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2018年11月8日(木曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(4)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時53分38秒

満原さんからの、ドイツ語の間違いの指摘で、先週金2で修正したのを
覚えていた単語まで間違えているので、問い合わせてみたら、
ファイルの送付ミスで、ファイルが古かったことが判明。

これもやはり間違いが多いのだが、一応、最新版を再掲示:

画像

翻刻テキスト

$46$ ハ否定ノApscheidung ,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:reng
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ実間?ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:userlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. (2018/10/19この少しあとまで)PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektiche Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomischノdialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphisik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphisik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガals ahi…シ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(3)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時11分50秒

二つ前の投稿の翻刻のドイツ語の綴りなどが、かなり間違えていると、
西田幾多郎新資料プロジェクトの研究員の満原さん(日本哲学史)から、
指摘をもらう。満原さんからのメモ:

$46$ Apscheidung → Abscheidung
$46$ Entgegen@@zig →
Entgegensetzig?(こんなドイツ語あると思えませんが、Entgegensa:tzigならありうるかもです)
$52$ Inha:reng → Inha:renz
$58$ A:userlichkeit → A:usserlichkeit
$63$ dialektiche → dialektische
$64$ Nonpra:dikatibita:t → Nonpra:dikabilita:t
$65$ antinomischノ → antinomisch,
$66$ Metaphisik → Metaphysik
$68$ Metaphisik → Metaphysik
$82$ als ahi … → abscheiden(?)

この部分の担当の澤崎君がドイツ語をやったことがない人なので、
これは仕方がない。いつもは、ドイツ語ができる人で、演習中に
直すのだが、この部分は内容の方に意識が行って、綴りは、
殆ど無視してしまっていた。ただ、Nonpra:dikabilita:t
は、もしかしたら、僕が間違えたのかも。(^^;)


2018年11月5日(月曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時05分06秒

一つ前の投稿について、もう少し。

田辺は、1934年、つまり、種の論理が生まれた昭和9年に出版された Heyting の

Mathematische Grundlagenforschung Intuitionismus Beweistheorie 1934 Springer

を読んで、直観主義連続体と直観主義実数の関係が、種と個との関係に似ていることに気が付き、
そういう書き込みをした。

そして、その時から、数理の概念、つまり、連続体や実数が、種の論理を導き始めたと思っていた。

その様に、論文にも書いている。

つまり、直観主義連続体論が、人間の意志さえ数学に持ち込むことができる、
非常に特殊な連続体論であるために、この様なことがおきた。
通常の連続体、田辺が外延的と Heyting の本に書き込んだメモでは書かれている
連続体では、種の論理を先導できないので、種の論理を先導した数理とは、
直観主義連続体論でなくてはいけないと思っていたのだが(論文にもそう書いている)、
岩波数学講座で切断と弁証法を関連づけたあたりから、直観主義連続体と関係なく、
内包的な連続体を考えていたという可能性が高い。

昭和9年講座の史料(ひとつ前の投稿に、その一部分を張り付けている史料)での

数学ノGrundlagenforschungガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ免レヌ如クantinomischノdialektischナリ.

の意味することだろう。(a:はäの田辺演習での略記方法)

ようするに、僕の当初の「より穏便なシナリオ」は、ほぼ崩れ、
「過激なシナリオ」の方が正しい蓋然性が極めて高くなった。

田辺元…

なんと過激な人なのだろう…


2018年11月4日(日曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時44分35秒

 先週金曜日の田辺元演習で澤崎君が報告してくれた昭和9年田辺特殊講義の準備ノートに、
さらに数学基礎論への言及がみつかる。これで、昭和29年の「数理の歴史主義転回
―数学基礎論覚書―」における数学の基礎についての田辺の意見で特徴的なものは、
すべてそろったといえる。

そして、その記述や、それを取り巻く種の論理の構造を
構築している記述からして、驚くべきことに、田辺が昭和10年代に、
「数学基礎論が種の論理の展開を指導した」と書いたことの意味が、
僕が今まで想定していて、論文でもそう書いていた

種の論理は昭和9年(度)に社会哲学として生まれ、その後、Heyting のBrouwer
連続体論の説明を通して、数学との関連が意識されるようになり、
その後の種の論理の発展を指導した。

ではなくて、

数理、特に連続体の数学基礎論などの数学基礎論的考察が、昭和9年に
種の論理の誕生をガイドした。

と読み替えるべきのようだ。

あまりのことに、唯々、驚くしかない。

しかし、この時代としても、田辺はすでに古臭いといえるが、
まあギリギリ、そういう時代だったともいえるのかもしれない。

西谷が、その様な印象を持っていて、また、田辺とハイデガーの詩論を比較するときに書いているように、
田辺の哲学は徹頭徹尾数理から生まれてきているのかもしれない。

ただ、この数理の影響を、マールブルグ学派の様に、あからさまに見せなかったところに、
やはり、時代の変化があるのだろう。

まだ、見つかったばかりで、さらなる分析が必要だが、とりあえず、概要を以下に報告する。

田辺研究の方向性に影響を与える史料だから、研究が完成した後で、などと言わずに、
どこかで報告しておく必要がありそうだ。日本哲学史研究か、西田哲学会あたりか?

オリジナルと翻刻をSMART−GSで表示したものの画像がこれ:
(2018.11.08に翻刻が最新版でなかったことが判明。ファイルの送付ミス。
投稿「数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(4)」に最新版を掲示)

まだ検討は必要だが、種の論理における類種個の構造を
Sein Nichts Werden 三者に対応させている所があり、前後からして、
種の論理が、数理、しかも、Heyting の著作以前の、田辺の連続体理解に、
影響を及ぼした可能性が高い。

以下、該当箇所のとりあえずの翻刻(京大文、田辺元研究会)。

$40$ 種ノ論理ノ特色ハWeltヲLebenヤ
$41$ Dasein(人間存在)ヤNichtsヲ媒介トシテ考フルニアラズシテ
$42$ m speziale Gemeinschaft ヲ媒介トシ世界ヲ社会ノ
$43$ 媒介ニ於テ考ヘントスルナリ.
(2018.10.12)
$44$ ◎Weltヲ実?トシテ時間ニテ考フルガLebensphil.
$45$ ExistenzialseinノMystikニ普通ノ考方ナリDialektik
$46$ ハ否定ノApscheidung ,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:reng
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ実間?ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:userlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektiche Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomischノdialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphisik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphisik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガals ahi…シ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


2018年10月18日(木曜日)

西田幾多郎についての展示会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時32分49秒

9月4日から、時計台一階の歴史展示室で、次の展示を開催中。

これはかほく市の西田哲学館の主催で京大文書館が共催、文学研究科が協力、で開催されている。

人づてに聞いた話では、展示室のレセプションに、この展示についての問い合わせの電話が良くかかってきているとのこと。新聞(朝日、毎日)やNHKテレビで報道されたので、その影響もあるのだろう。

展示の様子は、こんな感じ:

入口の表示板




西

東の展示ケースの中に本がみえるが、これが西田が三高を卒業したばかりで、京都帝国大学への入学を待っていた長男の謙さんが病気で急逝した際に、三高図書館に寄贈した本の一つ。

謙さんの写真と西田が悲嘆にくれて詠んだ短歌が幾つか、西田の肉筆で書かれている。

これらの歌は、よく知られているが、それを西田の直筆で謙さんの写真とともに見ると、西田の深い悲嘆が伝わってくる。

これは三高図書館の歴史を引き継ぐ吉田南図書館に貴重書として保管されているもので、今回、これを史料館の依頼で特別に出していただいた。

画像は京大のルールで、画像を、京都学派アーカイブとか、このブログに置くことはできないのだが、吉田南図書館の、このお知らせにでているので、その画像をembed で表示。

最初の写真には、三高の帽子を被った謙さんの写真の左右に五首の和歌がある。その三番目のものと五番目が次のもの:

  垢つきて 仮名付多き 教科書も 貴きものと 筐におさめぬ

  徒らに むくろ残りて 人並に のみて食いて 笑いてぞ居る

筐は、箱のこと。この二首の和歌の意味としては、上のものが、「垢がついて汚くなった、漢字に仮名でルビを多く書き込んだ教科書も、謙が死んでしまった今では、貴いものと思われて遺品の箱に納めた」、下の方のものは、「謙は亡くなったが、私の肉体だけは、いたずらに残ってしまい、人並みに食って飲んで笑っている。しかし、私はもう抜け殻なのだ」となる。

実物を見ると、西田の深い悲しみが、心にひしひしと迫ってくる。西田は本当に深い感性を持った人物だったようだ。それが、三木の様な若者たちを引き付けて京都学派が形成されたのだろう。

展示は11月4日までです。入場無料。京都に近い方、京都にお出でる予定がある方、是非、お立ち寄りください。


2018年8月27日(月曜日)

日本でも本物のイノベーション!

日経ビジネスからのメールを見ていて、気になるタイトルを見つけたので読む。これ:

「がっかりな」機械に記者たちが感心した理由

これこそが、本物のイノベーション!!

気負いがない自然体なのがいい。やりたいのは農業、イノベーションではないのだから。そういう所に、本当のイノベーションが生まれる。

日産の e-power といい、日本でも自然にこういうものが出るようになってきたのだろうか。

多分、世代が変わってきたのだろう。

現場発「地味な発明」こそ、農業を救う ベンチャー農匠ナビ開発の自動給水機 過度な機能は排除


2018年7月7日(土曜日)

大雨の中、田辺演習、なんと、Hilbert!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時15分10秒

昨夜からの大雨で、京津線は止まっているらしく、これは休講になるかと思って、
WEBで調べたら、どうも休講ではないらしく、念のため、総務と教務に電話したら、
通常どおりとのこと。

また、担当者の吉水君もやるつもりとのことで、田辺元演習のために登校準備。
こういうときは地元のタクシーを呼ぶのだが、いつもすぐ来てくれるタクシー会社が、
ずっと話中…

大慌てで地下鉄へ、改札口に近づいたところで、電車が出る音が聞こえた。
で、7分待ち。いつもならば、多分、乗り入れている京津線の電車が
くるところなのだろう。

東山三条では、幸い、すぐタクシーをつかまえることができて、
結局20分以上遅れて、ようやく研究室へ。

で、昭和9年講座(講義のこと)、27頁S09_027.jpg に、
すごいものが2つみつかる。

最初はのものは、これ
種の論理と世界

種の論理の特徴を、生の哲学、ハイデガー、西田などを意識して、
書いており、Welt(世界)を社会から考えることとしている。
これは後の「論理の社会存在論的構造」(昭和11年)ででてくるテーゼだが、
なんと、種の論理が建設され始める、その最初から、これが準備されていたことになる。

Welt 世界とは、田辺が数物と呼ぶ、数学や自然科学が入っていて、
社会学の論理で、自然科学の論理を解明するということになっていて、
通常の考え方の逆なので、「論理の社会存在論的構造」では、
ノイラートの統一科学などを持ち出して「弁明」をしているのだが、
かなり、無理がある議論に見えるので、種の論理を進めて行って、
少し勇み足気味に、数物にまで言及したのだろうと思っていたのだが、
実は、種の論理が、まだ、形作られてない時から、社会→数物が、
意識されていたらしい。

さらに驚いたのが、これ
Hilbert
まだ、完全には読めてないのだが、ヒルベルトの公理論を、
歴史、社会、進歩に関連づけて議論していることは確か。
もし、ヒルベルト公理論に、公理の自由性の故に、そこに
歴史が入ると言う意味ならば、これは戦後の「数理の歴史主義展開」
のテーゼ、そのものだ。

ここまで種の論理の最初に準備されていたとは、本当に驚いた。

以前から、僕は田辺を「螺旋の哲学者」と呼んでいるが、これは、
田辺が同じテーマに何度も立ち返りながら、段々と議論を進化
させるから。

例えば、戦後、田辺は種の論理を真宗の往相還相で改変するのだが、
この内、還相は、浄土の先達が、この世に戻る、つまりは、菩薩となる
ことと理解できるが、実は、昭和9年の「社会存在の論理」には、
すでに「菩薩道」という言葉がある。

田辺は、色々の可能性をいくつも考えて、その中から、適切なものを
選んで理論を組み立てているらしい。それで、古い時期の傍系的
ものが、随分、年月を経て、新たな主題として採用されるということが
よくある。

しかし、まさか、数理の歴史主義展開まで、種の論理の建設時に
考えられていたとは…

ビックリ!!!  :-o

こういう、あっと驚くようなものが、突然見つかるのが、
一次史料ベースの歴史学の醍醐味で、これがあるからやめられない。 :-)

午後、講義のために教室に行ったら、休講の張り紙。
なんでも、12時台の終わりころに吉田学区に避難勧告が
出たので、休講になったとのこと。

どうせかなり離れた東山かどこかの崖が危なくて、
そのために出た避難勧告だろう、なんと大げさな、
それなら朝から休講にしてくれと、思って、
後で調べたら、何と神楽岡(吉田山)の西側が
土砂災害警戒区域になっていた。

がけ崩れが、想定より酷ければ、情報学の建物あたり
まで土砂が来る可能性がある。

考えてみれば、白川通を超えるから、東山は吉田学区ではない。

なるほどと納得。
#調べたら、真如堂も吉田ではなかった。
#神楽岡通で分かれているらしい。

これを書いている夜中には、雨も上がり、
鴨川の水位も下がってきているようだ。
ただ、桂川は大変らしい。


2018年6月29日(金曜日)

砂礫質台地

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時48分40秒

以前から、地震の際の危険度を理解するために、自宅の地域の地質を知りたかったのだが、
それが分かるサイトがあることを、遅ればせながら発見。

それによると、僕の自宅の辺りの地質は、砂礫質台地というらしい。疎水沿いの散歩道を
歩くと、そういう堆積した砂礫からなる地層を目にするので、これは非常に納得。

この地質は、山地やら岩盤やらに次いで地震に強い地質らしい。

それで阪神大震災の際に、今回の大阪の地震より強い揺れがありながら、ほとんど何も
倒れず、近所の方たちとも「報道されている、京都の震度ほど、大きな揺れでしたかね?」と、
話しあっていた理由も説明できる。

今回は、揺れの波長が小さかったために、逆に、軽いものが沢山落ちたので、
補修したのに、家が地震に弱くなったのか、と心配してしまったが、
取り越し苦労だったようだ。

まずは、一安心。 :-)


2018年6月20日(水曜日)

リゾーム、地震被害

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時58分25秒

注文したリゾームが週末に来る。
1977年版で見たはずの挿絵の様なものがない。
復刻でなくて、再版だからだろう。
あるいは、別の本だったのか?
覚えているのは、絵と題名だけだから、
確認のしようがない。それにしても、
1977年版は、古書として出るとすぐ売れる
らしい。

月曜日は関西大高槻キャンパスで講義なのだが、
早朝に地震で休講。

京大は、創立記念日で、閉まっていたのだが、
家で色々なものが落下したので、整理整頓が
できておらず、書類など積み上げている研究室が
心配になって午後に登校。

いろいろ、落ちたり、倒れたりしていて、
多くは無事だったが、京大招き猫が落ちて割れていたので掃除。
neko

関西大高槻は明日、木曜日から、講義を再開とのこと。
来週月曜日も、まだ、余震があるかな??


2018年6月15日(金曜日)

「リゾーム」復刻版の古書を注文

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時16分59秒

学生、院生が就活で忙しく開くことができなかった田辺演習を再開。
情報・史料学は、昨年度、募集停止にしたので、4回生とM2しかいないために、
こういうことになってしまった。昨年からの顔ぶれが半分位だが、
日哲の院生さんが新メンバーとして参加。ドイツ語も良くできるようで、
初回から良く読めていた。立派。

今年は数学をやっている北部キャンパスの院生さんも参加してくれている。
それで演習後にツェルメロとハイデガーの逸話などを少し話す。
やはり、意外に響くらしい。

僕には、もう当たり前のことになってしまっていて、特に話すまでもない、
と、ついそう思ってしまうことの一つだ。皆の反応からして、
多くの人が面白いと思うはずだし、また、文系は国立大から出ていけと
聞こえるような提言がでるような、この時代には広く知ってもらうことに
意味があることの一つだろう。

不完全性定理が濃密だった哲学と数学の交流を最終的に切り離したという、
僕の説に基づく岩波新書「ゲーデルの不完全性定理」、
早く書かねば!

それにしても、人文知と科学技術の乖離は大きい、というより、広がるばかりか…

先日、サントリー財団の堂島サロンでお会いした、経済学者の猪木武徳先生から、人文知の復興のような
ことを書く本のシリーズ(ただし、数冊)を作るので、一冊書いて欲しいと依頼を頂く。本当に書けるか、
もう、言いたいことは書いてしまったのでは、と思って、少し躊躇していたのだが、もう一度考えて
みたら、実は、書いてないことが沢山あることに気が付く。京大文に在籍中に考えたことの
大半は、実は、本とか論文になってなくて、僕の講義資料の中にのみあることに
自分では気が付かなくて、もう、どこかで公表した様に誤って認識していたことに気が付く。 :-(

これは、困ったことだが、しかし、定年後、本にすべきストックが沢山あることに、
今頃、漸く気が付く。人間の自己理解なんていい加減なものだ。
猪木先生のお陰で、これに気が付けてよかった。 :-)

僕の講義資料は、書籍並みに詳しいので、つい、書いた気になっていたらしい。
考えてみると、2回生用の「情報歴史社会学入門」と、タイトルは、もう忘れて
しまった「ITと哲学の関係」の講義を組みわせると、ちょうど良いことに気が付く。
後者は、論文にする予定だったのだが、講義を終わったら、あまりにも当たり前の
ことに思えてきて、面白くなくなって、今まで書いていなかった。当たりまえというのは、
たとえば、トニー・ホーアさんが、オブジェクト指向の祖となるようなことを、
最初に提案した文章をみると、用語や考え方に明らかに、伝統的論理学の影響が見えることなど。

で、これは、英米人などに言うと、「林は、また、当たりまえのことを大変そうに言っている」
と言われるのではないか、と思い書くのを止めた。

それが、今回は、日本の情報技術者に、ITが如何に伝統論理学などから影響を受けているかを
示すための客観的証拠に使えることに気が付く。この場合、当たりまえだから良い!
ということで、お引き受けすることして、それで先週だったか、先々週だったかに、
進々堂でお会いして、内容など相談。小林道夫先生や、中馬さん、久米さんなど、
共通の知人が多くて、話が弾んだ。

猪木先生が、僕に声をかけてくださったのは、文理の両方を専門的にやった人間だから。

そのためだったか、何かの偶然だったか、WEBブラウジングしていて、立教大学の
数学の学生だったころだと思うが、要町の交差点の北東の角にあった小さな本屋で
買って、読んで衝撃をうけ、思考法が大きく変わった、ある本が、そのころあった
雑誌エピステーメーの臨時増刊号「リゾーム」であったことに気が付く。

記憶に残っていたのは、おそらく訳本にだけあるのだろうが、ペンで描いたような地下茎を意味する
らしい、くしゃくしゃの線の塊と、題名が地下茎リゾームだということ、そして、エピステーメーという
雑誌の名前、それから、これを元に、数学は複数の星雲から成り立ち、ある星雲は、他の星雲を観測できて、
それは互いに、観測可能で、これが中心という場所はないのだ、という考え方にたどり着いたこと。
まあ、要するには、直観主義数学も、古典論理に基づく標準的数学も、哲学的には同じ価値を
持つという思想。

で、もう一つ記憶があって、その本を読みつつ、数学ではなくて、こういうことを
やって生きていけたらいいな、と一瞬思ったこと。数学で食えるかどうかも分からなかった
修士の学生には、それは絵空事で、すぐさま、頭から外したが、記憶は鮮明に残っている。

で、その「リゾーム」、どうやらドゥルーズ・ガタリの「千のプラトー」の序になった
文章らしい。また、出版が1977年で、ちょうど、僕の最初の論文(というより報告、学士院
紀要なので)が出た年。ということで、おそらく、あれは立教大学の修士の2年生ことの話だと
気が付いた次第。それまでは、学部生のときだったのか、院生のときだったのかも、思いだせ
なかった。

で、僕は、この論文で、「千のプラトー」について書いているわけで、
修士の院生だったころの一瞬の夢が、実現していることに気が付いて驚く。

こういう時、歴史家なので、ちゃんと確認したくなる。で、1977年刊の朝日出版社の
「リゾーム」が、本当に僕の記憶の「リゾーム」なのか、確認しておこうと思い、
田辺演習後に、教育の図書館にある学内唯一らしい、それを、Kulineで検索して
みたら、貸し出し中…

アマゾンでみたら、1987年の復刻版が古書ででていたので注文。明日には来るだろう。


2018年6月4日(月曜日)

物書きになるか!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時58分49秒

もうすぐ65歳になり、今年度の末で定年退職になる。

その後、どうするのですか、と聞かれることが増えているが、予定はない。

昔ならば、どこかの私大に就職するところだろうが、今時は、僕程度の学者では、なかなか、そういう声はかからない。

年金だけでは、少し心もとないので、何か働くべきだと、色々と思案してみたが、やはり物書きが一番良いように思う。

実は、30代、龍谷大学の教員だったころ、あまりに働きすぎて、ダウンしてしまい、1,2年使いものにならなかったことがある。そのころ、よく言われていた燃えつき症候群になってしまったのである。

幸い、その後、神戸大に移って、亡くなったKさんの贔屓のお陰で、随分、サボれたので、回復して、今に至っている。

その頃、考えていたのが、大学を辞めて物書きになり、それで生きていくこと。つまり、本を書いて、印税で生きていくという人生。

それで、真剣に、どれだけ本を書けば食べていけるか計算していた。

その結果は、かなりシビアであった。

実は、岳父の八杉龍一が、まさに、そういう風に生きて、家族を養っていた。

龍一は、本当に素晴らしい人で、山口昌哉先生とともに、学者としての僕の目標なのだが、八杉の母に、そういう生活の厳しさを諭されて、そういう路線は諦めた。

実際、物書きだけで家族を養うのは、本当に大変で、ギャンブルの様なところがある。それをできた八杉龍一は、やはり素晴らしい人物だと思うが、年取って、少しは物事がわかるようになった今、義母の心配がよくわかる。

僕の場合は、年金に幾ばくかをプラスすれば良いだけなので、何とかなる可能性がある。

と、いうことで、これからは、一般向け解説書の著者モードに移行したいと思っている。

その矢先に、割烹飯田の予約が年内一杯ということを知る。

今日、パートナーが、以前の様に、予約の電話をしたら、年内は、一杯とのこと。

段々、予約が難しくはなっていたが、これは異常だ。多分、ミシュラン三ツ星の効果で、わけも分からない人たちが、予約を入れているのだろう。これでは、以前のように飯田で食事をするのは、ほぼ、無理だ。悲しいことだが、仕方がない。

以前、もう、20−30年前だと思うが、好きだった、三つのお店が、閉店した。

木屋町のとんかつ一番、三条小橋西詰の望月本舗、そして、岡崎道の「きんこうあん」というおはぎ屋さん。

京都のものは、悠久と思っていたので、ちょっとショックだったのだが、考えてみると、どれも新興のお店ばかりだった。2代以上続いていたのは、望月本舗だけで、これも明治だったか、その頃の操業。他の二つは、一代限りのお店だった。物事はうつろうと感じた。

庭の桜を切らないといけないこと。べにやや島田さんの火事といい、錦に押し掛けるあまりの多くの観光客に辟易して、
錦に行くことが極端に減ったことといい、その時以来、生活が大きく変わりつつあるのを感じる。

時代は変わる。

老人が、消えていくのに従い、若い人たち、たとえば、橋本君などが、時代の中心に躍り出てくれればよい。

そうなって欲しいところだ。


2018年6月2日(土曜日)

西田幾多郎新資料

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時55分48秒

西田幾多郎のお孫さんで、2016年に亡くなった西田幾久彦さんが、西田哲学館に寄託された新資料を、金沢大学、京大、そして、哲学館で、補修・翻刻している。

寄託されたのが、二年ほど前で、田中上柳町の西田旧宅の保全活動で、大忙しになる前の静かな頃の話だと記憶している。

その時、二度目の哲学館訪問をして、一度目は福井での湯治のついでだったのだが、この時は、当時の館長さんや、学芸員の山名田さんにも初めてお会いした。僕の講義や演習によく出てきてくれていた、日本哲学史専修出身の中嶋君も、すでに哲学館の研究員となっていた時期で、彼とも再会。

宇野気の駅まで送ってもらって、駅前に停車しているときに、そういう史料の存在を聞き、協力の打診をされた。当然ながらOKの返事を即答した。

史料というものは、期待していても、何もなかったり、あるいは、あっても大したことがないことが多いのだが、ヒットするときは、本当に凄まじくヒットする。

それで、今回の史料が、西田幾多郎という、日本の哲学史の中で、一番の有名人で、大部の全集も出版されている人物が残したものとして、どれだけの価値があるものか、それが問題だった。

しかし、兎に角、日本の哲学、哲学史の人たちは、一次資料を軽視するということは、良く知っていたので、これは、基本的に歴史家である、僕がかかわる必要があると判断して、その場でOKを伝えたように思う。

そして、それが今、初めて、社会に公開されたわけだ。

今まで、いろいろなメディアから問い合わせがあったが、今日、最後まで、僕に連絡がなかった、M社から連絡があり、これで、全国紙が勢揃い。これの一部でもよいから、金沢版、北陸版でなくて、全国版の記事になると良いのだが。それは今の所不明。


2018年5月29日(火曜日)

アローの一般不可能性定理

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時14分24秒

経済学に「アローの一般不可能性定理」というものがあり、これがゲーデルの不完全性定理や、
ハイゼンベルクの不確定性原理などの、何かが本質的にできない、ということを主張する定理の一つ
として有名である。

何が、この定理を有名にしているかと言うと、「アローの定理は民主主義は不可能であることを示す」と理解されているからである。

この議論、前々から、実に馬鹿げていると思っていたのだが、それを経済学の社会選考理論などを知らない人たちにも理解してもらえる良い議論はないものかと、以前から思っていたのだが、それを考えつけたようなので、一応書いておく。

アローの定理が、民主主義の不可能性を証明しているという、この主張は、全く馬鹿げた主張で、単に、経済学者ケニース・アローが、「非独裁性」と名付けた条件が、一人歩きしているだけのことなのである。

簡単に言ってしまうと、アローが言っていることは、トーナメント制のゲームだと、誰かひとりがチャンピオンになる。そういうのとまったく同じ理屈なのである。

アローは、「独裁者」を、「その人が選ぶ社会的なオーダーが、その人が属す社会の多数派の選ぶオーダーと同じ(正確には、その人が選んだオーダーが、必ず、多数派が選ぶオーダーになること)になる、そういう人」として定義した。

おそらく、アローは、半ば冗談で、そういう命名をしたのではないかと、僕は思うが、これは実に馬鹿げた定義だ。

独裁者というのは、その権力により、自分の判断を他者に押し付けることができる人のことだが、実は、
アローの一般不可能性定理が証明される社会選考論の数理モデルには、そういう「他者に押し付ける」という
「権力」という行為が全く反映されていない。

つまり、アローが使ったモデルでは、「独裁者」について語ることが、もともと無理なのである。

しかし、なぜが、アローが、「独裁」という言葉を使ってしまったために、誤解が起きているだけなのである。

以前から、これは、不完全性定理などに比べ、無理がある限界論だなと、感じていたアローの定理が
民主主義の不可能性を証明するという主張の無意味さを、難しい数理の話は抜きにして、
説明できることはないかと考えていたのだが、それをできそうなので、このブログの投稿を書いている。

アローの定理の前提条件の中で、「ある人の意見が、必ず、社会の多数派の意見に反映されている」
という、「ある人」を独裁者と呼び、その様な独裁者は存在しない、という「非独裁者性」が民主主義の
前提条件の一つだ、と解釈すれば、アローの定理が、民主主義の不可能性を示す定理だといえる。

しかし、実際には、このアローの定理の「独裁者」の定義に無理がある。そういうことに過ぎない。

例えば、アローが使った数理モデルを反映する、ある現実の社会で、ある人物の意見が、
社会が行う選考、たとえば、選挙結果を完全に予測していたとしよう。アローの定理は、
実は、そういう人間が一人はいるという定理なのである。

しかし、そういう社会で、ある個人が、社会全体の選考(たとえば、選挙)を予測、あるいは、
強制している様に見えたら、その人物を「独裁者候補生」として、危険視して、たとえば、
投獄するとか、死刑にするとか、そういう制度がある社会を夢想することは可能である。

これはアローの数理モデルに何も矛盾しない。そうするとアローの定理が意味していることは、
そういう法的システムを持つ社会、国家では、気の毒なことに、どのように頑張っても、
この制度のために、投獄されるとか、死刑になるとか、そういう「罰」を受けてしまう人が、
少なくとも一人いる、という定理になる。

この被告人を、「独裁者」と呼びたい人がどれだけいるだろうか?


2018年5月27日(日曜日)

使う側の心の問題

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時35分21秒

今朝の京都新聞の「天眼」に生物学者で歌人の永田和宏京都産業大学教授が、WEBやDBのサービスで論文などが集めやすくなったが、そのために、ふとしたことで、今目的としているものでない情報に出会う機会が減っているのではないか、という文章を書かれていた。

永田さんは、連れ合いの八杉の家と何かと関係があって(岳父龍一も生物学者で歌人だった)、僕の家でも話題になることが多く、また、書かれる文章も好きなものが多いのだが、この文章には落胆。

IT、特にWEBやSNSが人々の関心を蛸壺化しているというのは、実際に起きていて、情報学の研究対象にもなっている現象だが、これは実は、ITの問題ではなくて、それを使う側の問題だ。この現象の原因をITに求めるのは、間違いで、特に研究者の様に、知性で生きる人が、それではいけないと思う。まあ、そういう意図の文章だったのかもしれないが、ITが悪い、便利なったのが悪いとも読めた。

実は、WEBなどは、多様な情報、自分とは関係がないと思っていたが、実は関係がある情報を集めるのに、非常に役立つツールだ。

僕が典型例で、ITと、それを使うスキルをもっていなれば、元数学者・工学者の僕が、今のような、歴史、それも京都学派の思想史など、とてもできなかった。歴史学や、古典にITが適用されるようになった、その時代に、たまたま、歴史学のプロになったという、大変な偶然のお陰で、今のようなことができている。

昨日も、今、他の機関と共同で翻刻・解析をやっている、ある哲学者の残した史料(奥歯にものが挟まったような言い方ですが、あと数日でプレスリリースのため、それまで秘密 :-)。リリースされたら書きます)の一つが、Kuno Fisher の哲学書の読書ノートであることを、WEBサーチと、その哲学書(1865年刊)の電子化されて Google Play で数百円で売られていた検索可能なテキストを利用して、1時間もかけずに発見できた(archive.org にも無料版があるが、OCRのかけ方が酷くて、テキストが使い物にならない。Fraktur だからか?Google は、Fraktur もちゃんと読んでいる。)

Kuno Fisher は名前程度しか知らない僕が、ITなしで、同じことをするのは、まず不可能だろう。それが1時間もかからずにできる。これがITの力だ。

ITで蛸壺化が起きるのは、求めるものを fix して、求める努力を減らすからで、情報を求める努力を減らさず、求めるものに上限を置かなければ、得られる情報は増える。つまり、同じ情報を10分の1の手間と努力で得るのでなくて、同じ手間と努力で10倍あるいは100倍の情報を得る。それがITの正しい使い方だ。

そして、世界の研究者や、意欲ある人々の多くは、そう使っているのだが、なぜか、日本では、逆の使い方をしている人が多いように思う。なぜだろうか…。それがいつも疑問なのだが、答えがない。

ただ、Max Scheler が、日本について「保守的な人民を、革新的な官僚たちが引っ張っている国だ」という意味のことを書いていた。これは第2次世界大戦前の話。日本人の本性なのだろうか…。


2018年5月24日(木曜日)

ホトトギス 初音、庭の桜

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時36分42秒

今朝(正確には、昨日の朝)、家を出たら花山の方向からホトトギスの声。

近くに聞こえるが、声は小さく、おそらく花山だろうとおもう。
耳管開放症で、左右の聞こえ方が違うので、音の来る方向が分からない、
あるいは、違う方向から聞こえる、ということが良くある。
近くに聞こえたのは、その為だろう。

山科は平安の時代より、ホトトギスの名所だが、今も、
それは続いている。当然ながら、鶯も多い。

以前は、夜中に仕事をしていると、ホトトギスの初音が
聞こえて来たのだが、2年ほど前にインナーサッシをつけたら、
外の音が聞こえなくなってしまった。

冬の電気代が半分ほどになり、さらに寒い思いをしなくなったので、
お値打ちだったのだが、音が遮断されたのは、少し残念。

僕の家は、山の冷気が降りて来る道筋にあるため、
冬はとにかく寒い。だから、改装するとき、玄関のドアは
寒冷地仕様にしてもらったほど。建築士さんは驚いていたが、
それで正解だった。それほど寒い。寒がりの二人が、良く、
こんな所に住んでいるものだと思う。

寒がりの二人が、こんな冬に寒い所に住み続けているのは、
その分、美しい春や夏、そして、秋の情景のためだと思う。
そして、冬も寒いが、しかし、美しい。

僕より寒がりのパートナーが、それでも、ここに居たいというのは、
それが理由だろう。

その理由の一つが、昭和30年代に建てられた古い家を買ったときには、
まだ、ほんの小さな木だったソメイヨシノ。

30年ほど棲んだ間に、この辺りで一番の桜の巨木になった。
その成長の速さは驚異的で、その美しさも驚異的。

我が家は山科の疏水をハイキングする人が、その前を通り過ぎることが
多いのだが、そういうハイカーの一人が、前の道路に大きくせり出している
庭の桜を呆然と見上げて、暫く立ち止まっていたのを見たことがある。

それほどの圧倒的に美しい桜で、特に、今年の春の美しさは、
凄惨なほどだった。

しかし、それを切ることになりそうだ。

僕が、この家を買う前から、庭の世話をしてくれている庭師さんが、
このままだと、今年の台風シーズンに倒木する危険があると、
言ってきた。

見てみると、黒アリが桜に巣を作っている。シロアリではないので、
要するに、木が腐っているということ。

大変に残念だが、隣家の御迷惑を考えると、切るしかない。
定年退職の年に、庭で一番気に入っている木である桜を切るのも、
何かの縁だろう、と思い納得しているのだが、
本当は、やっぱり納得できない自分がいる…


2018年5月17日(木曜日)

橋本君の博士論文公聴会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時17分44秒

歴博研究部助教の橋本君の博士論文の公聴会が無事終わる。

神戸大時代に、形式的な主査をやったことがあるが、実質的な博士論文の主査は、
実は、これが初めて。で、どう考えてても、これが最後!

橋本君の「みんなで翻刻」は、ますます、順調なようで、一先ずは安心。

しかし、これを古地震以外に展開できて、初めて、本物と言える。

多分できるだろう。

日本史の上島先生に、良いコメントを頂き深謝!

伊藤さん、伊勢田さんのコメントも、実にありがたい、的を得たものだった。

橋本君、さらに精進してください。

うーむ。なんだか、大相撲のようになったな… :hammer:


2018年5月13日(日曜日)

またもや火事!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時20分29秒

「かね松」という名の八百屋さんが京都には二つある。錦と縄手通だが、どうも、互いに関係はないらしい。

その内、縄手の「祇園 かね松」は、素人でも鞍馬の実山椒を買える、僕が知る限り、唯一の店なので、毎年、この時期に数パック買っている。

で、昼頃に電話してみてたら、もう実も大きくなっているとのことで、4パックわけてもらいに、東西線と京阪で出かけたのだが、何故か、京阪の特急が10分近く遅れている。

四条の駅から地上に出てみると、猛烈な人出だけでなく、なんと南座の前に消防車!

改修中の南座で火事か!?…

と、心配したら、新たにやってきた消防車が、もっと前(東)に止まった。

えっ!?

と思ってみたら、目疾地蔵の仲源寺の東隣あたりから、猛烈な煙がでている。

火事!!!

で、身動き取れないので、縄手から入らず、一筋西からビルの中の通路を通り縄手に入り、実山椒を買い、かね松からでてみると、煙が酷くなっている。

Google map で確認してみると、割烹千花の辺り!

この店は、今回の火事の報道で知ったがミシュラン3星だったらしい。実は、もう30年近く間、亡くなった兄に連れられて、一度だけ、先代の時代に、行ったことがある店。今は、代替わりしている。

で、後で、TVのニュースで、確かに、千花が出火元と知る。Google の画像を見ると、店の建物やカウンターも新しくなっていた。しかし、それが燃えた…

これで、古川町の島田さん、あわらのべにや(八杉が、激励のメールを送ったら、今日、女将さんからお礼の返信が来ていた。大変な時に、本当にありがとう。二人で応援してます)、そして、一度行っただけながら、千花と、知っているところが、三軒も続けて火事。憮然…

一番、親しいのは、べにやで、報道を見ると、あわらの他の旅館のサポートもあり、また、シンボル的な樹木たちが生き残り、また、何より、源泉がひとつは生きているとのことで、昭和のあわら大火の経験もあるので、きっと、直ぐに再建するのだろうと、大きな期待!!!

あんな温泉宿は、他にはないはずなので、是非、再建を!!

しかし、これだけ火事が続くと、本当に、嫌だな……


2018年5月10日(木曜日)

べにや頑張れ。応援してます!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時54分22秒

京大文での最終年度ということで、20世紀学専修と合同したことをいいことに、かなり、サボっている。すみません。 :hammer:

しかし、サボりすぎは良くないと思い、現代史との合同セミナーに参加。
ちょっと問題のある報告で、批判的コメントが続き、僕も、批判発言こそ
控えたが「ウーム!!」という感じだったので、その間に、WEBサーチなど
してしまった。それで、気になっていた、あわらのべにやのことをサーチ
したら、奇跡が起きたとのこと

べにやの火災は、全国紙レベルの話題だが、これは福井新聞だけらしい。
しかし、それを京都から知ることが出来るということは、実に素晴らしい。
これが、ITのポジティブ面。

一番、驚いたのは、少なくとも一つの泉源が健在とのこと。
あれだけ焼けたのに、確かに奇跡!実は、この源泉のことを
一番心配していた。

どうやら社長さんは再建するつもりらしいし、あわらの他の旅館も、
それをサポートするつもりらしい。

実に、素晴らしい!

たまにしか、お世話になれない「貧乏学者」ですが、
再建されたら、必ず行きます!女将さん、社長さん、
従業員のみなさん(特に、いつも、お世話になる大柄で
感じの良い仲居さん)、べにやのファンは沢山いる
筈です。頑張ってください。

再建されたべにやに泊まれるのを楽しみにしています。


2018年5月6日(日曜日)

二冊の Prinzip

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時25分40秒

京都ユダヤ思想学会のコーエン・シンポジウムというものがあるので、
そこでコーエンについて話してほしいと、宗教学のPDの吉野さんに依頼を
受けたのが、1,2ヶ月前か?

少し遅れていたレジュメを、昨日、ようやく送る。

僕は、コーエンは研究したことがないので、田辺のコーエン受容の話を
する予定でいたが、4月中頃になって、慌てて、調べ出し、
コーエンの著作 Das Prinzip der Infinitesimal-Methode und seine Geschichte(以下、Prinzip)
と田辺の関係の話にすることにした。この書は、無限小を元にした形而上学、あるいは、論理の
話で、当時としても異端の問題作であると言われているが、しかし、同時に、これがコーエンの
代表作とも言えるようなものとされている。

また、田辺は数理哲学の時代、Prinzip を手厳しく批判したバートランド・ラッセルの哲学を、
数学的にはコーエンより優れているが、哲学的深さにおいてはコーエンに及ばないとした。

西田はコーエンの Ursprung (訳は源泉かな?)の考え方が、大変に気に入っていたと
西谷が書いていたように思うが、これは、京都学派にかなり影響を与えたのではないかと思う。

田辺の考え方でいえば、数学や自然科学の様な「科学的」思考法は、外延的なもので、
その背景に科学的合理性を超える内包的なものがあり、それこそが哲学が探究するものだ、
それがコーエンの「湧き出し」としてのUrsprungだという考え方。
Du-Bois Reymond の物理学の概念の由来は、物理学ではわからないという考え方に
通じるもので、多分、当時、流行った考え方なのだろうと思う。

で、そういう思考法のバイブルともいえる Prinzip が、何故か、京大田辺文庫には二冊ある。
どちらも貴重書で、書き込みがあるが、これを調査して、報告することにした。

しかし、何故、二冊あるのか。これが以前から謎だったのだが。今回の調査で、
購入時期が、古いものが1924年以前、新しいものが1925年以後、らしいことが、
蔵書印として押されている小判型古印体の印と、角型篆書体の印の使われ方から判明。
二冊の Prinzip の一冊には小判型が、もう一冊には角型が使われている。

小判型は、いかにも安物で、角型は、かなり良さそうなもの。それで、多分、
小判型が古い、と予想。京大田辺文庫の本の、すべての出版年と押印の分布を
調べれば、どちらが古くて、大体、どの位の時期に、印を変えたのかの大体の
推測ができるのではと考えて、学生にバイトを頼んで、その分布の全ての
表を作り作業を始めた。

二日はかかるだろうと思っていたが、調査を始めて30分位のころに、
Logos という雑誌の押印が、1923年号と、1924-5年号の間で切り替わっている
ことを発見。古い方が小判型で、新しい方が角型だった。

角印が押印されている1924年以後に購入したと思われるPrinzipには、コーエンの考えが
カントル的極限(Grenze)であり、デーデキント切断にも及ばず弁証法になっていない
という意味の批判が書き込まれている。1924年に、後の弁証法転向の端緒となる
「カントの目的論」が出版されていることからしても、これは弁証法研究の時代、
それもマールブルグ学派の思想を捨てた後の書き込みと見られる。

ただ、コーエンは、無限小、源泉で、収束、極限、ではないはずで、
極限は、ラッセルのコーエン批判を受けて、ナトルプが無限小の
代替物として使ったと僕は理解している。田辺の書き込みも、
極限批判を書き込む場所としては、あまりそぐわないようにも
見えるし、ここら辺を、もう一度、ナトルプの本を読み直して、
報告する予定。

印と出版年の表の件や、Logosの印の切り替わり、こういう風に、「そうだ!」
という気付きに基づいて、地道な検証をしていると、突然、思いがけない史料が見つかる。

これが一次史料ベースの歴史研究の楽しさで、ミステリードラマで刑事が
調査をするのを見ていると、結構楽しいが、それにソックリ。史料(証拠)を
求めて旅行をしたり、その地の史料館(警察署)などを訪問して話を聞いたりと、
そこら辺まで似ている。京都学派の場合、これが全国に散らばっていて、
また、観光で訪れたいような場所だったりするので、尚更、楽しい。
しかも、研究者の役得で、一般の人が見ることができないもの、
入ることができないような場所、触ることができないようなもの、
に直接親しむことができる。

以前は、それがヒルベルト研究のドイツ、ゲッチンゲン大の図書館と
数学科の読書室だったが、京都学派の方が、色々あって楽しい様な気がする。 :-)


火事

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時10分53秒

仕事をしていたら、パートナーが、ただ事ならない雰囲気で、
何か言いながら二階に上がってきた。驚いて聞いてみると、二人とも
大好きで贔屓にしていた、福井県あわら市の温泉旅館べにやが火事とのこと。
結局、全焼で、全てが燃え尽きたらしい……

癌治療の副作用による極端な筋力低下が、塞翁が馬で、僕の筋力増強の努力を促して、
長年苦しんでいた、腰痛、肩こり、腱鞘炎の全てが解消し、最後に残った、カイロプラクティックで
痛めた頚椎の問題も、かなり改善してきたため、僕は、温泉に行きたいという気持ちが無くなってしまっていて、
べにやにも、かなりご無沙汰していた。

パートナーは、僕より温泉好きなので、近々、べにやに行きたいと言っていたので、そのつもりでいたのだが、
その矢先に、この火事…

実は、少し前には、以前は、良く買っていた古川町の八百屋さんが火事で全焼。

あまりに酷いことが、知り合いに続けて起きてショック…

特に、べにやは、湯については、他の宿でも良い所があるが、食事に関しては、
連泊して、嫌なおもいをしないのは、僕の経験では、ここしかなかっただけに、
そういう宿が火事で燃え尽きてしまったのは、非常にショックだった。

もう一つの好きな宿として、朝食で有名な、Y温泉のK亭がある。
こちらの湯は、かすかに硫黄臭がする高温度の塩泉のべにやの湯とは
正反対の湯だが、そのローケーションと湯の加減は、絶妙で素晴らしく
気持ちがいい。

それで、以前は、時々、お世話になっていたが、何度か行くと、二日目の夕食の
ことを考えると、少し憂鬱になるところがあった。こちらは、夕食も創作料理風で
本まで出ているのだが、実は、何時行っても、ほぼ同じ様なものしか出ない。

あまり多くの宿を知らないが、これは、どこでも同じ様におもえる。

ところが、べにやだけは、何時も工夫があり、同じものが、まず出ない。

創作料理の様なものは出ず、伝統的な和食なのだが、何時行っても、
これ初めてだ、というような料理が出るか、以前食べた記憶が
あるが、丁度、また食べたいなと思っていた様な料理がでる。

僕等の旅行は、観光が目的でなくて、温泉に入るのが目的だから、湯と料理が
よければ、同じ宿でよい。それで自然に、べにやにばかり行く様になった。

最初にお世話になってから、多分、10数年、もしかしたら20年近くたつのではないかと
思うが、その間に、明らかに板長さんが変わっているのだが、その際に、料理の
スタイルと品質が変わらなかった。これも驚くべきことで、ここの以前や今の板長さんが、
京都にお店を出したら、評判になるだろうと、何時も思っていた。

朝食でさえ、連泊しても「今朝の朝食は、なんだろう」とワクワク感のある、
知る限り、他にはない宿であった。

まあ、大金持ちには、程遠い学者なので、多くを知らないのだが、それでも、
この宿だけは、特別だ、他には絶対にない温泉宿だと、自信を持って言える。

女将さんも社長さんも、本当に、大変だと思うが、何とか再建して欲しい。

そうしたら、直ぐに行こうと、パートナーと話した次第。

でも、本当に気の毒…


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