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2010年3月27日(土曜日)

科学の特殊性

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時02分16秒

科学が何故特殊かと問うのは無意味.我々が現在科学と呼ぶものは如何に特殊かという問いが正しい.そのグループに現実の例が落ちて吸い込まれていく.その「生産性」を見た社会(学問)が,それに落ちるように社会(学問)を変えていく.役に立った形式技法としてのUMLなどは典型.形式技法が役立ったのではなく,形式技法が役立つ場を求めて姿と位置を変えた.そして,それに合わせてエンタープライズさえも姿を変える.

では,科学の特殊性とは?「手戻り」の無さ,少なさ.自然科学者には「科学的なものには手戻り」がないと思っているかのような人が沢山いる.だからシステム開発もそうだという誤解が広がったのだろう(waterfall の神話).これは,実際のシステム構築をしたことがある人間には信じられない態度だが,「科学者」から見たら合理的態度だろう.つまり,科学とは「手戻りがすくなく,知のシステムを累積的に発展させることが可能な分野」という性格を持つ.これがあると,複利計算で指数関数的「増加」が見込めるので,急速な「進歩」が可能となる.

ただし,それだけならば一部の宗教なども入るかもしれないので,他に実用性とか実証性とかが入るだろう.しかし,その最大の特徴は,おそらくこれ.だから,「進歩」という言葉が当たり前になった.どうして進歩,進化しないといけないのか.過去の時代の人に合って,そういう語り方をしたら唖然とされるだけだろう.しかし,今の時代では,科学者でない人にさえ,これを言えば唖然とされる.これに科学,そして,それより「科学的であること」という神話の特質のかなりの部分が見える.


数学基礎論史はまだ書かれていない 2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時47分51秒

よりよい数学基礎論史を書くために.数学の危機とは何か?

  1. 岩波文庫「ゲーデル 不完全性定理」の解説で,Weyl の neue Grundlagenkrise を,ワイマール共和国の時代状況から説明したが,これでは浅すぎる.C.R.Bambach, Heidegger, Dilthey,… p.41 あたりのような1880-1930の「危機意識」の一つとして Weyl を捉える必要がある.ただし,このpage の例の殆どは,1920年代であることに注意.当時の政治・社会状況が,この Krisenbewustsein というガスに点火をした,というみるべきか.
  2. 数学基礎論の危機,つまり,集合論のアンチノミーとは何か?この大きなドイツ思想史の流れの中で,ことさら「数学にだけ真の危機が訪れた」のはなぜか?これは裏返すべき!
  3. 物理では,今も標準理論が「矛盾」している.数学だけなぜ矛盾してはいけないのか?実際,オイラーのころまで,無限小解析は矛盾だらけだ.それが何故数学では矛盾が許されなくなったか?
  4. ギリシャ以来の伝統などという常套句では,これを説明するのは間違い.この時代に「整然たる理論」を求めた何かの圧力があるはず.それは数学とそれ以外で異なったのか?1などの視点に立てば,これを論じることができる.
  5. ただし,あまりに社会構成論の方向に走るのはおかしい.数学には特殊性がある.正確に言うと「そのように特殊なもの」が数学と呼ばれる.典型は数理論理学.なぜ,1000年以上も数学でなかった論理が数学の一分野になったかを考えればよい.

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