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2010年9月26日(日曜日)

新学期

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時24分54秒

明日から新学期の講義開始。京大文学部でも15週の講義確保とかで後期開始以前に後期授業が始まる。これを額面どおりにやると、現在の行事が増え、祭日が増えた大学のアカデミック・カレンダーには非常な無理が生じる。根本を変えることができず、小手先の変化しかしない社会の矛盾がここにもでている。こんな社会が後どれだけ持つだろうか…

先週は Google 名誉会長の村上さんに集中講義をしていただいた。村上節に学生たちは圧倒されたか、予想以上におとなしくてガッカリ。もっと議論をして欲しかったのだが、まともに村上さんに反論できない。どうも、低学年の学生が多かったようだ。村上さんと日本社会の現状を嘆くことしきり。村上さんは、日本は opt-in 社会(「余計なことはなにもするな」の社会)、アメリカは opt-out 社会(「とりあえず何でもやれ」の社会)と説明していたが、学生達は、これにも反応しない。若い日本人まで opt-in に固まっているような….

Google Books や YouTube に拘わる、色々な逸話を聞けたが、一番、驚いたのが、委員会だか何かで、小説家のような文筆で生きている人たち、それも著名な人たち(ただし、みな僕より年長、つまり、年寄りばかり)が「そもそも図書館があるから我々の本が売れないのだ」と、Google Books どころか国会図書館さえ攻撃し始めたという話。現代日本では団塊の世代を中心とする年寄りが、もっとも selfish で、public というものを全く考えない。後藤田の予言があたったということ。村上さん自身が団塊なのだが、他の人と全然違う。こういう団塊世代が多ければ現在の日本の状況は無かったのではないかと思うことしきり。

明日、月曜日は日経編集委員の松岡さんの講演会。これも日本社会の根幹に拘わる話。こういうことが、いずれも「情報」に拘わっている。


2010年9月6日(月曜日)

札幌で考えた事2:越境の仕方

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時29分28秒

一つ前の投稿で書いたように哲学と歴史は随分と違う。僕は今は歴史家モードだし、基本的に歴史が好きだ。しかし、本当に見たいことは、現在の厳密な歴史学の域は超えている。だから、歴史社会学と称している。僕は日ごろ、postmodern 思潮を批判しているが、この部分では、実は postmodern 思潮に極めて問題意識が近い。それは以前から判っていたが、何かが決定的に違うとも思っていた。しかしどう違うかうまく表現できないでいたが、札幌で哲学と歴史の違いなど考えつつ、漸く言葉にできるようになった。

中沢新一さんの著書について書くために、仲正昌樹さんという金沢大学の哲学者のポストモダンの総括「集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス) 」という本を読んでいたのだが、その中に「中沢は、既存専門分野の枠をわざと外す様な形の仕事をした。その手本として ethnomethodology 系のアメリカの研究者があぅた」という意味の記述があった。僕も若いころは、既存学問のメインストリームが嫌で、それに反旗を翻すかのような alternative な構成的数学とか直観主義数学とかに惹かれたのだが、それを研究してみてわかった事は、結局、ブラウワーのような思想は一種の「オイデイプス・コンプレックス」に過ぎないということ。「強度」があるのは、明らかにヒルベルトのような「プロイセンの家長」的もので、ブラウワー的なものも、すでにその中に包含されている。確かに、ブラウワーが付け加えた重要な認識はあり、それを無視したヒルベルトは、ワイルが指摘したように、その点で非難されるべきだが、ブラウワーの「勘違い」や「思い上がり」を考慮に入れれば、ヒルベルトに軍配を揚げたくなる。

僕の「種の論理」研究と、中沢さんの「フィロソフィア・ヤポニカ」は実は限りなく近いのだが、その違いは何か?何を「多様体哲学」論文で批判すべきか?

それは、方法論の部分。僕は自分にも、学生にも、ストイックすぎても、既存分野の中で意味がある仕事のみをするように。と、厳命している。これが学生には強すぎるプレッシャーになる場合もあるようだが、妥協はできない。では、なぜ、そうまでして妥協しないかというと、それが「糸の切れた凧」になることを避けるためのおそらく最善の技術・戦略だからだ。何も知らない人からみたら「保守主義」に見えるのだが、実は、postmodern 論者などより遥かに飛んでおり、その弊害を避けるために、わざわざ自ら、自分に碇をくくりつけているのである。それが、「既存分野で意味がある仕事しかするな」ということの意味。本当に力がある仕事ならば、古い分野の手法を使っても表現できる。もちろん、本当に崩れ去った古い分野では、さすがに無理なのだが、そういう酷いのは滅多に無いように思う。また、たとえあったとしても、救い難い「専門分野」を、文系の教育を受けたことがなく、いかなる分野にも真の紐帯を幸いにも持たない僕としては、簡単に切って捨てることができる。そこまで酷いのには、京大文では、まだお目にかかったことがないし。

おそらく中沢さんなどのポストモダンの人は、父としての専門分野に縛られている。それを否定せざるを得ないという意味で、実は縛られている。文系の正統の教育さえ受けたことが無い、素人中の素人の僕などは、そのしがらみが一切ないから反発もしない。中戸川さんから、博士論文の主査だった澤口さんの話を嫌と言うほど聞かされた。僕が知る人の内、最もこだわりがない人の一人である彼でさえ、そうなのである。ところが、僕には「無知」という強力な武器があり、そういうことから一切自由だ(なんせ、田辺元の公理主義という訳語を調べるまでは、田辺元と中村元を同一人物と混同していたほどの人文オンチ!(^^;))。そして、そういう無知な人間の目には、postmodern とかブラウワーとかは、実は極端なオイディプス・コンプレックスに陥り、「父を意識しすぎた人たち」に見えるのである。

僕は無知である故に、既存分野を方法として勝手に使うことができる。どの分野でも、使えさえすれば勝手に使う。そういう場合、その分野を利用するには、その分野のプロトコルに忠実である方が良い。それで、その分野から庇護を受けて、その力を使える。あまりに自由な思考は根無し草であり、実は何も見えなくなる。「ものが見える」というのは、実は「思考枠」を自分が既に持っており、それに制約されるということを常に伴うからだ。そういう意味での解釈というバイアスは絶対に避けることができないのである。それを理解しないで、一切から自由になろうなどとすると、自由どころか「自由であるべきだ」という脅迫観念に縛られて自由を無したり、凧の糸がきれて錐もみ状態になる。しかし、それは大変に危険なことだ。だから、「糸の切れた凧」にならないように、既存分野のプロトコルに意識的に忠実になる。それは「糸」に過ぎないから、邪魔だと思ったらいつでも切って、他の糸に結びなおせる。僕はその様にアカデミックな専門領域に戦略的に拘っている。しかし、それは実は全く信じてはいない。道具として使っているだけだから。

このように考えれば、何故、僕より飛んでいるはずの中沢さんが、実は、遥かに僕より人文学の伝統に「反発」という関係で縛り付けられているかが理解できる。おそらく、「多様体の論理」「多様体論理」批判論文の後者の部分は、この問題を論じればよいのだろう。


2010年9月5日(日曜日)

札幌で考えた事1:哲学、哲学史、思想史、思想の歴史学・文献学

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時15分12秒

種の論理研究の結論の帰結として、沢口の「多様体の哲学」、それを発展させた中沢の「多様体哲学」の批判をすることになったので、北大の中戸川さんを訪問していろいろと教えてもらった。彼と議論すると脱線することが多いのだが、その脱線の中に次の研究のヒントがあったりする。根に持つことが全くない人で、何でも率直に本音で言ってくれるし、こちらも言えるので議論が実にやりやすい。それが良いのだろう。それに哲学の知識はちゃんとバークレーの哲学で教育を受けた人なので、素人の僕などとは全く違うので、いつも何か教えてもらえるので大変にありがたい。また、「思想的」傾向がかなり近くかつ微妙にずれている所も良いらしい。

で、その議論から考えたことを二つ記録。まずは、「歴史と哲学」の違いから。

僕の「日本哲学史研究」の論文『「数理哲学」としての種の論理』で、ちょっと自分で不満というか、これは文献学的歴史学を標榜するものとしては、怠慢だな、不備だな、と思いつつも、「エイッ!ヤッ!」と気合いを入れて、思いきって、清水の舞台から飛び降りるつもりで、 speculation で書いたのが、「田辺がブラウワー選択列から(後期の)デーデキント切断に移行する」ということの理由と、その仕組み。

これを『田辺は前期はデーデキント切断を同一論理的に理解していたが、「数学と哲学の関係」ころから、前期の意味でのデーデキント切断にさえ、プラトンのフィレボスの「不定の二」「大小」などとの形態的アナロジーから、弁証法的意味を見出した。しかし、ブラウワー理論の非弁証法的性格の意味の理解が深化するに従い、それが田辺の思う完全な絶対弁証法ではないことに気が付く。そして、その結果、既存数学理論を種の論理のモデルとするのではなく、逆に数学的存在であるはずのデーデキント切断を同一論理から引き剥がす。つまり、数学的デーデキント切断が、プラトンのそれのような「哲学的な切断」、「弁証法的な切断」に置き換えられてしまう。これはあたかも、H. Cohen が infinitesimal を数学の「それ」から、Transzendentale Logik の「それ」に置き換えてしまうことに対応する』と書いた。(補足1参照)

この論文は英米系の数理哲学をやっている中戸川さんや出口さんには大変評判が良くて、僕自身が驚くほどの好意的な評価を頂いたが、藤田先生の反応はいまいちという所。ただ、この部分は藤田さんも面白い、と言ってくれた。で、その事はまだ中戸川さんに何も言ってない時に、彼が、「この部分が特に面白い」と言う意味のことを言ったので驚き、なるほど、これが歴史と哲学の差なのだな、また、哲学は、やはり、M. Friedman が言う、Parting of Ways の後でも、ヘーゲル系・日本哲学の藤田さんでも、英米系数理哲学の中戸川さんでも、同じ興味や価値基準を持っているのだなと、感じ入った。自分でも、その展開のところは面白いとは思うのだが、それは、実は歴史学者が見たら「ここが弱い!サボっている!」という筈の箇所なのである。

「サボっている」ということの意味は、

  1. 「田辺の資料が、もし研究し尽くされていて、もう新しい資料も出てきそうにないという状況で、 それでも、新しい方向を探るために、「転換」の意味を、林のようにspeculate するのならば良い。それにより、全く、新しい方向からの研究が可能になる可能性もあるし、別の研究が進むことも或る。そして、その結果も動員して、この speculation の妥当性を検証/refutation していけばよい。 
  2. ところが、現在の状況はそうではない。特に、この当時の、講義録、手帳(日記)、蔵書書き込み が解読されないままに大量に残されている。これを精査してないで、一期に結論に飛んでしまうのは 何事か!

ということ。

特に2の批判(自己批判)は重い。しかし、この2が資料の大量さと、その難読さが並大抵ではないので(ヒルベルト史料よりさらに読めない!日本語なのに…まあ、史料とはそういうものです。だから、歴史家が必要なのです)、これができるまで結論を引き延ばしたのでは、その結論がかなり自明と見えるだけに、「勇気がなさすぎる」といえる。またこういう難読の史料で実証する場合は、「端から全部読んでから」というのは、もともと無理だから、方向性を出すという意味でも、こういう仮説が重要となる。そういう史料は、欠損や意味不明箇所が多いので、特定の立場・解釈を持って(ただし、固定はせずに)、方向性・指向性をもって、解釈学的に読むのではないと読めないのである。そういう意味で、1を早めに始めるしかない。

で、田辺史料の場合、SMART-GS用の処理も進めているので、急速に読めるようになる可能性がある。それがあるのに、1をやってしまったところに、少し後ろめたさもある。ところが、多分、これを講義中演習でもやるので、聴講者のためを考えると、方向性というか「地図」を提示して置く方が良い。ただし、これは間違えている可能性も高い地図だ、それが正しいことを検証し、間違えているときは、どこが間違えているかを訂正する、その二つを目的とする地図なのである。

そして、もう一つは、「日本哲学史研究」の原稿締め切り時期ということも大きい。次の号までは待てない。というような現実的要素もあるので、いつもの僕の「完璧主義」からいうと、「公開する際の研究の完成度のレベルが下げてあるなー」という印象が、心の底であった。まさに、その箇所を哲学者のお二人が評価してくれたので驚いたわけである。

このことから、藤田さんに思想史関係の修士論文の副査をお願いした際に、「おもしろくない」と言われたことがあったのが漸く腑に落ちた。その学生は、割と speculation が強い研究をやっていて、僕としては、史料分析が足りたいように思い、いまいち、不満だったのだが、修士論文では、それこそ重箱の隅をつつくような緻密な議論をやって面白い結論をだしていた。で、僕としては、「彼も漸く一人前の歴史家になってくれたか!」と嬉しかったわけで、相当高評価だったのだが、これは上記の様な意味からすると、歴史家のマインドであり、哲学者には面白くないわけだ。議論中に、これに気がついたので、中戸川さんにどう思うか聞いたら、藤田先生と同じマインドとのこと。そういう哲学的議論に比べたらという意味だろうが、僕のやるべきと思っている日記の研究とかは、あまり興味を持てないとまで言っていた。

なるほどーーー!!!、という感じ。このことを、SMART-GS関連の相談の際に、現代史の永井さんに話したら、こちらは、全く僕と同じマインドだった。哲学者が哲学者を知るように、歴史家は歴史家を知る。結論として、歴史家と哲学史をやっている哲学者は、手法や目的も実はかなり違うようだ。

多分、哲学史というのは、実は歴史ではなくて、過去を向いた哲学であり、

←より speculation 重視             より 分析的、文献学的 →
史料分析重視→哲学—-哲学史—-思想史—哲学者や思想家についての歴史研究

という風になっているのだろう。僕の場合は、default で目指すのは、右端。できなければ、だんだん左に近づくが、哲学史まではやるつもりはない、という所だろう。つまり、僕の論で哲学の人が面白いという言ってくれる部分は、僕が「歴史社会学ですから」と言って「逃げる」部分と近く、それが対象が、偶々、哲学である場合は、大変に「哲学史」に近くなる、ということらしい。ただし、僕は哲学はやる気はないので、そこら辺にまで左移動すると、引き返し始める。(補足2参照)

ただし、実質、哲学的思考を「寸止めしながら方法論として使っている」と意味のことを中戸川さんに指摘された。これはある程度正しい。実際、次のようなシナリオは、頭の中で考えていた:田辺は最初、弁証法的なものをブラウワーの自由選択列の理論に見た。これは現代的には Baire space (離散位相空間 N の可算個の積空間)上の topological semantics である。しかし、これには、実は弁証法的な interaction の要素はない。あるのは不確定性だけ。また、backtrack さえない。(これを田辺は最初、あると誤解したらしい。)そこで、backtrack を入れるようにするには、僕のLimit Computable Mahtematics の意味論を使えば良い。これは、新カント派、Natorp の Grenz や、Cohen の微分にも相通じる。つまり、田辺が位相空間、澤口が多様体と言ったものを、topological semantics に置き換える。しかし、真正の top. sem. では足りないから、Grothendieck topology か、適当な topos などを作り、要するに LCM 上の圏論model を作る。これは赤間さんの仕事からして多分できる。しかし、田辺の絶対弁証法、絶対媒介の一番の真意の部分はこれでも足りず、おそらく、そこでは古典論理まで成り立つ必要がある。このレベルに行ってようやく、新カント派やハイデガーのような「主体、個体としての実存の呪縛」からのがれ、ある種、宗教的でもある「世界への信頼」、つまり、形而上学を取り戻せる。それが田辺の「図式「時間」から図式「世界」へ」の世界であり、絶対弁証法、種の論理の、「世界」、「絶対弁証法における世界、物の承認」にあたる。そして、そのためには、T. Coquand の game semantics のようなものを “base space” とする、圏モデルを作ればよい。これは困難だろうが、多分できる。結果として、出来上がるものは、澤口(中沢)の多様体を、層モデルに置き換えものになる。層のセクションやストークが、中沢が描いた図の葉相構造に対応するのだが、層は、それらより遥かに複雑。ましてや、それは通常のトポロジーより遥かに複雑でゲームという意味で弁証法的で動的なものの上に作られている。つまりは、この構造は、伝統的多様体をスキーム的なものに置き換えたもので、澤口たちとの大きな違いは、「近傍系」にあたるものに「渦流の中心」が微視的に入ること。その部分は、中沢や澤口がいうような集合論で記述できる力学系で描けるような「決定的」なものではない。

というわけだが、多分、これができても田辺は承認しない。こういう風に、construct するのは、ブラウワーの理論を「真実の連続体、ブラウワーの連続の直観を数学理論である故に、仕方なく同一論理的な公理にまとめたもの」として、田辺は理解していた(田辺が「公理」と書いた部分ほ意味が分からないが、多分、ヒルベルトの初期公理論のイメージなのだろう)。そういう人からみたら、こういうモデルは、西田哲学批判に使った「積分」そのものになるからである。

ただ、田辺は、同時に、一般相対論、量子力学、位相空間、を、同一論理的な近代科学の中に、彼の見る絶対弁証法の世界が reflect されていると考えた。そういう意味では、位相意味論や topos、フラクタル、カオスなどを知ったら、同様の評価をしたはずだ。ただし、それは彼が言う「世界」そのものでは決してないのだけれど。

中戸川さんは英米系のバックグラウンドを持つ人らしく、戦略的に、そういうモデルを作ることを自分の研究と自己規定しているらしい。そういうモデルを作ることにより、モデルでかたりえないものを知らせるという戦略だろう。出口さんも、以前、同じようなことを言っていた。

しかし、僕は「大陸系」らしく、そういう「影」のようなものを語る気になれない。正確に言えば、僕も、昔は英米系だったのだが、工学レベルまで応用に近づいた際に、それを捨てた。パラドキシカルだが、「本質」をかたらないのはプラグマティックでない、と考えるようになったからだ。おそらく、本当に現場の人に働きかけるのならば、そういうモデルを作るよりは、ゴールドラットの「ゴール」のような小説仕立ての方がよほど良い。ただし、そういう小説を書く人のためにモデルが役立つ可能性がある。ということで、色々な人が色々なアプローチをすれは良いのだろう。僕は、やはり現代の哲学からは遠い人間らしい。では、今何をやっているかというと、哲学の歴史についての文献学的歴史学をやっているということになるのだろう。そして、これも突き詰めれば、目的ではなく、近代性理解という目的のための手段として、やっているのだけれど。

補足1:Cohen の時代は、哲学か同一論理かも完全には不分明であったものが、数学の算術化の普及により、それが急速に同一論理に標準化されていく時代。だから、極く正確にいえば、Cohen は「置き換えた」のではなくて、二つの方向が入り混じっていたものの中から「古い方向」「時代と反対の方向」を選び出した、と言える。だから、新しいメインストリームになる方向のラッセルから、けちょんけちょんに批判されることになった。田辺の場合は、この革命がすでに実質完成した時代なので、「置き換えた」というべき。特に同一論理化を促進した Dedekind の理論を使っているのだから「置き換えた」「すり替えた」としか言えない。
補足2:以前、このブログで書いた、梅原猛さんの「法隆寺」などは、実は哲学であり、歴史ではないわけだ。しかし、こういう歴史家や考古学の分野を哲学でやってしまうのはやめて欲しいと思う。 紛らわしいので哲学の素人は混乱する。せめて、もう少し「哲学だ」と断るべきだろう。まあ、少しそれに類することは書いてあった。しかし、歴史と哲学の差が、梅原さんには、ちゃんとは認識できてなかったのだろう。


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