書き順で解読とは!
今日も「田辺元を読む」が順調に進む。みんな非常によく読めるので驚く。特に、江戸期、明治期の手書き文書を自分の研究で読んでいる清水、小林の両君は凄い。書き順も使って読むのだそう。これはドイツ語史料を主に相手にしていた僕には想像もしなかったテクニック。まあ、それに類することがないことはないが、cursive なドイツ語手書きには書き順というほどのものはない。もともと僕の日本語の書き順はでたらめだし… 勉強せねば。
講義(実態は演習)中に、まさか、後世の人間が、こうして読むとは田辺も思わなかっただろう、という声があがる。これは、日記とか、メモとか読んでいるときに、急に襲われることがある奇妙で面白い感覚のひとつ。もし、自分の書いたものが、同じように読まれたらと思うと、全部焼こうかな、などと思ったりするが、田辺やヒルベルトのように有名にならない限り、その心配は少ない。嫌ならば、有名にならないように努力すればよい。有名になる努力をするのは難しいが、有名にならないようにするのは易しい 古い史料の読みに没頭しているときに襲われる別の感覚としては、一瞬、今の時や自分自身が過去の時や人物と直接結びついたような気分になるというのがある。史料や歴史が好きな人なら、この感覚や、その醍醐味が判るだろうが、そうでない人には単に変な話だろう。