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2014年6月24日(火曜日)

Emil du Bois-Reymond の伝記

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時28分29秒

Emil du Bois-Reymond の伝記が昨年出版されていたことに気が付き昨日注文。ハードカバー版が、もう今日大学に届いていた。

Anne Harrington は、Ignoramus et Ignorabimus を、物理万能主義、機械論的世界観に基づく傲慢として理解しているようだが(物理学、化学などの19世紀的自然科学で語ることができること以外については、科学者は語るべきでないという意見だという理解)、ビスマルクとローマン・カソリックとの間の Kulturkampf を背景とするものだという解釈まであるらしい。この時代らしい、科学の大政治家の発言だから、複合的なものか?

Harrington の解釈は、おそらく、このページに引用されている Cassirer の Determinismus und Indeterminismus in der Modernen Physik 1937 の解釈と同様だろう。Emil du Bois-Reymond の科学的・社会的背景を考えれば、Cassirer, Harrington の解釈が自然だ。Cassirer の文章の、Accordingly the demand for “explanation” not only cannot be fulfilled here - strictly speaking it cannot even be raised: ignorabimus is the only answer that science can give to the question of the essence and origin of consciousness. というフレーズが面白い。この解釈は Wittgenstein の Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen. の意図の哲学を科学に置き換えたものになっている。 Tractatus logico-philosophicus は1921年刊。これが第一次世界大戦の戦場で書かれたのは有名な話。一方、Cassirer の Determinismus und …. は 1937

Cassirer の次のフレーズが面白い:

Of course the attempt was made to escape from the radical consequences he had drawn. There was no ready surrender to the apodictic dogmatic conclusion of du Bois-Reymond’s speech. But there seemed to be no doubt that here an important and pertinent problem had been raised with which epistemology and science had to wrestle using every power at their disposal. Even the neo-Kantian movement, which began in the early seventies almost at the time of du Bois-Reymond’s speech, did not at first alter the situation substantially.

Cassirer は、新カント派の哲学も、du Bois-Reymond の materialism に答えられなかったと自ら書いていることになる。第一次世界大戦という経験の意味の重さ…

いずれにしても、これは、容易に判断しがたい。調査が必要。Cassierer の1937の原典も読むこと(人文研図書館にあり。なんと、山本義隆さんの和訳がある!)。

この調査のために、この本は実にありがたい。Harrington の本では決定論者についての情報が圧倒的に欠けていたので、これから一次史料にあたって調べるのは大変だなー、と思っていた所だった。医学部図書館に行くと、こういう時代の資料がちゃんとあって読めるのだが、僕の知識が圧倒的に欠けている生物学史・医学史をやるのは大変だなー、と思っていた時に、この本を見つけたのだから、\(^ ^)/ バンザーイ・バンザーイという感じ。それに、大好きだった岳父龍一と同じ分野の研究ができるのが何かうれしい。 :-)

ヒルベルトの、あの過剰ともいえる反応は何だったのか?ヒルベルトは、Emil du Bois-Reymondの半世紀近く後の時代の人だ。慎重な判断が必要。

いずれにせよ、忘れ去られていたEmil du Bois-Reymondの伝記が、しかも、英語で出版されるということは、今の歴史研究の状況の象徴だ。

これからの10年、20年で、日本でも数学基礎論論争がらみの既存歴史観が音たてて崩れ、新たな史料ベースの歴史観が広まるだろう。これに向けて、岩波新書と、フェレイロスの和訳を頑張らねば。もうすぐ7月、フェレイロス和訳プロジェクトに参加している人たちに一度集まってまらわなくてはいけない!

京都学派の史料保全の仕事もしなくていけない。今日、常滑市の「谷川徹三を勉強する会」から、田辺元から谷川への書簡をまとめた簡易製本の書籍が届いた。ご自身たちでは「勉強する会」と謙虚に称されているが実に立派な仕事。大学の先生方も、特に哲学(「史」が付かない哲学)と称している人たちには、見習ってほしいほどだ。それなのに「勉強」と称しているのは、ちゃんとしている人ほど謙虚だという経験則の例のようだ。

今回の挑戦的萌芽研究の科研費は、こういう、それぞれの地域、グループ、個人で、行われている京都学派の資料保全の努力を社会と未来に伝えるための「場」を提供することを目的とする旨、先日決まったが、こういう活動は、正に我々が記録し紹介すべき活動だろう。実に、素晴らしい!他にも同様な動きがきっとあるに違いない。


2013年6月27日(木曜日)

McLartyのGordan論文の問題点2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時14分15秒

2013.08.28 に調査をし直し、大幅に修正。同日、投稿の同じ題名の投稿の3にそれを置く。

1889年M.A.のbinary form のゴルダン問題の短い証明と、1888年、Goett.Nachrichten、1890年、M.A.のn変数formのゴルダン問題の証明、および、それへのゴルダンのかかわり方。

書きかけのヒルベルト論文など調べたら、昔、理解していて、史料に線を引いたり論文に簡単な説明を入れたりしている。それをすっかり忘れていた。(^^;)

で、再度忘れないようにメモ!

1.1889年M.A.の証明、Leipzigでゴルダンに助けてもらってかんがえ,ゲッチンゲンに向かう前に、手紙でクラインに知らせ(Klein,Hilbert書簡集)、(論文の最後にある)1888年3月30日ゲッチンゲンという日付と場所の記述から、ゲッチンゲンでクラインに直接渡したと思われる、この証明は、ヒルベルトの1897年の講義、英訳、Theory of Algebraic Invariants, Cam.Univ.PressのII.1に証明がある。これは、I.11で示された2変数x1,x2のformとx1/x2の1変数多項式の対応を使い、invariantを、その1変数代数方程式の根の差の関数として表す方法を元にしている。

2.その故に、同訳書、p.116(II.1)に注意されているように、これは2変数でしか使えない。

3.それを一般化できる証明が有限基底定理による証明であり、ヒルベルトはこの2証明の関連を説明していない。もしかしたら、ない。あっても、簡単ではないのだろう。

4.だから、McLartyの、ゴルダンがヒルベルトのtheologyを実は助けていて、ライプチッヒでそれについて二人が議論していたという記述は歴史資料の勝手な読み込み、自分に都合が良い読み込みによる錯誤。歴史学者の立場から言わせてもらえれば、学部の学生でも許せずに、長々と説教をしないといけない程度の錯誤!!!

で、一つ、収穫。McLarty がとんでもをやってくれたおかげの収穫:おそらく、1889年のバイナリの場合には代数学の基本定理が使われている。この時代の数学者には、解析学と代数学で、使える方法を分けているような傾向がみられる。この「不純」さを嫌ったのが、クロネッカーの「有限主義」。実際には、「代数主義」だったはず。これはニュートンが微積分学で得た結果を、プリンキピアでは、すべてユークリッド幾何学で書き直した、セルバーグの素数定理の初等的証明(つまり、解析整数論を使わない証明)に、フィールズ賞が与えられた、というのと同じ、数学のセンスの問題。

ゴルダンの気持ちの悪さは、こういう数学の「センス」の問題であったはずであり、また、ヒルベルトは、「既存のセンスを無視するとよりセンスの良い数学ができる」ということを示したわけ。それが有限・無限の問題に、なまじ、関連していたいのが不幸だったのだろう。おそらく、数学的センスによる代数・解析の対立は、有限・無限で特徴づけることはできない。大幅に重なってはいるはずだが。(解析学の算術化が始まる前のことを考え、歴史的に言えば、解析学とは実は無限次元多項式による無限次数代数学なのだから。)他の書簡などで、こういう点を示せないか。ただ、マイヤーの報告論文では、Wissenschaftとして疑問がでているという記述ある
ので、こういう点だけでないかもしれない。しかし、これはクロネッカー派の人たちが言っていた可能性もある。これもベルリン系の数学者の間の手紙でいけるのでは?

この二つの証明の成立の歴史と、LCMによるその構成性のdegreeを分析する論文を別立てで書く必要あり。

しかし、理解不可能なのは、Hilbert の全集やHilbert,Klein書簡集など、少し丁寧にチェックすれが、すぐに解る、1889年の2変数の場合の証明と、1890年公刊の証明との違いを、全く読めておらず、そればかりか、勝手にクロネッカーについてのエドワーズの研究のパターン(これはすばらしいもの!)をゴルダンの場合に、検討もなく適用し、結論ありきでトップダウンに議論を進めて、挙句の果ては、活字でIhnen と書かれているものを(Hilbert,Klein 書簡集)、ihn と読み替えてしまい、himと英訳までして論文に書いてしまうこと。

これが招待講演なのだから驚く。最近の経験で「史」の文字が付かない(つくのは西哲史など)哲学の人の中にはテキスト読解能力が、僕ら歴史家の常識からしたら、信じられない位低い人が多いらしいとわかって、茫然自失に驚いていたのだが、これは国内だけでなく、アメリカでも同じなのかも…
#Sieg さんとか、Paolo Mancosuさんとか、まともな人もいる。そのあまりの落差…

英米系の哲学者の書く歴史は今後信用的できないな…
もちろん、それらが全部うそという意味ではない。
かなず、最高レベルの懐疑をもって読まないといけないという意味。
しかし、そういう作業を必要とする論文、書物を読むのは時間の無駄だと思うのは自然なことだろう。
また、そういうことをして平然としている凡才とか、あたかも哲学史をやっているように書く人たち
を批判するのは当然のことだろう。クリプケのヴィトゲンシュタインは、哲学史には見えず、それを
ネタに自分の考えを書いているのは明らかだった。そういうのならば、僕も文句を言う気はしなし、
内容が良いので、素晴らしいと思う。しかし、いかにも歴史めかして、努力不足のものを書くのは
歴史家の立場からしたら、止めてほしいと思う。迷惑だ。

先日、伊勢田さんに頂いた面白い本の伊勢田・須藤論争で、
須藤さんのあまりの不勉強と物理帝国主義に付き合わされた、
伊勢田さんに同情したが、この点に関しては、まったく、
面識のない須藤さんに共感。
#伊勢田は、問題のあるものを書いたのを見たことがないが、
#ただ、同じ哲学の業界人として、この問題を理解しながら、
#許容しているらしい。しかし、ポストモダンや現代思想ならば、
#すでに、その「トンでも」性が広く知られているから、ある意味では、
#何を書いてくれてもよいことはよいのだが、アカデミックな哲学者がそれを
#やるのは理解できない…


2012年1月26日(木曜日)

次は美学だ!..???

廊下で、たままた、美学の吉岡さんに出会ったので、迷惑かとはおもったが、講義でやっていた、
美術・建築におけるモダニズムと数学のモダニズムの関係について、僕の意見をどう思うかを聞いた。
で、興味をもってもらえたようで、素人美学ながら、案外、いい線いっていたらしい。
僕が、学生さんたちに話していた内容は、メインストリームのモダニズム(?)解釈らしく、
グリーンバーグのものだそうだ。驚いたのはハウスドルフが文学者(?)であることを
吉岡さんが知っていた点。美学などでは有名なのかも知れない。それともポストモダン
の方かな?

原稿を書いたら、読んでもらえることになり、大変に嬉しい!! :lol:
で、調子に乗って「次は美学をやる!」と言って八杉に笑われた。(^^;) :hammer:


2011年5月8日(日曜日)

身体論・人間学から種の論理へ、そして数学史

種の論理が、その直前への身体論、心身論から生まれたという竹花さんの講演を「善の研究」出版100年記念の会議で聞いたときは、
大変おもしろい指摘で、田辺が、これに関連して後に自分の病気が種の論理の契機なったと書いたことの理解として(これが僕には
何か全然わからなくて、咽喉のかかった小骨状態だった)大変良いと思っていたのだが、どうも、そんな軽いものではない。
7,8日の引用から明らかなように、処女論文からあった志向性が、この段階で、ほぼ明らかになり、まだ、理論(論理)構造を
つかめていないが、その条件は、ほぼ、すべてそろっている。欠けているのは「社会」というタームぐらいだろう。
しかし、すでに「共同体」まではでている。そう考えるとシェーラーの Wissenssoziologie は大きな契機だったのでは?
面白いのは、すでに弁証法が完全に前提となっている点。これはやはりマルクスなのか、それとも純粋哲学的動機のほうが、
大きいか。全集4ではマルクス主義の姿が見えない。マルクス主義・弁証法との対峙と、全集4で示された性の哲学の
理論化=論理化=被媒介化の方向と、田辺が弁証法研究に傾倒したという、この二つのほぼ同時に起きている(前者が
一応は後だが)歴史的プロセスの関係がわからない。これ大きな興味深い問題。

風邪で寝込み中に、竹花さんにもらった論文別刷りを読んで気になり、竹花さんが参照していた全集4の諸論文を調べた。
その結果わかったことをメモッたのが、5月7−8日の投稿。その纏めが上のメモ。

要するにWeylの1921年の危機論文、Ueber die neue Grundlagenkrise der Mathamatik
http://www.scribd.com/doc/49885193/Hermann-Weyl-Ueber-Die-Neue-Grundlagenkrise-Der-Mathematik
がひとつの例である、第一次世界大戦前後のドイツ思想界の激動と変化を田辺の人間学はみごとに反映している。
単にマルクス弁証法への対峙で種の論理の発生を説明するのは間違い。

今まで調べてきた様々な分野の歴史・思想史研究間の関係が、すべて関係。要するに現代の西洋哲学の2分の弊害により
見えなくなっているウィルヘルム2世朝からワーマール共和国にかけての激流のようなドイツ思想史の問題。数学基礎論史は、
そのひとつのエピソードとなる。(ただし、重要なエピソード。)

関連するもの:
1.数学(基礎論)史
1.1.Gray, 林の近代性の視点からの数学史
1.2.
2.思想史。主に科学・数学に関連する思想史
2.1.Michale Friedman, Alfred Nordmann 系統の研究
2.2.これらは、いわゆる科学史や科学哲学どいう「専門分野」とはずれているが、
 Friedman, Nordmann eds. の proceedings(?) に GrayとLuetzenの
 論文があるのが、これに道をつけている。
3. 思想史
3.1.Herbert Schnädelbach, Bambach など。
4.そして日本では京都学派。
4.1.今は田辺のみだが、九鬼、三木、戸坂、高坂など、特に第2,3代世代への関連は?
 時期的に岩波の哲学講座昭和6年が手懸かりとならないか?これらの著者が多く書いている。


2011年5月7日(土曜日)

史料メモ#126、明証の所在

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時31分51秒

明証の所在、全集4巻

(1)pp.273-286. Sosein 対 Dasein の関係をキーに、Ontologismus の話が続く。
p.276に「今日の数学の基礎に関して公理主義形式主義を採る人は最も明白にこの立場を代表する。」
この立場とは、「数学的対象のDaseinはそれのSoseinを越えてそれの外に成立するもではない」、
つまり、現実とは形式そのものなり、という立場。p.277 に「数学的の存在の明証は、
対象の Sosein を規定する公理の志向する所を、意識に於いて直観的に充実する途が与えられて
始めて成立する。これ公理主義形式主義に反対する直観主義の主張に外ならぬ。私は今日重要なる
論争点となって居る両主義の対立に関し、明証論の上から観て公理主義には未だその説に何か欠けている所が
あるのであって、直観主義の方が一層具体的なる立場に立つのではないかと思ふ。
ともかく後者が意識に於ける対象の構成に対し直観の通路を重要視するのは疑いもなく正当であろう。」

(2)p.281 併しながら ideale Gegenstaende に於いてそれの Dasein が有限の
Sosein に含蓄せられるのと、reale Ggenstaende の Dasein が Sosein の無限系列の総合の極限
をなすのとは、本質上一に帰せられない相違を有する。

ここにも、種の論理成立にブラウワーの数学思想が絡む「理由」が見出せる。

(2)をuniversal algebraなどのduality、完全性定理の言葉で言えば:
しかしながら、形式系・代数系において、それの構文論的モデル(自由代数、リンデンバウム代数)が有限の
形式系や代数系により記述されるのと、現実の無限「モデル」(現実も数学的存在)が、有限的な形式系や
代数系の無限系列の極限となるのとは、本質上同じこととは言えないのである。
#数理哲学的には、二つの見方がある。ひとつは、トポス理論的に考えて、否一致する、という立場。
#もうひとつは、集合論的に考えて、そのとおり、その差を生み出す、本質こそ、ウルトラフィルター
#が表現するものであり、選択公理である。そこに無限の本質があり、ライプニッツの
#contingent truth は、それを意味している。Cohen の無限小もそれであろう。
僕は、こういう思考はできる(というか、得意)だが、する気がない。意味がないという立場なので。
ただ、それを歴史学的にウラに回って見ることは意味があるという立場。たとえば、
後者はホワイトヘッド哲学に通じるか?あるいは、それは前者だったのか?
という問題ならば興味津々。


2010年10月17日(日曜日)

田辺, Scheler, Teilhabe, participation

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時42分55秒

今週の金曜日2の「田辺元を読む」の整理をしていて、今やっている田辺の思想史と、同じ金の4でやっている情報歴史社会学の話の participation の概念が繋がっていることに気が付く。Teilhabe という言葉が田辺の昭和9年の講義メモの最初にある。英語に直訳すれば participation。情報歴史社会学では、知識資本主義の実現としての Google, Web2.0 などにおけるユーザーのシステムへの「自発的積極的埋め込み」を、Web2.0 の O’Reily の participation という言葉と、Giddens の structuration theory の agency (個)と structure (組織)の関係論で説明しようとしていたのだが、田辺の種の論理に構造が似ているのが気になっていたが、まさにそれが種の論理の発想のものとであった可能性が大きいが、この解説によれば、Scheler の意味での Wissen (Herrschaftswissen, Bildungswissen, Heils- order Erloesungswissen)は、何かに Teilhabe する行為である。この内、Bildungswissen と呼ばれる Wissen の Teilhabeformen は、die Partizipation am Granzen der Welt je nach eieinem metaphysischen Entwurf der einzelnen Person; と規定されたと説明されている。これの典型は、Philosophie とされていて、まさにこれが田辺の哲学の意味であり、また、種と個の関係といえる。一方で、
Herrschaftswissen は Welt の greifbaren Aspekten der Welt への unendlichen Prozess des Wissenfortschritts を通しての Partizipation とされる。残り一個のは、宗教あるいは神秘主義であり Partizipation am Weltgrund である。Herrschaftswissen は無限のプロセスで greifbar な真理に近接する、つまり、Natorp 的な極限知としての科学(特に自然科学)。Scheler 哲学を知らなかったので、これの意味がわからなかったが、これで判ってきた。

そうなると、昭和9年の講義メモの Sosein, Dasein の議論も意図は明瞭となる。昭和4年、「明証の所在」における Cogito ergo, sum を用いての Sosein と Dasein の議論には、数学基礎論、特に公理主義への言及が登場する。Cogito = Sosein と、sum = Dasein は外延的には一致しても、内包的には、「真の個」を持ち得ない前者は後者と異なる、とされる。そして、Sosein を公理主義的存在論の存在に結び付けている。これもピッタリ、全体の枠に嵌る。

とにかく、この Teilhabe を「知の総体に参加、あるいは、所属する(集合の要素のように「入る」のでなく、ベッタリと貼り付くという意味での所属)こと」と理解すれば、まさに participation という言葉で、Web などにおける「積極的自発的搾取」を説明しようとしていた、僕の構想にピッタリはまる。ということで、この系統の考え方に teilhabe しよう。 :-)

田辺は、やはり、実にドイツ的。しかし、この方向で考えれば、西田の「行為的直観」なども、同じ傾向のものとして捉えられるのではないか?まあ、西田哲学は全然理解してないので、生兵法はやめとこう。(^^;)


2010年3月18日(木曜日)

du Bois-Reymond

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時31分22秒

Emile du Bois-Reymond を,scientism の系列に置くのは間違いだろう.少なくとも,昭和8年頃の日本で「新カント派などに親和性がある科学側からの哲学的反省」として捉えている事例がある.岩波哲学講座、菅井準一「哲学と自然科学の交渉」,昭和8年, pp.20-21, 「。。。かかる状勢はドイツを中心とする新カント派の台頭を裏付け、他方自然科学学徒の自家専攻の学に対する哲学的反省を自然奈良しめた、例えば生理学者デュ・ボア・レイモンの不可知論-自然認識の限界-では物質、力の本質、運動の起源、世界の合目的性、感覚の成因、言語の起源、および自由意志の不可知を声明して、世界の七不思議が唱道競られ、。。。


2010年3月3日(水曜日)

仕事がいっぱい...

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時13分48秒

石田さんの集会で疲れ,その後の入試の監督で疲れ,へとへとになったので週末は久しぶりに完全休暇をとって漸く体力が戻った.とはいうものの,仕事が山積...石田さんの集会の展示ほどではないが,情報処理学会の50周年記念の大会での大学院教育関係の集会の講演資料の締め切りが明日.まだ,全く書いてない.(^^;)その集会(11日)の前に金沢で田邊哲学と直観主義について講演だが,これの資料もできてない.これは僕にとっては始めての全部哲学史・思想史の英語講演.不安.:-( 研究科・学部の新WEBサイトのコンテンツの原稿がまだ.あせる.木曜日の連絡会議で,この新サイトの紹介もしなくては.さらに,あせるが,まあ,これは報告のための時間も長くはとれないことですし,おざなりに.←上司,同僚に見られるとまずい.;-):hammer: 説明会の方はちゃんとやりますよ〜〜〜 ←この「〜〜〜」は国母のようにバッシング受けそう.;-)これにヒルベルト論文の最後の仕上げ,新学期の講義の準備など,ということで,やはり仕事山積...

ヒルベルトは田邊研究のお陰で,結論が書けそう.ヒルベルトの思想は,おそらくカントそのものでなく新カント派の影響をうけている.彼がLCMのような「極限」でものを考えていたと思えば,理想元の話とも一致するが,この「極限」がHerman Cohen の「無限小の哲学」実は「極限の哲学」と関係がないと誰が言えるか?Weber が連発する「境界例」も,こういうのか,少なくとも Horizont と関連しているのだろう.こういうことを書く.ただし,WEBERは書かない.数学史なので.

しかし,別々の研究のはずが,このように結びつくと,やっている本人にさえ「眉唾感」があるが,これはある意味で順当.それほど,数学基礎論というものの位置が,近代思想史の中で大きいわけだ.数学の中で20世紀への変わり目での数学基礎論の重要な位置を知るには,国際数学者会議の plenary lectures を見れば直ぐ分かる.(ただし,20世紀にはいると10年ほどでほぼ消える.このころから現場の数学者にとっては「安定」が始まったのだろう.)要するに近代性の「危機」の問題なのだ.C.R.Bambach の本は,この点で実に suggestive.Weyl とかでてくるし.「近代の超克」も,数十年遅れてきた危機と思えば実に納得ができてしまう.


2010年2月8日(月曜日)

数学基礎論史はまだ書かれていない

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時29分44秒

いわゆる数学基礎論の歴史について書いたものは多い.僕も幾つか書いているし,
それが専門分野だと言っていたときもある.しかし,田辺研究を通して,19世紀を
中心とする「現代数学と哲学」のせめぎあいを理解するようになると,今まで書かれて
いたものは,論理実証主義の伝統上,M. Friedman の言葉を借りれば,neo-Kantian
から分岐した二つの道のうち,Carnap が通った道から見た風景に過ぎないので
はないかと思えてくる.それはたとえ,それへのアンチテーゼであることを強く意識しつつ書いた,
僕の「解説」でも同じことではないか?

この歴史の流れからみればヒルベルトは,自然科学の陣営ではなく,明らかに「伝統的
哲学」,特に neo-Kantian の戦士として映る.だからこそ,心理主義・物理主義の
du Bois-Reymond に強く反旗を翻したのではないか?そして,その姿を見たからこそ,
ゲーデルは「左傾化を急ぐ世界の趨勢を余所に,一人数学だけが右傾化の道を選んだ」
と書いたのではないか?ドイツ語圏に身を置いた鋭敏な人物ならば,それは肌で感じる
ことができたとしても不思議はないだろう.新カント派の政治性は今では歴史家でも
容易に感じることは難しくなっているようだが,当時ならば,日本でさえ左右田喜一郎の
社会問題研究所刊『新カント派の社会主義観』という書籍があった.

もし,この認識が正しいとしたら,「そのムーブメントの真の意味を描き出す」
という意味での数学基礎論の歴史は,まだ一度も書かれたことがないのだろう.
今までそれについて書かれたものは,Friedmanが,
“Here philosophy has taken on the trappings of a scientific discipline,
characterized by clarity of method and cooperative cumulative progress in the formulation and
assimilation of “results,” but at the expense of all contact with the central philosophical problems
that are of truly general concern beyond a small circle of narrow specialists. An engagement with
the traditionally central problems of philosophy has thus been left to the continental thinkers,…”
(Preface, A Parting of the Ways)と表現した論理実証主義の伝統から書かれており,それは,西洋哲学の
圧倒的な厚みを持つ伝統を無視した「科学読み物」に過ぎないのだろう.僕の解説とて,同じ
限界を共有している.結局,僕も Carnap が歩みだした道から,それほど外れてはいないのだから.

一方で,continental thinkers や,その影響化にあったといえるポストモダン論者のゲーデル引用
も,実は伝統からほぼ分断されているという意味で,実は極めて「モダン」であったといえる.
そのためもあって,これらの人たちの「数学基礎論史」への視線も,Carnap が辿った道を歩く人々
が用意した過去の絵を通して規定されたものに過ぎない.

このような意味で,「数学基礎論史」は,どこにおいても書かれたことがない.

それを描き出す試みは,Mehrtens, Ferreiros, Gray などにより始められている
現代数学史への新しい視線に基づく研究の上に,後,10年,あるいは,何十年かか
かって初めて可能になるのかもしれない.


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