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2010年5月29日(土曜日)

http://www.twiddla.com/

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時42分12秒

http://www.twiddla.com/ WEB上ホワイトボード史料画像を貼り付けて,任意の場所に記しをつけつつ,共同翻刻も可能.ただし,原理的には.実際は無理.

このような機能を SMART-GS につける.それで史料を共有して,それに書き込みをしながらの遠隔講義ができるようになる.翻刻も共有(このツールでは無理?).

SMART-GSにあって,これにはない機能はWEB化の機能.こちらの方が難しい?タグ,リンクなども共有することに注意.これらにすべて,ユーザーと作成時間(サーバー時間)のマークアップをつける.それがIDとなる.


2010年5月27日(木曜日)

西田文庫「論理と生命」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時59分08秒

文学部の西田幾多郎文庫ファイル16「論理と生命」の原稿.328頁中,327頁. 「私は論理を媒介とする反省的論理の立場から,弁証法的論理へ行こうというのは不可能と思う」という,岩波文庫版では300頁にあたる,この論文の最後の部分に,原稿では「要するにはマールブルグ学派の如き立場を推し進めたものに過ぎない」とある.(2010.06.07, この削除は「思想版」から単行本版への変化の際に起きている.) 文庫版では287頁から300頁は種の論理批判.(see. 416頁の上田の解説.) また,原稿では最初タイトルが「論理について」になって,おり,それを修正して「論理と生命」にしている.


2010年5月26日(水曜日)

「読む」ということ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時15分10秒

火曜日は佐藤さん,相原さんが来訪.共同研究の相談.永井先生の SMART-GS を使った倉冨倉富勇三郎日記の演習の見学.まだ慣れない院生の人らしく,読めない文字がかなりあった.おそらくサーチ可能手書き辞書機能を使えば読めるようになる可能性が高そうだった.もちろん共有辞書が必要だが,この演習だったすぐにできるだろう.

月曜日は,「訓点資料の構造化記述」研究発表会に誘われて参加.予想より遥かに少人数.初めて見る学問なので,何をやっているのか観察していると,こちらは3時間近い研究会中「この文字はなんと読むか」という議論が一度もなかった.写経などが対象のため,「文字は読める」という前提が成り立つようだ.一方で,訓点は,多くのシステムがあるので(つぼ,と聞こえた),「訓点を読む」ということをやっていた.文字からの離れ具合で,意味が変わる場合もあり,ある○印が,2以上ある「点」のどれをあらわすかを議論していた.

両者は非常に良いコントラスト.近代現代の史料は,主に倉富のケースのようになることを説明したが,理解してもらえたかどうかは疑問だった.現物を見せればよかったのだが,史料画像が入ったSSDを家に置き忘れた. (^^;)


2010年5月23日(日曜日)

群馬大調査メモ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時32分26秒

Hartmann: Grundzuege der Metaphysik der Erkenntnis の書き込みは量は多い.大部をかなり徹底的に読んでいる.田辺としては珍しい方だろうか?
しかし,特に特定のものに触発されたということはなさそう.どちらかというと,×コメント, falsch! コメントが多い.田辺にすれば遅くとも種の論理
のころには Hartmann など超えているという意識があったか?下村は,12巻の解説で,「しかし,新カント派ではこの科学批判・認識論に哲学の課題を制限し,又をそれを特色とするものだったが,先生の場合は,最初から,その制限を越えて形而上学に到らんとするものであった」(pp.403-404)と書いている.新カント派の社会主義,特にコーエンの道徳論や Jewish study を考えれば,前半の議論は半分ほどは「不十分な間違い」といえるが,後半の視点は,このことの傍証に使えるか?

Hartmann の本の現物と目録の対応があまり良くない.他にも間違いは多いかもしれない.一応,全部見ていくべきだろう.

日本語の書き込みに面白いものがある.高坂の「西田哲学・田辺哲学」の自分の「」への言及に,
「宗教ならぬ宗教」という意味の書き込みを繰り返す.


火曜日用メモ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時44分13秒

Google Wave: http://wave.google.com/about.html
Google Etherpad: http://etherpad.com/
Google Docs: http://googledocs.blogspot.com/2010/04/rebuilt-more-real-time-google-documents.html
Evernote: http://dekiru.impress.co.jp/contents/036/03633.htm

こういう風に SMART-GS の資料を共同編集したい.

テキストに線を引く.ハイライトする.その意味を
喋りながら録音して,その「強調」の属性にする:
Livescribe: http://nobi.com/jp/Gadgets/entry-1146.html
http://blog.dataich.com/lang/jp/2010/01/20/livescribe-pulse-smartpen/
http://www.livescribe.com/
http://www.livescribe.com/smartpen/techspecs.html

これにさらに自分が見ている書籍のページのイメージまで記録できれば
紙文書を読むのが大変に楽になる.問題は紙上でそれをやるか,
あるいは紙を一旦電子画像にしておいてやるか.これがUIのハードの
問題で,今はどちらがよいともいえない.後,5年くらいで先行きが
決まるか?あるいは,e-paper が出てくるまで決着は無理か?

まだ液晶などのパッドは紙の代用にするには性能が低すぎる.
小説を読むだけ,ビジネス how to本を読むだけならば,
Kindle などの今のハードでも十分だろうが,僕がやる「読み」
の作業,おそらく他の学者の多くにとっては,その性能では足りない.

SMART-GS の画像サーチを見せると,丁度,LiveScribe などで
やるような画像の中の文字認識の方が良いという人がいるが,
文献研究と情報技術-史学・古典学の現場から-.人工知能学会誌,
特集「歴史情報学」, 2010, Vol.25, No.1, pp.24-31で
書いたが,「読む」という作業が素人さんと我々玄人ではまったく
違う.その違いは量というより質の差異にまで達しており,
丁度,カントの transcendental の議論と同じ仕組みで,
『学者にとっての「読み」の作業が,これらの技術に完全に
代替されるのは分析的に不可能』とさえほぼ論証できる.
#ただし,たとえば田辺元全集とか,帝国議会の速記録とか,
#こういう「誰でも読める」ものは,どんどんOCRで読めるように
#なって欲しい.

しかし,そういう印刷物の場合も,田辺元哲学のような,長期に
変化が激しいものを分析する場合には,まだ紙の方が媒体として
総合的性能が優れている.例えば僕は史料を生成的(genetic)に
研究するときは,史料を何枚も時系列で並べて作業を行う.そのために,
わざわざ横が2メートル近い横長のテーブル(作業台)を見つけて2つ買った.
これの上に10枚くらいのA3用紙に
焼かれたマイクロフィル画像を並べて,車輪付きの椅子で移動しながら,
あるいは歩きながら,書き込みをしつつ考える.もちろん,PC,辞書,
本なども同時に使う.この様な環境で SMART-GS を使いたい.
壁やテーブルがUIとなる仕組みを米国で作っていたが,ああいうものができれば
可能となる.それに近いものは,もうかなり市販されているから,
実用には,凄く早ければ,後10年くらいか?

新SMART-GS の共同編集機能は,これを見据えた設計にする必要がある.
もう一つのポイントは,Cloud computing か?これが普通になれば,
gs-file と,その共有が WebDAV というのは何の意味もなくなる.
しかし,これは今でも技術的要素としては小さいか?すべての情報が
雲の彼方の仮想空間に置かれても,他人との情報共有,協働編集という
部分の technological な仕組みは殆ど変わりなさそうか???
そういう意味では,とりあえず WebDAV で古く臭く作っておいて,
後で環境がパラダイム・シフトを起こしたときに「水平移動」すれば
よいだけか?

Google の Wave などが,ほとんど open source というのは
ありがたい.これを活用すべきだろう.


2010年5月16日(日曜日)

清朝化

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時40分10秒

日本のガラパゴス化という言葉が流行っている.ガラパゴス化ならば良い.孤立して幸せに暮らすのは楽しい.でも,現在の日本と比べるべきは,ガラパゴスの動物たちではなく,アヘン戦争の頃の清朝だろう.日本と中国の位置が逆転しようとしているときに,中国は百年間苦しんだことが気になって仕方が無い.豊かさと成功体験からくる無為と驕りに対抗できるのは一人一人の生き方しかない….


西田・田辺デジタルアーカイブ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時18分16秒

月曜日からまた田辺元文庫調査で群馬大図書館.今回は学期途中なので5時限目の演習後に出発して夜中近くに到着,1日調査して夜中近くに帰京という強行軍.明日は大学に行って,そのための準備.LEDパネルを史料撮影の光源にする試みをやってみる予定だがうまくいくかどうか.もって行くのは,LEDパネル2枚,三脚,史料押さえアクリル板,静電気discharge シート,カメラ,電池チェック,カメラ用ACアダプタ,タップ(PC,カメラ,光源2−3,だから4−5!),レフ板,撮影台,おっと背景用ビニールシートをまだ作っていない!,PCはカメラ制御のソフトと使用法マニュアルをチェック&ACアダプタ,そのためUSBケーブル,梱包テープ,セロテープ,手拭(大きいのをダイコクで買う!),ゴミ用袋,PostItメモ(タイトル用),USBハブなど一式.史料を借りることができた場合の袋も,科研費の資料も印刷して! イソイソ….

西田・田辺哲学のテキスト生成研究を行う科研費挑戦的萌芽が採択されたので,その一環.N. Hartmann の Metaphysik der Erkenntnis などにどんな書き込みがあるかの調査,資料貸借の相談,Ontologie von Dr. Heidegger と手帳の残りのカラー撮影.

この科研費は種の論理と善の研究のテキストというか思想が如何に生まれたかを跡付ける手稿を電子化して,SMART-GS でアーカイブ化して解析するというもの.分野は哲学.額はかなり減額されたが僕にとっては最初の文系の科研費なので,久しぶりに凄くうれしい科研費採択.藤田先生,出口さんが分担者なのと,SMART-GS を使うというのが効いたのだろうが.特に田辺は講義下書きメモを SMART-GS の崩し字辞典機能をつかって読めるようにしたい.これができると種の論理の成立の過程が相当に見えてくるはず.かつ,これができると,哲学と歴史の間にある史料への態度の差を,少しは解消できるのではないかという気持ちも大きい.小林道夫先生などは,歴史史料の読み込みに歴史家から見ても迫力があるが,こういう哲学者は少ないらしい.哲学の人が書いたものを見ると,エッそこまでしか読まないの..?!,と言いたくなることが結構ある.まあ,好みの差もあるでしょうね.僕とか,和算史の佐藤さんとか,同僚の永井さんとかのような史料研究をする人は,単に史料が好きという面があるような気もする.古い史料があると聞くと,それだけで何か血が滾ってきて,埃アレルギーをものともせず駆けつける. :-)

で,史料ベース歴史家の血が滾る研究なわけだが,今の時期の調査旅行はいずれにしても無理過ぎの面が強い.初老の身としては体力が持つかどうか…
#今年はちょっとロードかかり過ぎ.4月のWEBサイト更新も応えたし,現在は実質週4つ講義をやっているのに近い.
#どれも新しい内容なので楽しいが睡眠時間4時間台が続くと初老の身にはつらい.演習2つがそろそろ講義モードを脱するのでそれまで堪えねば.


2010年5月15日(土曜日)

命綱

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時56分47秒

Kantian Ethics and Socialism 届く.学位論文で賞をとって出版されたものらしい.Maryland 大学か? Reason and Hope は紀伊国屋から入手不可の連絡が来たので,Web 上で探して私費で発注.一店だけ新品を持ってるところがあったが,他は古書ばかり.Cohen の,それも Jewish writings の selection なのでこれは当然か.このような思想史の迷路に入り込むと,おそらく「職業としての哲学」をやる人,特に若い人には荷が重過ぎるのだろう.力学系の発展史についての科哲史の修士論文の審査に参加したとき,最初ドイツ語圏を調べたが,あまりに複雑で理解不可能だったので英語圏の研究に変えたと,学生さんが言っていた.19世紀ドイツ思想史に関連した分野をやっているものとしては,この意味はよく判る.

要するに豊穣すぎる.といえば良さそうに聞こえるが,若手にとっては底なしの泥沼に等しい.やれでもやれども新しい要素がでてくる.しかし,よくこれだけの文化的石炭層が堆積したものだ.中戸川さんが19世紀から20世紀のドイツ語圏というのは歴史上もっともインテレクチャルなレベルが高い地域と時代だったと思う,と言っていたが賛成できる.もちろん,我々が「知っている」歴史という限定つきだが.

で,僕のやっていたことだと数学基礎論史だと,どうみてもヒルベルトとかクロネッカーとか,そういう人たちでも思想が「学校」での教育に強く依存しているように見える.これは今の日本からすると異様にも感じるが,ようするに中等・高等学校の先生のレベルが今の日本の大学などより高い.クロネッカーのギムナジウム時代の先生がクンマーだと言えば数学者なら意味がわかるだろう.(ちなみに,クンマーは哲学はプロに近かったらしい.クロネッカーはその影響を受けている.)

で,そうなるとギムナジウムなどでどんな教育をしていたのか,これを抑えないと数学基礎論の時代の真の意味がわからないはずだ.となるとプロイセンの数学教育史をやらねばならなくなる.僕の学生の独りがそれを始めたが,1次史料を使った本格的研究だったので,そこだけで沼に沈んだ.それだけでも学術論文になるので,その意味では成功.しかし,数学基礎論史にはもどってこれない.学生時代に聞いた話で,代数的整数論をやろうとして其の基礎として代数幾何を始めると,そこが深すぎて返ってこれなくなる人が多い,というのがあったが,それと同形.

数学基礎論史,田辺哲学…など,僕のやっていることは全部ここに関連しているので,大変だがヒルベルト研究のような具体的特殊分野を「命綱」として使うという戦略がある.つまり,「自分はこれこれの数学史をやるのだ」,たとえば,ヒルベルトの代数思想とその系譜をみるのだ,という命綱を体にくくりつけて,この泥沼に飛び込む.そこで豊穣そうな solid ground があれば,それによじ登ればよいし,どうも沼に引き込まれそうだと言うことだったら,命綱を手繰って逃げ出せばよい.ゼミでやっている Plato’s Ghost の泥沼を,どう「使うか」を学生さんたちに説明するために,こういう言い方をしたが,考えてみれば,これは僕がやってきたことそのものだな...(^^)


2010年5月3日(月曜日)

忘れられた者たち

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時18分09秒

『数理哲学』としての種の論理,の原稿を少し書く.『数理哲学』の用語の説明で悩んでしまう.本来,ライプニッツ辺りまでの哲学は,すべて『数理哲学』ではないか?

僕の田辺哲学理解は,細谷昌志先生の著書とほぼ同じであることを発見.「局所的・微視的」という考え方と歴史主義がポイント,しかも,実は個の論理が強いという理解まで同じ.奇妙なのは,「極微」という言葉に注目しながら,コーエンに全く言及していないこと.どうしてだろうか?これがコーヘン由来だと気が付いていないということがあるのだろうか?

まあ,コーヘンはあまりに忘れ去られているらしいから,本当に気が付いてないのか,あるいは,気が付いても気に留めて考えてみる気にもなれないほど,現代の哲学者にとってはコーエンが過去のものということだろうか...

先日,出口さんと議論したとき,なぜ田辺や新カント派に興味を持つ人が少ないのかという話になり,哲学者は「現代の哲学の問題に繋がらないものはあまり興味を持たない」という説明を聞いて,かなり納得.つまり,科学の場合と同様に,注目テーマがあり,それを外すと,少なくとも若い人は研究をしにくいだろうし,論文も書けないということだろう.西田も出口さんが学生のころには殆ど忘れ去られていたが,今は「テーマ」になっているらしい.また,新カント派への注目は,浮かんでは沈み,浮かんでは沈みだそうだ.

歴史は忘れ去られているものを発掘するのが面白いので,ここら辺が大きく異なるところか?僕などは忘れられていれば忘れられているほど,研究していて楽しい気がする.良く知られているものは,研究しても先にもう判っているからつまらない.もちろん,そういう場所で誰も思いつかなかったような新視点を提示できたら,それが一番凄いことだけれど,今は誰も注目していないことを調べていくというのも楽しい.毎日が新しい発見となるので,初めての映画を見ているような気分になる.現実離れした荒唐無稽な話が,もの凄くリアルに描かれている映画が好きだが,同じ種類の好みなのだろうな...

連休も後少しで終わり,遅れていた色々を連休の間に回復しようとしてるが,此れくらいの連休では全然足りない・・・


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