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2016年9月19日(月曜日)

Markus Rehm

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時46分33秒

パラリンピックが、突然、NHKなどで大きく取り上げられるようになったので、あれあれ、と思ってみていた。
義足などによりサイボーグ化した人が、その努力と知恵により、所謂「健常者」というものより高い能力を獲得するという
話はかなり前から知っていたので、講義で、「近い将来、高い能力を得るために自ら手脚を切断する人がでる」などと
言って、案の定、男子学生から、それはあり得ないという反発、女子学生からは、賛同を得たりしていたのだが、
このRehm という人のことは知らなかった。

で、NHKスペシャルで、この人の事を取り上げたのが分かったので、NHK オンデマンドで見たら、何故か、
取り上げられいない。幸い、YouTube で番組を見ることができて驚愕&感激!

脳の働きまで変えて、飛んでいる!

踏切の方法が全く違うらしいので、Rehm と「健常者」のジャンプが同一のものとして扱われるのは、
確かに、unfair だが、この人の記録が無視されるのは、さらに unfair と言える。

どういう条件下であり、人力だけで、どれだけ遠くに跳べるか?

そういう競技があっても良い。その時、「健常者」も、例えば水泳で疑問視されたスイムスーツとか、
あるいは、さらにフィンとか、そういうものを使っていいとしたらどうか?

そういう条件下で、「健常者」と、Markus Rehm が競う姿が見れたら素晴らしいだろう。


2016年7月19日(火曜日)

失敗しなきゃ、始まらない

雑誌としては、唯一、良く買うアエラの7月18日号の特集のタイトルが「失敗しなきゃ、始まらない」だった。

大体、僕がいつも言っている事に近い話ばかりなので、楽しく読む。

アエラは働く若い女性をターゲットにしている雑誌らしい。創刊当時から良く買っていたのだが、長らく女性がターゲットであることを知らずにいて、連れ合いに指摘されて驚いたのが、もう10年近く前か?分かってみると、確かに女性をターゲットにした記事が多いので、納得した。

この特集の「失敗こそ最大の財産」というメッセージは、実は「お父さん」たちに聞いて欲しいのだが、ダメなのかなー。

やはり、女性に期待をかけるしかなさそう。


2016年6月18日(土曜日)

北軽井沢のひぐらし

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時33分00秒

今日は、本当に久しぶりで北軽井沢大学村を訪問。群馬大学田辺記念館の撮影をさせて頂く。

帰りに田辺記念館の管理人をされている茂木さんのご厚意で、僕の連れ合いの実家の八杉山荘を訪問。

多分、10数年振りだが、心配していたよりは、状況は良かった。

岳父が健在のころ、四人で八杉山荘の母屋から満月を仰ぎ見た時をおもいだす。

日暮らしが鳴いていた。山科のひぐらしとは歌い方が違うような…


2016年6月8日(水曜日)

西田幾多郎「哲学の廊下」解体保存

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時22分19秒

この5か月ほど、一番力と時間をつぎ込んでいた西田幾多郎とその家族が大正元年から11年まで住んだ家の一部解体保存の仕事が、今日で一応の目途がたった。
所有者のプライバシー保護のため、これについては一切具体的なものを公開しなかったが、解体して博物館に持ち込み、プレスリリースも終わり、今日から解禁。

最初は、1,2社にでも書いていただけたら、それが将来の展示につながれば、と思って計画したプレスリリースなのだが、驚くほどの反響で、新聞や通信社だけでなく、TVも毎日放送、京都放送、NHK京都と取材があった。

どうもみなさん西田や京都学派に興味があるらしい。若い女性の記者さんが西田旧宅の内部をみて、こんなところに住みたい、もったいない、と言っていたのが印象的だった。こういう人がもっと増えてくれればよいのだが。でも寒いですよーー。

それから、どうも二階外廊下を、僕が勝手に「哲学の廊下」と名付けたのが、面白がられたみたい。

この名前は、初めて内部に入り、廊下を行き来してみたときに突然浮かんだもの。

僕も考えに詰まると部屋の中をうろうろしながら考えるのだが、僕の家は、それほど大きくないので、歩きにくい。しかし、この廊下、歩いてみると、長さと幅が、考えながら歩くのに、実に具合がよかった。

で、「わー、こんな廊下があると考えるときに歩きやすいな。哲学の廊下だ!」と思った次第。

興味がある方は、http://www.shayashi.jp/nishidakitaroukyutaku/を見てください。

しかし、今日は、早朝から、講義が終わる6時まで、本当に忙しく、この5か月を象徴するような日だった。そのため4時半からの講義に少し遅れてしまった。今日は、僕が弁士になって ;-)、無声映画のSFの名品メトロポリスを見せる日だったので、映画を見る時間が10分ほど短くなり、学生さんたちは不満だったかも… ごめん!

しかし、福井工大の市川さんにも言ったのだが、実は、まだ、中間点。保存したものを展示できるようにして初めて仕事が完成する。

これは資金の問題もあり簡単にはできない…

がんばります!

おお、今日から、また、ブログが書けるぞ! :-D


2016年5月29日(日曜日)

ホトトギス忍音

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時08分30秒

土曜の夕方ごろ用事を終えて家に帰ってきたら山から不如帰忍音。
例年は夜中に窓を開けていて聞くのだが、本当は、
夕方から鳴いているんだな。

この4か月(5か月かも)ほど、最も時間を割いていたことに、
一応、今日で目途が立つ。


2016年1月15日(金曜日)

復帰!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時04分45秒

前回の投稿から、2ヶ月位のブランク。

最大の原因は、体調不良だが、その最大の原因が、意外なことに歯にあることが、
かかりつけの耳鼻科の先生(名医です。林以上にユニークですが(^^;):石川耳鼻科、東山区、京都)の
お蔭で分かり、これも日本のシステム外といえる保険診療が、あまり効かない歯科のクリニックを見つけて(この人も
凄いみたい。まだ、診てもらって浅いので、断定はできないが)、そちらに通い、今までの不調の原因の、
かなりの部分を解消できそう。

これにより、日本の保険システムがもつ、矛盾点を明瞭に認識できた。NISTEPに残留していてたら、
これで一つレポートが書けそうな話。ただ、そうなると厚生労働省との兼ね合いが難しいかも…
#こういう気遣いが必要なことが、日本の統治機構の最大の弱点!!!

今は、どうなのだろう?霞ヶ関も、かなり変わって来たという印象を経産省の「稼ぐ力」の担当者にお会いしてから、
感じているが、このセンスが、もし霞ヶ関全体に広がっていれば良いのだが…
#10年弱前の僕が知っている「官僚」は、皆、ネクタイをしていた。でも、稼ぐ力の人たちは、
#皆、ノーネクタイだった。この変化が、本質的ならば良いのだが…
#霞が関の最大の矛盾点は、奇妙なまでの等質性だから。
#規格外も、良いものだとおもえれば、認めて欲しい!!


2015年11月13日(金曜日)

RIETIプロジェクトと学習院西田史料調査2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時33分32秒

金曜日に京都学派資料の科研費で鎌倉、西田幾多郎旧宅、学習院寸心荘へ。その後、また、RIETI(そこからは、RIETIの予算)。
なぜか、また、このパターン。

寸心荘は、大正・昭和時代の家で、質素なものだが、子供の時代を思い出す懐かしい感じ。(僕は江戸期に作られて大正・昭和に手を入れたと思われる、商家として建てられた家で育った。)

管理をされている学習院の岡野先生にお世話になる。

と始まる投稿を書いていたのが、多分、「金曜日」である9月25日の数日後。
結局、この投稿は完成せず、このブログの投稿は2ヶ月ほど無しになってしまった。

こんなに間が空いたのは多分ブログを書き始めてから最初。
最大の理由は、おそらく、あまりに多くの
ことにコミットし過ぎて、デッドラインが集中してしまった
ことだが、これに兄が急逝したのに休講をしたくなくて(と言っても、
葬儀と重なる日時の講義は休講にせざるを得なかった)、1日しか忌引きを取らず、
JRで故郷の尾道と京都の間を何往復かしたこと。これで、すべての
スケジュールが大幅に崩れた。
#甥や姪の話では、今は、多くの会社で忌引きは配偶者の場合でも1日だけ
#とのこと。京大は昔のまま。労働環境の厳しさを感じる。

この間、石川県の西田幾多郎記念哲学館や金沢市のふるさと偉人館を訪問したりして、
燈影舎にお電話して、京都哲学選書の写真を使わせていただけることを確認したり、
多くの京都学派史料関係の情報を収集し、京都学派新アーカイブを開設するために、
十分なデータや写真など集めることができたのだが、その原稿を書けないでいる。

この間、講義のために西田哲学の勉強もせねばならず、まあ、そのために講義に
したともいえるのだが、色々と重なってかなり厳しい状況となってしまい、
数日前には強烈な眩暈で1,2時間、立てない状況となる。月曜日の深夜に
起きたのだが、影響で月曜日の二つの定例ミーティングはキャンセルし、
5時限目の講義だけなんとか済ませた。

これは、毎年の様に、この時期に一度は起きる症状の特別強いやつで、
お医者さんの話では副交感神経が上手く機能していないためらしい。
ストレスや疲労などから来るらしく、例年は、温度変化というストレスから、
天井が回って見えるような症状がでるのだが、すぐに治ることが多い。
しかし、今年のは立とうとしても平衡感覚が機能せず、立てないという
いままでない強い症状だったので、おそらくは非常に強いストレスが
かかっているのだろうと推測。田辺が「認識論的」な哲学から、
「社会形而上学的」な哲学に抜けていく契機として、身体論を
あげることが多いが、こういう時に、ハイデガー Ontologie的に、あるいは
西田的に認識することと、今の様に「ストレスから来た副交感神経の異常」
と理解して、さらに「最近、忙しすぎてストレスがかかりすぎている。
仕事をキャンセルするしかない」と判断することと、どちらが田辺などの
言葉でいう「抽象的」かというと、僕は、実は、前者の方ではないかと
思う。西田は自分を捨てて認識する、行動するというようなことを強調し、
これの重要性は明らかなのだが、どうも、それが西田の場合は、「哲学者であることの
実践」でとどまっている、田辺の場合は、それを超えようとするのだが、
やはり、「哲学者であることの実践」からは抜け出ていないと言う気がする。
この点で、戸坂などの方にシンパシーを感じるのだが、まあ、これは僕が
哲学者ではないのだから当たり前ではある。

科研費申請の時期が終わり、少し時間に余裕が出て来ているが、まだまだ、
色々と仕事が山積。若いころと違い、朝から晩まで、休まずに仕事というのが
出来なくなっているのがつらいが、なんとかやらねば…


2015年3月28日(土曜日)

また間違えて書いてしまった…

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時24分28秒

もうすぐに新学期が始まるので、準備のためにKULASISのシラバスを見ながら、講義の構想を練っていたら、また、人文社会科学を人文社会学と書いてしまっているのを発見(前期、月曜日5の特殊講義「ITと哲学の相即」)

僕は人文科学という言葉が嫌いで、必ず人文学というようにしているが、これが社会科学と合わさると、さすがに人文社会学ではおかしいので、仕方がないので人文社会科学と書くことにしているのだが、良く無意識に「科」を取ってしまう。これは今まで何度もやってしまった間違いだが、今回もやっていた…

シラバスを既に読んでいる学生さんたち、単なるケアレスミスですので、誤解の無い様に願います。


2014年10月9日(木曜日)

丸山君が白眉センター助教に

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時55分52秒

溝口君に続き、また、研究室での目出度い話。

オックスフォードに留学している丸山君が白眉研究員に採用され、
4月から同センター助教となる。基本的には研究しているのが仕事で
5年も継続できるのだから、こんないいポジションはなかなかない。
その間に文系の学位も文学研究科で取得予定。

僕が受け入れ教員なので、少し前から聞いていたが、今日見たら
発表されていたので、公開!


溝口君たちのプロジェクトがグッドデザインに!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時21分44秒

僕の専修の重要メンバーである学振研究員の溝口君が主催する「思い出サルベージ」が、
グッドデザイン賞を受賞。おめでとう!!

思い出サルベージこそは「デザイン・シンキング」の典型的な成功例だと思っているが、
それを自分で作り出してしまう溝口君には驚嘆する他ない。

で、そういうことを京大デザイン・スクールの中小路さんに話したら興味を示していた。
彼女の講義か何かで講演して欲しいとのこと。溝口君、一考お願いします。

こういう若い人たちが、さらなる高みを自然に目指す、そういう日本になって欲しい。


2014年9月6日(土曜日)

「20世紀現代数学とゲーデル」、序章、一章完成!!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時31分44秒

前回書いたような経緯で、数年前に引き受けた岩波新書の序章と1章が完成!!!

ここまで出来ると、後はテクニカルな問題が主になる。つまり、漸く、何をどう描くかが決まったということ。

しかし、ここまで20世紀の代数幾何学・数論の歴史と、集合論・論理学の歴史が重なるとは思わなかった。実に驚きだ。

フェレイロスの「思惟の迷宮(Labyrinth of Thought)」の翻訳プロジェクトと合わせて、これが日本の、もう維持できなくなった歴史観を変えてくれたらなー、と思う。

しかし、マックス・シェーラーが東北大学の教員として赴任する直前に書いたように、この国の人々は、実に保守的だ。良い意味の保守ではなく、単に、現状を維持したいとう言う意味の、姑息に保守的なのである。

しかしそれでも、僕等のような老人は退場していき、新しい世界が訪れる。それを信じよう…


2014年6月20日(金曜日)

自立ロボットと Umwelt

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時56分20秒

ついに、京大も後期から全科目授業評価をすることになった。別に悪いことではない。

僕は自分の授業はすべて全力投球している自信があるし、神戸大時代にエンターテイメントを目指してやった全学授業(250名位かな…質問票で後ろの人がうるさいので静かにさせてくださいとあった、そのうるさい声が僕には聞こえない位の広い部屋でやっていた)で、自分でも「あり得ない!」と思うほどの高い評価を貰ってから、あまり授業評価は信じない。そのころの全学授業は、TVの番組をモデルにしていた。

その様な状況で「受ける」のは、今の京大の状況ではどうでもよい。少数の学生しかいないが、こちらが考えさせられる質問が、高い確率で帰ってくる、今の状況での、質問票による学生たちとのインタラクションの充実の方が遥か意味があるし、そういう優秀な学生を持つことができない殆どの大学教員の方たちには申しわけないとは思うものの、この幸運を手放すつもりはない。

同僚たちはサバティカルを取るが、僕は賢い学生たちに話を聞いてもらえる権利を手放すなど短期間でも信じられない。授業があるお蔭で僕の学問はコンスタントに進む。実に有り難い。

で、前置きが長くなったが、月曜日の特殊講義が、自分でも滅茶苦茶面白いフェーズに突入してきた。Uexküll の Umwelt 概念が、ハイデガーの Sein und Zeit に関係があることは知っていたものの、これが現在の、計測やシステムとここまでピッタリ合うとは思わなかった。Uexküll は、アン・ハリントンの本によると、チェンバレンへの手紙で「太陽は自分の周りを廻る。それが subject としての自分の信念だ」という意味のことを言っているが、これを工学的に言い替えると「自律ロボットを制御するプログラムは、主観的アプロ―チを採らざるを得ない。利用できるセンサー・データは、自分の周り(Umwelt)に貼りついているセンサーしか前提できないだろう。それだけの外界データ、センサーデータだけで、ロボットを制御するとしたら、Uexküll の Umwelt 概念、Funkitionskreise の概念に依拠するしかないだろう」ということになる。やはり、工学は好きだな。現実が、理想を超えていくから!


2014年6月7日(土曜日)

”リアリスト”はユートピアン

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時01分56秒

今日、金3の演習で、沼田君がEdward Hallett Carrの有名な著作を紹介してくれたが、
改めて、リアリストとイデアリストの対立について考える…

カーは、僕ならば、イデオロギーと呼ぶだろうものを、ユートピア、ユートピアンと
呼ぶ。また、彼は、「リアリスト」を、あまりに極端な「リアリスト」の意味に使う。

カーの意味の「リアリスト」は、僕には、この世ではあり得ない、あってはいけないユートピアを
求め、その不存在に失望した、ユートピアンの裏返しとしての「リアリスト」に見える。
実は、そういう「リアリスト」は、隠れイデアリストなのである。

本当のリアリストは、そういうものではない。


2013年9月27日(金曜日)

来年度特殊講義予定

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時02分56秒

来年度の特集講義の計画 ver.2013.10.02

1.前期月曜日5の特殊講義
1.1.題名:再魔術化の概念
1.2.内容:1980年代以後に、歴史学、社会学で様々な形で登場した再魔術化の概念を概観し、その再検討と分析を行う。手法は、歴史社会学、および、社会哲学。
1.3.検討対象(増やす)
   Morris Berman history, sociology (social criticism?)
   Anne Harrington history of science
   George Ritzer sociology
   Alan Bryman Organisational and Social Research
など。
  直接、再魔術化と言っていないものも検討。Bryman は、それ。
  日本的経営。感情労働。WEB上の die Materie としての Scheler の
  Wissenssoziologie 的意味での集合知。
1.4.理論化:
ウェーバーのスケール的概念構成からすれば、2分的な、魔術 v.s. 脱魔術
  では世界は説明できないことは自明。しかし、ウェーバーは時間軸の未来を見ることが
  なく、しかも、脱魔術化が最高潮にかかる時代の人で、まずは、その分析が
  急務だったのだから、これが強調されないのは自然。
  しかし、それはウェーバー理論とは全く矛盾しない。
1.5.「再」の意味:
  これは広く言われていることだが、再は、もとに戻ることではない。
  田辺などの言い方での「否定」。肯定的変化。
1.6.ゲーデルの「左右と中央」論を、これに適用すると、現代的数学は、
  最初から再魔術化されていたことになるのか?この問題を解明。
  リーマンとワイルの Perle。クライン。
1.7.ハイデガーの位置: ハイデガー哲学は再魔術化か否か。
  京都学派の哲学者たちの位置は?西谷、田辺、西田、その他の人たち。
1.8.情報と再魔術化: なぜ情報技術は再魔術化を引き起こすのか。
   ハイデガー、ビノグラード。ハイデガーAIも調べる。

2.後期水曜日5の特殊講義
2.1.題名:田辺元と西谷啓治:ある思想の系譜
2.2.内容:
 西田と田辺、西田と西谷が比較議論されることは多い。しかし、田辺と西谷という
 テーマは、殆んど取り上げられることがなかったようの思われる。しかし、この
 二人は、ドイツに留学して同じハイデガーに師事し、その後、ハイデガー哲学との
 対峙が、その哲学の重要な柱となった人たちであるばかりか、西谷の回想からすると、
 西谷の子供たちが、子供がいなった田辺の家で遊ぶなど、個人的にも非常に近い
 関係にあったといえる。この近さは、その夫人同士の人間的近さの故らしいが、
 田辺のS19年の北軽井沢への疎開の際の京都から北軽井沢までの鉄道旅行の際、
 田辺と西谷が二人で間断なく哲学の議論を続けていたという逸話が記録されて
 いるように、その関係は個人的関係を超えたものがあったと考えられる。
  一方で、西谷の田辺への言及には、師に対する敬意とともに、明らかに「冷やか」な
 ものが感ぜられる。「田辺先生には、結局、これは解らぬ」というような西谷の
 田辺への視線が感ぜられるのである。それは田辺哲学の本質を見事の見切っていた、
 田辺に最も近かった、しかも、ハイデガーにも身近に接した宗教的哲学者の視線であり、
 その西谷の態度は、彼のニヒリズム論と密接に関連している。この両者の
 関係を、史料ベースの思想史の手法で解明する。
  西谷の「回互構造」は田辺の「切断構造」に形態的に非常に近い。
 また、西谷ニヒリズム論の「世界」概念も、田辺の図式「世界」論に近い。
 しかし、田辺と西谷の思想の根本的相違は、田辺の世界は、時間がハイデガーの
 時間であっても、西谷には、それはニヒリズムである点。西谷はハイデガーの
 存在と時間の思想さえ、ニヒリズムとする、というより、それこそがニヒリズムの
 頂点とするわけだから、ある意味では当然。
2.3.史料分析:田辺、西谷、書簡。西谷→田辺は下村文書。逆はないか?
 大谷大?特に西谷のドイツ時代と、戦後。
2.4.前置:この話の前置きとして、田辺の切断論の発生史を、新カント派と 
 その没落の思想史の中で説明。なぜ、田辺は、ハイデガーを微積分の哲学を使って
 批判したのか。その歴史的背景。そして、これが西谷の「世界」の概念の理解を
 通せば、田辺への冷やか視線に深く結びつく、ことの説明。


2012年8月25日(土曜日)

なんじゃこりゃ???!?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時06分55秒

この投稿、次の投稿で修正

Wikipedia のこの項目で、

ゲーデル研究者で京都大学教授の林晋は、東のゲーデルへの言及に「東浩紀の知的誠実さ、
そして、そもそもの知的能力を疑わせられる」とtwitterで激しく批判している。

とあったけど、僕は Twitter 使わないのだけれど….

ゲーデル研究者で京都大学教授の林晋は、これを書いた人の知的誠実さ知的能力を疑うと自身の
ブログでやんわり批判している、とか。 ;-)

この本、以前買ったが、ちゃんと読まなかったので批判することはない。
でも、東さんの別の著書をちゃんと読んで、昔の講義資料で批判して、
それをWEBに置いていたことはあります。
#著作権が問題にならない限り、僕は全部公開してしまいます。
#制限かけるの面倒くさいので。それを読んだ人が書いたのかな?

ただ、最近書いた中沢多様体哲学批判では、そんな感じの批判をしています。
#ただし、中沢さんの正しいところは評価しています。

僕は大変嫌味な人間ですが(嫌味を言うのが生きがい :hammer:)
正しいところは誰でも評価します。


2012年5月6日(日曜日)

京都学派のデータ何とか回復…できたかな?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時11分58秒

京都学派研究用のHDDの情報は何とか回復。どうもバッファか何かを持っていて、そこへの書き込みが間に合わないらしい。まだ1年たってないHDDなのに…. 修繕に出そうかと思ったが値段をみたら手間に合わないような気がして新しいものにかえることにした。今度はメーカーを変えよう。

しかし、壊れたディスクと、データの移転先のディスクの比較ができない。やろうとすると、読み出しの際にデータが失われるか、バッファへの書き込みが間に合わないらしい。量は膨大だし、うまく行っていると信じるしかなさそう。

数年間の年月と(この間、何度前橋までかよったか)、ウン百万円の予算をつぎ込んで作ったデータが1万円代のHDDの故障のためにとんだのではどうしようもない。もっとこまめにバックアップしなければ…

しかし、これのせいで、連休中の仕事の予定がかなりくるった。近藤先生の内海忠司日記のサーチ実験ができず…


思い出サルベージプロジェクト

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時49分30秒

6月6日水5の情報歴史社会学で、日本社会情報学会の東北震災支援
思い出サルベージプロジェクト
の活動を紹介をしていただけることになりました。プリゼンターは人間・環境学研究科吉田研究室の溝口佑爾さんです。

溝口君は、この活動を大黒さんという社会学者の視点を利用して、後期ルーマンのメディア論で理解しようとしているが、ルーマン・大黒・溝口の視点は、シェーラー、田辺、ハイデガーの社会哲学、技術論や、J. Dewey のmedia論などと、非常に深い関係がありそうだ。特に、ルーマンの形式とメディアの関係などが、月5の特殊講義「形式と実質の思想史」の内容に見事に連動する。実に、おもしろい!

溝口君と思い出サルベージについて色々と議論したときの覚書:

  1. 写真を残すというアイデアは、どこかのフィルム会社の人のアイデアらしい。
  2. しかし、各地にある同様のプロジェクトの発足は、それぞれの地域で異なりに別々に始まっている。主体もバラバラ。被災者がリードした所も、支援者がリードしたところもある。
  3. 写真も一種のメディア。家族の集合写真が親密圏のメディアとなる?
  4. 日本社会情報学会のチームは、こういう支援をすることは全く想定せずに被災地(山元町)に入った。そこで被災者の人たちの声によりプロジェクトが始まった。
  5. 写真をそうまでして残すというエートスか、海外の人には理解されないことがある。
  6. アメリカの人には、ハリケーンカトリーナの時には、こういうことがなかったといわれた。

2012年3月12日(月曜日)

『具体的』=直観的=実質的

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時10分33秒

二つ前の田辺の引用での「具体的」の使い方をみると、それが直観的というか、
演繹を経ずに直接にわかるものと読める。

演繹は否定的媒介とはことなる。否定的媒介は、たとえば、失敗により、
ある肯定的事実が「腑に落ちる」こと。これが直観。ブラウワーの
直観ではない。これは実は形式であり演繹。西田の純粋経験などと
同じで、形式が支配する現代へのアンチテーゼであるが、体系性を
得るために、それ自体が形式となっている。うーんと、西田は
体系的でないかも。個人の資質ですね。田辺は過剰に体系的であって、
また、歴史に翻弄されたために(歴史に「否定」(的に媒介)されたということ)、
体系的でなくなって「しまって」いるところがある。
#ハイデガーとかドゥルーズなどは、それを断ち切りたくて、
#ああいう文体になるのかも?しかし、それも結局形式になる。
#形式に抱きついて、しっかり抱え込み、ロデオをするしか、
#形式を超える道はないはず。うん?これギデンズだな。 :-D


2012年2月19日(日曜日)

来年度の追加アイテム(2)

存在とは「もの」とは?

「ものづくり歴史観」「ものづくり論」の観念性・狭小性。

形而上学的なものが存在かどうか。
ゲームを行う時、このアバターは実はCGが生成した
画素のパターンで…と考えるかどうか。それでゲームが
できるかどうか。DeNAのモバゲーのCMを見せる。
http://www.youtube.com/watch?v=rf5MpFxZyKY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yVHd0LT5zjU
http://www.youtube.com/watch?v=I6UXRZPBl8o&feature=related

ゲームができないならば、Wordはできるか?アイコンの認識は?
ものとは?世界観とは?

アイコンと数や円、点、を比べてみよ。


数学的にテンソルが行列式の発展(2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時26分51秒

「ここが佐藤の論文,Voigtの本ではどう説明されているかチェック。
行列式のシグマ使い方から、テンソルのそれができたのか?
形式的には確かに行列式は、特殊例(0,N)−型テンソルでそれでよい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor
しかし、発展といっているので、これは田辺の数学史の認識の問題になる。調べる!」
という点について。

どうも行列式の研究からテンソル計算が生まれたということはなさそう。
ルーツの一つは不変式論とか代数形式(ヒルベルト!)らしい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor#History
Die Entwicklung des Tensorkalküls, Karin Reich:
http://books.google.co.jp/books?id=O6lixBzbc0gC&redir_esc=y
大学にない!
しかし、Google Books!!
http://books.google.co.jp/books?hl=ja&lr=&id=O6lixBzbc0gC&oi=fnd&pg=PA11&dq=Die+Entstehung+des+Tensorkalk%C3%BCls&ots=z4o8wcWlw9&sig=J57YrpH6tJwbgSfJ3Ga4V1uqO2o#v=onepage&q=Die%20Entstehung%20des%20Tensorkalk%C3%BCls&f=false

数学史的には関係ないらしい。しかし、佐藤、田辺がどうおもっていたかは別。

しかし、おそらくは、「発展」は「拡張」の意味。


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