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2016年7月27日(水曜日)

Google 東京オフィスなど

産業総合研究所の人工知能の社会インパクトプロジェクトの一環で、TensorFlow など、Google の機械学習への対応の話を伺うために、Google 日本オフィスのGCP(Google Cloud Platform)部門を訪問。佐藤一憲さんから色々教えて頂く。パロアルト的立場からは、実に自然な流れであることがわかり納得。大変良い方向に進んでいるという気がする。ただ、これは「機械が職を奪う」という方向に繋がらないとも限らないと言う懸念も抱く。少数の機械学習の「職人」+マシン(AI)が、多くの「職人」を代替する可能性がある。

この時、MITのAutor教授が言うような、別のセクターの職がどれだけ生まれて来るのか、それが問題。Autor氏の主張では、アメリカの農業労働人口が劇的に減少したかわりに、工業の労働人口が爆発的に増加したわけだが、この工業セクターでの労働人口にあたるものが、まだ見えない。それが Autor 「理論」の弱いところ。果たして何か、生まれるか…

この訪問の前に、僕の研究室の出身で Google で働いている清水君と会う。Google Culture Heritage の相談で、京都に来てくれたのが、もう数年前で、それ以来。

彼との話で面白かったのが、サンフランシスコのイメージの、清水君と僕とのズレ。清水君によると、最近、サンフランシスコについての歌を聞いて、その歌詞にサンフランシスコが、ロマンチックな場所の様に歌われているのに違和感があったらしい。僕は長らくサンフランシスコを訪問してなかったので、分かってなかったが、どうもアジアの沸騰都市の様になったサンフランシスコは、2000年代に始まったらしい。だから、清水君は、それしか知らない。

そのために、10階建て以上の建築など、殆どなかったサンフランシスコの風情は、清水君には無縁のものらしく、それで僕などが抱く昔のサンフランシスコのイメージに「なぜ?」と思うらしい。世界はすっかり変わってしまったことに、今更ながら思いを馳せる。

Google 訪問の後、私用を済ませた後、岩波新書の編集長の永沼さんと会って、随分前に依頼された新書の書き方の変更を相談。思いがけず、面白いと言ってもらえたので、その方針で進む。僕も、定年まで後、2年と少ししかない。アカデミズム一辺倒の姿勢から方向転換をすべき時期だろう。


2016年5月31日(火曜日)

今日も不如帰忍

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時46分14秒

今日もホトトギスの鳴き声。

今夜は昨年つけてもらったインナーサッシを超えて聞こえた夜半の鳴き声。

ということは、かなり近くで鳴いたか?
鳴き声の方向からすると、最初は、うちの桜で、
次は裏山か?うちの桜なら珍しいことだ。

一つ前の投稿で、

>この4か月(5か月かも)ほど、最も時間を割いていたことに、
>一応、今日で目途が立つ。

と書いたが、「一応」を入れた様に、懸念があったのが、
顕在化。(^^;)

本当に、退屈している暇がない…
#このフレーズわかる人、どれくらいいるかな?
#ハハ。(^^)

おっと、また、ホトトギス。
これは例年通り裏山から。

初夏が近いか。


2016年4月27日(水曜日)

アオバズク

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時20分54秒

今日は暑い位だったので、締め切っていた僕の書斎は28度まで気温が上昇。
夜、窓を開けて冷気をいれていたら、アオバズクの鳴き声。
去年のブログを見たら5月なので、かなり早い。

ムカデも動き出していて、先日、戸外で一匹退治。今日は車につぶられたらしい死体を一匹発見(本当に大きなアカズムカデ)。

昼は、SMART-GS meeting。リリース用の変更が、すべて終了したことを確認。
橋本君がリリースビルドを自動生成し、大浦君がリンクしてリリースする予定。
そして、林が説明を書く。また、トンプソン君が、英語のVideo tutorial を
作成中。これは3ヶ月ほどかけて作る。

また、縦書き、TEI対応の新エディタのSMART-GSも連休明け位にαリリース予定。

説明案:
新機能:Line Segment Editor, 画像マークアップエディタの Redo/Undo、
Tesseract-OCR の呼び出し機能、MacOS上での外部画像サーチ、Reasoning Web の整備(未完)、
など。他には何が?


2016年3月27日(日曜日)

永井和先生の送別会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時41分34秒

未だに、忙しさは続き、岩波文庫の修正など書けていない。

その中で、今日は、永井和先生の送別会。
永井先生は、僕と同じ京大文学研究科現代文化学系の教授なのだが、
今年度で定年退職。

同じ現代文化学系で次の定年退職は、僕。(^^;)

これから現代文化学系は、定年退職が続き、本当に大変。
若い人たちに申し訳なく思うと同時に、まあ、これが現実ですね、
という気持ちもある。

永井先生は、京大文学部情報・史料学の公募に応募して、最初に
コンタクトした文学部の方。

大変良い方であり、SMART-GSプロジェクトを、実質的に生んで
下さった方(永井先生の存在がなければ、僕は、SMART-GSプロジェクト
はやってない可能性大!)なので、感謝の念しかない。

永井先生の期待に応えられるべく、SMART-GSプロジェクトをすすめたい
ものである。

みなさん、よろしく!


2016年1月15日(金曜日)

復帰!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時04分45秒

前回の投稿から、2ヶ月位のブランク。

最大の原因は、体調不良だが、その最大の原因が、意外なことに歯にあることが、
かかりつけの耳鼻科の先生(名医です。林以上にユニークですが(^^;):石川耳鼻科、東山区、京都)の
お蔭で分かり、これも日本のシステム外といえる保険診療が、あまり効かない歯科のクリニックを見つけて(この人も
凄いみたい。まだ、診てもらって浅いので、断定はできないが)、そちらに通い、今までの不調の原因の、
かなりの部分を解消できそう。

これにより、日本の保険システムがもつ、矛盾点を明瞭に認識できた。NISTEPに残留していてたら、
これで一つレポートが書けそうな話。ただ、そうなると厚生労働省との兼ね合いが難しいかも…
#こういう気遣いが必要なことが、日本の統治機構の最大の弱点!!!

今は、どうなのだろう?霞ヶ関も、かなり変わって来たという印象を経産省の「稼ぐ力」の担当者にお会いしてから、
感じているが、このセンスが、もし霞ヶ関全体に広がっていれば良いのだが…
#10年弱前の僕が知っている「官僚」は、皆、ネクタイをしていた。でも、稼ぐ力の人たちは、
#皆、ノーネクタイだった。この変化が、本質的ならば良いのだが…
#霞が関の最大の矛盾点は、奇妙なまでの等質性だから。
#規格外も、良いものだとおもえれば、認めて欲しい!!


2015年7月30日(木曜日)

まだまだ忙しかった日々

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時45分10秒

7月は今日まで全く投稿していない…

最近、歳を取ったためか、あまり投稿しなくなっているが、まあ、忙しいのもある。

僕は講義を通して研究をするタイプで、今年は、一般講義で、ピケティを取り上げて、ピケティが指摘してなかった「所得格差の拡大の理由」を、下1%の格差(ピケティの格差)と同様にバベッジ原理に求め、ただし、それに1960年代の理論である、managerial revolution (つまり、もう成し遂げられてしまっている革命)を組み合わせて、上1%の(資産でなく)所得格差の増加を説明し、また、ITの影響もある、というようなことを考えて講義したので、色々と調べるために随分時間がかかった。

これに比べれば、最初は、大変だと思っていた「ITと哲学の相即」という特殊講義は、それほどしんどくなかった様な…これは、予定していた、Page rank と Scheler の実質価値倫理学、ユクスキュルの Umwelt とロボット制御(サイバネティクス)、Winograd さんのデザイン概念と Sein und Zeit の話をする時間が全くなったためが大きい。これらを全部、詳細を押さえながらやると大変な講義となったはず。(とは言いながら、これは、どう考えても欲張り過ぎ。半期でできるわけがない…計画をたてるときには、つい欲張ってしまう。)

また、科学哲学・科学史から日本哲学まで、分野の分布が広かった学生さんたち、特に英米系哲学風思考の影響がつよい人たちが、講義の基礎的部分をなかなか理解できず、説明していたら、中々進めなかったのもある。驚くべきことに、哲学の学生さえ、西洋哲学の基礎であるプラトンとかアリストテレス、近世の伝統論理学を知らない。それを丁寧にやっていると、凄く時間がかかった。問題は、古い世界観の理解というより、それと近現代の物理学的世界観の思考法との差を理解してもらうところ。これが案外難しい。

というわけで、大変だったのだが、前期が終わりに近づき、段々と授業が最終回を迎え始めてからが、またまた忙しかった。

先週は、東京で、九大の安浦さんが総括のJSTさきがけの面接選考会。朝から夕方まで面接で、本当に大変。これは、大体、3年で3千万から4千万円を標準にして、若い研究者に個人研究費を渡して、研究室のしがらみなどもなく自由に研究してもらい、次世代の中心的研究者に育てようと言うもの(と僕は理解している)。だから、日本の研究費では珍しく、自分で自分を研究費で雇用できるようにもなっている。(もっとも、これをやる人は滅多にいないのだが…)

で、その場では、「この研究は、もうすぐ実用化するのではないか、そうなったら採択しても途中でパロアルトあたりに引き抜かれるのでは?、いやいや、そうなったら、むしろ成功だ。」「この研究分野だと一事例でも億単位だから三千万四千万では全然足りないのでは?、いやいや、基礎研究をターゲットにしているので十分やれるでしょう」、というような、議論をしていたのだが、京都に帰ってきたら、土日は、工繊大での西田哲学会で、一挙に別の世界。

僕も「西田・田辺・西谷の「論理」」という題で研究発表をさせてもらったが、全然、準備が間に合わず、PowerPoint ファイルに至っては、発表時間直前に会場についたタクシーの中で完成する始末(なぜか、USB3.0の外付けSSDが認識されず非常にあせった。今から考えれば、省電力モードにしていたための可能性が大。JSTにカバンを忘れてしまい、それに入れていたACアダプタを新幹線で使えず、東京からの帰路は省電力モードにしていて、それをそのまま忘れていた。)。

資料作成も大変で、この週末は、ひどい睡眠不足という状況だったのだが、発表に対して、関西学院大学の嶺秀樹さんや名古屋大学の米山優さんから、僕が提示した「西田の限定に田辺が言うような否定性が本当にないのか」という問題に、非常に良いコメントをいただけて、後期の特殊講義に向けて、大成果。前日に懇親会で名誉教授の片柳先生と話したときも同じようなコメントをもらったのだが、要するに、西田の限定には、何らの制約もない、ある意味では田辺が想定していた否定以上のドラスティックな変化も受け入れるものということらしい。これは、種の論理への反論が「論理と生命」であるように非常に納得。生命とまで持っていかれると、田辺的な政治・社会の問題はぶっ飛んでしまう。

ただ、田辺の視点からすれば、そこにこそ問題がある。西田的に、そこまで「悟って」しまうと、田辺が欲した「この現実の歴史・社会・政治に対峙する哲学」は、どこかに消えて行ってしまうのである。つまり、「こんな社会問題があります。大変ですよ!!」と議論しているときに、「いやいや、恐竜の絶滅を思い出しなさい。小惑星の衝突である日突然人類は滅びる可能性もあるのです。それを思えば、そんな問題など…」という議論をしていることになりかねない。政治、社会などの問題を自分が取り組む義務と感じるに人には、はぐらかされている、としか見えない。

西田を読んで、たとえば、岩波講座「哲学」(昭和6年より)の「歴史」という西田の文章が、実は時間論で、最後のパラグラフになってようやくランケへの言及がでてきて、本当は歴史でもなんでもないことに非常に強い違和感をもった。歴史を真剣に考えたら、そういう文章は書けない。

また、田辺の種の論理への反論のタイトルに、何故か、「論理と生命」というように「生命」が入っていしまうことへの違和感を以前から感じていた。

そういうことなどが、以前から、非常に、モヤモヤしていたのだが、嶺さんと米山さんのコメントで、漸く、その原因を納得。西田の様な立場で世界観を構築されてしまうと、社会科学的観点とか、現実の社会にコミットしようとする立場は台無しになってしまう。西田哲学は、実は、それに対する冷水なのである。(実際には、野中経営学など、そうでなく良いアイデアの源泉になっている例が多いのだが、それは「応用」している人たちが勝手に自分の都合が良いところだけを読むからだ。そういう「懐が深い」ところが西田の思想にはある。)

要するには、これは禅僧が、幕府など武士という武力勢力の庇護を受けながら、平穏に暮らすようなもの。これこそが、田辺の西田への最大の違和感であったのではないかと僕は思っているのだが(もちろん、田辺も、そういう僧院にいる。帝国大学教授なのだから。「しかし、だから、こそ」という気持ちが、明らかに田辺のテキストから読める。どれだけできたかは別としても。それが僕が西田より田辺に好感をもつ理由になっている)、その僕の印象に『ダメ押し』をしてもらったような感じがしている。

つまり、あまりの自由、あまりのカオスの許容は、実は、現状肯定への道になるということ。仏教、特に禅宗などは、常に、この道を通っていると僕は思う。同じような印象を抱いたのは、西谷が戸坂全集に寄せた文章で(著作集21巻、p.132)、戸坂君東京で活動していたころ、西田先生が、戸坂もああいうことでなく科学哲学をやればよいのだがと仰っり、その時の自分は同意したが、(昭和40年ころの)今の自分は、それは違うと感じる。あれも、つまり、マルクス主義にかかわり、戸坂は検挙され、2度投獄されたが、それも、戸坂君らしいことだと感じる、という意味のことを書いている。

戸坂は、マルクス主義にかかわり、検挙され、2度投獄されたが、二度目の入獄(要するに自分で監獄に入りに行ったらしい)の直前に、親友西谷に会いに行った。この二人、政治的立場が両極端ながら、余程、仲が良かったのだろう。そして、「いよいよ入獄する、しかし間もなく出てくるから、また会おう」と東京の戸坂からの葉書が来たが、彼は帰らなかった、と西谷は書いている。戸坂は昭和20年8月9日に政治犯として劣悪な環境の牢獄で病死した。西田は、同じ昭和20年6月7日に亡くなっている。

この件に最終的に気が付けたのが、今回の西田哲学会にわざわざ入会までして発表した最大の収穫。これで、西田・田辺・西谷の哲学の比較という、僕の今やっている研究の一つに最終的な目途がたった。

また、前の日の懇親会で、随分ご無沙汰としていた上智の田中先生、親鸞研究センターの名和さん、常滑の谷川の会の森口さんやらとお会いできたのも良かった。また、嶺さんが、京都学派アーカイブが役立っていると言ってくれたのは、凄くうれしかった。名和さんが、学習院の西田史料の調査に照合元として使ってくれたりという事例があるにはあったのだが、例が少ないので、本当に役立っているのだろうか、と作ってはみたものの「不安」だったのだ。久しぶりにお会いした田中先生にも褒めていただけて、やっぱり作って良かったな、という感じ。 :-)

ああいうものは、縁の下の支柱のようなものなのだから、一つ一つの事例では、軽く、役立てば十分。しかし、長く、じわじわと役立つようにしないといけない。そうすれば作った意味がでてくる。西田哲学会の懇親会で、すくなくとも3名の人からアーカイブについて聞けたことは(中嶋君をいれると4名か!でも、中嶋君は「身内」すぎる)、十分に役立っている証拠と思ってもよいだろう。

と信じたら、正直の所、かなり「くたびれていた」心が元気になって、新アーカイブ構築の意欲がわいてきた。ということで、頑張ろう!中井正一と大島康正も入れるぞ!

というような、日々を過ごしている間に、さらにもう一つ、メガトン級の仕事が落ちて来たのも、忙しさがさらに増幅された。

6月の終わりころに、旧知の中馬さん(現成蹊大学、元一橋大学イノベーションセンター教授)から、経済産業研究所RIETIで、AIの社会インパクトの研究プロジェクトが始まり、自分が一つのグループのリーダーとなるので、林さんも手伝ってくれ、との依頼が来た。

この問題は、この数年講義のテーマにしていて、凄く気になっている問題だったので(情報・史料学専修という研究室は、ITの社会的影響を考えるというのが、主な目的である教室なので、この問題を逃したら、存在の意味がない!)、忙しくて、もう無理ではとは思いつつも引き受ける。

ただ、物凄い誤算だったのが、これがRIETIの所内プロジェクトで、そのために霞が関スピードで、物凄い速さで事が進むということを理解してなかった点。
#誰だったか忘れたが、マスコミに良く出る人が、霞が関は実は「官僚的でスロー」などといのはうそで、すさまじいスピードで事が進む、
#と書いていたのを本か、新聞か、WEBで読んだ記憶があるが、これは、僕も賛成。進むときとは、進む。ただし、ブレーキが別に存在する。 ;-)

さきがけの選考会の最後の日の28日(日)には、もうプロジェクトが内定して、9月から動くことになってしまった。来年4月以後だと思っていた僕は大慌て。

また、この内定に向けてのヒアリング用資料の原稿が中馬さんか何度も飛来して、実際に、何をすべきか等考えていたら、結構時間をとった。

結局、前期が漸く収束しかけてきたころから、さきがけ、西田哲学会、AIの社会インパクトについてのRIETIプロジェクト、さらにはSMART-GSの開発や(これを書いている今日は、プログラミングをやっている)、古地震学などの科研費関係のデジタル・ヒューマニティの話、と、自分でも良く色々やるものだと思うが、実は、これらは全部繋がっている。だから、こそ大変なのだが…

で、長くなったので、投稿を変えて、RIETIプロジェクトについてちょっと書く。
#これは研究室の学生さんや、科研費プロジェクトの仲間たち、SMART-GS チーム、その他の関係者の人たちへの
#言い訳でもあります。SMART-GS チームの人たちには、水曜のミーティングの際に、直接、予定より減速するかも、
#と言い訳(謝罪)しておいた… しかし、このプロジェクトや、凸版のOCRとか、中京大のプロジェクトとか、
#実に、イベントは、向こうから波の様に押し寄せて来る。まあ、そういう時が、研究者としては幸運・幸福な時。
#こういう時には、波に流されなくてはいけない。これは「時流にながされる」のとは全くちがう。


2015年6月18日(木曜日)

猛烈な忙しさと厚切りジェイソンさんの正論

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時28分54秒

今日締切のレビューが山の様にあるのだが、午前中は木2の出席・課題提出確認のための作業で費やす。
考えていた方法だと、ある種のセキュリティー・ホール(といっても学生が他人の出席状況をわかってしまう
可能性が、数名分だけあるというだけのことなのだが。それも相当意図的にやらないと無理)があることが
わかり、これを解決する方法を考えていたら、随分と時間がかかってしまった。

で、もっと大変なレビューの作業の方にかからなくてはならない。
大体全体は見ているので後は細かいところと、一回読んだだけでは良くわからなかった提案書を分析する、
そして、全体のコメントを書いていくだけで済むので、何とかなるのだが、兎に角、量が多い。
ファイルを開くだけでも時間がかかる。

その作業の前に、ちょっと一休みと思い、少しWEBを見ていたら、IT Pro の、この記事を見つける。
アメリカ人でお笑い芸人もやっているジェイソン・ダニエルソンさんのインタビューの後半だが、前半を含めて、
正論ばかり。僕がNISTEPの客員研究官時代から言っていたことと同じことなので、こういう人がいると、
変な共感というか安心感みたいなものを感じる。ただ、一番、そうだよね〜と思う点が、

 何か話し合っている間に、他の国に追い抜かされるだけなんですよね。グローバルではやっていけないと思っている、日本は。もうダメです。

だったり、最も共感したのが、

 変えたいんですけど、個人で何ができるのかを考えると、ほとんど日本については諦めています。一人が説得できるようなものではありません。

 国自体で、「こんなに意思決定に時間をかけすぎている状態が続くとダメになっていく」と自分自身が気づくまでは、何もできないと思っています。

という点なのは、本当に嫌な感じだ。「あるソフトウェウア工学者の失敗」で書いたのと同じなのだが、
これの結論は、しかし、教育にかける、若い世代にかける、ということになっている。
僕は日本人だし、教育者だから、諦める自分を許せないので。

でも、素直に現状を見ると、ダニエルソン氏と同じ気持ちになる。
それを立場とか、価値観で、自分を奮い立たせている。
#これが価値というものの最大の利点。(ただし、下手に動き始めると、
#それ故に、最も怖いもの。)

記事を読んでいて、最後で非常に落ち込む。記者が、

 同氏の言葉を聞いて「それはあまりに極論では?」「見方が少し偏っているのでは」といった印象を受けた方もいるかもしれない。

と書かれている。実際には、「IT Pro を読む人のかなりの数が、ダニエルソン氏の意見を極論として反発するだろうが」という意味のはずだ。
そう書くと反発されるので、こう書いている、と思う。僕も、そう書くことがあるので。

矢張り、駄目かな……

しかし、それでも!


2015年5月8日(金曜日)

アオバズク

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時51分28秒

おっ!アオバズクの鳴き声。
青葉の季節。


2015年4月28日(火曜日)

勘違いのグローバル人材育成

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時40分11秒

このブログは研究室の学生さんとか、講義をとってくれている学生さん向け、あるいは、「同僚」(英語のcolleagueの意味です)に向けて書いているのだが、時々、それを逸脱する。

今回は、それ。

原因は、昨日、ネット放送で聞いていたNHK第一のNHKの審議会か何かの報告で、NHKのテレビの番組に対する委員会の意見の報告を聞いたこと。

連続ドラマか何かについての歯の浮くような賛辞の後で、ETV特集「“グローバル人材”を育成せよ〜京都大学・改革への挑戦〜」という番組で「グローバル人材」の京都大学における育成について論じていたがグローバル人材の意味がハッキリ定義されていない、という委員からの指摘があった、というコメントが読みあげられた。

つまりは、予定調和で、シャンシャンと褒められるべきもののなかで、「えっ?!それ変ジャン!」というコメントがあったということ。

このコメントを言った「委員?」の人に好感と共感を感じる。

自分では京大の競争力を増したと誤解しながら、実は京大の良き伝統をボロボロにしてしまって、京大の真の国際的競争力を地に落とした松本体制というものは、
要するに、文系などの教養のもつ深みに対する松本紘前学長の無理解、無知がシンボライズするように、理系で名を成した人が増長して、
自分が自分の専門以外でも何某かのものだと誤解して起こしてしまうゴタゴタの典型。

同じようなのが松本さんが、その職を継いだ理研の理事長の前任者でノーベル賞受賞者の京大理系出身の野依さんなのだから、本当にため息しか出ない…

この国は、この程度の人たちが動かしている…

こういう人たちのメンタリティーが、日本の「失われたXXX年」の最大の原因なのだが、ご本人たちはそう思っていない。こういうのを理系バカという。

それが、この国の、悲しいいながら、最大の問題…

そして、僕は、それに対して、こういう嫌味を書く以外に何もできない…

若い人たちには、このノーベル賞級学者たちの stupidity から自由であって欲しい。

自由であってよいのです。こういう人たち時代の変化を理解できない老人たちは無視しましょう。

それが本当の意味で、この国を救うことに繋がるのです。

既得権をかたくなに守ろうとする年寄りなんか、単に無視!!!!

それでいいのです。未来を拓くのは、過去を否定する若い皆さんなのですから。


2014年12月9日(火曜日)

人文学者としてもう20年か…

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時39分35秒

月5の学部2回生向け講義「論理学の歴史」で,ラッセルにとって数理論理学がなんだったのか,ということを説明するために,何故,僕が最初は数学をやっていたのかという質問票への答を伏線として使い,そのために随分昔に書いた「世界をまるごと理解できるだろうか」を使おうと思ったらリンクが切れていた.気づくと,何個もリンクがきれている(Xoops のモジュールで管理していたのを忘れていたのが原因).で,古いHDDの内容を保存しているディスクで古いファイルを探し出しリンクを回復.

その中の一つに,「この5,6年,数学史の研究をしており,そちらの方が,本業の情報工学より中心になりつつある」という様な文章を見つける.で,これがなんと2000年ころ.ということは,もう文系の研究歴が素人時代をいれると20年になるわけだ.アマチュア時代が10年近くあったとは… 5年位だと思っていた.人文学者としては,まだまだ,駆け出しだと思っていたので驚く.僕は論理学の研究者として出発したが,論文を書き始めたのを学者としての起点にすると,たしか修士1年の夏休みのころだから,22才くらいかな?となると,ほぼ,研究者としての生涯の半分くらいは人文学者として過ごして来たことになる.驚き.ただ,プロになってからは,まだ,10年に過ぎない.やはり,まだまだ駆け出しだな.


2014年11月29日(土曜日)

京大時計台占拠!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時55分19秒

この「ブログ」は、基本的には研究や教育のことしか書かない方針なのだが、
時々、このルールを破る。今日は実に面白いことがあったのでルール破り。

インフルエンザの予防接種をするので、体力をつけておこうと、何時もは
食べない昼ごはんをカンフォーラの前の屋台に買いにいったら、熊野寮の
学生たちが時計台を「占拠」していた。これが何とものんびりしていて、
僕等が若いころの学生運動も、最近まで続いた松本体制も、全部、皮肉って
パロディ化しているようで何とも良い。特に熊野寮歌の下手さ加減が最高!
計算しているとしか思えない。

で、先日、公安警察と熊野寮の学生がもめたので、その関係かと思ったら、
どうも僕が知らなかっただけで、恒例行事らしい。

卒業式の仮装とか(仮想ではないが炬燵を卒業式会場に持ち込んで
オデンを囲んでいた学生たちの動画を見つけたときはパートナーと一緒に大笑い(^0^)。
なんという発想だ。そういうの大好き!でも、その能力を少しは学問の方に向けよ!!!!)、
入試の時の折田先生とか、京大の学生は実に面白くて、
そういう所が好きだ。でも、英語もう少し勉強してね…
#最後のは僕が担当している文学部英語Bに出ている学生さんや、僕の研究室の
#学生さんたちへのメッセージです。
##おや?最後はやはり教育に…


2014年9月2日(火曜日)

上から目線

カテゴリー: - susumuhayashi @ 04時17分38秒

二つの締切は、まだ、出来ていないが、お蔭で、他の仕事がはかどる。 :-D :hammer:
締切というものはストレスなので、それから逃避しようとして、他の、まだ、締切が
迫っていないもの、締切のないもの、締切を設定した人(編集者など)が、半ば
諦めてしまったもの ;-)、そして、新しい展開、などが、却って、捗ってしまうのである。

ということで、なかなか進まない岩波新書「ゲーデルと数学の現代」の歴史部分が、
進みつつあり、また、締切の仕事とは殆ど関係ないのだが、教育学部の名誉教授の
竹内洋さんの本を幾つか買って読むなどしていた。

で、後者の竹内さんの本なのだが、時々、「この人ならばやれるかな?」という
学生さんに出会った時に、話していた、第2次世界大戦後の日本の超大衆主義と、
その中における学者の生き方の分析、特に、マスコミ学者、丸山眞男に代表され、
その政治的対極としての田中美知太郎とか、そういうマスコミに出ることを自分の第一の
仕事とするような学者たち、現在で言えば茂木さんのような人たちの存在が、
如何に生まれたか、また、その意味は、ということを、歴史学的に解明できたら、
すごくおもしろいよ、とすすめていた話が、ほぼ、説明がついていることを
発見!竹内さんは自分も公共知識人(マスコミにでることを主にする学者など)と
定義しているらしいが、確かに読者の想定の関係で、学術書とは言いかねるところがあり、
その分、まだ、学問にできる余地があるが、多分、そうしても、結論はあまり変わりそうに
ない。そういう意味で大変良い仕事に見える。(もちろん、見えると、そうだ、ということは
一致しない。これが一致しないことを実証できたときに、偉大な学問が生まれる。)

この竹内さんの歴史観のポイントは、「上から目線を躊躇しない」ということ。
僕も、この立場には、大変に共鳴する。

何と言われようとも、上から目線で、やります。

学生たちに、少なくとも一度は、上から目線で世界、
社会を見てほしいから。


2014年8月22日(金曜日)

システム・クラッシュと二つの締切(T_T)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時53分49秒

ときどき、直接とか、学生たちから聞いて、このブログが色々な方たちに読まれているのを聞くことがあるが、
もともとは、このブログは自分と自分の周りの人、特に専修(研究室)の学生さんたち、に見せるために始めたもの。

自分に見せるというのは、未来の自分に見せる、つまり、本来の意味でのWEB上のログということ。
時々、どう見ても誰にも意味が解らないだろうと思われるような投稿があるのは、そのため。
特に新しいことを考え始めたり、史料調査に行ったときの投稿は、そうなる。

それ以外は、基本的に、あなたの指導教員は、あなたの colleague は、今、こんなことをしてますよ、
というスタンスで書いているのだが、カテゴリーが、今回の様に「泣き言」になっているときには、少しトーンが違う。

これは、本当に泣き言。

実は、数日前に、突如、家の仕事用の、しかも、大学の研究室においてある
公費で買ったのを含めて、もっともパフォーマンスが高い自腹のPCがクラッシュした。
HDDかと思い換装してみたが、もうOSがぐしゃぐしゃらしくどうしようもない。

ということで、泣く泣く、Windows8.1 をリフレッシュ。2年弱しか使ってない水冷の高級機なのに…
#水冷にしたのは、僕の書斎が暑いから。34度はあたりまえ。
#でも、冷房に弱いので昼は冷房は使わないので、夏になるとマシンが遅くなる。
#で、少しでもCPU冷却能力の高いものをと思い水冷。

原因が特定できず、もしかしたら、マザーボードの問題かもしれないので、
念のために、同じ会社の半額程度のマシンを予備機として注文。
古い方はHDDを2TのHDDにコピー用の機器を使って換装。
で、リフレッシュ。(再インスト―ル用のデータは、SSDに
入って、マシンに取り付けられていた。こういう時代になったのか。
若いころにメイン・フレームのラインエディタでリスプ・プログラミング
をしていた御爺さんとしては感慨…)

で、面倒なのは、ソフトの方だが、何とかセーフ・モードで立ち上がるので、
その状態で、インストールされているソフトをリストして記録(デジカメ!)。
昔は、良くクラッシュしていたので、こういうのは、全部、再インストールの手順ごと記録していたのだが、
プラットフォームの信頼性があがり、再インストールの必要が減って来たので怠っていた…

で、数日かかって、なんとか、ほぼ、普通の仕事ができるレベルまで回復…
というのが、現在の状況。あっと!まだ、SnagItを入れていない…

これで3,4日予定が狂ってしまったが、31日に締切が二つもある。
#その間に、講義・演習の採点の締切も!明日!!!

で、今回は、この締切の「債権者」の方たちが、このブログを
見ていてくれたらなーーーー。

という、話。


2014年8月6日(水曜日)

この数日で考えたこと

Labyrinth of Thought 2章の翻訳作業を開始。著者はスペインの
科学史家フェレイロス。

この人の手法は僕の手法によく似ている。

それで思ったのだが、フェレイロスや僕がやっているようなことは、
数学史ではあるが、より適切には数学思想史と呼ぶべきだろう。

つまり、数学に興味があるのではなくて、むしろ、それをやっている数学者の
ものの考え方に興味がある。だから人間関係とか、手紙とか、日記とか、
未発表原稿とか、講義資料とか、そういうものに大きな興味を持つ。

僕の場合は、特にそうで、数学の歴史を理解したいのではなくて、それを通して「近代」を
見たいのであって、専門の一つだと言っている数学の歴史は手段に過ぎないとさえいえる。

元が、一応は数学者だったので、ある程度まで数学をちゃんと理解する能力があり、
それが人文学者としての強みになっているから、情報技術史とともに、
それを多用しているが、もし、元が生物学者だったら生物学史を使っていただろうし、
物理学者だったら物理学史を使っていただろう。
#同じことが生物学でできるというのは、Reenchanted Science を講義してみて実感した。
#ユクスキュルの存在は大きい。しかし、ヘルムホルツの存在を考えると、おそらく物理でも
#同じことができるはずだ。エホバがいれば必ずルシファーはいる、ルシファーがいれば
#必ずエホバがいる。ただ、ユクスキュルにあたる人がいるのか、だれになるのか、
#物理を知らない、僕は解らない。丸山君が解明してくれるかな?

昨日(5日)は以前調べておいたワイルの哲学関係の講演などをまとめた本を読む。
キンドル版なので、たちどころに手に入るがのがうれしい。これが大変に
面白い。ニーチェ、キルケゴール、ディルタイ、ハイデガー、ヤスパースなどに
まじり、シェーラーも出てくる。この人がブラウワーを、この系譜でとらえていた
ことは明らか。1949年の Man and the Foundations of Sciences という
未発表のマニュスクリプト。この中で、ハイデガーの Sein und Zeit の思想を、
英語圏の人々に何とか解説しようと延々と語っている。

「ゲーデルと数学の近代」に関連して、Mind&Nature, Kindle版、コロンビア大200年祭のパラグラフ17が面白い。

Last but not least, I have seen our ideas about the foundations of mathematics undergo a profound change in my lifetime. Russell, Brouwer, Hilbert, Gödel. I grew up a stern Cantorian dogmatist. Of Russell I had hardly heard when I broke away from Cantor’s paradise; trained in a classical gymnasium, I could read Greek but not English.9 During a short vacation spent with Brouwer, I fell under the spell of his personality and ideas and became an apostle of his intuitionism. Then followed Hilbert’s heroic attempt, through a consistent formalization “die Grundlagenfragen einfürallemal aus der Welt zu schaffen” [to answer the fundamental questions of the world once and for all], and then Gödel’s great discoveries. Move and countermove. No final solution is in sight.

フォン・ノイマンの「変心の系譜」と並行して、これも使うこと。

他の面白い点を記録:

  1. I have wasted much time and effort on physical and philosophical speculations, but I do not regret it. I guess I needed them as a kind of intellectual mediation between the luminous ether of mathematics and the dark depths of human existence. While, according to Kierkegaard, religion speaks of “what concerns me unconditionally,” pure mathematics may be said to speak of what is of no concern whatever to man. It is a tragic and strange fact, a superb malice of the Creator, that man’s mind is so immensely better suited for handling what is irrelevant than what is relevant to him. I do not share the scorn of many creative scientists and artists toward the reflecting philosopher. Good craftsmanship and efficiency are great virtues, but they are not everything. In all intellectualIendeavors both things are essential: the deed, the actual construction, on the one side; the reflection on what it means, on the other.Creative construction is always in danger of losing its way, reflection in danger of losing its substance.

今朝(8月6日…)は後期の特殊講義準備のために西谷のニヒリズムのシュタイナー
のところを読もうと思って全集を読み始めて、むしろ、リアリズムとの
関係に目が行く。以前、読んだときには理解できていなかったが、
シェリング、キルケゴールなどの西谷の意味でのリアリストの位置づけと、
上のワイルの construction を重視する人たち、というのは同じ。

西谷のは、明らかに、西田の純粋経験とダブっている。で、西谷の意味のリアリスト
たちはヘーゲルのイデアリズムを通ってリアルに接続する運命にあった
という点を読んでいて、自分の立ち位置をようやく理解。
#また、これは上に書いたワイルの哲学の議論と完全に連動している。
#ただし、飽くまで西谷は哲学者の、ワイルは数学者の立場にたって
#語るため、見かけ上は、かなり異なるのだが…

要するに僕が哲学に最終的には違和感を持つのは、この点。つまり、僕の
ようなプラクティスもやっている人間には、これは哲学の範囲の中で
哲学でできないことをやろうとしている無謀な、まるで、気持ちの問題により、
*安易に*太平洋戦争に突入した大日本帝国の行為のようにみえる。
#太平洋戦争突入が、犹澆爐忙澆泙譴名況”に置かれたからだ、
#などという*言い訳*は、僕は絶対に受け入れない。人間は這いつくばって
#でも生きるべきだ!!

だったら、歩き回れ、蹴っ飛ばせ!、と言いたくなる。

で、実際、僕は、そういうときは歩き回るし蹴っ飛ばす。

ただし、それだけでは危うい。僕は、ワイルの

Creative construction is always in danger of losing its way,
reflection in danger of losing its substance.

に共感する。そして、これはウェーバーの理想型の思想でもある。
だから、ウェーバーが好きなのだな。


2014年5月20日(火曜日)

不如帰忍音

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時07分01秒

不如帰忍音 1:00AM近く


2014年5月15日(木曜日)

この2ヶ月ほどの仕事

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時42分14秒

2ヶ月近くブログを書かなかった。

この間、多くの仕事をしたが、
それに忙しくてブログを書いている暇がなかった。

漸く一段落というところで、この間に見つけたこと、
考えたことをメモっておく。

このブログは、自分の研究の覚書と、専修の学生さんたちに、
自分の指導教員が、今何をやっているのかを伝えるためが、
最大の目的なので、今回の場合は、後者が目的。

1.何年も前から執筆中の岩波新書「ゲーデルと数学の近代」の
書き方を、最終的に決定。序章を書き終わる。これがもっとも
時間を割いた仕事。書き方を変えたら、
1章以後もドンドンかけるようになった。 要するに、いままで、
まだ完全には理解できていなかったということ。
 最大のポイントは、不完全性定理の数学への影響を、
「数学者に哲学を忘れさせることにより、数学の近代化の最後の
ステップを踏ませたもの」と理解すること。ヒルベルト計画は、
ヘルムホルツのカント哲学に絡ませた生理学研究のような、19世紀
ドイツ的な哲学の問題を科学で解くという方向性の研究が、偉大な科学者
たちにより実行されたものの最後のひとつと考える。これで、
新カント派研究にも自然につながった。しかし、まだ、ウェーバーの
背景の西南学派との繋がりが見えない。これが見えれば、さらにヒルベルトと
ウェーバーの類似性の本当の意味が理解できるだろう。中嶋君の研究に期待!
 しかし、ヘルツホルツ・ヒルベルト的なものが時代遅れだと分かるのは、もちろん、
現代から見ているからで、この時代には、数学では、まだ可能性が残っていた。
だからこそ、フォン・ノイマンやエルブランがヒルベルト計画に関わった。
しかし、不完全性定理でそれが完全に変わる。
 そして、数学化されたポール・ロワイアル伝統論理学である
公理的集合論(シロギズムの数学化である述語論理の上に、
クラスの理論の数学化である集合の公理系を乗せたもの)を、
哲学から切り取り、数学の中に置くことにより、逆に数学から
哲学を完全に排除したのがブルバキ的な現代数学という立場を
とる。この見方を、フェレイロスの説「リーマンの影響
を受けて、デーデキントが、集合概念を哲学(論理学)でなく数学の一部だと
見なしていた」を根拠にして主張する。また、このフェレイロスの説のサポートの
ひとつして、Russell の The Principles of Mathematics の「数学者がいう
集合」についての言及、つまり、彼が自分のクラスを集合と一応わけて考えて
おり、それを伝統的論理学のクラスを元にしたものと考えていることを使う。
 代数幾何学の浪川先生や、整数論の三宅先生に教えていただいた、
これらの分野でのクロネッカーへの高い評価、特にヴェイユによる
高い評価(ヴェイユ予想の背景)を物語るヴェイユのICM1950での招待講演
と、それと見事なコントラストをなすザリスキの招待講演の対比や、
ヴェイユ、エルブラン、シュバレー、そして、フォン・ノイマン
の間の関係や、彼らの書簡や、ヴェイユとシュバレーのエルブラン回顧、
そして、ワイルの Die Idee der Riemannschen Flaeche の前書きの1-3版
での変化や、ワイルの Open world 講演末尾のハイデガーへの言及、
子息による回想、フォン・ノイマンの The Mathematician 講演などを
根拠史料として使い、今は、忘れられている哲学と数学の固い絆の理解と、それが
不完全性定理により、数学の側から切り離されてしまう過程を描き出す。
 これで、20世紀後半以後からみれば、実に奇妙な、
デーデキントの無限の存在の哲学的証明や、ヒルベルトの「過剰」な
哲学への関与が、彼らにとっては自然なものだったことが
理解できるようになった。(しかし、すべての人に自然であったのではない。
Kronecker, Friedrich Wilhelm Franz Meyer, Study のような、
反応、なぜ、哲学を数学に持ち込むのかというベルリン系の否定的
反応がこれ。どちらかというと、結果としては、こちらが近代。)
 浪川先生の若いころの解説や、伺ったお話が、重要なキーになって
理解できた。深く感謝。

2.後期の特殊講義に向けて、西谷と西田、特に前者を本格的に読み始める。特に
大谷大学での講義記録が、西谷、田辺、ハイデガー、西田の関係を読み取る
ために、非常に良い手がかりとなる。これが、昨年の後期講義「論理学の歴史」の
最後に試験的にやってみた、ハイデガーと論理学(伝統論理学と、それを継承した
新カント派などの論理学)の関係と、見事に連動していることに気が付く。
これと1に書いた話を合わせて、ゲーデルの歴史観と
西谷のニヒリズム論の類似性も、自然な話として理解できるようになった。
 これに伴い、出口さんのネオ西谷主義論文での西谷哲学の解釈が完全な誤読であり、
また、どの様な構造で誤読が起きているかも分かった。分析哲学の人は、
どうして現実の歴史を無視してモノを考えるのだろうか。
自分で自分の脚を縛って歩いて独りで転倒しているように見える。
僕の学生さんたちは、そんなことはしないでね。(^^)
#ある思想家の説が正しいかどうかを客観的に論証することは不可能でも、ある思想家が
#何を言いたかったのかは、歴史的史料を時代背景を考慮して、
#綿密に分析していくと、ほぼ客観的に解明できるのに…

3.古地震学の人たちとの交流が始まる。これは主に橋本君が担当。
これができたら、凄く面白い。まさに、古文書に閉じ込めれらた知を開く、
知のネットワークができる。しかも、これが集合知とかビッグデータの
社会的仕組みの典型例になっている。育つと良いが。
うまく行けば歴史学が人命を救うことになる。
いずれにせよ、知は力であることは間違いない。歴史の知は国力。


2014年3月21日(金曜日)

久木田さん送別会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時10分39秒

久しぶりに、実に目出度いことがあった。SMART-GSの重要な開発メンバーで、
僕の田辺元研究の協働研究者の久木田さんが、長い非常勤生活に
終止符を打ち、名古屋大の准教授に採用され、その祝賀会というか、
追い出し会があった。

伊藤邦武先生まで参加されて、やはり、伊藤先生も、
随分喜ばれているのだなという印象。 :-)

久木田さんは、長い非常勤生活、大変だったでしょう、
と僕が聞いたとき、僕は自分の好きな(ということは納得する)ことしか、
しませんから平気でしたと言っていた。

しかし、そう簡単な話ではないはず。久木田さんらしい、
素晴らしいやせ我慢!奥さんは大変だったはず。
でも、まともに生きていれば、いつかは、奇跡は起きる!(ことがある)

僕は、自分自身のことで、それを実感しているから、
久木田君にも、それが起きたことが本当にうれしい。

できれば、他の、本当に頑張っている人たちにも、
それが起きますように。

そう願わずにはいられない。

ちなみに、この祝賀会で、森田さんに会う。

丸山君、森田さんは、自分自身で「数学者」と名乗ったことは、
一度もないそうだよ!それと中沢新一さんが変だというのが、
あってみてわかったとのこと。岡潔に入れ込み過ぎているのは、
閉口だけど :-(、丸山君が違和感をもつ様な人ではなさそうだよ。

苛めないように。 :-D :-D :-D

ところで、ご自身の哲学の論文、頑張るように! :-x


2014年3月19日(水曜日)

大学人の責任

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時29分57秒

小保方晴子さんのSTAP細胞の問題がマスコミやWEBの世界をにぎわしている。
実は4月からの2回生向け講義で、iPSやSTAPが目指すエピジェネティクスの
リプログラミングの問題を取り上げることにしていたので、STAP細胞は、
僕にも興味深々の問題だった。

STAP細胞の報道を見たとき、感じたものは、ある種の違和感だったが、
もし、これが本当に正しいのならば、僕がもつ日本における科学・工学や、
特に日本の大学が持つ問題への意見が間違いだったことになるのか、と思って
いたのだが、結果としては、自分の意見の正しさを再確認することに
なった。しかし、それは悲しいことである。

もし、STAP細胞の現象が現実に存在しても、小保方さんは、科学の世界からは
追放されるしかない。気の毒だが、この人はそういう人なのである。

しかし、この問題の責任は、小保方さん一人にあるのではなく、
我々、日本の大学人全体にある。ある意味では、小保方さんは、その日本の大学人
が犯した犯罪の被害者だともいえる。

ただし、これは自戒の意味で言っているのであり、僕は、絶対に小保方さんと
いう人の行いを許容するとか、見逃すべきではないと思う。この人は、絶対に
科学の世界から去る必要がある。こういう人がいると科学は科学でなくなる。

この人を許容するならば、僕が大学人として、それが正しい道と信じて、
自分の学生たちに、彼ら彼女らからみれば、厳し過ぎる態度で当たって来た、
そのすべてが虚妄になる。僕が、学生たちに、自分で後で考えても、
厳しすぎる対応をするのは、自分の学生たちには、小保方さんのような人に
なって欲しくないからであり、それが彼ら彼女らの未来の手助けになるはずだと、
教育者として微力な自分が、彼ら彼女らの未来に、たとえ少しでも貢献できる道
だと思うからだ。

しかし、これも弁明に過ぎない。我々の罪は重い。

僕は、この様な事態を招いた大学人の欲望による日本の大学の劣化に抵抗してき
た自信がある。しかし、その抵抗はあまりに微力で、何の効果もなかった。
それならば、言い訳の証拠づくりでしかない。

僕という大学人の罪も重い…


2013年10月25日(金曜日)

歴史学の未来

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時37分03秒

来年度の情報技術演習I,IIの擦り合わせのために関西大学喜多さんと相談。

その際、歴史学者の能力(喜多さんの言葉では expertise) や digital humanities の話になり、数十年後の歴史学が、史料が電子媒体に主に記録されていることにより、
大きく変わるのではないかということで意見が一致。

それについて、僕は、現代史の小野沢さんとの議論を通して、あまりに膨大な史料が残ると歴史学がビッグデータ解析になってしまわないか、その際に、僕らのような
史料ベースの研究を行う、つまり、テキストを深く読む能力で生きている人間は能力を発揮する場所がなくなるのではないかと思っていたのだが、喜多さんは、そんな
ことにはならないという。その理由は、たとえばオバマの意思決定は、オバマが残した記録の読み込みでしか解明できないからというもの(オバマという例は、ただし、
僕のもの)。

これは正しい!僕は完全に思い違いをしていた。データの数が多くなるということだけで、なぜかそれがフラットなWEBのようなものだと誤解してしまっていた。
考えてみれば、一国の意思決定のほとんどの部分は少数の人々によってなされる。つまり、史料の重要性にはムラがある。そのことを考えれば、歴史研究の中枢部分は、殆んど
変わらない。しかし、たとえば、太平洋戦争、第二次世界大戦を引き起こしたのが、軍部だったのか、国民だったのか、そういうことの分析は、今まで量の問題で
できなかったようなことができるようになるかもしれない。そういう部分にも、僕らのような歴史学者のスキル(expertise)が生きるのではないか、というのが
喜多さんの意見(ただし、太平洋戦争云々というのは、僕が考えた例)。これも実に納得!!!

となると、SMART-GSのようなテキストを読む人の力を増強するためのツールは、そういう歴史学の仕事に大変役に立つものになるだろう。
そういう機能を考えるのも面白そうだ。

しかし、喜多さんは、まるでリッカートのような議論をしていた。理系の人はジェネラルな方法で自動的に問題を解決したがるが、
歴史家は、一つしかない歴史を相手にするので、それと方法が全く異なる、というもの。その通りなのだが、まるで西南学派そのもの
の議論。リッカートを踏まえて言っていたのだろうか。後で気になってきた。今度会ったら聞こう。


2013年10月5日(土曜日)

後期始まる

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時22分34秒

後期の演習が始まり、久しぶりに学生さんたちの顔を見る。

カッシーラからの引用で、ヘルムホルツが出て来たところで、Thompson君から、
今読んでいる、ロシア(ソ連)におけるサイバネティクスについての本にも、
ヘルムホルツへの言及が何か所かあるとの指摘。彼はマルクーゼの孫弟子なので、
この辺りに詳しい。ウィーナーの人間機械論には、最初、資本主義への
不信が見えるが、それが後の版では、アメリカの企業人たちのお蔭で、
人間の機械化への懸念が避けられたという記述になる。

この辺り、カーネギーたちの時代の猛烈熾烈な資本主義が、批判を受けて
ビナインなものになり、アメリカがある意味で、社会主義的になっていった
点や、ギデンズたちの Japan model v.s. ウェーバー官僚制モデル、との
話とも関連するだろう。(クロッペンバーグによれば、そのアメリカにおける
社会民主主義とでも言うべき、プラグマティズムの伝統の体現者の
オバマが、またまた、左右イデオロギーの対立のために苦しんでいる…)

いずれにせよ、ロシア、共産主義、社会主義、ルートの
話は重要。Thompson君に、関連した話をしてくれるよう依頼。英語でやってもらう
かな… :-D3回生の人たちには、またまたきつ過ぎる。やはり日本語だな。 :-)

演習には久しぶりにPDの溝口君も参加。相変わらず宮城県山元町で
思い出サルベージの活動を続けているが、
アンケート調査を開始するなど、社会学への実質的反映が出て来て期待大。

こういうボランティア活動の当事者、しかも代表、が社会学者というのは、
珍しい。いってみれば、ある社会学者の研究対象が、その社会学者自身
ということ。このリフレクションにはプラスの面もマイナスの面もあるだろうが、
昔は、そとから見ること=客観性、という思い込みがあったように思える。実際は、
見る位置で客観性が自動的に担保できたり消えたりするわけではない。見る人の
心構えと方法のみが客観性を担保する。

僕の情報学、数学の歴史学的、社会学的、研究ものこの自己参照的性格をもつ。
ただし、数学の場合は、元がつくし、やはり、僕は本質的に数学者とは
言えない人なので、情報の場合とは少し違うが。ここ辺りが、最近、
学問として漸く、まとまった形になってきた、僕の「数学を対象とする歴史学、
歴史社会学」の研究が、数学史に興味を持たれる数学者のひとたちに、すれ違って
受け取られる原因だろう。ただ、文系の学者のなり立てのころは、それが自分でも
良くわかってなくて、数学史家と名乗っていたので、それも誤解を招いているのかも。
実際、そのころやっていたのは、本当に数学史だったのだが、今は、それは、
僕のアクティビティの全体のなかでは、ちいさい一部分に過ぎなくなっている。

といいつつ、早くその純粋数学史のヒルベルト論文を完成せねばならないのだが、
今年の夏休みもダメだった。(^^;)
#数学の歴史社会学の岩波新書「ゲーデルと数学の近代」も進まず。
#先日の特殊講義に来ていた理学部の学生さん(もう大学院進学なんだな。
#時がたつのは(老人には)速い…)に、まだ、ですか、と言われてしまった。(^^;)
#頑張ります!
#…と何時も言っているような。 :-D
#でも新しいことが夏休み中に随分沢山わかったよー。 :-)


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