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2019年2月28日(木曜日)

京都学派アーカイブ 新版公開開始

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時43分12秒

京都学派アーカイブの new version www.kyoto-gakuha.org の公開を開始しました。

旧版、www.kyoto-gakuha.info は、4月中位に閉鎖予定。


2019年2月1日(金曜日)

西田幾多郎講演 at 京都アカデミックフォーラムin丸の内

カテゴリー: - susumuhayashi @ 09時16分46秒

この所、超忙しい。一昨日は京大オリジナル株式会社主催の講演会。場所は東京丸の内の新丸ビル10Fの京都アカデミックフォーラムin丸の内。
その発表資料: 講演「西田幾多郎 その人と思想 −京大時代を中心に―」

昨日は、20世紀学の卒論2件と修論3件の試問のお手伝い。

そして、今日は、午後に歴博の橋本君が主催の研究会で西田幾多郎新資料プロジェクトの紹介。
これが終わって、一息というところ。

先日、猪木武徳先生から計画中の出版の話でメールがあったが、退職に向けて忙しいでしょうという労いの言葉を頂いた。
まさにその通りなのだが、継続しないといけない二つの仕事、京都学派アーカイブと、西田幾多郎新資料翻刻プロジェクトは、
日本哲学史専修の上原さんのお陰で、継続できる目途がたった。特にアーカイブの方は、理想的な形で継続できそうで、
新バージョンのアーカイブも、多分、今月中には公開できるのではないかと思う。

このアーカイブの様に、実質個人でやっているアーカイブは、その個人が定年退職すると消えるといわれているそうで、
これが大きな問題だと思っていたので、KURAに、こういうものの受け皿を京大内で作ってもらえないかと提案したが、
どうなることか…

西田幾多郎新資料翻刻プロジェクトの方は、国から補助金をもらって石川県かほく市がやっているプロジェクトなので、
時限付き。このプロジェクト自身は、少なくとも来年度は、今の形で進めるしかないが、ビジネスにするとうまく行くの
ではないか、と考え、ある会社に提案中。

こういうものへの関心や投資、もっと増えて欲しい所。

今日の研究会の趣旨、まだよくわかってないのだが、アーカイブ関係の人もみえるようなので、
多分、こういうものも関係しているのだろう。


2019年1月23日(水曜日)

論文「西谷啓治と田辺元」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 21時42分35秒

「哲学研究」第603号に掲載された論文「西谷啓治と田辺元」を公開します。
校正中の田辺演習で、種の論理への数理哲学の影響などが、今までの、僕の説に
反して、種の論理の成立の最初からあったことが判明したのだが、それを研究として
纏めることは短時間では不可能だったので、その部分は触れず、夏休み前の田辺演習での
発見に言及するだけに留めましたが、講演「種の論理と数理哲学 田辺元昭和9年講義メモからの新発見」の様なことが分かっています。


2019年1月22日(火曜日)

西田幾多郎田中上柳町のサイトを更新

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時19分28秒

1月30日の講演と、新版京都学派アーカイブの公開に向けて、更新してなかった、田中上柳町の西田旧宅のサイトを更新。
吉田南図書館のお知らせのお陰で、西田幾多郎三高寄贈本について
に、寄贈本の画像を embed で表示できた。


2019年1月21日(月曜日)

東京で西田幾多郎について講演

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時56分00秒

前の幾つかの投稿に書いているように、下の図のポスターのような講演をします。詳しくは、こちらを。

募集開始が村上春樹さんのお名前などを使ってよいのかということの確認などで遅れたのと、募集期間に年末年始が入ってしまって、
まだまだ空席があります。

僕の話は、京都の哲学の道などに関連した写真が沢山入った気楽な話になります。講演用PPTや配布資料は、講演後にWEBに出しますが、
WEB公開版の資料からは、削除するように所有者から依頼されている写真がいくつかあります。例えば、西田一家が住んだ家の外観を、
昭和20年に跡取り息子の西田外彦さんが撮影された写真、疏水記念館から提供して頂いたインクラインの古い写真、長男の死を悼んで
詠んだ和歌を、長男の出身校である三高の図書館に寄付した哲学書の内扉に西田自身が墨書したもの、などです。


西田幾多郎講演に向けて準備中 (4)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時11分03秒

京大オリジナルでの講演用の「疏水が山から下りてくる」シーンの写真を漸く、二つ選ぶ。

これ

画像1

と、これ

画像2

最初の画像が、放水路の北側から、二番目のものが南側から撮ったもの。

今は、北側に砂利道が動物園東エンタランス前まで続いているが、南側も
一応は歩けるスペースがある。昭和の最初のころ、もしかして、南側も
歩いていた可能性は否定はできないものの、その幅などから、おそらくは
今と同じ道を歩ていた可能性が高い。

そうすると、「疏水が山から下りてきた所」まで来たときの幾久彦さんの眼に
映っていたのは、おそらくは最初の画像のような風景。

もちろ、放水路の上にかかる小さな木はなかったろうが。

昨日は、哲学の道の写真も撮ってくるつもりでいたのだが、
画像が夕景であるように、人通りが多く、なかなか撮影できず、
遅くなってしまったので諦めた。

で、哲学の道ならばフリー素材があるに違いないと思い、
探してみたら、京都フリー写真素材というサイトが見つかる。
その中から、次のどちらかを使う予定。


2019年1月20日(日曜日)

西田幾多郎講演に向けて準備中 (3)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時38分11秒

1月1日に撮影した扇ダム放水路の写真を、いざ使おうとして見てみると、なんだが平坦に見えて、
「山から下りる」感がない。

これでは、講演で使っても説得力がないと思い、土曜日、再度撮影に。

今度は、道を変えて、おそらくは、西田幾多郎や幾久彦さんが、辿ったであろう、
扇ダム放水路横の道を、反対に動物園から鹿ケ谷通に向けて辿った。

で、鹿ケ谷通と扇ダム放水路が交差する場所に来てみると、
鹿ケ谷通を歩く、人人、また、人!

で、人が入ってない風景の写真が撮れない…

ウーム、土曜日の東山界隈は、この様に観光客に人気なのか、
と思いつつ、一眼レフや、Huaweiのスマホ(^^;)、なでど
写真を何枚も撮る。

しかし、何となく水路の傾斜感がでない。

何度も、場所や高さを変えてやってみてもダメ…

それにしても、人が多いな、と思いつつ、東山中学高校の入り口
あたりを見ると、なんと「入学試験」という大きな看板が立てかけて
ある。それで、ようやく気が付いてみてみると、歩いている人の大半は、
親子連れ、それも中学生か小学生高学年くらいの子供たちとお母さん
という風情であることに気づく。

で、どうも、観光客でなくて、入試に来た人たちらしい

これは大変な日に来てしまったと、思いつつ、それでも粘りに
粘り、もう駄目かなと、思い始めたころ、ふと思いついて、
ザックから、念のために持ってきていた iPad を取り出し、
高く掲げて撮影。

なんと!これが成功。

それまでは、まだ、幼少だった幾久彦さんの視点を
再現しようと、腰をかがめて、低い視点から撮影して
いたのだが、その結果、視線と水路の勾配が平行に
なってしまっていた。それで水路がまるで水平に
流れているように映っていたいたことにようやく
気が付く!

で、僕は背が低いので、思い切り手を伸ばして、
iPad を高々と差し上げてパチリとやると、
何と、勾配感がでた!そうだったのか!!!
#こういう時、もう少し背が欲しいと思う。(^^;)

ウーム。わかってみると当たりまえだな…
しかし、それに人はなかなか気づけない。


2019年1月14日(月曜日)

西田幾多郎講演に向けて準備中 (2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時27分57秒

一つ前の記事の補足を少し。

幾久彦さんの話では、ピクニックの様に哲学の道あたりを歩いたとのことなのだが、
その終点が「山から疏水が下りてくるところ」、扇ダム放水路であったわけだが、
この放水路に沿って細い道があり、白川通まで歩くことができる。

その道は、昭和15年の地図でも確認できるのだが、その白川通の出口の
道を挟んだ向こう側に、動物園の東エントランス
がある。

西田は動物園が好きで、どうやら、子供や孫を連れて行くだけでなくて、自分だけでも行っていたらしい。
どうやって、子供たちと、そこまで行っていたのか、可能性が高いのは市電だろうかと思っていたが、
哲学の道沿いにピクニックを兼ねて歩くとしたら、まさに扇ダム放水路の沿って、白川通に出て、
そこから動物園に行くというようなルートも考えられる。

そう考えれば、散歩の終点が「山から疏水が下りてくるところ」だったというのは、
非常に納得ができる話だ。もっと早く調べて、幾久彦さんにお話しして、記憶を
辿って頂きたかったのに、僕がまごまごしている間に幾久彦さんが亡くなってしまい、
実に残念だった。


西田幾多郎講演に向けて準備中 (1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時10分46秒

今月30日の東京での西田幾多郎についての講演会のために、色々と準備中。

その間、二つ意外なことがあったので、ちょっと書いておく。

まずは、元旦に、散歩も兼ねて、西田のお孫さんの幾久彦さんから聞いた
「疏水が山から下りてくるところ」という場所が、蹴上のインクラインで
あることの証拠となるような写真を撮影に行ったのだが、これが予想と
違っていたという話。

疏水記念館から頂いた、幾久彦さんが見たであろう風景の古い写真と、
なるべく近い位置から現在の写真を撮る。その写真は船から撮ったらしく、
全く同じ位置からは撮影できなかったが、かなり近い位置から撮影できた。
道路や橋など、随分、今とは違っているが、小さな橋の欄干などがそのままで
残っていて撮影位置が特定できた。

良い写真が撮れたと思って、もう一つの候補、野村美術館向いにある
急傾斜の水路に向かう。ここの写真を撮って、こちらは「山から下りてくる」
という風ではないでしょう、と説明でするつもりでいた。以前は百万遍まで
自転車通勤で、気が向いたら、南禅寺の境内を通り、ねじりまんぽから三条通にでるという
ルートを辿っていたので、この水路の記憶は漠然とあり、水路として
小さすぎて、山から下りてくる感はないと思っていたのだが、現地に行ってみて
ビックリ。記憶と全然違う堂々たる水路で、その水源が、永観堂の境内の山を
背景にしているため、まさに「山から下りている」という風に見える。どう考えても、
こちらだ!一緒に行ったパートナーにも意見を聴いたら、同じく、こちらの方が
ふさわしいという意見。やはり、現地、現物を押さえないとだめだ。

問題は、この水路が、昭和10年代に既にあったかどうか。明らかに野村の
碧雲荘に水を供給しているので、おそらくあったはずなのだが、
これもちゃんと抑えねばならないと、疏水に関する昭和15年の書籍を買ってしてしらべたのだが、
あまり良い情報はなく、WEBの方で色々と情報が手に入った。

これは扇ダム放水路というもので、水路閣を通って北上する疏水が、
さらに二つのトンネルを通って、哲学の道横の疏水につながる中間点、
二つのトンネルの間のわずかな地上部分にある扇型の小さな水量調整池、
扇ダムからの放水路であることが判明。

この論文から、明治時代には、すでに真々庵などに水を提供していたことが公的文書に残っていることが分かり、これで確定。

また、これについては、ダム愛好家の夜雀さんのサイトに、詳しい情報や、永観堂の墓地から撮影した扇ダムの写真などがあり、
お願いして、これを講演資料に使わせてもらうことになった。

京都学派研究を思想史的にやっていると、現地が観光スポットと重なることが多いが、
その一例で、高校生のころに、白川書院の雑誌「月刊京都」を定期購読していた
僕としては、大変嬉しい。 :-)

というのが一つの話。

もう一つは、西田の数学についての面白い記述を見つけて、この人は、数学を、というより、
数学の思考方法というものを、よく理解していた人なのではないかと思ったという件。

西田の田中上柳町の家での悲惨な経験と、場所の論理とつなぐために、大正12年の有名な和歌
 我心 深き底あり 喜びも 憂いの波も とどかじと思ふ
をキーにすればよいことに気が付き、そのために、「心の底」に類する用語が西田の論文に
どの様に使われ、また、その哲学体系にどう位置付けられているかを、いろいろな論文で
調べている最中だが、もっとも端的に表れているのが、旧版全集11巻に収録の
西田最後の論文「場所的論理と宗教的世界観」。

で、この11巻には、西田晩年の数学論・科学論が含まれているのだが、
一応、それも調査していたら、
 私には、数学者の集合の概念というものは、あまりに無造作に不精密なものと思われるのである。
 私は数の概念は私のいわゆる世界把握の論理たる場所的論理の立場から出立すべきであると考えるものである。p.245
や、
 数学者は非分析的に数の直覚の如きものと有つて居ると思う。p.250
というような文が、多々あった。

僕は数理論理学者だったので、どちらかというと集合よりの数学者だったが、
そうでない普通の数学者と自分の思考回路がなんだか全然違っていて、
数学科に入学した当初は、随分、違和感に苦しんだ。

まさに、整数論、代数幾何とか、複素多様体論とか、そういう数学中の
数学をやっている人たちは「数学者は非分析的に数の直覚の如きものと有つて居る」
だったのである。

数学科で鍛えられたお陰で、そういう直覚の様なものを少しは身に着けることが
できて、それから数学者の思考方法というものを、少しは理解できるようになったが、
今でも、正直言って、自分は数学者ではない、また、なかった、と思う。

ところが、恩師北条の勧めに反して、数学の道に進まず、哲学を選んだ西田だが、
どうやら、この人は、数学者のマインドを持っていたのではないか、という気がする。
数学を場所の論理で基礎づけるというのには、「西田先生、おやめください」と
言いたくなるが、まあ、それは愛嬌というものだろう。 :-D


2018年12月7日(金曜日)

琵琶湖疏水記念館訪問

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時25分31秒

12月6日木曜日は、西田幾久彦さんの、「疏水が山から下りてくる所」まで、祖父の西田幾多郎とピクニック、あるいは、
散歩をした、という証言の、「疏水が山から下りてくる所」を同定する情報を教えていただくために、
琵琶湖疏水記念館訪問。

学芸員の方が、水木金と勤務とのことで、この時に訪問しようと思いながら、
ずるずると遅れていたのだが、数日前に、同館が、大幅なリニューアルのために、
暫く休館すると、京都新聞で読んで、木曜日に電話連絡して、その日の内に訪問。

急な訪問にも関わらず、学芸員の白川さんに、丁寧に、また、適格に対応して
頂き、欲しい情報は、ほぼ全部取得できた。

白川さんと疏水記念館に感謝。

この様に上手くいったのは、白川さんが歴史学で学位もお持ちの方だからだろう。
京都市水道局は良い人を雇ったものだ。

疑問に思っていた、水路閣の水の行き先、東山高校の横の滝のような
急傾斜の水路の目的など、教えていただいて、第一疏水の蹴上を
中心とした様子を、ほぼ理解できたと思う。

記録のために:
1.水路閣の水は、疏水分線へ水を送っている。ただし、その多くが、
トンネル内にあるため見えない。このトンネルを出た時、哲学の道を
含む疏水分線につながる。これはトンネルが長く、かなり緩やかい
の流れと思われる。そのため、水路閣の水が「山から落ちてくる」
ような場所はない。
2.東山高校横の、急傾斜の水路は、疏水の水を野村の別邸などに
供給するために作られたもの。正確に言えば、疏水の一部ではないらしい。
実質は、それで正しいのではないかと思うが、正式の話は、それとは別。
3.創建以来、疏水の流れは、ほぼ変更されていない。

東山高校横の水路が、「疏水が山から下りてくる所」であっても、
インクライン横の水路が、「疏水が山から下りてくる所」であっても、
どちらにしても、「疏水が山から下りてくる所」とは、インクライン
などを含む、蹴上の小高い丘の辺りだということは、ほぼ間違いない
だろう、ということで白川さんも、林も納得。

大正期ころのインクラインの写真の著作権の問題も、白川さんの
サポートで、解決できそう。

感謝!!!


2018年11月24日(土曜日)

第6回田辺哲学シンポジウムで報告予定

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時22分01秒

数学基礎論と種の論理との関係についての新しい史料を精査する前に、どこかで速報できないものだろうかと、
西田哲学館の中嶋さんに相談したところ、竹花さんが世話人をしている「第6回田辺哲学シンポジウム」という
ミーティングを紹介してくれた。

もうプログラムが決まっていて、割り込む余地はないが、無理を言って、
二日目のトークセッション中に、短く報告させてもらうようにお願いしたところ、
快諾してもらえた。

ということで、急遽、博多の宿を予約したのだが、驚くほど高い!!
外国人観光客のために週末が高いらしい。幸い、博多中心部から外れた所で、
むしろ、会場に近い所に、公共の宿で、リーズナブルな所を発見。

それでも平日の数倍の料金らしい。京都は観光公害といえるレベルになっているが、
博多も酷いらしい。日本にもトランプが生まれるか?

それはないだろう。多くの日本人の心の中にはトランプが潜んでいるから、
日本ではトランプは必要ない。むしろ、安倍政権が表面上親トランプながら、
実はグローバリズムを志向している点は、実に皮肉だが、マックス・シェーラーが、
日本を「少数の官僚たちが改革をすすめる、保守的な人民たちの国」と評してから、
およそ1世紀。

シェーラーが、病で急死せず、予定通り東北大の教授となっていたら、
この国を、その目でみたら、果たして、なんと評したろうか。
聞きたかったものだ。


2018年11月15日(木曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(6)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時03分47秒

「数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(1−5)」が対象とする、田辺元昭和9年講座(講義の当時の名称)の史料画像S09_027の、(1)行番号付き画像行付き画像、(2ー5)追記などで分かりづらい所のクローズアップと、その行番号付き画像付き版、計5枚を公開。

S02_027 行番号付き画像行付き画像

行47-53

行47-53 画像行付き

行70-81

行70-81 画像行付き


2018年11月13日(火曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(5)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 09時34分33秒

11月9日の演習後のバージョン。一応、ドイツ語で理解できるものは訂正したつもり。

$40$ ◎ 種ノ論理ノ特色ハWeltヲLebenヤ
$41$ Dasein(人間存在)ヤNichtsヲ媒介トシテ考フルニアラズシテ
$42$ m speziale Gemeinschaft ヲ媒介トシ世界ヲ社会ノ
$43$ 媒介ニ於テ考ヘントスルナリ.
(2018.10.12)
$44$ ◎Weltヲ実?トシテ時間ニテ考フルガLebensphil.
$45$ ExistenzialseinノMystikニ共通ノ考方ナリDialektik
$46$ ハ否定ノAbscheidung,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:renz
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ空間ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:usserlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. (2018/10/19この少しあとまで)PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektische Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikabilita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomisch, dialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphysik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphysik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガabscheidenシ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


2018年11月8日(木曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(4)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時53分38秒

満原さんからの、ドイツ語の間違いの指摘で、先週金2で修正したのを
覚えていた単語まで間違えているので、問い合わせてみたら、
ファイルの送付ミスで、ファイルが古かったことが判明。

これもやはり間違いが多いのだが、一応、最新版を再掲示:

画像

翻刻テキスト

$46$ ハ否定ノApscheidung ,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:reng
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ実間?ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:userlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. (2018/10/19この少しあとまで)PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektiche Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomischノdialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphisik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphisik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガals ahi…シ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


2018年11月5日(月曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時05分06秒

一つ前の投稿について、もう少し。

田辺は、1934年、つまり、種の論理が生まれた昭和9年に出版された Heyting の

Mathematische Grundlagenforschung Intuitionismus Beweistheorie 1934 Springer

を読んで、直観主義連続体と直観主義実数の関係が、種と個との関係に似ていることに気が付き、
そういう書き込みをした。

そして、その時から、数理の概念、つまり、連続体や実数が、種の論理を導き始めたと思っていた。

その様に、論文にも書いている。

つまり、直観主義連続体論が、人間の意志さえ数学に持ち込むことができる、
非常に特殊な連続体論であるために、この様なことがおきた。
通常の連続体、田辺が外延的と Heyting の本に書き込んだメモでは書かれている
連続体では、種の論理を先導できないので、種の論理を先導した数理とは、
直観主義連続体論でなくてはいけないと思っていたのだが(論文にもそう書いている)、
岩波数学講座で切断と弁証法を関連づけたあたりから、直観主義連続体と関係なく、
内包的な連続体を考えていたという可能性が高い。

昭和9年講座の史料(ひとつ前の投稿に、その一部分を張り付けている史料)での

数学ノGrundlagenforschungガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ免レヌ如クantinomischノdialektischナリ.

の意味することだろう。(a:はäの田辺演習での略記方法)

ようするに、僕の当初の「より穏便なシナリオ」は、ほぼ崩れ、
「過激なシナリオ」の方が正しい蓋然性が極めて高くなった。

田辺元…

なんと過激な人なのだろう…


2018年11月4日(日曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時44分35秒

 先週金曜日の田辺元演習で澤崎君が報告してくれた昭和9年田辺特殊講義の準備ノートに、
さらに数学基礎論への言及がみつかる。これで、昭和29年の「数理の歴史主義転回
―数学基礎論覚書―」における数学の基礎についての田辺の意見で特徴的なものは、
すべてそろったといえる。

そして、その記述や、それを取り巻く種の論理の構造を
構築している記述からして、驚くべきことに、田辺が昭和10年代に、
「数学基礎論が種の論理の展開を指導した」と書いたことの意味が、
僕が今まで想定していて、論文でもそう書いていた

種の論理は昭和9年(度)に社会哲学として生まれ、その後、Heyting のBrouwer
連続体論の説明を通して、数学との関連が意識されるようになり、
その後の種の論理の発展を指導した。

ではなくて、

数理、特に連続体の数学基礎論などの数学基礎論的考察が、昭和9年に
種の論理の誕生をガイドした。

と読み替えるべきのようだ。

あまりのことに、唯々、驚くしかない。

しかし、この時代としても、田辺はすでに古臭いといえるが、
まあギリギリ、そういう時代だったともいえるのかもしれない。

西谷が、その様な印象を持っていて、また、田辺とハイデガーの詩論を比較するときに書いているように、
田辺の哲学は徹頭徹尾数理から生まれてきているのかもしれない。

ただ、この数理の影響を、マールブルグ学派の様に、あからさまに見せなかったところに、
やはり、時代の変化があるのだろう。

まだ、見つかったばかりで、さらなる分析が必要だが、とりあえず、概要を以下に報告する。

田辺研究の方向性に影響を与える史料だから、研究が完成した後で、などと言わずに、
どこかで報告しておく必要がありそうだ。日本哲学史研究か、西田哲学会あたりか?

オリジナルと翻刻をSMART−GSで表示したものの画像がこれ:
(2018.11.08に翻刻が最新版でなかったことが判明。ファイルの送付ミス。
投稿「数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(4)」に最新版を掲示)

まだ検討は必要だが、種の論理における類種個の構造を
Sein Nichts Werden 三者に対応させている所があり、前後からして、
種の論理が、数理、しかも、Heyting の著作以前の、田辺の連続体理解に、
影響を及ぼした可能性が高い。

以下、該当箇所のとりあえずの翻刻(京大文、田辺元研究会)。

$40$ 種ノ論理ノ特色ハWeltヲLebenヤ
$41$ Dasein(人間存在)ヤNichtsヲ媒介トシテ考フルニアラズシテ
$42$ m speziale Gemeinschaft ヲ媒介トシ世界ヲ社会ノ
$43$ 媒介ニ於テ考ヘントスルナリ.
(2018.10.12)
$44$ ◎Weltヲ実?トシテ時間ニテ考フルガLebensphil.
$45$ ExistenzialseinノMystikニ普通ノ考方ナリDialektik
$46$ ハ否定ノApscheidung ,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:reng
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ実間?ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:userlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektiche Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomischノdialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphisik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphisik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガals ahi…シ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


2018年10月18日(木曜日)

西田幾多郎についての展示会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時32分49秒

9月4日から、時計台一階の歴史展示室で、次の展示を開催中。

これはかほく市の西田哲学館の主催で京大文書館が共催、文学研究科が協力、で開催されている。

人づてに聞いた話では、展示室のレセプションに、この展示についての問い合わせの電話が良くかかってきているとのこと。新聞(朝日、毎日)やNHKテレビで報道されたので、その影響もあるのだろう。

展示の様子は、こんな感じ:

入口の表示板




西

東の展示ケースの中に本がみえるが、これが西田が三高を卒業したばかりで、京都帝国大学への入学を待っていた長男の謙さんが病気で急逝した際に、三高図書館に寄贈した本の一つ。

謙さんの写真と西田が悲嘆にくれて詠んだ短歌が幾つか、西田の肉筆で書かれている。

これらの歌は、よく知られているが、それを西田の直筆で謙さんの写真とともに見ると、西田の深い悲嘆が伝わってくる。

これは三高図書館の歴史を引き継ぐ吉田南図書館に貴重書として保管されているもので、今回、これを史料館の依頼で特別に出していただいた。

画像は京大のルールで、画像を、京都学派アーカイブとか、このブログに置くことはできないのだが、吉田南図書館の、このお知らせにでているので、その画像をembed で表示。

最初の写真には、三高の帽子を被った謙さんの写真の左右に五首の和歌がある。その三番目のものと五番目が次のもの:

  垢つきて 仮名付多き 教科書も 貴きものと 筐におさめぬ

  徒らに むくろ残りて 人並に のみて食いて 笑いてぞ居る

筐は、箱のこと。この二首の和歌の意味としては、上のものが、「垢がついて汚くなった、漢字に仮名でルビを多く書き込んだ教科書も、謙が死んでしまった今では、貴いものと思われて遺品の箱に納めた」、下の方のものは、「謙は亡くなったが、私の肉体だけは、いたずらに残ってしまい、人並みに食って飲んで笑っている。しかし、私はもう抜け殻なのだ」となる。

実物を見ると、西田の深い悲しみが、心にひしひしと迫ってくる。西田は本当に深い感性を持った人物だったようだ。それが、三木の様な若者たちを引き付けて京都学派が形成されたのだろう。

展示は11月4日までです。入場無料。京都に近い方、京都にお出でる予定がある方、是非、お立ち寄りください。


2018年7月7日(土曜日)

大雨の中、田辺演習、なんと、Hilbert!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時15分10秒

昨夜からの大雨で、京津線は止まっているらしく、これは休講になるかと思って、
WEBで調べたら、どうも休講ではないらしく、念のため、総務と教務に電話したら、
通常どおりとのこと。

また、担当者の吉水君もやるつもりとのことで、田辺元演習のために登校準備。
こういうときは地元のタクシーを呼ぶのだが、いつもすぐ来てくれるタクシー会社が、
ずっと話中…

大慌てで地下鉄へ、改札口に近づいたところで、電車が出る音が聞こえた。
で、7分待ち。いつもならば、多分、乗り入れている京津線の電車が
くるところなのだろう。

東山三条では、幸い、すぐタクシーをつかまえることができて、
結局20分以上遅れて、ようやく研究室へ。

で、昭和9年講座(講義のこと)、27頁S09_027.jpg に、
すごいものが2つみつかる。

最初はのものは、これ
種の論理と世界

種の論理の特徴を、生の哲学、ハイデガー、西田などを意識して、
書いており、Welt(世界)を社会から考えることとしている。
これは後の「論理の社会存在論的構造」(昭和11年)ででてくるテーゼだが、
なんと、種の論理が建設され始める、その最初から、これが準備されていたことになる。

Welt 世界とは、田辺が数物と呼ぶ、数学や自然科学が入っていて、
社会学の論理で、自然科学の論理を解明するということになっていて、
通常の考え方の逆なので、「論理の社会存在論的構造」では、
ノイラートの統一科学などを持ち出して「弁明」をしているのだが、
かなり、無理がある議論に見えるので、種の論理を進めて行って、
少し勇み足気味に、数物にまで言及したのだろうと思っていたのだが、
実は、種の論理が、まだ、形作られてない時から、社会→数物が、
意識されていたらしい。

さらに驚いたのが、これ
Hilbert
まだ、完全には読めてないのだが、ヒルベルトの公理論を、
歴史、社会、進歩に関連づけて議論していることは確か。
もし、ヒルベルト公理論に、公理の自由性の故に、そこに
歴史が入ると言う意味ならば、これは戦後の「数理の歴史主義展開」
のテーゼ、そのものだ。

ここまで種の論理の最初に準備されていたとは、本当に驚いた。

以前から、僕は田辺を「螺旋の哲学者」と呼んでいるが、これは、
田辺が同じテーマに何度も立ち返りながら、段々と議論を進化
させるから。

例えば、戦後、田辺は種の論理を真宗の往相還相で改変するのだが、
この内、還相は、浄土の先達が、この世に戻る、つまりは、菩薩となる
ことと理解できるが、実は、昭和9年の「社会存在の論理」には、
すでに「菩薩道」という言葉がある。

田辺は、色々の可能性をいくつも考えて、その中から、適切なものを
選んで理論を組み立てているらしい。それで、古い時期の傍系的
ものが、随分、年月を経て、新たな主題として採用されるということが
よくある。

しかし、まさか、数理の歴史主義展開まで、種の論理の建設時に
考えられていたとは…

ビックリ!!!  :-o

こういう、あっと驚くようなものが、突然見つかるのが、
一次史料ベースの歴史学の醍醐味で、これがあるからやめられない。 :-)

午後、講義のために教室に行ったら、休講の張り紙。
なんでも、12時台の終わりころに吉田学区に避難勧告が
出たので、休講になったとのこと。

どうせかなり離れた東山かどこかの崖が危なくて、
そのために出た避難勧告だろう、なんと大げさな、
それなら朝から休講にしてくれと、思って、
後で調べたら、何と神楽岡(吉田山)の西側が
土砂災害警戒区域になっていた。

がけ崩れが、想定より酷ければ、情報学の建物あたり
まで土砂が来る可能性がある。

考えてみれば、白川通を超えるから、東山は吉田学区ではない。

なるほどと納得。
#調べたら、真如堂も吉田ではなかった。
#神楽岡通で分かれているらしい。

これを書いている夜中には、雨も上がり、
鴨川の水位も下がってきているようだ。
ただ、桂川は大変らしい。


2018年6月2日(土曜日)

西田幾多郎新資料

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時55分48秒

西田幾多郎のお孫さんで、2016年に亡くなった西田幾久彦さんが、西田哲学館に寄託された新資料を、金沢大学、京大、そして、哲学館で、補修・翻刻している。

寄託されたのが、二年ほど前で、田中上柳町の西田旧宅の保全活動で、大忙しになる前の静かな頃の話だと記憶している。

その時、二度目の哲学館訪問をして、一度目は福井での湯治のついでだったのだが、この時は、当時の館長さんや、学芸員の山名田さんにも初めてお会いした。僕の講義や演習によく出てきてくれていた、日本哲学史専修出身の中嶋君も、すでに哲学館の研究員となっていた時期で、彼とも再会。

宇野気の駅まで送ってもらって、駅前に停車しているときに、そういう史料の存在を聞き、協力の打診をされた。当然ながらOKの返事を即答した。

史料というものは、期待していても、何もなかったり、あるいは、あっても大したことがないことが多いのだが、ヒットするときは、本当に凄まじくヒットする。

それで、今回の史料が、西田幾多郎という、日本の哲学史の中で、一番の有名人で、大部の全集も出版されている人物が残したものとして、どれだけの価値があるものか、それが問題だった。

しかし、兎に角、日本の哲学、哲学史の人たちは、一次資料を軽視するということは、良く知っていたので、これは、基本的に歴史家である、僕がかかわる必要があると判断して、その場でOKを伝えたように思う。

そして、それが今、初めて、社会に公開されたわけだ。

今まで、いろいろなメディアから問い合わせがあったが、今日、最後まで、僕に連絡がなかった、M社から連絡があり、これで、全国紙が勢揃い。これの一部でもよいから、金沢版、北陸版でなくて、全国版の記事になると良いのだが。それは今の所不明。


2018年5月6日(日曜日)

二冊の Prinzip

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時25分40秒

京都ユダヤ思想学会のコーエン・シンポジウムというものがあるので、
そこでコーエンについて話してほしいと、宗教学のPDの吉野さんに依頼を
受けたのが、1,2ヶ月前か?

少し遅れていたレジュメを、昨日、ようやく送る。

僕は、コーエンは研究したことがないので、田辺のコーエン受容の話を
する予定でいたが、4月中頃になって、慌てて、調べ出し、
コーエンの著作 Das Prinzip der Infinitesimal-Methode und seine Geschichte(以下、Prinzip)
と田辺の関係の話にすることにした。この書は、無限小を元にした形而上学、あるいは、論理の
話で、当時としても異端の問題作であると言われているが、しかし、同時に、これがコーエンの
代表作とも言えるようなものとされている。

また、田辺は数理哲学の時代、Prinzip を手厳しく批判したバートランド・ラッセルの哲学を、
数学的にはコーエンより優れているが、哲学的深さにおいてはコーエンに及ばないとした。

西田はコーエンの Ursprung (訳は源泉かな?)の考え方が、大変に気に入っていたと
西谷が書いていたように思うが、これは、京都学派にかなり影響を与えたのではないかと思う。

田辺の考え方でいえば、数学や自然科学の様な「科学的」思考法は、外延的なもので、
その背景に科学的合理性を超える内包的なものがあり、それこそが哲学が探究するものだ、
それがコーエンの「湧き出し」としてのUrsprungだという考え方。
Du-Bois Reymond の物理学の概念の由来は、物理学ではわからないという考え方に
通じるもので、多分、当時、流行った考え方なのだろうと思う。

で、そういう思考法のバイブルともいえる Prinzip が、何故か、京大田辺文庫には二冊ある。
どちらも貴重書で、書き込みがあるが、これを調査して、報告することにした。

しかし、何故、二冊あるのか。これが以前から謎だったのだが。今回の調査で、
購入時期が、古いものが1924年以前、新しいものが1925年以後、らしいことが、
蔵書印として押されている小判型古印体の印と、角型篆書体の印の使われ方から判明。
二冊の Prinzip の一冊には小判型が、もう一冊には角型が使われている。

小判型は、いかにも安物で、角型は、かなり良さそうなもの。それで、多分、
小判型が古い、と予想。京大田辺文庫の本の、すべての出版年と押印の分布を
調べれば、どちらが古くて、大体、どの位の時期に、印を変えたのかの大体の
推測ができるのではと考えて、学生にバイトを頼んで、その分布の全ての
表を作り作業を始めた。

二日はかかるだろうと思っていたが、調査を始めて30分位のころに、
Logos という雑誌の押印が、1923年号と、1924-5年号の間で切り替わっている
ことを発見。古い方が小判型で、新しい方が角型だった。

角印が押印されている1924年以後に購入したと思われるPrinzipには、コーエンの考えが
カントル的極限(Grenze)であり、デーデキント切断にも及ばず弁証法になっていない
という意味の批判が書き込まれている。1924年に、後の弁証法転向の端緒となる
「カントの目的論」が出版されていることからしても、これは弁証法研究の時代、
それもマールブルグ学派の思想を捨てた後の書き込みと見られる。

ただ、コーエンは、無限小、源泉で、収束、極限、ではないはずで、
極限は、ラッセルのコーエン批判を受けて、ナトルプが無限小の
代替物として使ったと僕は理解している。田辺の書き込みも、
極限批判を書き込む場所としては、あまりそぐわないようにも
見えるし、ここら辺を、もう一度、ナトルプの本を読み直して、
報告する予定。

印と出版年の表の件や、Logosの印の切り替わり、こういう風に、「そうだ!」
という気付きに基づいて、地道な検証をしていると、突然、思いがけない史料が見つかる。

これが一次史料ベースの歴史研究の楽しさで、ミステリードラマで刑事が
調査をするのを見ていると、結構楽しいが、それにソックリ。史料(証拠)を
求めて旅行をしたり、その地の史料館(警察署)などを訪問して話を聞いたりと、
そこら辺まで似ている。京都学派の場合、これが全国に散らばっていて、
また、観光で訪れたいような場所だったりするので、尚更、楽しい。
しかも、研究者の役得で、一般の人が見ることができないもの、
入ることができないような場所、触ることができないようなもの、
に直接親しむことができる。

以前は、それがヒルベルト研究のドイツ、ゲッチンゲン大の図書館と
数学科の読書室だったが、京都学派の方が、色々あって楽しい様な気がする。 :-)


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