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2019年1月23日(水曜日)

論文「西谷啓治と田辺元」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 21時42分35秒

「哲学研究」第603号に掲載された論文「西谷啓治と田辺元」を公開します。
校正中の田辺演習で、種の論理への数理哲学の影響などが、今までの、僕の説に
反して、種の論理の成立の最初からあったことが判明したのだが、それを研究として
纏めることは短時間では不可能だったので、その部分は触れず、夏休み前の田辺演習での
発見に言及するだけに留めましたが、講演「種の論理と数理哲学 田辺元昭和9年講義メモからの新発見」の様なことが分かっています。


2018年11月24日(土曜日)

第6回田辺哲学シンポジウムで報告予定

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時22分01秒

数学基礎論と種の論理との関係についての新しい史料を精査する前に、どこかで速報できないものだろうかと、
西田哲学館の中嶋さんに相談したところ、竹花さんが世話人をしている「第6回田辺哲学シンポジウム」という
ミーティングを紹介してくれた。

もうプログラムが決まっていて、割り込む余地はないが、無理を言って、
二日目のトークセッション中に、短く報告させてもらうようにお願いしたところ、
快諾してもらえた。

ということで、急遽、博多の宿を予約したのだが、驚くほど高い!!
外国人観光客のために週末が高いらしい。幸い、博多中心部から外れた所で、
むしろ、会場に近い所に、公共の宿で、リーズナブルな所を発見。

それでも平日の数倍の料金らしい。京都は観光公害といえるレベルになっているが、
博多も酷いらしい。日本にもトランプが生まれるか?

それはないだろう。多くの日本人の心の中にはトランプが潜んでいるから、
日本ではトランプは必要ない。むしろ、安倍政権が表面上親トランプながら、
実はグローバリズムを志向している点は、実に皮肉だが、マックス・シェーラーが、
日本を「少数の官僚たちが改革をすすめる、保守的な人民たちの国」と評してから、
およそ1世紀。

シェーラーが、病で急死せず、予定通り東北大の教授となっていたら、
この国を、その目でみたら、果たして、なんと評したろうか。
聞きたかったものだ。


2018年11月15日(木曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(6)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時03分47秒

「数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(1−5)」が対象とする、田辺元昭和9年講座(講義の当時の名称)の史料画像S09_027の、(1)行番号付き画像行付き画像、(2ー5)追記などで分かりづらい所のクローズアップと、その行番号付き画像付き版、計5枚を公開。

S02_027 行番号付き画像行付き画像

行47-53

行47-53 画像行付き

行70-81

行70-81 画像行付き


2018年11月13日(火曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(5)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 09時34分33秒

11月9日の演習後のバージョン。一応、ドイツ語で理解できるものは訂正したつもり。

$40$ ◎ 種ノ論理ノ特色ハWeltヲLebenヤ
$41$ Dasein(人間存在)ヤNichtsヲ媒介トシテ考フルニアラズシテ
$42$ m speziale Gemeinschaft ヲ媒介トシ世界ヲ社会ノ
$43$ 媒介ニ於テ考ヘントスルナリ.
(2018.10.12)
$44$ ◎Weltヲ実?トシテ時間ニテ考フルガLebensphil.
$45$ ExistenzialseinノMystikニ共通ノ考方ナリDialektik
$46$ ハ否定ノAbscheidung,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:renz
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ空間ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:usserlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. (2018/10/19この少しあとまで)PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektische Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikabilita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomisch, dialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphysik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphysik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガabscheidenシ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


2018年11月8日(木曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(4)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時53分38秒

満原さんからの、ドイツ語の間違いの指摘で、先週金2で修正したのを
覚えていた単語まで間違えているので、問い合わせてみたら、
ファイルの送付ミスで、ファイルが古かったことが判明。

これもやはり間違いが多いのだが、一応、最新版を再掲示:

画像

翻刻テキスト

$46$ ハ否定ノApscheidung ,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:reng
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ実間?ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:userlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. (2018/10/19この少しあとまで)PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektiche Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomischノdialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphisik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphisik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガals ahi…シ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


2018年11月5日(月曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時05分06秒

一つ前の投稿について、もう少し。

田辺は、1934年、つまり、種の論理が生まれた昭和9年に出版された Heyting の

Mathematische Grundlagenforschung Intuitionismus Beweistheorie 1934 Springer

を読んで、直観主義連続体と直観主義実数の関係が、種と個との関係に似ていることに気が付き、
そういう書き込みをした。

そして、その時から、数理の概念、つまり、連続体や実数が、種の論理を導き始めたと思っていた。

その様に、論文にも書いている。

つまり、直観主義連続体論が、人間の意志さえ数学に持ち込むことができる、
非常に特殊な連続体論であるために、この様なことがおきた。
通常の連続体、田辺が外延的と Heyting の本に書き込んだメモでは書かれている
連続体では、種の論理を先導できないので、種の論理を先導した数理とは、
直観主義連続体論でなくてはいけないと思っていたのだが(論文にもそう書いている)、
岩波数学講座で切断と弁証法を関連づけたあたりから、直観主義連続体と関係なく、
内包的な連続体を考えていたという可能性が高い。

昭和9年講座の史料(ひとつ前の投稿に、その一部分を張り付けている史料)での

数学ノGrundlagenforschungガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ免レヌ如クantinomischノdialektischナリ.

の意味することだろう。(a:はäの田辺演習での略記方法)

ようするに、僕の当初の「より穏便なシナリオ」は、ほぼ崩れ、
「過激なシナリオ」の方が正しい蓋然性が極めて高くなった。

田辺元…

なんと過激な人なのだろう…


2018年11月4日(日曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時44分35秒

 先週金曜日の田辺元演習で澤崎君が報告してくれた昭和9年田辺特殊講義の準備ノートに、
さらに数学基礎論への言及がみつかる。これで、昭和29年の「数理の歴史主義転回
―数学基礎論覚書―」における数学の基礎についての田辺の意見で特徴的なものは、
すべてそろったといえる。

そして、その記述や、それを取り巻く種の論理の構造を
構築している記述からして、驚くべきことに、田辺が昭和10年代に、
「数学基礎論が種の論理の展開を指導した」と書いたことの意味が、
僕が今まで想定していて、論文でもそう書いていた

種の論理は昭和9年(度)に社会哲学として生まれ、その後、Heyting のBrouwer
連続体論の説明を通して、数学との関連が意識されるようになり、
その後の種の論理の発展を指導した。

ではなくて、

数理、特に連続体の数学基礎論などの数学基礎論的考察が、昭和9年に
種の論理の誕生をガイドした。

と読み替えるべきのようだ。

あまりのことに、唯々、驚くしかない。

しかし、この時代としても、田辺はすでに古臭いといえるが、
まあギリギリ、そういう時代だったともいえるのかもしれない。

西谷が、その様な印象を持っていて、また、田辺とハイデガーの詩論を比較するときに書いているように、
田辺の哲学は徹頭徹尾数理から生まれてきているのかもしれない。

ただ、この数理の影響を、マールブルグ学派の様に、あからさまに見せなかったところに、
やはり、時代の変化があるのだろう。

まだ、見つかったばかりで、さらなる分析が必要だが、とりあえず、概要を以下に報告する。

田辺研究の方向性に影響を与える史料だから、研究が完成した後で、などと言わずに、
どこかで報告しておく必要がありそうだ。日本哲学史研究か、西田哲学会あたりか?

オリジナルと翻刻をSMART−GSで表示したものの画像がこれ:
(2018.11.08に翻刻が最新版でなかったことが判明。ファイルの送付ミス。
投稿「数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(4)」に最新版を掲示)

まだ検討は必要だが、種の論理における類種個の構造を
Sein Nichts Werden 三者に対応させている所があり、前後からして、
種の論理が、数理、しかも、Heyting の著作以前の、田辺の連続体理解に、
影響を及ぼした可能性が高い。

以下、該当箇所のとりあえずの翻刻(京大文、田辺元研究会)。

$40$ 種ノ論理ノ特色ハWeltヲLebenヤ
$41$ Dasein(人間存在)ヤNichtsヲ媒介トシテ考フルニアラズシテ
$42$ m speziale Gemeinschaft ヲ媒介トシ世界ヲ社会ノ
$43$ 媒介ニ於テ考ヘントスルナリ.
(2018.10.12)
$44$ ◎Weltヲ実?トシテ時間ニテ考フルガLebensphil.
$45$ ExistenzialseinノMystikニ普通ノ考方ナリDialektik
$46$ ハ否定ノApscheidung ,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:reng
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ実間?ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:userlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektiche Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomischノdialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphisik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphisik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガals ahi…シ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


2018年7月7日(土曜日)

大雨の中、田辺演習、なんと、Hilbert!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時15分10秒

昨夜からの大雨で、京津線は止まっているらしく、これは休講になるかと思って、
WEBで調べたら、どうも休講ではないらしく、念のため、総務と教務に電話したら、
通常どおりとのこと。

また、担当者の吉水君もやるつもりとのことで、田辺元演習のために登校準備。
こういうときは地元のタクシーを呼ぶのだが、いつもすぐ来てくれるタクシー会社が、
ずっと話中…

大慌てで地下鉄へ、改札口に近づいたところで、電車が出る音が聞こえた。
で、7分待ち。いつもならば、多分、乗り入れている京津線の電車が
くるところなのだろう。

東山三条では、幸い、すぐタクシーをつかまえることができて、
結局20分以上遅れて、ようやく研究室へ。

で、昭和9年講座(講義のこと)、27頁S09_027.jpg に、
すごいものが2つみつかる。

最初はのものは、これ
種の論理と世界

種の論理の特徴を、生の哲学、ハイデガー、西田などを意識して、
書いており、Welt(世界)を社会から考えることとしている。
これは後の「論理の社会存在論的構造」(昭和11年)ででてくるテーゼだが、
なんと、種の論理が建設され始める、その最初から、これが準備されていたことになる。

Welt 世界とは、田辺が数物と呼ぶ、数学や自然科学が入っていて、
社会学の論理で、自然科学の論理を解明するということになっていて、
通常の考え方の逆なので、「論理の社会存在論的構造」では、
ノイラートの統一科学などを持ち出して「弁明」をしているのだが、
かなり、無理がある議論に見えるので、種の論理を進めて行って、
少し勇み足気味に、数物にまで言及したのだろうと思っていたのだが、
実は、種の論理が、まだ、形作られてない時から、社会→数物が、
意識されていたらしい。

さらに驚いたのが、これ
Hilbert
まだ、完全には読めてないのだが、ヒルベルトの公理論を、
歴史、社会、進歩に関連づけて議論していることは確か。
もし、ヒルベルト公理論に、公理の自由性の故に、そこに
歴史が入ると言う意味ならば、これは戦後の「数理の歴史主義展開」
のテーゼ、そのものだ。

ここまで種の論理の最初に準備されていたとは、本当に驚いた。

以前から、僕は田辺を「螺旋の哲学者」と呼んでいるが、これは、
田辺が同じテーマに何度も立ち返りながら、段々と議論を進化
させるから。

例えば、戦後、田辺は種の論理を真宗の往相還相で改変するのだが、
この内、還相は、浄土の先達が、この世に戻る、つまりは、菩薩となる
ことと理解できるが、実は、昭和9年の「社会存在の論理」には、
すでに「菩薩道」という言葉がある。

田辺は、色々の可能性をいくつも考えて、その中から、適切なものを
選んで理論を組み立てているらしい。それで、古い時期の傍系的
ものが、随分、年月を経て、新たな主題として採用されるということが
よくある。

しかし、まさか、数理の歴史主義展開まで、種の論理の建設時に
考えられていたとは…

ビックリ!!!  :-o

こういう、あっと驚くようなものが、突然見つかるのが、
一次史料ベースの歴史学の醍醐味で、これがあるからやめられない。 :-)

午後、講義のために教室に行ったら、休講の張り紙。
なんでも、12時台の終わりころに吉田学区に避難勧告が
出たので、休講になったとのこと。

どうせかなり離れた東山かどこかの崖が危なくて、
そのために出た避難勧告だろう、なんと大げさな、
それなら朝から休講にしてくれと、思って、
後で調べたら、何と神楽岡(吉田山)の西側が
土砂災害警戒区域になっていた。

がけ崩れが、想定より酷ければ、情報学の建物あたり
まで土砂が来る可能性がある。

考えてみれば、白川通を超えるから、東山は吉田学区ではない。

なるほどと納得。
#調べたら、真如堂も吉田ではなかった。
#神楽岡通で分かれているらしい。

これを書いている夜中には、雨も上がり、
鴨川の水位も下がってきているようだ。
ただ、桂川は大変らしい。


2018年5月6日(日曜日)

二冊の Prinzip

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時25分40秒

京都ユダヤ思想学会のコーエン・シンポジウムというものがあるので、
そこでコーエンについて話してほしいと、宗教学のPDの吉野さんに依頼を
受けたのが、1,2ヶ月前か?

少し遅れていたレジュメを、昨日、ようやく送る。

僕は、コーエンは研究したことがないので、田辺のコーエン受容の話を
する予定でいたが、4月中頃になって、慌てて、調べ出し、
コーエンの著作 Das Prinzip der Infinitesimal-Methode und seine Geschichte(以下、Prinzip)
と田辺の関係の話にすることにした。この書は、無限小を元にした形而上学、あるいは、論理の
話で、当時としても異端の問題作であると言われているが、しかし、同時に、これがコーエンの
代表作とも言えるようなものとされている。

また、田辺は数理哲学の時代、Prinzip を手厳しく批判したバートランド・ラッセルの哲学を、
数学的にはコーエンより優れているが、哲学的深さにおいてはコーエンに及ばないとした。

西田はコーエンの Ursprung (訳は源泉かな?)の考え方が、大変に気に入っていたと
西谷が書いていたように思うが、これは、京都学派にかなり影響を与えたのではないかと思う。

田辺の考え方でいえば、数学や自然科学の様な「科学的」思考法は、外延的なもので、
その背景に科学的合理性を超える内包的なものがあり、それこそが哲学が探究するものだ、
それがコーエンの「湧き出し」としてのUrsprungだという考え方。
Du-Bois Reymond の物理学の概念の由来は、物理学ではわからないという考え方に
通じるもので、多分、当時、流行った考え方なのだろうと思う。

で、そういう思考法のバイブルともいえる Prinzip が、何故か、京大田辺文庫には二冊ある。
どちらも貴重書で、書き込みがあるが、これを調査して、報告することにした。

しかし、何故、二冊あるのか。これが以前から謎だったのだが。今回の調査で、
購入時期が、古いものが1924年以前、新しいものが1925年以後、らしいことが、
蔵書印として押されている小判型古印体の印と、角型篆書体の印の使われ方から判明。
二冊の Prinzip の一冊には小判型が、もう一冊には角型が使われている。

小判型は、いかにも安物で、角型は、かなり良さそうなもの。それで、多分、
小判型が古い、と予想。京大田辺文庫の本の、すべての出版年と押印の分布を
調べれば、どちらが古くて、大体、どの位の時期に、印を変えたのかの大体の
推測ができるのではと考えて、学生にバイトを頼んで、その分布の全ての
表を作り作業を始めた。

二日はかかるだろうと思っていたが、調査を始めて30分位のころに、
Logos という雑誌の押印が、1923年号と、1924-5年号の間で切り替わっている
ことを発見。古い方が小判型で、新しい方が角型だった。

角印が押印されている1924年以後に購入したと思われるPrinzipには、コーエンの考えが
カントル的極限(Grenze)であり、デーデキント切断にも及ばず弁証法になっていない
という意味の批判が書き込まれている。1924年に、後の弁証法転向の端緒となる
「カントの目的論」が出版されていることからしても、これは弁証法研究の時代、
それもマールブルグ学派の思想を捨てた後の書き込みと見られる。

ただ、コーエンは、無限小、源泉で、収束、極限、ではないはずで、
極限は、ラッセルのコーエン批判を受けて、ナトルプが無限小の
代替物として使ったと僕は理解している。田辺の書き込みも、
極限批判を書き込む場所としては、あまりそぐわないようにも
見えるし、ここら辺を、もう一度、ナトルプの本を読み直して、
報告する予定。

印と出版年の表の件や、Logosの印の切り替わり、こういう風に、「そうだ!」
という気付きに基づいて、地道な検証をしていると、突然、思いがけない史料が見つかる。

これが一次史料ベースの歴史研究の楽しさで、ミステリードラマで刑事が
調査をするのを見ていると、結構楽しいが、それにソックリ。史料(証拠)を
求めて旅行をしたり、その地の史料館(警察署)などを訪問して話を聞いたりと、
そこら辺まで似ている。京都学派の場合、これが全国に散らばっていて、
また、観光で訪れたいような場所だったりするので、尚更、楽しい。
しかも、研究者の役得で、一般の人が見ることができないもの、
入ることができないような場所、触ることができないようなもの、
に直接親しむことができる。

以前は、それがヒルベルト研究のドイツ、ゲッチンゲン大の図書館と
数学科の読書室だったが、京都学派の方が、色々あって楽しい様な気がする。 :-)


2017年11月28日(火曜日)

北軽井沢と軽井沢

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時00分25秒

佐藤優「学生を戦地へ送るには: 田辺元「悪魔の京大講義」を読む」を少し読む。

北軽井沢が軽井沢の一部か近くだと誤解しているらしい。

佐藤優氏は、最近、色々な所で、「太平洋戦争末期に軽井沢や箱根に住むのは「卑怯者」の証明」という議論をしているらしく(たとえば、これ)、「佐藤優 箱根 軽井沢」などでサーチすると、色々と出て来る。要するに、そういう人たちは、各国の大使館、公使館の避難先だった、軽井沢、箱根は米軍が爆撃しないだろうと考えたのだという主張。

これを使い、田辺の昭和20年の北軽沢隠遁(これに疎開の意味もあったのは、お弟子さんたちの証言からまず間違いない)を田辺の人間性に疑問符が付く証拠としていて、まず、これを前提にして田辺論が始まる。しかし、これは北軽井沢を軽井沢の一部か近くだという誤解に基づく議論だ。

北軽井沢は、本物の軽井沢から遠い、現在は寂れてしまった別荘地で、群馬県吾妻郡にある。一方で、軽井沢は、その南に位置するが、長野県北佐久群にある。

富裕層が別荘を構える軽井沢では無理だが、学者でも別荘は持てるのだ、という対抗意識もあってつけた名前が北軽井沢らしいことは、北軽井沢大学村の草創期から山荘を構えていた野上弥栄子さんの短編などからわかる。もともとは地蔵川という場所。そこに法政大学の関係者が法政大学村という学者の別荘地を開いた(鉄道の煙突から飛んだ火の粉が原因といわれる山火事の跡)。

北軽沢には二回行ったことがあるが、随分、アクセスが難しい、辺鄙な所だなとは思っていたが、距離などをちゃんと調べたことがなかったので、Google maps で距離を測ってみた。

旧田辺山荘である群馬大学北軽沢研修所(大学村の南東の外れの位置になる)から北陸新幹線軽井沢駅までを測ってみたら、13.22km だった。京都駅と大津駅の間が10km 無いので、かなりの距離。東京だと東京駅から千葉の浦安市街くらい。

Google Maps で、軽井沢駅から群馬大北軽井沢研修所への経路を調べようとしたら、なんと計算不可能だった。辺鄙…(^^;)

ということで、いずれにせよ、佐藤優氏の議論は実は成り立たない。北軽沢という地名をサーチするだけで、直ぐに解ることなのだが…。

田辺は色々言うし、本人は命がけのつもりで政府の政策批判をしたりしているのだが、最後の最後で逃げてしまうというのが、僕の持っている田辺像。

先日、京都哲学会で、田辺元と西谷啓治について話したときにも、そのことは言っておいたが、以前から、こういう問題が、つまり、田辺にそういう印象を持つ自分は、同じ様な状況でどう行動できるのか、という問が、咽喉に刺さった魚の骨みたいな感じでいる。

昭和20年に北軽井沢の夏の山荘に疎開の意味を含めて移転したことには、色々ある田辺への違和感のひとつ。北軽沢は米軍が爆撃対象にするには、あまりに小さく辺鄙で、軽井沢以上に安全であったはずだ。そして、京都から北軽沢に移住したのに疎開の意味もあったのは、ほぼ確実である。

ただ、一方で、田辺夫妻は、元々が関東の人で(田辺は東京神田、夫人は逗子辺りだったはず)、京都に染まった感じが全くないこともあり、定年退官すれば、関東に戻るのは自然な流れ。昭和20年の大混乱の中、関東に戻るとすれば、その目的地が、自分が所有する夏の山荘であることは極く自然だったろう。

明治人で、生まれた家のこともあり、田辺は大日本帝国には疑問を持たなかっただろうと思われる。それを現代から批判しても仕方がないと僕は思っているが、問題は、「国や社会の進む方向がおかしい」と判断した場合、そして、三木や戸坂のように検挙される可能性があるとき、あるいは蓑田の様なウルトラ右派から攻撃をうけそうなとき、そういう様な状況で自分がどう行動できるだろうかということ。

まだ、十分調べられてないので、確実ではないが、三木、戸坂は生命の危険をどれくらい考えていたかは疑問が残る。一番危なかったはずの戸坂さえ、死につながった二度目の収監の際に、攻撃してくるウルトラ右派に憤慨して反撃してやろうと思うという大親友西谷啓治に、戦争はすぐ終わる、自分もすぐ出て来る、そんなの無視して置けという意味のことを言ったらしい。それがああいう結果になった。歴史とはそういうもの。

大島康正は国立の帝大の教員である間は、政府に協力するのは当然で、そうでないときは、まず、国立大学の教官であることを辞めるべきだというのが、田辺の見解で、(戦後)国立大学教官でありながら政府批判をしている人に比べて倫理観として田辺の方に共感するという意味のことを書いているが、これは、田辺研究を始める前から、僕自身も考えていた問題で、それでNISTEPなどの霞ヶ関の研究所などへの協力は積極的にやるというスタンスにしていた。

僕の場合は、ITをやっている仲間たちに大企業の人が多く、そういう人たちと普通に仲間として付き合いながら、昔は強かった大企業批判に同調するのは卑怯ではないかという問題意識だったが…

僕は、諸般の理由で、30代のころから、大学を辞めても数年は無職でも生きられるような経済的条件を維持するというのを意識的にやっていた。それもあって、自分以外の教授会のメンバー全員と意見対立するというのを、龍谷でも神戸でも経験したが、こんなのは学部長になりたいとか、学内政治力を持ちたいとか、そういう気が無ければ、そして、一定の条件に恵まれれば、全然平気でできること。

しかし、田辺の時代と同じような時代に自分が置かれたとき、自分はどういう行動・態度をとれるか。正直のところ、田辺以上に毅然として立つ自信がない…

数学基礎論史とか、京都学派とか、20世紀の戦争の時代の歴史をやっていると、こういう問題に出くわしてしまった人たち、しかも、学者としての自分の先輩のような人たちの姿を目にすることになる。特に、ドイツはシビアだ。亡命するユダヤ人学者、強制収容所から逃れるため一家で自殺する学者、ナチ党に入党する学者、様々である。それに比べれば、京都学派の人々は幸せにさえ見えてくる。

今の時代は、この時代に非常に似てきている。僕と同じ時代をやっている人の多くは、そう思っているらしい。

もし、そうなったとき、僕はどう行動できるか?

田辺は、日本の敗戦が確実になり始めるまでは、恵まれたエリートコースに乗る学者だったと言える。一方で、西田は、京大に職を得た後も、小康の後、定年退職することまで、個人的な不幸続きだった。そして、京大に移るまでは職でも苦労している。その西田の晩年は敗戦の前に亡くなることも含めて比較的幸運であった。それに対して、田辺の人生は、昭和10年代ころから暗転していく。

その田辺が群馬の山奥で太平洋戦争末期を過ごしたのに対して、西田は米軍の上陸も想定された鎌倉で最晩年を送った。そのころ太平洋に面する鎌倉では米軍機の攻撃会うことが多かったらしく、同じ鎌倉に住む親友鈴木大拙に、最近は米軍の攻撃が酷くて、会いに行きたいが思う様にならない、という意味の葉書を送っている。

性格も含めて、実に対照的な二人であるが、晩年も対象的であった。

西田は海、田辺は山。


2016年10月30日(日曜日)

京都から北軽井沢へ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時01分06秒

田辺の昭和20年7月の京都から北軽井沢への移転について、調べて分かったことを記録。

実は、かなり前に分かって一度ブログに「書いた」のだが、操作ミスか何かで書いたものが消えた。

その後、色々な締切やら2週間近く続いた咽喉風邪などで書けず今日まで来てしまった。

昨日で、漸く、哲学研究に寄稿を依頼された「西田幾多郎田中上柳町旧宅について」の校正が終わったので、これを書く余裕が生まれた…

と、書きつつ、もう夜も遅いので、概要だけ書き、それにもとづいて、明日にでも詳しいデータを記録。

9月24日のエントリ「西谷啓治と田辺元」で大島のエッセイを色々と引用したが、この大島の文章がかなり間違っていることが判明。

ひとつは京都から北軽井沢への移動について、田辺が珍しく哲学以外のことなのに日記に書いているのを見つけたこと。

もう一つは、昭和20年7月の国鉄の時刻表の復刻版を手に入れて、大島の証言の矛盾が明らかになったこと。

大島の京都から北軽井沢への田辺の転居についてのエッセイは、そのイベントより遥か後に書かれていて、時間についての confusion が相当にあるらしいことがわかった。

簡単に纏めれば、大島は、同年7月のある日の朝、京都を立ち、その日の内の午後に北軽井沢に到着したかの如く書いているが、これは間違い。

このころ、全国で国鉄の急行は東京門司間の一往復のみ。特急は皆無という状況。おそらくは燃料不足が主な理由だろうが、軍用列車の優先、米軍の攻撃など、色々な理由があったはず。

いずれにしても、昭和20年7月の時刻表によれば、こういう状況下で、最短ルートの中央線経由をとったとしても、その中央線が、一日に4往復しかないという状況。

田辺夫妻、大島、西谷の4名が京都から群馬県北軽井沢に向けてとったルートは、京都から名古屋まで東海道線、名古屋から塩尻まで中央線、塩尻から篠ノ井まで篠ノ井線、篠ノ井から軽井沢まで信越本線、そして、国鉄軽井沢の向いのある新軽井沢駅から北軽井沢まで、草軽電鉄、という経路であったことは、おそらく大島の記述どおりだろう。

田辺の日記には、大島が書いたような完全なルートの記述がないが、田辺の記述は、大島の記述と矛盾しないし、昭和20年の状況からして、他の可能性は考え難い。

ただ、田辺は、朝に京都を出立し、あくる日に北軽井沢に到着と書いている。

大島のエッセイが、「田辺元 思想と回想」の中の一編として出版されたのが、1991年。

大島が亡くなったのが、1989年で、大島の原稿を元に返事達が最終版を書いたらしい。

たとえば昭和が平成に変わる1989年に、その原稿を大島が書いたと想定すると、44年前の出来事を記憶をもとに再現して書いたことになる。

つまりは、還暦を過ぎた大島が、自分の20代の出来事を書いている。

還暦を過ぎた我が身として、考えてみると、そんなに正確に日時を思い出せるとは思えない。

まあ、そういう能力を持つ人もいるが、晩年はアルコールが過ぎたのではないかという人もいる、大島の場合は、おそらくは、質的出来事は記憶に強く残りながら、日時の様な量的な記憶が曖昧になっていたのだろうと思う。

あるいは、大島の死後に、大島の原稿を編集をした人たちが、昭和50年代の感覚で、大島のテキストを勝手に変更していしまったことも可能性としてはある。

しかし、ひとつの日の間に移動することと、一夜を経て移動することには、質的と言っても良い差があると言える。

その様な、質的差異を、何故、大島の記憶は混同してしまったのか?

もし、駅のベンチで一夜を過ごす、あるいは、途中下車して旅館かなにかで一夜を過ごすということがあれば、質的出来事として、記憶に残る可能性が高いが、それへの言及がないのである。

それが疑問だったのだが、昭和20年7月の中央線の時刻表をみて、その理由と思えるものが判明。

名古屋からの、一日4往復のみの中央線の最後の列車が夜汽車なのだ。

京都から名古屋への東海道線の列車の時刻を見ても、おそらくは名古屋駅に到着して、そこでかなり長時間を過ごし、その後で、中央線の最終列車に乗ったと思われる。そして、その最終列車が夜汽車なのである。

今は、贅沢な寝台列車は別として、夜汽車というのは無いのではないかと思うが、僕が20代だったころには普通にあった。それは、今で言えば深夜の長距離高速バスのようなもの。

昼の連続として、昼間に来ていたものと同じ衣服のまま、列車の椅子の上で一夜を過ごす。そして、早朝、目的地について、そのまま活動を始める。それが「夜汽車」である。

学生時代に、夜汽車を何度も使っていた経験からすると、その様な「夜」は、前の夕刻や、次の朝に連続している。

僕の場合だと、次の日の朝に連続的につながっている。

おそらく、これがほぼ半世紀の時間の後に、大島の記憶を錯誤させた原因だったのであろう。

ということで、大島の錯誤の原因と思われることのみ書いて、その詳しい所、史料ベースの詳細記録は、次回!


2016年9月24日(土曜日)

西谷啓治と田辺元

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時58分54秒

今、日本哲学史専修の紀要に投稿する「西谷啓治と田辺元」という論文を書いていて、そのために久しぶりに「田辺元 思想と回想」(筑摩書房、1991)を読む。これに昭和20年に定年退職した田辺が、その夏、京都から北軽井沢大学村の山荘に疎開というか、引っ越すときの情景が書かれていたと記憶していたので、それを論文で引用するために調べるため。

この論文は、実は田辺と西谷の間柄が、西田と西谷の間柄より、遥かに親密であり、実は哲学の理論上でも、西谷に「否定的」な意味で田辺の影響があることを示すというもの。西谷と田辺は、西谷が波多野の退職の後に講師となってから、非常に多く議論したらしい。しかし、その割には、西谷の哲学に、田辺の哲学の直接的影響の形跡を直接的に示す証拠は、ほとんど見られないのだが、面白いことに、最晩年の「空と即」には、田辺を意識したとしか思えない用語の使い方などが多くみられるのである。そういうことを書いている。

田辺と西谷の議論の逸話を最初に読んだときに印象的だったのが、田辺は、そのころ病気がちで、毎日、一日の半分位は寝込むほどの状態ながら、京都から北軽井沢まで、田辺と西田の二人が延々と哲学の議論をしていたということ。

数年ぶりに、その本を読み返してみて、この田辺とその夫人の京都から北軽井沢への移住の際の逸話の著者が、大島であったことが分かった。また、西谷による田辺についてのエッセイも、数年ぶりに再度読む。この数年で、京都学派への理解が各段に深まり、以前、読んだときの印象と大きく違い、沢山の情報が得られたという気がする。

まだ、当時の時刻表など調べてみないと良くわからないのが、北軽井沢に、まだ日があるころに到着している点。学生時代、普通を乗り継いで、東京から広島県の郷里まで帰るということを何度かやってみていたが、その経験からすると、もっとかかったのではという気がしていたのだが、日本の内陸部、つまり、中央線などを使い、京都から北軽井沢まで移動すると距離的には案外近く、東京と広島県との距離より随分近いのに気が付く。

その京都から北軽沢へのルートが気になっていたのが、田辺が東京の焼け野が原を見ていたかどうかという点。大島の記述から、やはり中央線を通るルートで、田辺は出身地の東京の米軍の爆撃による焼け野原を目撃していないことが分かった。これは、そうではないのかと思っていたが、一方で、東京より酷かったとも言える名古屋の焼け野原は見ていた可能性が高い。

正直に言って、日本の京都を除く、大都市の焼け野が原を見れば、太平洋戦争というものが、この日本の伝統に対して犯した限りない罪が見えるはずなのだが、そういう気持ちが戦後の田辺の著作に一切見えない。そのことが、僕には非常に違和感としてあって、きっと、昭和20年の日本の大都市の惨状を、田辺は見ていないのではないかという仮説を立てていたのだが、これはどうも間違い。

どうも、田辺や西谷は、そういう惨状を無視する人たちであった可能性が高い。それは大島が岐阜当たりの駅舎がB29の焼夷弾で燃えているのに驚いている様に、田辺、西谷が、しょうがない奴だという風な顔をして、大島の様を一瞥し、自分たちは哲学の議論を続けていたという大島の記述からわかる。明治人の特質か?

いずれにせよ、久しぶりに「田辺元 思想と回想」を読んだことにより、西谷と田辺の人間的な近さが、間違いなく確認できた。
それにより、京都学派の文化史的な理解は、まだ、殆どなされていないのだという感を強くする。


2016年6月18日(土曜日)

北軽井沢のひぐらし

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時33分00秒

今日は、本当に久しぶりで北軽井沢大学村を訪問。群馬大学田辺記念館の撮影をさせて頂く。

帰りに田辺記念館の管理人をされている茂木さんのご厚意で、僕の連れ合いの実家の八杉山荘を訪問。

多分、10数年振りだが、心配していたよりは、状況は良かった。

岳父が健在のころ、四人で八杉山荘の母屋から満月を仰ぎ見た時をおもいだす。

日暮らしが鳴いていた。山科のひぐらしとは歌い方が違うような…


2015年5月21日(木曜日)

藤田正勝さんの種の論理論文

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時01分24秒

水曜日5限の講義に向かう直前、教室がある建物の前で藤田正勝さんと久しぶりに会う。
講義直前だったのだが、岩波「思想」2015年第5号No.1093に掲載されたばかりの『「種の論理」はどのようにして成立したのか―田辺哲学の成立への道―』という論文の別刷りを頂いて、それを読んで、「田辺研究も、ここまで来たのだな」と感慨深かったばかりなので、講義の開始時間が迫っているにも関わらず、つい話し込んでしまった。お蔭で講義開始が3分ほど遅れたが、そんなことはどうでもよい。むしろ、僕が藤田さんと、そういうことを「話さずにはいられない」という、その気持ちの方が、本当の学問というものを育む。

と、思ったから、何故遅れたか、講義に出てきてくれている学生さんたちにも話した。あまり詳しく話さなかったので、伝わっているといいのだが…

という懸念があるので、このブログを書いている。学生さんたちの中に、このブログを読んでいてくれる人がいると良いのだが…


2013年11月18日(月曜日)

2013年11月田辺文庫(群大)調査&撮影

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時12分39秒

2013年11月田辺文庫(群大)調査&撮影メモ

1.手帳とノートが中性紙のボックスに入った。他の史料の置き場所が変わったらしいが
 週末でバイトの学生さんしかおらず、その場所を聞けず。後で、お礼&確認のメールを土師さんに送ること。→ 2013.11.26追記:燻蒸中と判明。
2.ScanSnap SV600での初めての史料撮影。その結果:
2.1.解像度が思ったより低く、自分の研究程度には十分かもしれないが、EOSやプロのカメラで
 撮影している京都学派アーカイブの既存の写真との落差が大きすぎて使えない。
2.2.実際にたくさんの画像を撮ってみると、試にスキャンしたときの印象と違い、スキャン速度が
 遅い。通常、1日には500枚くらいは撮影するだろうから、1枚が1秒以下か数秒かは大きな違いを
 作る。
3.昭和20年代の手帳の撮影のみを行ったが、この程度では60センチ台の撮影用支柱で十分。
 綺麗な画像がとれる。ただし、天井灯の光をふせぐために考えた白のボードは機能せず。結局、
 天井からの光の遮断は行わずに撮影。うまくいかなった理由:光が強すぎる。おそらく白いボードによる光の
 散乱と屋根を付けることによりランプが近づきすぎたのが良くなかった。また、ランプが近づきすぎるために、
 無反射ガラスにランプが映り込む(ただし端のみ)など。
4.この3に反して、SV600付属の撮影用の黒い「背景マット」FI-V60BP
 http://www.pfu.fujitsu.com/direct/scanner/detail_cable_v60.html#a
 はカメラの撮影においても大変有効。
4.1.今後、このマットを撮影に用いる。切り込みも支柱撮影の場合はちょうど良い。
4.2.携帯可能な撮影用の箱を、スチレンボードと、FI-V60BPと同じような材質の黒い布で作ることを考える。
参考 http://www.qidenus.com/product/smart/
5.手帳のページめくりによる置台の上下について:片方を下げ、もう一方を上げるというの諦めて、
 左のみ下げたらどうか?摩擦の少ないシートを両方に変動する量を左のみに2倍積み重ねておく。
 右には1倍の高さになんでもよいから置いておく。そして、左にページを繰って行くと左が上がり
 過ぎるので、左のシートを引き抜いていく。右が史料の厚み分だけ上がっているので、後は引き抜いて
 いくだけで最後まで高さをほぼ平坦に保てる。ただし、史料面の高さは変わるのでフォーカスを変えない
 といけないことには注意。
  摩擦の少ない比較的廉価なシート http://www.haikanbuhin.com/shopping/detail/60342/?gclid=CPu0i5Cc7boCFQPipAodxDQABA
6.昭和20年代の手帳を撮影。その内容について。
 番号は群馬大図書館田辺文庫手帳の通し番号
#49 S22.2-5月
 #50 S22.6-8月
#52 S23.1-6月
#51: 1948(S23) 1948.10.22-24という記述が本文最初の行にある。しかし、税の計算などなく、
  あきらかに日記ではない。後のものと思われるタグがはられてあり、「哲学入門草稿?」と書いてある。

  おそらく、#50と#52の間のS22.8.9−年末までの日記は失われている。
 他の手帳の間にも同様の切れ目はないか?
 #53 1948.7-9月
 #54 1948.10月-1949.2月
 #55 は夫人の住所録とみられる
#56 1950.1-3月

 ここでも1949.3-12月が失われているのか?それとも日付は田辺元本人のものではない?
 悉皆調査を行うこと!!
7.#56に集中して西田哲学への考察。Nov.22のページ(記載日とは関係なく手帳の項目の日付)には
 「西田哲学対論」というタイトルのようなものもある。田辺の発表論文・書籍との対応をとる。


2013年9月15日(日曜日)

田辺と西谷

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時05分20秒

後期特殊講義のシラバスが、どこか気に入らなかったのだが、
前期特殊講義の関連で始めた西谷啓治研究のお蔭で、その理由が判明。
事務の方には申し訳ないが、シラバスを更新予定。

後期講義は「危機の時代の思想家たち」がテーマなのだが、
問題は「何が危機だったのか」を簡単な言葉で説明することが
できていなかった点。これが西谷哲学を使うと、「ニヒリズムという
危機」として綺麗に説明できる。

西谷のニヒリズムの思想はニーチェ以来、繰り返されている思想の系譜
にのるものだが、それを説明する文章の明晰さが、僕の知る限りでは、
他に比べるものがない。そうそれが僕の言いたかったことなんですよ、
という感じで読んだ。やはり、この人は凄い。

これが解れば、「ハイデガー哲学が徹頭徹尾詩から生まれ、
田辺哲学が徹頭徹尾数理から生まれた」という彼の文章の
意味が実によくわかる。この立場から、すれば、ハイデガーも
田辺もニヒリズムなのである。

で、面白いことにゲーデルの歴史観の文章が、ほぼ、この西谷の
ニヒリズム論と同じ論調のこと。ただし、西谷の意味からすると、
ゲーデルの立場もある種のニヒリズムとなる。そこには
M.フリードマンの意味での parting ways がある。ゲーデルは、
西谷がいう「世界」*から一歩も出ない。そうなると、その世界には、
H.Weylがいう Perle が確かにある。しかし、宗教学者西谷の立場からすれば、
その様な淡水の海の Perle は真の Perle ではないのだろう。
数学者はある意味では、この世を生きていない。アルキメデスの死の
逸話がその象徴。クロネッカーの Ueber den Zahlbegriff のトーンが、
そして、ヒルベルトの1930年の講演が、それを良く物語る。

*この用語は、田辺の「図式世界」の「世界」
とほぼ同じ使い方。ただし、田辺が「存在と時間」以後、世界図式の
中の時は、外延的なものでなくハイデガー的になると言っている
ことに注意。彼は divide されてないから。これに反して、divide
されながらも、その division にこそ最大の問題を見る西谷がいう
世界は、田辺の言葉では外延的世界だろう。ただし、「存在と時間」
をニヒリズムの完成とみる西谷の立場からすると、田辺の「内包的世界」
も西谷の「世界」なのかもしれない。ここは調べる。

田辺が見たハイデガーの内包的時間も、西谷には、すでにニヒリズムの
産物。ハイデガーは、これを否定したようだが、どうも西谷の
方が正しい。死に至る時間という形式から倫理性を生み出そうとすると、
結局は 内包のWissenschaft になる。Wissenschaft は、どの様に
足掻いて、努力しても、本質的に外延的・形式的となる。
この構造は、ゲーデルが無限集合論を「右」と呼び、公理的集合論
まで「右」と考えていたように思われる点と重なる。

これは結局、ハイデガーが Sein und Zeit で、哲学が、心理学などの科学(諸学)
に解体されると書いたことに当たるか?しかし、淡水の Perle は、本当に
真の Perle ではないのか。もし、人間のすべてが Lotophagen ならば、
確かに社会は文明は滅びる。しかし、それ故に、数学者を lotus-eater を
呼ぶことも不自然だ。クロネッカーやヒルベルトの楽観には、確かに根拠が
ある。これは自分が数学者だった経験があるからか?一人の数学者がオルテガ・イ・
ガセットの意味で大衆となっている場合、末人と呼ばれるにふさわしいだろうが、
完全な Lotophage は大衆とは程遠い、たとえば、ゲーデル、小平。
この様な数学者を末人と言えるか。ニーチェの意味では?ウェーバーの(引用の
意図の)意味では?…


2013年3月31日(日曜日)

メシアンとドゥルーズの関係を間違えていた

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時44分01秒

澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について―田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)―のメシアンとドゥルーズのセリーの関係の記述は間違いだろう。もとはヘーゲルあたりかと思っていたが、今朝、伊藤さんの最近の新書でベルグソンの項目を読んでいて直接にはベルグソンだと知る。これを知ったら、澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について―田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)―を書いているときに、メシアンがドゥルーズの素だと信じてそう書いたものの、その歴史的根拠を検証しなかったことに気が付いた。メシアンもドゥルーズもベルグソンなどの「歴史主義」に影響されたと理解する方が遥かに自然。その作業仮説で調査中。

で、どうして、安易にああ書いてしまったか、今となっては、全く自分自身を理解不可能。あれを書いていたときは、そうとうに「追いつめられて」いたので、ブラウワー、ホワイトヘッド、メシアン、ドゥルーズの類似性に気が付いて、全体がパッとつながり視界が開けためだろう。多分、こういうのが哲学的直観で、哲学としては、もしかして、あの論文で一番評価されるべきポイントなのかもしれないが、思想史で、それをそのまま使っては駄目だ。反省。

もう少し調べてから修正予定。ただし、この同型性は、思想史論文としても、田辺のシェリング的な絶対弁証法と、ドゥルーズの違いを明瞭に描くためには重要なので欠かせない。歴史的には間違いか根拠薄弱なのだが、説明のためのレトリックとしては本質的。ここが僕の理解・解釈が入る処。メシアンのセリーがドゥルーズのセリーの由来だという記述を、メシアンのセリーでドゥルーズのセリーを説明する or 理解する、に変えればよいだろう。ベルグソンからの由来や、この二つの思想の何らかの歴史的関係性を言えれば、それで十分だろう。最大のポイントは、ドゥルーズの様な立場だとスピノザ的に神が世界を演奏してしまうと言う思想に自然に結びついてしまい、田辺とは違うという解釈にあるのだから。

これは「自由」の概念をどう理解するかと関係していて大変難しい問題。実際、実存主義的に言えば、神が演奏していようと実存には関係なく、それは自由とみなせるのだが、しかし、ブラウワーの自由選列にすでに決定論を見出す田辺にとっては(ブーレーズが音列を選べるのだから創造性があるのだと主張したらしいが、これの対極。田辺的な音楽だと、さっき演奏した音は良くなかったので変えます、というような音楽になる。 :-()自由ではない。ここが田辺哲学の複雑なところで、田辺は「図式世界の軽視」に、どうしても傾いてしまうハイデガー的実存主義を批判し、「絶対」を想定して、これは決して手放さないのだが、同時に個の「自由」も死守しようとする。この両者を融合させると、殆ど、論理的必然性として、個の自由な選択・行為において絶対が顕現する、という「絶対還相」、つまり、懺悔道以後の切断概念に行きつくことになる。戦前の種の論理だと、この切断が「種」のレベルで起きていて、それは別の言い方をすれば、絶対である類が、国家として、この世にすでに顕現している(権現、菩薩のようなもの。神の代理店。神そのものではない)という、戦後、田辺が間違えていたと「種の論理の弁証法」のイントロで書いた思想に「留まって」いる。しかし、懺悔道で、この種が方便という名で、類と個の媒介、メディア、通信媒体の地位に落とされ、個と類が直接に切断で関わることになる。で、絶対も個を契機としなければ行為を現出できないと考えることにより「個の自由」が確保される。しかし、これも外延的に考えれば、スピノザ系の世界観と何ら区別ができない。つまり、位相モデル的な思想が簡単に作れる。そういう意味で、田辺はハイデガーの「世界の軽視、無視」に哲学的には反論ができない。ただし、個人の生き方のレベルで、この両者は大きな差をもたらす。しかし、田辺の人生はむしろハイデガー的だった気がする。ここが、僕が、この人を理解できない点だ。なんだが、畳の上の水練をものすごく真面目に懸命に命をかけてやっているというイメージ。即物的な僕としては、そんなことやってないで、溺れるかもしれないけど、兎に角、水に飛び込めばいいじゃないの、と言いたくなる…


2013年2月2日(土曜日)

完全版「澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について―田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)―」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時01分16秒

京都大学大学院文学研究科日本哲学史専修紀要「日本哲学史研究」9号、2012年10月、pp.23-74
林晋「澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について―田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)―」
検索可能PDF(透明テキスト付画像)、修正あり(修正1:三二頁での節の説明の間違い、修正2:同一性を中心にした論理、同一性論理を、一貫して「同一論理」と書いていた。これはシェリングなどの「同一哲学」という用語と混同していた。これをすべて「同一性論理」に修正。また、一か所、同一性論理に基づく哲学という意味で、同一哲学、という言葉を使っているところがある。これは削除。)

出版後、4か月が経過したので、完全版を公開します。公開を許可頂いた、京大文日本哲学史専修藤田教授に感謝します。


2012年12月13日(木曜日)

誤解

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時25分29秒

月曜日に白眉セミナー(水谷さんの応用倫理のセンターと共催)のデジタル人文学
(デジタルヒューマニティーズとか人文情報学と言われることが多いもの)の集会で久木田さんが
SMART-GSについて講演、僕は講義で出られず、懇親会だけ出席。

その懇親会で、僕のことを田辺研究者として知ったという人がいた。うれしい。 :-)

「田辺をやっている人がいるのかとびっくりしたが、調べてみると
デジタル人文学とか色々やっているのが分かって….」というようなことを
言っていたが、如何に田辺が忘れられているかの証拠。

その後、たまたま、今夜、著者の一人からいただいた、金森修編「昭和前期の
科学思想史」を見ていて、金森さんが(ちなみに面識はありません)、
「田辺元をつぐはずだった下村寅太郎」という表現をしているのをみる。

金森さんは新カント派に言及しているのだが、おそらく、新カント派も、
田辺も、ちゃんと読んだことはなく、「田辺は日本最初の科学哲学者」という
流布した理解をそのまま使ってしまったのだろう。田辺は確かに日本の
初期の「科学」哲学者なのだが、科学を括弧で囲ったように、
この科学哲学とは、新カント派マールブルグ学派の意味での
科学哲学なのである。

しかも、それに善の研究あたりの西田の思想に基づくことにより、
マールブルグの「論理主義」に依拠しながら同時に反発したの
が田辺の「科学哲学」なのである。

新カント派マールブルグ学派の「科学哲学」は、その祖 H. Cohen を、
B. Russell がボロボロにくさし、それにCohenの後継者Natorpが真面目に
答えようとしたように、現代の科学哲学とは、似て非なるものなのである。
それに近い現代でもよく知られたものをあげるとすれば、おそらく
極めて逆説的ながらハイデガー哲学しかない!(ウームなんたる皮肉!!!)

下村は、金森さんが書くように確かに晩年に科学哲学を逸脱していくし、
僕の論文で何度か書いたように、田辺を否定する。しかし、それは下村が、
本質的に合理的で、田辺の持つ「闇の部分」を、おそらくは感じながらも
理解できなかったからではないかと思う。この「闇」を的確に理解した人
が西谷啓治であり、下村は西谷に比べると「合理的」すぎる。つまり、
田辺の本質を、なんにも理解できてない。あるいは、見えていても理解
したくない人なのである。

そういう意味で、下村と田辺ほど異質なペアは京都学派の中には、
おそらく他にない。これに比べれば、田辺と戸坂、そして、田辺と
三木というペアが、どれだけ共鳴していることか。田辺が三木の
女性関係を嫌ったので三木を避けたなどという理解が広まっている
ようだが、確かに田辺ならば三木の女性にたいするルーズさ
は嫌ったであろうが、田辺が女性を嫌いだとか、理性ばかりで
熱情がないなどというのでは全くない。鎧を着ている人なので
(これは久野収の表現)それが見えないだけ。それは、晩年の
プラトニックラブの相手、野上弥生子の日記で読める田辺に対する
評価がなによりもよく表していると思う。

それらに比べても、さらに深い対が田辺と西谷。
西谷は田辺に、その性根にある自然科学性に辟易して
(うん?本当かな?西谷を調べる必要あり!)、
限界を見出しながらも、
田辺の最大の理解者だったと思う。

その一つの理由は、田辺、西谷の夫人たちが、
仲がよく、それによる家族ぐるみの
付き合いという、田辺としては稀有のことが
あったことが、あるのだろう。
#おそらく田辺にとって夫人の存在は何よりも
#大きかったはず。田辺は夫人が亡くなったとき
#「妻が私を救ったのです」
#と言って涙したという話さえ語り継がれている。

西谷が回想した、自分の子供たちが
田辺家で遊んでいるのを、田辺が、それを怒りも
せずに覗いたというエピソード(子供達は
田辺を大変恐れたらしい。その一人が西谷祐作)は、
田辺の性格からすると驚くべきことのように思える。

おそらくは、子供のない田辺にも「おじいさん遺伝子」が
出現したのだろう。これを初老になった僕は実感として
感じる。最近、特格、なんでも、子供がかわいい!
自分と何にも関係がなくても、子供、赤ちゃんというだけで、
可愛い!

僕は昔から、子供好きだったが、田辺と同じく、
こどもがいない僕の場合、甥や姪にその対象は限られていた。
しかし、今、状況は、自分でも驚く程で、兎に角、
子供だ、ということだけで、体の芯の部分から、
「カワイイー!!!」と反応してしまう。
#ほとんどお婆さんの状況。
#もともとがおばさんおじさんだったので。 :-)

前立腺がんでホルモン治療をしているので、
完璧色気抜きのお爺さんになっているということもあるだろうが、
(なんでも色事に根拠を求める人がいるが、それが
間違いだということを経験しているこのごろ。
実に得がたい経験だ。うれしい!!!)、それ以前からも、
そういう傾向があったので、要するに、これは、
お爺さんになった人に出現する性向なのだろうと
思う。実に、おもしろいし、ある意味楽だ。

人間の本質は、やはり、シェーラーが言うように、
欲望とかいうものとは違うのだろう。


2012年10月2日(火曜日)

今年の「日本哲学史研究」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時56分23秒

僕の、中沢新一・澤口昭聿多様体哲学批判論文が掲載された、今年の「日本哲学史研究」を頂く。
ひとつ前の巻頭論文が、岡山の行安先生の論文であるのがうれしい。僕の西田・田辺記念講演の
際のもう一人の講演者だった方。なんでも定年後の方が、著作数が多いとか。西田や田辺のようだ。
僕も頑張ろう。岡山弁だったが、僕は尾道なので、その点でも感じがよかった。
その行安先生の研究テーマとして知られるT.グリーンの思想が、最近の僕の研究に
関連を持ちそうなのも面白いし、何か、うれしい。

僕の論文は書いているときから、やたら長いな、とは思っていたが、
印刷されてみると、本当に長い。よくこんな長いのを出版していただけ
たものだと思う。藤田さんに深く感謝。

しかし、人の思想の批判なので、変なことを書いてはいけない。
丁寧にやるしかないので、これ位の長さが必要ということだろう。
もう批判論文はできたら書きたくないな。あまりうれしくないし….
しかし、随分苦労しただけあって、結構な自信作。

このブログに貼れるのは、2月以降。4か月経過したら、ということらしい。

そうだ多様体哲学というものがあるので、「フィロソフィア・ヤポニカ」
という本を読んでみては、とすすめてくれた中戸川さんに論文を
送らねば。沢口さんは中戸川さんの
学位の主査だった。中戸川さんは、沢口の哲学には辟易していたらしいが、
その気持ちはよくわかる。しかし、中戸川さんは沢口が、最初の
多様体哲学の提案者だとは知らなかったらしい。実に因縁めいている。

田辺の「公理主義」や、北軽井沢の、野上と田辺の話といい、
どうも僕の京都学派研究は因縁が多い。
京都学派の哲学者たちの霊に呼ばれてたりして。 ;-)


2012年8月30日(木曜日)

情報の宝庫 二つの田辺文庫

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時46分19秒

2012年1月号「思想」の田辺史料紹介記事。公開を許可いただいた岩波書店に感謝します。


田辺元の「数理哲学」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時42分29秒

2012年1月号「思想」の田辺哲学論文。公開を許可いただいた岩波書店に感謝します。


2012年6月12日(火曜日)

田中煕

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時22分55秒

書籍名  社会哲学から政治哲学へ
著者名  田中 煕
著者紹介 大正15年京都帝国大学文学部哲学科卒。昭和4年から西山専門学校教授。昭和4年同志社女子専門学校講師。12年高田専門学校教授。15年台北高等学校教授。17年台北帝国大学助教授。21年関西大学教授。22年立命館大学講師。23年京都大学講師。36年同志社大学講師。39年(京都大学)文学博士授与。46年関西大学名誉教授。西山短期大学教授。
発行社  田中煕博士古稀記念事業会
総頁数  244
定価・頒価  非売品
発行日  昭和46年12月10日 1971
判サイズ(mm×mm) 211 150
貸出料金 480円

http://library.main.jp/index/jst31276.htm

自伝的もの
http://ci.nii.ac.jp/els/110004640761.pdf?id=ART0007357162&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1339428112&cp=

広辞苑に「分有」あり。普通に使われる言葉(だった)か?


2012年6月10日(日曜日)

西哲叢書 弘文堂

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時50分23秒

金2演習で山田さんが調べてきた田中著「シェーラー」は田辺の監修の弘文堂西哲叢書の一冊で、佐藤省三の「コーヘン」もそうだった。そして、ライプニッツを下村が、下程がフッサールを書いている。

これについては、これの、3.2.1に引用されている言語学者泉井久之介の著書の序言に情報がある。

田中のシェーラーでは teilhaben が分有と訳されているらしい。


2012年6月3日(日曜日)

西田・田辺記念講演会 藤田正勝講演

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時24分47秒

2012の西田・田辺記念講演会の藤田さんの講演を聞いた。

昨年まで特殊広義に出席させてもらっていたが(今年は担当している講読とぶつかり出席できず残念)、
その内容とほぼ同じで新味は無いはずなのだが、数年の間に藤田さんがその研究を発展させながら話した内容を、
1時間余に纏めた形で聞くと多いに違う印象で、特に田辺のドイツ留学から以後のタイムスケールを僕は正確に
つかめていなかったことがわかった。

で、兎に角、大変に面白かった。講義で聞いているときから、「おおっ!極めて慎重な人が随分大胆なことを言うな」
と驚いていたが、纏めて聞いてみると、これは大変な研究で、田辺と西田の関係の通説を否定する、実に大胆かつ
真っ当な提言。確実で真っ当なものは大胆になれる。

宗教学の杉村さんの質問への回答にあった研究方法の示唆とともに、これは今後の日本哲学史研究の行方を
決定づける重要な提言だと思う。土日は大学には極力出ない方針にしているが、今日は出て本当によかった。
藤田さんの後任がどうなるのか心配だが、藤田さんのような学者としての実力のある人が来て、この路線を
継いでくれることを願う。

善の研究出版後の百年が過ぎ、西田に加えて田辺の著作権がもう直ぐなくなる。また、戦後、田辺や京都学派に
貼られたレッテルから自由な世代の研究者が主流となってきた。京都学派研究は、こういう時間の問題で言えば、
これからが始めて中立的研究が可能な時代に入る。つまり、正当な学問としての京都学派研究は、これから
始めて可能なのである。西田、田辺、九鬼、和辻、朝永、三木、戸坂、西谷、高山、….,この多彩な
人脈を考えれば、これからの思想史、文化史、哲学史、哲学を担う若手にとっては、京都学派研究は、
大きな可能性を秘めた領域だろう。

そのためにも旧時代となりつつある第2次世界大戦後、特に戦後民主主義の時代以後の京都学派観を
根底から見直す必要がある。


2012年5月11日(金曜日)

思想論文の公開可能日

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時37分45秒

「思想」1月号の二つの文章をWEB上に公開してよいと岩波に言われた期限は、半年以後=7月6日以後。
日本哲学史研究の掲載は11月ころか。


2012年4月10日(火曜日)

テンソルの哲学者田辺元:「澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について」脱稿

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時30分27秒

2013.02.02更新。完全版の公開を始めたので、こちらのPDF論文も完全版に差し替えました。
(完全でない場合はキャッシュの影響である可能性が大。その場合は、こちらを見てください。)

「日本哲学史研究」に投稿の「澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)」を漸く日曜日に脱稿。疲れた…..

直ぐに書き終る予定が何ヶ月もかかってしまった。この間、微分幾何学、力学系、
ドゥルーズ、現代音楽、と色々勉強できました。(^^;)

一番意外だったのが、ドゥルーズの哲学がブラウワーのspread理論(集合論)と
殆ど同じものだった点。翻訳でセリーとかフランス語で格好をつけるから、
分からなくなるので(僕はフランス語できません!)、田辺のように「系列」とか、
あるいは、もっと即物的に「列」でよいのに….

で、これを切っ掛けに種の自己否定の発想の裏に佐藤省三のテンソルの論理
があり、佐藤の「コーエン哲学を微分でなくテンソルで理解する」という
提案から切断が生まれた可能性が高いことに気が付く。見つかっている史料の関連付けと
新たな関連史料の発見の作業が必要。多分、いけそうだ。

その結果、思いがけず、中沢新一さんの「フィロソフィア・ヤポニカ」を部分的に
だが褒めることとなった。大変、予想外。 :-?
やっていると最初の「おもい」とは別の結果になる。これが論理的・合理的方法
の特性。どういう人でも良い所は良いと言わねばいけない。しかし、何度読んでも、
その弛緩した怠惰というべき執筆態度だけは、どうしても馴染めないので、それは
書いておいた。

で、それに比べて田辺の何と緊張感に満ちていたことか。というより緊張感あり過ぎ。
だから「鎧を着た人」と言われたのだろう。その人物がテンソル(伸張子:林の私訳)
をアナロジーとして使って自身の哲学を開拓したという事実は実に面白い。
ある意味で田辺自身が「テンソル」だったといえる。あまりの緊張力に、今にも
張り裂けそうなのだが、鋼鉄の意志力で、剛体のように統一されたままで耐えている。
田辺は「テンソルの哲学者」だったのだろう。隠遁した賢者然としたところがある
西田の人となりにも、そういうところで反発を感じたのだろう(野上に話した、
西田への印象の変化は多分それを意味しているのではと邪推!)。

最初のページだけ貼り付け。Preview! :-D  :hammer: おおげさ!!
2013.02.10更新。完全版の公開を開始しています。そちらをご覧ください。


2012年3月29日(木曜日)

旋回

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時37分18秒

田口茂『「転換」の論理」p.159(岩波「思想」):「旋回」が、ヘーゲル弁証法の時代にすでにある。
全集3、p.199。この時点では、これが悪の自由に結び付けられている。ここで旋回があると、
Voigt への書き込みも、戦前でありえる?

「旋回」にもっと「元」はないのか?


2012年3月12日(月曜日)

『具体的』=直観的=実質的

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時10分33秒

二つ前の田辺の引用での「具体的」の使い方をみると、それが直観的というか、
演繹を経ずに直接にわかるものと読める。

演繹は否定的媒介とはことなる。否定的媒介は、たとえば、失敗により、
ある肯定的事実が「腑に落ちる」こと。これが直観。ブラウワーの
直観ではない。これは実は形式であり演繹。西田の純粋経験などと
同じで、形式が支配する現代へのアンチテーゼであるが、体系性を
得るために、それ自体が形式となっている。うーんと、西田は
体系的でないかも。個人の資質ですね。田辺は過剰に体系的であって、
また、歴史に翻弄されたために(歴史に「否定」(的に媒介)されたということ)、
体系的でなくなって「しまって」いるところがある。
#ハイデガーとかドゥルーズなどは、それを断ち切りたくて、
#ああいう文体になるのかも?しかし、それも結局形式になる。
#形式に抱きついて、しっかり抱え込み、ロデオをするしか、
#形式を超える道はないはず。うん?これギデンズだな。 :-D


翻訳すると!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時59分26秒

p.82 基軸ヴェクトルは分極変位ヴェクトルと同列に置かれるべきものではない。前者は後者の超越だからである。
すなわち一度テンソルによって場の力学に転換せられた力の力学は、却って前者の完成により再びその主体的な
る特色を回復せられ、旋回ヴェクトルの絶対否定たる超越性を発揮するといわれる。

基軸ベクトルは、おそらく axial vector = pseudo vector = covariant vector。つまり、1−形式。
分極変位ベクトルが、おそらくpolar vector = vector = contravariant vector。つまり、ベクトルというか速度。

訳:1次の微分形式(1−形式)は共変ベクトルではあるが、それは真のベクトルとしての反変ベクトルと同列に置かれるべきものではない。
前者(微分形式)は、後者(速度としてのベクトル)の超越だからである。
すなわち一度テンソルによって場の力学に転換せられた力の力学は、却って微分形式の理論の完成により再びその主体的な
る特色を回復せられ、旋回ヴェクトルの絶対否定たる超越性を発揮するといわれる。

……

何か変…

これおかしい。どうしてだろう。??? :roll:


回転、スピノール、類(=超越性)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時53分57秒

2012.02.11に書いた、田辺の回転が A の意味大体わかる。やはり、量子論のスピン、スピノール。
このことから、Voigtの書き込みは、戦後でほぼまちがいなし。古典力学の弁証法(昭和24年)、
#夫人の死去の2年前。
pp.78-79: ディラックの理論というものは、歴史的に力学の発展の現在に於て達した頂点に相当するものであって、
もはや力の概念を超え、その具体的根底としての愛の極限にまで迫るものではないか。<中略>
又彼の力学の特色をなすスピン、スピノールとかいう概念は、愛に於ける反対方向の両旋回の統一を象徴するものと解して、
始めてその具体的意味が明らかになるのではあるまいか。スピノールが半ベクトルと規定せられて、それの二成分の合成がヴェクトルに相当すると解せられるのは、ヴィクトルが力学的存在の存在性を表す概念として、
存在の自然存在性を位置と速度とにより規定するであるのに対し、それが不確定性原理により崩壊せしめられることを通じて
絶対無に転換せられ、自己否定的愛の復活存在としてのみ媒介的に実存する、その交互的否定の両契機を意味するものと考へられる。
すなわちベクトルの平常的自然的存在を表号するに対し、スピノールはその否定即肯定なる分裂崩壊を通じて始めて達せられるる
宗教的実存の反対契機、
すなわちその自己否定的両面の転換を象徴すると解される。それはまさに愛の自覚すなわち無の自覚に相当するのである。
自己否定的旋回としてのスピンの在り方に対応すると考えられるのも、この理由によるであろう。

スピノール。知らなかったが、之面白い!バリ島のカップトリック!田辺に見せたらどんな顔をしただろうか。 :-D
Balinese cup trick / candle trick / spinor demonstration
Your palm is a spinor
Dirac belt trick
以上、つぎからのリンクhttp://en.wikipedia.org/wiki/Plate_trick :evil:

p.82 基軸ヴェクトルは分極変位ヴェクトルと同列に置かれるべきものではない。前者は後者の超越だからである。
すなわち一度テンソルによって場の力学に転換せられた力の力学は、却って前者の完成により再びその主体的な
る特色を回復せられ、旋回ヴェクトルの絶対否定たる超越性を発揮するといわれる。
<続く>
この後、旋回してぐるりまわった連続がでてきて、それが切断となる!だから、切断は力学的で、解析が力学の
数学だった根拠をこれに求める!!!

この旋回が懺悔!

ウーム!なんという人だ…


2012年3月3日(土曜日)

フラクタルでなく連続体

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時28分41秒

フィロソフィア・ヤポニカ p.112

「論理の社会存在論的構造」からの引用。この論文での、唯一のテンソルへの言及。ただし、回顧的・説明的
とでもいう言及:

<1行略>
その際特に重要なことは、質料が分裂性多様性というごとき抽象的規定を意味するのではなく、
その自己否定は種が種を否定することであり、しかもそれらの種が互いに対立する別個のもの
として単に並存するのではなくかえって相互に含み含まれ連続的に相違なるものの内部において
一部が他部を否定することを意味するにある。いかに分割するももはや分割するあたわざるい
わゆる不可分者(原子)に到達することなく、かかる単純要素を有するのでなくして、いかに
分割を進むるも分割しない前と相似の、反体力の張り合う構造を示すのが種の特色であって、
私がこれを前にテンソル力場に比したのもそのためであった。<以下略>(「論理の社会存在論的構造」)

<ここから中沢の文章>
「種」はどのように分割を進めていっても、分割しない前と相似の構造を示す、力学的な構造を
している、と田邊元は考える。彼の思考は、ここであきらかに今日「フラクタル」と呼ばれてい
る構造を、はつきりととらえている。
<中略>「種的基体」は反対力の張り合う力学的な多様体(シン
プレクティック多様体)として最初描き出されたが、ここまでくると、田邊元の直観のとらえて
いる空間は、今日私たちが手にしているような多様体論(その数学は基本的には微分可能な、
「滑らかな多様体」を扱っている)ではとても手におえない複雑さ、深遠さをおびてくるように
なるのだ。そして、それが自然のなかに存在している、もっとも具体的な空間の構造をしめして
いる。それは無限小の超薄領域に、非有(無)を折り畳みこんだ「バシュラール・パイ」のよう
な出来上がりをし、いたるところに対立する力の緊張が張り渡された空間なのである。田邊元の
思考は、じつにとてつもない構造を直観していたものである。

<ここから分析>

中沢がフラクタル的な自己相似集合の構造を読み取った「いかに
分割を進むるも分割しない前と相似の、反体力の張り合う構造を示すのが種の特色であって」は、
そういう無限に降下するフラクタルのツリー構造を言っているのではなくて、その後に
「私がこれを前にテンソル力場に比したのもそのためであった。」という文があるように、
これは応力テンソルのような剛体内部の力のようなイメージ。田邊が言いたいには、
部品のようなものから種が成り立っているのではなく、それが連続体であること。
連続体の局所的な切片は、幾ら分割しても、同じ相似な切片となる。
現代数学的に言えば稠密姓にあたる性質だが、これが一九世紀終わりに、
デーデキント、カントールなどにより、連続性が一種の完備性として
明瞭に定義される以前の連続性のイメージのかなりの部分をしめており、
たとえばパースなども、一次は稠密性が連続性を導くと考えていたらしい。
田邊の初期科学哲学の時代の1922年の「実在の無限連続性」では、
この稠密性の議論をもちいてデーデキント切断のカントール基本列に対する
哲学的優位性が主張されており、このころ、まだ、これが我が国においては、
消化されるべき問題であったことがわかる。1874年に連続性の最終的定義
が登場してから、48年後のことであり、現在で言えば2012−48=
1964年、つまり、東京オリンピックのころの数学的発見の哲学的意味について
議論している感じになる。代数幾何のSGAが、このころ。

とにかく、この場合のテンソルとは佐藤省三のケースと同じく、テンソル概念の
創始者Voigtから来ているので、応力テンソルをイメージしていると考えるのが、
妥当だろう。外から力がかかっている剛体中の一点にかかる力、たとえば、その剛体が
木の円柱で、その両端から大きなプレス機で力をかけたばあい、その円柱の中の
あらゆる点で、両側からの力がかかる。そのときある点pにかかる点を決定するには、
pを通るベクトルmを考えて、その方向の応力を考えればよさそうに思うのだが、
そうではなくて、pを通る面Sを考え、その面を通して働く応力のベクトルm方向成分
を考える必要がある。これが応力テンソルであり、n,m二つのベクトルにより、
決まる量であるために2階のテンソルとなる。(たとえば、山本義隆、中村孔一
「解析力学I」、例1.5.1.応力テンソル、pp.76-78のp.78の記述を参照。)
そのテンソルの計算では、面Sを有限の大きさにとり、その面を通しての応力を
計算し、その後にSを無限小にまで小さくして、点pにおける面Sを通しての応力を
考える。これを説明するのにVoigtは、pを含む小さい立方体を考えて、それの
三次元の三つの方向の面での応力を考え、これを Tensortripel (tensor triple)
と呼んだ。立体は小さくしても、より点pに近づくものの、また、同じ情況(相似)
の応力を考えることができて、応力という力のTensortripelが円柱という「種」
のなかに張り巡らされていることになる。そこには原子のようなものはなく、例え
点という極微の極限があっても、それは佐藤がいうように局所近接作用の場、
つまり、「環境」の中で考えるしかないものである。

中沢が、ここでフラクタルを持ち出していることから、中沢が、イメージテいるものが、
ドゥルーズ、ガタリの「千のプラトー」などに現れた思想であることがわかる。
「千のプラトー」ではマンデルブローが引用されフラクタルの図も掲載されている。

中沢がいうように田辺の種のイメージ、より精確には、絶対弁証法のイメージは、
多様体のようにノッペリしたもので理解することはできない。それはどのような一点も、
世界の全体を反映するようなホリーズムを前提にしており、それがたとえば晩年の
絶対還相の議論、絶対無が、この世に顕現できるは、各個の行為を通してのみ
だという議論につながっており、実は、この思想は彼の戦前の切断論にすでに現れている。
WHHERE?どこだった?「論理構造」か?


2012年2月28日(火曜日)

佐藤のテンソルの論理と田辺の種の論理

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時19分58秒

風邪で潰れて1日休んだら久しぶりの休養になり、資料が届いたこともあり、
絶好調となり田辺の力学関係の思考法がかなり解明できた。で、がんばり
すぎてダウン。今度は1週間近く寝込むハメに。漸く今日から何とか再開。
明日は会議…

種の論理の成立、発展における「力学」の役割りの理解のために佐藤省三
の「テンソルの論理」論が鍵。

佐藤は種の論理の前駆をなす「図式時間から図式世界へ」を意識しつつ、
種の論理より10ヶ月ほど先行しながら、新自然学である量子力学、一般
相対性理論の論理をもとめて、テンソルの論理の必要性を提唱する。
それは集合論に比すべき、孤立した質点のあつまりと「無媒介的に直達する
所謂遠隔作用」(p.28)に基づくニュートン的古典物理学から、「空間をば
連続的に充たせる力の場が作用伝播の媒介となる(p.28)」電磁論(電磁気学)
への物理学のシフトを意識したものである。そして、ニュートン的力学は、
幾何学的な運動学 Kinematik から、ガリレオにより『「幾何学的なるもの」
に還元することができない物体の質量とか、非外延的な「力」の概念』(pp.5-6)
が導入され、それにより Dynamik が誕生したのであるが(pp.5-6)、それに
対応する論理は一次の方向量の論理、つまり、ヴェクトルの論理である、
コーエンの論理学であった。(この幾何的運動学のレベルが0次の方向量の
であるスカラーの論理。)しかし、新物理学は、場の上の近接作用の学であり、
それをコーエンの微分の論理学で理解することはできず、その故に、近接作用
(古典物理学の範囲では、典型は剛体内の応力) を表す2次の方向量を
表すテンソルの論理が、これらの新自然学の論理となる。これが佐藤の論文
の主旨。その哲学的内容は、ほとんど最初の昭和9年1月の「近代に於ける
自然の論理」に現れており、その10ヶ月後の11月号の「哲学研究」に、
「社会存在の論理」の最初の部分が、12月の号に2番目の部分が発表される。
そして、翌昭和10年の1月号では「社会存在の論理」の最後の部分が
発表され、同じ10年の9月号と12月号に佐藤の論文の続編というべき
「高次の方向量の論理」が現れ、10、11、12月号に田辺の
「種の論理と世界図式」が現れる。そして、昭和11年の「論理の社会存在
論的構造」では「高次の方向量の論理」が引用される:「其限りコーヘンの連続
の論理は微分に止まるべきでなくテンソルにまで発展すべきものであったということも
出来る(佐藤省三氏『高次の方向量の論理』の着眼は此点から推奨に値する。)
併しそれが為には、コーヘンの如くカントの分析論に留まるのでなく彼の弁証論の
立場に進み、一度思惟を自己否定せしめなければならぬ。斯して連続の根源は、単に微分の如く
欠如の極限を課題の存在に繋ぐ肯定的原理にあるのではなくして、自己否定の極、
無からの行為に於て絶対否定の肯定に転換せしめられる否定即肯定の弁証法的原理となる。

以下、重要部分:

p.28:今や相互作用は空虚な空間を距て(へだて)て互いに独立的に存在する
質点の間にではなく、場によつて互いに近接し一体を成す力心(りきしん?)の間
に成立することとなる。

p.30:かくて近接作用の物理学を俟って(まって)初めて孤立され固定せしめられた
関係点 Relata に重きを置くのではなくして、これらの個物並びにその個々の作用
を寧ろ自己の抽象体とする、相互作用の共通の地盤、媒質たる全体者、普遍者が
顕揚され合理化され得るに到ったのである。
 上来の所論によって近接作用の物理学に於ける場の概念の意味は最早(もはや)
機械観からは理解し得られないことが明らかになったであろう。< 以下略>

p.33:古典的物理学に於ける因果律の範疇の位置に代る可き(べき)新しい範疇は、
機械観的物理学よりしては独立した新しい学的方法としての意義が承認されなかった
所の「相互作用の範疇」である。然し相互作用という語が関係点に優先が置かれる
遠隔作用の物理学に於いて生じたものなることを表示し、相互作用の地盤たる全体者、
普遍者を顕現していぬ点で不適当であるならば、新しい全体的な範疇の有する論理的
構造を先述のテンソル概念を用いて特色づけることが出来るであろう。

pp.33-34: 然らば「テンソル」とは如何なるものかと言うに、一方「ヴェクトル」が「スカラー」
の方向を有しない量であるのと異なり方向量として区別せられ而も一方向きの方向を有するに
止まるに反して、ヴェクトルよりも更に高次な、正反対の方向が互いに等しい資格を持った
方向量の謂である。故にヴェクトルは通常一本の矢←を以って表されるに反し、テンソルは
←→或いは→←の如き記号によって表される。

pp.34: テンソルの語は元来W.Voigtによって初めて名付けられしものである。然し彼の
考えたのは六つの。。。

pp.38-39:テンソル←→に於いて→と←とは常に相伴い一の存する所必ず他が存し、一が
増大すれば他も増大し、一が減少すれば他も減少し一が消失すれば他も消失し、全体は
それに従って増大し、減少し或いは消失するのを意味し... 浸透し、張り合ひ、緊張しつつ
一つの内面的統一、平衡的全体を形作る点に於いてテンソルの含む二動向は寧ろ一つの
全体者が二つの反対の方向に分化したものと考えられる可きである。

pp.76-77:相対性原理に於ける非ユークリッド的、双曲線的空間に属する時空の四次元融合体
としての世界テンソルを、ユークリッド空間に於けるフォァグトの所謂Tensortripelとしての
Ellisoidと同一視する事は勿論許されないにしても、今簡単の為にその相違を無視して時空融合
体をかかる Tensorellopsoidと考うるならば、時間軸そのものが一つのテンソルとして考えられない
であろうか。
#ここの種の論理における「切断」の芽がある。
#S9年の講義録 S09_004.jpg 右ページ最後から、左ページトップにかけてのテンソル的な図
#との関係!

右最下部

左最上部

丸で囲むのは、そこで絶対弁証法の渦流が起きているということと理解できる。「哲学通論」の絶対弁証法の
図を参照。


2012年2月21日(火曜日)

二つの多様体論の意義

カテゴリー: - susumuhayashi @ 09時51分17秒

二つの多様体論は、田辺哲学の「核心の理解」には貢献しない。

一方で、思想論文で指摘したような、田辺哲学を世界思想史の文脈におくという点では、
英米分析哲学(澤口)、フランス現代思想(中沢)の出発点としての意味を持つ。
特に後者は、フランス現代思想における擬似数学の利用という田辺哲学にも見られる
方法での両者の比較という大きなテーマにつながる。しかし、中沢は、これを田辺理解
としてしまった。そこに批判が起きる(田中裕や京大宗教学専修雑誌の論文)原因がある。
しかし、これを単にマスコミ学者の論とするのは間違い。
#ただし書きとして、中沢のアプローチ、特に調査、議論の問題点
#の批判。澤口論文の引用、アブラハム、野上、シンプレクティク幾何学、微分形式などもろもろ。

Plotnisky論文使う。quasi-math. という概念。

また、これを通して、math の概念の使い方の違いから、
逆に思想の違いを見る。たとえば、ドルーズ・ガタリの
リーマン多様体はどのような意味でもhomogeneousではない、
という文。田辺ならばハイデガー哲学など Hier-Jetzt の
思想から、これを批判するだろう。

非モダンという中沢の用語をモダンでない
もの一般に意味を変えて使う。たとえば、前モダン、
反モダン、脱モダン、超モダン、超(克)モダン。

田辺、京都学派は最後のもの。新カント派もそうだろう。
モダンは一応承認している。

これをギデンズなどのXXモダンと比較。


Voigtでなく佐藤?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時03分50秒

Voigtの教科書の田辺の書き込みには「テンソルは2次元」と読めるようなものは見つからず。
しかし、佐藤に次のような部分がある。おそらくこれか?

佐藤省三「高次の方向量の論理」、哲学研究、第234号、1022ff.

元来方向の一面性を持って特徴付けられるヴェクトルにあっては、
それが方向の規定を自分の外に有し、方向との間に偶然的、
外面的な関係を残す所の量と考えられるが故に、
その根底には上述のテンソルの如き方向の規定を自分の中に
含み之を必然化する所の一つの閉じられたる自己完結的なるものが
存しなくてはならぬ。方向の必然化とは勿論之を不動の一方向にのみ
固定化することではなくして、方向並びに大きさの可変性を容れ之を
自分の中に成立せしめることに他ならない。
<この後に、テンソルがベクトルの Operator であるという議論など
が続く>

かかるヴックトルとテンソルの関係が又成文の上から前者に対応せしめ
らるる系列と後者に帰せしめられる「系列の系列」としてのマトリックス
との関係を示唆し、ここに「テンソルの論理」と「マトリックスの論理」
とが必然的に連関し相通ずる所がある。我々が高次の方向量の論理
として特色付けた近代の自然の論理は又他方に於いて一次元的な
「系列の論理」ではなくして二次元的な、かかる系列としての
「マトリックスの論理」であるとも言うことが出来るであろう。
然しマトリックスの論理的意義については後章に於いて論ぜんとする。

<以上>

ここでは佐藤も「次」でなく「次元」としている。


微分->極微

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時17分20秒

初期科学哲学の時代には、一貫して微分と言っているようにみえる。極微はまだ、
見つけていない。極微の最初のものは、細谷が指摘した「カントの目的論」の
ものが最初か?

私は一般に当為というもおはかならず極微 infinitesimal を現実を含まずしては成立しないものであると思う。


2012年2月20日(月曜日)

田辺の「局所的科学」、ドルーズ・ガタリ、多様体の論理

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時31分34秒

多様体は局所的にはニュートン的な絶対空間と同形。ドルーズたちが言うように、
それのバッチワーク。ドルーズたちは、それを The Mathematical Model として使った。
田村が葉層構造について説明したことを強調してアナロジカルにいえば、多様体的な社会(種)
は、互いに同形の小さなコミュニティーのパッチワークとなる。

この社会の多様性や、ツリー構造の不在ということがドルーズたちの
論点だったのだろう。それに対するものとしてマルクス主義唯物弁証法が
あげられている。(TODO: ここ正しいか?杉村さんに教えてもらう!!)
たとえば、The Mathematical Model の冒頭に(英訳、p.482)、次のような
フレーズがある:
It was a decisive event when the mathematician Riemann uprooted
the manifold from its predicate and made it a noun, “manifold”.
It marked the end of dialectics and the beginning of typology
and topology of multiplicities.
#脚注で、RiemannのMannigfaltigkeitがHerbartの教育心理哲学から来ていることを
#注意。これがわかったのが、Scholzの1980年代最初の研究だから、ドルーズ・ガタリの本(1980)が出版された頃に
#研究されていることになる。ちなみに、ドルーズ・ガタリの索引で、Riemann が Georg Reimann になっているの
#愛嬌。(^^;)確かに、Georg Friedrich Bernhard なのだが、普通 Bernhard という。

田辺の用語でいえば、多様体の哲学は一般相対性理論と同じレベルになるので、局所性の哲学ということになるだろう。
これは、その基礎が局所的なものからできているという意味。その局所的なものの多様性に眼を向けて、それを研究すれば
多様体のローカルな研究となるが、葉層構造は田村が書いたように、特にその大域的な性格に注目する理論。
中沢が葉層を持ち出したのは、単に模様を入れたい、田村の2つの図を使い、それを田辺の文章に重ねたかった
だけなのだろう。また、フラクタルもイメージしたのかもしれない。
中沢の多様体の哲学は、それを意図的に同一論理化した澤口の…

ToEdit

決定性のフラクタル コーエン・ナトルプの微分>非決定性のフラクタル〔海岸線など) ブラウワーの自由選出列>田辺の切断

フラクタルは、そのものが複雑だから面白いのではなく、単純な決定形のはずなのに、
繰り返しや再帰を入れると複雑だったり、非決定的システムのように振舞うというのがポイント。
しかし、それには随分ルールが入っている。たとえば、ハウスドルフ次元。これはせいぜい、
量子力学の確率的予測のレベル。あるいは、どんどんせばまるブラウワーの自由選出列。
田辺の切断には、そういう制約がまったくなく、自分の環境さえ変える。

だから、フランス現代思想だと、全然、田辺の絶対弁証法に到達できない。

近傍はコミュニティのアナロジになる。バザー vs カセドラル。
しかし、田辺はコミュニティなどどうでもよい。彼にとっての問題は国家・社会と個の対峙の問題。
種の論理とは、実は、「種に対峙する個」のための論理。
田辺は自立した個として国家を愛する明治人であった。

しかし、そこに猛烈な複雑性の絶対弁証法が極微のレベルで入っている。

中沢の多様体哲学は、確信犯澤口が、田辺哲学の心臓を切り落としてくれていた
ために、フランス現代思想的な枠に埋め込むことに成功したもの。しかし、それは
田辺哲学の死骸のようなもの。

田辺哲学の哲学の理解を助けるために、丁度、田辺がテンソルを持ち出しかけたように、
そういうものを考えることができるかもしれない。しかし、其の場合、多様体では足りない。
せめて、ブラウワー的な層モデルくらいを持ち出す必要がある。しかし、それは無限に
精度を高めることができるだろうが、それは決して田辺哲学ではない。


ToEdit:数学的にテンソルが行列式の発展(3)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時09分53秒

佐藤省三には「2次」(スカラー量のindexが二つ必要という意味)はあるが、
「2次元」を連想させるものはないし、行列式云々も該当しそうなものはない。
Voigtは、田辺が書き込みをしているあたりにはない。

佐藤、Voigtともに3個の異なるベクトル対で直行したもの Tensortripel (Voigt)
で、その点における全ての方向の応力(など?)を表すという方法。

これでは、(1),(2)のような説明での「2次元」にならない。これで2次元といっている
のではなさそう。佐藤に該当するものが見つからず、どういう意味で言ったのか不明。
佐藤の論文は「高次の方向量の論理」。田辺もおなじく「高次の方向量」と書いている。
これはこのころの一般的書き方か?Voigtにないか?

しかし、このテンソルの「2次元的」とういう言い方は、中沢が引用した部分くらいに
しかでない。まず、テンソルが盛んに議論されるのは、論理の社会存在的構造のみで、
ここでは20以上の出現がある。しかし、それ以後の論文では、ほぼなくなり、
「種の論理の意味を明らかにす」全集6巻,p.499、では、おそらく1つ。しかも、
次のように「社会存在的構造」でなぜテンソルを議論したかを説明しているだけ。
これが、前に私が連続を、統一と封立との封立として力の張合に比し、テンソルに依ってその構造を考へようとした理由である。

種の論理と世界図式では、p.237(全集6)にあるが、これは相対性理論のテンソル。

6巻のほかの論文にはテンソルがないらしい。また、戦後も議論はない。関係ないと見たほうがよい。

また、田辺のテンソルが応力テンソルをイメージしていることは、上の「明らかにす」の記述や、
次の記述からわかる:

論理の社会存在的構造
全集6、p.316
実に力の場は錯動原因の互に活動し抑圧し合ふ場所なのである。物理学者
が数学的にテンソル量として力の場を’相反封し合ふ量の交互性の統一として考へようとしたのもこれが為めであらう。


極微=コーエンの無限小の証拠

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時09分31秒

種の論理に対する批評に答う
全集6.p.408
併しそれだからといって’逆に微分法が弁証法の代用となるものでな
いこと’後者の本質の否定媒介にあることを理解するものにとって’明白でなければならぬ。弁証法の質的否定たる
無を無限判断の述語たる非有で置換へ’之を欠如として極微有と解したコーへンの微分論理は、たしかに私の探く尊
敬する偉業である.併しそれはその標榜にも拘らずプラトンの論理を徹底するものでなく、却てそれが不当に貶斥す
るアリストテレス論理への接近に外ならないのである.

追加21日:
これより
http://www.shayashi.jp/xoopsMain/html/modules/wordpress/index.php?p=199
の例の方が良い。そちらを使う。


2012年2月19日(日曜日)

局所性、微視性、極微性

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時38分41秒

田辺の微分、西谷:積分 vs 微分、細谷:局所的微視的

局所的=一般相対性理論=葉層構造的見方 これは多様体でもよい。絶対空間の拒否。ノッペリした、どこまで均質で見渡せるものへの否定。
微視的=量子力学。これに対応する哲学的観点はないか?

全集12, 「局所的微視的」p.47:
新物理学の局所的微視的自覚内容は、古典物理学の普遍的巨視的概括に於ける二律背反的矛盾の
分裂危機を救活し(cf.古典力学の弁証法)或はそれから脱出するために、革命的に物理学の理論に
導入せられたものである。

全集12, 「局所的微視的」p.39:
ハイデッガーの実存主義が、私のいわゆる即今 Hier-Jetztの自覚の立場に立つことは、
彼の『形而上学とは何か』の劈頭に明示する所であって、彼はそこで形而上学的の問が、常に
全体の立場から発せられるものとして、必然に形而上学そのものを同時に問題とするものであると共に、
また問者自身のここに今現存する境位から問を発するという、即今の自覚に立脚しなければならぬことを
宣べて居る(のべている)。これは全く私のいわゆる局所的微視的自覚の立場を表明したものであって、
まさに、この特徴を有する現代的思惟が、その性格上実存主義的という傾向を有することを疑念の余地
なきまでに明示するといってよい。

全集12, 「局所的微視的」p.55:
哲学は宗教と科学との行為的媒介であるという一般的関係を、即今の立場に於いては、実存主義と
マルクシズムとの歴史的対立の尖端に於て具体的に媒介するのが、今日の弁証法的哲学の課題で
あると考えられるゆえんである。

西谷、細谷による、積分が西田哲学(西谷の別の言い方「上からの哲学」。「西田哲学」p.285)
微分が田辺哲学という観点とこれの関係:
微視的=微分=極微ではない
「局所的微視的」での議論では常に大きさを意識している。特にイントロで、局所的微視的に
local, microscopicと原語をつけている。


田辺の否定原理 by 西谷

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時58分07秒

西谷「西田幾多郎」p.218.:内容としては、その前のページまで。
高坂正顕「西田哲学と田辺哲学」
西谷:「西田哲学をめぐる論点」これは同書のp.246以後。


ToEdit:田村の説明:葉層構造=大域構造

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時41分21秒

田村一郎「葉層のトポロジー」岩波文庫数学選書、序:
トーラス上の特異点のないベクトル場において、軌道はトーラスにストライプ模様を与え、
トーラスを軌道(複数)の和に分解する(図1.10)。葉層構造(Foliation)
とはこのように多様体を葉とよばれる弧状連結な部分集合の和に分解することに
よって得られる’模様’で、葉(複数)が局所的にはEuclid空間を幾重にも層を
なして積み重ねた形になっているものである(図4.2,図4.4)。上述のトーラスの
例では一つの軌道が一つの葉である。葉はそれ自身多様体であって、もとの
多様体の次元と葉の次元との差をその葉層構造の余次元という。

一つの多様体の(与えられた余次元の)葉層構造はしたがって局所的にはすべて
同じ構造
であるが、大域的にはその’模様’はさまざまに変化している。’コンパクトな
葉が存在するか’、’稠密な葉が存在するか’或いはまた’すべての葉が同相であるか’
といった葉層構造の大域的な性質を位相的視点から論ずるのが’葉層のトポロジー
(Topology of Foliation)’である。

++++++++++++++++++++++++++++++++++
この序に引かれている図4.2,図4.4が「フィロソフィア・ヤポニカ」pp.104-5で
多様体のイメージを示すために使われた図。中沢は、p.103で、田辺全集6,pp.

To edit!

http://www.shayashi.jp/xoopsMain/html/modules/wordpress/index.php?p=185


数学的にテンソルが行列式の発展(1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時44分46秒

全集6のp.321。「数学的にテンソルが行列式の発展としてかんがえられる意味をもつのも
この構造に由ってその根拠をある程度まで理解し得られはしないか。
「ある程度まで」に注意!テンソルになると外延。
「とにかくテンソルの2次元的伸展凝収の力的緊張は、変化運動の一次元的ヴェクトル構造に対し
明瞭に区別せられなければならぬ。是に由りそれが運動の無限なる重畳を却って静止の緊張に
湛え(たたえ)、極微的に運動の沸き立ち張り合う根源たるのである」という文章がくる。

ここが佐藤の論文,Voigtの本ではどう説明されているかチェック。
行列式のシグマ使い方から、テンソルのそれができたのか?
形式的には確かに行列式は、特殊例(0,N)−型テンソルでそれでよい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor
しかし、発展といっているので、これは田辺の数学史の認識の問題になる。調べる!!

これ以外の部分の意味:「それが運動の無限なる重畳を却って静止の緊張に
湛え(たたえ)」というところから応力テンソルをイメージしていることがわかる。
物理学の本来(古い)意味のテンソルは、外から力がかかっている
剛体の内部の微細な平面を通る任意のベクトルmに沿う伸展あるいは凝収の力(テンション)がテンソル。
この平面をその法線 n で表すので、それを記述するときに二つのベルトルn,mが必要となる。
C.f. 山本、中村、解析力学I、pp.76-78。二つのvectorに対して力が決まるので、
応力テンソルは(0,2)-tensor、2階共変テンソル。
要するに2つの covariant vectors のテンソル積。それでくテンソルの2次元的伸展凝収の力的緊張
と書いたのだろう。
C.f. 山本、中村、解析力学I、pp.70-71および
http://en.wikipedia.org/wiki/Stress_(mechanics)#Equilibrium_equations_and_symmetry_of_the_stress_tensor

nの方向のテンソルの力が対立の大きさを表すから、それが横の「次元」、そして、
mが対立が起きる場所(面)を表すから、これが縦の「次元」。そういう (横、縦)-型
テンソル場を考えるということ。テンソル・バンドル?
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor_bundle


2012年2月17日(金曜日)

内部対立では種としては不十分

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時27分56秒

全集6、論理の社会存在論的構造、p.320: ところで種が自己否定を本質とし、
無限なる反対とその抑圧との二重の否定的対立性の重積であるとしたならば、
一見種の内部に於いて相異なる種と種とが否定し合う如く見えるでもあろう。
併し仔場合に重要なのは、若し互に否定し合うものが相異なる種であってそれが一の
種の内部に対立的に並存するならば、両種を其内部に含む一の種は類的性格を現し、
恰も赤と青とに対する色とふ如きものとなり、同一の種が自己否定をなすとは
いい難いことである。赤と青との何れとも限定されずして而も何れでもあり得る如き
種的類としての色は、例えば音の如き異なる種的類に対して相異の関係を有するものとして
種の性格をもつとしても、自己の内部に赤と青との異種を共存せしめる限り類的であって、
種が種として自己否定をなすということにはならぬ。寧ろ赤自身が自己の両立
し難き青を自己の内部から発展せしめ、又青が自己の否定者としての赤を自己の
内部から産出するという如き事態にして、始めて自己否定的とふことが出来るであろう。
併し其様に一を否定する他が一の内部から発生してそれが一に更わるならば、
其事態は変化であって、一の種が他の種に代わるに止まり、種がテンソル的構造を有する
といふことにはならぬ。それは単にヴェクトル的運動的というに止まる。
———————————-
種がテンソル的力学的構造を有する為には、その自己否定をなす媒介となるものが、
飽くまで依然当該種そのものとしてそれの外に離れ出でることなく
それと統一せられるのでなければならぬ。即ち否定的なるものも其自身として
それの対立が種の統一に禁圧せらるという二重の対立性に於いて有るので
なければならない。従って種の統一は種の自己否定に由り自己の内部に無限の
層をなして自己とその否定者との交互的緊張を引渡し、
横に自己とその否定との対立する均衡を、縦に自己自身の内部に無限の層を
成して重ね合はせる如きの構造をもつと云ってよい。
数学的にテンソルが行列式からの発展として考えられる意味をもつのも此構造に
由って苑根拠を或程度まで理解し得られはしないか。
とにかくテンソルの二次元的伸展凝収の力的緊張は、変化運動の一次元的ヴェクトル的構造に
対し明瞭に区別せられなければならぬ。
是れに由りそれが運動の無限なる重畳を却って静止の緊張に堪え、プラトンのティマイオス篇の
質料を狂乱怒涛の大海に比した其比喩
の正確なる意味は、此の如きものでなければならぬ。
———————————-
斯かる種の激動的自己否定態に於いても、勿論分析的外延的に考えれば一の種を否定するものはその種に
対する他でなければならぬ。自己否定に於ける否定者といえども、単なる否定者という一般的概念ではなくして
特定の積極的内容をもつ種そのものでなければならぬ。ただ、その他たる種がその否定すべき一の種の外に
外延的に並存するのでなくして一の種の内部から内包的に湧出し、而も(しかも)それの否定的対立性が依然として
一の種の統一に圧えられ(おさえられ)、それの内部に保たれるのに由って、他の種が他にしても而も一に
帰し一の種と内面的に繋がるのである。相違する二つの種が連続する場合に、一つの種の外に
他の種が並存するのでなく一の種が他の種に入込み他の種が一の種から滲出すること、ベルグソンの純粋持続
の構造に比すべきものがあるとすれば、その所謂相互貫入の統一は即ち種の自己否定の構造に他ならぬ。


2012年2月16日(木曜日)

切断は本来力学的

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時05分29秒

全集12、古典力学の弁証法、pp.82-83:旋回回転についての議論で:
回転運動は並進運動と独立なる第二種の運動として、第ー種の運動たる後者と相俟ち、主体基体相即の力学世界を構成するのである。
之を集合論的に観れば、テンソルが伸長を意味する空間―時間の総合として、その伸長の方向が一点から無限に多くの方向(それの濃度c)
に向うと考えられた極限の場合に於いて、その濃度cなる無限多の縦線ヴェクトルの
総体が、すなわちその超越的自覚として旋回に相当するものと認められる。集合論上濃度cなる連続は、可算的有理系列の絶対的否定的
根源として思惟さられ、その要素としての無理数或は切断は、系列の否定即肯定なる転換の象徴として無を原理とするものであり、超過即不足
なる反対統一を表号するものとして、それ自身旋回回転の運動を行なう主体に相当するものと解せられるならば、無理数或は切断はもはや単に
数論的乃至幾何学的概念と規定さられるべきではなく、むしろ本来は力学的ともいうべきものであろう。解析が力学の数学として発達した歴史的
理由はここにあると解釈せられる。


2012年2月12日(日曜日)

調査する: Planck, Max; Mach, Ernst

カテゴリー: - susumuhayashi @ 19時37分50秒

Planck, Max:Einfuehrung in die allgemeine Mechanik, 2. Auflage. 1920.
群馬大文庫 432,P71, **

Mach,Ernst: Die Mechanik in ihrer Entwicklung.
F. A. Brockhaus, 1912. ***

ともに目録p.206。どちらも京都にはない。

そのそばにポアンカレのドイツ語の本、Die neue Mechanik, 1920.
科学と仮説もドイツ語で読んでいる!


2012年2月11日(土曜日)

Voigt 書き込み:A が回転

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時48分25秒

Voigt, Elementare Mechanik als Einleitung in das Studium der theoretischen Physik, 京大田辺文庫、田辺||42||26
Seite 9, 第二パラ。

Die Vectoren V_1 und V_2 unterschieiden sich nach dem Gesagten
dadurch, dass bei dem ersten ein Verschiebungssinn, bei dem
letzteren ein Drehungssinn zur Charakterisirung ihrer positiven
Richtungen herangezogen ist. Man nennt die erste Art von Vectoren
polar, die letztere axial. Auf weitere Unterschiede beider Arten
werden wir weiter unten eingehen.

その右の書き込み

tanabe kakikomi

Vektor B
Dreh R (Drehungsrichtung か) A
Massenpt (Massepunkt だろう) E

個である質点 E と種である運動 B を類である回転方向が媒介する????

古典力学の弁証法、全集12, pp.70-71

(空間から時間を論じた後、半面には反対に、として、時間から空間へを論ずる。個から全へ)
すなわち点の不可分性を延長の両端が逆転的に重なり合う如き回転として理解するという方向がなければならぬ。
時空の統一としての「世界」は、啻に(ただに)テンソルの延伸性をその構造として有するのみならず、
各点に於ける回転旋回性をその要素としてもつのでなければならぬ。
これによつて始めて延伸延長と区別せられるところの、主体の絶対否定的突破行為が
確立せられるのである。

全が個に於いて現れる。書き込み、やはり戦後か?


2012年2月4日(土曜日)

Hertz の力学への田辺の書き込み

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時14分18秒

京大文、田辺文庫、貴重書、42, 25, Bd.3 Die Prinzip der Mechanik… の調査。
Einleitung に大量の書き込み。ほぼ、「古典力学の弁証法」の内容と連動。
ただ、1910年刊の本。何時手に入れ、何時書いたのか不明。おおきな問題。
力概念の矛盾的性格を議論。ハミルトニアンなどは否定的に議論されているとして
良いだろう。

これをキーに、多様体の哲学が、田辺哲学を誤解し、「否定」さえする
ものであることを指摘。


2012年2月3日(金曜日)

Mach, Kirchhoff, Hertz

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時53分33秒

田辺全集12, 古典力学の弁証法。ちから概念が「合理的」でないとの初期の意見として、Mach, Kirchhoff, そして、Hertz.
Mach は Die Mechanik in ihrer Entwicklung 7te Auflage の S.251-238. Kirchhoff は「力学講義」の序文。

前者は群馬文庫にある。Kirchhoff は、京都、群馬、どちらの文庫にも無し。
ただし、1897年版が0001

哲学
G||139
8694622611
152819
にある。

Herz は群馬と京都の双方にGesammelte Werke がある。群馬は書き込み無し?京都は貴重書。
42, 25, Bd.3 Die Prinzip der Mechanik…
この巻だけ京都か?チェック!
その次のが京都文庫のカタログでは Voigt…


2012年1月28日(土曜日)

物語「京都学派」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時42分43秒

竹田篤司、物語「京都学派」が届く。ざっと読んで、ムムムムムッム……….
という感じ。僕が知らなかった大変多くの史料のことが書いてあり、一応は、
京都学派の思想史をやっている(と言張っている)人間としては、多いに恥じ入ると
同時に、この史料の扱い方は何だーーー!???!!???!!!!
という感じ。岩波の西田全集の編集委員を務めた方だから期待していたのだが、
これでは興味本位のジャーナリズムと変わらない。
色々と理由がつけてあるのだが、世俗的意図が透けて見えるような気がして、
ゲンナリ…..

藤田さんが、竹田さんを「細部に神宿るという考えの人でした」と言って
いた。ちょっと揶揄したように聞こえた(だけなのかも)ので、
歴史家としてのプライドとして、「僕もそうです」と言っておいたが、
#細部に神が宿らない歴史学を僕は信じない。
#細部こそが個を軽々と越えていく現実だ。
なるほど、藤田さんの気持ちがわかる。これはないだろう….

これでは、歴史家の品位とか矜恃とか、そういうものが何もない。
おそらく歴史には基本的に興味のない哲学者の方で、
凄い史料が手に入ったので、なんとか世間にアピールしたい
という意図が先走ったのだろう。こういう書き方をしてはいけない。
折角の史料が台無しだ!!!

公開と暴露は本質的に違う。こんなのが歴史だと思われたら、
歴史学の品位が下がる。いや、こういうものは歴史学ではない。
歴史を知らない哲学者の歴史もどきだ。キツイと思われるかもしれないが、
歴史家としての矜恃の問題だから、あえてキツイままでおく。


2012年1月7日(土曜日)

「多様体の哲学」について(2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 04時31分14秒

澤口論文 (二) p.51

引用:「田辺博士の晩年の数理哲学は結局のところ「種の論理」の数学化に帰着する。」
分析:「晩年の数理哲学」は第2次世界大戦敗戦終結以後の哲学のこと。この文で一番問題なのは「数学化」
の意味が不明であること。これより後の文章を吟味しても、あまり明瞭な答は得られない。解釈は、おそらく、
二つあって、(1)種の論理を数理論理学的にする、(2)種の論理で、数学(の特定の理論)を理解する、
つまり、種の論理を数理哲学に応用する、のふたつだろう。つまりは、目的が、(1)種の論理の理論体系、
(2)数学、ただし、数理哲学の対象としての数学、のどちらか、ということ。

おそらくは、後者(2)が正しい。

引用:そこで数学化に必要なかぎりで種の論理の要点を摘出しておかねばならない。
分析:先ほどの(2)が正しいとして、数学に適用する限りで「必要な種の論理の特徴」を考えよう、ということであろう。
「必要な限りで」という言い回しに、すでに澤口の思想の問題点を感じざるを得ないが、それは置いて、
澤口の思想を即物的・客観的に、しかしながら、解釈学的に解明すべきだろう。

引用:この論理の特質はいうまでなく、<略>、これとともに種の論理はもう一つ特異な側面を持っている。
それは矛盾の相のもとでものを見るといういわば裏返しの論理であることである。
分析:是に続けて澤口はヘーゲルの弁証法では、時間がたてば矛盾は統一・解消されるが、
田辺の絶対弁証法では、収束することがない、「次のより深き矛盾へと下る」とする。
かなり正確な理解と言える。

引用:それではこの裏返しの論理にては何ゆえに中間段階たる種が決定的役割を演ずるのであろうか。
これは個と類は同一性的性格が強いからであろう。
分析:この様に主張し、それの裏づけの議論が続く。それは論拠が明瞭でない断定的な推論であるが、
この「種に矛盾が集約される」という澤口の理解が、後の「種=シンプレクティック多様体」という
断定に繋がっていると思われる。つまり、シンプレクティック多様体は、座標系の様なもので、
非常に抽象的である。澤口は「抽象」を、群・環・体のような抽象数学と関連づける。
抽象性=捨象性=不定性、という特質により、各個における矛盾が解消されると考えていると思われる。

引用:博士は種として何を考えているであろうか。まず国家、人倫が典型的な種としてあげられている。
これは政治的種といわれるべきであろう。<中略>そして国家は方便性を持つという。
分析:「方便的性格」という言及から澤口が、その脚注(3)で述べているように、
戦後の「種の論理の弁証法」で、種の論理を理解しているということが明瞭である。
澤口の種の論理論の議論では、その思想の変遷が考慮してあるとは思えず、
「種の論理の弁証法」でフィックスすれば、種の論理が理解できるという
前提で議論が進めらていると思われる。また、その思考法には狭義の歴史主義、
思想はその最終系に向かい進歩するものだ、従って、その最終段階を理解すれば、
その思想を理解できる、という悪しき「歴史主義」が見て取れる。田辺哲学を歴史的存在として、
理解する場合、これが大きな間違いを招くことを指摘したい。田辺哲学は昭和一桁から
十年代への国家主義への流れと、その後の敗戦という、歴史的現実と無縁であることは
できない。これは田辺が背負った歴史的な条件であり、それが田辺の哲学を思想史的に
みれば、最大の難局の時代にすでに世事から引退していた幸運な西田の哲学より
遥かに深みのあるものとする。西田の選科時代の不遇などは些細な不幸に過ぎない。
家族との死別は確かに西田に大きな陰を落としたであろうが、子供や家族の死亡は、
この時代では『当たり前』のことでさえある。むしろ、子供ができないことを知りながら、
貞節を保持した田辺の方が、明治人としては異例なのではないか。再婚のことなど考えると、
西田の後半生は、信じられない程の幸運に満ちている。それに反して、知的エリートなどと「揶揄」される
田辺の方が、実は、その人生の最盛期に、第二次世界大戦と日本のファシズムという
「世界史的」条件に対峙・関係せねばならなかったという「歴史的不遇」を抱えている。
2011年3月11日を、1945年8月6日を、「腑に落とす」ことができるための
哲学は西田哲学なのか田辺哲学なのか、と問われれば、後者の方が、「より良い」と
言える。「竹林の賢者の思想」は、個を容易に捻り潰す圧倒的な「世界史的条件」には応えられない。
それが北森の西田・田辺への評価に顕れていると思う。
かなり『脱線』してしまったが、澤口の議論には、こういう視点は全くなく、
田辺哲学の分析哲学化、あるいは、戦後日本でも共用される哲学に変えること
しか念頭にないように思える。それは田辺哲学の正反対を目指す途だろう。


2012年1月2日(月曜日)

「多様体の哲学」について(1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時39分47秒

澤口昭聿「田辺元における数学の形而上学」分析1
 澤口昭聿「田辺元における数学の形而上学」、pp.48-76、武内他編「田辺元 思想と回想」、筑摩書房、1991の分析1

引用1p.48:博士晩年の著作『数理の歴史主義展開』は特異な数理哲学書というほかない。<略>
数学者が本書を読むならばほとんど真意を把握できないであろう。そきにはあまりにも強く形而上学が出ており、
直接には数学的に理解不可能である。
分析:評価が師である下村のそれと非常に近い。下村が澤口の師であることは、澤口の「連続体の数理哲学」東海大学出版会、
1977の序からわかる。

引用2p.48:したがって問題は第一に数理哲学においてはたして形而上学的な方法が必要であるか、ということである。そして、
その場合に田辺博士の歴史主義が適切であるかが第二の問題となる。
分析:文章に癖があり意味がわかりにくいが、本文の展開からすると、要するに「したがって第一に数理哲学においてはたして形而上学的
な方法が必要であるかが問題となる。そして、もし必要であるというのならば、田辺博士の歴史主義が数学の形而上学として適切であるかど
うかが問題となる。」という意味。

引用3p.48:結論をいえば、博士の方法は外見はともかく真相においては意外に現代数学に適合性をもっている。
分析:前の文章からの繋がりが悪いので、これも意味不明だが、pp.60-61の切断では「"抽象"が行なわれない」という記述、
および、p.63の「種の論理の真の活動の場は、”多様体"の哲学においでてあると考えられる。博士はリーマン面に触れているから、
特殊な多様体は考えているわけであるが、もっと全面的に拡大すべきである。」という記述、および、その後の、シンプレクティック幾何学、
シンプレクティック多様体の幾何学としての「多様体の哲学」の導入と、そこにおける類種個の解釈、および、「種の論理は「矛盾部分」
と「無矛盾部分」を持つ」という澤口の考え方からすると、種の論理が、シンプレクティック幾何学と似た構造を持つということを、
「意外に現代数学に適合性をもっている」と述べているらしい。しかし、澤口の最初の問い「数理哲学に形而上学は必要か」また、
「田辺の歴史主義が、数理哲学における形而上学の中で適切であるか」という問いと、この結論は、かなりずれている。
澤口という人の議論は、こういうものが多く合理的な分析は難しい。
このような情況なので、澤口の議論を分析にするには、文章をそのまま
理解しようとしては無理で、全体の流れを掴んで、言いたいことを類推するしかない。以下、それを行なう。

引用4p.48:現今の数理哲学は論理学的方法に集中された観がある。これはラッセル以来生じた顕著な傾向である。
初期の田辺哲学に見られるごとき数学の認識論はとうに学界の関心の外に忘れられている。
分析:現代の数理哲学は英米系の分析哲学に集約され、それ以前の数理哲学、たとえば田辺の新カント派的な
初期数理哲学は、現代(1991)では数理哲学として受け入れられなくなっている。と、いう議論。
つまり、フリードマンの2つの道の一方から歴史を見ている。

要約1p.49:ラッセルのプリンキピア・マテマティカで論理学が現代化され、それを利用して集合論が再建された。
思惟法則まで含めた数学が建設されたのである。このプリンテキアも「還元可能性の公理」という問題を含んでいた。
これは数学を実行可能にするための純然たる仮説である。しかし、この問題はゲーデルの構成可能性の公理に
よりほぼ解決されたとみなせる。ゲーデルのこの公理は還元可能性の公理を含み、さらには、「完全な形で
古典的集合論の論理学的再現を果たしたものと考えられる。さて、この集合論の論理学的再現は同時に他の
可能性に道を開くことになる。」と主張して、公理的集合論における独立性・無矛盾性のなどの研究への言及がされる。
分析:主張は三つだろう。プリンキピアで公理的集合論への道が開かれたこと。構成可能性の公理で還元性公理の
妥当性が保証されたこと。そして、さらに非標準的集合論の研究に構成可能性の公理が道を開いた、ということ。
澤口はコーエンの「連続体仮説」の訳者の一人だが、公理的集合論が分かっていたのかに疑問がもたれるような
議論である。構成可能性の公理は還元性公理、つまり、非可述的なcomprehension axiomより遥かに強い公理
である。これは非可述的なcomprehension axiomと本質的には同じ前提に立つような超限順序数の体系を前提
にすれば、その順序数で番号付けた変数、個体定数、述語記号などを持つ、超限的な論理学により構成される
集合論モデルLと「標準的集合の全体」Vが一致するという公理なのだが、一見、順序数の体系の中に、
非可述的性が入っているのが見えない。ヒルベルトはこれを非可述性なしでやれると思ったらしいが(それが、
かれの「無間に就いて」)、それで失敗して、それを見たゲーデルが、相対的無矛盾性という手法で、
それを前提にしてヒルベルトの議論を再構成して、構成可能性公理V=Lの無矛盾性を示し、それにより、
選出公理と連続体仮説の相対的無矛盾性を証明した。というわけで、このp.49の第2パラグラフの議論の
一番多い部分は澤口の数学的誤解と思われる。この部分は、その後の議論展開には影響はもたない。
しかし、澤口の記号論理学への理解に疑問が持たれる理由となる。他にも、そのような議論が、
この論考にはある。生前の澤口を知る数理論理学を正確に理解する哲学者の話では、
澤口の数理論理学理解には疑問がもたれるとのことである。おそらく、数学としては理解できて
いない。

引用5p.50:現代の集合論はさらに再拡大された同一性論理であると考えられる。
分析:p.49終わりの議論から、同一性論理=伝統論理学<記号論理学<集合論、と捉えていることがわかる。

引用6p.50:記号論理学を本質的に使用する数学を「形式的」formalと呼ぶならば、形式的数学が
現代数学の本姓をなすかどうか。これに対して多くの数理哲学者は肯定の答えを与えるであろう。
<略>しかるに数学プロパーの現状に目をやるならば、依然として別種の数学論理が働いている
と考えざるを得ない。<略>形式的数学に対して抽象的 abstract数学がそれであろうと思われる。
<略>ところで、田辺博士晩年の思索はこれに対してある種の示唆を与えるものと考えられるのである。
分析:澤口が言う抽象数学というのは、ブルバキ構造主義の数学、つまり、ヒルベルトの初期形式主義が
発展したモルフィズムが保存する性質により、数学の本質を語る数学のことである。特に、抽象という
ところが重要で、ヒルベルトと異なり、一意性を無視する、という所に、澤口は、弁証法的な
矛盾を回避する術があると考えている(これは後ででてくる議論)。


2011年12月25日(日曜日)

田辺元の思想―没後50年を迎えて

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時33分48秒

雑誌「思想」2012年1月号田辺元の思想―没後50年を迎えてが2冊昨日届く。(店頭にでるのは12月27日か?)。
田辺史料の画質がゲラ刷りでは今ひとつで心配していたが、紙質が大変よいので相当に明瞭。定価2100円。
雑誌というよりは書籍だな。値段も紙質も僕には驚き。WEBで値段を見たときには、高すぎだろうとおもったが、
この紙質ならばむしろ安い?

ざっとみて僕の二つのアーティクルだけ、文体が全然違う。竹花君のとかは、内容を講演で聞いて、僕自身の田辺研究がえらく影響を受けたので、
これは比較的楽にわかるが、他は何を言っているのかわからんのが多い。経歴、分野をみると、僕だけが哲学関係者でないので、
まあ、そういうことなのだろう。ちなみに、藤田さんのは、まだ読んでない。もう2年間(3年?)も、
講義を聞かせてもらっているので、藤田さんの田辺理解はよく判っているつもりなので後でいいやと思って後回しにしてしまっている。
杉村さんのも原稿をもらったが、これは、その時点で読んでギブアップ。(^^;)

そういう中で、合田さんという人のアーティクルは、文章も内容も例外的によくわかる。この人の田辺像は僕のものにかなり近そう。
僕が見逃していた史料的事実も書いてあった。デーデキント切断に田辺が肩を持ち始めたのが、留学前とは気が付かなかった。
(調べてみたら、これは昔読んだ所だった。切断を基本列より哲学的に意味があるとしているが、これは数理哲学的に意味がある
というだけで、後年の意味づけとは全く違う。「思想」では、他の人も、これに注意しているが、之は単に田辺がよくやる
良いと思いこんだら、何かと理屈をつけて、それに価値をつけてしまうという議論の一つに過ぎない。ただ、それだけ高校生の
ころに読んだ高木の切断の解説が、田辺にとっては印象深いものだったということの傍証にはなるだろう。2012.02.27)
コーエン哲学にも弁証法があるので、そこらあたりか?田辺自身が書いたものかすると、これが本格的な弁証法を意味するものとは、
まず考えられないが、初期の西田哲学に依拠しての論理主義批判などと合わせて、留学前の弁証法的なものへの興味を再検討した方がよさそうだ。

中には、岩波文庫の田辺元選集だけを読んで書いたのだろうか、などと疑いたくなるようなことが書いてある記事もある。
また、いくつかフィロソフィア・ヤポニカを褒めている著者がいて、エーッ!?、という感じ。後者の方では、中沢多様体哲学論の
一番問題のあるところ、つまり、幾何学的で静的なもので田辺の種の論理を説明するところあたりが、一番、受けがいいらしい。
やはり、ここは一度、ちゃんと書いておかないと駄目だな…そうしないと、際限なく誤解が続きそう。

幸い、今朝、中沢の多様体の哲学の種本である澤口の1991年の論文の議論の構造が漸く分析できたので、
「日本哲学史」に書かせてもらうのは、こちらの方が良いかも。中沢批判だけでは、中沢氏がアカデミック
な学者ではないから、学術論文にならないが、澤口さんのは、一応、その形を成しているので、これを
ちゃんと分析できれば、一応、学術論文になりえる。藤田さんに相談してみよう。

最近、偶々、山本夏彦の文庫本を色々読んでいるが、今朝来たのが、「私の岩波物語」。
明日、岩波本社に行くので、どれくらい悪口が書いてあるかと興味本位で読んだのだが、
悪口ばかりかと思ったら、そういうことは書いてない。諧謔で道理が通っている。お江戸のセンス。
#正義が通っているのではなくて道理ですね…

チクリとやってもブスリとはやらず、正義を振り回さない姿勢など、
故前原先生の世間話を思い出す。僕は若い頃、江戸東京古典落語が好きだったから、こういうのは大好きだ。

唯一、違和感をもったのが、田中美知太郎を引用しての西田・田辺の文体の批判。
彼らの日本語が、不必要に難解で、ほとんどドイツ語のような日本語であることは正しい。
それはそれを苦労しながら何年も読んでいる(読まされている?)僕は良く知っている。
「…といわれる」などというのは、どうみても man sagt … だ。
最初は、何か深い意味でもあるのだろうか、と思っていたものが、
分かってみると「なーんだ!」というのが結構沢山ある。この点、
西田・田辺に限らず京都学派の文体には直感的に反感を覚える。
#といいつつ、最近何か学術的なものを書くと、時々文体が田辺になる
#ことがある。慣れというものは恐ろしい…

しかし、では、田中の批判が適当かというと、それは半分しか妥当性を持たない。
田中は、西田・田辺は日本語で語りえるものと語りえないものを知らないと言ったと
山本は書いているが、これが本当ならば、そこが、一番のポイントで、
田中には大きな誤解(?)があることになる。

西田・田辺が日本的宗教観に影響されていたのは、
間違いないが、京都学派の哲学の中心が、そういうものだというのは、すくなくとも
僕は十分読んだ田辺に就いては間違いだと断定できる。田辺の日本思想は、
西洋人が日本思想を読んでいるようなところが明らかにある。現実の浄土真宗の
土着的雰囲気は田辺の理解する親鸞とは当然ながら随分違う。近代化・
西欧化が著しい本願寺でもそうなのである。

また、最近の藤田さんの講義など聴いていると、西田についても禅とか言い過ぎる
のは間違いらしい。今の一般に流布するイメージは西谷や上田の戦後の活動による
the invention of tradition だろう。

僕には、田辺は、ドイツ人に見える。西田は随分日本的らしいが、それでも
普通の日本人ではない。この二人は、本来日本にはない、ドイツ語ならばピッタリ
くるような思考法を身に着けようとしたと理解すべきだろう。だから、日本語の限界などといっても
こまるのである。目的が日本的なものも越えることだったのだから。
(「も越える」である。つまり、西洋も日本も越える。)

田辺の日記の最初の方のものには、ほとんど日本語がない。ヨーロッパの言語で
メモが記されている。おそらく日本語で適当に語るための方法がないのである。
つまり、西洋的哲学者になろう、その中で、同時に日本的・
東洋的なものを出そうとしたのが、この人たちであるわけで、できたら、全部、
ドイツ語で語りたかったであろう人に、日本語の限界を言っても仕方がない。

で、田中美知太郎は、全部、日本語の限界のなかで語ったのだろうか?
そうだとすると、ちゃんとした哲学(史)はできなかったのではないかと、
疑問に思えてくる。


2011年12月4日(日曜日)

田辺「思想」特集号論文校了

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時08分47秒

岩波「思想」2012年1月号の最終校正をメールで送る。これで校了。ふーッ。

再校が来る直前に新しいことに気が付いて、かなり手直しをさせてもらった。
岩波の対応は、今回も他の出版社とは違い、この際だから、良くできるものは、
ちゃんと良くしましょうというものだった。批判も多いが、やはり岩波は学術的には、
他の出版社と一線を画す。またまた脱帽。

物理、特にテンソル関係の話が、田辺の「切断」の着想の一つになっている可能性が
大きい。全集の種の論理の冒頭の論文が、種の論理以前の「図式「時間」から図式「世界」へ」
であるように、物理、特に一般相対論の世界のイメージの、「世界」の問題が、種の論理の
先駆として大きいことは、以前から指摘されている。それに加えて、「数理哲学」も、この
物理に対する思想がカタリストになっている可能が大きくなってきた!ますますコーエン的というか、
「科学概論」の時代の田辺のコーエン哲学の解釈との同型性が顕になってきた。
そう考えると、田辺の「トンでも性」は、実に腑に落ちる。むしろ「保守的」だったのだ。
#ヒルベルトが「保守的」だったというのと、同じ意味での「保守」。数学では、
#それが本当に保守すべき主流になったが、哲学では消え去ってしまったので、現代からみると、
#「トンでも」に見える。

ちなみに、テンソルとは W.Voigt が作った
用語で、テンションから来ている。このVoigtが使い、佐藤省三も昭和9年の哲学研究の
論文(「社会存在の論理」と同じ号)で引用しているテンソルの図示の方法が、
切断に似ている。Voigtのもとの図式は、それほど似ていないのだが…
ちなみに、Voigtは独逸語読みではフォイクトだそうだ。デンマーク読みだとフォークト。
独逸の人がオランダの読み方だと違うかもしれないなどといっていたから、
どちらかというと独逸本体以外の名前なのかもしれない。
FORVOでは、デンマーク読みでフォークト、独逸語でもフォークト。
http://ja.forvo.com/word/riborg_voigt/#d
http://ja.forvo.com/word/voigt/
佐藤はフォーグトと書いている。
ゲッチンゲンの物理の教授で、学長もつとめていて、ヒルベルトの物理の公理化の
研究についての Leo Corry の著作でも取り上げられていた。


2011年10月14日(金曜日)

「思想」田辺特集号ゲラ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時00分34秒

岩波「思想」田辺特集号のゲラが来た。僕のは田辺の『数理哲学』と、田辺文庫の話の二つ。

『数理哲学』の方は西谷の議論を使って田辺哲学が数理抜きでは理解できないことを主張。
京大文情報・史料学を立ち上げるときに、アメリカからわざわざ来ていただいたJ.Gougen さん*が、西谷、西谷と言っていて、知らない僕は何なのだろうと思っていたのだが、西谷哲学自身は読んでないものの、田辺全集14巻の西谷の解説を読むと、この人は只者ではないと感じた。下村とは大分違う。やはり哲学にも天才とそうでない人がいるようだ。西谷の田辺評価は、田辺を師として敬いつつも、そういう意味での天才的な才能が田辺には欠けているというように主張しているかに見える。しかし、田辺の場合、恐るべき緊張感と努力で天才ができないようなことを成し遂げているともいえて、西谷もそういう評価なんだったろうと思っている。単に師を敬っているだけではない、自分とは全然違うが、それはそれで凄いといような評価だと読んだ。ただ、西谷もちょっと辟易していたのかも。 ;-)

この『数理哲学』論文では、澤口・中沢の「多様体の哲学」批判をやることにしていたのだが、50枚が60枚になり、70枚になり、で、これはバッサリ切らんとしょうがない、ということになって、全体を眺めたら、やはりその部分だけが浮いていたので、バッサリ削除。ということで、特に中沢新一批判ができなかった。ただ、これはマスコミ学者とアカデミズムの学者を同じ土俵に置いて評価する、今の世の中を見ると、やはり出しておいた方がよいだろうと思うので、田辺特集号のころに、僕のWEBページにでも置いておこう。

で、結論として、澤口昭聿さんは、まあ時代の問題もあったのだろうが、方向が悪すぎる、哲学的才能の欠如というか… と言うのが評価。
中沢新一さんは、兎に角、不勉強、努力不足、というのに尽きる。ちょっと、酷すぎ。もし、フィロソフィア・ヤポニカが学術論文だというのならば、澤口多様体哲学に対しての剽窃の問題がでてくる。まあ、文芸賞を取っているから一般向け文芸作品として考えれば、岩波書店でさえ脚注はあまり書くななどと言うのだから、引用がなくても仕方がないともいえるので、それならば、僕は黙る。しかし、努力不足というのは、ありありと見えて、それなりの才能(うまく「こなす」才能)のある人らしく、ヒラリとかわしているようなところがあるのだが、それゆえにこそ、その対極にいる田辺を理解できなかったらしく、澤口を利用するものだから、全く変な所に着地してしまう。マスコミ学者の悲劇というところか…

まあ、文章は上手だし、センスのよさみたいのなのは見えるので、それほどコテンパンに伸ばしてしまう気はないのだが、しかし、田辺がもしフィロソフィア・ヤポニカを読んだら、どれだけ怒ったことか…

でもないか。田辺が批判しているのは、田辺自身が説明しているところがあるのだが、実は田辺が最も評価している人たち。たとえば、ハイデガーであり、西田。この人たちへの批判は、実は、田辺がこの思想家達を最も評価していたから起きたこと。それに比べてニコライ・ハルトマンへの評価など、最初、種の論理がハルトマンに依拠しているのではと誤解して、ハルトマンの著書への書き込みやら、講義ノートやら調べていたのだが、その過程で、正直の所、本当に背筋が凍った。群馬大の図書館でハルトマンの本への田辺の書き込みを読みながら撮影してて、なにやら、あまりの冷たい態度に、自分も学者だけに、他人に、これだけ冷たくされたらどれだけ落ち込むかな、とゾーッとした次第。そういう次第で、おそらく背筋も凍るほどの無視を中沢多様体哲学論に対して示した可能性が大きい。

まあ、面識もない中沢新一さんには、気の毒だが、学者の力量というのは、ハッキリでるものなので仕方がない。

*)京都に来て南禅寺の知人などを訪問して、本当に嬉しそうで興奮していたが、帰米されて少しして急死された。今でも、呼んで良かったのかな、カンフォーラでシンドソウなときに、もう少し気を使っておけば… などと思うことがある。昭和20年8月6日に,もし,…というのと同じ想い。歴史的真実、歴史的現実は、本当に重い…


2011年9月7日(水曜日)

ルドルフ・ブルトマン

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時44分02秒

思想の原稿締め切りが月末でなく10日と解って、大慌て。

田辺の晩年、死の哲学期というか、ハイデガーとの対決期の
諸著作から数学・科学の用語で語っているところを探す。

ハイデガー哲学を数学のコンテキストでみると、という
ような記述もあり、実に田辺らしい。当時の状況で
見捨てられる筈だ。 :-?

西谷の解説は、数理哲学の重要性を理解している
ように思えるが、肝心なところで議論をすり替えている
ような印象をうける。

面白いのは、田辺がルドルフ・ブルトマン
神学をハイデガー哲学を越えたもののように議論する点。
ブルトマンは反ナチ運動をしていたそうだから、田辺がやると世間的
には実に微妙な議論になる。

ブルトマンは初めて知ったが、ハイデガーに触発されての 
Existentiale Interpretation des Neuen Testaments
新約聖書の実存主義的解釈というのは、
面白い。調べてみる必要あり。これが、
Entmythologisierung des Neuen Testaments
新約聖書の脱神話化を意味するということは、
単純に考えれば、キリスト教の脱埋め込み。
それがハイデガー哲学を契機として起きるという
ことは、やはり、ハイデガーの存在と時間の哲学
はブラウワー数学が脱埋め込みであるのと同じ意味で
脱埋め込みなのだろう。ブラウワー連続体論を田辺は「公理化」と読んで、
その哲学的限界を惜しがったが、ハイデガー哲学への
態度(分析的にとどまるという批判。全集13, p.569あたり)と
ピッタリ一致する。

しかし、そうやっても、やはり田辺も近代に
なってしまっている。学を標榜するという姿勢を
メタに標榜する以上、幾ら無限の懺悔をしても、
還相をしても、同じ事になるのだろう。
そのために、田辺哲学の弁証法は、殺気立った
ものになる。

その点、ゲーデルは、そんなものだとストンと
納得している感じだなー。

二人の性格の違いを良く表している。

そのゲーデルの方が精神を一部病んでいて、
田辺の方は生涯正気のままで正座しつづけ
ているかのように死んでいったというのは何か凄い…

人間はそこまで鎧を着たままでいられるのか。
明治人というのはそんなものなのかもしれない。


2011年7月28日(木曜日)

西田・田辺記念講演会2011「種の論理再考―数理思想史の観点から」レジュメ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時39分16秒

2011年西田・田辺記念講演会の林の講演のレジュメ「種の論理再考―数理思想史の観点から」を公開。変な文章が数箇所見つかったので修正。

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2011年5月30日(月曜日)

京都学派と新カント派

カテゴリー: - susumuhayashi @ 21時17分49秒

1.田辺全集、4巻、月報、務台理作「京大来任当初の田邊先生」
大正四年の末であったか、五年のはじめ頃であったか、京大での西田先生の哲学概論の講義に
田邊先生の名が出てきた。それは『哲学雑誌』に発表された田邊先生の論文、新カント派における
「論理主義の限界」にかんするものであった。その折西田先生は、ようやく日本で流行になりかえて
きた新カント派の論理主義
について話され、直観主義の上から批判された。
2.戸坂潤、1936年(S11年)、現代の哲学と宗教、「思想と風俗」より:日本にはヨーロッパ・アメリカに行なわれた
哲学が凡て一応は輸入紹介されている。そしてそのどれかの一哲学の相当忠実な信奉者は探せばいつもいないことはない。
しかし、世界大戦直後の頃、最も有力なるものとして現れたのは、カント主義または新カント主義であった。なぜその時に
なって有力になったと称するかと云えば、その時期になって初めて、この哲学学派が経済学や法律学・自然科学の領域に
或る種の実を結ぼうとし始めたから
である。
 この哲学は日本に一時、方法論全盛期を画したのであったが、….


2011年5月29日(日曜日)

Heidegger哲学てそんなに狭いのかーっ?!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時21分32秒

西田田辺記念講演で、種の論理における人間学的要素について論じるために、田辺の人間学の時期(種の論理の直前)におけるハイデガーの「存在と時間」の哲学への言及(ただし、成立前!)を理解するため、いろいろとハイデガーを調べる。
 で、Design や渕さんについて調べていた頃、Winograd さんの本を読んでから、どうももやもやして変だったものが氷解したような気がするのでメモる(あるは、さらに誤解しただけ?これから検証、とりあえず検証のために纏める)。それにより、M.Friedman の構図、分析哲学、大陸哲学、田辺哲学の位置、Winograd さんやドレイファスの哲学、ハイデガーとITのことなど、何か全部がまとまった。
 疑問はいくつかあった:

  1. なぜ「存在と時間」の哲学が現実のITのプラクティスの場で役立つのか(Winograd)
  2. なぜ「存在と時間」のような語り方で存在論が議論できるのか?(できるはずがないと感じていた)
  3. なぜハイデガーが偉大な哲学者として持て囃されたのか

 これは僕がハイデガー哲学がライプニッツとか、カントとか、ヘーゲルとか、そういうものと同列のものだと誤解していたから。この2グループはドレイファスがいう『前者は「哲学者」、そして、ハイデガーやらヴィトゲンシュタインはnon-philosopher』という分類に似ていて、(ドレイファスではむしろ方法論の相違が強調されるが)見ている対象が異なる。実は、ハイデガーなどの「非哲学者」は、パラドキシカルなことに「哲学者」より、「科学的」になってしまっている。つまり、世界を一括して理解したいという本来の西洋哲学に充満していたはずの欲と言うか目的が失われていて、「この分野に限定」という後退がある。これが田辺には我慢がならない。それが、ハイデガー批判であり、西田批判になる(ただし、西田批判の方は少し違って実践の問題が大きいのだろう。逆にハイデガーにはナチスに拘わったという「実践」がある)。
 破壊と構築―ハイデガー哲学の二つの位相,門脇 俊介やら、この阪大の高田さんという人のパンフレット、そして、田辺の日本最初のハイデガー哲学紹介(一つ前の投稿タイムライン参照「…転向」)からすると、ハイデガーは要するに存在論をOeffentlichkeit(公共圏:田辺訳)に限定してしまい、そこだけで存在論をDasein の「直観」のみから構築しなおすという戦略で哲学を進めたということになる。これは田辺の説明の受け売りで、正しいかどうかしらない。しかし、これは「存在と時間」出版の数年前の説明であることに注意!つまり、個人教授の先生だったハイデガーから田辺は、これから書かれる「存在と時間」でとられることになる方法論について「親しく聞いた」わけだ。本を書くときには、最初の意図どおりにはまず書けない。ということは、この田辺の記述は逆にハイデガーに極めて近い哲学者からのハイデガーの研究戦略の「証言」なのである。(で、気になるのが群馬大田辺文庫のハイデガーの講義のノート。もし、あれが個人教授のときのものならば田辺研究ではなくハイデガー研究のための第一級史料となるはず。講義のものでも重要だろう。ちゃんと読んでみなくては!)
 要するに、田辺が後に批判するように、ハイデガーは世界を相手にしていない。ハイデガーの世界は狭い意味の社会学が扱うような、人間の社会、公共圏についてしか語っていない。もしそれこそがそれのみが Dasein に語りえることだというのならば、我々のような理系の人間からしたら「まったくの現実無視!」といいたくなる。それは哲学者が文系の都市住人であり、そこに生きる世界が限定されているからだろう(当然、ここで京都学派左派の問題が生じる。しかし、今、京都学派として知られものには、多かれ少なかれ「文人・墨客」のイメージがつきまとう)。哲学者ならば相手にしているのはみんな人だろう。しかし、工学者や理学者、そして、数学者が相手にしているのは人間ではない。都市以外の住人ならば、たとえば農業のように否応なく自然に対峙する人もそうだろう。僕には、これについては庭仕事くらいの経験しかないので大きいことは言えないが、僕が実際に直接、かつ、長年経験している、ソフトウェアの世界、数学の世界、そして、IT教育の(インフラ整備の)世界では、この世界観は全くなりたたない。
 たとえば、百数十台のワークステーション(平成元年の話)の世話をして、それで学生たちを教えるといときに日常性として起こるハードウェアの障害(Winograd ソフトウェア論では、そういうものは異常事態として説明される)は、同僚やら学生やらとの関係と同じように重要だし、さらには、個人でできる研究に没頭し始めると最も身近なものは人ではなく物(ソフトウェア含む)となる。要するにハイデガー哲学には、ヴィトゲンシュタインが「語りえぬものについては語ってはならない」としたような狭さというか、学問がなりたたないからそこは無視しましょう、という卑怯さのようなものがみえる。田辺にはそこが許せなかったはずだ。たとえば、こういう哲学では1945年8月6日に広島に(偶々)いたということと、その帰結について何らの「納得」もできなくなる。おそらく、そういうものはハイデガーには「語りえぬもの」なのだろう。要するに基礎付け主義というか、厳密主義にすぎないので、裏返しの分析哲学のようなものだろう。ぼくには、田辺の態度の方が共感できる。(態度の問題で哲学のシステムとしてどうかというのはでないことに注意!)
 では、そのように狭いにも拘わらず、なぜ、ハイデガーがもてはやされたか?それはもてはやした人たちが、「同じタイプの公共圏」に住む人たちだったからだろう。そして、そういう問題、田辺の言い方を真似れば、「体系的学問的明証的であることを保ちつつ、Leben について自分という Dasein に直接与えられていると信じることができるものだけを使って哲学したい」ということを可能にし、しかも、それまでの哲学をちゃんと総括できるという、職業的哲学者として実に際立った能力で処理された哲学体系であり、しかも、それに乗れば自分たちも何某かのことができると見えたからだろう。実に近代的であって、分析哲学と対抗する位置に立つに相応しい思考のスタイルであったわけだ。
 ハイデガーの議論のスタイルを使えば、職業としての哲学が継続しえる。しかも、自然科学などという、その時点ではドイツ社会に投げ入れられている Dasein 自身としてはあまり語りたくもないものと決別して哲学という「仕事」を継続しえる(ある伝記によるとハイデガーも最初、数学の方向にいこうとしていたそうだ。本当ならば大変納得)。そうなると「とにかく哲学をやりたい」という人たちには、物凄く魅力的に見えるだろう。プロイセンの科学・工業の時代ころから、哲学は成立しないという強迫観念にドイツの哲学者は長く直面しているのである。そして、哲学者のなかでも、そうでない人たち、特に自然科学とか、ハイデガーが「語りえぬもの」にしてしまったことを語ろうとする人たちは、ほぼ同時期に記号論理学という別のスタイルを得て分析哲学への道を歩み始めていたわけだ。つまり、フリードマンが言う分裂である。
 では、そのような自然科学とかに全く関係のないはずのハイデガー哲学が、どうして、ITの世界で重宝されるのか?これは簡単で、要するにWinogradさんとか、僕とか、Google などのWeb2.0企業とか、そういう人たちが対面しているITの世界というのが、圧倒的にハイデガーが住んでいた哲学の世界に近いから。つまり、そこには津波も原爆も加速器もない。インターネットというやつは、おそろしく安定的で、物理的・自然的干渉から独立だ。だから、ほぼ、物理的・自然的制約を無視できる。もちろん、ケーブルにケッつまずいて電源落ちて何年分かのコードが消えた原稿が消えたということはありえるわけだが、それは僕らの若い頃までの話で、今はOSやマシンが凄くロバストだし、ネットがあれば分散してのストレージというのもありえるし、また、アマゾンで本を注文してもアメリカから1日で洋書が来たり、Math. Ann. の古い巻のページをドイツのサーバで楽々と検索し閲覧できる時代。つまり、工学者や実験系の科学者が日々対面しているような問題からほぼ自由で居られる(ディズニーランド化の技術的原因)。
 Winograd さんはワープロの電子機器としての存在はユーザーにはそれが故障するまで立ちあらわれないというところから、ハイデガー存在的発想のソフトウェア開発での重要性を説明したが、要するに実質的にその「故障」がほぼなくなってきている。つまり、ほぼハイデガー的世界だけで、サイバー世界だけで閉じて生きられるような世界になっている。もちろん、アマゾンの最終部分が(本当の最終は宅急便なのだが)FCであるように、また、 Googleの大きな技術的競争力がデータセンターの運営能力であるように、物理的なものはかならずある(それが田辺では第3次元)。しかし、それがあまりに安価かつ容易に提供されるものだから、それはないに等しいわけだ(しかし、提供側にはその分、凄まじいほどの能力が求められる)。そういう世界でプラクティカルにはほぼ不必要な物理的存在までケアしようとする哲学(形而上学)より、ハイデガー存在論が便利なのは当たり前だ。ソフトウェアはハイデガー的 Dasein とのその公共圏の中だけで構築されるのだし、そうしないと、複雑すぎて、とても構築できない。
 しかし、そうはいっても津波は来る。災害は起きる。事故も起きる。ハイデガー哲学のターミノロジーでは、その「稀」なことにはなんら対処できない。実は社会自体が、こういう世界では自然としてたちあらわれる。ハイデガーにとってのナチスと連合軍、田辺にとっての日本ファシズムと連合軍が、そういう意味での自然となる。そういうものをハイデガーは自分の圏内から実質的に排除しているのではないかと、全然ハイデガーを読んでないのに(^^;)思う。これに反して、Ulrich Beck のリスクの概念などは、ちゃんと危険からリスクに問題の多くの比重が移動したという形で両者について語れる。このことが、現代ではハイデガー的なものは、むしろITの技術の背景として立ち現れ、Dasein のために世界観としては成り立たなくなっている理由の一つだろう。この方向に行くならば北森や晩年の田辺のような方向に行くしかない。
 もうひとつ考えたことを書いておかねば。ハイデガーの立場は、あるいみでヒルベルトの有限の立場とかブラウワーの直観主義の立場と同じ。要するに、どれも基礎付け主義、近代的なのだが、この方向に多くの人が進んでしまう理由、誤解の理由が有限と無限の問題にあるように思う。これは数学の有限・無限ではなく、Dasein としての自分と超越の関係のこと。しかし、長らく集合論のような無限で超越的な対象を考え続けた人にとっては、パイの1000^1000^1000^1000^1000^1000^1000^1000^1000^1000桁目の数字という有限的存在より、巨大基数の方が余程慣れ親しんだ具体的存在になる。実験物理学にちゃんと通じるような形の物理学、たとえばCERNで実験をするような人などにとっては、我々には意味も理解できないような素粒子(?)の方が具体的であるはずだ。このようにヒルベルト的に考えれば、19世紀終わりから20世紀初頭の数学や哲学の基礎付け主義の誤りがわかる。ゲーデルなどは、それから自由なのだが、それが彼が古臭く見える理由なのだからおもしろい。田辺はもしかしたら超古いので新しいのだろうか?
 この問題は、さらに京都学派左派の三木、戸坂などの「実践」の問題に繋がるが、長くなりすぎたので、ここで打ち切り!
プログラミングとか、講演のレジュメ書きとか、頽落せねば! :-D
#新書原稿も忘れてはいません。>千葉さん


2011年5月17日(火曜日)

決まり!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時30分04秒

下の投稿をした後、はたと思いついて M.Friedman, A.Nordmann “The Kantian Legacy…” の著者紹介をみる。
Fridemanは、"He works on the relationship between the history of philosophy and the history
of science from Kant through the early twentieth century, and on the prospects for
post-Kuhnian philosophy of science in the light of these developments” だそうだ。
ようするに「哲学史と科学史の狭間から」ということ。となると、「種の論理再考−科学思想史の観点から」で良いかな?
この場合「科学思想史」には、(科)学の哲学であった新カント派についての思想史も入る。そういう意味での
科学思想史。つまり、現代の意味ではなく、広い意味での科学哲学についての思想史。
#下村がいう「田辺の科学哲学」だな要するにこれは!
#… よし!これで行きましょう。 :-)


副題失敗した…

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時17分03秒

西田・田辺記念講演会の講演タイトル「種の論理再考―数理思想史の観点から」はまずかった。
これを考えた時点では、Riehlとか人間学とかわかってなかったので仕方ないのだが、
特化しすぎ。離す内容の半分から3分の1しか「数理」に該当しない…

仕方ないので、当日、変更することにする。しかし、どうかえるか??
Friedman が科学哲学史の人ならば、
「種の論理再考―科学思想史の観点から」
でよいだろうが、Friedmanはカント研究家とも
いうし。困った….

竹花さんから教えてもらった服部健二「西田哲学と左派の人たち」が来る。
確かに観点が非常に近い。しかし、今度は話内容とは、やはり、少し違う。
今回の最大のポイントは、田辺の「人間学」の時代に、M. Friedman たち
が指摘する、大陸哲学 vs 分析哲学の対立が、生の哲学 vs 学の哲学の
対立としてあり、その対立が、新カント派ではなく、それから出た幾人かの人たち
により担われていること、それがシェーラー、ハイデガーであり、そのもとには、
critical realism とか現象学とか、この両者の「調停」を目指す、
別の立場があり、これらの人たちはそこから出ていること、そして、今は我々の
視野からほぼ消えてしまっている、この情景を思い浮かべて出ないと、田辺哲学の
意味を正しく理解できないこと、これを理解すれば、さらには西田や他の京都学派
の人々、たとえば三木の思想(服部は三木、船山たちは田辺からインスピレーション
を得ているとする。非常に納得)を理解する手懸かりになるということ、これを
主張する。これをすれば少なくとも田辺以後の仏教系(?)でない京都学派
の人々を世界思想史の文脈におくことになり、Friedmanの、大陸哲学、
分析哲学の壁の撤去の試みに、さらに日本哲学を組み入れることができる
ようになる。という、それが最大のメッセージだろう。これに比べれば、
ブラウワーがどうのというのは、そういう主張の妥当性を証明するための
一傍証に過ぎなくなる。

だから、数理でなく科学。でも、Friedmanはどこに分類すればよいのだ????


2011年5月13日(金曜日)

西田・田辺記念講演会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時39分57秒

西田・田辺記念講演会で「種の論理再考―数理思想史の観点から」という講演をします。
土曜日ですが専修の学生さんたちはなるべく参加してください。金2の特殊講義と深く関係し、
水曜日の院の演習とも関連した内容の話をします。

リンク:http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/nittetsu/nishidatanabe/nishidatanabe.html


2011年5月8日(日曜日)

身体論・人間学から種の論理へ、そして数学史

種の論理が、その直前への身体論、心身論から生まれたという竹花さんの講演を「善の研究」出版100年記念の会議で聞いたときは、
大変おもしろい指摘で、田辺が、これに関連して後に自分の病気が種の論理の契機なったと書いたことの理解として(これが僕には
何か全然わからなくて、咽喉のかかった小骨状態だった)大変良いと思っていたのだが、どうも、そんな軽いものではない。
7,8日の引用から明らかなように、処女論文からあった志向性が、この段階で、ほぼ明らかになり、まだ、理論(論理)構造を
つかめていないが、その条件は、ほぼ、すべてそろっている。欠けているのは「社会」というタームぐらいだろう。
しかし、すでに「共同体」まではでている。そう考えるとシェーラーの Wissenssoziologie は大きな契機だったのでは?
面白いのは、すでに弁証法が完全に前提となっている点。これはやはりマルクスなのか、それとも純粋哲学的動機のほうが、
大きいか。全集4ではマルクス主義の姿が見えない。マルクス主義・弁証法との対峙と、全集4で示された性の哲学の
理論化=論理化=被媒介化の方向と、田辺が弁証法研究に傾倒したという、この二つのほぼ同時に起きている(前者が
一応は後だが)歴史的プロセスの関係がわからない。これ大きな興味深い問題。

風邪で寝込み中に、竹花さんにもらった論文別刷りを読んで気になり、竹花さんが参照していた全集4の諸論文を調べた。
その結果わかったことをメモッたのが、5月7−8日の投稿。その纏めが上のメモ。

要するにWeylの1921年の危機論文、Ueber die neue Grundlagenkrise der Mathamatik
http://www.scribd.com/doc/49885193/Hermann-Weyl-Ueber-Die-Neue-Grundlagenkrise-Der-Mathematik
がひとつの例である、第一次世界大戦前後のドイツ思想界の激動と変化を田辺の人間学はみごとに反映している。
単にマルクス弁証法への対峙で種の論理の発生を説明するのは間違い。

今まで調べてきた様々な分野の歴史・思想史研究間の関係が、すべて関係。要するに現代の西洋哲学の2分の弊害により
見えなくなっているウィルヘルム2世朝からワーマール共和国にかけての激流のようなドイツ思想史の問題。数学基礎論史は、
そのひとつのエピソードとなる。(ただし、重要なエピソード。)

関連するもの:
1.数学(基礎論)史
1.1.Gray, 林の近代性の視点からの数学史
1.2.
2.思想史。主に科学・数学に関連する思想史
2.1.Michale Friedman, Alfred Nordmann 系統の研究
2.2.これらは、いわゆる科学史や科学哲学どいう「専門分野」とはずれているが、
 Friedman, Nordmann eds. の proceedings(?) に GrayとLuetzenの
 論文があるのが、これに道をつけている。
3. 思想史
3.1.Herbert Schnädelbach, Bambach など。
4.そして日本では京都学派。
4.1.今は田辺のみだが、九鬼、三木、戸坂、高坂など、特に第2,3代世代への関連は?
 時期的に岩波の哲学講座昭和6年が手懸かりとならないか?これらの著者が多く書いている。


史料メモ#127,人間学の立場

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時37分40秒

人間学の立場 全集4巻 pp.357-382 1931 理想10月号
(1)p.35「一方於いてはフォイエルバッハへの回顧を通じ、他方に於いてはディルタイ、シェーラー、
ハイデッガー等に対する関係に於て、哲学的人間学なるものが今日次第に重要の意義を加へつつあることは、
現代哲学の趨勢に注意する何人にも疑いなき明白な事実と云ってよいであろう。」
(2)pp.361-362 要約。人間の存在論は存在者(「明証の所在」の意味の Sosein 林注)の存在論
ではありえない。人間はそのあり方を離れて存在者としての本質を規定することはできない。「人間の存在論
は存在者の存在論であるに先立って、或いは少なくともそれと同時に、存在(「明証の所在」の意味の
Dasein 林注)の存在論でなければならない。加之(しかのみならず)、存在の認識も人間の作用として
其自身人間の在り方に外ならないとすれば、人間の存在論は存在の自覚たることを第一条件とする。」
このような観点からして、「本質観照の形相的現象学の立場に於て人間の本質を、対象化せられざる
作用中心としての人格性と規定したシェーラーの人間学が、其示唆的なる思想の豊富にも拘わらず、
立場として不十分なることを免れないのは当然である。
是に対してハイデッガーが
全体人間の在り方の自覚として自覚存在的存在論 existenziale Ontologie を、人間学の予想として
提唱したのは正当
といはなればならぬ(Heidegger, Sein und Zeit, S.47-48)。
人間学は全体人間としての人間の認識といふ其課題の必然的なる帰結として、自覚存在的存在論
(以下之を略して自覚存在論といふ)の方法を其方法とするのでなければならぬと考へられる。」
*ここでは Heidegger >> Scheler。しかし、Scheler に価値があるとしているところに注意。
Brouwer への言及に類似。
*しかし、ここから学の哲学への揺り戻しが始まる。これが「種の論理
へと発展する途。
(3)pp.366-367 「兎に角ハイデッガーの自覚存在論が超個人的全体に於ける人間の共同存在
を解釈する途を有しないことは、その立場の制限を示すものであって、人間学が直ちに其立場で
立せられることの不可能なるを証示するものといはなければならぬ。而して其卓越せる時間の分析も、
専ら未来に於ける可能性の自由計画を契機として行なわれるが為に、過去の被限定性と未来の
自由性との相互転換の岐機にして同時に媒介たる現在の永遠性を認めない結果、
時間性から
歴史性へ進む途を欠き、且(かつ)この現在の永遠的超時間的契機を媒介として各個人の主観的
なる時間形成が、客観的なる相互関係に統一せられる可能性を了解することが出来ない。斯くして
歴史的時間の確立は不可能に終って居る。斯様な立場に於いては所謂超越も個人的存在の内部に
於ける観念論的超越に止まり、実存的超越に達する能はざるは当然の事であろう。シェーラーの
人間学の重要なる観点を形造る所謂「宇宙に於ける人間の位置」の自覚の如きは、到底自覚存在論の
能くし得る所ではない。
自覚存在論は弁証法的人間学の抽象的契機たるに止まる。人間学は
全体人間の自己に対する在り方の自覚であるが、人間の在り方は同時に絶対的存在者に
対する相対的存在者としての自己の弁証法的位置、他の相対的存在者との共同存在、の自覚の
相互媒介を通じてでなければ自覚せられない。人間の在り方は自覚存在たることを特色とするが、
それは同時に永遠の絶対者に於ける存在、歴史的社会的共同体に於ける存在、であることの自覚を
必然の契機とする。我の存在の自覚は、絶対者に於いて之を媒介とする汝との共同存在を成すといふ
自覚に於て始めて成立するのである。

*この部分、ほとんど種の論理!絶対的存在者、共同体を類、種に、相対的存在者を個にすれば、
それらの弁証法的関係まで記述されていると読める。また、それが永遠の今としての現在を切断に
例えて見る後の立場さえ、「現在の永遠的超時間的契機」という言葉で現れている。また、そこに
シェーラーがでてくることに注意。ハイデガーへの評価は、ハイデガーには投機性しかなく、
被投性がないかのような議論に読めるのだが、ちょっと極端では?ただ、言いたいことはわかる。
しかし、そのハイデガーが、田辺よりさらに政治に直接にかかわり、また、それを田辺が批判した
という史実を理解すべきだ。
(4)p.367 「それでは斯様に全体と個体の相即に於いて人間の存在を自覚し、
歴史的社会的連関に於て表現の了解を媒介とする人間の自己解釈を求むる人間学は、
ディルタイ並に其学派の『生の哲学』と同様の立場に立つものであろうか。
否、両者は一見酷似しながら、其実重要なる区別を有するのである。」
*この後、生の哲学の(種の論理の時期の議論の仕方でいえば)被媒介性の欠如を根拠に、
生の哲学への批判が続く。田辺ば拠所にするのはヘーゲルに対峙するキェルケゴールの思想となる。
(5)pp.368-9 「私は是に対し、恰もキェルケゴールが自己の実存弁証法に対して、
矛盾を止揚することにより個体的人間の実存を消滅せしむるヘーゲルの純粋思惟の抽象的連続観を排斥し、
今日其思想を承くる(キェルケゴールの思想をうける、林注)弁証法的神学の一派が神人の直観的合一を
宗教の本質と認めたシュライエルマッヘルに反対し其連続観を斥ける如く、「生の哲学」の連続的力学観を
排斥しなければならぬ。」<略>ディルタイ門下のミッシュ(Lebensphilosophie und Phaenomenologie,
1930, 群馬大田辺文庫蔵,134,923 9, ***)はディルタイの思想が相対主義であることを認め、
しかし、ディルタイの Bedeutung の範疇を生了解の根本範疇として、それが含む全体傾向を論理化して
完了的思惟 zu End denken (意味)の論理的範疇とするならば相対主義を脱せるとするが、
私(田辺)はそうは思わない。Bedeutung を基礎とするのでなく、それ自身、生の哲学の
了解的内容的立場に反して形式的に論理化されなくてはならない。「これは単なる了解でも、
それと論理との結合としてのミッシュの所謂歴史的体系的方法でも能くする所でない。
キェルケゴールの説いたやうな宗教的道徳的信行の非連続的飛躍的なる
弁証法的自覚のみが其途を開くものと思われる
(Kierkegaard,
Abschliesssende unwisenschhaftliche Nachschrit zu den philos.
Brocken. Kap. III)。私は此存在論的弁証法と存在論的自覚との相互媒介が
人間学の方法を成すと考えへるのである。」
*極めてキリスト教的な宗教観がみえる。後に北森ならばそれを理解しただろう。
西田はそれを見て田辺は宗教を理解できないとしたはずだ。西田は静かな禅寺の
禅僧であるようにぼくにはみえる。田辺は比叡山を降りた法然や親鸞と同じ傾向がある。
キェルケゴールの説いたやうな宗教的道徳的信行の非連続的飛躍的なる弁証法的自覚
のみが其途を開く」に注目。ここでは非連続だが、これがやがて、切れていて繋がっている、
「田辺の切断」的なイメージにかわったのではないか?いずれにせよ、ヘーゲルの止揚を
連続と解しているのは面白い。通論の弁証法の図で、二重丸がついている絶対弁証法の
止揚が、この非連続の飛躍なのだろう。通論の図では、ヘーゲル、マルクスの止揚には、
それがついてない、単なるjunctionになっている。


2011年5月7日(土曜日)

史料メモ#126、明証の所在

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時31分51秒

明証の所在、全集4巻

(1)pp.273-286. Sosein 対 Dasein の関係をキーに、Ontologismus の話が続く。
p.276に「今日の数学の基礎に関して公理主義形式主義を採る人は最も明白にこの立場を代表する。」
この立場とは、「数学的対象のDaseinはそれのSoseinを越えてそれの外に成立するもではない」、
つまり、現実とは形式そのものなり、という立場。p.277 に「数学的の存在の明証は、
対象の Sosein を規定する公理の志向する所を、意識に於いて直観的に充実する途が与えられて
始めて成立する。これ公理主義形式主義に反対する直観主義の主張に外ならぬ。私は今日重要なる
論争点となって居る両主義の対立に関し、明証論の上から観て公理主義には未だその説に何か欠けている所が
あるのであって、直観主義の方が一層具体的なる立場に立つのではないかと思ふ。
ともかく後者が意識に於ける対象の構成に対し直観の通路を重要視するのは疑いもなく正当であろう。」

(2)p.281 併しながら ideale Gegenstaende に於いてそれの Dasein が有限の
Sosein に含蓄せられるのと、reale Ggenstaende の Dasein が Sosein の無限系列の総合の極限
をなすのとは、本質上一に帰せられない相違を有する。

ここにも、種の論理成立にブラウワーの数学思想が絡む「理由」が見出せる。

(2)をuniversal algebraなどのduality、完全性定理の言葉で言えば:
しかしながら、形式系・代数系において、それの構文論的モデル(自由代数、リンデンバウム代数)が有限の
形式系や代数系により記述されるのと、現実の無限「モデル」(現実も数学的存在)が、有限的な形式系や
代数系の無限系列の極限となるのとは、本質上同じこととは言えないのである。
#数理哲学的には、二つの見方がある。ひとつは、トポス理論的に考えて、否一致する、という立場。
#もうひとつは、集合論的に考えて、そのとおり、その差を生み出す、本質こそ、ウルトラフィルター
#が表現するものであり、選択公理である。そこに無限の本質があり、ライプニッツの
#contingent truth は、それを意味している。Cohen の無限小もそれであろう。
僕は、こういう思考はできる(というか、得意)だが、する気がない。意味がないという立場なので。
ただ、それを歴史学的にウラに回って見ることは意味があるという立場。たとえば、
後者はホワイトヘッド哲学に通じるか?あるいは、それは前者だったのか?
という問題ならば興味津々。


史料メモ#124ついて

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時16分21秒

田辺は新カント派の学の哲学の凋落、生の哲学の勃興を、ドイツワイマール共和国の危機の時代に重ね合わせている。
#124の「現象学に於ける新しき転向」はドイツ留学帰朝後の秋に出版されている(1924, 大正13年10月思想36号)。
留学は大正11年3月より大正13年1月(帰朝)。つまり、1921年春ころから1922年冬頃までドイツに居たこととなる。
この時期とは史上有名な第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレの時代。
http://de.wikipedia.org/wiki/Deutsche_Inflation_1914_bis_1923
http://en.wikipedia.org/wiki/Hyperinflation_in_the_Weimar_Republic
英語のWiki記事のグラフが視覚的だが、数字としてはドイツ語の記事の下の方にある表がわかりやすい。
いずれにしても、田辺滞在の1年間にマルクは、およそ10-100億倍のインフレを経験したことになる。
 田辺は、このヒトラーを生んだとも言われる過酷な経済状況を目の当たりにしている。ただし、田辺自身は英国ポンドで
支払いをすます戦勝国日本の帝国大学助教授である。この経験は田辺に何かを残したのだろうか?残こらなかぅたとしたら、
かなり鈍感ということになるが田辺はあまり実社会に実は拘ってないというか分かっていない可能性はある。
調べるとしたら日記か?留学中の日記はあまりなかったはずだが…それに田辺は、そういうことは日記にかかない人だ。
手紙はどうか?


史料メモ#124、現象学に於ける新しき転向 ハイデッガーの生の現象学

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時45分17秒

現象学に於ける新しき転向 ハイデッガーの生の現象学 田辺全集4巻
(1)p.19: 要約:現代ドイツ哲学に於いて現象学の占める位置の重要性とは、
それが「厳密なる学としての哲学」に発しながら、体験の構造を分析し、
直観の明証を真理の最後の拠所として、一般に生の全領域に対する展望を開くことにより、
所謂、「学の哲学」と「生の哲学」との両極を統一する希望を比較的多く有することにある。
一時代を風靡したカント派(新カント派のこと)の先験主義は、あまりに「生よりの隔たり」が大きく、
人々の心が離れた。その徹底したプラトン主義のZweiweltentheorie 二世界論は、
「痛ましき現実に面して悩み苦しむ当代の人間には余りに峻厳にして親しみにくい。
時代の傾向は生そのものの真相を具体的に理解し、その中から生ける力を掴み取らんとする方に向った。
今日流行の標語となって居る所謂『生の哲学』は実に此傾向の産物に外ならない」(原文どおり、漢字仮名遣いは別)。
*つまり、田辺はWWI後のドイツの文化・社会状況の変化による新カント派の凋落と、
Weberがたしなめたとされる学生達の「生・現実」への希求について語っている。この論文大正13年。
田辺は大正11年(1922)3月から大正13年(1924)1月(帰朝)までドイツに留学している。
この時期はぴったり世に有名なドイツ・ワイマール共和国のハイパーインフレの時代、
それも最も酷い時代に重なる。それを田辺は見ている。どれくらいのインフレだったかとというと、
この記事のグラフによるとhttp://en.wikipedia.org/wiki/Hyperinflation_in_the_Weimar_Republic
1922中ごろが100, 1923の終わりには、1,000^4、つまり、10,000,000,000倍、つまり、100億倍。
ドイツ語の方の表http://de.wikipedia.org/wiki/Deutsche_Inflation_1914_bis_1923 
でみると、31.Janur 1922 が1.000 として、15.November 1923が1.000.000.000.000なので、
10億倍。(ドイツ語と英語での記数法では、カンマとピリオドの使い方が逆になるので注意)。
まあ、10倍位は誤差の範囲。数日で10倍くらいになるのだろうから。
 これがワイマールの危機の時代。この時代のことを田辺は言っている。これを目の前に見た人と
そうでない人は世界に対する見方は違うだろう。ただし、田辺はポンドで払う戦勝国日本の帝国大学助教授である。
(2)同ページ。Rickert が、1920年にPhilosophie des Lebens で生哲学批判をしたのも
新カント派凋落の証明だった。
(3)pp.20-21 要約。フッサールの現象学は「学の哲学」から出て、かつ、
「生の哲学」と同じ傾向を目指している。それは、形式的アプリオリを求めず、直観体験に基づくという点で
生の哲学と同じである。しかし、それは生の哲学には欠ける原理的方法の自覚を持つ。ここに「学の哲学」から発し、
難解で一部からは現代のスコラ派とさえ言われるフッサールの思想が「意外な人気を集めて居る所以がある」。
たとえば、ディルタイがLogische Untersuchungen を評価したというのは偶然ではないだろう。
 本来哲学はその生誕を世界観の要求に負っている。世界観は、単に内容に対する形式、
現実に対する規範というようなリッカートのHeterothesisの一方の分枝のみで成立することの出来るものではない。
その様な徹底的な二元主義が本来世界観の要求に対してはそれ自身不満足なものである。
「寧ろ内容と形式との融合、現実と規範との相即といふことが何等らかの方法で世界観の根底と
ならなければならぬ。
」今、二元主義のプラトン、カントより、一元主義のアリストテレス、
ライプニッツ、ヘーゲルに行く傾向が強くなり新カント派が凋落しているのもこのためだ。
(4)pp.38: 要約。新カント派の共通性は、アプリオリな形式原理を求め、現実世界はその原理を
当為規範として実現する過程と理解することだ。
*極限の考え方。ヒルベルトの証明論、後期形式主義、そのもの。Weberの極限例は思考実験、
理論形成のためだから、これとはことなる。その意味ではWeberは新カント派とはいえない?
(5)pp.38-39:「而して世界観は何等か形而上学的統一原理によって完成するものであるとするならば、
学の哲学は本来その点に不満足あることを免れない。仮令斯かる形而上学的原理は学的認識の内容となる
能わず、直観体験の対象として論理の要求する如き厳密なる普遍妥当性を享有する能わずとするも、
尚「生の哲学」の立場から理解の対象となることが出きるであろう。」< 略>「況やこれが今日の現実生活の
状態に結びつくに及んで、『学の哲学』は到底『生の哲学』の敵でない所が現れる。現世紀の十年以後即ち
世界戦争の後に於いては、過度の不安に悩まされ、懐疑から絶望に傾きつつある欧州人にとって、
『学の哲学』の如きは幾ど閑事業に庶い(ほどんどかんじじょうにとおい)。論理の斎整、体系組織の完備よりも、
生ける事実の把握がその関心事である。」<中略>「併しながら『生の哲学』も単なる一時の思い付きや
機知の産物に止まり、何等かの原理によってその研究を指導し統一するといふことがないならば、
到底之を哲学といふことは出来ぬ。若し斯かるものを求めるのみならば哲学より寧ろ文学に趣くべきであろう。」
(6)pp.40-41. この難しい二者の対立を共に満たすことができるのが現象学だ。この様にして、
新カント派凋落の後、現象学がドイツで有力となっている。


Alois Riehl

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時00分25秒

風邪で寝込んでいたが少し回復したので活動再開。まだ、咽喉、頭(痛)、鼻、
筋肉がだめだが熱は少し下がってきた。今は36.7位(ただ、平熱が36.2-3度だからまだ熱はある)。

寝ている間に、M.Friedman, A.Nordmann eds. The Kantian Legacy in
Nineteenth-Century Science が届いたので、少し見る。物凄く面白い。Friedman とGrayの関係がわかった。
Friedmanが源流。この本、藤田さんの講義を聴いて買ったもの。Google books で 
critical realism Riehl でsearchするとtopにでる。

A. Nordmann:
(1)p.249 This is how at least some of the neo-Kantian conceived of their project,
and this is how the story is told by Herbert Schnaedelbach (1983) and Klaus Christian Koehnke (1991).
(2)p.249 Riehl, Cohen の思想を critical idealism, critical realism と呼ぶ。
(3) Cohen への言及多し。
M.Heidelberger
(1) The recent efforts to identify and analyze the neo-Kantian roots of logical positivism
have primarily concentrated on the impact of the Marburg School on Carnap and Schlick.
これは、M. Friedman の開いた道。それが effortsであること。この論文集自体がその方向らしい。
そして、全体は、主に哲学者により主導されているが、J.Gray, Jesper Luetzen の寄稿がある。2006年出版だから、
Gray の Marburgへの言及はこれがもとと見たほうがよい。これでFriedman, Gray が繋がった。辺境にいるものは
回り道をしないといけないので辛い。しかし、これで自然な道を歩んでいたことがようやくわかった。
(2) この論文 Riehl の説明が詳しい。かなり重要な位置づけ。自然科学者が受け入れやすい哲学。その中に
日本の哲学への影響の説明がある。p.230 Through the Japanese philosopher Kunaki Genyoku (桑木厳翼),
who studied with Riehl in 1907-1908, Riehl gained some renown in Japan (see Guelberg 2003).
Riehl はニーチェ哲学について最初のモノグラフを書いた人。(pp.229-230) 桑木もニーチェについての本がある。
(リール、チーグラー、ドルソンの著書をもとニーチェを解説した本。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/757989/5)
(3) p.229 Riehl がその主著で、mind-body problem, problem of external world などについて扱う。
(4) Herbartian p.228.
(5) p..2u This modernizing of Riehl’s program in the hands of Schlick… 著者はSchlickは
哲学的には何も追加する必要がなかったほどRiehl1879に依拠したとしている。
(6) p.228 It even seems that Riehl’s Kantian doctrines are much closer to logical positivism
than to most of the views of his neo-Kantian fellows.


2011年4月26日(火曜日)

西田の影響

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時10分16秒

今年度初めて藤田さんの特殊講義にでる。今年度は凄く人が多くて、
うらやましい。人が多ければよいというものではないが、僕の
特殊講義は少し少なすぎ。(^^;)
#でも、今の演習形式だと、あれ以上の多いのは問題だな…
#適正なのかも。来年は、特殊講義と演習を交換しよう。

藤田さんの講義の、講義前半の田辺の措定判断について
の処女論文に対する考察が大変に面白い。

ここから西田・田辺講演を始めるとよさそう。

要するに田辺が京都に来てから西田哲学に染まったいう俗説は
間違いで、善の研究出版以前の処女論文にすでに、西田の
純粋経験への言及と判断できるものがあり、それを新カント派
としては「異端」といえるAlois-Riehl http://de.wikipedia.org/wiki/Alois_Riehl
の措置判断 setzende Urteil を西田の純粋経験と関係付けて
いる。むしろ、田辺こそがアカデミズムにおける西田の「紹介者」
であるという議論。

これと良く似た意見を、僕は、どこかで読んだ記憶があり、それに基づいて
Wikipediaの田辺の項目を修正した記憶があったので、
そのことかと思って聞いていたが、後で質問したら、藤田さん独自の
意見とのこと。

で、ここで僕の間違い。金2の特集講義の出席者へ訂正です:
田辺が処女論文で西田に陽に言及したというのは間違い!
実質言及しているが、陽に名前を出すのは第二論文(善の研究出版
の後)、というのが正しい!

で、自分が編集したWikipediaを見たら正しく書いていた。
ようするに、その後で忘れたらしい….(^^;)

ソースは、全集1の武内の解説。藤田さんへのメールから
抜粋:
特にp.475の高橋里美の学士院における田辺追悼
演説に、この論文への言及があり、「既に西田先生の直観主義への同感がそこに
うかがはれるものであった」とあります。また、p.477に今日先生が話されてい
たこととほぼ同じことが武内の意見として書いてあり、しかし、p.478に西田哲学
の名前をだしての引用は第二論文からとあります。僕は、この3箇所に線を引い
て付箋をつけていましたが、記憶間違いで、第一論文に西田の名前があると
思っていました。

多分、藤田さんならば、このあたりはチェック済みで、「論文では書いたものが
ない」というようなことを言っていたから、アカデミックにちゃんと議論ができている
ものは今までない、という意味だったのだろう。

Alois Rihelの思想の藤田さんの説明が、
Max Scheler の ekstatisches Wissen にダブる。
ここあたりこそ、田辺の源流があるらしい。
だからこそ、コーエンへの言及が東北大時代から多い。

この時期は、田辺は、まだ、現実(たとえば社会)と、
個の、自我を超越した純粋一如の経験、を信じている。

やがて、それを信じられなくなる。

田辺の絶対弁証法は、旧約聖書のヨブ記の神に
ダブる。しかし、現在の旧約のヨブ記のそれではなく、
北森嘉蔵の言う、とっつきやすくされたヨブ記でなく、
「本来のヨブ記」(あったかどうか、誰にも
実証的にはわからない)のそれだ。

そのとき西田批判が始まったのだろ。


2011年4月24日(日曜日)

Omnipresent Web

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時14分54秒

SMART-GS0.8のコーディングの最も面倒なところが終わり一息と思ったら、
岩波から原稿の状況の問い合わせが来た。(このブログ見てるんですね。
千葉さん。(^^;))

社会学の学会が組織したボランティア運動で宮城県と福島県の県境あたり
に行っているらしい溝口君が水曜のPlato’s Ghostの講読にでてきたので、
みんなで色々と話をきく。Google Earth だか、 Map だか、Street View だか、
どれか忘れたが(アラカンで記憶力減退)、Google の地理画像情報が
随分役に立っているらしい。家が流されて、それを探すとか、被災証明か
なにかのための証明用にとか、必要な Google の画像を印刷して渡すと、
泣いて喜ばれるという。パーソン・ファインダーといい、今回の
大震災は Google がどういう存在なのかを如実に示している。

溝口君に必要な画像が更新されて消えてしまうことはないだろうかと
聞かれて、Googleはミッションで動いているから、
メールで必要性を知らせれば対応してもらえるのでは、とsuggest。
彼は昨夏の村上さん(当時まだGoogleジャパン名誉会長)の集中講義
を聞いていたので、直ぐに納得していた。

村上さん経由のおねがいというのもあるだろうが、Google
は通常の意味の「会社」というよりはイエズス会に近いの
だから(だから日本に上陸すると「弾圧」される)、現場で被災者支援
をしている人が同志として頼むのが一番自然だし、わかってもらえる
だろう。

とはいうものの、木曜日夜にプログラミングの峠を越えてホッとしたので、
さっき自分でも調べ、いろいろとわかったので、溝口君にメールで
知らせる。しかし、今頃は被災地で僕の長ーいメールを読む暇はないかも。

で、一般的にも意味があるとも思うし、水5の講義の内容とも関連するので、
ちょっとそれを採録:
++++++++++++++++++++++++++
林@京大文です。すでにGoogleから返事をもらっているかもしれませんが、
ちょっと調べてみたので連絡しておきます。

溝口さんが言っていたGoogleの古い写真というのが、Google Earth の航空写真
ならば、震災と関係なく Google Earth 6 以後の time slider 機能として古い
写真が表示されるようです。
http://earth.google.com/support/bin/answer.py?hl=ja&answer=148094
http://www.google.co.jp/intl/ja/earth/explore/showcase/historical.html

1946年のサンフランシスコの画像まであるのですから、多分、基本的には永久に
保存されるのでしょう。

しかし、street view の画像については、この機能はないようです。現在は震
災前の「古い」写真を見ることができます。たとえば、
http://maps.google.com/maps?f=q&source=s_q&hl=en&geocode=&q=%E5%8D%97%E7%9B%B8%E9%A6%AC&aq=&sll=39.639538,-98.173828&sspn=53.508562,91.230469&ie=UTF8&hq=&hnear=Minamisoma,+Fukushima+Prefecture,+Japan&ll=38.124588,140.936004&spn=0.003507,0.005568&z=18&layer=c&cbll=38.124588,140.936004&panoid=_q9s9gOFOjxY-rHW6FpYCA&cbp=12,292.83,,0,11.01

こういう画像は非常に貴重なものではないかと思います。ユービキタスという言
葉がありますが、これは神はあらゆる場所に存在するという意味ですが、さらに
オムニプレズントという言葉があり、これは神があらゆる場所とあらゆる時間に
いることをいいます。ストリートビューにもタイムスライダーがつくとオムニプ
レズント・ウェブへ一歩近づくことになりますから、おそらくGoogleはやりたいで
しょうね。

広島では原爆以前の町並みを記憶などに頼って復元するという活動が
あります(わりと最近始まったものです。被爆者は過去は思い出したくないので.
..)。そういうものに使えるようになるわけで、実際、2009年のオーストラリア
の山火事によるMarysvilleの焼失
http://www.smh.com.au/news/national/marysville-almost-destroyed-in-victorian-bushfires/2009/02/08/1234027832317.html
に関連して、こういうものがありました:
http://www.facebook.com/group.php?gid=69249521398

Googleに働きかけて、Street Viewを過去の光景のアーカイブにするというのは
ありえますね。ただ、Grid上でやるという方法もあります。いまでも、腕に自身
がある人ならば、Street View の画像を落としまくる、Street View をクロール
するクローラを、すぐに作れるはずです。

被災した人たちがとりあえず今必要なのは、Google Earth のほうですか、
Street View の方ですか?
++++++++++++++++++++++++

村上さんの話では、Google BooksがGoogleの収支をかなり圧迫し
ているらしく(だから、かわいそうに清水君の給料は低いらしい(^^;)。
まあ、それを知っていて入ったのだからしょうがないよね。
元気でやってますか?(^^))、それからすると、Street View
の古い画像を保持することはどうか?

これは新日鉄ソリューションズの大力さんの
言い方を借りれば「装置産業」なのでGoogle Booksより簡単なはず。
つまり、人件費を比較的喰わない。Google Books は最大の人件費喰い
のはずであり、それに比べれば過去画像など大きな問題ではないはず
(古い画像は解像度が低く容量が小さいし)。

もし、omnipresent web が実現されたら、未来の歴史家は、僕のように
群馬大や京大文学部の田辺文庫の古紙の虫になるのではなくて、
メールやブログの記録、street view, tweets, life log の
記録を探し回るのだろう。それは今僕がやってる作業より、
はるかに膨大な作業であると同時に、まるでタイムマシンに乗って
過去に遡るようなワクワクする体験に違いない。
#うらやましーーー!!!

その探検旅行にSMART-GSの子孫が使われていたらホントうれしい
のだが。(^^)


2011年4月17日(日曜日)

「種の論理再考:数理思想史の観点から」計画 ver.1

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時12分55秒

今年の西田・田辺記念講演会は6月4日とのこと。そろそろ形固めていかねば。
ということで、まず、計画 ver.1:

1. 目的:種の論理を中心として田辺哲学をドイツ思想史、
 特に数理哲学との関係で捉えなおす。
2.手法:文献史料ベースの思想史・数学史・現代史の手法。
 群馬大・京大の田辺文庫史料について:重要な書き込み、
 手稿、メモ、日記の宝庫。SMART-GSを使った講義メモ等
 の翻刻・分析作業。
3.種の論理の数理哲学的側面: 林の日本哲学史研究」論文の内容。
4.3の思想史的意味:ワイマール時代のドイツ思想界(数学・科学思想含む)
 の状況。M.Friedman の新カント派から枝分かれする二つの道
 「ハイデガーが象徴する大陸哲学、カルナップが象徴する英米哲学」
 という視点。数学が哲学と完全に分離する直前の時代。危機の時代。
5.田辺はFriedman の二つの道の双方にコミット。大陸哲学の心で、
 数理哲学を行なう。二つの道のどちらでもない。N. Hartmann,
Max Scheler などの「批判実在論」に近い。その比較と、
 影響(史料evidence、論文では)。これらの人々の歴史的位置付け。
6.種の論理とは何か?暫定的結論:
 種の論理は西洋形而上学の伝統の一つの到達点。
 弁証法という装置を使い実存・社会・自然(数理含む)を総体としてとらえる。
 それ故に、晩年の「数理の歴史主義展開」が書かれた。
 懺悔道以後の「宗教哲学」の位置づけ(世界を説明して
 しまった人が、いかに生きるかという指針としての「メタ・哲学」)。
7.まとめ。これからの研究の可能な方向性。西田・田辺論争
 研究の可能性などを指摘する。数学史、科学歴史社会学
 研究、ドイツ思想史などとの関連の深化。もうひとつの到達点としての
 ホワイトヘッドプロセス哲学との比較。


2011年2月12日(土曜日)

久野収の証言

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時53分21秒

どこかで見たと思っていた種の論理の成立についての証言。家永の「田辺元の思想史研究」、pp.37-38 にあった。家永が久野収に取材して得た証言だった。

私の老母の家が鎌倉にあって、田辺さんのお父さんの家のすぐ近くで、田辺さんは鎌倉へ帰ってくると、
まだ軽井沢の家のできる前のことだが、よく僕を呼んでいろいろプライヴェートな話をする。よろいかぶと
をかぶった人で、プラヴェートな話をする人がいないので僕にする。そういう関係だったから、(中略)
昭和9年だったと思うが、「社会存在の論理」の構想がその年の夏にできる。鎌倉の家にいると、僕に
ちょっと来てくれと使が来た。行ったら、僕を目の前にして二時間くらい「社会存在の論理」となって
発表される論理を講義して、批判してくれ、と言うのである。田辺さんの社会存在の論理をはじめて
聞いたのは僕なのだ。一方に西田哲学を批判し、他方にマルクス主義、僕はマルクス主義ではないが、
僕らを含めた広い意味での集団主義を批判し、また他方ファシズムを批判する。この三者を批判する
立場を獲得した。その時の田辺さんの顔は非常に晴れやかであった。それまでは、僕は昭和六年に
入学するが、九年までそれに辿り着くまでの田辺さんは、非常に苦渋にみちたものであった。『ヘーゲル
哲学と弁証法』のところでは、日本のインテリがこの現実の中に何処へコミットすべきかはまだ見通しが
無く、哲学の理論でも観念論に行くべきか唯物論に行くべきか、たいへん悩まれた。まじめな人だから。
一方に三木清・戸坂潤・林達夫らが左旋回して行く、一方に田辺さんのまわりの人々が右旋回して行く。
そういう中でインテリが階級闘争の中でどういう役割を果たすべきか、観念論か唯物論か、とにかく
社会存在の論理でそれを全部見通せる。類個種の論理と世界図式、社会存在の論理を僕に
話された時の田辺さんはほっとされた。多年の疑問を氷解して開放されたという気持ちだったのだろう。

ついでに、少し書く。

家永はpp.45-46で、西田・田辺の思想を、高坂、高山、和辻の思想と区別し、
「この両者の哲学が、高坂・高山・和辻らのそれと決定的に異なる論理を内包し、抵抗の思想として
紹介できないにしても、さりとて単純に便乗の哲学として紹介するのも適切と考えられない、
アンビヴァランスを有したからにほかならない」と書いている。田辺の戦争責任を問うことを
考えると、その矛先は、まず昭和初年の時代の再現であるかのような現代の日本を生きる自分に
突きつけられる。


2010年11月16日(火曜日)

リーマン面@田辺哲学

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時43分50秒

澤口「田辺元における数学の形而上学」, p.64「歴史的世界と位相的図形のあいだの相似性」を田辺が指摘したという。そして、その例として田辺があげたものが、メイビウス・バンドとリーマン面だとする。p.65 メイビウス・バンドの議論を批判するが、リーマン面については述べない。そして、p.67 の第四節の冒頭で、「種の論理の数理哲学は多様体の哲学において本領が発揮される。博士はリーマン面に触れているだけで多様体一般については論じていない。まず多様体の一般概念が種としていかに把握されるか、見ることにしよう。」という文章で、「多様体の論理哲学」のテーゼが、初めて登場する。

これに対する田辺の叙述は:「…歴史主義展開」全集12, pp.299-300, 文庫pp.347-349。ここでリーマン面についての議論は次の通り:
1.「…、すなわちリーマン面である。数学者には周知のこの事例について、数学に通じない私が喋々するのは、いかにも烏滸がましき限りであるからやめよう(例へば吉田洋一…)」として具体的言及をさける。
2.しかし、その上で、次の様に言う「ただここでも注意せられるのは、第一にこの位相学的事態が、静観的なる実変数関数論ならぬ、自動的運動的といつてもよい複素関数論に於いて始めて起こるといふこと、すなはちそれが、単に直観的ならぬ行為的自覚的なる立場に成立することを示すといふ点である。」これは、おそらく解析接続をイメージしている。そう思われる根拠:全集pp.354-5,「理論物理学新方法提説」。「今述べた如く自己の自由自覚の地盤を象徴すると解せられる収斂円(収束円が現代的用語)の解析接続が、対自的にその根底たる無の裏づけを展開して、複素平面の重層的立体性を自覚する成果が、すなわちリーマン面に外ならない。」田辺は、全集p.353 で近傍を「媒介」と書く。全集 p.353 「収斂円といふ位相学的「近傍」を媒介となし、収斂円の非連続性を否定契機として、却っていわゆる非連続即連続の弁証法を成立せしむゆえんこそ、コーシー・リーマンの微分方程式の意味する所であるといつて差し支えない。」ほぼ「トンでも」状態であるが、その後の「それが(収斂円が)相互独立完結にしてしかも接続せられることに、歴史の非連続的創造即連続的発展の構造が表明されるわけである」という文章からすると、「正則関数が与えられることにより、曲線状を移動する点の収斂円が点ごとに別々に存在すると同時に、それは曲線上で解析接続されていき、結局、リーマン面をつくる。このような局所の積み重なりで、大域的なものが連続的に作られていくことに歴史の構造との相似性がある。また、このような類似性を、その上で可能にする複素平面というものも、単なる実数の対という以上の潜在的な構造をもっており、それが複素数というものの哲学的いみだ」という風に田辺は考えていると理解できる。強い証拠なし!ただし、傍証:Alexandroff のEinfachste Grundbegriffe der Topologie 「田辺文庫、41, 110」p.8 に Hausdorff空間の近傍系の公理の説明がある。それに田辺は次のような書き込みをしている:Die Begriff des topologisches Raumes の一般論で、Alexandrof は、Nun beruht aber die Steigkeit auf Vorhandensein von Beziehungen, die als Nachbarschafts- oder als Umgebungsbeziehungen erklaert werden - … という文章を含む説明を書く。そこに田辺は「種ト個」という書き込みをしている。(実際の公理にも書き込みあり:近傍が open であることの条件には、より小さい近傍がとれるという意味ととって「無限可分」、ハウスドルフの分離公理は、「点ノ分立ハ近傍ノ分離(離は?)」)つまり、近傍に種を点に個をみている。これはブラウワー連続体論理解以来のパターン。
また、この Alexandorff は、その Hilbert の 前書きに、「ヒルベルトも非連続な論理に基づく公理主義の限界を感じ、位相学に望みを託したか」という、田辺によく見られる「現実の歴史の無視」の議論に使われたもの。「…歴史主義展開」全集12, p.310。この部分は、殆ど救いようがない。ヒルベルトが Harmonie zwischen Anschaung und Denken と書いたところに田辺は下線を引いている。直観と理論(形式)の両方が、通俗史観でいうほうどに形式主義者でない Hilbert には重要な要素として存在していた。official には形式主義者であっただけだ。その直観主義的要素を強調するために田辺は、 Hilbert が書いたものが、偶々、位相の本のイントロであったことをとらえて(このことには、何らの関連もない。たとえば、それは、彼自身の幾何学基礎論であってもよかった)、それを根拠にしてしまう。つまり、現実の歴史は必ず正しい哲学(形而上学)に従うという田辺独特の(しかし、Hartmann と共通の)思考法により、ヒルベルトが数学の歴史主義的側面に気が付いたのが、そのイントロを書いた理由としてしまう。これはもちろん、「トンでも」以外の何者でもない。Schnaedelbach がHartmann 哲学の崩壊の理由とした「現実の科学との突合せ」と同じ構造の弱点が「現実の歴史」を強調する田辺哲学にはある。外の例としては、リーマン面とデーデキント切断に関連があるのではないか、リーマンの講義にデーデキントはでていた筈だから、という全集12, p.354 の議論。もちろん、リーマンとデーデキントの友情は数学史では有名。誠実なデーデキントの支えがなければ、精神的に不安定だったリーマンはもっと早く「崩壊」していたのかもしれない(Laugwitz の「リーマン」を参照)。まあ、昔なので、デーデキントからのリーマンの妹への手紙などまで調べる現代の数学史の成果がなかったのでしかたなかったという面はある。ただし、この両者の思想的関連性を理解しているところは無碍に否定すべきではないだろう。現在の数学史では、これは「概念と思考による数学」がリーマン・デーデキントにより具体的に立ち上がってくる過程として理解されている。その源は、まだよく分かっていないが、二人ともが師事したディリクレの影響が大きいらしい。しかし、リーマンのは、ものすごく大胆で、やはり、リーマンがすべての出発点とするいささか強引な Laugwitz の論調などに、つい、賛成したくなってしまう。(でも、全面賛成はしない。)
3.おそらく田辺が複素数系に弁証法をみたのは、この解析接続の動的性格においてだろう。だから、リーマン面の議論がでる。しかし、田辺はリーマン面を十分理解できていたか怪しい。(投稿「切って繋ぐ」参照。)しかし、その動的性格は感覚で理解しているらしい。ここで重要なのは、「接続されていく」というところなので、「デーデキント切断論」の切って繋ぐとは、いささか雰囲気が違う。後者には、現在という時が反映されているが、解析接続にはそれがない。実際、田辺の議論は形式(収斂円が点ごとに「独立して」決まる)に頼りすぎていて、切断論ほどの力強さがない。しかし、澤口は、それに乗ってしまう。また、澤口の「普遍概念としての多様体」でも、同様の「哲学のための歴史の『捏造的解釈』」がみえる。田辺よりは稚拙かつ強引な議論。梅原の「法隆寺議論」といい、こういうのを読むと、歴史家である僕は、「ひどいものだ….」と頭を抱えてしまう。

これは京都学派の特性か?あるいは、哲学者の特性か?


2010年11月13日(土曜日)

岩波文庫 田辺元哲学選

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時17分27秒

藤田さんから田辺元哲学選靴鯆困。見本とのこと。書店にでるのは来週だろう。内容は「哲学の根本問題」と「数理の歴主義展開」。数学についての解説をチェックして欲しいとのことなので、そういう点を詳しく読む。さすがの藤田さんも、今回は細かい間違いが幾つかあるが、まあ、それはご愛嬌程度。数理の歴史主義展開への理解は、僕のものとほぼ同じで安心した。徒手空拳に近い形で2年ほど田辺研究をやってきたが、僕が手懸かりにしてきた文献は、専門家の藤田さんが、これは重要、とされる文献ばかりだった。まるで、僕の研究を承認してもらえたようで、大変に安心する。

しかし、やはり専門家にはまったくかなわない所があり、特に西田哲学を知らないので、西田との関係がからっきし駄目だし(本当は、これが凄く大切なはずなのだが)、もう一つは懺悔道・死の哲学が十分視野に入っていない。それでも「数理」をキーにしているから何とか意味のあることをやれているわけだ。

先日、藤田さんの懺悔道の講義で、Jasper との関係が重要という説明があり、これなど指摘されると、ウームという感じ。種の論理の成立には新カント派と関係しつつも、距離があった人々、特に Scheler と Hartmann が重要なようなのだが、この二人の哲学は認識論が中心らしいので、ここまでだと種の論理の中にある実存哲学的な傾向が説明できない。それより、Heidegger という巨大な存在の影響が、ドイツ留学時の「家庭教師」以後、ずっと続いていてこれの方が重要なはずなのだが、自然科学が対象にするような「世界」を常に視野にいれる田辺哲学では、Heidegger とすれ違いになるのである。Scheler, Hartmann などを盛んに refer しながらも、何故か冷たい、田辺の態度が不思議でしようがなく、新カント派とそれに続く哲学者との関係で、田辺哲学を見るという僕の思想史研究の方向に一抹の不安を感じていたのだが、藤田さんのこの説で、ストンと腑に落ちた感じ。

藤田さんの説明では、Jaspers ではumgreifen という行為により、Dasein が Welt に繋がる道筋が、その哲学体系の中に(中心にだろうか?)組み込まれているので、実存哲学が田辺哲学と通じることができる。もちろん、田辺は、絶対無の弁証法により、Jaspers も越えていると自負していたはずだが。これは非常に説得力がある考え方で、これで一挙にわかった気がする。おそらくは、Scheler, Hartmann などは認識論にとどまってしまって田辺には新カント派と同様の不満な存在だったのだろう。Jaspers への評価は、丁度、Brouwer を評価しつつも、「おしい」と書いた、そんな位置の取り方だったかもしれない。

幸い、藤田さんに聞かれた、Jaspers をテーマに論じた1939年(S14)の特殊講義「実存哲学対現実哲学」の講義メモを探したら、それと思われるものが僕が昨年撮影した資料の中にあった。これは群馬大の目録ではリストされてない箱に入っていた資料だが、比較的綺麗。早速、藤田さんに渡した。

こういう「偶然」、自分の力を超えた event が起きるのが史料ベースの歴史学の一番ワクワクするところで、こういうのがあるからやっているようなところがある。考古学とか、実験物理、生物学、天文学、などと同じセンスなのだろうな。工学も同じようなところがあったが、工学の場合、やっていたのがソフトウェア工学で、自分で作っている人工物相手の工学が主だったので、いまいち、「発見した!」感が乏しかった。史料だと、本当に、「何の気なしに棚から史料を手に取り、ペラッと捲って、『エッ、エエーッ!』」というのがある。これが楽しい。

この史料も至急、SMART-GS でサーチ&翻刻可能にしなくては!色々仕事が多くて、西田資料の画像も田辺資料の画像も清水光芸社に納入してもらったそのままになっている。NF休みを利用して至急にやらねば!

これで田辺の思想の大きな流れが、凡そ解明できることになるのではないだろうか。後は、一番の難物、西田との関係。これは資料的にも、ちょっと辛いけれども、おそらく群馬大、京大の蔵書書き込みとか手帳(日記)が手懸かりになるだろう。そういうところでは気を抜くので田辺も正直になる。田辺は、うそつきではないが、「気遣い」「気配り」が強いのが、出さない、婉曲にする、というところがあるように思う。ちょっと、「ドイツ人の沈黙」を連想。僕はドイツを研究しているが、どうもドイツ人は苦手な所がある。お喋りな(過ぎる?)僕には、ドイツ人は寡黙すぎる。それを「ドイツ人の沈黙」と名づけている(正直に言うと、今、名づけた ;-))。それに比べると、イギリス人とかアメリカ人、フランス人は、なにかと喋る。特に前二者とは僕は話しやすい。ドイツで学位をとった藤田さんはやはりドイツ系の学者を連想させる。自分は英米系ではないと思っていたけれど英米系なのかな…………..

ケルト系だったりして。 :-D


2010年11月10日(水曜日)

論文『「数理哲学」としての種の論理』

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時02分43秒

「数理哲学」としての種の論理 -田辺哲学テキスト生成研究の試み(一)-, 京都大学文学研究科、日本哲学史研究室紀要「日本哲学史研究」第7号、2010年9月、pp.40-75 の公開を開始しました。掲載を許可頂いた日本哲学史研究室に感謝します。
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修正コメントなしオリジナル版


2010年11月9日(火曜日)

切って繋ぐ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時39分09秒

澤口、「普遍概念としての多様体」、哲学研究、552号. pp.1794-5:「 (「理論的物理学新方法論提説」全集12で、田辺元)博士はデデキントの切断と関数論の解析接続のアナロジーを詳しく論じた。」

田辺「理論的物理学新方法論提説」全集12、pp.354-355: 「リーマンは電流のポテンシャル関数の非論に従い一般複素関数論を解釈し、その2点間を適当なるリーマン面に依って「切断することにより結合する」と言ったのは(Klein, S.260)、あたかも、私が最近の著書に於てデデキント切断の解釈に述べた所と符節を合する如くであって、私としてはまことに、空谷に跫音(あしおと)を聞く思がし胸の躍るを禁じ得ないのである。」

「私が最近の著書に於てデデキント切断の解釈に述べた所」という部分の意味:数理の歴史主義展開における、切断を「切って繋ぐ」、つまり、切れているままで、同時に繋がっている、あるいは切ることが即繋ぐことである、ような、弁証法的状況の象徴とする議論。田辺自身の書き方は、色々あるが、例えば、「数理の歴史主義展開」pp.9-10, 「ところで切断が今述べたやうに、張つた糸の如き連続体をきることによつて繋ぎ切口を入れてしかもそれを再構成するものであるとするならば、その切口を入れるナイフは全く厚さのない絶対に鋭利なる刃をもつものでなければならぬであろう。然らざれば、切口は必ず隙間を作つて連続を傷け、従って連続体を再構成することはできなくならざるを得ない。」要するに切るという行為によっても、その部分がそのまま繋がったままでないといけない。だからナイフに厚みがあってはいけないと言っている。これを社会の問題で考えれば、その意味は「真の社会変革を為すものは、個人的な欲や想いのような「厚み」をもって社会に切り込んではならない。自らを無に帰し、「厚み」のない存在として、身を捨てて行為するものだけが、真の社会変革者たれる。そうでなくては、その切断の行為は結局社会を破壊するだけに終る」くらいになる。本当に厚みのないナイフを考えているのではない。あくまでたとえ話。林晋"「数理哲学」としての種の論理 ――田辺哲学テキスト生成研究の試み(一)――” 参照。

上記で田辺が参照したKlein, S.260の内容: Entwicklung der Mathematik, Felix, Klein, Site 260, でコンパクトリーマン面上に nonconstant meromorphic functions (非定数有理型関数、http://en.wikipedia.org/wiki/Meromorphic)が必ず存在すること(Riemann がディリクレ原理を不用意に利用して証明し、Weierstrass が Riemann の原理の使い方に反例をだした、そして Hilbert が後に合理化した、という有名な話のあの定理)を、電気的な思考実験で示そうとした箇所。Klein は、Riemann が、そういう物理学的なイメージで、それを理解していただろうと書いており、澤口もそれを引用している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Riemann_surface 特に、
http://en.wikipedia.org/wiki/Riemann_surface#Functions および
http://en.wikipedia.org/wiki/Riemann_surface#Analytic_vs._algebraic を参照。

これには、和訳の大変良いのがある「クライン:19世紀の数学」共立出版、p.266。数学的内容はおそらく完璧と思われる。(この定理をちゃんと読んだことがないので絶対の自信はない)。

クラインの議論の要約:『Riemann 面を、まず、金属箔でモデル化する。Blaetter (葉)のDurchdringung (貫入)の部分、つまり、3次元空間では実現不可能で、曲面の一部(葉)が局面の別の一部を横断するところは、二つの葉を絶縁した二つの金属の櫛を組み合わせるようにして、電気を突き抜けさせて、さえぎる面の裏側に正しい電位が伝わるようにする。そして、そのモデルの2点 A1, A2 をとり、そこに電極をつけ電流を発生させたときのポテンシャル u を考える。 A1, A2 以外では u の値が有限かつ微分可能に決まり、更にΔu=0となる。ただし、in A1, A2 aber unstetig wird wie log r1 bzw. -log r2 となる。』[ポテンシャルというのと、この最後の意味がよく判らないのだが、どうやら電極の所が数学でいう極(pole)になるということらしい。ここは電気のことがわかってないので不明 :-( 。さらに調べる必要あり。ただし、問題はそれ以後の話なので、とりあえず、気にしない。]

問題は、このようにして Riemann 面を作った後に、u を実部にする複素関数 u+iv を構築するところ。それを要約せずに引用:「[このように作った Riemann 面を]2p個の横断線によって切断し、局面を分割しない回帰切断線(=周期経路)はもはや不可能であるようにする:次に一つの切断線によって A1, A2 も結ぶ。」(共立訳, p.266)。原文では “Wir zerschneiden sie zunaechst durch 2p Querschnitte so, dass kein nicht zerstueckender Rueckkehrschnitt (= Periodenweg) mehr moeglich ist; dann verbinden wir auch noch A1, A2 durch einen Schnitt.”

ここで田辺は誤読している。: 訳文がでわかるように、durch einen Schnitt の Schnittは切断する行為ではなく、その線にそってリーマン面を切り開くための曲線のこと。だから、Rueckkehrschnitt = Periodenweg となる。つまり、この Schnitt は Weg、経路、つまり、ここでは曲線のことであり、田辺が「切断することにより結合する」と言っていることは、「それに沿って面が切り開かれることとなる曲線によって」を意味する、durch einen Schnitt を、「切断することにより」と誤解し、「(A1, A2)を結ぶ」、つまり、「点 A1, A2 を両端点とする曲線を引く」を、「切断したものを、結ぶ」と誤解したことを示している。

結論:田辺が複素関数論について積極的に語り始めるのは1955年の「理論的物理学新方法論提説」が最初と理解してよいだろう。だから、それ以前の種の論理や前年1954年の「数理の歴史主義展開」は、このリーマン面の話と本質的には関係ない。「歴史主義展開」はトポロジーが着想のもとなので、複素関数論は、まだ視野に入っていないらしい。ということで、田辺哲学の「本体」は、この間違いに影響をうけないのだが、この論に積極的に載り、リーマン面が多様体であることから、種の論理を多様体に結び付けてしまった澤口の「哲学」は大きな痛手を負うことになる。Klein の本への田辺の言及を利用した中沢の多様体哲学の議論も同様。


2010年11月7日(日曜日)

分有、融即、参加

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時37分17秒

岩波文庫「種の論理」の藤田さんの解説を読んでいて、田辺が最初の種の論理論文「社会存在の論理」で大幅に依拠した、レヴィ・ブリュールの分有の法則のフランス語が、loi de participation であることに気が付く。これは今年の春ごろか、あるいは、昨年度の藤田さんの講義・演習で、指摘があったことだが、participation という語をすっかり忘れていた。Teilhabe, participation の重要性を理解できた今となっては、藤田さんが、言っていた、「participation」の訳としては、分有は適当でなく「融即」の方が良いという主張も良く理解できる。ただ、融即は確かに意味をうまく表現する言葉ではあるが、やはり academic jargon という気がするので、簡単に「参加」でよいのでは….


2010年10月22日(金曜日)

書き順で解読とは!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時18分07秒

今日も「田辺元を読む」が順調に進む。みんな非常によく読めるので驚く。特に、江戸期、明治期の手書き文書を自分の研究で読んでいる清水、小林の両君は凄い。書き順も使って読むのだそう。これはドイツ語史料を主に相手にしていた僕には想像もしなかったテクニック。まあ、それに類することがないことはないが、cursive なドイツ語手書きには書き順というほどのものはない。もともと僕の日本語の書き順はでたらめだし… :oops: 勉強せねば。

講義(実態は演習)中に、まさか、後世の人間が、こうして読むとは田辺も思わなかっただろう、という声があがる。これは、日記とか、メモとか読んでいるときに、急に襲われることがある奇妙で面白い感覚のひとつ。もし、自分の書いたものが、同じように読まれたらと思うと、全部焼こうかな、などと思ったりするが、田辺やヒルベルトのように有名にならない限り、その心配は少ない。嫌ならば、有名にならないように努力すればよい。有名になる努力をするのは難しいが、有名にならないようにするのは易しい :-) 古い史料の読みに没頭しているときに襲われる別の感覚としては、一瞬、今の時や自分自身が過去の時や人物と直接結びついたような気分になるというのがある。史料や歴史が好きな人なら、この感覚や、その醍醐味が判るだろうが、そうでない人には単に変な話だろう。


2010年10月20日(水曜日)

S9年講義記録&ツール

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時24分41秒

普通はWEBページに書く講義情報を、「田辺元を読む」に限り、ここに書きます。講義出席者は、このサブカテゴリー「特殊講義2010」に注目してください。アップしたらMLに流します。

1.S9年講義記録:藤田先生所蔵のS9年田辺元特殊講義記録の画像をDAVにアップしました。Scheler, Hartmann の哲学、特に、Sosein v.s. Dasein の問題が、この講義の当初のテーマであったことがわかり、講義メモ解読に役立ちます。田辺が書いたものではないので、メモや手帳(日記)で裏付けが必要ですが、極めて有用な史料ですので、必ずダウンロードしておいてください。1ぺーじずつの jpg 画像のものと、それをまとめた pdf 版があります。SMART-GS に載せるのでなければ、pdf 版が便利でしょう。

2.発表時に便利なツール:マウスカーソルを二つにできる「だぶるまうす」と、デスクトップに絵を描ける「らくがきですくとっぷ」を組み合わせて使うと SMART-GS によるプリゼンに便利です。SMART-GS を操作中に、そのカーソル位置はそのままにして、別のカーソルを「起動」し、それで「らくがきですくとっぷ」を操作して、資料の特定の場所にマウスで任意の線をひけます。たとえば、注目して欲しい場所のまわりを線で囲むなどができます。あるいは、SMART-GS のボタンを示して、操作の方法の説明にも使えます。


2010年10月17日(日曜日)

田辺, Scheler, Teilhabe, participation

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時42分55秒

今週の金曜日2の「田辺元を読む」の整理をしていて、今やっている田辺の思想史と、同じ金の4でやっている情報歴史社会学の話の participation の概念が繋がっていることに気が付く。Teilhabe という言葉が田辺の昭和9年の講義メモの最初にある。英語に直訳すれば participation。情報歴史社会学では、知識資本主義の実現としての Google, Web2.0 などにおけるユーザーのシステムへの「自発的積極的埋め込み」を、Web2.0 の O’Reily の participation という言葉と、Giddens の structuration theory の agency (個)と structure (組織)の関係論で説明しようとしていたのだが、田辺の種の論理に構造が似ているのが気になっていたが、まさにそれが種の論理の発想のものとであった可能性が大きいが、この解説によれば、Scheler の意味での Wissen (Herrschaftswissen, Bildungswissen, Heils- order Erloesungswissen)は、何かに Teilhabe する行為である。この内、Bildungswissen と呼ばれる Wissen の Teilhabeformen は、die Partizipation am Granzen der Welt je nach eieinem metaphysischen Entwurf der einzelnen Person; と規定されたと説明されている。これの典型は、Philosophie とされていて、まさにこれが田辺の哲学の意味であり、また、種と個の関係といえる。一方で、
Herrschaftswissen は Welt の greifbaren Aspekten der Welt への unendlichen Prozess des Wissenfortschritts を通しての Partizipation とされる。残り一個のは、宗教あるいは神秘主義であり Partizipation am Weltgrund である。Herrschaftswissen は無限のプロセスで greifbar な真理に近接する、つまり、Natorp 的な極限知としての科学(特に自然科学)。Scheler 哲学を知らなかったので、これの意味がわからなかったが、これで判ってきた。

そうなると、昭和9年の講義メモの Sosein, Dasein の議論も意図は明瞭となる。昭和4年、「明証の所在」における Cogito ergo, sum を用いての Sosein と Dasein の議論には、数学基礎論、特に公理主義への言及が登場する。Cogito = Sosein と、sum = Dasein は外延的には一致しても、内包的には、「真の個」を持ち得ない前者は後者と異なる、とされる。そして、Sosein を公理主義的存在論の存在に結び付けている。これもピッタリ、全体の枠に嵌る。

とにかく、この Teilhabe を「知の総体に参加、あるいは、所属する(集合の要素のように「入る」のでなく、ベッタリと貼り付くという意味での所属)こと」と理解すれば、まさに participation という言葉で、Web などにおける「積極的自発的搾取」を説明しようとしていた、僕の構想にピッタリはまる。ということで、この系統の考え方に teilhabe しよう。 :-)

田辺は、やはり、実にドイツ的。しかし、この方向で考えれば、西田の「行為的直観」なども、同じ傾向のものとして捉えられるのではないか?まあ、西田哲学は全然理解してないので、生兵法はやめとこう。(^^;)


2010年10月16日(土曜日)

田辺元 in 岩波文庫など

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時38分42秒

藤田さんから、岩波文庫田辺元選1,2を頂く。大変大部の立派なもの。数学の注釈が心配だから見て欲しいとのことだったが、目を通した範囲では、どうやら正確なようだ。

今日の2限目は、初めて田辺史料を SMART-GS も使っての翻刻演習。SMART-GS の説明などが主で、グループに分けて、来週から翻刻の本番… だったのだが、12時過ぎていたのにも関わらず、出席者が読み始めてしまう。それもあれよあれよという間に、「えーっ!」というほど読めた。何という集合知の威力。呆然!(うれしい呆然!)「協働翻刻」の威力は想像以上に凄い。特に、面白かったのは、「もう15分も過ぎてますよ」というまで学生さんたちが翻刻にのめり込んでしまったこと。どうも、複数名でやるとゲーム感覚でやれるらしい。誰かが、自分が読めないところを読む。そうすると、それが呼び水となり、自分は先に進めて、他人が読めないところが読めるようになる。「読めた!」というので、うれしくなる。また、先に進む。その結果で、他の人や自分がさらに進む… という良い正のフィードバックがかかっている。しかし、ある程度予測していた状況を遥かに上回る。凄い効果だ。この調子でうまく行けば、面白いことになりそう。日哲史の中嶋くんが「(翻刻が)やめられなくなる」と言っていたとのこと(八杉から聞く)。それは SMART-GS のお陰というより、協働翻刻のお陰ではあるが、この「田辺プロジェクト」は、哲学者にも、もっと史料を読んで欲しい、そのために、読む作業の敷居をITで低くしたい、という思いが大きい。すくなくとも、中嶋君については、それが機能したといえる!!もし、これが皆に機能するのならば、田辺、西田研究が大変進むだろう。期待したい。

4限目の情報歴史社会学の講義の方も、なかなかうまくいった(ただし、例によって時間が足りなかった)。清水君がでてきて、興味をもってくれたよう。その後、色々と話し込む。このテーマでS社依頼の本を書くかな?しかし、それ以外に引き受けながら書いて無い本が、かなりあるような。(^^;)まずは、I社の本。


2010年10月5日(火曜日)

田辺哲学 in 岩波文庫

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時59分36秒

今月(10月)の15日位に、岩波文庫から田辺の「種の論理」と「懺悔道」がでるそうだ。早速、予約した。田辺の著作(翻訳除く)の始めての文庫化。編集は藤田さん。確か、全4巻とか聞いた。藤田さんも驚くほど岩波が乗り気で最初期待していたより多く出せたらしい。僕のゲーデルの論文の時もそうだったが、岩波文庫編集部の「太っ腹」には敬服。まあ、Google Books に入ればよいのだが、田辺のようなわけのわからん複雑なものを紙に書き込みなしで理解するのは現在の段階ではおそらく不可能だし、全集の古本は物凄く高いから若い人には無理。僕が買ったときは全巻15巻で10万円くらい。書き込みたいから自費で買った。しかし、こういう古書に滅多やたらに書き込みをする人は少ないのだろうな…でも、それ位しないと理解は無理。やがては、そういうのを机の表面の「ディスプレー」(e-paper) などで SMART-GS の子孫を使ってできるようになると良いのだが。そしたらお金の無い人でも特に学生でも僕の現在の環境を凌ぐ研究手段手に入れることができるようになる。

3巻には「数理の歴史主義展開」も入るそう。藤田さんも、これを田辺の言葉通り田辺哲学の「総決算」と見ているらしい(総決算の意味は色々ありえる。その後も哲学をやっていたわけだし。ただ、理論的・論理的には、とすれば大体間違いないと思う)。しかし、実に絶妙のタイミングで『「数理哲学」としての種の論理』を出版してもらえたものだ。ありがたい。藤田さんに感謝。
日本哲学史研究」(京大文日本哲学史専修紀要)http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/nittetsu/publication/kiyou.html

この論文、学生諸君には大体配りましたが、藤田さんとの約束で、少し時間を置いてからWEBで公開します。11月か12月かな?それまでは「日本哲学史研究」(京大文日本哲学史専修紀要)で読んでください。読みたい学生さん・研究者の方が、もしこれを見ていたら送ります。林まで連絡を。数理哲学系・分析哲学系の研究者が田辺について論文を書けるようになる田辺理解の枠組みを導入していますので、そちらの若い人は是非!


2010年8月27日(金曜日)

どうして科学主義なのか?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 04時27分44秒

「日本哲学史研究」の「数理哲学」としての種の論理」の再校も終わり。田辺研究は、これをさらに裏打ちして、open にしていた部分を補足できるような歴史史料を田辺アーカイブに見つける超地道な作業にうつる。続編で、新カント派との関係をキーに種の論理をドイツ思想史の文脈に置く論文を書く予定だが、その前に、沢口・中沢の「多様体の哲学」の評価を書くことになった。藤田さんには「日本哲学史研究」に出してもよいと言ってもらったが、何分、中沢新一さんの仕事はアカデミズムには載っていないので、「やっぱりなー」ということで、友人の中戸川さんの示唆により、アカデミックな総合雑誌あたりでの出版を目指す。どこか出してくれるかな?

それも含めて、田辺論文について議論するために、急きょ中戸川さんを訪問することなったが、そのための準備として、「フィロソフィア・ヤポニカ」を読み直す作業を開始したが、驚いたのは、田辺思想に無知だったころにこれを読んだ際は、数学への無理解やら、ポストモダン系・ニューアカ系特有の議論ばかりが目立ったのが、田辺哲学、特にその変遷の概要を理解できようになった今、それを読んでみると、著者の中沢さんが田辺哲学をかなり正確に理解できていること。僕は基本的には、いわゆる「ポストモダン」「ニューアカ」の人たちは信じていない。古臭いと言われようが、なんだろうが、なんといっても、ウェーバリアンです。私は。はい。(学生諸君、この洒落を単純に理解するなよ!)

中沢さんは「西田・田辺講演」もしていて、なんでそういう似非学者(失礼!)を藤田さんのような厳格で慎重な人が呼んだのだろうといぶかしく思い、聞いてみたことがある。やはり宣伝のようなもの意識したらしいが、意外だったのは「中沢さんは才気煥発な人だから」という意味の言い方をしていたこと。「えー!?」と思っていたのだが、今回、その著書を読み返してみて、藤田さんの意見を理解できるように思う。かなりの力量があるらしい。

ただし、田辺の一番肝心な所は、完全に、フランンス現代思想風に読みかえられてしまっている。つまり、自分が置かれている枠から出られないでいる。勝手に、そう読むのはよいが、田辺がそう書いたと書くのは「トンでも」以外の何物でもない。そういうところがアカデミズムを完全に踏み外している。まあ、それが「現代思想」「ポストモダン」「ニューアカ」というものだったのだろう。

兎に角、それはで学問ではない。まあ、今、あまりに凋落した日本のポストモダンをたたくのは趣味が悪いが、行きかがり上、気にしないことにする。仲正昌樹「日本の現代思想」に面白い文章があった。(pp.159-160)「…専門領域に分かれて発展してきた「近代知」は、その領域ごとに設定されている固有の「論理」=方法論を遵守して、分析すべき「客体」に徹底的に沈潜していくことを、自らの使命とみなしてきた。」ここまで、完全に、その態度に賛成。自分で、そうしているし、学生にも、そうせよと言っている。次が問題。「自らの探求によって必ず”真理”に到達できると信じ、疑おうとしない。自らが身を置いている学問領域の大前提になっていること、たとえば、古典派経済学における労働価値説のようなものを、そのつど疑って、アイロニカルに見つめるのは、不真面目な態度とみなされる。」ニューアカは、それに対する反旗だったという説なのである。この説、正しいと思うし、或る程度、その意味は理解できる。

しかし、学問の最良の部分では事態は違う。僕が、自分に課し、学生にも課しているのは、「そのつど疑い。アイロニカルでなく見つめる」という態度。つまり、常に自分の足元、そのものを崩そう、しかし、その上にたっていよう、つまりは、崩しても、その崩れた山を再構築して、その上にたち続けようという態度。これは極めて難しいし、厳しいが、学問としてこれ以外はありえない。だから、やるのである。まともな人文学者の多くは、それをやっていると思う。僕の同僚・元同僚には、モンゴルの意味や、デカルトの意味を読み替えた人たちさえいる。「古風」に見える研究者の多くは、実は、これをやっている。そういう人からみたら、「ニューアカ」「ポストモダン」はマスコミを利用し・利用される、「妥協者」以外の何者でもない。あるいは、「批判者」という「ステレオ・タイプ」であることには何ら疑問を抱かなかった人たちだったといえる。前提を疑わないものは失敗する。

中沢さんの「フィロソフィア・ヤポニカ」には、この要素が多分にある。つまり、「何が何でもフランス哲学風。ドォルーズ風」にしてしまう。それへの疑問は持たないらしい。でも、何で近代知を批判する人が、近代知の象徴のような、「現代的なリーマン多様体」「シンプレックス多様体」などもちだすのだ!?もちろん、これは中沢さんのアイデアではなく、下村門下の澤口さんの論文から持ってきたものなのだが、どうして、そういうものを使うのだろうか?なんで近代知を批判する人たちが、「科学主義」「数学主義」なのか?以前から、これが不思議でならない。僕は、元数学者で、未だに、数学者だと思われている人なので(職業として、数学者であった期間は半年だけかな?)、このメンタリティがわからない。

もしかして、田辺がそうであったように、数学への「憧憬」と、それ故の「憎しみ」があるのだろうか(田辺には憎しみは全くないですね。彼にあるのは、数学・科学などに自分の理解力で言及することへの「恥じらい」。これが田辺の文章を共感できるものしている)。この両方の感情を、別の分野で、「立派だなー」と心から思うような人が吐露して、驚かされれるということを何度も経験したことがある。しかも、分野は、実に色々!それの一種なのかな…….

色々と説明はできますね?たとえば、学生とか生徒の時に、数学が思うようにできなかったことへの劣等感というか、そういう感情からきているとか… そういう風に感じることは、文系の研究者に限らず、工学系の人にも多いのだが、一応は数学者であった自分からすると、実にバカらしく感じる。数学は物凄く重要だが(みなさん、もっと数学者を大切にしましょう! :-))、「神」ではないのだから。


2010年8月11日(水曜日)

現実的?実は短絡的??

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時21分42秒

初めての「哲学史」の論文「「数理哲学」としての種の論理」の校正中。分析哲学系の友人達からは予想以上の反応をもらえて、大変に有難い。この論文で、分析哲学系の数理哲学の人たちも京都学派の哲学史に、現代の形式論理を放棄せずに参加できる方法を示したので、そのためもあるだろう。

しかし、日本哲学史の人たちの反応がいまいち。 :-(どうも、興味の対象が違うようだ。これは面白い話ではある。

もう一つの理由は、分析系の人たちは、やはり自然科学に親和性が高く、僕の論文の様な史料を駆使した論文には親しみがもてるのだろう。一方で、日本哲学の人たちは、私見では「抽象論」に終始している。

面白いことは「抽象論」の方が「役に立つ」ということ。最近は、なんでも「役に立つ」ものでないと許してくれないようなところがあるが、これが如何に「アホ」な発想であるか、これが証明している。最近は「現実的」「役に立つ」「儲かる」という抽象論が如何に多いことか!

京都学派の中で歴史や社会に対して、より現実的(ある種の人たちならば「アクチュアル」とか言うのでしょう)を目指したのは、田辺、三木、戸坂、船山と言えるだろう。歴史家を自認する僕としては、西田の「歴史」(岩波講座「哲学」)などは辟易する位抽象的だ。

しかし!現在、「生き残っている」思想といえば、実は西田であり、さらに文人的な和辻なのである。米国の経営「学」(management)では、極めて「抽象的」と言える西田・和辻の方は現在では結構みかける名前である。これは「日本的」をうたう日本人の経営学でも同様だ。ところが、より「具体的」であることを目指した田辺とか、ドイツのハルトマンなどは完全に忘れ去られている。何故か?

答は簡単。田辺やハルトマンより、西田たちの方が「現実から遊離していた」からである。現実から遊離していれば、本当に「現実的」な人たちが、その現実遊離の抽象的思想に、勝手に自分の思想を読み込むことができる。つまり、小さく「自前に」現実的でないからこそ、現実として「現実的」なわけだ。本当の現実は、こういうパラドキシカルな話に満ちているからこそ面白い。これ以上は言葉で表しても単に「野暮」。本物の現実は読んだり聞いたりでなく「生きる」しかない。


2010年7月30日(金曜日)

高橋里美

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時07分34秒

「種の論理について」(全集4、p.221):田辺が「種の論理と世界図式」で高橋の哲学に多く言及したとあるが、どこがそれなのか?

田辺は(西田も?)言及先をなかなか明瞭に示さない。この不明瞭さは何なのか?時代か?それとも分野の文化か?あるいは京都学派の性向か、田辺が特にそうなのか?こういう部分は田辺や西田は批判されるべきだが、いずれにせよ、結果として、田辺の著作には、もって回った表現のゆえに隠されている「数学上の無知」が結構な数ある。西田は読んでないのでわからないのだが、これにも相当ありそう。

田辺の立場は、調べていて「これは気の毒だな、僕にはとてもつとまらない、僕だったら絶対逃げ出すな」と同情してしまうところがある。「国民的期待」という虚構の装置により、「絶対金メダル」と言われているスポーツ選手の様なもの(重圧をかけている方の中には、某かのジェラシーがありそう)。或る意味で追いつめられたあげくの「煙幕」の要素がドイツ留学後に増えているという感じがする。もちろん、無意識にだろうけれど。

ただし、田辺の数学理解は、現代日本のニューアカなどのマスコミ学者に比べれば随分とましだし、「自分は解っていない、数学的能力がない、それでも理解したい・せねばならない」と考えて大変な努力をしている点は共感できるし敬意を持つ。これに反して、80年代から最近まで、マスコミで「活躍」していた人たちは、すぐになんでも[間違えて]理解できてしまうらしい :-P。考えてみると、この人たちは José Ortega y Gassetの定義による「大衆」という事になる。だから「大衆」に受ける訳か。納得! :-D


2010年5月16日(日曜日)

西田・田辺デジタルアーカイブ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時18分16秒

月曜日からまた田辺元文庫調査で群馬大図書館.今回は学期途中なので5時限目の演習後に出発して夜中近くに到着,1日調査して夜中近くに帰京という強行軍.明日は大学に行って,そのための準備.LEDパネルを史料撮影の光源にする試みをやってみる予定だがうまくいくかどうか.もって行くのは,LEDパネル2枚,三脚,史料押さえアクリル板,静電気discharge シート,カメラ,電池チェック,カメラ用ACアダプタ,タップ(PC,カメラ,光源2−3,だから4−5!),レフ板,撮影台,おっと背景用ビニールシートをまだ作っていない!,PCはカメラ制御のソフトと使用法マニュアルをチェック&ACアダプタ,そのためUSBケーブル,梱包テープ,セロテープ,手拭(大きいのをダイコクで買う!),ゴミ用袋,PostItメモ(タイトル用),USBハブなど一式.史料を借りることができた場合の袋も,科研費の資料も印刷して! イソイソ….

西田・田辺哲学のテキスト生成研究を行う科研費挑戦的萌芽が採択されたので,その一環.N. Hartmann の Metaphysik der Erkenntnis などにどんな書き込みがあるかの調査,資料貸借の相談,Ontologie von Dr. Heidegger と手帳の残りのカラー撮影.

この科研費は種の論理と善の研究のテキストというか思想が如何に生まれたかを跡付ける手稿を電子化して,SMART-GS でアーカイブ化して解析するというもの.分野は哲学.額はかなり減額されたが僕にとっては最初の文系の科研費なので,久しぶりに凄くうれしい科研費採択.藤田先生,出口さんが分担者なのと,SMART-GS を使うというのが効いたのだろうが.特に田辺は講義下書きメモを SMART-GS の崩し字辞典機能をつかって読めるようにしたい.これができると種の論理の成立の過程が相当に見えてくるはず.かつ,これができると,哲学と歴史の間にある史料への態度の差を,少しは解消できるのではないかという気持ちも大きい.小林道夫先生などは,歴史史料の読み込みに歴史家から見ても迫力があるが,こういう哲学者は少ないらしい.哲学の人が書いたものを見ると,エッそこまでしか読まないの..?!,と言いたくなることが結構ある.まあ,好みの差もあるでしょうね.僕とか,和算史の佐藤さんとか,同僚の永井さんとかのような史料研究をする人は,単に史料が好きという面があるような気もする.古い史料があると聞くと,それだけで何か血が滾ってきて,埃アレルギーをものともせず駆けつける. :-)

で,史料ベース歴史家の血が滾る研究なわけだが,今の時期の調査旅行はいずれにしても無理過ぎの面が強い.初老の身としては体力が持つかどうか…
#今年はちょっとロードかかり過ぎ.4月のWEBサイト更新も応えたし,現在は実質週4つ講義をやっているのに近い.
#どれも新しい内容なので楽しいが睡眠時間4時間台が続くと初老の身にはつらい.演習2つがそろそろ講義モードを脱するのでそれまで堪えねば.


2010年5月3日(月曜日)

忘れられた者たち

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時18分09秒

『数理哲学』としての種の論理,の原稿を少し書く.『数理哲学』の用語の説明で悩んでしまう.本来,ライプニッツ辺りまでの哲学は,すべて『数理哲学』ではないか?

僕の田辺哲学理解は,細谷昌志先生の著書とほぼ同じであることを発見.「局所的・微視的」という考え方と歴史主義がポイント,しかも,実は個の論理が強いという理解まで同じ.奇妙なのは,「極微」という言葉に注目しながら,コーエンに全く言及していないこと.どうしてだろうか?これがコーヘン由来だと気が付いていないということがあるのだろうか?

まあ,コーヘンはあまりに忘れ去られているらしいから,本当に気が付いてないのか,あるいは,気が付いても気に留めて考えてみる気にもなれないほど,現代の哲学者にとってはコーエンが過去のものということだろうか...

先日,出口さんと議論したとき,なぜ田辺や新カント派に興味を持つ人が少ないのかという話になり,哲学者は「現代の哲学の問題に繋がらないものはあまり興味を持たない」という説明を聞いて,かなり納得.つまり,科学の場合と同様に,注目テーマがあり,それを外すと,少なくとも若い人は研究をしにくいだろうし,論文も書けないということだろう.西田も出口さんが学生のころには殆ど忘れ去られていたが,今は「テーマ」になっているらしい.また,新カント派への注目は,浮かんでは沈み,浮かんでは沈みだそうだ.

歴史は忘れ去られているものを発掘するのが面白いので,ここら辺が大きく異なるところか?僕などは忘れられていれば忘れられているほど,研究していて楽しい気がする.良く知られているものは,研究しても先にもう判っているからつまらない.もちろん,そういう場所で誰も思いつかなかったような新視点を提示できたら,それが一番凄いことだけれど,今は誰も注目していないことを調べていくというのも楽しい.毎日が新しい発見となるので,初めての映画を見ているような気分になる.現実離れした荒唐無稽な話が,もの凄くリアルに描かれている映画が好きだが,同じ種類の好みなのだろうな...

連休も後少しで終わり,遅れていた色々を連休の間に回復しようとしてるが,此れくらいの連休では全然足りない・・・


2010年3月18日(木曜日)

Nicolai Hartmann

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時46分48秒

種の論理成立の昭和9年の特殊講義のタイトルは「認識の形而上学」 Metaphysik der Erkenntnis. この「認識の形而上学」は,Nicolai Hartmann のテーゼ.Hartmann は Marburg Schule から出た人.田辺の特殊講義をガリ版刷の本としたものに最初の方で言及されている.H. シュネーデルバッハ「ドイツ哲学史 1831-1933」, 法政大学出版局, p. 308「ハルトマンは,存在そのものの諸原理や諸層について科学的な説明を行うことを求めたため,経験的な自然科学との競合にさらされ,そこで敗北せざるを得なかった.とりわけ自らの層理論によって彼は,たとえば進化論や,そればかりか経験的な根拠を欠いた心理学的な問いに対してまで態度表明を迫られた」 この本によると、当時はハイデガーと対比されるような人だったらしいが、今は日哲の院生の人たちも知らない。


du Bois-Reymond

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時31分22秒

Emile du Bois-Reymond を,scientism の系列に置くのは間違いだろう.少なくとも,昭和8年頃の日本で「新カント派などに親和性がある科学側からの哲学的反省」として捉えている事例がある.岩波哲学講座、菅井準一「哲学と自然科学の交渉」,昭和8年, pp.20-21, 「。。。かかる状勢はドイツを中心とする新カント派の台頭を裏付け、他方自然科学学徒の自家専攻の学に対する哲学的反省を自然奈良しめた、例えば生理学者デュ・ボア・レイモンの不可知論-自然認識の限界-では物質、力の本質、運動の起源、世界の合目的性、感覚の成因、言語の起源、および自由意志の不可知を声明して、世界の七不思議が唱道競られ、。。。


社会(主義),新カント派,左右田喜一郎

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時49分30秒

「種の論理」の成立の社会的状況として,マルクス主義に抗するものとしての「社会主義」があったらしい.これはおそらく共産主義への忌避というより,scientism 的な学としてのマルクス主義,つまり,唯物論批判であると理解すべきだろう.問題は,「種=社会=共同体」という図式.これが唯物論,個人主義に抗するための仕掛け.その結果,近衛の新体制などの新潮流としてのファシズムへの接近が発生しておかしくない.

このラインを読み解くための鍵がおそらく左右田喜一郎().

  • 田辺全集14巻「左右田さんの思出」(「思想」昭和2年10月,左右田博士追悼号.チェック!):おそらく左右田銀行倒産の際のものと思われる,左右田の京大非常勤講師(と当時も言ったのか?)辞退の際に示された責任感に対する強い共感の表明.単に学問の問題でなく,人間的に左右田を高く評価していたらしい.また,この p.366 に経済学への哲学の援用について議論 “Rickert らより左右田が徹底している.左右田の極限概念は B. Kerry (Benno Kerry?, ブレンターノの学生?)から来たものだろう,左右田は一歩 Cohen の論理に近づいている,左右田の方向に進むならば,Cohen 流の極限概念の方向に行くのではないか「本来二元的なる批判主義は,自己の前に論理以前の直観的統一を認めるか,或いは自己の後に弁証法の統合論理を許すか,何れかの途に由ることなしに一元的体系を成すことは出来ぬものであろう".田辺が弁証法(の論理)を Cohen の極限概念で理解しようとしていたころ.「弁証法の論理」の1−3が「哲学研究」に発表されたのが昭和2年.
  • 左右田監修,横浜社会問題研究書編,新カント派の社会主義観(岩波書店),大正14年,杉村広蔵の「序言」のマルキシズム,社会(主義),Toennies, Natorp, Cohen などへの言及.付録の左右田「文化哲学より観たる社会主義の共同体倫理」の内容は,「社会=共同体」を取り戻すものが社会主義であり,離散的個人から社会が構成される個人主義と,社会に全面的に個が没入する「全体主義(?)」の中間項として,社会主義が語られる.「種=社会」とおけば,ほぼ,初期,中期の種の論理における田辺の論点そのものとなる.そればかりか,ナトルプの議論として,戦後のデーデキント切断の議論を彷彿とさせるものさえある(ただし,これは弁証法になっていない.それを弁証法にすると,戦後の田辺のようになる?)
  • 左右田「文化哲学より観たる社会主義の共同体倫理」:p.208「今や「社会」を Gesellschaft (association)と解せずして Gemeinschaft(community)と解せんとすることは思想上一個の転換を意味するともいへよう.社会の発見を叫ぶ時代は個人主義の確立と其の徹底とに急なる為に社会なる型式の提唱さへ危ぶまれたる時代であった.其の極端は必要上走って社会有機体説の荒唐無稽にすら達せしめた.今や個人集団の威力は何人も否むを得ざる境地に達したる時代に至ては其の内容問題に達して之を如何に解すべきかの域に到達しつヽある.社会を Gesellschaft と解するに甘んぜずして Gemeinschaft を以って規定せんとすることは曰うまでもなく実際問題としての重要に顧みて既に社会主義(Sozialismus)の論理に於いて亦之を考へざるを得ざるの域に達しつつある.」,p.200「個人と社会(Gemeinschaft)との問題も同じように考えられる.一方は曰ふ.個人あるのみである....他方は曰ふ,唯だ社会が存するのみである.…. この両極端の説を皮相的に調和せんとするものは曰ふ.両者は共に相互に自立せる(教育の)要件(Factoren)であり又目的点として注意すべきものである,他方に還元する必要はないと.ナトルプは之に対して主張せんと欲する.迎々両者は共に独立に存在するものではない.両者は其の全部を挙げて相互に倚属しつヽある。社会 は個人の内に、個人は社会の内に非ずんば成立しない。類推を以って曰へば数学的連続(Kontinuum)は「分割せられたるものヽ連続せられたるもの」(Die Kontinuitaet des Diskreten)っとして,反対に分割者(Das Diskrete)は「連続せるものヽ分割」(Die Diskretion des Kontinuerlichen)としてのみ成立するようなものである.共に同一のことを両方面から観察するに過ぎないものであると.<この後,左右田のナトルプへの異論が続く,左右田はより個人重視>」
  • 京大文庫:K. Soda, Die logische Natur der Wirtschaftsgesetz, 1911. 和本はなし.上記,社会問題研究所の書籍は,木村孝一記念図書所蔵.(木村孝一.文学部社会学専攻昭和5年卒)
  • 群馬大文庫:T.121.9「文化価値と極限概念」(岩波),「経済哲学の諸問題」(増補3版,佐藤出版部, 1919), 「経済哲学の諸問題」(佐藤出版部, 1917).

2010年3月12日(金曜日)

金沢から東京

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時53分52秒

10日に金沢の数学の集会で,11日には東京の情報処理学会で,それぞれ講演.京都から北陸本線から上越新幹線で東京.東京から東海道新幹線で京都と,日本の中央を右回りに一周.金沢より先の日本海側に行ったことがなかったので,その風景に驚く.やはり,僕は南の人間だ.

どちらの講演も頼まれたものだが,前者では初めて公の場で田辺について話した.ヨーロッパからの出席者が大半のためか,予想以上に良い質問が多かった.ヨーロッパでは,科学者が哲学に興味を持つケースが今でも多いのだろう.情報処理学会は打って変わって大学院におけるIT教育のイベント.情報の田中さんに頼まれて京大文学研究科におけるIT教育,というより,IT利用の話をしてきた.特別にIT教育と銘打ってはやってないのでと最初断ったのだが,実際にやっていることでいいからということで,現代文化学系の現代史と僕の専修でやっていることを教育に限らず話したもの.これも案外好評.人文学の人がかなり来ていて,小野沢さんのNARA訪問の例を出したのだが,昔,岩手大で同僚でしたという人がいた.神戸で同僚だった賀谷さんも講演者として呼ばれていて,スパコン関係で共通の知人がかなりあり二人で噂話.(^^)

田中イベントでは IT教育専門に雇用されていると思われる若い人たちから質問がでていた.ITリタラシーの専門家が少なすぎる,そういう専門家がITリタラシーの教育の携わるべきではないか,とか,どうすれば文系の人にもっとITを使ってもらえるかとか,僕の私見からすると,それでは困ると思える質問だった.共通のIT教育でできることなどホンのわずか.そいうものを作って,無理矢理ITを押し付けても,かえって嫌われるだけだ.東大のITの共通の教科書を以前見たが,もうしわけないけど,何にも面白くなかった.あれでは必要な力はつかないだろう.まあ,面白くなく,力もつかないこと高校の教科書並みというところか.それより,コンビで売っているような週刊ASCIIとか,Google本の方が生き生きとしていると思う. ITは生ものですからね.一人の方からは後で直接質問をされたので,押し付けてはだめで,ユーザーの立場に立たないといけないと答えておいた.最初にITありきのIT,ITのためのITは,もうこの時代にはそれほど多くは必要ない.ITが,そういうものを遥かに超えるほどの社会的重要性をもつようになったからだ.特定の一専門分野だと思ってはいけない時代にもう入っている.でも,日本はそのはるか手前の方で足踏みをしている....(ムーンウォークしてたりして.(^^;))


2010年3月3日(水曜日)

仕事がいっぱい...

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時13分48秒

石田さんの集会で疲れ,その後の入試の監督で疲れ,へとへとになったので週末は久しぶりに完全休暇をとって漸く体力が戻った.とはいうものの,仕事が山積...石田さんの集会の展示ほどではないが,情報処理学会の50周年記念の大会での大学院教育関係の集会の講演資料の締め切りが明日.まだ,全く書いてない.(^^;)その集会(11日)の前に金沢で田邊哲学と直観主義について講演だが,これの資料もできてない.これは僕にとっては始めての全部哲学史・思想史の英語講演.不安.:-( 研究科・学部の新WEBサイトのコンテンツの原稿がまだ.あせる.木曜日の連絡会議で,この新サイトの紹介もしなくては.さらに,あせるが,まあ,これは報告のための時間も長くはとれないことですし,おざなりに.←上司,同僚に見られるとまずい.;-):hammer: 説明会の方はちゃんとやりますよ〜〜〜 ←この「〜〜〜」は国母のようにバッシング受けそう.;-)これにヒルベルト論文の最後の仕上げ,新学期の講義の準備など,ということで,やはり仕事山積...

ヒルベルトは田邊研究のお陰で,結論が書けそう.ヒルベルトの思想は,おそらくカントそのものでなく新カント派の影響をうけている.彼がLCMのような「極限」でものを考えていたと思えば,理想元の話とも一致するが,この「極限」がHerman Cohen の「無限小の哲学」実は「極限の哲学」と関係がないと誰が言えるか?Weber が連発する「境界例」も,こういうのか,少なくとも Horizont と関連しているのだろう.こういうことを書く.ただし,WEBERは書かない.数学史なので.

しかし,別々の研究のはずが,このように結びつくと,やっている本人にさえ「眉唾感」があるが,これはある意味で順当.それほど,数学基礎論というものの位置が,近代思想史の中で大きいわけだ.数学の中で20世紀への変わり目での数学基礎論の重要な位置を知るには,国際数学者会議の plenary lectures を見れば直ぐ分かる.(ただし,20世紀にはいると10年ほどでほぼ消える.このころから現場の数学者にとっては「安定」が始まったのだろう.)要するに近代性の「危機」の問題なのだ.C.R.Bambach の本は,この点で実に suggestive.Weyl とかでてくるし.「近代の超克」も,数十年遅れてきた危機と思えば実に納得ができてしまう.


2009年12月24日(木曜日)

田辺の影響力(2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時55分34秒

田辺の影響力について語ったのは「碧海 純一・石本 新・大森 荘蔵・沢田 允茂・吉田 夏彦 編
『科学時代の哲学3――自然と認識』,培風館」
の座談会の田辺についての言及は, pp.244-245.

吉田夏彦:そうしますと,たとえば田辺哲学なんかは戦後ずいぶん変わったわけですけれども,
いつも我々の行為について具体的な基準を与えようとしていたわけです.たとえば,学徒出陣
というものに対してかなりポジティブな発言を出したわけでしょう.そいうふうな哲学がなくなった
ことはけっして惜しむべきことじゃなくて,むしろいいことであるといえましょう.

沢田充茂:田辺哲学といえば,いま吉田さんがいわれたそういう面もあったかもしれない.ぼく
は田辺さんの本や西田さんの本を戦争に持って行きましたけれども,要するにそこからぼくは
なんらの具体的なものも学ばなかった.なんとなくそういう哲学のことばや大言壮語を聞いて
いると,戦争のなかにフラストレーションを忘れられるというような意味で利用していたにすぎ
ないし,‘聞け,わだつみの声’なんかをみても,また,そういうふうにしか受け取られないですね.
田辺さんの戦後書いた‘日本仏教とマルキシズムとキリスト教’ですか,あんなのをみると,
それこそそれらを融合して,なんとか行為の新しい生き方を青年たちに進めようという意図で
書かれたんでしょうけれども,あれを読んでそこからなんの新しい生き方も発見できなかった.
そういうのに比べてみれば,いまのほうが大きなことを望まないだけに今度は着実に,目の前
の道というものについて,もうすこし有効な答えができるような気がするのです.

吉田:田辺さんの哲学,たまたま戦前のを出したわけですが,興奮剤として哲学を使うと言う傾向
はいまでもありますね.マルクス主義というのはかなり多くの人にとってそういう役割を演じている
わけですね,現在でも.それはいかにトレラントな沢田さんでもあまり評価なさらないわけですか,
それともいくらかでも評価なさいますか.

吉田夏彦:1928生
沢田充茂:1940年慶応大学卒


2009年12月21日(月曜日)

田辺研究の意味

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時05分47秒

ひとつ前の投稿に関係するが,学生から「田辺を研究していることの意味を説明できるか」と聞かれた.
その時は「日本論理学史の一環」という程度にしか答えられなかった.しかし,数日前に届いた
Michael Friedman の A Parting of the Ways のイントロを読んでいて,その真の意味が
わかった.現代の英米哲学のかなりの部分は,「哲学の科学化」にしか見えず,意味があるように
思えなかったが,Friedman も同じ趣旨のことを書いていた.つまり,新カント派から,
論理実証主義への流れは,哲学の modenization の問題そのものであるといえる.
この問題を日本で最も強く体現し,ある意味で,それに強く抵抗しようとしていたのが田辺だっ
たといえる.それが私の田辺研究の最大の意味だろう.


2009年12月10日(木曜日)

田辺の影響力

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時52分23秒

田辺の影響力について語ったのは「碧海 純一・石本 新・大森 荘蔵・沢田 允茂・吉田 夏彦 編
『科学時代の哲学3――自然と認識』,培風館」
の座談会の参加者のだれか?明日,附属図書館で確認.

田辺関係でもう一つ見つけられないのが,リーマン面を切ってつなぐものとして,弁証法的と議論して
いる箇所.田辺の Dedekind 切断の「切って繋ぐ」は,本当は「切れていて,かつ,繋がっている」
という意味.この場合,切った場所で,そのまま繋がっていなければ,弁証法的な状況は生じない.

しかし,リーマン面の切って繋ぐはメービウスバンドのように,切った後で繋ぎ方を変えて繋いで
しまう.田辺は,これをクラインの「19世紀の数学...」で読んで,単に言葉上の類似性で誤解し
自分の考えていたものに無理やり重ね合わせていると理解できる.

実際,そういう大域的な繋ぎ換えをしてしまうと,「切れていて,かつ,繋がっている」というつながり
部分が普通のつながりになってしまう.つまり,新規なのはトポロジーのように大域的な話であり,
種のみの話となり,個が忘れ去られる.田辺の種の論理の意図は初期においては「個の論理」
の要素が強いので,自由主義的要素がなくなる,そういう読み方は適切でなく,田辺の真意と
大きく異なる解釈となる.同様の理由で「多様体の哲学」の議論も種の論理のもともとの発想
と大きくことなる.田辺の切れていて繋がっている連続体としての種は,多様体の一例ではあるが,
わざわざ多様体として理解する必要がない実数直線なのである.

 

 


2009年12月4日(金曜日)

田辺と学徒兵

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時50分47秒
注文していた,学徒兵の精神誌 ― 「与えられた死」と「生」の探求, 大貫恵美子著が届く.田辺の影響力は僕が想像していたより
大きかった可能性が高い.わざわざ田辺の講演を聴きに京都まで旅するということもあったらしい.その影響力がどれほどの数の
学生たちを戦場に送ったのか?これはおかしな問いで,田辺に影響されて志願して戦場に赴いた人たちはそう多くは無いだろう.
種の論理が,そこまで力がある思想とは思えない.国家・社会はいずれにせよ学徒たちが戦場に赴くしかない状況を作り出した
わけだから,それは田辺の力ではない.しかし,田辺の思想を「理由」として使い国家・社会の圧力を自らに納得させた学生がいた
ようだ.それは少なくなかったはずである.種の論理自体が,田辺自身が,国家主義を「論理的に納得する」ために作られている
のだから当然といえる.先日,群馬大の資料を撮影していたら,「雑稿」中の講義下書きらしいものに明らかに国家主義を鼓舞す
る語句があった.戦争中のものだろう.昼食時に,このことをTAの橋本君と話した.二人で田辺は変わり身がはやいということで
意見が一致した.田辺は時勢に敏感に反応し過ぎる.これは僕らが持つ哲学者の(勝手な)イメージと違う.しかし,彼の哲学が,
数理も自然科学も,社会存在もすべてを貫く「論理」があり,歴史もその論理で動くという信念に基づいていると思われるから,
これはその帰結であるともいえる.つまり,田辺は「予定調和」を信じているのである.だから,時勢は彼の論理が「予測」する
ように進む.しかし,現実に起きていることは彼の論理が現実に沿って変容しているのである.絶対弁証法を標榜する田辺哲学
では,これは日和見でなく,根源的形而上学的法則に従う現実なのである.これを「田辺の時事過敏性」と僕は名づけたのだが,
その度合いはかなり凄い.しかし,気になることがあって,田辺の思想が常に少し前に「用意」されており,それを「時事」が活性化
しているように見られるところである.もし本当なら,必ずしも時事に反応しているだけではないということになる.
 
これに関連して,出口さんに教えてもらった1960年代か70年代の分析系の哲学入門書に収録された座談会で,「田辺の
影響力で学生が戦地にいったわけではない」というような発言をしている,自身がどうも学徒兵だったらしい哲学者がいた.
これがどの本で,どういう人か,まだわからない.書類の山から見つけなくては.(^^)

2009年11月24日(火曜日)

S10年代種の論理の展開とブラウワー

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時53分52秒

21日,22日の2日間,群馬大図書館で田辺元資料の撮影.今回は昭和10年頃から昭和20年までの手帳すべての
画像を撮影.群馬大のGAIRというレポジトリでマイクロフィルムからとった画像が公開されているが,マイクロフィルムでは
色が分からず,また硬調に焼かれるのが通常のため,細部が不明になる場合がある.そのために来週からの文庫資料を
使っての特殊講義内演習のために,すべてを撮影してきた.これは昭和9年の「社会存在の論理」の後,昭和12年の
「種の論理の意味を明にす」までに起きた,種の論理の改変について調べるため.

最近まで,この間に大きな変化が起きたことを十分認識していなかったが,これがおそらくブラウワー思想の影響が
最も大きく現れたところで(*0),おそらく,これ以外にはそれほどの影響を受けているとは思えない.しかし,これが
後のデーデキント切断などの議論の元になっていると思われる.また,ブラウワーはそれがヒントとなっているが,
そこからさらに弁証法的関係を切断を鍵にして田辺は追加したと思われる.それが後の切断の議論の元だろう.
これを実証する必要があり,それにはS10年代のテキストが必要と判断したもの.

S10年代の変化の最大のものは,おそらく昭和11年11月から翌年2,3月まで「思想」に3回に分けて
掲載された高橋里美の論文「種の論理について』
http://bunken.lib.pref.yamagata.jp/jin/200303010001033.html
で指摘された種が直接に与えられており,すべてが媒介される絶対弁証法になっていない,という批判への対応だろう.
この変化にブラウワーの実数論が深くかかわるらしいことが,全集6巻,pp.478-450あたりの「..明にす」の四でわかる.
おそらくS9年の種の論理の成立では直観主義数学は大きな役割を果たしてない.ベッカーの Math. Existenz の影響
だけ.ベッカーの論文には実数論が殆ど無い.それがS9年暮以降に,Heyting の本を手に入れ,ブラウワーの数学的連続体
と個別実数の関係が,自分の種と個の関係であると気がつく(それがHeyting 本への書き込みとなる).そして,種が媒介
される絶対媒介の議論がS10以後に始まる(これと高橋の批判とに時間的な疑問がある *1参照).そして,この際に,
自己疎外の形態として,おそらく連続体の「個による切断(切れていて,かつ,繋がっている)」という状況を弁証法的
なものと捉え,種が種に自己疎外・自己復帰し,それを極限まで進めたものが類,という考え方が生まれる.この際に,
すでにブラウワー実数論が完全に弁証法的でないことに気が付き,ブラウワーを「惜しい」と後に書く(戦後の「歴史主義展開」
初版p.20 *2参照)ような考え方が生まれる.これが田辺が切断に重要な哲学的意味をもたせ
た起源ではないか.田辺は大正期はカントール実数論をデーデキント実数論より優れているとしている.デーデキント
切断の話が若い頃からのトラウマだったようなことを書いてはいるが(「歴史主義展開」p.224 *3),実際には
切断が哲学的議論の中心に登場するのはS10年以後のように見える.これがおそらくブラウワーの時間連続体の
影響だろう.気になるのが「切れていて,繋がっている」の議論は,van Stight のブラウワー実数論の解説にもある
こと(*4).ブラウワー自身の議論におそらく同様のものがあるのだろう.あるいは,Heyting, Fraenkel, Becker などに
あるか?チェック!!これに田辺が影響を受けていることは無いか?

*0:「論理の社会存在論的構造:全集6, p.331, 四の冒頭; 存在の論理的範噂としての類種個の三つの交互的媒介並にその媒介の原理としての絶対普遍の意味は大体今までに述べた如きものであるかと考へられるが,その媒介の論理を絶対媒介の論理と称するのは’何も私の考案ではなく、既にヘーゲルにある概念を借りたまでである(例へばラッソン版フエノメノロギー二〇三頁参照)。ところで此様な私の考に対し始終背景にあって私を導いたのは数学に於ける連続の問題であった.」
*1:p.478では絶対媒介の立場から種の論理について議論できたのは,S10年の「図式」論文が最初とある.しかし,この論文では,自己疎外があまり肯定的に捉えられてないようにみえる.高橋がS11年の思想11,12月号.商業誌だから,少し早くでていたか?10,11月かもしれない.また,高橋との私信の可能性もある.これらは手帳や私信で確認できないか?
*2:「自由生成的選択系列は,まさに切断的無の瞬間系列を意味し,それが絶針無の永遠的統一と全個相することを,媒質の語に言表はしたものと解せられるであらうか.ブラウワーが直観を構成行為と解し,その自由行為の選択系列に対する媒質として連績体を規定したことは,卓見であるといはなければならないが,しかしその自由選択行為が未だ無にまで徹底せられなかったことは惜しい」
*3:「数学に対する愛を私に吹込まれたのは,学会の至宝として今も健在せられる高木貞治先生であった.先生の最も早い頃の名著『新式算術講義』は,初めて純粋なる数学の美しさを私に教へたものである.私はその美に引き着げられて数学を学ばうと志したのである.デデキントの切断論がほとんど私の一生を貫く問題となったほどに強い印象を与へたのも,外ならぬ先生の解説を通じてであった」
*4: van Stigt, Brouwer’s intuitionism, p.324, “The Brouwer continuum is that what separates and yet joins the two discrete points: the `between’.”


2009年10月28日(水曜日)

宗教 in S9

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時42分22秒

昭和9年の手帳No19@群馬大田辺文庫の夏ごろと思われるものにかなり宗教関係の記述がある.宗教を類の位置に置いたために必然的に宗教について考察が始まったのだろうか?しかし,それが何故,真宗に結びついたのか?Cohen のユダヤ教の哲学との関係はないか?田辺文庫のCohen の宗教哲学関係の書籍の書き込みの調査が必要.


種(連続),連続(実数)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時12分28秒

群馬大田辺文庫手帳 No.19(昭和9年)の12月ころからの時期とおまわれる箇所に,種(連続),連続(実数)などの記述がある.「社会存在の論理」上・中・下は,それぞれ9年11月号,12月号,10年1月号.ただし,「上」に全目次が入っている.また,「五」では直観主義の連続体と「種の論理」との関係が論じられている.したがって,直観主義と種の論理が関係付けられたのは,11月以前(おそらく夏)と推測できるので,この位置でのこういう記述は自然.周辺に面白い図あり.このあたりは分析が必要.面白い部分.


2009年10月20日(火曜日)

Neo-Kantian in Gray’s book

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時35分09秒

15日に Gray の Plato’s Ghost には neo-Kantian への言及が少ないと書いたが,ちゃんと読むと,Natorp, Cassirer など(特に前者)への言及はかなりあり,Natorp についての節もあった.おそらく,「手なずけられた neo-Kantian」に Gray は興味を持ったのだろう.しかし,田邊研究の観点からは,Cohen のような一見、非合理にみえる neo-Kantian がポイントだろう.


2009年10月15日(木曜日)

Neo-Kantian in Plato’s Ghost

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時55分30秒

新カント派への言及が数学基礎付け運動(数学基礎論運動)を数学におけるモダニズムと捉える J. Gray の Plato’s Ghost でどう扱われているか気になっていたら,丁度,今日のゼミがその部分だった.思ったより扱いが軽い.というより,Michael Freidman の Davos disputation (Heidegger, Cassier)についての説に従えば,Gray が “そして logicism へ"として扱っているプロセスのその前が僕が見たい部分.Gray はあくまで数学史の範囲でやっているので「その後」が見たいわけだろうから,Marburg 学派への言及は marginal なものであって自然.Gray の説は現代数学をモダニズムと捉えるのが主眼.僕の視点はといえば,現代数学の成立過程を通してウェーバーの意味での近代化も含む広い意味でのモダニズムを理解したいのだから,Friedman が言う「分岐」の時点から見れば,Gray の視点とは反対の位置にあることになるので,これは当然だろう.Hilbert の思考形式は19世紀末にはすでに固まっており,後は,その漸進的な改善といえるから,こういう構図でなんらおかしくない.

この関係の本を文学部図書室に調べにいったら,Wund の生理学的心理学 Physiologische Psychologie など,この話題がらみの古い本が哲学専修の書棚に膨大にあるのを発見.19世紀終わりから20世紀の20年代ころまでの本だから,西田や田辺たちが集めたのだろう.このコレクションを見ていくだけで,何かが分かるのかもしれない.


2009年10月12日(月曜日)

田辺元研究

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時19分56秒

長年続けていたヒルベルト研究が一段落して以来,「京都学派の論理」を調べていたが,今年度になって哲学者田辺元の思想史的研究を本格的に始めた.出版された著作の分析,群馬大・京都大両田辺元文庫の手稿や蔵書への書き込みの調査より,色々と面白いことが分かってきつつある.その中で,私のすべての研究の背景にあるともいえる「数学基礎論史」と田辺哲学の深い関係を発見したことが,最も予想外のことだった.時代的に言えば,また日本の学術がドイツから大きな影響をうけていたことを考えれば,密接な関係があることは当然ともいえる.しかし,まさか田辺哲学の「種の論理」がブラウワーの自由選列による実数論をモデルにしているとは思わなかった.

田辺自身が「種の論理の意味を明にす」でそう強調しているにもかかわらず,見過ごされていたことに違和感を感じるが,当時も現在も「数理哲学」的なアプローチが日本では困難であり,殆ど田辺の独擅場であることが影響しているのだろう.高橋里美が種の論理を批判する際にも「私には直観主義数学云々という部分は理解不能だが」という風に,田辺にとっては核心でさえあったと思われる部分を棚上げにして議論をしている.西田・田辺の数学への「嗜好」は良く語られるところだが,これは単なる「嗜好」ではなく,西洋哲学,特に19世紀後半からのドイツの思想史的状況からすると,むしろ当然の興味だったといえそうだ.

私の研究は極く最近になってまた少し進み,新カント派 Marburg 学派をキーとして,Marburg 学派と田辺哲学の関係,Marburg 学派とドイツ社会特に19世紀科学万能論,そして,それにつらなる数学基礎論における議論の関係、というパースペクティブがかなり見え始めてきている.しかし,Marburg 学派という当時の時代的状況を理解するための鍵になる集団がカッシーラーなどを除き,殆ど見向きもされない状況になっていることに驚く.G.B.Moynahan は科学哲学にみえるMarburg 学派のそれが実は当時の Wilhelmine Germany の政治社会状況に分かちがたく結びついており,政治社会状況の変化により意味を失ったという説を立てているが,Klein, Hilberlt, Brouwer, Weyl などの政治性を知っている人間としては,納得できる見解だ.

しかしながら,その衰退からおよそ1世紀を経て新カント派の持つ意味と意義がようやく学術研究の俎上に載り始めた兆候も見える.これは数学基礎論を数学の近代化の過程の一つとして捉える傾向が(欧米の)数学史家の間に広がりつつあることとも無縁ではなかろう.日本では,数学と思想の関係がゲーデルや数学基礎論への言及が多かった日本的ポストモダン思潮,所謂ニューアカのために「素人のための嗜好品」に堕してしまった.しかし,これからようやく彼らが何かと発言しながら,解明しえなかった近代の「歴史の流れ」の本当の姿が地道な学術的研究により解明されるのだろう.


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