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2011年2月12日(土曜日)

久野収の証言

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時53分21秒

どこかで見たと思っていた種の論理の成立についての証言。家永の「田辺元の思想史研究」、pp.37-38 にあった。家永が久野収に取材して得た証言だった。

私の老母の家が鎌倉にあって、田辺さんのお父さんの家のすぐ近くで、田辺さんは鎌倉へ帰ってくると、
まだ軽井沢の家のできる前のことだが、よく僕を呼んでいろいろプライヴェートな話をする。よろいかぶと
をかぶった人で、プラヴェートな話をする人がいないので僕にする。そういう関係だったから、(中略)
昭和9年だったと思うが、「社会存在の論理」の構想がその年の夏にできる。鎌倉の家にいると、僕に
ちょっと来てくれと使が来た。行ったら、僕を目の前にして二時間くらい「社会存在の論理」となって
発表される論理を講義して、批判してくれ、と言うのである。田辺さんの社会存在の論理をはじめて
聞いたのは僕なのだ。一方に西田哲学を批判し、他方にマルクス主義、僕はマルクス主義ではないが、
僕らを含めた広い意味での集団主義を批判し、また他方ファシズムを批判する。この三者を批判する
立場を獲得した。その時の田辺さんの顔は非常に晴れやかであった。それまでは、僕は昭和六年に
入学するが、九年までそれに辿り着くまでの田辺さんは、非常に苦渋にみちたものであった。『ヘーゲル
哲学と弁証法』のところでは、日本のインテリがこの現実の中に何処へコミットすべきかはまだ見通しが
無く、哲学の理論でも観念論に行くべきか唯物論に行くべきか、たいへん悩まれた。まじめな人だから。
一方に三木清・戸坂潤・林達夫らが左旋回して行く、一方に田辺さんのまわりの人々が右旋回して行く。
そういう中でインテリが階級闘争の中でどういう役割を果たすべきか、観念論か唯物論か、とにかく
社会存在の論理でそれを全部見通せる。類個種の論理と世界図式、社会存在の論理を僕に
話された時の田辺さんはほっとされた。多年の疑問を氷解して開放されたという気持ちだったのだろう。

ついでに、少し書く。

家永はpp.45-46で、西田・田辺の思想を、高坂、高山、和辻の思想と区別し、
「この両者の哲学が、高坂・高山・和辻らのそれと決定的に異なる論理を内包し、抵抗の思想として
紹介できないにしても、さりとて単純に便乗の哲学として紹介するのも適切と考えられない、
アンビヴァランスを有したからにほかならない」と書いている。田辺の戦争責任を問うことを
考えると、その矛先は、まず昭和初年の時代の再現であるかのような現代の日本を生きる自分に
突きつけられる。


2011年2月1日(火曜日)

西田・田辺とブラウワー

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時31分31秒

上智で講演したときに、出席者に、西田が自分の行為的直観とブラウワーの直観を比較していると聞いた。今朝、google って見つけたのが、野家啓一さんのそれに関連する科研費研究の報告書を見つける:
http://docs.google.com/viewer?url=http://ir.library.tohoku.ac.jp/re/bitstream/10097/41194/1/kaken-10610003.pdf&pli=1

論文にはなってないらしいので、どれだけ真剣な文章家はわからないが、「対する態度に比べれば、きわめて好意的に解釈している。さらに彼は、ブラウア-が自然数を数学的思考の根底に据えていることを念頭に置きながら、」という一節がある。同様の誤解は他の哲学者の書いたものにも見受けられる。西田は1940年代に「直観主義と形式主義」を元に議論していたらしいから、西田自身が十分な理解に達していないのかもしれない。それに比較すると田辺のブラウワー直観主義理解は本格的だ。

伊藤さんと世間話をしていたとき、田辺の初期の著書は当時の科学史としては優れていると言っていたが、これは僕も同感。伊藤さんは物理に就いて言っているらしいが、数学に就いて同じことが言える。しかし、種の論理の頃からは変わり行く数学を無視して、自分の思う数学の世界に入ってしまい、同時に引用するものもせいぜいが1930年代くらいの所で止まってしまう。つまり、実際の数学からみたら老哲学者の戯言になる。

種の論理以後を田辺哲学の時代というとしたら、田辺哲学の時代とは、まさに「数学の近代」の最終局面、つまり、公理的集合論により、西洋数学と言う巨大な知の体系の標準化の最終局面が実現される時代にあたる。そういう意味で、田辺は、「数学の近代」を逆の方向から照らし出している人物ともいえる。これは西田も同様だろうが、田辺の存在の方が遥かに大きい。


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