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2016年6月24日(金曜日)

哲学の道と西田

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時51分29秒

西田が哲学の道を歩いたかどうか、何か客観的証拠はないかと探していたら、高山岩男の文章を発見。

これは燈影舎燈選書13「西田哲学とは何か」に収録された雑誌「心」掲載の「西田哲学と私」(昭和54年, cf. p.260)という文章の「田辺先生のこと」pp.204-213のp.207-8の次の部分:

これより余程前からですが(注1)、先生(注2)は午後に吉田山界隈を散歩されます。戦後、私は京都を去りましたが、疎水支線の桜の並木道を「哲学者の道」と名づけていることを数年前に知りました。西田寸心先生も波多野精一先生も散歩をするが、疎水べりでお見かけすることはなく、もっと北の田圃道が多かったように思います。「哲学者の道」という名はハイデルベルグのネッカー川に沿う山道から来ているに違いなく、大学側の反対の、散歩道としてまことに優秀なものですが、数年前或る人が"先生の頃から疎水支線の道を「哲学者の道」と名づけられていたそうですね"と申されたのには驚きました。私の頃にはまだそんな名称はなく、橋本関雪という日本画家が妻君の死を悲しんで桜の苗木を疎水支線に沿う何丁か植えた河べりがいい繁道となっていたのは事実です。まだ人家はまばらの時代で、私はこの近くに止宿していましたので、毎日散歩は致しましたが、「哲学の道」などという洒落た名前などはありませんでした。田辺先生もここまで足を延ばされていたかどうかは、詳しいことは知りませぬ。

注1. 「これ」とは、高山が田辺と吉田山を散策中に、種の話を聞いたという田辺研究者ならば皆良く知っているはずの逸話の時。
注2.田辺元のこと。

この文章で良くわからないのが、「「哲学者の道」という名はハイデルベルグのネッカー川に沿う山道から来ているに違いなく、大学側の反対の、散歩道としてまことに優秀なものですが」の、「大学側の反対の、散歩道としてまことに優秀なものですが」という所。おそらくは、ハイデルベルグの「哲学者の道」がネッカー川を挟んで大学と反対側にあるという意味だろうが、もしかして、この「大学側の反対」の大学が、京大だとすると、高山が「哲学者の道」を今出川通り北の疏水の部分を意識して書いたことになる。しかし、この部分は正式には「哲学の道」ではない。http://souda-kyoto.jp/map/area_04.html

公式には、東山に沿って南北に走る部分のみが哲学の道。気になるのが、高山が、西田、波多野が散歩した辺りとして「もっと北の田圃道が多かったように思います」と書いている点。疏水は「哲学の道」の北の終点から、ほぼ東西の流れに変わり、農学部裏を通って北白川の現在は住宅地となっている地区へと続く。高山のころには、この辺りは田園であったはずで、こちらの方が「もっと北の田圃道が多かったように思います」と書いている「北の田圃道」として自然。西田が良く散歩をするようになったのは、飛鳥井町の家に移ってからだが、現在、スーパーマーケット Grace たなかの西の裏手辺りにあったはずの、この家から現在の「哲学の道」の北の出発点までの道のりと、その出発点から「哲学の道」の南の終点までの道のりが、ほぼ同じ。ということは、現在の「哲学の道」にあたる地域を歩くために、その北端まで歩くというのは不自然なことになる。西田の散歩の目的は考えることにあったはずであり、風光明媚な風景を愛でることではなかったはずである。西田の散歩は、云わば、真剣勝負だったはずなのである。

そして、飛鳥井町から東に散歩するならば、東大路を超えて、百万遍知恩寺の裏手の辺りを通り、京大農学部の裏手辺りを歩くのが自然だろう。その時、気が向けば、さらに南に南下して、現在の「哲学の道」を歩くこともあったかもしれない。しかし、北行した可能性も高い。そう仮定すると高山の記憶に一致しているように見える。もし、高山が、当時、どこに住んでいたのか、書簡、葉書の住所などで特定できると、もしかしたら、ハッキリするのだが。


2016年6月23日(木曜日)

西田の三高寄贈書と旧宅部材の燻蒸

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時00分36秒

今日(23日)も西田幾多郎関係の仕事が二つ。

吉田南図書館の依頼で西田幾多郎寄贈の三高図書館蔵書の書き込みを調べる。
西田の筆跡とは異なるものや、西田ならば書き込まないだろう初歩的な
ドイツ語の読解に関する書き込みなど、やはり、どれも西田のものではない。
おそらく新品を買って寄贈したはずだから、西田の書き込みはないと見るのが自然
だろう。しかし、西田の墨書の筆跡が、良く知られている西田の手書き文字と比べて
非常に綺麗。本当に西田のものか、少し疑ったが、署名の特長的な「郎」の字など、
確かに西田のものらしい。他に、あの様に綺麗な楷書で書いた西田の手書き文字は
あるのだろうか?また、寄贈の時の台帳を見せてもらったが、
この台帳自体が、すでに貴重な史料と言える。

その後、博物館に行って、横山研究員に「哲学の廊下」などの部材の燻蒸を見せて
いただき、京都学派アーカイブ用に撮影もさせてもらう。燻蒸は、僕が想像していた
ものと異なり、大きなビニールのテントに部材を入れ、二酸化炭素を充満させて、
後は中で扇風機で送風するだけらしい。殺虫剤をドンドン入れるのかと思っていた。
しかし、ちゃんと殺虫が出来ているか、生きている虫を入れて確かめるというのは、
ちょっとかわいそう…… まあ、僕もムカデやゴキブリがでたらすぐに殺すから、
勝手なものだ。

キャンパス内の道路で土蜘蛛が歩いているのを見る。潰されないといいけど。
土蜘蛛というのだと思っていたが、地蜘蛛(ジグモ)の方が正式名らしい。


2016年6月18日(土曜日)

北軽井沢のひぐらし

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時33分00秒

今日は、本当に久しぶりで北軽井沢大学村を訪問。群馬大学田辺記念館の撮影をさせて頂く。

帰りに田辺記念館の管理人をされている茂木さんのご厚意で、僕の連れ合いの実家の八杉山荘を訪問。

多分、10数年振りだが、心配していたよりは、状況は良かった。

岳父が健在のころ、四人で八杉山荘の母屋から満月を仰ぎ見た時をおもいだす。

日暮らしが鳴いていた。山科のひぐらしとは歌い方が違うような…


2016年6月8日(水曜日)

西田幾多郎「哲学の廊下」解体保存

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時22分19秒

この5か月ほど、一番力と時間をつぎ込んでいた西田幾多郎とその家族が大正元年から11年まで住んだ家の一部解体保存の仕事が、今日で一応の目途がたった。
所有者のプライバシー保護のため、これについては一切具体的なものを公開しなかったが、解体して博物館に持ち込み、プレスリリースも終わり、今日から解禁。

最初は、1,2社にでも書いていただけたら、それが将来の展示につながれば、と思って計画したプレスリリースなのだが、驚くほどの反響で、新聞や通信社だけでなく、TVも毎日放送、京都放送、NHK京都と取材があった。

どうもみなさん西田や京都学派に興味があるらしい。若い女性の記者さんが西田旧宅の内部をみて、こんなところに住みたい、もったいない、と言っていたのが印象的だった。こういう人がもっと増えてくれればよいのだが。でも寒いですよーー。

それから、どうも二階外廊下を、僕が勝手に「哲学の廊下」と名付けたのが、面白がられたみたい。

この名前は、初めて内部に入り、廊下を行き来してみたときに突然浮かんだもの。

僕も考えに詰まると部屋の中をうろうろしながら考えるのだが、僕の家は、それほど大きくないので、歩きにくい。しかし、この廊下、歩いてみると、長さと幅が、考えながら歩くのに、実に具合がよかった。

で、「わー、こんな廊下があると考えるときに歩きやすいな。哲学の廊下だ!」と思った次第。

興味がある方は、http://www.shayashi.jp/nishidakitaroukyutaku/を見てください。

しかし、今日は、早朝から、講義が終わる6時まで、本当に忙しく、この5か月を象徴するような日だった。そのため4時半からの講義に少し遅れてしまった。今日は、僕が弁士になって ;-)、無声映画のSFの名品メトロポリスを見せる日だったので、映画を見る時間が10分ほど短くなり、学生さんたちは不満だったかも… ごめん!

しかし、福井工大の市川さんにも言ったのだが、実は、まだ、中間点。保存したものを展示できるようにして初めて仕事が完成する。

これは資金の問題もあり簡単にはできない…

がんばります!

おお、今日から、また、ブログが書けるぞ! :-D


2016年5月31日(火曜日)

今日も不如帰忍

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時46分14秒

今日もホトトギスの鳴き声。

今夜は昨年つけてもらったインナーサッシを超えて聞こえた夜半の鳴き声。

ということは、かなり近くで鳴いたか?
鳴き声の方向からすると、最初は、うちの桜で、
次は裏山か?うちの桜なら珍しいことだ。

一つ前の投稿で、

>この4か月(5か月かも)ほど、最も時間を割いていたことに、
>一応、今日で目途が立つ。

と書いたが、「一応」を入れた様に、懸念があったのが、
顕在化。(^^;)

本当に、退屈している暇がない…
#このフレーズわかる人、どれくらいいるかな?
#ハハ。(^^)

おっと、また、ホトトギス。
これは例年通り裏山から。

初夏が近いか。


2016年5月29日(日曜日)

ホトトギス忍音

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時08分30秒

土曜の夕方ごろ用事を終えて家に帰ってきたら山から不如帰忍音。
例年は夜中に窓を開けていて聞くのだが、本当は、
夕方から鳴いているんだな。

この4か月(5か月かも)ほど、最も時間を割いていたことに、
一応、今日で目途が立つ。


2016年5月25日(水曜日)

SMART-GS 0.10.1 リリース

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時31分02秒

SMART-GS 0.10.1 をリリース。
0.10.0 をリリースしたばかりだが、直ぐに、現代史の都留さんからバグレポートがあり、ケアレスミスのバグで作成した文書をsaveできないと判明。
直ぐに修正したが、ついでに別のバグがみつかり、それを担当の久木田さんに fix してもらうなどしていたら、結構遅くなってしまった。

しかし、これでかなり安定したかもしれない。β版だということにしてあるがβではないかも…

また、研究員の Thompson 君が、英語の video tutorial の凄く良いのを作ってくれていて、
これで海外での使い始めの「壁」が一挙に低くなるはず。今回の科研費研究の
ターゲットは江戸期以前の古文書が主なのだが、
結構、これが海外での需要が多いので、こういうものを作っている。

今日のミーティングでは、Thompson 君の video tutorial が非常に良いので、
これを日本語化しようということになった。ナレーションの上手な人を
学生課を通してバイトで募集するか?

また、ネット上共同翻刻も、橋本君のアイデアで出来そうな目途がたち、
遅れている科研費研究に光が指す!


2016年5月23日(月曜日)

京都学派形成の研究

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時49分56秒

最近、ブログを書いていないが、これは活動をしていないのではなくて、ブログに書けない活動が忙しすぎるから。
これは、6月の中頃の少し前位には、公開できるはず。多分…

で、それに関連して、またまた新しい研究計画を思いつく。

以前から、西田や田辺の現在からは信じがたいポピュラリティーが何であったのか、知りたかったのだが、それの手がかりになるかもしれない文章を、下村の「西田幾多郎―同時代の記録―」で見つける。

それは同書の、p.125の菅円吉の「西田先生のことなど」と、相原信作の「師弟」。

前者では、一高の首席だった三木清が、西田のもとで学ぶために、わざわざ京都に来ると言うことがあるまで、京都帝国大学哲学の地位が低かったこと。たとえば、菅の同級生たちは、皆、京都帝国大学哲学でなく、東京帝国大学哲学に進学してしまったという逸話が語られている。しかし、三木の頃以後、京都学派の哲学の隆盛は目を見張るものがある。

これに関連して気になるのが、下村の同書の相原信作著「師弟」の内容。p.144で、父親に、喰えない哲学に進むことを反対されたが、実際には、岩波書店を巡る空前の哲学ブームで、ドイツへの留学さえ、哲学書一冊を翻訳すれば、ドイツ留学の費用など簡単にでると岩波茂雄に示唆されたという話など、非常に興味を引く。

こういうデータ、京大の資料や、岩波の資料で、実証できないか?

できたら、凄く面白いと思う!!!


2016年4月27日(水曜日)

アオバズク

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時20分54秒

今日は暑い位だったので、締め切っていた僕の書斎は28度まで気温が上昇。
夜、窓を開けて冷気をいれていたら、アオバズクの鳴き声。
去年のブログを見たら5月なので、かなり早い。

ムカデも動き出していて、先日、戸外で一匹退治。今日は車につぶられたらしい死体を一匹発見(本当に大きなアカズムカデ)。

昼は、SMART-GS meeting。リリース用の変更が、すべて終了したことを確認。
橋本君がリリースビルドを自動生成し、大浦君がリンクしてリリースする予定。
そして、林が説明を書く。また、トンプソン君が、英語のVideo tutorial を
作成中。これは3ヶ月ほどかけて作る。

また、縦書き、TEI対応の新エディタのSMART-GSも連休明け位にαリリース予定。

説明案:
新機能:Line Segment Editor, 画像マークアップエディタの Redo/Undo、
Tesseract-OCR の呼び出し機能、MacOS上での外部画像サーチ、Reasoning Web の整備(未完)、
など。他には何が?


2016年4月5日(火曜日)

SMART-GS およそ2年ぶりのリリース

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時19分07秒

本日、定例のSMART-GSミーティング。2年ぶり以上たってのリリースの最終の相談。
ビデオ・マニュアルを作ろうかと思ったら、かなり、LineSegEditor にバグがある。(^^;)

取りあえず、完成は諦めて、β版で公開することに決定。
実質は十分使えるので、これで良いだろう。

永崎さんが、LineSegEditor のマニュアルを作って下さっていることを
橋本君から報告。

実にありがたい。ということで、SMART-GS開発グループに入って頂くように
お願いすることにした。

永崎さん、橋本君から連絡があります。どうか、よろしく、お願いします。m(_ _)m


2016年3月27日(日曜日)

永井和先生の送別会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時41分34秒

未だに、忙しさは続き、岩波文庫の修正など書けていない。

その中で、今日は、永井和先生の送別会。
永井先生は、僕と同じ京大文学研究科現代文化学系の教授なのだが、
今年度で定年退職。

同じ現代文化学系で次の定年退職は、僕。(^^;)

これから現代文化学系は、定年退職が続き、本当に大変。
若い人たちに申し訳なく思うと同時に、まあ、これが現実ですね、
という気持ちもある。

永井先生は、京大文学部情報・史料学の公募に応募して、最初に
コンタクトした文学部の方。

大変良い方であり、SMART-GSプロジェクトを、実質的に生んで
下さった方(永井先生の存在がなければ、僕は、SMART-GSプロジェクト
はやってない可能性大!)なので、感謝の念しかない。

永井先生の期待に応えられるべく、SMART-GSプロジェクトをすすめたい
ものである。

みなさん、よろしく!


2016年2月27日(土曜日)

Regionの Redo/Undo 完成!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時35分35秒

1週間程度で完成する予定だったSMART-GSの region の redo/undo 機能が漸く完成。実際には半年以上かかった。
理由は、SMART-GSのリンク機構が、HTMLと全く違うため。正確に言えば、redo/undo だけならば簡単にできるのだが
(実際、これの大雑把なところは1週間かかってないはず)、リンク切れの状態を表示したり、どこまで
undo/redo できるようにするのかという妥当なスペックの考案、そして、save/restore の仕組みが難しかった。

できあがったものは、結局、非常にシンプルなものだったのだが、そういうシンプルなモデルをなかなか見い
だせなかったために時間がかかってしまった。

昨秋の兄の急逝、歯性上顎洞炎、そして、これ、が咽喉に刺さった魚の小骨の様になって、色々な仕事が遅れに遅れたのだが、
兄の死の余波もようやく落ち着き、歯性上顎洞炎の方は北山吉川デンタルクリニックという、アメリカ流の治療をしてくれる
良いお医者さんのお蔭で劇的に良くなっていたが、これが出来て、咽喉にひっかかっていた最後の小骨が取れたような気持。

仕事がなかなか進まなかった理由のひとつは、また、一つ新しいプロジェクトを始めてしまったことも大きいのだが、
#これはプライバシーの関係で、まだ、何か書けない。もし、本当に進んだら、物凄く面白いのだけれど。
やはり、プログラミングでかなり時間を取られてしまったことは否めない。なにせ、一回のコミットで、
クラスが20個くらいかわるというのがザラだったので。(要するに「正しい方式」をなかなか編み出せなくて、
書いては消し、書いては消ししていたわけ。)

で、その間に、岩波文庫「不完全性定理」の、かなり大幅な修正を施した12刷も出たが、これをWEBページに
記録することもできていない。最も、これは長くなるので、そんなに簡単には記録することはできないのだけれど……

とりあえず、今は、年度末に向けて、京都学派アーカイブの新版の完成と、3月6日からの経済産業研究所の
人工知能の社会影響研究プロジェクトの調査旅行の準備に注力せねば…


2016年1月28日(木曜日)

切ない???!!!

2016年6月24日追加:院生の橋本君によると、「切ない」というのは読者が自身の身を切ないと思っているのだとか。なるほど、そうなのか。

以前公開しておいた「あるソフトウェア工学者の失敗」が、結城さんがツィートしてくれたために、
11月ころに一時評判になっていたらしい。アクセスを調べてみたら、ほんの数日のことで、
評判といっても小さなもの。

反響を見てひとつ大変驚いたことがあった。それが、あの文章が「切ない」という反応が
かなりあったこと。あの文章は、日本のITは弱いという前提で、それの理由を書いてくれ
という依頼だったので、ダメな理由だけ書いているので、否定的トーンが多くなるのは
当然。そうでないとタイトルが偽りになる。

しかし、本当の結論は、一番最後の、たとえそうであっても、微風を送り続けるぞ!という所。
これは、パートナーが好きなあるアニメのセリフをもじって書いてあり、その意味で、
軽いジョークにさえなっているのだが…
#まあ、全国区のアニメではないので、気づいた人がいなくて当然だが。

絶望したのも国の政策研究所での活動が何か役に立つはずだと思っていたが、
それが無理だったということだけのことで、だから日本は永遠に駄目だ、
などとは、全く書いてない。だから、本人は全然切なくない。
それにより自分が何をすべきかがわかったのだから、むしろポジティブ
ともいえる話。やるべきことは、大変になったが、それはやることが
増えたということ。つまり、退屈している暇がますます無くなっただけのこと。

Wenn ich wüßte, daß morgen die Welt untergeht, würde ich heute noch ein Bäumchen pflanzen.
Martin Luther


2016年1月15日(金曜日)

復帰!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時04分45秒

前回の投稿から、2ヶ月位のブランク。

最大の原因は、体調不良だが、その最大の原因が、意外なことに歯にあることが、
かかりつけの耳鼻科の先生(名医です。林以上にユニークですが(^^;):石川耳鼻科、東山区、京都)の
お蔭で分かり、これも日本のシステム外といえる保険診療が、あまり効かない歯科のクリニックを見つけて(この人も
凄いみたい。まだ、診てもらって浅いので、断定はできないが)、そちらに通い、今までの不調の原因の、
かなりの部分を解消できそう。

これにより、日本の保険システムがもつ、矛盾点を明瞭に認識できた。NISTEPに残留していてたら、
これで一つレポートが書けそうな話。ただ、そうなると厚生労働省との兼ね合いが難しいかも…
#こういう気遣いが必要なことが、日本の統治機構の最大の弱点!!!

今は、どうなのだろう?霞ヶ関も、かなり変わって来たという印象を経産省の「稼ぐ力」の担当者にお会いしてから、
感じているが、このセンスが、もし霞ヶ関全体に広がっていれば良いのだが…
#10年弱前の僕が知っている「官僚」は、皆、ネクタイをしていた。でも、稼ぐ力の人たちは、
#皆、ノーネクタイだった。この変化が、本質的ならば良いのだが…
#霞が関の最大の矛盾点は、奇妙なまでの等質性だから。
#規格外も、良いものだとおもえれば、認めて欲しい!!


2015年11月13日(金曜日)

RIETIプロジェクトと学習院西田史料調査2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時33分32秒

金曜日に京都学派資料の科研費で鎌倉、西田幾多郎旧宅、学習院寸心荘へ。その後、また、RIETI(そこからは、RIETIの予算)。
なぜか、また、このパターン。

寸心荘は、大正・昭和時代の家で、質素なものだが、子供の時代を思い出す懐かしい感じ。(僕は江戸期に作られて大正・昭和に手を入れたと思われる、商家として建てられた家で育った。)

管理をされている学習院の岡野先生にお世話になる。

と始まる投稿を書いていたのが、多分、「金曜日」である9月25日の数日後。
結局、この投稿は完成せず、このブログの投稿は2ヶ月ほど無しになってしまった。

こんなに間が空いたのは多分ブログを書き始めてから最初。
最大の理由は、おそらく、あまりに多くの
ことにコミットし過ぎて、デッドラインが集中してしまった
ことだが、これに兄が急逝したのに休講をしたくなくて(と言っても、
葬儀と重なる日時の講義は休講にせざるを得なかった)、1日しか忌引きを取らず、
JRで故郷の尾道と京都の間を何往復かしたこと。これで、すべての
スケジュールが大幅に崩れた。
#甥や姪の話では、今は、多くの会社で忌引きは配偶者の場合でも1日だけ
#とのこと。京大は昔のまま。労働環境の厳しさを感じる。

この間、石川県の西田幾多郎記念哲学館や金沢市のふるさと偉人館を訪問したりして、
燈影舎にお電話して、京都哲学選書の写真を使わせていただけることを確認したり、
多くの京都学派史料関係の情報を収集し、京都学派新アーカイブを開設するために、
十分なデータや写真など集めることができたのだが、その原稿を書けないでいる。

この間、講義のために西田哲学の勉強もせねばならず、まあ、そのために講義に
したともいえるのだが、色々と重なってかなり厳しい状況となってしまい、
数日前には強烈な眩暈で1,2時間、立てない状況となる。月曜日の深夜に
起きたのだが、影響で月曜日の二つの定例ミーティングはキャンセルし、
5時限目の講義だけなんとか済ませた。

これは、毎年の様に、この時期に一度は起きる症状の特別強いやつで、
お医者さんの話では副交感神経が上手く機能していないためらしい。
ストレスや疲労などから来るらしく、例年は、温度変化というストレスから、
天井が回って見えるような症状がでるのだが、すぐに治ることが多い。
しかし、今年のは立とうとしても平衡感覚が機能せず、立てないという
いままでない強い症状だったので、おそらくは非常に強いストレスが
かかっているのだろうと推測。田辺が「認識論的」な哲学から、
「社会形而上学的」な哲学に抜けていく契機として、身体論を
あげることが多いが、こういう時に、ハイデガー Ontologie的に、あるいは
西田的に認識することと、今の様に「ストレスから来た副交感神経の異常」
と理解して、さらに「最近、忙しすぎてストレスがかかりすぎている。
仕事をキャンセルするしかない」と判断することと、どちらが田辺などの
言葉でいう「抽象的」かというと、僕は、実は、前者の方ではないかと
思う。西田は自分を捨てて認識する、行動するというようなことを強調し、
これの重要性は明らかなのだが、どうも、それが西田の場合は、「哲学者であることの
実践」でとどまっている、田辺の場合は、それを超えようとするのだが、
やはり、「哲学者であることの実践」からは抜け出ていないと言う気がする。
この点で、戸坂などの方にシンパシーを感じるのだが、まあ、これは僕が
哲学者ではないのだから当たり前ではある。

科研費申請の時期が終わり、少し時間に余裕が出て来ているが、まだまだ、
色々と仕事が山積。若いころと違い、朝から晩まで、休まずに仕事というのが
出来なくなっているのがつらいが、なんとかやらねば…


2015年8月23日(日曜日)

RIETIプロジェクトと学習院西田史料調査

19日に、新井紀子さんのRIETI/BBLセミナーがあったので、これを機会にRIETIのAIプロジェクトのメンバーの一部が集まる。また、さらに、この機会を利用して、学習院史料館の西田史料を調査。

BBLセミナーは新井さんが東ロボプロジェクトでTVにも出る様になっているので大盛況。セミナーの前の昼食会に中馬さんや僕もよんでもらったが、そちらでの議論でも、セミナー・トークへの質問でも、やはり誤解が深い。セミナーで、新井さんが、実は、東大にAIは当分合格できない、それを予想してのプロジェクトだと説明したのにもかかわらず、それでも誤解している人が殆どのよう。昼食会の際か、セミナーの時か、実は、東大は関係なくて、中堅以下(?)の大学が生み出している人材の多くがAIで置き換え可能であることを示すプロジェクトであることをNIIの所長さんに説明したら、プロジェクトが採択されたと言っていたが、大変正直な説明で、また、重要な説明。ただ、これの意味が理解できた人が、殆どいなかった様な…。理解できていれば、そこで大きなため息がもれるはずなのだが…

RIETIプロジェクトの相談は、中馬さん、リクルートの戸田さん、久米さんの4名で行う。これはやってよかった。その後もメールで議論を継続したが、どうも、中馬さん、リクルートのお二人、そして、僕の間で、かなりイメージにすれ違いがあるような。これをうまく合わせていかねばいけない。これから大変だが、やらねばいけないプロジェクトなので頑張る!

翌20日は、一転して、学習院史料館で、京都学派の思想史の研究(だから、予算の出所が違う)。予め、お願いしていた、京都学派関係の史料を拝見し、撮影。これらを用いて、京都学派アーカイブの新バージョンを作る。掲載可能かどうかの判断は、WEBページができてから。

担当は、学芸員の長佐古さんで、詳しく説明していただき、また、写真撮影をさせていただけた。書簡は、ちゃんと、中性紙の箱や、古史料用の透明フィルムケース、その中に紙の酸性成分の中和させるシートなどに入っている。こういうフィルム状の保管用フォルダーは知らなかった。多分、清水光芸社の清水さんが言っていたが、予算が全然足りず、使わなかったものだろう。

学習院史料館は、旧図書館の古い平屋の洋館で、非常に感じがよい。僕は、どうもこういう建物が好きなようだ。長佐古さんは、旧華族家の史料の調査などもされていて、その膨大な史料の冊子も拝見する。これが、なんともすごい。ただ、僕の経験と同じで、そういう調査の意味が最初はなかなか理解してもらえなったとのこと。ただし、それらの努力の重要性を、学習院は理解してくれて、結局は、史料館に学芸員や助教が常駐する今の体制ができたとのこと。実に、素晴らしい。

学習院史料館の充実ぶりを褒めると謙遜されていたが、これはどうも江戸期以前の古文書の保全に比較してのことだろう。明治以後の近代文化遺産については、最近、工場跡などは世界文化遺産に登録さえされるようになったが、文書の場合は全く駄目とさえいえそう。実に困ったもので、長佐古さんが、これを理解できる人なので、二人で仕切りに嘆息…

資料も沢山いただけたので、「史料をたずねて」の良い記事がかけそう。


2015年7月30日(木曜日)

RIETIのAIプロジェクト

RIETIというのは、経済産業省の建物の上の方の階にある研究所。一応は、別の組織(独立法人)なのだが、部外者の印象としては、両者は大変近い。

で、以前、ブラウンバックランチというののスピーカーをやらせてもらったが、僕のRIETIへの関係は、その程度であった。

が、この研究所に以前から深く関わっている経済学者の中馬さん(なぜか、昔から意見があうので仲が良い)から、AIの社会インパクトを研究するプロジェクトをやるので、林さんも手伝ってほしいというメールが、急に来たのが6月の終わり位。

で、のんびりしていたのだが、一つ前に書いた投稿の様に、超スピードで進み、どうも今年度中に、久しぶりに海外に調査旅行をすることになりそう。また、今までやったことがないアンケート調査もしなくてはならない。後者は大変重要なポイントとなるはずなのだが、専門家の方が一緒にやってくださる予定なので、何とかやれるだろう。でも、ちょっと変わった conventional でないアンケートとなるかもしれないので、社会学の太郎丸さんや溝口君にも意見を聞く予定。

このAIの社会インパクトの話は、日本では、以前、NIIの新井紀子さんが本に書いていて、ご本人に指摘されたのだが、このブログにも、その本について書いていた(僕は、忘れてしまっていたが…)。で、それは2012年のことで、本がでたのは2010年。これは一般向けの書籍としては、世界的に見ても、最も早いものと言える。研究者たちは、Google などが凄まじい力を発揮し始めたころから、これでは人間がいらなくなってしまう、かなり高い能力を持つ人以外は必要なくなってしまう、と気づいていた人が多いと思うが、それをちゃんと書いた人は、日本語では新井さんが最初なのではないかと思う。

で、偶然にも、先の投稿で書いた安浦さきがけで、新井さんも僕同様にアドバイザーなので、RIETIプロジェクトのことを説明して、新井さんの本のことなど質問したところ、僕が思っていたより早い時期の本だと分かった次第。どうも、NII内部での若手研究者のインタビューから気が付いたらしい。

この本は、アマゾンの書評の数からしたら、かなり売れたはずだが、新井さんが期待したようではなかったらしい。それで、これは良くない、日本社会に、これを知らせなくてはいけないと思って始めたのが、東ロボ君のプロジェクトだったとか。

僕は、マスコミは、新井さんの意図とは別な取り上げ方をしているのではないかと思っているが、新井さんの話では、最近では、意図通りの取材が多くなっているという話。ただ、問題は、これからで、都合が悪くなると、つまり、実は、日本の大学の半数以上は、大学と呼べないものであり、その卒業生が担う仕事の多くは機械で代替できる日が近いと言う現実があらわになって行くに従い、新井さんの期待に反して取材が減っていく可能性が非常に高い(そうでないことを祈りたい!)。

日本のマスコミは、自分たちが見たくないもの、読者・視聴者がみたくないものは、見せない。これは、太平洋戦争の前からそうで、大本営発表の嘘も実は同じ構造。この国が強権的な全体主義国家だつたというのは、嘘で、これは戦前から、実に近代的な、近代の悪いところバリバリのポピュリズム国家だったのだ。でも、それでは歴史のしがらみのために、現実には社会を動かせないので、「天皇」と「その統帥権」という上からの装置を使って、下から動かしたのが太平洋戦争。僕は、そういう風に考えている(多分、素人考えだ、と永井和さんなどには叱られそうだが。 ;-))

このAIの社会インパクトについて、僕と同意見の人は、今まで話した日本人とか、その人が書いたものを読んだ日本人の中では、今の所、新井さんだけ。ということで、新井さんには、RIETIプロジェクトに取材などで協力を仰ぐ予定。

話していて気になったのが、東ロボプロジェクトに対応するものが中国で国家プロジェクトになり、それに呼ばれていって、非常にショックを受けたという話。このAIの社会インパクトの話、実は、ひとつの重要ファクターは、僕は中国ではないかと思っている。現代のAIは自立しているのではなく、人間のネットワークと連結している。映画 Matrixのマトリックスそのもの。ただ、流れているのは動物電気でなくて、情報。そうなると中国ほど多くの、また、質の良い「部品」を持つ国は他になく、その個数と標準化度は、他国とは比較できないはず。それが、僕は、北京オリンピックの開会式の「活字のパーフォーマンス」に現れていたと思っている。いわゆる、検閲の為の「現代の長城」も、ある意味で一種のサイボーグAI。これは、どうも欧州製だったらしいが、もう、新幹線と同じことになっているのではないか?そうなると中国に取材に行くことになるのかな… アレルギーがあるので、空気悪いところ駄目なんだけど…


まだまだ忙しかった日々

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時45分10秒

7月は今日まで全く投稿していない…

最近、歳を取ったためか、あまり投稿しなくなっているが、まあ、忙しいのもある。

僕は講義を通して研究をするタイプで、今年は、一般講義で、ピケティを取り上げて、ピケティが指摘してなかった「所得格差の拡大の理由」を、下1%の格差(ピケティの格差)と同様にバベッジ原理に求め、ただし、それに1960年代の理論である、managerial revolution (つまり、もう成し遂げられてしまっている革命)を組み合わせて、上1%の(資産でなく)所得格差の増加を説明し、また、ITの影響もある、というようなことを考えて講義したので、色々と調べるために随分時間がかかった。

これに比べれば、最初は、大変だと思っていた「ITと哲学の相即」という特殊講義は、それほどしんどくなかった様な…これは、予定していた、Page rank と Scheler の実質価値倫理学、ユクスキュルの Umwelt とロボット制御(サイバネティクス)、Winograd さんのデザイン概念と Sein und Zeit の話をする時間が全くなったためが大きい。これらを全部、詳細を押さえながらやると大変な講義となったはず。(とは言いながら、これは、どう考えても欲張り過ぎ。半期でできるわけがない…計画をたてるときには、つい欲張ってしまう。)

また、科学哲学・科学史から日本哲学まで、分野の分布が広かった学生さんたち、特に英米系哲学風思考の影響がつよい人たちが、講義の基礎的部分をなかなか理解できず、説明していたら、中々進めなかったのもある。驚くべきことに、哲学の学生さえ、西洋哲学の基礎であるプラトンとかアリストテレス、近世の伝統論理学を知らない。それを丁寧にやっていると、凄く時間がかかった。問題は、古い世界観の理解というより、それと近現代の物理学的世界観の思考法との差を理解してもらうところ。これが案外難しい。

というわけで、大変だったのだが、前期が終わりに近づき、段々と授業が最終回を迎え始めてからが、またまた忙しかった。

先週は、東京で、九大の安浦さんが総括のJSTさきがけの面接選考会。朝から夕方まで面接で、本当に大変。これは、大体、3年で3千万から4千万円を標準にして、若い研究者に個人研究費を渡して、研究室のしがらみなどもなく自由に研究してもらい、次世代の中心的研究者に育てようと言うもの(と僕は理解している)。だから、日本の研究費では珍しく、自分で自分を研究費で雇用できるようにもなっている。(もっとも、これをやる人は滅多にいないのだが…)

で、その場では、「この研究は、もうすぐ実用化するのではないか、そうなったら採択しても途中でパロアルトあたりに引き抜かれるのでは?、いやいや、そうなったら、むしろ成功だ。」「この研究分野だと一事例でも億単位だから三千万四千万では全然足りないのでは?、いやいや、基礎研究をターゲットにしているので十分やれるでしょう」、というような、議論をしていたのだが、京都に帰ってきたら、土日は、工繊大での西田哲学会で、一挙に別の世界。

僕も「西田・田辺・西谷の「論理」」という題で研究発表をさせてもらったが、全然、準備が間に合わず、PowerPoint ファイルに至っては、発表時間直前に会場についたタクシーの中で完成する始末(なぜか、USB3.0の外付けSSDが認識されず非常にあせった。今から考えれば、省電力モードにしていたための可能性が大。JSTにカバンを忘れてしまい、それに入れていたACアダプタを新幹線で使えず、東京からの帰路は省電力モードにしていて、それをそのまま忘れていた。)。

資料作成も大変で、この週末は、ひどい睡眠不足という状況だったのだが、発表に対して、関西学院大学の嶺秀樹さんや名古屋大学の米山優さんから、僕が提示した「西田の限定に田辺が言うような否定性が本当にないのか」という問題に、非常に良いコメントをいただけて、後期の特殊講義に向けて、大成果。前日に懇親会で名誉教授の片柳先生と話したときも同じようなコメントをもらったのだが、要するに、西田の限定には、何らの制約もない、ある意味では田辺が想定していた否定以上のドラスティックな変化も受け入れるものということらしい。これは、種の論理への反論が「論理と生命」であるように非常に納得。生命とまで持っていかれると、田辺的な政治・社会の問題はぶっ飛んでしまう。

ただ、田辺の視点からすれば、そこにこそ問題がある。西田的に、そこまで「悟って」しまうと、田辺が欲した「この現実の歴史・社会・政治に対峙する哲学」は、どこかに消えて行ってしまうのである。つまり、「こんな社会問題があります。大変ですよ!!」と議論しているときに、「いやいや、恐竜の絶滅を思い出しなさい。小惑星の衝突である日突然人類は滅びる可能性もあるのです。それを思えば、そんな問題など…」という議論をしていることになりかねない。政治、社会などの問題を自分が取り組む義務と感じるに人には、はぐらかされている、としか見えない。

西田を読んで、たとえば、岩波講座「哲学」(昭和6年より)の「歴史」という西田の文章が、実は時間論で、最後のパラグラフになってようやくランケへの言及がでてきて、本当は歴史でもなんでもないことに非常に強い違和感をもった。歴史を真剣に考えたら、そういう文章は書けない。

また、田辺の種の論理への反論のタイトルに、何故か、「論理と生命」というように「生命」が入っていしまうことへの違和感を以前から感じていた。

そういうことなどが、以前から、非常に、モヤモヤしていたのだが、嶺さんと米山さんのコメントで、漸く、その原因を納得。西田の様な立場で世界観を構築されてしまうと、社会科学的観点とか、現実の社会にコミットしようとする立場は台無しになってしまう。西田哲学は、実は、それに対する冷水なのである。(実際には、野中経営学など、そうでなく良いアイデアの源泉になっている例が多いのだが、それは「応用」している人たちが勝手に自分の都合が良いところだけを読むからだ。そういう「懐が深い」ところが西田の思想にはある。)

要するには、これは禅僧が、幕府など武士という武力勢力の庇護を受けながら、平穏に暮らすようなもの。これこそが、田辺の西田への最大の違和感であったのではないかと僕は思っているのだが(もちろん、田辺も、そういう僧院にいる。帝国大学教授なのだから。「しかし、だから、こそ」という気持ちが、明らかに田辺のテキストから読める。どれだけできたかは別としても。それが僕が西田より田辺に好感をもつ理由になっている)、その僕の印象に『ダメ押し』をしてもらったような感じがしている。

つまり、あまりの自由、あまりのカオスの許容は、実は、現状肯定への道になるということ。仏教、特に禅宗などは、常に、この道を通っていると僕は思う。同じような印象を抱いたのは、西谷が戸坂全集に寄せた文章で(著作集21巻、p.132)、戸坂君東京で活動していたころ、西田先生が、戸坂もああいうことでなく科学哲学をやればよいのだがと仰っり、その時の自分は同意したが、(昭和40年ころの)今の自分は、それは違うと感じる。あれも、つまり、マルクス主義にかかわり、戸坂は検挙され、2度投獄されたが、それも、戸坂君らしいことだと感じる、という意味のことを書いている。

戸坂は、マルクス主義にかかわり、検挙され、2度投獄されたが、二度目の入獄(要するに自分で監獄に入りに行ったらしい)の直前に、親友西谷に会いに行った。この二人、政治的立場が両極端ながら、余程、仲が良かったのだろう。そして、「いよいよ入獄する、しかし間もなく出てくるから、また会おう」と東京の戸坂からの葉書が来たが、彼は帰らなかった、と西谷は書いている。戸坂は昭和20年8月9日に政治犯として劣悪な環境の牢獄で病死した。西田は、同じ昭和20年6月7日に亡くなっている。

この件に最終的に気が付けたのが、今回の西田哲学会にわざわざ入会までして発表した最大の収穫。これで、西田・田辺・西谷の哲学の比較という、僕の今やっている研究の一つに最終的な目途がたった。

また、前の日の懇親会で、随分ご無沙汰としていた上智の田中先生、親鸞研究センターの名和さん、常滑の谷川の会の森口さんやらとお会いできたのも良かった。また、嶺さんが、京都学派アーカイブが役立っていると言ってくれたのは、凄くうれしかった。名和さんが、学習院の西田史料の調査に照合元として使ってくれたりという事例があるにはあったのだが、例が少ないので、本当に役立っているのだろうか、と作ってはみたものの「不安」だったのだ。久しぶりにお会いした田中先生にも褒めていただけて、やっぱり作って良かったな、という感じ。 :-)

ああいうものは、縁の下の支柱のようなものなのだから、一つ一つの事例では、軽く、役立てば十分。しかし、長く、じわじわと役立つようにしないといけない。そうすれば作った意味がでてくる。西田哲学会の懇親会で、すくなくとも3名の人からアーカイブについて聞けたことは(中嶋君をいれると4名か!でも、中嶋君は「身内」すぎる)、十分に役立っている証拠と思ってもよいだろう。

と信じたら、正直の所、かなり「くたびれていた」心が元気になって、新アーカイブ構築の意欲がわいてきた。ということで、頑張ろう!中井正一と大島康正も入れるぞ!

というような、日々を過ごしている間に、さらにもう一つ、メガトン級の仕事が落ちて来たのも、忙しさがさらに増幅された。

6月の終わりころに、旧知の中馬さん(現成蹊大学、元一橋大学イノベーションセンター教授)から、経済産業研究所RIETIで、AIの社会インパクトの研究プロジェクトが始まり、自分が一つのグループのリーダーとなるので、林さんも手伝ってくれ、との依頼が来た。

この問題は、この数年講義のテーマにしていて、凄く気になっている問題だったので(情報・史料学専修という研究室は、ITの社会的影響を考えるというのが、主な目的である教室なので、この問題を逃したら、存在の意味がない!)、忙しくて、もう無理ではとは思いつつも引き受ける。

ただ、物凄い誤算だったのが、これがRIETIの所内プロジェクトで、そのために霞が関スピードで、物凄い速さで事が進むということを理解してなかった点。
#誰だったか忘れたが、マスコミに良く出る人が、霞が関は実は「官僚的でスロー」などといのはうそで、すさまじいスピードで事が進む、
#と書いていたのを本か、新聞か、WEBで読んだ記憶があるが、これは、僕も賛成。進むときとは、進む。ただし、ブレーキが別に存在する。 ;-)

さきがけの選考会の最後の日の28日(日)には、もうプロジェクトが内定して、9月から動くことになってしまった。来年4月以後だと思っていた僕は大慌て。

また、この内定に向けてのヒアリング用資料の原稿が中馬さんか何度も飛来して、実際に、何をすべきか等考えていたら、結構時間をとった。

結局、前期が漸く収束しかけてきたころから、さきがけ、西田哲学会、AIの社会インパクトについてのRIETIプロジェクト、さらにはSMART-GSの開発や(これを書いている今日は、プログラミングをやっている)、古地震学などの科研費関係のデジタル・ヒューマニティの話、と、自分でも良く色々やるものだと思うが、実は、これらは全部繋がっている。だから、こそ大変なのだが…

で、長くなったので、投稿を変えて、RIETIプロジェクトについてちょっと書く。
#これは研究室の学生さんや、科研費プロジェクトの仲間たち、SMART-GS チーム、その他の関係者の人たちへの
#言い訳でもあります。SMART-GS チームの人たちには、水曜のミーティングの際に、直接、予定より減速するかも、
#と言い訳(謝罪)しておいた… しかし、このプロジェクトや、凸版のOCRとか、中京大のプロジェクトとか、
#実に、イベントは、向こうから波の様に押し寄せて来る。まあ、そういう時が、研究者としては幸運・幸福な時。
#こういう時には、波に流されなくてはいけない。これは「時流にながされる」のとは全くちがう。


2015年6月18日(木曜日)

猛烈な忙しさと厚切りジェイソンさんの正論

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時28分54秒

今日締切のレビューが山の様にあるのだが、午前中は木2の出席・課題提出確認のための作業で費やす。
考えていた方法だと、ある種のセキュリティー・ホール(といっても学生が他人の出席状況をわかってしまう
可能性が、数名分だけあるというだけのことなのだが。それも相当意図的にやらないと無理)があることが
わかり、これを解決する方法を考えていたら、随分と時間がかかってしまった。

で、もっと大変なレビューの作業の方にかからなくてはならない。
大体全体は見ているので後は細かいところと、一回読んだだけでは良くわからなかった提案書を分析する、
そして、全体のコメントを書いていくだけで済むので、何とかなるのだが、兎に角、量が多い。
ファイルを開くだけでも時間がかかる。

その作業の前に、ちょっと一休みと思い、少しWEBを見ていたら、IT Pro の、この記事を見つける。
アメリカ人でお笑い芸人もやっているジェイソン・ダニエルソンさんのインタビューの後半だが、前半を含めて、
正論ばかり。僕がNISTEPの客員研究官時代から言っていたことと同じことなので、こういう人がいると、
変な共感というか安心感みたいなものを感じる。ただ、一番、そうだよね〜と思う点が、

 何か話し合っている間に、他の国に追い抜かされるだけなんですよね。グローバルではやっていけないと思っている、日本は。もうダメです。

だったり、最も共感したのが、

 変えたいんですけど、個人で何ができるのかを考えると、ほとんど日本については諦めています。一人が説得できるようなものではありません。

 国自体で、「こんなに意思決定に時間をかけすぎている状態が続くとダメになっていく」と自分自身が気づくまでは、何もできないと思っています。

という点なのは、本当に嫌な感じだ。「あるソフトウェウア工学者の失敗」で書いたのと同じなのだが、
これの結論は、しかし、教育にかける、若い世代にかける、ということになっている。
僕は日本人だし、教育者だから、諦める自分を許せないので。

でも、素直に現状を見ると、ダニエルソン氏と同じ気持ちになる。
それを立場とか、価値観で、自分を奮い立たせている。
#これが価値というものの最大の利点。(ただし、下手に動き始めると、
#それ故に、最も怖いもの。)

記事を読んでいて、最後で非常に落ち込む。記者が、

 同氏の言葉を聞いて「それはあまりに極論では?」「見方が少し偏っているのでは」といった印象を受けた方もいるかもしれない。

と書かれている。実際には、「IT Pro を読む人のかなりの数が、ダニエルソン氏の意見を極論として反発するだろうが」という意味のはずだ。
そう書くと反発されるので、こう書いている、と思う。僕も、そう書くことがあるので。

矢張り、駄目かな……

しかし、それでも!


2015年6月9日(火曜日)

Collective noun, 集合名辞

月曜日の特殊講義で、オブジェクト指向におけるクラス概念の誕生を、Hoareさんの Record Handling の論文(レポート)に求めて、説明をしていたとき、科哲史の川西君が、僕の説明に「えっ?」というような顔をしていたので、何か変な事を言ってしまったかと思って調べてみて、この4年ほど「創造的間違い」「創造的勘違い」をしていたことに気が付き驚く。

木曜日後期の「論理学の歴史」で、少なくとも2011年から、尾崎咢堂の文章の非常に稚拙な読み違いをしていた。それは、アリストテレス論理学の term(名辞) が特称の場合(これの1の意味)に、オブジェクト指向や集合論でいう singleton と解釈する(前者では、singleton pattern で使うインスタンスが一つのクラス, 後者では要素が一つの集合として理解する(すればよい)という立場。つまり、ソクラテスとは、ソクラテスというオブジェクトのみをインスタンスとして持てるクラス、集合ならば、ソクラテスだけからなる集合。この見方は、実は、随分昔にATTTという形理論を作ったときに考えたものなのだが、憲政の神様尾崎咢堂行雄が若かりし頃書いた論理学書11ページの集合名辞の説明を間違えて読んでしまい、すでに明治時代位の伝統論理学の見方では常識だったのだと考えていた。

そして、さらにそれに、term の原語 horos, terminus の意味を利用し、また、西田が西洋的論理を分別(ふんべつ)に基づく論理と理解するところを利用して、伝統論理学を term により、個も、集団も、それ以外と分別して、区切り取ってしまい、塀や壁の中に閉じ込める論理、と理解することにより、ハイデガー流に、論理を拒否する、あるいは、避ける、西谷の回互連関が、実は、一般者、類、種が、上から押さえて来る、あるいは包んでくる「縦の論理」ではなくて、個も類も種も横倒しにして平等にしてしまった「論理構造」として理解して、西田、田辺、西谷に共通の柱を通す、という昨年度の後期の特殊講義から始めた作業(今年の後期も前年は全く時間不足だった西田の部分をやります。今年夏の西田哲学会でも発表予定。完成したら「日本哲学史研究」に投稿させてもらうよう上原さんにお願いしてある)に発展させた。

で、この term, term logic の見方、伝統的論理学をちゃんと知っている人には常識で、オリジナルとして主張しては駄目なんだろう、それを西谷の空・回互連関に結び付けたところだけがオリジナルだと思っていたのだが、ポール・ロワイヤル論理学や、19世紀を中心にして、様々な伝統論理学の教科書を見てみると、どうも、それほど明瞭には理解されていなかったように見えて来た。

おそらくボンヤリとは理解されていて、分かっていた人には、当たり前と思われていたのだろう。しかし、明瞭な言葉で図まで使ってハッキリ言いだしたのは、僕が始めたことと思っていいらしいことがわかり驚いた。

で、11ページの集合名辞の説明を、どんな風に読み違えていたかというと、「集合名辞(collective term)は、特称名辞でも、通称名辞でもありえる」、つまり、G7 は集合名辞で、その意味は、the group of G7 でも the nations of G7 でもあり得るというような話なのだが、これを「特称名辞と通称名辞を合わせて集合名辞という」と誤解して読んでいた。その誤解を元に書いた講義資料が、これ

実は、Hoare さんが、変な言葉の使い方をしていて、Record Handlingの 1.3 節で、The objects of the real world are often conveniently classified into a number of mutually exclusive classes, and each class is named by some collective noun, s.uch as “person”, “bankloan”, “expression”, etc. と書いている。"people” なら良いのだが、"person” は、集合名詞 collective noun ではない。集合名辞を集合名詞と結び付けて理解していなかった僕は、それに気が付かず、「僕の意味集合名辞」として理解して話してしまい、それで川西君は「えっ?」という顔をしたらしい。Hoareさんの間違い(ここでわざわざ collective nouns という必要ない。Plural nouns と書けば十分)と、僕の間違いが重層し、それに川西君が否定的に反応し、それに僕が気が付く、という契機が触媒して、見つかった事実。まあ、発見とは、こういうものですね。実に面白い! :-D

で、それが契機となって、全体が明瞭になった。とはいっても、伝統論理学やらヨーロッパ言語文法における名辞、名詞の分類は、非常に曖昧に見えるし、納得いかないというところがどこかにある。恐らく、多くの日本人には、そうなのでは?この辺りが、西田の出発点の一つではないのかとも思うのだが、そうなると、結構、良い議論ポイントを探し当てていたといえそう。

いずれにせよ、この誤解は、大々的に言い立てて、修正せねば!まず、来週の特殊講義、その後で、今も出している2014年の月曜日後期の資料を修正。また、今年の月曜日後期では、伝統論理学の教科書をもってお extensive に survey して、その上で、自分の見方として提示する必用あり。このテキストが役立ちそう。ようするに、僕のATTTのアイデアはラッセルの記述理論から来ているのだな… (昔、Logic of Partial Term というものを考えていたが、その型理論版だった。) :-D

#ところで、今年の前期は、この特殊講義もそうなのだが、間違いと発見とか、自由な視点をどうやったら持てるかとか、
#そういうことに関心をもって、僕の講義を聞いてくれている人たちが何人かいる。その関連でいうと、この事例は、新たな発見が間違いを伴う形で生まれ、
#しかし、間違いを伴いながら、それには重要な発見があり、しかも、数年も間違いの部分に気が付かれないままに、それは進化を続け、
#ある小さな契機により、間違いが見つかり、しかも、間違い部分だけを切り離すことができて、むしろ、残ったものは、
#当初思っていたものより大きなものだった、という事例。実は、学者をやっていると、すくなくとも、僕の場合は、
#何か、手応えあるものを見つける場合の大半は、このパターン。大半と書いたが50%よりは少ないかもしれないが
#それに近いくらい多くある。で、ポイントは、学生さんの「えっ?」というような表情のように、どんなに小さなことでも、
#見逃さず、「徹底的に違和感の払拭を試みる」こと。大抵の場合には、何もない。たとえば、学生さんの誤解だったりする。
#しかし、極たま(このケースでは4,5年たっている)、大きなことが見つかる。
#そして、こういうことが起こるために、大変に大事な条件がある。それは「自分の間違いを素直に認めてしまう」こと。
#この場合は、おそらく2011年から2014年まで(おそらくと書いているのは、2011年の講義資料に該当する部分がないため。
#同じ尾崎の資料を使っているのは確かなのだが、集合名辞の説明をしてない可能性がある。黒板に書いた記憶がぼんやりとは
#あるのだが…)4年も間違えたことを講義していたことを素直に認める必要がある。ただ、それは、僕の見方が、
#昔からあったというのが間違いとなるだけであることに注意。つまり、新しい重要な見方を獲得したと主張するには、
#2011年から4年も、本当につまらない誤読をして、それを講義していました、と素直に認める必要がある。
#大きな主張のために、恥をさらさねばならない。間違いを見つけたら、ドンドン認めるべきは、学者の倫理
#として当然なのだが、そうでなくとも、こういうこともあるから、間違いの恥をさらす、などという
#のは気にせずに、ドンドン認めた方がよい。これは、そういう間違いを認めても、そんな失敗を軽々と乗り越えて、
#自分は進めるんだという、自信、あるいは、矜恃でもあるのです。若いころは中々できませんが、その内、できるように
#なりますから、それを目指して努力しましょう。 :-)


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