語りえぬものこそ語らねばならない
今日届いた新書の幾つかを読む。高橋昌一郎さんの近刊の「分析哲学者の発言」を見て、今更ながらに感じた。何故、僕は技術的には親和性が高いはずの「分析哲学系」の思想が嫌いか?おそらく、最大の理由は「語りえぬものには沈黙を守るべきだ」という態度だろう。
ソフトウェア工学とかIT人材育成とか、そういう仕事をしていると「出来ないことを行う」でなくては何の意味もないことがわかる。これの意味は本当は「完全無欠の理想状況は出来ないことは端から判っていることを、少しでもましにする」という意味だ。ハイデガーたちは「科学が語りえぬものだけ」を語り始めたが、それはソフトウェア工学とか人工知能・自然言語理解という『哲学的工学』において「プラクティカルな形而上学」として機能した。技術者が使うソフトではなくて、「社会の中で使われるソフト」を作ろう、その作り方を知ろうとしたことがある人ならば、少々気の効いたソフトウェア構築法より、「ソフトウェアには被投性がある。その投げ込まれ方の理解がソフトウェア構築には重要だ」という「抽象論」の方が、どれだけ本当に役に立つか理解できるだろう。「被投性」という気取って奇妙な専門用語が使われているのが理解を妨げるが、そうならば「ゴール」のような小説仕立てで伝えればよい。実際には、小説まで書かなくても、態度で伝わる。工学においての現場の徒弟的コミュニケーションは実に重要だ。これが出来ない「知恵」は技術としては「役立たず」になる。
こういうコミュニケーションをしてまで「伝えたい、しかし、語りえぬ、不完全でしかし現に世界を変える知恵」の存在と、それを確かに次の世代が古い世代の行動から「読み取る」という意味での「コミュニケーション」が可能であることを知っていれば、「語りえぬことは沈黙しなければならない」というテーゼがいかに硬直しているかが理解できる。
このことを考えるときにいつも思い出す話:ある人が街灯の下で何かを探している。近づいて尋ねてみた「何を探しているんですか?」「いや、500円玉をそこの暗がりで落としてしまいましてね。」「???どうして、落としたとこでなくて、ここで探しているんでしょうか?」「え?!だって、あそこは暗いじゃないですか」



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