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2009年11月30日(月曜日)

牟田昌平さん

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時15分38秒

もう今年も12月になってしまう.何時ものことだが,思うほどには仕事は進まない.まあ,そんなものだろうと思うし,
年をとって「そんなものだ」と居直れるようになったが,先日,衝撃的なことがあって滅入ったのか,最近,少し焦りを感じる.

先週,SMART-GSを以前記事にして下さった日経の松岡さんから,久しぶりに連絡があった.
公文書管理法の関係で忙しくしていたが,その後の進歩はいかがという問い合せで,それは有難いことだし,
良いのだが,僕の田辺元研究や永井先生の倉富日記研究などの現況を伝えるついでに,気になっていたアジ歴の
牟田さんの病気のことを聞いたら,大変ショッキングなお返事がかえってきた.牟田さんは夏に亡くなったとのこと.

実に惜しい人を亡くした.アジ歴のWEBアーカイブは,世界的に見てもトップレベルのものの一つだろうが,
その開発の原動力のかなりの部分は牟田さんだったはずだ.エジプト学の吉村研究室の出身で西洋史が専門という
ことだったが,情報学のセンスも相当のもので,話すと色々と教えられHCPの構想にも牟田さんに影響されて
いる部分がかなりある.何より文書の持つ意味を的確に理解していて,その点で信頼できた.

最初にお会いしたのは多分,安部首相のころだったと思うが,福田元官房長官が公文書管理の政治的意味を理解して
いて大変熱心だと尊敬を込めて語っていたのが印象に残っている.そのとき,こうやれば慰安婦問題とか,
南京大虐殺の証拠など,アジ歴のデータベースサーチですぐにでますよ,と見せてもらった.その福田さんが
首相になり,官邸からも呼ばれて忙しくて大変らしいと風の便りに聞いていたのだが,その福田元首相肝いり
の公文書管理法は今年の6月に成立したらしい.牟田さんはその成立を聞いたはずだから,そのことは少し
「うれしい」.牟田さんのような人材がもっと,この国に必要だろう.僕は民主党が夫婦別姓を主張し始めたとき
から民主党支持だが,牟田さんから話を聞いてから福田さんという政治家には敬意を持つようになった.


2009年11月24日(火曜日)

S10年代種の論理の展開とブラウワー

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時53分52秒

21日,22日の2日間,群馬大図書館で田辺元資料の撮影.今回は昭和10年頃から昭和20年までの手帳すべての
画像を撮影.群馬大のGAIRというレポジトリでマイクロフィルムからとった画像が公開されているが,マイクロフィルムでは
色が分からず,また硬調に焼かれるのが通常のため,細部が不明になる場合がある.そのために来週からの文庫資料を
使っての特殊講義内演習のために,すべてを撮影してきた.これは昭和9年の「社会存在の論理」の後,昭和12年の
「種の論理の意味を明にす」までに起きた,種の論理の改変について調べるため.

最近まで,この間に大きな変化が起きたことを十分認識していなかったが,これがおそらくブラウワー思想の影響が
最も大きく現れたところで(*0),おそらく,これ以外にはそれほどの影響を受けているとは思えない.しかし,これが
後のデーデキント切断などの議論の元になっていると思われる.また,ブラウワーはそれがヒントとなっているが,
そこからさらに弁証法的関係を切断を鍵にして田辺は追加したと思われる.それが後の切断の議論の元だろう.
これを実証する必要があり,それにはS10年代のテキストが必要と判断したもの.

S10年代の変化の最大のものは,おそらく昭和11年11月から翌年2,3月まで「思想」に3回に分けて
掲載された高橋里美の論文「種の論理について』
http://bunken.lib.pref.yamagata.jp/jin/200303010001033.html
で指摘された種が直接に与えられており,すべてが媒介される絶対弁証法になっていない,という批判への対応だろう.
この変化にブラウワーの実数論が深くかかわるらしいことが,全集6巻,pp.478-450あたりの「..明にす」の四でわかる.
おそらくS9年の種の論理の成立では直観主義数学は大きな役割を果たしてない.ベッカーの Math. Existenz の影響
だけ.ベッカーの論文には実数論が殆ど無い.それがS9年暮以降に,Heyting の本を手に入れ,ブラウワーの数学的連続体
と個別実数の関係が,自分の種と個の関係であると気がつく(それがHeyting 本への書き込みとなる).そして,種が媒介
される絶対媒介の議論がS10以後に始まる(これと高橋の批判とに時間的な疑問がある *1参照).そして,この際に,
自己疎外の形態として,おそらく連続体の「個による切断(切れていて,かつ,繋がっている)」という状況を弁証法的
なものと捉え,種が種に自己疎外・自己復帰し,それを極限まで進めたものが類,という考え方が生まれる.この際に,
すでにブラウワー実数論が完全に弁証法的でないことに気が付き,ブラウワーを「惜しい」と後に書く(戦後の「歴史主義展開」
初版p.20 *2参照)ような考え方が生まれる.これが田辺が切断に重要な哲学的意味をもたせ
た起源ではないか.田辺は大正期はカントール実数論をデーデキント実数論より優れているとしている.デーデキント
切断の話が若い頃からのトラウマだったようなことを書いてはいるが(「歴史主義展開」p.224 *3),実際には
切断が哲学的議論の中心に登場するのはS10年以後のように見える.これがおそらくブラウワーの時間連続体の
影響だろう.気になるのが「切れていて,繋がっている」の議論は,van Stight のブラウワー実数論の解説にもある
こと(*4).ブラウワー自身の議論におそらく同様のものがあるのだろう.あるいは,Heyting, Fraenkel, Becker などに
あるか?チェック!!これに田辺が影響を受けていることは無いか?

*0:「論理の社会存在論的構造:全集6, p.331, 四の冒頭; 存在の論理的範噂としての類種個の三つの交互的媒介並にその媒介の原理としての絶対普遍の意味は大体今までに述べた如きものであるかと考へられるが,その媒介の論理を絶対媒介の論理と称するのは’何も私の考案ではなく、既にヘーゲルにある概念を借りたまでである(例へばラッソン版フエノメノロギー二〇三頁参照)。ところで此様な私の考に対し始終背景にあって私を導いたのは数学に於ける連続の問題であった.」
*1:p.478では絶対媒介の立場から種の論理について議論できたのは,S10年の「図式」論文が最初とある.しかし,この論文では,自己疎外があまり肯定的に捉えられてないようにみえる.高橋がS11年の思想11,12月号.商業誌だから,少し早くでていたか?10,11月かもしれない.また,高橋との私信の可能性もある.これらは手帳や私信で確認できないか?
*2:「自由生成的選択系列は,まさに切断的無の瞬間系列を意味し,それが絶針無の永遠的統一と全個相することを,媒質の語に言表はしたものと解せられるであらうか.ブラウワーが直観を構成行為と解し,その自由行為の選択系列に対する媒質として連績体を規定したことは,卓見であるといはなければならないが,しかしその自由選択行為が未だ無にまで徹底せられなかったことは惜しい」
*3:「数学に対する愛を私に吹込まれたのは,学会の至宝として今も健在せられる高木貞治先生であった.先生の最も早い頃の名著『新式算術講義』は,初めて純粋なる数学の美しさを私に教へたものである.私はその美に引き着げられて数学を学ばうと志したのである.デデキントの切断論がほとんど私の一生を貫く問題となったほどに強い印象を与へたのも,外ならぬ先生の解説を通じてであった」
*4: van Stigt, Brouwer’s intuitionism, p.324, “The Brouwer continuum is that what separates and yet joins the two discrete points: the `between’.”


2009年11月11日(水曜日)

理論と応用

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時03分15秒

日本の数学の世界では,純粋数学と応用数学の確執がある.これは情報でも同様だ.今日,言語学の倉橋さんと話をしていたら,言語でも同じような問題があるとのことだ.言語の場合は,統語論の理論言語学の人たちと,言語教育の現場の人たちの間でこれがあるとのこと.もちろん,pure math と applied math の対立は,世界中で見られるものであるし,デジタル・コンピュータの魁,ENIAC, EDVAC の開発時の電子技術者(エッカート,モークリー)と論理学者(実は数学者?フォン・ノイマン,ゴールドスタイン)の「対立」は有名.こういうことは,どこにもある.しかし,海外では,E.Moggi が考えた圏論の monad による data, codata の記述が,あっという間に Haskell に実装されてしまったという例があるように,理論と応用の間の溝があまりない.その間は空白地帯ではなく,優秀な人材のチェーンが形作られているからである.この「人のチェーン」の存在は,薄々「なんか(日本と)違う,理論家のはずのやつが応用の仕事を平気でやっている,また,実務家が最先端の理論に興味を持つ.しかも,趣味ではなく.変だな・・・」と長年思いつつ, 意識的に理解することができずにいた.しかし,もう6,7年前か,旧知の Martin Hyland に数十年ぶりにあったときに(昔のロック歌手のような長髪だった彼が,すっかり髪の薄いおじさん,失礼,ケンブリッジ大学教授,になっていてショックだった.もちろん,僕も今ではバスなどで席を譲られる.でも座らないぞ!),若いころはトポス理論を一緒にやっていた僕がソフトウェア工学(UML)にまでシフトしていることが話題になり,Hyland が「自分の圏論が計算機科学に役立つといっているが本当は自分には全くわからない.でも,ススムのような人が横にいて応用したり説明したりしてくれるから,それでいいんだよね」と言ったのである.そのとき漸く「ハッ,そうか,そういう風に世界を見ているのか!!!」と,初めて現場から大学,応用から理論,と続く「人材のチェーン」に気が付いたのだった.そして,それを,その後,事あるごとに説明するものの,あまり賛同してくれる日本人はいない.海外の人たちには,そんなの説明しても,当たり前すぎて面白くないだろう.どうして,日本では,こういう社会的問題が大きいのだろうか.パートナーの八杉が言う「代数>解析>幾何>その他(数理論理学, 統計 etc.)」という日本数学における地位のオーダーも,明治のころにオーダーと殆ど変わらない.ただし,数学史家の眼からみれば,代数がトップに来る構造は極めて19−20世紀,モダン数学的,またドイツ的であり,長い数学の歴史の中では,比較的最近の一時的現象に過ぎない.その時に偶々導入したものが,そのまま fix さていることは,現在でも大学の順位付けに,戦前の帝国大学などの順位が,ほぼそのまま生きていることや,現在の法律の多くが明治時代のものであることと同様の現象なのだろうか.(ここで「だろう」とせず,「か」が入るところが「アカデミック」なところですね.(^^;))ベルリンの壁が崩壊して20年.すでに世界は,その時から見ても,すっかり変わってしまったのに,未だに日本(のおじさんたち)は,ノスタルジーに浸っている・・・しかし,良くここまで鈍感でいられるものだなあ,と感嘆の念さえ持ってしまう.見えているけれど無視しているのですかね?まあ,そういう人も少しはいるかな.


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