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2016年7月27日(水曜日)

Google 東京オフィスなど

産業総合研究所の人工知能の社会インパクトプロジェクトの一環で、TensorFlow など、Google の機械学習への対応の話を伺うために、Google 日本オフィスのGCP(Google Cloud Platform)部門を訪問。佐藤一憲さんから色々教えて頂く。パロアルト的立場からは、実に自然な流れであることがわかり納得。大変良い方向に進んでいるという気がする。ただ、これは「機械が職を奪う」という方向に繋がらないとも限らないと言う懸念も抱く。少数の機械学習の「職人」+マシン(AI)が、多くの「職人」を代替する可能性がある。

この時、MITのAutor教授が言うような、別のセクターの職がどれだけ生まれて来るのか、それが問題。Autor氏の主張では、アメリカの農業労働人口が劇的に減少したかわりに、工業の労働人口が爆発的に増加したわけだが、この工業セクターでの労働人口にあたるものが、まだ見えない。それが Autor 「理論」の弱いところ。果たして何か、生まれるか…

この訪問の前に、僕の研究室の出身で Google で働いている清水君と会う。Google Culture Heritage の相談で、京都に来てくれたのが、もう数年前で、それ以来。

彼との話で面白かったのが、サンフランシスコのイメージの、清水君と僕とのズレ。清水君によると、最近、サンフランシスコについての歌を聞いて、その歌詞にサンフランシスコが、ロマンチックな場所の様に歌われているのに違和感があったらしい。僕は長らくサンフランシスコを訪問してなかったので、分かってなかったが、どうもアジアの沸騰都市の様になったサンフランシスコは、2000年代に始まったらしい。だから、清水君は、それしか知らない。

そのために、10階建て以上の建築など、殆どなかったサンフランシスコの風情は、清水君には無縁のものらしく、それで僕などが抱く昔のサンフランシスコのイメージに「なぜ?」と思うらしい。世界はすっかり変わってしまったことに、今更ながら思いを馳せる。

Google 訪問の後、私用を済ませた後、岩波新書の編集長の永沼さんと会って、随分前に依頼された新書の書き方の変更を相談。思いがけず、面白いと言ってもらえたので、その方針で進む。僕も、定年まで後、2年と少ししかない。アカデミズム一辺倒の姿勢から方向転換をすべき時期だろう。


2014年8月6日(水曜日)

この数日で考えたこと

Labyrinth of Thought 2章の翻訳作業を開始。著者はスペインの
科学史家フェレイロス。

この人の手法は僕の手法によく似ている。

それで思ったのだが、フェレイロスや僕がやっているようなことは、
数学史ではあるが、より適切には数学思想史と呼ぶべきだろう。

つまり、数学に興味があるのではなくて、むしろ、それをやっている数学者の
ものの考え方に興味がある。だから人間関係とか、手紙とか、日記とか、
未発表原稿とか、講義資料とか、そういうものに大きな興味を持つ。

僕の場合は、特にそうで、数学の歴史を理解したいのではなくて、それを通して「近代」を
見たいのであって、専門の一つだと言っている数学の歴史は手段に過ぎないとさえいえる。

元が、一応は数学者だったので、ある程度まで数学をちゃんと理解する能力があり、
それが人文学者としての強みになっているから、情報技術史とともに、
それを多用しているが、もし、元が生物学者だったら生物学史を使っていただろうし、
物理学者だったら物理学史を使っていただろう。
#同じことが生物学でできるというのは、Reenchanted Science を講義してみて実感した。
#ユクスキュルの存在は大きい。しかし、ヘルムホルツの存在を考えると、おそらく物理でも
#同じことができるはずだ。エホバがいれば必ずルシファーはいる、ルシファーがいれば
#必ずエホバがいる。ただ、ユクスキュルにあたる人がいるのか、だれになるのか、
#物理を知らない、僕は解らない。丸山君が解明してくれるかな?

昨日(5日)は以前調べておいたワイルの哲学関係の講演などをまとめた本を読む。
キンドル版なので、たちどころに手に入るがのがうれしい。これが大変に
面白い。ニーチェ、キルケゴール、ディルタイ、ハイデガー、ヤスパースなどに
まじり、シェーラーも出てくる。この人がブラウワーを、この系譜でとらえていた
ことは明らか。1949年の Man and the Foundations of Sciences という
未発表のマニュスクリプト。この中で、ハイデガーの Sein und Zeit の思想を、
英語圏の人々に何とか解説しようと延々と語っている。

「ゲーデルと数学の近代」に関連して、Mind&Nature, Kindle版、コロンビア大200年祭のパラグラフ17が面白い。

Last but not least, I have seen our ideas about the foundations of mathematics undergo a profound change in my lifetime. Russell, Brouwer, Hilbert, Gödel. I grew up a stern Cantorian dogmatist. Of Russell I had hardly heard when I broke away from Cantor’s paradise; trained in a classical gymnasium, I could read Greek but not English.9 During a short vacation spent with Brouwer, I fell under the spell of his personality and ideas and became an apostle of his intuitionism. Then followed Hilbert’s heroic attempt, through a consistent formalization “die Grundlagenfragen einfürallemal aus der Welt zu schaffen” [to answer the fundamental questions of the world once and for all], and then Gödel’s great discoveries. Move and countermove. No final solution is in sight.

フォン・ノイマンの「変心の系譜」と並行して、これも使うこと。

他の面白い点を記録:

  1. I have wasted much time and effort on physical and philosophical speculations, but I do not regret it. I guess I needed them as a kind of intellectual mediation between the luminous ether of mathematics and the dark depths of human existence. While, according to Kierkegaard, religion speaks of “what concerns me unconditionally,” pure mathematics may be said to speak of what is of no concern whatever to man. It is a tragic and strange fact, a superb malice of the Creator, that man’s mind is so immensely better suited for handling what is irrelevant than what is relevant to him. I do not share the scorn of many creative scientists and artists toward the reflecting philosopher. Good craftsmanship and efficiency are great virtues, but they are not everything. In all intellectualIendeavors both things are essential: the deed, the actual construction, on the one side; the reflection on what it means, on the other.Creative construction is always in danger of losing its way, reflection in danger of losing its substance.

今朝(8月6日…)は後期の特殊講義準備のために西谷のニヒリズムのシュタイナー
のところを読もうと思って全集を読み始めて、むしろ、リアリズムとの
関係に目が行く。以前、読んだときには理解できていなかったが、
シェリング、キルケゴールなどの西谷の意味でのリアリストの位置づけと、
上のワイルの construction を重視する人たち、というのは同じ。

西谷のは、明らかに、西田の純粋経験とダブっている。で、西谷の意味のリアリスト
たちはヘーゲルのイデアリズムを通ってリアルに接続する運命にあった
という点を読んでいて、自分の立ち位置をようやく理解。
#また、これは上に書いたワイルの哲学の議論と完全に連動している。
#ただし、飽くまで西谷は哲学者の、ワイルは数学者の立場にたって
#語るため、見かけ上は、かなり異なるのだが…

要するに僕が哲学に最終的には違和感を持つのは、この点。つまり、僕の
ようなプラクティスもやっている人間には、これは哲学の範囲の中で
哲学でできないことをやろうとしている無謀な、まるで、気持ちの問題により、
*安易に*太平洋戦争に突入した大日本帝国の行為のようにみえる。
#太平洋戦争突入が、犹澆爐忙澆泙譴名況”に置かれたからだ、
#などという*言い訳*は、僕は絶対に受け入れない。人間は這いつくばって
#でも生きるべきだ!!

だったら、歩き回れ、蹴っ飛ばせ!、と言いたくなる。

で、実際、僕は、そういうときは歩き回るし蹴っ飛ばす。

ただし、それだけでは危うい。僕は、ワイルの

Creative construction is always in danger of losing its way,
reflection in danger of losing its substance.

に共感する。そして、これはウェーバーの理想型の思想でもある。
だから、ウェーバーが好きなのだな。


2014年6月24日(火曜日)

Emil du Bois-Reymond の伝記

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時28分29秒

Emil du Bois-Reymond の伝記が昨年出版されていたことに気が付き昨日注文。ハードカバー版が、もう今日大学に届いていた。

Anne Harrington は、Ignoramus et Ignorabimus を、物理万能主義、機械論的世界観に基づく傲慢として理解しているようだが(物理学、化学などの19世紀的自然科学で語ることができること以外については、科学者は語るべきでないという意見だという理解)、ビスマルクとローマン・カソリックとの間の Kulturkampf を背景とするものだという解釈まであるらしい。この時代らしい、科学の大政治家の発言だから、複合的なものか?

Harrington の解釈は、おそらく、このページに引用されている Cassirer の Determinismus und Indeterminismus in der Modernen Physik 1937 の解釈と同様だろう。Emil du Bois-Reymond の科学的・社会的背景を考えれば、Cassirer, Harrington の解釈が自然だ。Cassirer の文章の、Accordingly the demand for “explanation” not only cannot be fulfilled here - strictly speaking it cannot even be raised: ignorabimus is the only answer that science can give to the question of the essence and origin of consciousness. というフレーズが面白い。この解釈は Wittgenstein の Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen. の意図の哲学を科学に置き換えたものになっている。 Tractatus logico-philosophicus は1921年刊。これが第一次世界大戦の戦場で書かれたのは有名な話。一方、Cassirer の Determinismus und …. は 1937

Cassirer の次のフレーズが面白い:

Of course the attempt was made to escape from the radical consequences he had drawn. There was no ready surrender to the apodictic dogmatic conclusion of du Bois-Reymond’s speech. But there seemed to be no doubt that here an important and pertinent problem had been raised with which epistemology and science had to wrestle using every power at their disposal. Even the neo-Kantian movement, which began in the early seventies almost at the time of du Bois-Reymond’s speech, did not at first alter the situation substantially.

Cassirer は、新カント派の哲学も、du Bois-Reymond の materialism に答えられなかったと自ら書いていることになる。第一次世界大戦という経験の意味の重さ…

いずれにしても、これは、容易に判断しがたい。調査が必要。Cassierer の1937の原典も読むこと(人文研図書館にあり。なんと、山本義隆さんの和訳がある!)。

この調査のために、この本は実にありがたい。Harrington の本では決定論者についての情報が圧倒的に欠けていたので、これから一次史料にあたって調べるのは大変だなー、と思っていた所だった。医学部図書館に行くと、こういう時代の資料がちゃんとあって読めるのだが、僕の知識が圧倒的に欠けている生物学史・医学史をやるのは大変だなー、と思っていた時に、この本を見つけたのだから、\(^ ^)/ バンザーイ・バンザーイという感じ。それに、大好きだった岳父龍一と同じ分野の研究ができるのが何かうれしい。 :-)

ヒルベルトの、あの過剰ともいえる反応は何だったのか?ヒルベルトは、Emil du Bois-Reymondの半世紀近く後の時代の人だ。慎重な判断が必要。

いずれにせよ、忘れ去られていたEmil du Bois-Reymondの伝記が、しかも、英語で出版されるということは、今の歴史研究の状況の象徴だ。

これからの10年、20年で、日本でも数学基礎論論争がらみの既存歴史観が音たてて崩れ、新たな史料ベースの歴史観が広まるだろう。これに向けて、岩波新書と、フェレイロスの和訳を頑張らねば。もうすぐ7月、フェレイロス和訳プロジェクトに参加している人たちに一度集まってまらわなくてはいけない!

京都学派の史料保全の仕事もしなくていけない。今日、常滑市の「谷川徹三を勉強する会」から、田辺元から谷川への書簡をまとめた簡易製本の書籍が届いた。ご自身たちでは「勉強する会」と謙虚に称されているが実に立派な仕事。大学の先生方も、特に哲学(「史」が付かない哲学)と称している人たちには、見習ってほしいほどだ。それなのに「勉強」と称しているのは、ちゃんとしている人ほど謙虚だという経験則の例のようだ。

今回の挑戦的萌芽研究の科研費は、こういう、それぞれの地域、グループ、個人で、行われている京都学派の資料保全の努力を社会と未来に伝えるための「場」を提供することを目的とする旨、先日決まったが、こういう活動は、正に我々が記録し紹介すべき活動だろう。実に、素晴らしい!他にも同様な動きがきっとあるに違いない。


2014年6月15日(日曜日)

何種類かの数学

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時58分02秒

八杉のお供で、科学基礎論学会のワークショップに参加。

上野健爾さんの20世紀代数幾何学の発展の話がすごく良かったので、スライドをお願いした。

ヴェイユからグロタンディエクへの道を中心とした、数論幾何学的・代数幾何学、それを取り巻く数学、が20世紀数学の最大の精華というのは、僕も賛成だが、どうも、「一般化=本質を見る」という方向しか見ていないところがあるので、物理現象、非線形現象を研究する応用数学系の仕事が、ブルバキ以後に評価されるようなっているが、そういうものはどう考えるか、数学ではないのか、と質問したところ、良い数学の理論の出発点となるという返事。しかし、そういう応用数学系の数学にフィールズ賞が多く出る様になったのが20世紀の終わりころからの話で、これは出発点というより、それぞれが終了点、あるいは、カルミネーションだからだろう。そこを指摘したら、そういうのも数学だと思うと、どうも渋々認めるという感じだった。

また、後の議論で、Atiyah の数学がブルバキと随分違うというような話もあった。これは恐らく、Atiyah が物理など、ブルバキの主流ならば手を出さない様なものにも手を出したことを言うのだろう。で、数学には色々とある。たとえば、公理的アプローチの20世紀数学に限っただけでも、

  • グロタンディェク
  • ブルバキ
  • ヒルベルト:幾何学基礎論、物理の公理化、積分方程式論
  • フォン・ノイマン:ゲーム理論、量子力学

など皆違うし、アーノルドなどの力学系の理論もかなり違う印象を与える。フォン・ノイマンに近い?
ネーター、ファン・デア・ウェルデンなどは、ヒルベルトとブルバキの間あたり。

これが非線形微分方程式となると、もう全く違う世界。上野さんが語った「本質=一般化」の数学が、砂漠や宇宙のような、遠い視界が約束された場所で、遠くを見通すことを目的とする数学であるとすれば、僕が龍谷で同僚だった人たちの粘菌の動きを説明するための数学とか、あるいはパンルべなどの仕事は、いわば局所の「現実」の数理を見ようとする態度。西田、田辺の積分と微分の違いのような話。もちろん、「局所の現実の数理」も数学で、歴史的にはこちらの方が古いし、むしろ、今は、これが盛り返しているし、社会の役に立つのは実はこちらの方だ。その点、上野さんも話にだしていた、ルレイがナチの捕虜時代に非線形現象の数学をやると、ナチを利するので、層の理論を創始する研究を行ったという「逸話」(本当かどうかは不明だが、今は信じておく)は、非常に示唆的。つまり、層の理論は、まさに「見はるかす数学」なのだが、「局所の現実」をバリバリ解明するための道具ではない。やはり龍谷の別の同僚が、佐藤理論は美しいが、それでは自分が解きたい現実の問題が解けない、といっていたことも、この話。

岩波新書の原稿で、こういう異なった立場、価値観を、モダニズムの「主義」の群に例えて説明し、それで、数学者と数学基礎論学者がすれ違う理由を説明したのだが、これは、どうも数学の中の価値のすれ違いにまで拡大した方がよさそう。そういう節を一つ入れること!今は、脚注ひとつですませている。つまり、20世紀現代数学=ブルバキに代表される数学、というのと、20世紀の数学、の違いを説明する。もっとも、僕は、ヒルベルト、フォン・ノイマンまで20世紀現代数学に入れているので、それの中での違いと、非線形現象の数学とか、物理数学とか、数理論理学とか、計算数学とか、そういうものの違いも説明する。ただし、「ゲーデルと数学の近代」で必要なのは、数学基礎論と数学の主流との価値観の違いのみであることを強調すること。

帰りの道すがら、八杉とも話したのが、現実には、すべてが、それぞれの場所で、それなりの意味を持っている。その規模と深さ、というようなことを言えば、明らかに20世紀の数学の代表は、「見はるかす数学」だろうが、それは、あまりに空を飛び過ぎていて、その反省というか反動として非線形現象、解析学、物理数学などへの回帰が20世紀終わりに起きたというべきだろう。今はビッグデータなどが出て、神戸の同僚だった統計学者が「数学と見てもらっていない」(実際、数学ではないのだそうだが、これはもちろん、数学などではない、つまり、物理や数学などではない同じにしてもらっては困る、というのと同じ意味)と愚痴っていたが、それが今では「統計は最強の科学」などと言われる。何かの価値観に拘るのは、実にバカらしいのだが、どうして、みなさんこだわるのだろうか。しかも、かなり古いものに…

上野さんと話をしている間に、シュバレーのブラウワー理解が深いことを話して、ついダメットの方向でブラウワーの直観主義を説明してしまっていた野家啓一さんの話と比較してしまった。もちろん、これはシュバレーがエルブラン追悼集会の基調講演で語ったように、ブラウワーの本質は時間直観。ダメットのものは、ハイティングによるブラウワーの「外延化」のさらなる「外延化」。一瞬、僕の後ろを上野さんが見ていたところをみると、野家さんが後ろにいたらしい。(^^;)

後で、調べてみたら、野家さんという人は、数学の哲学の人ではない。「何で自分が」と講演で仰っていたが、まあ、そういうことだろう。比較するのが気の毒。失礼しました。(^^;)ただ、分析哲学の人は、本当に歴史を調べないなと、つくづく思う。アン・ハリントン Reenchanted Science のp.18で、謙虚な態度として理解されることが多い Ignoramus-Ignorabimus が、「ニュートン力学で語れないものは科学的には語れない。だから、科学者は、それについて語ってはならない」という、実は「偏狭」な態度の例として引用されている。これはヴィトゲンシュタインの Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen. という態度に一致しているわけだが、これが野家さんのスライドにあった。もし、これを「科学的哲学者の価値観」の表明と理解すると、これを最も強く受け取ったウィーン学団、分析哲学的価値観とは、哲学化したアリストテレス論理学としての数理論理学、集合論を使って哲学を行うこと、つまり、「科学者、数学者の様に語ること」が最大の目的と化した人たちということなる。だから、何を語るのかは、その「語りの方法」でしか評価されず、内容などというものはないのだとされる。だから、僕や八杉には、それが空疎なゲームに見えるのだろう。科学や学問は、形式だけでは進歩しない。それは、たとえ流動して変容するとしても「実質」Materie が無ければ学者は仕事ができない。


2013年12月10日(火曜日)

岩波文庫 不完全性定理 修正予定・検討項目記録2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時04分43秒

久しぶりに、解説を大量に読み返してみて、執筆時に比べて僕の歴史認識が基本的部分でかなり変わっていることに気が付く。

最大のものはクロネッカーの位置づけか?エドワーズはクロネッカーの主張は有限主義が中心ではないとしているが、以前は、これに些か疑問を持っいたので、それが記述に透けて見えている。しかし、数学の近代化研究が進んで、エドワーズの意見が腑に落ちて来るようになり、クロネッカーは要するに極端な近代主義者・科学主義者なのだと思えるようになったので(ただし、数学のやり方は、解る人にだけ解ればよい、自分の独白でよい、というスタンスであるという意味で「非近代的」)、その辺りのこと(下の1)を書き直したい。また、これとある意味で対称の位置にあるが、ヒルベルト、特に彼の数理哲学が、今から見れば、19世紀的な思想、ある意味で新カント派の時代的、代表的例で言えばヘルムホルツ的な思考法を1920年代でも引きずるものであり、それがゲーデルの不完全性定理によりあらわにされた、という現在の僕の歴史観からすると、「うーん。こんなこと書いていたか… (゜-゜)」と感じるところが幾つかある。こういうの治したいな…。そういうのが無い様に、慎重に書いたつもりだったけれど、やはり解釈がどうしても入る。まあ、以前は、歴史的史実と歴史解釈は、なんとか分離できる、困難でもやってみせる、という風に考えていたが、最近は、これは完全にやるのは無理という風に思う様になっている。そういうこともあるな…

しかし、これと同じことだけど、この数十年の歴史学の進歩(スピードとスケール)は、本当にすごい。それで一般向けの本でさえ、「昭和の歴史教科書と平成のそれは凄く違う」というのが沢山でている。先日も、全然関係のない情報技術振興政策の仕事で訪ねてこられた方が、僕と世代が同じなのだが、高校生のお子さんをお持ちだそうで、「息子の歴史教科書を見ると、自分たちのときのものと、あまりに違うので驚く」という意味のことを言っておられた。僕は、そういう歴史の書き換えを、教授会とかで、いつも聞いているので(学位論文審査要旨説明)、これが当たり前になっているが、翻って考えてみると、驚くべきことだろう。何か理由があるのだろうか?それとも僕の認識が貧弱で、過去も同じようなスピードとスケールでの書き換えが常態的にあったのだろうか。これ、ヒストリオグラフィーの問題。だれか卒論か修士論文でやらないかなー。

と、毎度の、お喋りは、これまでにして、記録、記録!

1.2.4節「無限への批判」で、特にp.98あたりで従来の「構成的対非構成的」の視点が強く出過ぎている。これは、実は、ヒルベルトの視点である可能性が高い。クロネッカーを見てみると、構成可能性への言及は、実は、非常に少ない。数学論文でライバル関係のデーデキントのイデアル論を脚注で批判するところ位の様に見える。纏まった「数学思想」論文(講義録)が二つあるが、このどちらでも、構成可能性は、ほとんど議論されていないと思える。<= これ厳密にチェック!! 一方で、ヒルベルトは、「自分の若いころ、自分たちの周辺では、クロネッカーの意見に従って、構成化するのが流行っが」と書いているが、これはかなり後のことで、ヒルベルト以外には、同じような記述がみられない。とすると、実は、これは、ヒルベルトの意見だった可能性が高い。我々は、ヒルベルトの、そして、それに影響を受けたブラウワー、さらには再帰関数論を経た realizability 解釈などの目を通して、アナクロニズムをやっている可能性が高い。おそらくは、クロネッカーにおいて重要だったのは、代数学的思考法のモードの方で、構成性は、それのおまけ、アンドレ・ヴェイユが、ヴェイユ予想などの整数論・代数幾何の、自分(たち?)の研究を振り返って、なんと有限的なのだろう、とリフレクトした、そういう感じでの構成性、である可能性が高い。このヴェイユ関係の数学をやっている数学者のご意見を伺うと、エドワーズ的視点を持っている方が多いように思う。まあ、エドワーズ自身が、Divisor theory を書いた、そういう分野に数学者である(特異ではあるが)、ともいえるので、そういう分野の標準的見方か?
 で、そういう視点からすると、100ページの「この様な奇妙な現象や、無限にまつわる宗教的理由により、無限集合を数学の対象から排除するという伝統がヨーロッパには長くあった」のフレーズは、良くない。あたかも、クロネッカーのカントール忌避の裏に、宗教的理由があったというような印象を与える。ここは、通俗史観に汚染されている。こういう伝統があったのは、間違いないだろうが、19世紀、特にドイツでの無限忌避は、実は、近代主義者的合理性の発揮である(ゲーデルの歴史観)とする方が歴史学的合理性がある。この辺りの書き方は、全面的に見直すべきだ。

2.同様に、ヒルベルトの19世紀的科学主義的・新カント派の時代的思考法(その当時の有名な例をつかって、「ヘルムホルツ的思考法」というのは、どうか?しかし、他にデュ・ボア・レイモン的とかブント的と言ってもよいかも。「デュ・ボア・レイモン的」にすると、その思想に強く反発したヒルベルトの思想も、実は、同じ傾向の思想の中の意見の相違に過ぎず、実は、Wir müssen wissen. wir werden wissen は、面白いことに「デュ・ボア・レイモン的」ということになる。これ面白いかも。(^^)アン・ハリントンが指摘した(p.99) Karl Wilhelm von Nägeli-Constantin von Monakow の wir wissen und wir werden wissen という発言も同じく「デュ・ボア・レイモン的」となる。ウーム。面白い!発言者の研究分野がモナコウ・ネーゲリの場合は同じ生物・医学関係なので、ヒルベルトよりさらに典型的か?
 で、これに関連してpp.261-2 で、ヒルベルトの「基礎論傾倒」が、パラドックス契機ではないか、その背後に不変式論での経験があったのでは、という所は、不十分で、彼の19世紀的なヘルムホルツ的思考法を付け加えるべきだ。

3.6.2節のZilsel講義の内容の引用で、p.254の「この講義でゲーデルは、ヒルベルトの無矛盾性証明の目的を(A)…(B)…の二つからなると主張した」というところ、これは「ゲーデルは、ヒルベルトが、こう言った、と言った」という文章になっている。これは間違い。ゲーデルは、そこまでははっきり言っていない。これは講義録末尾(全集版では最終ページ)にある議論で、「もしヒルベルトの計画が最初の方針どおりできていたならば、(A)(B)の両方が達成されるはずだった」と書いている部分。
 「万人が納得するような原理への還元」(…auf…einigen..なので、逐語訳ではagreeなのだが、ここは納得とか認めるの方が自然だろう)という(B)の方は、ゲーデル全集編者が脚注(ee)で、ヒルベルト1926のある箇所の paraphraseだと注記しているように(下記)、ヒルベルトは、そう言っていて、(A)の方は有名な主張だし、それをゲーデルが書いているとみなしてよいのだが、厳密に言えば、ゲーデルは、そういう書き方をしていないので、「ヒルベルトの無矛盾性証明の目的を」を「ヒルベルトの無矛盾性証明の意義を」にする方が良い。これは次回の刷で直ぐに直すこと。渕野さん書評を見ていて気が付く。ただし、渕野さんは、これが講義録の最初の方の別の文章のしかも翻訳だと誤解して議論している。実際は講義録の最終部分の議論の解釈。
記:編集者というのは Siegさんと Parsons。編集者が指摘した該当箇所はÜber das Unendlische M.A.版の180頁、第2パラグラフ。… auf einer konkreten Basis, auf der sich alle müssen einigen können…というところ。仲裁裁判所 Schiedsgericht での仲裁に例えている。ゲーデルのは、auf eine konkrete Basis reduziert worden, auf die sich alle müssen einigen können. なので、ほぼ verbatim。ここまで忠実に引用しているとは… やはり、ゲーデルはヒルベルトを大変に良く読み込んでいる。
 修正は「


2013年11月10日(日曜日)

岩波文庫 不完全性定理 修正予定・検討項目記録

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時13分48秒

1.ヒルベルトがデーデキントの方法を genetisch と呼んだ理由。実数の一つ一つが自然数から対や集合を使って、細胞からひとつの
生命体が作られるような意味で発生、という風に説明している。しかし、ヒルベルトは引き続く数概念の拡張 successive Erweiterungen
des einfachen Zahlbegriffes と書いているので、一つ一つの数ではなく、複雑な概念が、単純な概念から進化発生していくというイメージ
の方が強そうだ。段階的に発生するのが数概念であるという風に書きあらためる。八杉の数学概念の拡張についての哲学論文の原稿を読ん
でいて気づく。八杉がテーマにしたデーデキントの Habilitation thesis をヒルベルトが読んでいる可能性も大。図書館にいけば簡単に
読めたろう。本人に直接聞いた可能性もある。… そういえば、デーデキントとヒルベルトの直接の交流の逸話が殆ど知られていないのは
不思議だ。デーデキントは1894年に引退している。1890年結成のDMVでもこの人物の影は薄い。控え目なデーデキントは活躍し始めた
ヒルベルトと交替する様に数学のシーンを去ったのだろうか?

2.上記の修正は少し長い文章の追加が必要かもしれない。出版から少したって、新しい研究成果なども出て来たので、「哲学か、数学か」の節の
様に、書き直したい節などもでてきた。この節で、未解決と書いた、ゴルダン問題の解決時期と可解性ノートの時間的前後関係は、Max Noetherの定理の
一般化(つまり、今でいうNullstellensatz)についてのメモをキーにして、一応解決している。Corryの物理学の公理化の本の話とか、入れたい所。
岩波はOKと言ってくれるだろうか?
#文庫の解説が、部分的に、時々ながらも、書き直されるのは、嫌がられるかも…  :-(
#どれくらいのコストがかかるのかな… 昔と違って植字しているわけではないしやすいのでは。
#僕の古い本は明らかに手で組んだ植字で、そのために文字が上下に揺れている。(^^;)
#PXの本はレーザープリンターでTEX原稿を印刷して版を作った
#極く初期のもので、綺麗なレーザープリンターが高価でMIT Pressにはないので、AMSのプリンターを
#使って印刷するのだと聞いた。今は、それくらいのプリンター、学生でも買えるだろう。隔世の感…


2013年10月5日(土曜日)

後期始まる

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時22分34秒

後期の演習が始まり、久しぶりに学生さんたちの顔を見る。

カッシーラからの引用で、ヘルムホルツが出て来たところで、Thompson君から、
今読んでいる、ロシア(ソ連)におけるサイバネティクスについての本にも、
ヘルムホルツへの言及が何か所かあるとの指摘。彼はマルクーゼの孫弟子なので、
この辺りに詳しい。ウィーナーの人間機械論には、最初、資本主義への
不信が見えるが、それが後の版では、アメリカの企業人たちのお蔭で、
人間の機械化への懸念が避けられたという記述になる。

この辺り、カーネギーたちの時代の猛烈熾烈な資本主義が、批判を受けて
ビナインなものになり、アメリカがある意味で、社会主義的になっていった
点や、ギデンズたちの Japan model v.s. ウェーバー官僚制モデル、との
話とも関連するだろう。(クロッペンバーグによれば、そのアメリカにおける
社会民主主義とでも言うべき、プラグマティズムの伝統の体現者の
オバマが、またまた、左右イデオロギーの対立のために苦しんでいる…)

いずれにせよ、ロシア、共産主義、社会主義、ルートの
話は重要。Thompson君に、関連した話をしてくれるよう依頼。英語でやってもらう
かな… :-D3回生の人たちには、またまたきつ過ぎる。やはり日本語だな。 :-)

演習には久しぶりにPDの溝口君も参加。相変わらず宮城県山元町で
思い出サルベージの活動を続けているが、
アンケート調査を開始するなど、社会学への実質的反映が出て来て期待大。

こういうボランティア活動の当事者、しかも代表、が社会学者というのは、
珍しい。いってみれば、ある社会学者の研究対象が、その社会学者自身
ということ。このリフレクションにはプラスの面もマイナスの面もあるだろうが、
昔は、そとから見ること=客観性、という思い込みがあったように思える。実際は、
見る位置で客観性が自動的に担保できたり消えたりするわけではない。見る人の
心構えと方法のみが客観性を担保する。

僕の情報学、数学の歴史学的、社会学的、研究ものこの自己参照的性格をもつ。
ただし、数学の場合は、元がつくし、やはり、僕は本質的に数学者とは
言えない人なので、情報の場合とは少し違うが。ここ辺りが、最近、
学問として漸く、まとまった形になってきた、僕の「数学を対象とする歴史学、
歴史社会学」の研究が、数学史に興味を持たれる数学者のひとたちに、すれ違って
受け取られる原因だろう。ただ、文系の学者のなり立てのころは、それが自分でも
良くわかってなくて、数学史家と名乗っていたので、それも誤解を招いているのかも。
実際、そのころやっていたのは、本当に数学史だったのだが、今は、それは、
僕のアクティビティの全体のなかでは、ちいさい一部分に過ぎなくなっている。

といいつつ、早くその純粋数学史のヒルベルト論文を完成せねばならないのだが、
今年の夏休みもダメだった。(^^;)
#数学の歴史社会学の岩波新書「ゲーデルと数学の近代」も進まず。
#先日の特殊講義に来ていた理学部の学生さん(もう大学院進学なんだな。
#時がたつのは(老人には)速い…)に、まだ、ですか、と言われてしまった。(^^;)
#頑張ります!
#…と何時も言っているような。 :-D
#でも新しいことが夏休み中に随分沢山わかったよー。 :-)


2013年10月4日(金曜日)

Turingの本

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時01分26秒

京大文現代文化科哲史出身の佐野勝洋さんと杉本舞さんによる
アラン・チューリングの論文の和訳・解説本の原稿新版を見る。
非常に良い本になりそう。素晴らしい!

特に、まだ、和訳が出たことがないはずの、人工知能関係の部分、
非常に興味深く、学術書として意味があるはずだ。

佐野君は文学部出身のロジシャンだが、歴史的な部分もよく頑張っている。
大変だったろう。

若い(ん?もう二人とも中年か?)力に期待!


2013年9月10日(火曜日)

共立数学文献を読む会 講演資料

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時49分29秒

先週末、東京の共立出版で、数学文献を読む会で講演。前回が2007年。
講演資料:http://www.shayashi.jp/kyoritu2013.pdf


2013年8月28日(水曜日)

McLartyのGordan論文の問題点3

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時27分46秒

同題名の1,2、特に2を史料再調査の結果、書き直し。

1889年M.A.のbinary form のゴルダン問題の短い証明と、1888年、Goett.Nachrichten、1890年、M.A.のn変数formのゴルダン問題の証明、および、それへのゴルダンのかかわり方。

1.1889年M.A.の証明、Leipzigでゴルダンに助けてもらってかんがえ,ゲッチンゲンに向かう前に、手紙でクラインに知らせ(Klein,Hilbert書簡集)、(論文の最後にある)1888年3月30日ゲッチンゲンという日付と場所の記述から、ゲッチンゲンでクラインに直接渡したと思われる、この証明は、ヒルベルトの1897年の講義、英訳、Theory of Algebraic Invariants, Cam.Univ.PressのII.1に証明がある。これは、I.11で示された2変数x1,x2のformとx1/x2の1変数多項式の対応を使い、invariantを、その1変数代数方程式の根の差の関数として表す方法を元にしている。全集2巻、Nr.11, S.163, の第2パラグラフで、Die vorgelegte Grundform f ..in den homogenen Valiablen x,y stelle man als Produkt ihrer Linearfaktoren dar, … の所で代数学の基本定理が使われている(Linearfaktoren が x/y=z として、f を z の一変数多項式としたときの因数分解の因数の一次式にあたる。講義英訳のp.98では、陽に「代数学の基本定理により」と書いている。

2.その故に、同訳書、p.116(II.1)に注意されているように、これは2変数でしか使えない。

3.それを一般化できる証明が有限基底定理による証明であり、ヒルベルトはこの2証明の関連を説明していない。内容を検討してみたが、僕の理解ではまず関連はない(僕の代数の理解は良くないから、一度は専門家に聞く必要あり。広大の木村さん?)。
3.1.最初の証明は速報のそれは証明が殆どないので難しいが、上記の英訳された講義は、入門講義なので、大変詳しく、僕でもわかる。それによると、概形は2変数同次式を1変数多項式に変換し、代数学の基本定理による因数分解により得られる。ただし、その形をする式は無限にあるので、パラメータをある線形方程式系の正の解として抑える。つまり、正の解をすべて生成する有限個の*正*の解の存在を示し、これが有限性のポイントとなる(現在、整数計画法のヒルベルト基底として知られるものの起源)。
3.2.代数学の基本定理がクロネッカーなどに言わせれば、純粋な意味では代数的でないだろうが(こう書くと本当に矛盾的。(^^;))、ゴルダンは多分、気にしなかっただろう。クラインによればリーマンのアーベル関数論をやりたがっていた人なのだから。

4.だから、McLartyの、ゴルダンがヒルベルトのtheologyを実は助けていて、ライプチッヒでそれについて二人が議論していたという記述は歴史資料の勝手な読み込み、自分に都合が良い読み込みによる錯誤であることになる。

5.McLarty は、ゴルダンの「数学でない。神学だ」が、ネーターの1914年のゴルダン追悼文で最初に現れることを指摘し、それが1890年のイベントの遥か後であって信憑性にかける、また、その発言の意味もネーターの文章では明瞭でないとして、この「神学」の話の信憑性に疑問を呈している

In the myth Gordan denounced Hilbert’s proof and his anathema rebounded against himself when he said: This is not Mathematics, it is Theology!
The quote appeared a quarter century after the event, as an unexplained side comment in a eulogy to Gordan by his long-time Erlangen colleague Max Noether (1914, p. 18). Noether was a reliable witness speaking to an audience that knew Gordan well but he says little about what Gordan meant. A series of Göttingen mathematicians took it up in succeeding decades.

しかし、この話は、Mathematische Annalen という専門誌に掲載されて、その後の世代にはほとんど読まれることがなかったであろうMax Noether による追悼文ではなく、クラインの有名な著書「19世紀の数学の発展」の言及から広まったと判断するのが自然。該当箇所は、S.330-1で、Noether の unexplained side comment と異なり、かなり詳しい数学的歴史的背景と状況の説明が書かれており、さらには、Gordan war anfangs ablehnend: “Das is nicht Mathematik, das is Theologie.” Spaeter sagte er dann wohl: “Ich habe mich ueberzeugt, dass auch die Theologie ihre Vorzuege hat.”… と書いている。この「後にゴルダンは「神学にもメリットがある」と言った (sagte)」は、ネーターには言及がない。このクラインの歴史講義録が出版されたのは1920年代だが、クーラントなどによるそのまえがきからすると、実際に講義されたのは第一次世界大戦中から1919年まで。ゴルダンの死去は1912年で、ネーターの追悼文の日付が1913年で10月なので、確実にクラインの講義よりネーターの追悼文の方が前なのだが、実はネーターの追悼文のタイトルの直下に、Max は、「クラインと(娘の)エンミ・ネーターの助けにより」と書いている。McLartyの言う通り、ネーターの記述は非常に短く説明がない。一方、クラインの記述は生き生きとした、おそらく、ゴルダン本人との会話の記録に基づいて書かれた関係者による記述であることが想像できる。しかも、そのクラインにネーターはゴルダンの追悼文執筆の助けの感謝をしている。つまり、この場合、ネーターの記述は早かったものの、それは Gordan-Klein dispute に関係していなかったネーター自身の記憶によって書かれたものではなく、次に説明するように、そのdisputeの当事者で、しかも、それをもっとも客観的に眺めることができたはずのクラインの記憶を元に書いたもの、と考える方が妥当なのである。

M.A.編集長として、ヒルベルトの論文をハンドリングした、つまり、Gordan に Hilbert の論文の(今の言葉でいう)査読を依頼し、Gordan < -> Hilbert の対立を引き起こし、また、それを調停して、Hilbert 論文をM.A.に出版したのはクラインなのである。しかも、dispute と書いたものの、実は Gordan と Hilbert は、直接には対峙していない。クラインを通しての正確な言葉の意味からしたら dispute とは言えない対立にすぎない。つまり、この Gordan-Hilbert dispute を引き多し、最初から最後まで関わったのは、実はクラインだけなのである。そのクラインの印象と記憶以上に正確なものはないはずだ。(実は、ヒルベルトの書いた日記などは、かなり感情的になっており、客観性にかけるのではないかと思えるところがある。しかし、その故に、それはヒルベルトの「考え方」を知る上では最適の史料である。一方で、ゴルダン、クライン、ヒルベルトの三者間で何が起きたかを知るには、ヒルベルトの日記の彼自身の考えの記述は、そのまま信じてはいけないのである)クラインは、ヒルベルトの方法はあまりに革新的で色々問題を引き起こした。たとえばゴルダンは最初批判した。しかし、自分は、逆に、この仕事を見て、ヒルベルトをなるべく早くゲッチンゲンに呼ぼうと考えるようになった、と書いている。これが正しいイベントの内容を表しており、McLartyの「神学は伝説」説は、信憑性を持たない。これは、有名な話であり、知られておらず、また、Gerhard Kowalewskiのような関係のない人物の評などを持ち出して、ゴルダンが最初からヒルベルトを評価していたとするのには大変な無理がある。

補足情報メモ1:ヒルベルト・クライン書簡集、クライン・ゴルダンのクライン・アーカイブの書簡によれば、クラインは、ゴルダンにヒルベルトの論文への意見を聞き、それに対しゴルダンは結果は高く評価しながら、証明法に否定的な意見を書き、それにヒルベルトが強く反応してクラインに手紙を書いたのが3月3日。そして、4月14日にクラインがヒルベルトに手紙を送り、Gordan ist jezt 8 Tage bei mir gewesen und wir haben viel mit einender verhandelt. Ich muss Ihnen doch mittheilen, dass er ganz anders ueber Ihre Arbeiten denkt, als dies nach dem an mich gerichteten Brief scheinen konnte…. という、この時までに、Gordan の意見が大きく変わっていることを示唆する、しかも、その前置きで haben viel mit einander verhandelt と書いていること、しかも、8日もすでに滞在した後で極く短い書簡が送られていることを考えると、クラインがゴルダンを説得して、それで意見が変わった可能性も高そうだ。
補足情報メモ2:クラインは、後の手紙、Nr 65 で、新しい仕事(零点定理などを含む、ゴルダン問題の第2証明)の長い仕事をどのように読みやすくするかに言及した際に、Nur diese eine Bemerkung moechte ich mir aus der frueheren Gordan’schen Kritik (mit der ich mich sonst keinewegs identificire) aneigenen, … と書いている。
補足情報メモ3:クラインは、ゴルダンと非常に近しい人だったと言われている。史料としても、クライン・アーカイブの、ゴルダン・クライン往復書簡の量は凄い。しかも、お金の話など、近しさを感じさせる文章が多い。

McLartyの間違いを証明するために行った調査のお蔭で考えたこと:
この時代の数学者には、解析学と代数学で、使える方法を分けているような傾向がみられる。この「不純」さを嫌ったのが、クロネッカーの「有限主義」。実際には、「代数主義」だったはず。これはニュートンが微積分学で得た結果を、プリンキピアでは、すべてユークリッド幾何学で書き直した、セルバーグの素数定理の初等的証明(つまり、解析整数論を使わない証明)に、フィールズ賞が与えられた、というのと同じ、数学のセンスの問題。

これはクロネッカーについて、エドワーズが主張したことだが、ゴルダンの気持ちの悪さは、こういう数学の「センス」の問題であった可能性はないか?ゴルダンは、ヒルベルトの最初の2変数の場合の証明の、代数学の基本定理を嫌った形跡がない。また、クラインのEntwicklung… Sibentes Kapital, S.307-8 に、.. suchte nun Gordan in die Riemannschen Theorien einzu dringen. Diese Gedankenwelt war aber doch nicht fuer ihn geschaffen. Seiner Veranlagung fuehlte er sich viel staerker zu der formalen Seite der Invariantentheorie hingezogen (die er durch Clebsch kennen lernte).という文章があり、面白い。このリーマンの思考世界というのは、リーマンのアーベル関数論のこと。クラインは、このリーマン思考世界で、それ以前の幾何学者たちが多くの計算を駆使して得られた結果が、単純な概念的思考で理解できることを強調している。つまり、Hilbert の Kummer-Kronecker/Riemann-Dedekind 対比と同じ。ネーターの追悼文にも、それを示唆する言及がある。ただし、ネーターが Algorithmiker という言葉で追悼文を結び、また、クラインが、リーマンの思考世界は、彼には向いておらず形式的方法が彼に向いていた、と書いたように、リーマン・デーデキント・ヒルベルト的なものには敬意をもちつつ、苦手だった、なかなかそのセンスを持てなかったと考えるのが、良いのかもしれない。ちなみに、ネーターは追悼文で、ヒルベルトの有限基底定理の証明を、begrifflichen Deduktionen と書いている。Algorithmiker は、概念的思考は苦手だったのだろう。

数学基礎論史に見られる誤解の数々は、それが有限・無限の問題に、なまじ、関連していたために起きた不幸だったのだろう。McLarty も、それをパラダイムにしていると思われる、Edwards の thesis を僕流に解釈すれば、「実は数学基礎論論争として描き出される数学者の方法論的対立は、数学の文脈で考えれば(これは論理学を含む哲学にも関連するので、こういう必要がある)無限・有限の問題というよりは、こういう整数論・代数学対幾何学・解析学のようなセンスの問題から来ているのではないか」となるが、このエドワーズのテーゼを、この時代のテキストの分析で示せないか。ただ、マイヤーの報告論文では、Wissenschaftとして疑問がでているという記述あるので、こういう点だけでないことには注意。この時代、数学は数学だけで閉じることはできなかっのだから、どうしても哲学的問題が絡む。問題は、両者の関係、および、その影響の大小だろう。エドワーズのテーゼとは、哲学的な有限・無限の議論だけではなく、数学的センスの問題が大きい、と解釈すべきだろう。

しかし、理解不可能なのは、Hilbert の全集やHilbert,Klein書簡集など、少し丁寧にチェックすれば、すぐに解る、1889年の2変数の場合の証明と、1890年公刊の証明との違いを、全く読めていないこと。結論ありきでトップダウンに議論を進めてしまったのだろう。ヒルベルト・クライン書簡集では、間違えて Ihnen と書かれているものを、正しくihm となおしているので、オリジナルを読んでいる可能性が高く、それは評価すべきなのだが、他のがあまりに酷いので、最初は故意に読み換えたのかと疑ったし、今でも、なにかの偶然で、そうなってしまったのかと疑ってしまう…


2013年7月7日(日曜日)

若い研究者にとってのSMART−GSの可能性

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時18分34秒

インド古典の志田さんが、久木田さんの助けを借りて、SMART−GSを利用したインド古典Telugu文字の解読ワークショップを開くとのこと。また、伊藤和行さんがガリレオ史料をSMART−GSで解析することになり、幸にもラテン語が理解できる院生の秋田君がいたので、彼に前処理作業を依頼(こういう時、多言語ができる人は強い)。この伊藤さんの研究は、内容が面白そう。SMART−GSがそういう研究に貢献できると大変うれしいのだが。事前の打ち合わせからすると、相当に使えそうだが、こういうのはやってみないと分からないので、keep crossing fingers で待つ。

木曜日の技術演習で、学生さんたちが、内海日記は読むのが難しいといいながらも、SMART−GSでドンドン翻刻を進めていたのとか、この二つとか、昨週は、なにかと、SMART−GSの仕事が多かった。で、考えたこと。

伊藤さんと話していて、もう僕らより上の世代の人でないと、一次資料を読んで歴史をやるという人がいないとのこと(ただし、科学史でのこと。現代史では一次資料読みが、すくなくとも、京大文では標準)。その理由として、若い人は論文の数を出さないと認めてもらえない時代になり、一次資料読みなどという手間がかかることをやっていられなくなったのが一番大きそうだという話になった。実際、年配の研究者は、もう地位が安定していて、そういう人たちが(僕もその一員)、十分な時間と、蓄積した読みの技術、を使って一次資料を読んでいるのに対して、若い人たちが対抗するのは、現在の状況では無理なので若い人たちに、一次資料を読めというのは、酷だという話になった。
#推薦状を書く立場からすると、学振の研究員とか、論文の数があればとおる、という感じ。
#僕は内容が駄目だと思ったら、推薦状でも誉めないが、他の分野の研究員などみると、
#内容など酷くても、論文数だけで通っているらしいと思われるケースがある。

で、学部生、しかも、主に低学年の人たちが、マニュアルもろくに見ないで、ちゃんと、SMART−GSを使いこなして内海日記を翻刻しているのを見ると、もしかして、SMART−GSが、この現状を打破する一助になるのでは、と考えた。やはり、ITを、年配の人が使いこなすのは難しい。だから、その点で、SMART−GSが楽に使えるという強みが若い人たちにある。また、ITが人文学の力になることを、認識できれば、さまざまな工夫を自分でてきるようになる。

そうすると、SMART−GSによる一次資料研究は、従来の手法に比べて

1.一次史料を読むことに置いて、若い人の方が年配世代に対して優位にたてる。
2.従来必用だった時間と手間を大幅に低減可能で、これからキャリアを築かないといけない若い研究者にも一次資料研究がaffordableになる。
3.しかも、一旦、「鉱脈」が見つかると、関連史料を見つけやすいので、論文をドンドンかける。

という長所を持っており、若い世代にとって有利な武器になると思われる。

で、これが本当ならば、一次資料研究の復活に貢献できるかも。そうなってくれると良いのだが。

一次資料のレベルから、歴史が書き換わるときの、書き換わり具合は、凄いものがある。逆に言えば、一次資料にまで手を付けないと、同じ様なところをグルグル回りばかりする可能性が非常に高くなる。そればかりか進むことによって、かえって悪くなっているケースが多々見られる。一次資料は自然科学の実験・観測のようなもの。天から、真実が降ってくる。
天から降ってきた真実ほど、力強いものはない。


2013年7月5日(金曜日)

Kronecker と Brouwer

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時45分01秒

パートナーのために読んだ学生さんのレジュメで、クロネッカーがブラウワーの先駆と書いてあった。

この見方は、あまねく広がっているが Edwards も指摘していたはずだが、あまり当たっていない。もし、ブラウワーの思想と数学を見たら、クロネッカーは、カントールの数学と同様に、それを嫌った可能性がある。数学基礎論論争に絡んだ人物の中で、もっともクロネッカーに近い人をさがすと、実は、パラドキシカルなことに、ヒルベルトになる。このあたりのこと、数理論理学ベースでしか数学を理解できない人には、大変に解りにくいだろう。しかし、クロネッカーや若きヒルベルトは、記号論理学が、まだ胡散臭い新興分野しかなかった時代に生きていたのである。

クロネッカーは有限性を保障するために数学を制限したと思われているが、おそらくは、間違いで、数学を代数化・整数論化したかっただけ。エドワーズがクロネッカーのカントール宛の手紙で明らかにしたように、クロネッカーにとって、哲学を数学から排除し、数学を代数式という、実もふたもなく即物的な、しかし、数学者にとっては、集合などより遥かに豊かな構造を持つ存在の中に埋め込もうというのが、クロネッカーの(老年の?)「夢」。

つまり、狭い意味の算術化をしたかっただけ。そのセンスは哲学ではなく、あくまで、アンドレ・ヴェイユが称賛するような数学者のものだったろう。だから、こういうと、申し訳ないけど、数学を数学として本当に理解できてはいない哲学者には、クロネッカーの真意は絶対に解らない。モントリオール大の、(名前忘れた!)哲学者のように、ちゃんと代数学などが解る人にしか解らない。

クロネッカーが、論文の脚注などで、デーデキントのイデアル論を、「計算できない」などと批判しているが、これは自身のモズル理論とライバル関係にあるイデアル理論を批判するために持ち出した、分かり易い条件でしかないはずだ(そう理解すると、脚注でしかなかった理由も納得できる)。実際、クロネッカーの論文を見てみると、案外、計算が少ないのである。あんなに難しいものを、わかっているなどという気は全くないが、印象では、代数式を使って、抽象代数学をやっているようにみえる。浪川先生が、クロネッカーの研究を評して、Ringの概念もない時代に(スキームの話なのです)、クロネッカーは、その真意を的確に語る言語を持たなかった、と書かれているが、まさにそんな感じ。


2013年6月27日(木曜日)

McLartyのGordan論文の問題点2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時14分15秒

2013.08.28 に調査をし直し、大幅に修正。同日、投稿の同じ題名の投稿の3にそれを置く。

1889年M.A.のbinary form のゴルダン問題の短い証明と、1888年、Goett.Nachrichten、1890年、M.A.のn変数formのゴルダン問題の証明、および、それへのゴルダンのかかわり方。

書きかけのヒルベルト論文など調べたら、昔、理解していて、史料に線を引いたり論文に簡単な説明を入れたりしている。それをすっかり忘れていた。(^^;)

で、再度忘れないようにメモ!

1.1889年M.A.の証明、Leipzigでゴルダンに助けてもらってかんがえ,ゲッチンゲンに向かう前に、手紙でクラインに知らせ(Klein,Hilbert書簡集)、(論文の最後にある)1888年3月30日ゲッチンゲンという日付と場所の記述から、ゲッチンゲンでクラインに直接渡したと思われる、この証明は、ヒルベルトの1897年の講義、英訳、Theory of Algebraic Invariants, Cam.Univ.PressのII.1に証明がある。これは、I.11で示された2変数x1,x2のformとx1/x2の1変数多項式の対応を使い、invariantを、その1変数代数方程式の根の差の関数として表す方法を元にしている。

2.その故に、同訳書、p.116(II.1)に注意されているように、これは2変数でしか使えない。

3.それを一般化できる証明が有限基底定理による証明であり、ヒルベルトはこの2証明の関連を説明していない。もしかしたら、ない。あっても、簡単ではないのだろう。

4.だから、McLartyの、ゴルダンがヒルベルトのtheologyを実は助けていて、ライプチッヒでそれについて二人が議論していたという記述は歴史資料の勝手な読み込み、自分に都合が良い読み込みによる錯誤。歴史学者の立場から言わせてもらえれば、学部の学生でも許せずに、長々と説教をしないといけない程度の錯誤!!!

で、一つ、収穫。McLarty がとんでもをやってくれたおかげの収穫:おそらく、1889年のバイナリの場合には代数学の基本定理が使われている。この時代の数学者には、解析学と代数学で、使える方法を分けているような傾向がみられる。この「不純」さを嫌ったのが、クロネッカーの「有限主義」。実際には、「代数主義」だったはず。これはニュートンが微積分学で得た結果を、プリンキピアでは、すべてユークリッド幾何学で書き直した、セルバーグの素数定理の初等的証明(つまり、解析整数論を使わない証明)に、フィールズ賞が与えられた、というのと同じ、数学のセンスの問題。

ゴルダンの気持ちの悪さは、こういう数学の「センス」の問題であったはずであり、また、ヒルベルトは、「既存のセンスを無視するとよりセンスの良い数学ができる」ということを示したわけ。それが有限・無限の問題に、なまじ、関連していたいのが不幸だったのだろう。おそらく、数学的センスによる代数・解析の対立は、有限・無限で特徴づけることはできない。大幅に重なってはいるはずだが。(解析学の算術化が始まる前のことを考え、歴史的に言えば、解析学とは実は無限次元多項式による無限次数代数学なのだから。)他の書簡などで、こういう点を示せないか。ただ、マイヤーの報告論文では、Wissenschaftとして疑問がでているという記述ある
ので、こういう点だけでないかもしれない。しかし、これはクロネッカー派の人たちが言っていた可能性もある。これもベルリン系の数学者の間の手紙でいけるのでは?

この二つの証明の成立の歴史と、LCMによるその構成性のdegreeを分析する論文を別立てで書く必要あり。

しかし、理解不可能なのは、Hilbert の全集やHilbert,Klein書簡集など、少し丁寧にチェックすれが、すぐに解る、1889年の2変数の場合の証明と、1890年公刊の証明との違いを、全く読めておらず、そればかりか、勝手にクロネッカーについてのエドワーズの研究のパターン(これはすばらしいもの!)をゴルダンの場合に、検討もなく適用し、結論ありきでトップダウンに議論を進めて、挙句の果ては、活字でIhnen と書かれているものを(Hilbert,Klein 書簡集)、ihn と読み替えてしまい、himと英訳までして論文に書いてしまうこと。

これが招待講演なのだから驚く。最近の経験で「史」の文字が付かない(つくのは西哲史など)哲学の人の中にはテキスト読解能力が、僕ら歴史家の常識からしたら、信じられない位低い人が多いらしいとわかって、茫然自失に驚いていたのだが、これは国内だけでなく、アメリカでも同じなのかも…
#Sieg さんとか、Paolo Mancosuさんとか、まともな人もいる。そのあまりの落差…

英米系の哲学者の書く歴史は今後信用的できないな…
もちろん、それらが全部うそという意味ではない。
かなず、最高レベルの懐疑をもって読まないといけないという意味。
しかし、そういう作業を必要とする論文、書物を読むのは時間の無駄だと思うのは自然なことだろう。
また、そういうことをして平然としている凡才とか、あたかも哲学史をやっているように書く人たち
を批判するのは当然のことだろう。クリプケのヴィトゲンシュタインは、哲学史には見えず、それを
ネタに自分の考えを書いているのは明らかだった。そういうのならば、僕も文句を言う気はしなし、
内容が良いので、素晴らしいと思う。しかし、いかにも歴史めかして、努力不足のものを書くのは
歴史家の立場からしたら、止めてほしいと思う。迷惑だ。

先日、伊勢田さんに頂いた面白い本の伊勢田・須藤論争で、
須藤さんのあまりの不勉強と物理帝国主義に付き合わされた、
伊勢田さんに同情したが、この点に関しては、まったく、
面識のない須藤さんに共感。
#伊勢田は、問題のあるものを書いたのを見たことがないが、
#ただ、同じ哲学の業界人として、この問題を理解しながら、
#許容しているらしい。しかし、ポストモダンや現代思想ならば、
#すでに、その「トンでも」性が広く知られているから、ある意味では、
#何を書いてくれてもよいことはよいのだが、アカデミックな哲学者がそれを
#やるのは理解できない…


2013年6月23日(日曜日)

McLartyのGordan論文の問題点

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時56分24秒

2013.08.28に編集。間違いを削除。同題名投稿の3に詳細。
1888年3月に発見して1889年のUeber die Endlichkeit der Invariantensystems fuer binaere Grundformen, Math. Ann. Bd.33, S.223-226, 1889で発表した2変数の場合のゴルダン問題の短い証明(4ページ)を、1888年のフルのゴルダン問題の解決と混同しており、ゴルダン問題の有限基底定理による証明がゴルダンの助けでできたと書いている。

ゴルダンのクラインへの手紙で、Rekursionによる証明で再帰的な呼び出し側のFORMがeinfacherになるようなFormenのEinteilungsprinzipが必要で、それがないからヒルベルトの証明はだめなのだ、と書いているところを引用せずに(…にしている!??!?)、他の部分の文章を利用して、ゴルダンの批判は数学の内容ではなく証明の仕方が不明瞭でよくないといっているだけだと主張している。さらに、その引用中のIhnen=Klein を ihm と読んで、ヒルベルトのことだとして、「あなたにライプチッヒで言ったように」を「ヒルベルトにライプチッヒで言ったように」と変えてしまい、ヒルベルトに問題点を説明していたいかのように説明している。手書きのIhnenとihmが読みづらいのならわかるが、これは出版された Klein-Hilbert書簡集から引用しているので意図的に読み換えた(翻刻間違いだと強引に理解した)か、ドイツ語ができないのか、どちらかとしか思えない。(2013.08.28追加:ここは、オリジナルで確認したら、McLartyの方がただしかった。オリジナルが、ihm と書いてあるところを、Klein-Hilbert書簡集では Ihnen になっている。なぜ、ドイツ語を母国語とする人が、かなり明瞭な手書きを、こう読み間違えたのかはわからない。また、それを正しく読んでいるところをみると、もしかしたら、McLartyは原典を読んでいるのかもしれない。それとも僕の持っているKlein-Hilbert書簡集が古くて、どこかで誤植が修正されていて、それを読んだのか?いずれにしても、これが1888年春のライプチヒでのゴルダンとヒルベルトとの議論のことであるかどうかは不明。2年近くも前のことなのだから。一方で、1888年3月にゴルダンの助けによって発見したとクラインに報告した証明が、1888年にゲッチンゲン紀要で概略が速報された有限基底定理による2変数の場合のゴルダン問題の証明でないことを支持する強い証拠が多くあるので、従来の理解、僕の理解の方がずxっと蓋然性が高い。)こう読むと、この書簡集の該当部分の向かいのページにあるヒルベルトのクラインへの手紙の内容と食い違う。

その他、間違いだらけ。良く読むと、歴史的イベントの時間的同定の検討が、ほとんどなされていないらしいことがわかる。

解釈に続く解釈の塊。伊勢田さん言っていた「変わった解釈をするのが仕事」というタイプの哲学者か?哲学だからと言って、こういう勝手なことでいいのか?梅原法隆寺論のレベルだ…歴史家の立場からは、あまりのずさんさに茫然自失という感じ。(まともな学者が、こんなことをできるということが理解できなくて、ショック!、ということ。)

この論文はクロネッカー論文と同じパターンをとっており、「神学」はジョークで言った、本当はほめている、という風に解釈している(ジョークであるのはそうかもしれない)、これではクロネッカー論文も信用できない…検討しなおし。


2013年5月26日(日曜日)

Kronecker の20世紀数学における位置 2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時10分43秒

Weil 予想は1949年のNUMBERS OF SOLUTIONS OF EQUATIONS IN FINITE FIELDS c.f.http://en.wikipedia.org/wiki/Weil_conjectures#CITEREFWeil1949

これには Kronecker への言及はない。

1950年に Kronecker に言及した意味は何か?

竹内先生が言っていたこと「Weilは日本人が好きだが論理学者が嫌い。プリンストンで遠くからWeilが歩いてくる。日本人だと思って、ニコニコしながら近づいてくるが、知けづいて自分だと分かったら背を向けて歩き去ってしまう」。論理学嫌いだから1950年の主張になったのか、その逆か、それともあまり関係ない?

竹内がプリンストンに行っていたのは1950年よりかなり後。

Zariski 1950年の講演。


2013年5月25日(土曜日)

Kronecker の20世紀数学における位置 1

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時06分11秒

Edwards はKroneckerのModulによる代数的数学の基礎はスキームのようなものではなかったか
ということを書いているが、その数学的・歴史的意味は詳しく論じていない(はず)。
で、「ゲーデルと数学の近代」で、クロネッカーの真の位置について書くときに、
Ernst Steinitz
Algebraische Theorie der Körper (German: Algebraic Theory of Fields, Crelle’s Journal (1910), 167–309).
だけでは、せいぜいがガロア理論なので数学的には深みがたりないので、これについて書きたかった。
#Steinitz 論文を見ると、その記述枠は Dedekind の数学の上にあるが、内容のほとんどは
#Kronecker からきていることがわかる。Dedekind の名前は、2度ほどしか、しかも、非本質的
#な仕方ででてくるだけ。一方で、Kroneckerは再三、数学的ソースとして引用され、また、
#「Kroneckerは有限的制限を置いたので、ここまでだが、本論文では、それはおかないので、
#こうなる」というようなフレーズが繰り返される。つまり、Zahlberichtのイントロでヒルベルトが、
#「Kummer-Kroneckerの計算的装置を、Riemann-Dedekind の概念的思弁的装置に
#置き換えた」と書いたのと同じことをやっている。つまり抽象体論の元はKroneckerの
#多項式枠組みをDedekind の集合論的枠組みに置き換えて、できており、それにより、
#Dedekind-Hilbert-Noether-van der Werden の系譜が、Kronecker の系譜を吸収し、
#Kronecker の成果が、現代では、あたかも、Dedekind の系譜の成果に見えてしまうという
#現象が起きている。

しかし、数学的知識が足りず、これがずっとわからなかったのだが、先日、名古屋の
浪川先生に、Weil->Serre->Grothendieckというのがスキーム系譜で、てぇr
Weil generic概念->Serre Sheaf-> Grothendeieck Scheme, Topos
だと教えていただいて、調べたらわかってきた。想像していたより、ずっと凄い。

しかも、これを名前などは知っていた Colin McLarty が大変丁寧に調べていることが判明。
非常に良い仕事!(2013.06.23追記:McLartyの歴史の調べ方が滅茶苦茶であることがわかったので、
これも信じられないかも…哲学者というのは、こんな人が多いのか?Siegさんなどは
大変にしっかりしているのに…)

The Rising Sea:Grothendieck on simplicity and generality I
http://www.math.jussieu.fr/~leila/grothendieckcircle/mclarty1.pdf
“`There is no ontology here’: visual and structural geometry in today’s Arithmetic,”
http://www.cwru.edu/artsci/phil/In%20press%20There%20is%20no%20ontology%20here.pdf

数学の内容は、McLartyのこれらの解説でわかるが(解説が大変良い。僕でさえホモロジー、
コホモロジーの背景と意味が腑に落とせる!)、Kroneckerのインパクトを何より如実あら
わしているのは、Weilの1950年のICMでの講演(これ、Weil予想の講演。
これ以前に、Weil予想は別の場所ででているのか?調べる!

A. Weil, NUMBER-THEORY AND ALGEBRAIC GEOMETRY
http://www.mathunion.org/ICM/ICM1950.2/Main/icm1950.2.0090.0102.ocr.pdf

The previous speaker concluded his address with a reference to Dedekind
and Weber. It is therefore fitting that I should begin with a homage to Kronecker.

# http://www.math.harvard.edu/history/icm1950/program/1005.html
# The previous speaker は Zarisiki
# Zariski The fundamental ideas of abstract algebraic geometry
# 内容をチェック!

There appears to have been a certain feeling of rivalry, both scientific
and personal, between Dedekind and Kronecker during their life-time; this
developed into a feud between their followers, which was carried on until the
partisans of Dedekind, fighting under the banner of the “purity of algebra”,
seemed to have won the field, and to have exterminated or converted their foes.
Thus many of Kronecker’s far-reaching ideas and fruitful results now lie buried
in the impressive but seldom opened volumes of his Complete Works. While
each line of Dedekind’s Xlth Supplement, in its three successive and
increasingly “pure” versions, has been scanned and analyzed, axiomatized
and generalized, Kronecker’s once famous Grundzüge are either forgotten, or are thought
of merely as presenting an inferior (and less pure) method for achieving part
of the same results, viz., the foundation of ideal-theory and of the theory of
algebraic number-fields. In more recent years, it is true, the fashion has veered
to a more multiplicative and less additive approach than Dedekind’s, to an
emphasis on valuations rather than ideals; but, while this trend has taken us
back to Kronecker’s most faithful disciple, Hensel, it has stopped short of the
master himself.

Now it is time for us to realize that, in his Grundzüge, Kronecker did not
merely intend to give his own treatment of the basic problems of ideal-theory
which form the main subject of Dedekind’s life-work. His aim was a higher one.
He was, in fact, attempting to describe and to initiate a new branch of mathematics,
which would contain both number-theory and algebraic geometry as
special cases.

Edwardsが指摘していたKummer全集のイントロのWeilの書き方から、Kroneckerを
相当に称揚していたらしいとは思っていたのだが、代数幾何の知識がなくて、
まさか Weil予想が、もろにKroneckerの数学の構想に関連付けられていた
とは思わなかった。かならずしも、Kroneckerの数学から、Weil予想が生まれたの
でなくとも、WeilがこのようにKroneckerのGrundzuegeを位置付けていることだけでも
重要。いや、むしろその方が重要な位だ。(ただし、それが他の代数幾何学
整数論研究者と共有されていたかどうかという問題があり、それは重要!)

これで、さらに類体論も持ち出せば、Kronecker の20世紀数学への影響を
「特異」とかいう評価が、20世紀数学の本流、代数学・代数的整数論
の観点からは、実に奇妙であることは明瞭にわかるだろう。

行うべきこと:
1.ヒルベルトの「Kummber-Kronecker を Riemann-Dedekindで書き換えた」の
書き換えポイントを正確に理解する。つまり、Zahlberichtのどこに、そして、
どのようにKummer-KroneckerとくにKroneckerが埋め込まれているかを正確に
把握する。
2.このような状況を、なぜ、Weil以外の代数幾何研究者が発言していないのか?
#浪川先生に聞く?まずは、浪川歴史論文みつける。
3.ICM1950以前に、WeilはKroneckerについて何か語っているか?
4.どうして、こういう重要なことが永らく、無視されてきたのか?
 単に論理学、歴史学、哲学の関係者の単なる無知のため??
 ウーム… 
 しかし、経済学史の人と僕の間で、「えっ、Jevonsって論理学もやってたのですか?!!」
 「えっ、Jevonsって経済学で有名だったのですか?!!」(Economicsという言葉
 自体が、Jevons によるものとか)という会話が成り立つように、まあ、歴史という
 ものは、驚くほど「無視」「無知」が横行しているものではある。だから、歴史家は
 常にフレッシュな風にあたることができる(19世紀終わりから20世紀初頭の米国の
 歴史家たちの危惧はまったくあたらない!!)のだし、いつまでも忙しい。 :-)


2012年8月26日(日曜日)

京都現代哲学コロキアム

カテゴリー: - susumuhayashi @ 09時31分42秒

25日午後、京都現代哲学コロキアムで講演させてもらった。
https://sites.google.com/site/kyotocolloquium/home/meetings

お願いして聞いていただいた社会学の吉田さん以外は、大変若い人たちばかりの
小さな集会。やっている研究が溝口さんとの議論で何かようやく方向が完全に
わかったと思えたので(感情というそれまで考えていなかったファクターが、
彼との議論が切っ掛けでシェーラーを通して、ワッと全体とつながった)、
久木田さんの誘いにのり話させてもらったものだが、若い人たちの小さな集会。
僕の研究の全体像を初めて出すことにした講演だが、それに適した場だったようで、
大変良いコメントと反応をもらいうれしい。

溝口さんには無理難題であることは承知で、講演をしてもらったが、
やはりちょっとつらかったみたい。すみません。m(_ _)m
でも、興味を持つ人が多くて人的関係もできたみたいで、
とにかく、よかった。僕も彼と話せたし。

Moore はマッキンタイヤなどの倫理学史を調べ始めたところだったので、
少し気になり始めたところだったが、オーストリアは考えてなかった。たしかに、
ブレンターノとか無視してウィーン学派の時代を語ってはおかしいだろう。
モダニズムを通しては着目してはいたのだが、こちらに考えがまわっていなかった。
ハプスブルグを無視するのは完全におかしいのは当たり前だが、見えないときは
見えないものだ。こういうのを教えてもらえるのが知らないところで講演などをする
ことのよい点。京都学派を通して中国、韓半島などの極東の問題もあるし、
まだまだ、いろいろありそうだ。

そのときの講演スライド(8.30に修正)。今後、これを柱として進むことになる。

Oxford の丸山君が夏休みで帰国していて参加してくれていたが、ひとつ前のブログをみて、
間違いを教えてくれた。僕が見たのは、このブログの古い Google search cash らしい。
今は、ああいう間違いはないので訂正。カナダの大学の学生さんの林さんと僕を混同して
起きたまちがいとのこと。この25日の投稿、講演スライド準備中(できたのが、講演30分前。
いつものことだが、そういう時の方が良いものができるのがおもしろい)に逃避行動で書いたもの。
で、ろくにしらべずに書いた。反省。まあ、軽い話題なので… ;-)


2012年1月28日(土曜日)

コミック 数学ガール ゲーデルの不完全性定理

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時56分35秒

物語「京都学派」の前日についたコミック「数学ガール ゲーデルの不完全性定理」1,2巻
を繰り返し2度も読んでしまった。内容が正確なのは、原作者の結城浩さんが
チェックしたらしいから当然として、解説書の文章では、僕の「ゲーデルの謎を解く」
とか、結城さんの原作でも表現できていない、形式系や形式的証明、あるいは、
数学の推論(証明)を前にしたときに感じる「感情」が見事に表現できている。
こんなの見たことがない。

二巻pp.142-3の「数学の樹」。僕が形式的証明や、
論証的なハイパーテキストをココロのなかでイメージするときの、殆ど、
そのままが絵になっている。信じられん!!

と言いつつ、そういう感情はWEB時代を新時代と感じる旧世代の人間のもので、
作者のように(おそらくは)WEB時代が自分のネイティブな時代の人には、
あたり前のことなのかもしれない。ネットワーク可視化技術は当たり前の
ツールになっているから、こういう図を専門家でなくても自然に目にするはずだから、
若い人の場合は、少なくとも深層心理にこういう図が自然なものとして最初から
潜んでいるのかもしれない。
#僕の場合はプログラム検証などやっていた時代に、R. バーストールさんが
#Mac 上の HyperCardで ProofCheckerを作っていたのを見たのが
#最初の芽だな。

形式的ルールや、形式的体系の説明は難しいものなのだが、
それがテーマパークでのシーンに見事にダブらせてある。
僕は形式的システムの説明に巨大宇宙船の中に作られた自然とか、
マトリックス(映画のです)とか、ディズニーランド(これは社会学由来)
を使うのだが、そのイメージが実際に可視化されたものがみられるとは….

「知らないふりゲーム」という用語も見事だ。これは結城さんのものなのだろうか?
原作には、ここまではなかったような。

コミックを研究テーマにしている20世紀学の杉本さんがコミックにしかできない表現が
あると言っていたが、このコミックを見て納得した。

兎に角、これは凄いので、今後不完全性定理について説明したり、書いたりするとき、
何等かの形で使わせてもらおう。

でも、どうしてもマネができないものがある。それはコミックの形式自体。
複数のキャラクターが同時に目前にあり、それらがコミュニケーションを行なう。
しかも、それぞれが読者のアバター的存在になっている。数学の場合では、
「でも、そういわれても理屈は追えるけど納得できないな」というときの
不安な感情とか、「あっ!そうか!」という時の明るい感情とか、それらが
キャラクターの表情、現在の会話の様式、それらすべてを、イラストと文字情報
という、自分のスピードで見ることができる形式で(ここが動画と違うところ)、
2次元の広がりに配置されている(ここが文章では絶対にまねできないところ)。
かつ、時間軸がある。それもいつでも簡単にもどれる時間軸が。

文章では、著者と読者のトポロジーをこういう風に配置することはできない。
どうやっても無理だろう。良いところで著者と読者の会話くらいだ。
工夫しても会話形式にするくらいだが、1次元の表現形式に本質的に
グラフ構造をもつ複数人の「会話」形式を押し込めると、どうしても無理がある。
実際の会話では、複数の人が声を上げたり、誰かが話しているときに、
他の2人が顔を見合わせて「エーッ?」という印象の共有をやっている
ことがあり、この共有が、ある意見に対する、その2人の印象を強く決定
したりするのだが、こういう情景を、文章で書くのと、コミックにするのとで
は伝わり方が雲泥の差だろう。

PositLogの作者の久保田さんに非常勤講師をやってもらっていたころ、
彼が4コマ漫画を使って、色々なものを見事に表現してみせるのを見て、
これはマネができん、これからの研究者は、漫画を描く能力も必要では
と驚いたものだが、あれより凄い。

コミュニケーション・ツールのモデルになるな!

ところで、一見、1日に二つ投稿しているように見えますが、
前のは寝る前。今度のは起きた後です。実質、2日間。


2012年1月26日(木曜日)

次は美学だ!..???

廊下で、たままた、美学の吉岡さんに出会ったので、迷惑かとはおもったが、講義でやっていた、
美術・建築におけるモダニズムと数学のモダニズムの関係について、僕の意見をどう思うかを聞いた。
で、興味をもってもらえたようで、素人美学ながら、案外、いい線いっていたらしい。
僕が、学生さんたちに話していた内容は、メインストリームのモダニズム(?)解釈らしく、
グリーンバーグのものだそうだ。驚いたのはハウスドルフが文学者(?)であることを
吉岡さんが知っていた点。美学などでは有名なのかも知れない。それともポストモダン
の方かな?

原稿を書いたら、読んでもらえることになり、大変に嬉しい!! :lol:
で、調子に乗って「次は美学をやる!」と言って八杉に笑われた。(^^;) :hammer:


2011年10月9日(日曜日)

ゲーデルは有名になったんだなー!!

金曜日に5年ぶり位の(4年か?)全学共通の講義初日。
岩波新書「ゲーデルと数学の近代」をこれで使う予定だったのだが、まだ、4分の1くらいしか書けてないので講義をしながら書くという感じ。系代表も忙しいが、SMART-GSにえらく時間がかかる。しかし、使いたいという人が増えているので頑張らねば…

学生から理学部で評判になっている(?)という噂を聞き、急遽大きな部屋に変えてもらい、履修者数も無作為抽出で100名にしてもらったが、立ち見が30−40名か?その後の演習で、僕の研究室の学生が「入ろうとしたが多すぎたので諦めた」と言っていた。125名入る部屋だが、3列がけの真ん中を座らないので、こういうことになる。しかし、真ん中に座っても少しはあふれたろう。

前回は、理系文系両方に分類したし、文学部東館の階段教室だったからか、文系の学生も、それなりに多かったが、今回は吉田南キャンパスの教室で、文系分類のみの講義にしたので、想像通り殆どが理系の学生。手を挙げさせたかんじでは、多分90%くらい。

同じく手を挙げさせて驚いたのは『ゲーデルという人を知っている人』という質問で80%位は知っていたこと。僕が学生のころゲーデルなど知っている人は極少数だった。ここまで有名になっているとは思わなかった。ゲーデル自身の話はあまり必要ないのかも。

日本でゲーデルを有名にした人として柄谷行人さんを紹介したので、『柄谷行人という人を知っている人』も聞いてみたら、せいぜい5%位。パラパラという感じだったから、もっとすくなかったかも。殆どが理系学生ということもあろうが、時代の流れを感じる。実際最近の学生はポストモダン・ニューアカというのがあったということを、文学部の学生でも殆ど知らない。まあ、学問ではないから、当たり前と言えば当たり前。

ブランクーシはさらに誰も知らなかったような…聞いてみたわけではないが、鳥の飛翔を見せたときの反応から、そう思う。まあ、僕も最近まで知らなかったし…(^^;)


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