存在の自覚は、絶対者に於いて之を媒介とする汝との共同存在を成すといふ
自覚に於て始めて成立するのである。

*この部分、ほとんど種の論理!絶対的存在者、共同体を類、種に、相対的存在者を個にすれば、
それらの弁証法的関係まで記述されていると読める。また、それが永遠の今としての現在を切断に
例えて見る後の立場さえ、「現在の永遠的超時間的契機」という言葉で現れている。また、そこに
シェーラーがでてくることに注意。ハイデガーへの評価は、ハイデガーには投機性しかなく、
被投性がないかのような議論に読めるのだが、ちょっと極端では?ただ、言いたいことはわかる。
しかし、そのハイデガーが、田辺よりさらに政治に直接にかかわり、また、それを田辺が批判した
という史実を理解すべきだ。
(4)p.367 「それでは斯様に全体と個体の相即に於いて人間の存在を自覚し、
歴史的社会的連関に於て表現の了解を媒介とする人間の自己解釈を求むる人間学は、
ディルタイ並に其学派の『生の哲学』と同様の立場に立つものであろうか。
否、両者は一見酷似しながら、其実重要なる区別を有するのである。」
*この後、生の哲学の(種の論理の時期の議論の仕方でいえば)被媒介性の欠如を根拠に、
生の哲学への批判が続く。田辺ば拠所にするのはヘーゲルに対峙するキェルケゴールの思想となる。
(5)pp.368-9 「私は是に対し、恰もキェルケゴールが自己の実存弁証法に対して、
矛盾を止揚することにより個体的人間の実存を消滅せしむるヘーゲルの純粋思惟の抽象的連続観を排斥し、
今日其思想を承くる(キェルケゴールの思想をうける、林注)弁証法的神学の一派が神人の直観的合一を
宗教の本質と認めたシュライエルマッヘルに反対し其連続観を斥ける如く、「生の哲学」の連続的力学観を
排斥しなければならぬ。」<略>ディルタイ門下のミッシュ(Lebensphilosophie und Phaenomenologie,
1930, 群馬大田辺文庫蔵,134,923 9, ***)はディルタイの思想が相対主義であることを認め、
しかし、ディルタイの Bedeutung の範疇を生了解の根本範疇として、それが含む全体傾向を論理化して
完了的思惟 zu End denken (意味)の論理的範疇とするならば相対主義を脱せるとするが、
私(田辺)はそうは思わない。Bedeutung を基礎とするのでなく、それ自身、生の哲学の
了解的内容的立場に反して形式的に論理化されなくてはならない。「これは単なる了解でも、
それと論理との結合としてのミッシュの所謂歴史的体系的方法でも能くする所でない。
キェルケゴールの説いたやうな宗教的道徳的信行の非連続的飛躍的なる
弁証法的自覚のみが其途を開くものと思われる
(Kierkegaard,
Abschliesssende unwisenschhaftliche Nachschrit zu den philos.
Brocken. Kap. III)。私は此存在論的弁証法と存在論的自覚との相互媒介が
人間学の方法を成すと考えへるのである。」
*極めてキリスト教的な宗教観がみえる。後に北森ならばそれを理解しただろう。
西田はそれを見て田辺は宗教を理解できないとしたはずだ。西田は静かな禅寺の
禅僧であるようにぼくにはみえる。田辺は比叡山を降りた法然や親鸞と同じ傾向がある。
キェルケゴールの説いたやうな宗教的道徳的信行の非連続的飛躍的なる弁証法的自覚
のみが其途を開く」に注目。ここでは非連続だが、これがやがて、切れていて繋がっている、
「田辺の切断」的なイメージにかわったのではないか?いずれにせよ、ヘーゲルの止揚を
連続と解しているのは面白い。通論の弁証法の図で、二重丸がついている絶対弁証法の
止揚が、この非連続の飛躍なのだろう。通論の図では、ヘーゲル、マルクスの止揚には、
それがついてない、単なるjunctionになっている。


2011年5月7日(土曜日)

史料メモ#126、明証の所在

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時31分51秒

明証の所在、全集4巻

(1)pp.273-286. Sosein 対 Dasein の関係をキーに、Ontologismus の話が続く。
p.276に「今日の数学の基礎に関して公理主義形式主義を採る人は最も明白にこの立場を代表する。」
この立場とは、「数学的対象のDaseinはそれのSoseinを越えてそれの外に成立するもではない」、
つまり、現実とは形式そのものなり、という立場。p.277 に「数学的の存在の明証は、
対象の Sosein を規定する公理の志向する所を、意識に於いて直観的に充実する途が与えられて
始めて成立する。これ公理主義形式主義に反対する直観主義の主張に外ならぬ。私は今日重要なる
論争点となって居る両主義の対立に関し、明証論の上から観て公理主義には未だその説に何か欠けている所が
あるのであって、直観主義の方が一層具体的なる立場に立つのではないかと思ふ。
ともかく後者が意識に於ける対象の構成に対し直観の通路を重要視するのは疑いもなく正当であろう。」

(2)p.281 併しながら ideale Gegenstaende に於いてそれの Dasein が有限の
Sosein に含蓄せられるのと、reale Ggenstaende の Dasein が Sosein の無限系列の総合の極限
をなすのとは、本質上一に帰せられない相違を有する。

ここにも、種の論理成立にブラウワーの数学思想が絡む「理由」が見出せる。

(2)をuniversal algebraなどのduality、完全性定理の言葉で言えば:
しかしながら、形式系・代数系において、それの構文論的モデル(自由代数、リンデンバウム代数)が有限の
形式系や代数系により記述されるのと、現実の無限「モデル」(現実も数学的存在)が、有限的な形式系や
代数系の無限系列の極限となるのとは、本質上同じこととは言えないのである。
#数理哲学的には、二つの見方がある。ひとつは、トポス理論的に考えて、否一致する、という立場。
#もうひとつは、集合論的に考えて、そのとおり、その差を生み出す、本質こそ、ウルトラフィルター
#が表現するものであり、選択公理である。そこに無限の本質があり、ライプニッツの
#contingent truth は、それを意味している。Cohen の無限小もそれであろう。
僕は、こういう思考はできる(というか、得意)だが、する気がない。意味がないという立場なので。
ただ、それを歴史学的にウラに回って見ることは意味があるという立場。たとえば、
後者はホワイトヘッド哲学に通じるか?あるいは、それは前者だったのか?
という問題ならば興味津々。


史料メモ#124ついて

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時16分21秒

田辺は新カント派の学の哲学の凋落、生の哲学の勃興を、ドイツワイマール共和国の危機の時代に重ね合わせている。
#124の「現象学に於ける新しき転向」はドイツ留学帰朝後の秋に出版されている(1924, 大正13年10月思想36号)。
留学は大正11年3月より大正13年1月(帰朝)。つまり、1921年春ころから1922年冬頃までドイツに居たこととなる。
この時期とは史上有名な第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレの時代。
http://de.wikipedia.org/wiki/Deutsche_Inflation_1914_bis_1923
http://en.wikipedia.org/wiki/Hyperinflation_in_the_Weimar_Republic
英語のWiki記事のグラフが視覚的だが、数字としてはドイツ語の記事の下の方にある表がわかりやすい。
いずれにしても、田辺滞在の1年間にマルクは、およそ10-100億倍のインフレを経験したことになる。
 田辺は、このヒトラーを生んだとも言われる過酷な経済状況を目の当たりにしている。ただし、田辺自身は英国ポンドで
支払いをすます戦勝国日本の帝国大学助教授である。この経験は田辺に何かを残したのだろうか?残こらなかぅたとしたら、
かなり鈍感ということになるが田辺はあまり実社会に実は拘ってないというか分かっていない可能性はある。
調べるとしたら日記か?留学中の日記はあまりなかったはずだが…それに田辺は、そういうことは日記にかかない人だ。
手紙はどうか?


史料メモ#124、現象学に於ける新しき転向 ハイデッガーの生の現象学

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時45分17秒

現象学に於ける新しき転向 ハイデッガーの生の現象学 田辺全集4巻
(1)p.19: 要約:現代ドイツ哲学に於いて現象学の占める位置の重要性とは、
それが「厳密なる学としての哲学」に発しながら、体験の構造を分析し、
直観の明証を真理の最後の拠所として、一般に生の全領域に対する展望を開くことにより、
所謂、「学の哲学」と「生の哲学」との両極を統一する希望を比較的多く有することにある。
一時代を風靡したカント派(新カント派のこと)の先験主義は、あまりに「生よりの隔たり」が大きく、
人々の心が離れた。その徹底したプラトン主義のZweiweltentheorie 二世界論は、
「痛ましき現実に面して悩み苦しむ当代の人間には余りに峻厳にして親しみにくい。
時代の傾向は生そのものの真相を具体的に理解し、その中から生ける力を掴み取らんとする方に向った。
今日流行の標語となって居る所謂『生の哲学』は実に此傾向の産物に外ならない」(原文どおり、漢字仮名遣いは別)。
*つまり、田辺はWWI後のドイツの文化・社会状況の変化による新カント派の凋落と、
Weberがたしなめたとされる学生達の「生・現実」への希求について語っている。この論文大正13年。
田辺は大正11年(1922)3月から大正13年(1924)1月(帰朝)までドイツに留学している。
この時期はぴったり世に有名なドイツ・ワイマール共和国のハイパーインフレの時代、
それも最も酷い時代に重なる。それを田辺は見ている。どれくらいのインフレだったかとというと、
この記事のグラフによるとhttp://en.wikipedia.org/wiki/Hyperinflation_in_the_Weimar_Republic
1922中ごろが100, 1923の終わりには、1,000^4、つまり、10,000,000,000倍、つまり、100億倍。
ドイツ語の方の表http://de.wikipedia.org/wiki/Deutsche_Inflation_1914_bis_1923 
でみると、31.Janur 1922 が1.000 として、15.November 1923が1.000.000.000.000なので、
10億倍。(ドイツ語と英語での記数法では、カンマとピリオドの使い方が逆になるので注意)。
まあ、10倍位は誤差の範囲。数日で10倍くらいになるのだろうから。
 これがワイマールの危機の時代。この時代のことを田辺は言っている。これを目の前に見た人と
そうでない人は世界に対する見方は違うだろう。ただし、田辺はポンドで払う戦勝国日本の帝国大学助教授である。
(2)同ページ。Rickert が、1920年にPhilosophie des Lebens で生哲学批判をしたのも
新カント派凋落の証明だった。
(3)pp.20-21 要約。フッサールの現象学は「学の哲学」から出て、かつ、
「生の哲学」と同じ傾向を目指している。それは、形式的アプリオリを求めず、直観体験に基づくという点で
生の哲学と同じである。しかし、それは生の哲学には欠ける原理的方法の自覚を持つ。ここに「学の哲学」から発し、
難解で一部からは現代のスコラ派とさえ言われるフッサールの思想が「意外な人気を集めて居る所以がある」。
たとえば、ディルタイがLogische Untersuchungen を評価したというのは偶然ではないだろう。
 本来哲学はその生誕を世界観の要求に負っている。世界観は、単に内容に対する形式、
現実に対する規範というようなリッカートのHeterothesisの一方の分枝のみで成立することの出来るものではない。
その様な徹底的な二元主義が本来世界観の要求に対してはそれ自身不満足なものである。
「寧ろ内容と形式との融合、現実と規範との相即といふことが何等らかの方法で世界観の根底と
ならなければならぬ。
」今、二元主義のプラトン、カントより、一元主義のアリストテレス、
ライプニッツ、ヘーゲルに行く傾向が強くなり新カント派が凋落しているのもこのためだ。
(4)pp.38: 要約。新カント派の共通性は、アプリオリな形式原理を求め、現実世界はその原理を
当為規範として実現する過程と理解することだ。
*極限の考え方。ヒルベルトの証明論、後期形式主義、そのもの。Weberの極限例は思考実験、
理論形成のためだから、これとはことなる。その意味ではWeberは新カント派とはいえない?
(5)pp.38-39:「而して世界観は何等か形而上学的統一原理によって完成するものであるとするならば、
学の哲学は本来その点に不満足あることを免れない。仮令斯かる形而上学的原理は学的認識の内容となる
能わず、直観体験の対象として論理の要求する如き厳密なる普遍妥当性を享有する能わずとするも、
尚「生の哲学」の立場から理解の対象となることが出きるであろう。」< 略>「況やこれが今日の現実生活の
状態に結びつくに及んで、『学の哲学』は到底『生の哲学』の敵でない所が現れる。現世紀の十年以後即ち
世界戦争の後に於いては、過度の不安に悩まされ、懐疑から絶望に傾きつつある欧州人にとって、
『学の哲学』の如きは幾ど閑事業に庶い(ほどんどかんじじょうにとおい)。論理の斎整、体系組織の完備よりも、
生ける事実の把握がその関心事である。」<中略>「併しながら『生の哲学』も単なる一時の思い付きや
機知の産物に止まり、何等かの原理によってその研究を指導し統一するといふことがないならば、
到底之を哲学といふことは出来ぬ。若し斯かるものを求めるのみならば哲学より寧ろ文学に趣くべきであろう。」
(6)pp.40-41. この難しい二者の対立を共に満たすことができるのが現象学だ。この様にして、
新カント派凋落の後、現象学がドイツで有力となっている。


Alois Riehl

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時00分25秒

風邪で寝込んでいたが少し回復したので活動再開。まだ、咽喉、頭(痛)、鼻、
筋肉がだめだが熱は少し下がってきた。今は36.7位(ただ、平熱が36.2-3度だからまだ熱はある)。

寝ている間に、M.Friedman, A.Nordmann eds. The Kantian Legacy in
Nineteenth-Century Science が届いたので、少し見る。物凄く面白い。Friedman とGrayの関係がわかった。
Friedmanが源流。この本、藤田さんの講義を聴いて買ったもの。Google books で 
critical realism Riehl でsearchするとtopにでる。

A. Nordmann:
(1)p.249 This is how at least some of the neo-Kantian conceived of their project,
and this is how the story is told by Herbert Schnaedelbach (1983) and Klaus Christian Koehnke (1991).
(2)p.249 Riehl, Cohen の思想を critical idealism, critical realism と呼ぶ。
(3) Cohen への言及多し。
M.Heidelberger
(1) The recent efforts to identify and analyze the neo-Kantian roots of logical positivism
have primarily concentrated on the impact of the Marburg School on Carnap and Schlick.
これは、M. Friedman の開いた道。それが effortsであること。この論文集自体がその方向らしい。
そして、全体は、主に哲学者により主導されているが、J.Gray, Jesper Luetzen の寄稿がある。2006年出版だから、
Gray の Marburgへの言及はこれがもとと見たほうがよい。これでFriedman, Gray が繋がった。辺境にいるものは
回り道をしないといけないので辛い。しかし、これで自然な道を歩んでいたことがようやくわかった。
(2) この論文 Riehl の説明が詳しい。かなり重要な位置づけ。自然科学者が受け入れやすい哲学。その中に
日本の哲学への影響の説明がある。p.230 Through the Japanese philosopher Kunaki Genyoku (桑木厳翼),
who studied with Riehl in 1907-1908, Riehl gained some renown in Japan (see Guelberg 2003).
Riehl はニーチェ哲学について最初のモノグラフを書いた人。(pp.229-230) 桑木もニーチェについての本がある。
(リール、チーグラー、ドルソンの著書をもとニーチェを解説した本。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/757989/5)
(3) p.229 Riehl がその主著で、mind-body problem, problem of external world などについて扱う。
(4) Herbartian p.228.
(5) p..2u This modernizing of Riehl’s program in the hands of Schlick… 著者はSchlickは
哲学的には何も追加する必要がなかったほどRiehl1879に依拠したとしている。
(6) p.228 It even seems that Riehl’s Kantian doctrines are much closer to logical positivism
than to most of the views of his neo-Kantian fellows.


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