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2010年2月8日(月曜日)

石田さんへの返答:人文学と科学

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時47分38秒

SMART-GS を出展予定の「文化とコンピューティング」国際会議の関係で,主催者の石田さん(京大,情報)とのメールのやり取りの中で,
僕と現代史の永井先生,仏教学の宮崎先生の連名で書いた人工知能学会誌の紹介記事(解説論文)が,「問題解決のプロセスのモデル化」
かどうかという議論が始まり(Dreyfus-Winograd の反AI論を知っている人には,なぜ,僕が,この石田さんの言葉に引っかかってしまった
かお分かりでしょう.「問題解決」「モデル」二つの言葉とも,容易に許容はできません.プロセスは一般名詞ならばよいけれど,ソフトウェア・
プロセスとかに絡められると,簡単は「yes」といいがたいところです),「人文学者の多くは,そういうモデル化をしたがっているのではないか」という
石田さんのメールに,それは間違いだと反論したら,実は,それは石田さんのお父様(専門は思想史とか)のことを言っていたことわかり,
現在の日本の状況なども踏まえて,詳しく説明するしかないな,かつ,今,調べている19世紀ドイツでの反心理主義,反物理主義,歴史主義
などの,Naturwissenschaften と Geisteswissenschaften の葛藤の問題とも関係するし,まあ,最近,このブログで書いていたことと,
深く関係するので,長ーーーい,お返事を書いたのが,下のもの.僕は,こういう長いの書く癖があり,もらった人は迷惑だろうな,とは思うのだけれど,
まあ,喜んでくれる人もたまにはいるし,書かないと「腱鞘膨るる業」;-)となるので,つい書いてしまいました.:-D

というものが,とにかく,次のもの:
#送ったそのものでなく,文章が変だったところを,少し修正していある.
#不思議にブログになると間違いが見え易くなる.印刷と同じか?

石田先生

<中略>

現代日本では人文学が「遊び」のように扱われて,何か
理系や社会学系にくられべ一段低いような扱いを受けているので,
理系的に見せるという努力を人文学者がしてしまうという
傾向がかなりあるように思います.少なくとも,
そうしないと,理系の人たちが研究費をコントロールして
いるので,お金がなかなか来ないようです.

しかし,これは文系の素養が殆どなくなってしまった
理系の先生方の ignorance から来るものと私は思っています.
社会情報系の石田先生ならば,これらのことはお分かりでは
ないかと思いますが.

国家・社会のために重要な人文学研究は沢山あります.
私は哲学研究や文学なども,50年,100年を単位に
して考えれば,そのようなものだと思っていますが,
理系の方でも分かり易い例は歴史学のもので,例えば,
「南京虐殺はどの規模で,どのようにあったか」
「竹島(独島)は日本のものか」「チベットは歴史
的に中国の属領か.あるいはその歴史的関係は」
などの問題には,史料に基づく歴史学(私の専門がこれ)の研究が,
大きな影響を与えます.

私は,こういう学問は,現代日本では「社会のための工学」
でなく,「楽しい科学」に,「堕している」ことが珍しくない
(これは工学部時代の自分への反省も込めて),
工学部等での大方の研究より,遥かに国家・社会のために
重要だと思っていますが,そういう議論は残念ながら,
なかなか賛同してもらえません.

この様な状況で,人文学の研究者が不必要な劣等感・罪悪感を持つこ
とがあることに,文学部に転職して気がつきました.
XXXさんが「誰もやらないことを調べている」と言われる
のも,幾分は,そういう感情によるものでしょう.しかし,
これは私は大きな間違いだと思っています.研究者が,そういう
感情を持つのは勝手ですが,国家・社会が,そのようなイメージを
持つことは,その国家・社会の「力」の衰退に結びつきます.
それは戦後日本の歴史が何よりも良く示しているところでしょう.

いずれにせよ,お父様の様な方もあるのかもしれませんが,
世の中がどうであれ,それは世の中の方が間違いであるという
誇りをもてるだけの研究をしている人が多い(国内では知られて
なくても,海外のアカデミアからの評価が高い人が相当いるのです),
京大文学部では,人文学を人文科学と呼ぶことさえ間違いだと
いう意見の方が大勢だと思います.京大文学部を「アカデミズム最後の牙城」
と呼び,「もう自分達は持ちこたえられない.せめて京大文学部
だけは頑張って欲しい」といわれたことがあると,著名な
仏教学者の徳永先生が仰っていたこともありました.

痛めつけられている,また,十分な人材の集積を形成できない,
他の人文系の学部・部局では,なかなか
そのような誇りはもてないでしょう.たとえ,良い研究を個人で
していても,周囲の堀を完全に埋められてしまった状況で,
孤立無援に持ちこたえることには超人的な精神力が必用で,
普通は,まあ...,出来ません.

ですから,お父様のような考えを持つ方が増えていることは
理解できますが,同時に,京大文学部は,まだ,それを「間違い」
だと言い切れるだけのものを持っていると思っています.

もっとも,数理社会学などの面白い学問があるように,
人文学におけるモデル化やシミュレーションの可能性を
全く否定するつもりはありません.大規模な社会システムの
性格など,そういう方法でしか研究しにくい,自然科学的
性格が,社会科学だけでなく,純粋な人文学の中にさえあることは
確かです.しかし,それは飽くまで人文学の辺境に位置するもの
であるというのが私の見解です.

現代日本では,「文系=おもしろい文章を書くこと」と思っている
人さえいますし,文系は遅れていて自然科学に近づけなくては
ならないと思っている人も多いようですが,私は,
そういう考え方は誤りであり,そういう風潮を跳ね返さないと,
真の人文学の伝統が滅びてしまう,そして,それは日本という社会・
国家の将来にとって,大きな損失になる,と考えています.

本物の人文学は自然科学には還元できませんし,
また,自然科学的に行うことさえ不可能です.私は,それを
ソフトウェア工学の社会的側面の研究の中で学びました.ソフトウェア
の「仕様」「正しさ」の基準は,最後は人文学的思考,特に
社会学的な思考に還元せざるをえなくなり,それで形式的技法の
研究を放棄し,社会学的要素が強いアプローチ,UML,
agile methods などの研究にシフトしました.私の論拠は,
社会学,特に Max Weber の合理性理論でしたが,後に,
渕一博さんについて調査した際に,Winograd さんの本の存在
を偶然知って,よく似た論点であることを知り,それ以後,
Winograd さんの論法も使うようになりました.
#私はAIはそれまでは殆ど知らなかったのです.(^^;)

18−19世紀のドイツ思想界では,自然科学(特に心理学・物理学)・
工学に対する哲学の位置づけが問われ,大きな葛藤が起きたことが
知られていますが(今,私が丁度調べていること),その結論が,
私が上に書いたようなことで,それを主張した一人がハイデガーであり,
また,それに影響を受けたのが Hubert Dreyfus であり,
Dreyfus の反AI論に影響を受けたのが,Winograd さんであるわけです.

この部分は,容易に議論ができるような話ではありません.
世界に先駆けて,大学に工学部を作って「しまった」とも
言われる日本という特殊な「先進工業国」において,しかも,
目先の短期的利益にばかり眼を奪われ,実は,自分達が
(心ならずもであっても)それに依拠している西欧の学問の
伝統からの乖離をますます加速化している日本という国では,
これについての議論はさらに難しいと思います.

しかし,どのような尺度で考えても,「自然科学的な人文学」
というのは異端であり,「暗黒の未来」
ではありえても,「輝かしい未来」ではないと,
多くの人文学者が考えているということは
ご理解いただきたいと思います.

私達の HCP や SMART-GS は,この「自然化」とは全く違う方向を
目指していて,人文学の本質はそのままに保ち,しかし,
史料の閲覧,検索,情報の伝達・交換などにともなう
「物理的・社会的障害」を取り除く道具を作ろう,
グーテンベルクの印刷技術と同じような仕方で人文学に
影響を与えるものを作ろう,ということなのです.

ですから,人文学で行う学問の本質には関わらない
作業(画像文字検索「良く似たインクの染みをできるだけ多く集める」
「史料のさまざまな箇所をリンクし,アノテーションをつける」など)を
モデル化して,そのモデルに基づいて,人文学者のタスクを
軽減するツールを開発することはあっても,それは人文学研究の
本質部分のモデル化,つまり,「人文学のモデル化」では全くないのです.
#しかし,印刷技術が世界を変えた様に,こういう「下世話」なものが
#実際には世界を変える最大の要素になることも確かです.

これは,Winograd さんが,社会的存在でありえない(ありえなかった)
AIによる「総体としての真の自然言語理解」の可能性を否定しつつも,
特殊専門分野においてはAIの可能性を認めたという,その考え方に非常に
近いものです.

丁度,今,田辺元研究->新カント派研究の延長上で,
調べ,考えていることにぴったり嵌る話でしたので,
お返事という枠を外れて長く書いてしまいました.
これは,私のブログに貼る予定です.そうしたいという
こともあり,長く書いたわけです.(^^)

石田先生への返答であることは書きますが,石田先生からの
メール部分などは,削りますのでどうか悪しからずご了承
ください.


数学基礎論史はまだ書かれていない

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時29分44秒

いわゆる数学基礎論の歴史について書いたものは多い.僕も幾つか書いているし,
それが専門分野だと言っていたときもある.しかし,田辺研究を通して,19世紀を
中心とする「現代数学と哲学」のせめぎあいを理解するようになると,今まで書かれて
いたものは,論理実証主義の伝統上,M. Friedman の言葉を借りれば,neo-Kantian
から分岐した二つの道のうち,Carnap が通った道から見た風景に過ぎないので
はないかと思えてくる.それはたとえ,それへのアンチテーゼであることを強く意識しつつ書いた,
僕の「解説」でも同じことではないか?

この歴史の流れからみればヒルベルトは,自然科学の陣営ではなく,明らかに「伝統的
哲学」,特に neo-Kantian の戦士として映る.だからこそ,心理主義・物理主義の
du Bois-Reymond に強く反旗を翻したのではないか?そして,その姿を見たからこそ,
ゲーデルは「左傾化を急ぐ世界の趨勢を余所に,一人数学だけが右傾化の道を選んだ」
と書いたのではないか?ドイツ語圏に身を置いた鋭敏な人物ならば,それは肌で感じる
ことができたとしても不思議はないだろう.新カント派の政治性は今では歴史家でも
容易に感じることは難しくなっているようだが,当時ならば,日本でさえ左右田喜一郎の
社会問題研究所刊『新カント派の社会主義観』という書籍があった.

もし,この認識が正しいとしたら,「そのムーブメントの真の意味を描き出す」
という意味での数学基礎論の歴史は,まだ一度も書かれたことがないのだろう.
今までそれについて書かれたものは,Friedmanが,
“Here philosophy has taken on the trappings of a scientific discipline,
characterized by clarity of method and cooperative cumulative progress in the formulation and
assimilation of “results,” but at the expense of all contact with the central philosophical problems
that are of truly general concern beyond a small circle of narrow specialists. An engagement with
the traditionally central problems of philosophy has thus been left to the continental thinkers,…”
(Preface, A Parting of the Ways)と表現した論理実証主義の伝統から書かれており,それは,西洋哲学の
圧倒的な厚みを持つ伝統を無視した「科学読み物」に過ぎないのだろう.僕の解説とて,同じ
限界を共有している.結局,僕も Carnap が歩みだした道から,それほど外れてはいないのだから.

一方で,continental thinkers や,その影響化にあったといえるポストモダン論者のゲーデル引用
も,実は伝統からほぼ分断されているという意味で,実は極めて「モダン」であったといえる.
そのためもあって,これらの人たちの「数学基礎論史」への視線も,Carnap が辿った道を歩く人々
が用意した過去の絵を通して規定されたものに過ぎない.

このような意味で,「数学基礎論史」は,どこにおいても書かれたことがない.

それを描き出す試みは,Mehrtens, Ferreiros, Gray などにより始められている
現代数学史への新しい視線に基づく研究の上に,後,10年,あるいは,何十年かか
かって初めて可能になるのかもしれない.


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