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2019年12月1日(日曜日)

名誉教授懇談会で講話

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時53分04秒

新ブログに新しい投稿をしました。
名誉教授懇談会で講話


2019年11月25日(月曜日)

「スティーブ・ジョブズの遺言」執筆ノート(1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時02分31秒

新ブログに新しい投稿をしました:
「スティーブ・ジョブズの遺言」執筆ノート(1)


2019年10月18日(金曜日)

2019年10月18日より新しいブログを開始しました。

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時04分45秒

2019年10月18日より、本ブログへの投稿を実質やめて、shayashiyasugi.com に林晋のブログを移転しました。
移転後の最初の投稿はこちら:「情報学者の人文科学研究 その2」初稿

当面は、新ブログに投稿したら、このブログでも投稿をしましたという投稿をしリンクを張ります。

古いブログは当面は維持しますが、近いうちに新ドメインにwebページとして保管する予定です。


2019年2月28日(木曜日)

京都学派アーカイブ 新版公開開始

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時43分12秒

京都学派アーカイブの new version www.kyoto-gakuha.org の公開を開始しました。

旧版、www.kyoto-gakuha.info は、4月中位に閉鎖予定。


2019年2月16日(土曜日)

久しぶりの正誤表更新

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時15分25秒

今朝、岩波文庫「不完全性定理」の第14刷が岩波から届く。

昨日は、20世紀学の博士論文審査のお手伝い。
審査委員から明治の近代化関連の質問やコメントがいくつもでて、
僕の興味の中心と関係が深いので、大変、面白かった。
これで京大での教育関係の仕事は、すべて終わり。

それで肩の荷が下りたのか、何年もサボっていた、
岩波文庫「不完全性定理」の正誤表を更新。

退職後は一般向けの著書や講演などを仕事の中心に据えるので、
それもある。

以前の自分からは、実に思いがけないことだが、一番の稼ぎ頭は、
京都学派関係になりそう。

それで、ボランティアで進める京都学派アーカイブの仕事も、
今よりさらに重要となるが、新アーカイブへの移行作業の
中で、今使っている Wadax より Xserver の方が、遥かに
大容量で、しかも、料金は安く、今ならキャンペーン中で、
ドメイン名1本が永遠に無料という破格の条件であることを知り、
自分のサイトも、Xserver に移すことを決定!
すでに新ドメイン名 shayashiyasugi.com (無料!)も取得。
でも、まだ、コンテンツが何にもありません。 :-D
#ちなみに、ドメイン名は、僕のパスポートが旧姓併記で、
#susumu hayashi yasugi であることから。hayashi で、
#ドメイン名を取得しようとすると、ありふれた名前なので、
#すごく大変だけれど、yasugi だと実に簡単!

今度は全部 WordPress でやることにする。
ということで、近い内に、このブログも移動予定。

でも、古いコンテンツの移動は大変そうだなあ…

今のブログは Xoops の WordPress module を使っているのだけれど、
同じ WordPress でも、おそらくは簡単には移せないのではないかと思う。
何せ、インストールしてから、一度も、バージョンアップしてないし。(^^;)

もし、誰か簡単な移行方法を知っていたら、教えてください。m(_ _)m


2019年2月10日(日曜日)

定年退職に向けて!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時37分26秒

この3月末日で定年退職だが、それに関する色々な書類などが来始めた。

PCに残るデータなどへの対応は、かなり前に、ほぼ完了し、先日、
研究室のメインのデスクトップPCも初期化した。このPCは不安定で、
それもあって初期化した。これからは私物のノートPCで対応。

科哲史の伊藤さんのお陰で、家具の処遇が決まり、後は本と史料だけ。

ただ、これが結構厄介。どれを残して家に持ち帰り、どれを廃棄するかの
判断が必要。また、史料はもともとが私物なので、良いのだが、家に置く
スペースはないため、PDF化して廃棄予定。このPDF化に時間がかかる。

院入試も終わり、大学の仕事では、後は博論の審査のお手伝いなどが、
残っているだけ。

この間に、京都学派アーカイブの新版の公開を始めて、これと、それに
関連した物品を日哲に移管して退職のための処理が本当の意味で目途がつく。

現代文化系の同僚たちが、大変、寛容に対処してくださるので、
予定以上にうまく行きそう。

で、道筋が見えてきたら、やる気が出てきて、停滞していた仕事が進み始めた。

とはいうものの、引き受けたのに完成できていない仕事の何と多いことか…
#ご依頼を頂いたみなさん。すみません。平にご容赦を!!!
#とはいうものの。大変遅れてはいますが、必ずやるつもりでいます。
#定年退職すれば、講義準備という、一番時間をかけていたものが
#ほとんどなくなるので、進むと思います。


2019年2月3日(日曜日)

ようやく忙しい期間が終わる

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時20分58秒

昨日の歴博橋本さんの研究会の講演で、超忙しい期間も終わり。

講演は、まずまずの反響。加納さん(東大地震研)も人文情報学との遭遇というテーマで講演して、
講演資料に、僕に感謝の意を書いてくださっていた。こちらこそ、感謝!!

懇親会があったが、1月30日に夕食を作れず、1日おいてまたでは、主夫としては、
気が引けるので失礼した。

2月2日の土曜日は、歯医者さんの予約以外は、特に用事がなくて、久しぶりにゆっくりできた。

2月2日は、節分の前日なので、京都では鰯が大量に店頭にならぶ。

実は、その節分鰯とは関係ないのだが、鮮度抜群というラベルのある中羽鰯の100円のパックを二つ買って、
ニンニクとオリーブオイルで焼く。

先週も、同じものを買って、いままでの鰯の料理で一番美味だったので、
今回も同じようにしたが、先日同様に、半分位は内臓を取った方がよかったかも…


2019年2月1日(金曜日)

西田幾多郎講演 at 京都アカデミックフォーラムin丸の内

カテゴリー: - susumuhayashi @ 09時16分46秒

この所、超忙しい。一昨日は京大オリジナル株式会社主催の講演会。場所は東京丸の内の新丸ビル10Fの京都アカデミックフォーラムin丸の内。
その発表資料: 講演「西田幾多郎 その人と思想 −京大時代を中心に―」

昨日は、20世紀学の卒論2件と修論3件の試問のお手伝い。

そして、今日は、午後に歴博の橋本君が主催の研究会で西田幾多郎新資料プロジェクトの紹介。
これが終わって、一息というところ。

先日、猪木武徳先生から計画中の出版の話でメールがあったが、退職に向けて忙しいでしょうという労いの言葉を頂いた。
まさにその通りなのだが、継続しないといけない二つの仕事、京都学派アーカイブと、西田幾多郎新資料翻刻プロジェクトは、
日本哲学史専修の上原さんのお陰で、継続できる目途がたった。特にアーカイブの方は、理想的な形で継続できそうで、
新バージョンのアーカイブも、多分、今月中には公開できるのではないかと思う。

このアーカイブの様に、実質個人でやっているアーカイブは、その個人が定年退職すると消えるといわれているそうで、
これが大きな問題だと思っていたので、KURAに、こういうものの受け皿を京大内で作ってもらえないかと提案したが、
どうなることか…

西田幾多郎新資料翻刻プロジェクトの方は、国から補助金をもらって石川県かほく市がやっているプロジェクトなので、
時限付き。このプロジェクト自身は、少なくとも来年度は、今の形で進めるしかないが、ビジネスにするとうまく行くの
ではないか、と考え、ある会社に提案中。

こういうものへの関心や投資、もっと増えて欲しい所。

今日の研究会の趣旨、まだよくわかってないのだが、アーカイブ関係の人もみえるようなので、
多分、こういうものも関係しているのだろう。


2019年1月23日(水曜日)

論文「西谷啓治と田辺元」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 21時42分35秒

「哲学研究」第603号に掲載された論文「西谷啓治と田辺元」を公開します。
校正中の田辺演習で、種の論理への数理哲学の影響などが、今までの、僕の説に
反して、種の論理の成立の最初からあったことが判明したのだが、それを研究として
纏めることは短時間では不可能だったので、その部分は触れず、夏休み前の田辺演習での
発見に言及するだけに留めましたが、講演「種の論理と数理哲学 田辺元昭和9年講義メモからの新発見」の様なことが分かっています。


2019年1月22日(火曜日)

西田幾多郎田中上柳町のサイトを更新

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時19分28秒

1月30日の講演と、新版京都学派アーカイブの公開に向けて、更新してなかった、田中上柳町の西田旧宅のサイトを更新。
吉田南図書館のお知らせのお陰で、西田幾多郎三高寄贈本について
に、寄贈本の画像を embed で表示できた。


2019年1月21日(月曜日)

東京で西田幾多郎について講演

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時56分00秒

前の幾つかの投稿に書いているように、下の図のポスターのような講演をします。詳しくは、こちらを。

募集開始が村上春樹さんのお名前などを使ってよいのかということの確認などで遅れたのと、募集期間に年末年始が入ってしまって、
まだまだ空席があります。

僕の話は、京都の哲学の道などに関連した写真が沢山入った気楽な話になります。講演用PPTや配布資料は、講演後にWEBに出しますが、
WEB公開版の資料からは、削除するように所有者から依頼されている写真がいくつかあります。例えば、西田一家が住んだ家の外観を、
昭和20年に跡取り息子の西田外彦さんが撮影された写真、疏水記念館から提供して頂いたインクラインの古い写真、長男の死を悼んで
詠んだ和歌を、長男の出身校である三高の図書館に寄付した哲学書の内扉に西田自身が墨書したもの、などです。


西田幾多郎講演に向けて準備中 (4)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時11分03秒

京大オリジナルでの講演用の「疏水が山から下りてくる」シーンの写真を漸く、二つ選ぶ。

これ

画像1

と、これ

画像2

最初の画像が、放水路の北側から、二番目のものが南側から撮ったもの。

今は、北側に砂利道が動物園東エンタランス前まで続いているが、南側も
一応は歩けるスペースがある。昭和の最初のころ、もしかして、南側も
歩いていた可能性は否定はできないものの、その幅などから、おそらくは
今と同じ道を歩ていた可能性が高い。

そうすると、「疏水が山から下りてきた所」まで来たときの幾久彦さんの眼に
映っていたのは、おそらくは最初の画像のような風景。

もちろ、放水路の上にかかる小さな木はなかったろうが。

昨日は、哲学の道の写真も撮ってくるつもりでいたのだが、
画像が夕景であるように、人通りが多く、なかなか撮影できず、
遅くなってしまったので諦めた。

で、哲学の道ならばフリー素材があるに違いないと思い、
探してみたら、京都フリー写真素材というサイトが見つかる。
その中から、次のどちらかを使う予定。


2019年1月20日(日曜日)

西田幾多郎講演に向けて準備中 (3)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時38分11秒

1月1日に撮影した扇ダム放水路の写真を、いざ使おうとして見てみると、なんだが平坦に見えて、
「山から下りる」感がない。

これでは、講演で使っても説得力がないと思い、土曜日、再度撮影に。

今度は、道を変えて、おそらくは、西田幾多郎や幾久彦さんが、辿ったであろう、
扇ダム放水路横の道を、反対に動物園から鹿ケ谷通に向けて辿った。

で、鹿ケ谷通と扇ダム放水路が交差する場所に来てみると、
鹿ケ谷通を歩く、人人、また、人!

で、人が入ってない風景の写真が撮れない…

ウーム、土曜日の東山界隈は、この様に観光客に人気なのか、
と思いつつ、一眼レフや、Huaweiのスマホ(^^;)、なでど
写真を何枚も撮る。

しかし、何となく水路の傾斜感がでない。

何度も、場所や高さを変えてやってみてもダメ…

それにしても、人が多いな、と思いつつ、東山中学高校の入り口
あたりを見ると、なんと「入学試験」という大きな看板が立てかけて
ある。それで、ようやく気が付いてみてみると、歩いている人の大半は、
親子連れ、それも中学生か小学生高学年くらいの子供たちとお母さん
という風情であることに気づく。

で、どうも、観光客でなくて、入試に来た人たちらしい

これは大変な日に来てしまったと、思いつつ、それでも粘りに
粘り、もう駄目かなと、思い始めたころ、ふと思いついて、
ザックから、念のために持ってきていた iPad を取り出し、
高く掲げて撮影。

なんと!これが成功。

それまでは、まだ、幼少だった幾久彦さんの視点を
再現しようと、腰をかがめて、低い視点から撮影して
いたのだが、その結果、視線と水路の勾配が平行に
なってしまっていた。それで水路がまるで水平に
流れているように映っていたいたことにようやく
気が付く!

で、僕は背が低いので、思い切り手を伸ばして、
iPad を高々と差し上げてパチリとやると、
何と、勾配感がでた!そうだったのか!!!
#こういう時、もう少し背が欲しいと思う。(^^;)

ウーム。わかってみると当たりまえだな…
しかし、それに人はなかなか気づけない。


2019年1月14日(月曜日)

西田幾多郎講演に向けて準備中 (2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時27分57秒

一つ前の記事の補足を少し。

幾久彦さんの話では、ピクニックの様に哲学の道あたりを歩いたとのことなのだが、
その終点が「山から疏水が下りてくるところ」、扇ダム放水路であったわけだが、
この放水路に沿って細い道があり、白川通まで歩くことができる。

その道は、昭和15年の地図でも確認できるのだが、その白川通の出口の
道を挟んだ向こう側に、動物園の東エントランス
がある。

西田は動物園が好きで、どうやら、子供や孫を連れて行くだけでなくて、自分だけでも行っていたらしい。
どうやって、子供たちと、そこまで行っていたのか、可能性が高いのは市電だろうかと思っていたが、
哲学の道沿いにピクニックを兼ねて歩くとしたら、まさに扇ダム放水路の沿って、白川通に出て、
そこから動物園に行くというようなルートも考えられる。

そう考えれば、散歩の終点が「山から疏水が下りてくるところ」だったというのは、
非常に納得ができる話だ。もっと早く調べて、幾久彦さんにお話しして、記憶を
辿って頂きたかったのに、僕がまごまごしている間に幾久彦さんが亡くなってしまい、
実に残念だった。


西田幾多郎講演に向けて準備中 (1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時10分46秒

今月30日の東京での西田幾多郎についての講演会のために、色々と準備中。

その間、二つ意外なことがあったので、ちょっと書いておく。

まずは、元旦に、散歩も兼ねて、西田のお孫さんの幾久彦さんから聞いた
「疏水が山から下りてくるところ」という場所が、蹴上のインクラインで
あることの証拠となるような写真を撮影に行ったのだが、これが予想と
違っていたという話。

疏水記念館から頂いた、幾久彦さんが見たであろう風景の古い写真と、
なるべく近い位置から現在の写真を撮る。その写真は船から撮ったらしく、
全く同じ位置からは撮影できなかったが、かなり近い位置から撮影できた。
道路や橋など、随分、今とは違っているが、小さな橋の欄干などがそのままで
残っていて撮影位置が特定できた。

良い写真が撮れたと思って、もう一つの候補、野村美術館向いにある
急傾斜の水路に向かう。ここの写真を撮って、こちらは「山から下りてくる」
という風ではないでしょう、と説明でするつもりでいた。以前は百万遍まで
自転車通勤で、気が向いたら、南禅寺の境内を通り、ねじりまんぽから三条通にでるという
ルートを辿っていたので、この水路の記憶は漠然とあり、水路として
小さすぎて、山から下りてくる感はないと思っていたのだが、現地に行ってみて
ビックリ。記憶と全然違う堂々たる水路で、その水源が、永観堂の境内の山を
背景にしているため、まさに「山から下りている」という風に見える。どう考えても、
こちらだ!一緒に行ったパートナーにも意見を聴いたら、同じく、こちらの方が
ふさわしいという意見。やはり、現地、現物を押さえないとだめだ。

問題は、この水路が、昭和10年代に既にあったかどうか。明らかに野村の
碧雲荘に水を供給しているので、おそらくあったはずなのだが、
これもちゃんと抑えねばならないと、疏水に関する昭和15年の書籍を買ってしてしらべたのだが、
あまり良い情報はなく、WEBの方で色々と情報が手に入った。

これは扇ダム放水路というもので、水路閣を通って北上する疏水が、
さらに二つのトンネルを通って、哲学の道横の疏水につながる中間点、
二つのトンネルの間のわずかな地上部分にある扇型の小さな水量調整池、
扇ダムからの放水路であることが判明。

この論文から、明治時代には、すでに真々庵などに水を提供していたことが公的文書に残っていることが分かり、これで確定。

また、これについては、ダム愛好家の夜雀さんのサイトに、詳しい情報や、永観堂の墓地から撮影した扇ダムの写真などがあり、
お願いして、これを講演資料に使わせてもらうことになった。

京都学派研究を思想史的にやっていると、現地が観光スポットと重なることが多いが、
その一例で、高校生のころに、白川書院の雑誌「月刊京都」を定期購読していた
僕としては、大変嬉しい。 :-)

というのが一つの話。

もう一つは、西田の数学についての面白い記述を見つけて、この人は、数学を、というより、
数学の思考方法というものを、よく理解していた人なのではないかと思ったという件。

西田の田中上柳町の家での悲惨な経験と、場所の論理とつなぐために、大正12年の有名な和歌
 我心 深き底あり 喜びも 憂いの波も とどかじと思ふ
をキーにすればよいことに気が付き、そのために、「心の底」に類する用語が西田の論文に
どの様に使われ、また、その哲学体系にどう位置付けられているかを、いろいろな論文で
調べている最中だが、もっとも端的に表れているのが、旧版全集11巻に収録の
西田最後の論文「場所的論理と宗教的世界観」。

で、この11巻には、西田晩年の数学論・科学論が含まれているのだが、
一応、それも調査していたら、
 私には、数学者の集合の概念というものは、あまりに無造作に不精密なものと思われるのである。
 私は数の概念は私のいわゆる世界把握の論理たる場所的論理の立場から出立すべきであると考えるものである。p.245
や、
 数学者は非分析的に数の直覚の如きものと有つて居ると思う。p.250
というような文が、多々あった。

僕は数理論理学者だったので、どちらかというと集合よりの数学者だったが、
そうでない普通の数学者と自分の思考回路がなんだか全然違っていて、
数学科に入学した当初は、随分、違和感に苦しんだ。

まさに、整数論、代数幾何とか、複素多様体論とか、そういう数学中の
数学をやっている人たちは「数学者は非分析的に数の直覚の如きものと有つて居る」
だったのである。

数学科で鍛えられたお陰で、そういう直覚の様なものを少しは身に着けることが
できて、それから数学者の思考方法というものを、少しは理解できるようになったが、
今でも、正直言って、自分は数学者ではない、また、なかった、と思う。

ところが、恩師北条の勧めに反して、数学の道に進まず、哲学を選んだ西田だが、
どうやら、この人は、数学者のマインドを持っていたのではないか、という気がする。
数学を場所の論理で基礎づけるというのには、「西田先生、おやめください」と
言いたくなるが、まあ、それは愛嬌というものだろう。 :-D


2018年12月7日(金曜日)

琵琶湖疏水記念館訪問

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時25分31秒

12月6日木曜日は、西田幾久彦さんの、「疏水が山から下りてくる所」まで、祖父の西田幾多郎とピクニック、あるいは、
散歩をした、という証言の、「疏水が山から下りてくる所」を同定する情報を教えていただくために、
琵琶湖疏水記念館訪問。

学芸員の方が、水木金と勤務とのことで、この時に訪問しようと思いながら、
ずるずると遅れていたのだが、数日前に、同館が、大幅なリニューアルのために、
暫く休館すると、京都新聞で読んで、木曜日に電話連絡して、その日の内に訪問。

急な訪問にも関わらず、学芸員の白川さんに、丁寧に、また、適格に対応して
頂き、欲しい情報は、ほぼ全部取得できた。

白川さんと疏水記念館に感謝。

この様に上手くいったのは、白川さんが歴史学で学位もお持ちの方だからだろう。
京都市水道局は良い人を雇ったものだ。

疑問に思っていた、水路閣の水の行き先、東山高校の横の滝のような
急傾斜の水路の目的など、教えていただいて、第一疏水の蹴上を
中心とした様子を、ほぼ理解できたと思う。

記録のために:
1.水路閣の水は、疏水分線へ水を送っている。ただし、その多くが、
トンネル内にあるため見えない。このトンネルを出た時、哲学の道を
含む疏水分線につながる。これはトンネルが長く、かなり緩やかい
の流れと思われる。そのため、水路閣の水が「山から落ちてくる」
ような場所はない。
2.東山高校横の、急傾斜の水路は、疏水の水を野村の別邸などに
供給するために作られたもの。正確に言えば、疏水の一部ではないらしい。
実質は、それで正しいのではないかと思うが、正式の話は、それとは別。
3.創建以来、疏水の流れは、ほぼ変更されていない。

東山高校横の水路が、「疏水が山から下りてくる所」であっても、
インクライン横の水路が、「疏水が山から下りてくる所」であっても、
どちらにしても、「疏水が山から下りてくる所」とは、インクライン
などを含む、蹴上の小高い丘の辺りだということは、ほぼ間違いない
だろう、ということで白川さんも、林も納得。

大正期ころのインクラインの写真の著作権の問題も、白川さんの
サポートで、解決できそう。

感謝!!!


2018年11月24日(土曜日)

第6回田辺哲学シンポジウムで報告予定

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時22分01秒

数学基礎論と種の論理との関係についての新しい史料を精査する前に、どこかで速報できないものだろうかと、
西田哲学館の中嶋さんに相談したところ、竹花さんが世話人をしている「第6回田辺哲学シンポジウム」という
ミーティングを紹介してくれた。

もうプログラムが決まっていて、割り込む余地はないが、無理を言って、
二日目のトークセッション中に、短く報告させてもらうようにお願いしたところ、
快諾してもらえた。

ということで、急遽、博多の宿を予約したのだが、驚くほど高い!!
外国人観光客のために週末が高いらしい。幸い、博多中心部から外れた所で、
むしろ、会場に近い所に、公共の宿で、リーズナブルな所を発見。

それでも平日の数倍の料金らしい。京都は観光公害といえるレベルになっているが、
博多も酷いらしい。日本にもトランプが生まれるか?

それはないだろう。多くの日本人の心の中にはトランプが潜んでいるから、
日本ではトランプは必要ない。むしろ、安倍政権が表面上親トランプながら、
実はグローバリズムを志向している点は、実に皮肉だが、マックス・シェーラーが、
日本を「少数の官僚たちが改革をすすめる、保守的な人民たちの国」と評してから、
およそ1世紀。

シェーラーが、病で急死せず、予定通り東北大の教授となっていたら、
この国を、その目でみたら、果たして、なんと評したろうか。
聞きたかったものだ。


2018年11月15日(木曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(6)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時03分47秒

「数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(1−5)」が対象とする、田辺元昭和9年講座(講義の当時の名称)の史料画像S09_027の、(1)行番号付き画像行付き画像、(2ー5)追記などで分かりづらい所のクローズアップと、その行番号付き画像付き版、計5枚を公開。

S02_027 行番号付き画像行付き画像

行47-53

行47-53 画像行付き

行70-81

行70-81 画像行付き


2018年11月14日(水曜日)

「西谷啓治と田辺元」校正一回目終

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時36分55秒

雑誌「哲学研究」に投稿した論文「西谷啓治と田辺元」の校正の一回目が終わる。
と、書きながら、二回目があるかどうかは知らない。あって欲しいところ。

この校正をやっていて、困ったのが、この投稿の前の幾つかの投稿で、
報告した、最近見つかった歴史資料について、書くかどうか。

最初は、「文末追記」などとして、書く予定だったが、
結局やめた。

理由は、新発見が、未だに生煮えだから。

まず、間違いないとは思うが、その確認作業が
終わっていない。その意味では、完全にオープンの状態。

もう少し検討した上で、西田哲学会か、日本哲学史研究、
あるいは、思想、あたりに投稿か?

それまでは結論は封印!!!

ということで、ここに書いていることが、
学問的厳密性を求めることでおきる
「封印」の非即時性を緩和する試み。


2018年11月13日(火曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(5)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 09時34分33秒

11月9日の演習後のバージョン。一応、ドイツ語で理解できるものは訂正したつもり。

$40$ ◎ 種ノ論理ノ特色ハWeltヲLebenヤ
$41$ Dasein(人間存在)ヤNichtsヲ媒介トシテ考フルニアラズシテ
$42$ m speziale Gemeinschaft ヲ媒介トシ世界ヲ社会ノ
$43$ 媒介ニ於テ考ヘントスルナリ.
(2018.10.12)
$44$ ◎Weltヲ実?トシテ時間ニテ考フルガLebensphil.
$45$ ExistenzialseinノMystikニ共通ノ考方ナリDialektik
$46$ ハ否定ノAbscheidung,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:renz
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ空間ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:usserlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. (2018/10/19この少しあとまで)PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektische Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikabilita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomisch, dialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphysik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphysik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガabscheidenシ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


2018年11月8日(木曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(4)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時53分38秒

満原さんからの、ドイツ語の間違いの指摘で、先週金2で修正したのを
覚えていた単語まで間違えているので、問い合わせてみたら、
ファイルの送付ミスで、ファイルが古かったことが判明。

これもやはり間違いが多いのだが、一応、最新版を再掲示:

画像

翻刻テキスト

$46$ ハ否定ノApscheidung ,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:reng
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ実間?ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:userlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. (2018/10/19この少しあとまで)PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektiche Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomischノdialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphisik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphisik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガals ahi…シ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(3)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時11分50秒

二つ前の投稿の翻刻のドイツ語の綴りなどが、かなり間違えていると、
西田幾多郎新資料プロジェクトの研究員の満原さん(日本哲学史)から、
指摘をもらう。満原さんからのメモ:

$46$ Apscheidung → Abscheidung
$46$ Entgegen@@zig →
Entgegensetzig?(こんなドイツ語あると思えませんが、Entgegensa:tzigならありうるかもです)
$52$ Inha:reng → Inha:renz
$58$ A:userlichkeit → A:usserlichkeit
$63$ dialektiche → dialektische
$64$ Nonpra:dikatibita:t → Nonpra:dikabilita:t
$65$ antinomischノ → antinomisch,
$66$ Metaphisik → Metaphysik
$68$ Metaphisik → Metaphysik
$82$ als ahi … → abscheiden(?)

この部分の担当の澤崎君がドイツ語をやったことがない人なので、
これは仕方がない。いつもは、ドイツ語ができる人で、演習中に
直すのだが、この部分は内容の方に意識が行って、綴りは、
殆ど無視してしまっていた。ただ、Nonpra:dikabilita:t
は、もしかしたら、僕が間違えたのかも。(^^;)


2018年11月5日(月曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時05分06秒

一つ前の投稿について、もう少し。

田辺は、1934年、つまり、種の論理が生まれた昭和9年に出版された Heyting の

Mathematische Grundlagenforschung Intuitionismus Beweistheorie 1934 Springer

を読んで、直観主義連続体と直観主義実数の関係が、種と個との関係に似ていることに気が付き、
そういう書き込みをした。

そして、その時から、数理の概念、つまり、連続体や実数が、種の論理を導き始めたと思っていた。

その様に、論文にも書いている。

つまり、直観主義連続体論が、人間の意志さえ数学に持ち込むことができる、
非常に特殊な連続体論であるために、この様なことがおきた。
通常の連続体、田辺が外延的と Heyting の本に書き込んだメモでは書かれている
連続体では、種の論理を先導できないので、種の論理を先導した数理とは、
直観主義連続体論でなくてはいけないと思っていたのだが(論文にもそう書いている)、
岩波数学講座で切断と弁証法を関連づけたあたりから、直観主義連続体と関係なく、
内包的な連続体を考えていたという可能性が高い。

昭和9年講座の史料(ひとつ前の投稿に、その一部分を張り付けている史料)での

数学ノGrundlagenforschungガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ免レヌ如クantinomischノdialektischナリ.

の意味することだろう。(a:はäの田辺演習での略記方法)

ようするに、僕の当初の「より穏便なシナリオ」は、ほぼ崩れ、
「過激なシナリオ」の方が正しい蓋然性が極めて高くなった。

田辺元…

なんと過激な人なのだろう…


2018年11月4日(日曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時44分35秒

 先週金曜日の田辺元演習で澤崎君が報告してくれた昭和9年田辺特殊講義の準備ノートに、
さらに数学基礎論への言及がみつかる。これで、昭和29年の「数理の歴史主義転回
―数学基礎論覚書―」における数学の基礎についての田辺の意見で特徴的なものは、
すべてそろったといえる。

そして、その記述や、それを取り巻く種の論理の構造を
構築している記述からして、驚くべきことに、田辺が昭和10年代に、
「数学基礎論が種の論理の展開を指導した」と書いたことの意味が、
僕が今まで想定していて、論文でもそう書いていた

種の論理は昭和9年(度)に社会哲学として生まれ、その後、Heyting のBrouwer
連続体論の説明を通して、数学との関連が意識されるようになり、
その後の種の論理の発展を指導した。

ではなくて、

数理、特に連続体の数学基礎論などの数学基礎論的考察が、昭和9年に
種の論理の誕生をガイドした。

と読み替えるべきのようだ。

あまりのことに、唯々、驚くしかない。

しかし、この時代としても、田辺はすでに古臭いといえるが、
まあギリギリ、そういう時代だったともいえるのかもしれない。

西谷が、その様な印象を持っていて、また、田辺とハイデガーの詩論を比較するときに書いているように、
田辺の哲学は徹頭徹尾数理から生まれてきているのかもしれない。

ただ、この数理の影響を、マールブルグ学派の様に、あからさまに見せなかったところに、
やはり、時代の変化があるのだろう。

まだ、見つかったばかりで、さらなる分析が必要だが、とりあえず、概要を以下に報告する。

田辺研究の方向性に影響を与える史料だから、研究が完成した後で、などと言わずに、
どこかで報告しておく必要がありそうだ。日本哲学史研究か、西田哲学会あたりか?

オリジナルと翻刻をSMART−GSで表示したものの画像がこれ:
(2018.11.08に翻刻が最新版でなかったことが判明。ファイルの送付ミス。
投稿「数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(4)」に最新版を掲示)

まだ検討は必要だが、種の論理における類種個の構造を
Sein Nichts Werden 三者に対応させている所があり、前後からして、
種の論理が、数理、しかも、Heyting の著作以前の、田辺の連続体理解に、
影響を及ぼした可能性が高い。

以下、該当箇所のとりあえずの翻刻(京大文、田辺元研究会)。

$40$ 種ノ論理ノ特色ハWeltヲLebenヤ
$41$ Dasein(人間存在)ヤNichtsヲ媒介トシテ考フルニアラズシテ
$42$ m speziale Gemeinschaft ヲ媒介トシ世界ヲ社会ノ
$43$ 媒介ニ於テ考ヘントスルナリ.
(2018.10.12)
$44$ ◎Weltヲ実?トシテ時間ニテ考フルガLebensphil.
$45$ ExistenzialseinノMystikニ普通ノ考方ナリDialektik
$46$ ハ否定ノApscheidung ,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:reng
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ実間?ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:userlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektiche Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomischノdialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphisik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphisik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガals ahi…シ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


2018年10月18日(木曜日)

西田幾多郎についての展示会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時32分49秒

9月4日から、時計台一階の歴史展示室で、次の展示を開催中。

これはかほく市の西田哲学館の主催で京大文書館が共催、文学研究科が協力、で開催されている。

人づてに聞いた話では、展示室のレセプションに、この展示についての問い合わせの電話が良くかかってきているとのこと。新聞(朝日、毎日)やNHKテレビで報道されたので、その影響もあるのだろう。

展示の様子は、こんな感じ:

入口の表示板




西

東の展示ケースの中に本がみえるが、これが西田が三高を卒業したばかりで、京都帝国大学への入学を待っていた長男の謙さんが病気で急逝した際に、三高図書館に寄贈した本の一つ。

謙さんの写真と西田が悲嘆にくれて詠んだ短歌が幾つか、西田の肉筆で書かれている。

これらの歌は、よく知られているが、それを西田の直筆で謙さんの写真とともに見ると、西田の深い悲嘆が伝わってくる。

これは三高図書館の歴史を引き継ぐ吉田南図書館に貴重書として保管されているもので、今回、これを史料館の依頼で特別に出していただいた。

画像は京大のルールで、画像を、京都学派アーカイブとか、このブログに置くことはできないのだが、吉田南図書館の、このお知らせにでているので、その画像をembed で表示。

最初の写真には、三高の帽子を被った謙さんの写真の左右に五首の和歌がある。その三番目のものと五番目が次のもの:

  垢つきて 仮名付多き 教科書も 貴きものと 筐におさめぬ

  徒らに むくろ残りて 人並に のみて食いて 笑いてぞ居る

筐は、箱のこと。この二首の和歌の意味としては、上のものが、「垢がついて汚くなった、漢字に仮名でルビを多く書き込んだ教科書も、謙が死んでしまった今では、貴いものと思われて遺品の箱に納めた」、下の方のものは、「謙は亡くなったが、私の肉体だけは、いたずらに残ってしまい、人並みに食って飲んで笑っている。しかし、私はもう抜け殻なのだ」となる。

実物を見ると、西田の深い悲しみが、心にひしひしと迫ってくる。西田は本当に深い感性を持った人物だったようだ。それが、三木の様な若者たちを引き付けて京都学派が形成されたのだろう。

展示は11月4日までです。入場無料。京都に近い方、京都にお出でる予定がある方、是非、お立ち寄りください。


2018年8月27日(月曜日)

日本でも本物のイノベーション!

日経ビジネスからのメールを見ていて、気になるタイトルを見つけたので読む。これ:

「がっかりな」機械に記者たちが感心した理由

これこそが、本物のイノベーション!!

気負いがない自然体なのがいい。やりたいのは農業、イノベーションではないのだから。そういう所に、本当のイノベーションが生まれる。

日産の e-power といい、日本でも自然にこういうものが出るようになってきたのだろうか。

多分、世代が変わってきたのだろう。

現場発「地味な発明」こそ、農業を救う ベンチャー農匠ナビ開発の自動給水機 過度な機能は排除


2018年7月7日(土曜日)

大雨の中、田辺演習、なんと、Hilbert!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時15分10秒

昨夜からの大雨で、京津線は止まっているらしく、これは休講になるかと思って、
WEBで調べたら、どうも休講ではないらしく、念のため、総務と教務に電話したら、
通常どおりとのこと。

また、担当者の吉水君もやるつもりとのことで、田辺元演習のために登校準備。
こういうときは地元のタクシーを呼ぶのだが、いつもすぐ来てくれるタクシー会社が、
ずっと話中…

大慌てで地下鉄へ、改札口に近づいたところで、電車が出る音が聞こえた。
で、7分待ち。いつもならば、多分、乗り入れている京津線の電車が
くるところなのだろう。

東山三条では、幸い、すぐタクシーをつかまえることができて、
結局20分以上遅れて、ようやく研究室へ。

で、昭和9年講座(講義のこと)、27頁S09_027.jpg に、
すごいものが2つみつかる。

最初はのものは、これ
種の論理と世界

種の論理の特徴を、生の哲学、ハイデガー、西田などを意識して、
書いており、Welt(世界)を社会から考えることとしている。
これは後の「論理の社会存在論的構造」(昭和11年)ででてくるテーゼだが、
なんと、種の論理が建設され始める、その最初から、これが準備されていたことになる。

Welt 世界とは、田辺が数物と呼ぶ、数学や自然科学が入っていて、
社会学の論理で、自然科学の論理を解明するということになっていて、
通常の考え方の逆なので、「論理の社会存在論的構造」では、
ノイラートの統一科学などを持ち出して「弁明」をしているのだが、
かなり、無理がある議論に見えるので、種の論理を進めて行って、
少し勇み足気味に、数物にまで言及したのだろうと思っていたのだが、
実は、種の論理が、まだ、形作られてない時から、社会→数物が、
意識されていたらしい。

さらに驚いたのが、これ
Hilbert
まだ、完全には読めてないのだが、ヒルベルトの公理論を、
歴史、社会、進歩に関連づけて議論していることは確か。
もし、ヒルベルト公理論に、公理の自由性の故に、そこに
歴史が入ると言う意味ならば、これは戦後の「数理の歴史主義展開」
のテーゼ、そのものだ。

ここまで種の論理の最初に準備されていたとは、本当に驚いた。

以前から、僕は田辺を「螺旋の哲学者」と呼んでいるが、これは、
田辺が同じテーマに何度も立ち返りながら、段々と議論を進化
させるから。

例えば、戦後、田辺は種の論理を真宗の往相還相で改変するのだが、
この内、還相は、浄土の先達が、この世に戻る、つまりは、菩薩となる
ことと理解できるが、実は、昭和9年の「社会存在の論理」には、
すでに「菩薩道」という言葉がある。

田辺は、色々の可能性をいくつも考えて、その中から、適切なものを
選んで理論を組み立てているらしい。それで、古い時期の傍系的
ものが、随分、年月を経て、新たな主題として採用されるということが
よくある。

しかし、まさか、数理の歴史主義展開まで、種の論理の建設時に
考えられていたとは…

ビックリ!!!  :-o

こういう、あっと驚くようなものが、突然見つかるのが、
一次史料ベースの歴史学の醍醐味で、これがあるからやめられない。 :-)

午後、講義のために教室に行ったら、休講の張り紙。
なんでも、12時台の終わりころに吉田学区に避難勧告が
出たので、休講になったとのこと。

どうせかなり離れた東山かどこかの崖が危なくて、
そのために出た避難勧告だろう、なんと大げさな、
それなら朝から休講にしてくれと、思って、
後で調べたら、何と神楽岡(吉田山)の西側が
土砂災害警戒区域になっていた。

がけ崩れが、想定より酷ければ、情報学の建物あたり
まで土砂が来る可能性がある。

考えてみれば、白川通を超えるから、東山は吉田学区ではない。

なるほどと納得。
#調べたら、真如堂も吉田ではなかった。
#神楽岡通で分かれているらしい。

これを書いている夜中には、雨も上がり、
鴨川の水位も下がってきているようだ。
ただ、桂川は大変らしい。


2018年6月29日(金曜日)

砂礫質台地

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時48分40秒

以前から、地震の際の危険度を理解するために、自宅の地域の地質を知りたかったのだが、
それが分かるサイトがあることを、遅ればせながら発見。

それによると、僕の自宅の辺りの地質は、砂礫質台地というらしい。疎水沿いの散歩道を
歩くと、そういう堆積した砂礫からなる地層を目にするので、これは非常に納得。

この地質は、山地やら岩盤やらに次いで地震に強い地質らしい。

それで阪神大震災の際に、今回の大阪の地震より強い揺れがありながら、ほとんど何も
倒れず、近所の方たちとも「報道されている、京都の震度ほど、大きな揺れでしたかね?」と、
話しあっていた理由も説明できる。

今回は、揺れの波長が小さかったために、逆に、軽いものが沢山落ちたので、
補修したのに、家が地震に弱くなったのか、と心配してしまったが、
取り越し苦労だったようだ。

まずは、一安心。 :-)


2018年6月20日(水曜日)

リゾーム、地震被害

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時58分25秒

注文したリゾームが週末に来る。
1977年版で見たはずの挿絵の様なものがない。
復刻でなくて、再版だからだろう。
あるいは、別の本だったのか?
覚えているのは、絵と題名だけだから、
確認のしようがない。それにしても、
1977年版は、古書として出るとすぐ売れる
らしい。

月曜日は関西大高槻キャンパスで講義なのだが、
早朝に地震で休講。

京大は、創立記念日で、閉まっていたのだが、
家で色々なものが落下したので、整理整頓が
できておらず、書類など積み上げている研究室が
心配になって午後に登校。

いろいろ、落ちたり、倒れたりしていて、
多くは無事だったが、京大招き猫が落ちて割れていたので掃除。
neko

関西大高槻は明日、木曜日から、講義を再開とのこと。
来週月曜日も、まだ、余震があるかな??


2018年6月15日(金曜日)

「リゾーム」復刻版の古書を注文

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時16分59秒

学生、院生が就活で忙しく開くことができなかった田辺演習を再開。
情報・史料学は、昨年度、募集停止にしたので、4回生とM2しかいないために、
こういうことになってしまった。昨年からの顔ぶれが半分位だが、
日哲の院生さんが新メンバーとして参加。ドイツ語も良くできるようで、
初回から良く読めていた。立派。

今年は数学をやっている北部キャンパスの院生さんも参加してくれている。
それで演習後にツェルメロとハイデガーの逸話などを少し話す。
やはり、意外に響くらしい。

僕には、もう当たり前のことになってしまっていて、特に話すまでもない、
と、ついそう思ってしまうことの一つだ。皆の反応からして、
多くの人が面白いと思うはずだし、また、文系は国立大から出ていけと
聞こえるような提言がでるような、この時代には広く知ってもらうことに
意味があることの一つだろう。

不完全性定理が濃密だった哲学と数学の交流を最終的に切り離したという、
僕の説に基づく岩波新書「ゲーデルの不完全性定理」、
早く書かねば!

それにしても、人文知と科学技術の乖離は大きい、というより、広がるばかりか…

先日、サントリー財団の堂島サロンでお会いした、経済学者の猪木武徳先生から、人文知の復興のような
ことを書く本のシリーズ(ただし、数冊)を作るので、一冊書いて欲しいと依頼を頂く。本当に書けるか、
もう、言いたいことは書いてしまったのでは、と思って、少し躊躇していたのだが、もう一度考えて
みたら、実は、書いてないことが沢山あることに気が付く。京大文に在籍中に考えたことの
大半は、実は、本とか論文になってなくて、僕の講義資料の中にのみあることに
自分では気が付かなくて、もう、どこかで公表した様に誤って認識していたことに気が付く。 :-(

これは、困ったことだが、しかし、定年後、本にすべきストックが沢山あることに、
今頃、漸く気が付く。人間の自己理解なんていい加減なものだ。
猪木先生のお陰で、これに気が付けてよかった。 :-)

僕の講義資料は、書籍並みに詳しいので、つい、書いた気になっていたらしい。
考えてみると、2回生用の「情報歴史社会学入門」と、タイトルは、もう忘れて
しまった「ITと哲学の関係」の講義を組みわせると、ちょうど良いことに気が付く。
後者は、論文にする予定だったのだが、講義を終わったら、あまりにも当たり前の
ことに思えてきて、面白くなくなって、今まで書いていなかった。当たりまえというのは、
たとえば、トニー・ホーアさんが、オブジェクト指向の祖となるようなことを、
最初に提案した文章をみると、用語や考え方に明らかに、伝統的論理学の影響が見えることなど。

で、これは、英米人などに言うと、「林は、また、当たりまえのことを大変そうに言っている」
と言われるのではないか、と思い書くのを止めた。

それが、今回は、日本の情報技術者に、ITが如何に伝統論理学などから影響を受けているかを
示すための客観的証拠に使えることに気が付く。この場合、当たりまえだから良い!
ということで、お引き受けすることして、それで先週だったか、先々週だったかに、
進々堂でお会いして、内容など相談。小林道夫先生や、中馬さん、久米さんなど、
共通の知人が多くて、話が弾んだ。

猪木先生が、僕に声をかけてくださったのは、文理の両方を専門的にやった人間だから。

そのためだったか、何かの偶然だったか、WEBブラウジングしていて、立教大学の
数学の学生だったころだと思うが、要町の交差点の北東の角にあった小さな本屋で
買って、読んで衝撃をうけ、思考法が大きく変わった、ある本が、そのころあった
雑誌エピステーメーの臨時増刊号「リゾーム」であったことに気が付く。

記憶に残っていたのは、おそらく訳本にだけあるのだろうが、ペンで描いたような地下茎を意味する
らしい、くしゃくしゃの線の塊と、題名が地下茎リゾームだということ、そして、エピステーメーという
雑誌の名前、それから、これを元に、数学は複数の星雲から成り立ち、ある星雲は、他の星雲を観測できて、
それは互いに、観測可能で、これが中心という場所はないのだ、という考え方にたどり着いたこと。
まあ、要するには、直観主義数学も、古典論理に基づく標準的数学も、哲学的には同じ価値を
持つという思想。

で、もう一つ記憶があって、その本を読みつつ、数学ではなくて、こういうことを
やって生きていけたらいいな、と一瞬思ったこと。数学で食えるかどうかも分からなかった
修士の学生には、それは絵空事で、すぐさま、頭から外したが、記憶は鮮明に残っている。

で、その「リゾーム」、どうやらドゥルーズ・ガタリの「千のプラトー」の序になった
文章らしい。また、出版が1977年で、ちょうど、僕の最初の論文(というより報告、学士院
紀要なので)が出た年。ということで、おそらく、あれは立教大学の修士の2年生ことの話だと
気が付いた次第。それまでは、学部生のときだったのか、院生のときだったのかも、思いだせ
なかった。

で、僕は、この論文で、「千のプラトー」について書いているわけで、
修士の院生だったころの一瞬の夢が、実現していることに気が付いて驚く。

こういう時、歴史家なので、ちゃんと確認したくなる。で、1977年刊の朝日出版社の
「リゾーム」が、本当に僕の記憶の「リゾーム」なのか、確認しておこうと思い、
田辺演習後に、教育の図書館にある学内唯一らしい、それを、Kulineで検索して
みたら、貸し出し中…

アマゾンでみたら、1987年の復刻版が古書ででていたので注文。明日には来るだろう。


2018年6月4日(月曜日)

物書きになるか!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時58分49秒

もうすぐ65歳になり、今年度の末で定年退職になる。

その後、どうするのですか、と聞かれることが増えているが、予定はない。

昔ならば、どこかの私大に就職するところだろうが、今時は、僕程度の学者では、なかなか、そういう声はかからない。

年金だけでは、少し心もとないので、何か働くべきだと、色々と思案してみたが、やはり物書きが一番良いように思う。

実は、30代、龍谷大学の教員だったころ、あまりに働きすぎて、ダウンしてしまい、1,2年使いものにならなかったことがある。そのころ、よく言われていた燃えつき症候群になってしまったのである。

幸い、その後、神戸大に移って、亡くなったKさんの贔屓のお陰で、随分、サボれたので、回復して、今に至っている。

その頃、考えていたのが、大学を辞めて物書きになり、それで生きていくこと。つまり、本を書いて、印税で生きていくという人生。

それで、真剣に、どれだけ本を書けば食べていけるか計算していた。

その結果は、かなりシビアであった。

実は、岳父の八杉龍一が、まさに、そういう風に生きて、家族を養っていた。

龍一は、本当に素晴らしい人で、山口昌哉先生とともに、学者としての僕の目標なのだが、八杉の母に、そういう生活の厳しさを諭されて、そういう路線は諦めた。

実際、物書きだけで家族を養うのは、本当に大変で、ギャンブルの様なところがある。それをできた八杉龍一は、やはり素晴らしい人物だと思うが、年取って、少しは物事がわかるようになった今、義母の心配がよくわかる。

僕の場合は、年金に幾ばくかをプラスすれば良いだけなので、何とかなる可能性がある。

と、いうことで、これからは、一般向け解説書の著者モードに移行したいと思っている。

その矢先に、割烹飯田の予約が年内一杯ということを知る。

今日、パートナーが、以前の様に、予約の電話をしたら、年内は、一杯とのこと。

段々、予約が難しくはなっていたが、これは異常だ。多分、ミシュラン三ツ星の効果で、わけも分からない人たちが、予約を入れているのだろう。これでは、以前のように飯田で食事をするのは、ほぼ、無理だ。悲しいことだが、仕方がない。

以前、もう、20−30年前だと思うが、好きだった、三つのお店が、閉店した。

木屋町のとんかつ一番、三条小橋西詰の望月本舗、そして、岡崎道の「きんこうあん」というおはぎ屋さん。

京都のものは、悠久と思っていたので、ちょっとショックだったのだが、考えてみると、どれも新興のお店ばかりだった。2代以上続いていたのは、望月本舗だけで、これも明治だったか、その頃の操業。他の二つは、一代限りのお店だった。物事はうつろうと感じた。

庭の桜を切らないといけないこと。べにやや島田さんの火事といい、錦に押し掛けるあまりの多くの観光客に辟易して、
錦に行くことが極端に減ったことといい、その時以来、生活が大きく変わりつつあるのを感じる。

時代は変わる。

老人が、消えていくのに従い、若い人たち、たとえば、橋本君などが、時代の中心に躍り出てくれればよい。

そうなって欲しいところだ。


2018年6月2日(土曜日)

西田幾多郎新資料

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時55分48秒

西田幾多郎のお孫さんで、2016年に亡くなった西田幾久彦さんが、西田哲学館に寄託された新資料を、金沢大学、京大、そして、哲学館で、補修・翻刻している。

寄託されたのが、二年ほど前で、田中上柳町の西田旧宅の保全活動で、大忙しになる前の静かな頃の話だと記憶している。

その時、二度目の哲学館訪問をして、一度目は福井での湯治のついでだったのだが、この時は、当時の館長さんや、学芸員の山名田さんにも初めてお会いした。僕の講義や演習によく出てきてくれていた、日本哲学史専修出身の中嶋君も、すでに哲学館の研究員となっていた時期で、彼とも再会。

宇野気の駅まで送ってもらって、駅前に停車しているときに、そういう史料の存在を聞き、協力の打診をされた。当然ながらOKの返事を即答した。

史料というものは、期待していても、何もなかったり、あるいは、あっても大したことがないことが多いのだが、ヒットするときは、本当に凄まじくヒットする。

それで、今回の史料が、西田幾多郎という、日本の哲学史の中で、一番の有名人で、大部の全集も出版されている人物が残したものとして、どれだけの価値があるものか、それが問題だった。

しかし、兎に角、日本の哲学、哲学史の人たちは、一次資料を軽視するということは、良く知っていたので、これは、基本的に歴史家である、僕がかかわる必要があると判断して、その場でOKを伝えたように思う。

そして、それが今、初めて、社会に公開されたわけだ。

今まで、いろいろなメディアから問い合わせがあったが、今日、最後まで、僕に連絡がなかった、M社から連絡があり、これで、全国紙が勢揃い。これの一部でもよいから、金沢版、北陸版でなくて、全国版の記事になると良いのだが。それは今の所不明。


2018年5月29日(火曜日)

アローの一般不可能性定理

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時14分24秒

経済学に「アローの一般不可能性定理」というものがあり、これがゲーデルの不完全性定理や、
ハイゼンベルクの不確定性原理などの、何かが本質的にできない、ということを主張する定理の一つ
として有名である。

何が、この定理を有名にしているかと言うと、「アローの定理は民主主義は不可能であることを示す」と理解されているからである。

この議論、前々から、実に馬鹿げていると思っていたのだが、それを経済学の社会選考理論などを知らない人たちにも理解してもらえる良い議論はないものかと、以前から思っていたのだが、それを考えつけたようなので、一応書いておく。

アローの定理が、民主主義の不可能性を証明しているという、この主張は、全く馬鹿げた主張で、単に、経済学者ケニース・アローが、「非独裁性」と名付けた条件が、一人歩きしているだけのことなのである。

簡単に言ってしまうと、アローが言っていることは、トーナメント制のゲームだと、誰かひとりがチャンピオンになる。そういうのとまったく同じ理屈なのである。

アローは、「独裁者」を、「その人が選ぶ社会的なオーダーが、その人が属す社会の多数派の選ぶオーダーと同じ(正確には、その人が選んだオーダーが、必ず、多数派が選ぶオーダーになること)になる、そういう人」として定義した。

おそらく、アローは、半ば冗談で、そういう命名をしたのではないかと、僕は思うが、これは実に馬鹿げた定義だ。

独裁者というのは、その権力により、自分の判断を他者に押し付けることができる人のことだが、実は、
アローの一般不可能性定理が証明される社会選考論の数理モデルには、そういう「他者に押し付ける」という
「権力」という行為が全く反映されていない。

つまり、アローが使ったモデルでは、「独裁者」について語ることが、もともと無理なのである。

しかし、なぜが、アローが、「独裁」という言葉を使ってしまったために、誤解が起きているだけなのである。

以前から、これは、不完全性定理などに比べ、無理がある限界論だなと、感じていたアローの定理が
民主主義の不可能性を証明するという主張の無意味さを、難しい数理の話は抜きにして、
説明できることはないかと考えていたのだが、それをできそうなので、このブログの投稿を書いている。

アローの定理の前提条件の中で、「ある人の意見が、必ず、社会の多数派の意見に反映されている」
という、「ある人」を独裁者と呼び、その様な独裁者は存在しない、という「非独裁者性」が民主主義の
前提条件の一つだ、と解釈すれば、アローの定理が、民主主義の不可能性を示す定理だといえる。

しかし、実際には、このアローの定理の「独裁者」の定義に無理がある。そういうことに過ぎない。

例えば、アローが使った数理モデルを反映する、ある現実の社会で、ある人物の意見が、
社会が行う選考、たとえば、選挙結果を完全に予測していたとしよう。アローの定理は、
実は、そういう人間が一人はいるという定理なのである。

しかし、そういう社会で、ある個人が、社会全体の選考(たとえば、選挙)を予測、あるいは、
強制している様に見えたら、その人物を「独裁者候補生」として、危険視して、たとえば、
投獄するとか、死刑にするとか、そういう制度がある社会を夢想することは可能である。

これはアローの数理モデルに何も矛盾しない。そうするとアローの定理が意味していることは、
そういう法的システムを持つ社会、国家では、気の毒なことに、どのように頑張っても、
この制度のために、投獄されるとか、死刑になるとか、そういう「罰」を受けてしまう人が、
少なくとも一人いる、という定理になる。

この被告人を、「独裁者」と呼びたい人がどれだけいるだろうか?


2018年5月27日(日曜日)

使う側の心の問題

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時35分21秒

今朝の京都新聞の「天眼」に生物学者で歌人の永田和宏京都産業大学教授が、WEBやDBのサービスで論文などが集めやすくなったが、そのために、ふとしたことで、今目的としているものでない情報に出会う機会が減っているのではないか、という文章を書かれていた。

永田さんは、連れ合いの八杉の家と何かと関係があって(岳父龍一も生物学者で歌人だった)、僕の家でも話題になることが多く、また、書かれる文章も好きなものが多いのだが、この文章には落胆。

IT、特にWEBやSNSが人々の関心を蛸壺化しているというのは、実際に起きていて、情報学の研究対象にもなっている現象だが、これは実は、ITの問題ではなくて、それを使う側の問題だ。この現象の原因をITに求めるのは、間違いで、特に研究者の様に、知性で生きる人が、それではいけないと思う。まあ、そういう意図の文章だったのかもしれないが、ITが悪い、便利なったのが悪いとも読めた。

実は、WEBなどは、多様な情報、自分とは関係がないと思っていたが、実は関係がある情報を集めるのに、非常に役立つツールだ。

僕が典型例で、ITと、それを使うスキルをもっていなれば、元数学者・工学者の僕が、今のような、歴史、それも京都学派の思想史など、とてもできなかった。歴史学や、古典にITが適用されるようになった、その時代に、たまたま、歴史学のプロになったという、大変な偶然のお陰で、今のようなことができている。

昨日も、今、他の機関と共同で翻刻・解析をやっている、ある哲学者の残した史料(奥歯にものが挟まったような言い方ですが、あと数日でプレスリリースのため、それまで秘密 :-)。リリースされたら書きます)の一つが、Kuno Fisher の哲学書の読書ノートであることを、WEBサーチと、その哲学書(1865年刊)の電子化されて Google Play で数百円で売られていた検索可能なテキストを利用して、1時間もかけずに発見できた(archive.org にも無料版があるが、OCRのかけ方が酷くて、テキストが使い物にならない。Fraktur だからか?Google は、Fraktur もちゃんと読んでいる。)

Kuno Fisher は名前程度しか知らない僕が、ITなしで、同じことをするのは、まず不可能だろう。それが1時間もかからずにできる。これがITの力だ。

ITで蛸壺化が起きるのは、求めるものを fix して、求める努力を減らすからで、情報を求める努力を減らさず、求めるものに上限を置かなければ、得られる情報は増える。つまり、同じ情報を10分の1の手間と努力で得るのでなくて、同じ手間と努力で10倍あるいは100倍の情報を得る。それがITの正しい使い方だ。

そして、世界の研究者や、意欲ある人々の多くは、そう使っているのだが、なぜか、日本では、逆の使い方をしている人が多いように思う。なぜだろうか…。それがいつも疑問なのだが、答えがない。

ただ、Max Scheler が、日本について「保守的な人民を、革新的な官僚たちが引っ張っている国だ」という意味のことを書いていた。これは第2次世界大戦前の話。日本人の本性なのだろうか…。


2018年5月24日(木曜日)

ホトトギス 初音、庭の桜

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時36分42秒

今朝(正確には、昨日の朝)、家を出たら花山の方向からホトトギスの声。

近くに聞こえるが、声は小さく、おそらく花山だろうとおもう。
耳管開放症で、左右の聞こえ方が違うので、音の来る方向が分からない、
あるいは、違う方向から聞こえる、ということが良くある。
近くに聞こえたのは、その為だろう。

山科は平安の時代より、ホトトギスの名所だが、今も、
それは続いている。当然ながら、鶯も多い。

以前は、夜中に仕事をしていると、ホトトギスの初音が
聞こえて来たのだが、2年ほど前にインナーサッシをつけたら、
外の音が聞こえなくなってしまった。

冬の電気代が半分ほどになり、さらに寒い思いをしなくなったので、
お値打ちだったのだが、音が遮断されたのは、少し残念。

僕の家は、山の冷気が降りて来る道筋にあるため、
冬はとにかく寒い。だから、改装するとき、玄関のドアは
寒冷地仕様にしてもらったほど。建築士さんは驚いていたが、
それで正解だった。それほど寒い。寒がりの二人が、良く、
こんな所に住んでいるものだと思う。

寒がりの二人が、こんな冬に寒い所に住み続けているのは、
その分、美しい春や夏、そして、秋の情景のためだと思う。
そして、冬も寒いが、しかし、美しい。

僕より寒がりのパートナーが、それでも、ここに居たいというのは、
それが理由だろう。

その理由の一つが、昭和30年代に建てられた古い家を買ったときには、
まだ、ほんの小さな木だったソメイヨシノ。

30年ほど棲んだ間に、この辺りで一番の桜の巨木になった。
その成長の速さは驚異的で、その美しさも驚異的。

我が家は山科の疏水をハイキングする人が、その前を通り過ぎることが
多いのだが、そういうハイカーの一人が、前の道路に大きくせり出している
庭の桜を呆然と見上げて、暫く立ち止まっていたのを見たことがある。

それほどの圧倒的に美しい桜で、特に、今年の春の美しさは、
凄惨なほどだった。

しかし、それを切ることになりそうだ。

僕が、この家を買う前から、庭の世話をしてくれている庭師さんが、
このままだと、今年の台風シーズンに倒木する危険があると、
言ってきた。

見てみると、黒アリが桜に巣を作っている。シロアリではないので、
要するに、木が腐っているということ。

大変に残念だが、隣家の御迷惑を考えると、切るしかない。
定年退職の年に、庭で一番気に入っている木である桜を切るのも、
何かの縁だろう、と思い納得しているのだが、
本当は、やっぱり納得できない自分がいる…


2018年5月17日(木曜日)

橋本君の博士論文公聴会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時17分44秒

歴博研究部助教の橋本君の博士論文の公聴会が無事終わる。

神戸大時代に、形式的な主査をやったことがあるが、実質的な博士論文の主査は、
実は、これが初めて。で、どう考えてても、これが最後!

橋本君の「みんなで翻刻」は、ますます、順調なようで、一先ずは安心。

しかし、これを古地震以外に展開できて、初めて、本物と言える。

多分できるだろう。

日本史の上島先生に、良いコメントを頂き深謝!

伊藤さん、伊勢田さんのコメントも、実にありがたい、的を得たものだった。

橋本君、さらに精進してください。

うーむ。なんだか、大相撲のようになったな… :hammer:


2018年5月13日(日曜日)

またもや火事!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時20分29秒

「かね松」という名の八百屋さんが京都には二つある。錦と縄手通だが、どうも、互いに関係はないらしい。

その内、縄手の「祇園 かね松」は、素人でも鞍馬の実山椒を買える、僕が知る限り、唯一の店なので、毎年、この時期に数パック買っている。

で、昼頃に電話してみてたら、もう実も大きくなっているとのことで、4パックわけてもらいに、東西線と京阪で出かけたのだが、何故か、京阪の特急が10分近く遅れている。

四条の駅から地上に出てみると、猛烈な人出だけでなく、なんと南座の前に消防車!

改修中の南座で火事か!?…

と、心配したら、新たにやってきた消防車が、もっと前(東)に止まった。

えっ!?

と思ってみたら、目疾地蔵の仲源寺の東隣あたりから、猛烈な煙がでている。

火事!!!

で、身動き取れないので、縄手から入らず、一筋西からビルの中の通路を通り縄手に入り、実山椒を買い、かね松からでてみると、煙が酷くなっている。

Google map で確認してみると、割烹千花の辺り!

この店は、今回の火事の報道で知ったがミシュラン3星だったらしい。実は、もう30年近く間、亡くなった兄に連れられて、一度だけ、先代の時代に、行ったことがある店。今は、代替わりしている。

で、後で、TVのニュースで、確かに、千花が出火元と知る。Google の画像を見ると、店の建物やカウンターも新しくなっていた。しかし、それが燃えた…

これで、古川町の島田さん、あわらのべにや(八杉が、激励のメールを送ったら、今日、女将さんからお礼の返信が来ていた。大変な時に、本当にありがとう。二人で応援してます)、そして、一度行っただけながら、千花と、知っているところが、三軒も続けて火事。憮然…

一番、親しいのは、べにやで、報道を見ると、あわらの他の旅館のサポートもあり、また、シンボル的な樹木たちが生き残り、また、何より、源泉がひとつは生きているとのことで、昭和のあわら大火の経験もあるので、きっと、直ぐに再建するのだろうと、大きな期待!!!

あんな温泉宿は、他にはないはずなので、是非、再建を!!

しかし、これだけ火事が続くと、本当に、嫌だな……


2018年5月10日(木曜日)

べにや頑張れ。応援してます!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時54分22秒

京大文での最終年度ということで、20世紀学専修と合同したことをいいことに、かなり、サボっている。すみません。 :hammer:

しかし、サボりすぎは良くないと思い、現代史との合同セミナーに参加。
ちょっと問題のある報告で、批判的コメントが続き、僕も、批判発言こそ
控えたが「ウーム!!」という感じだったので、その間に、WEBサーチなど
してしまった。それで、気になっていた、あわらのべにやのことをサーチ
したら、奇跡が起きたとのこと

べにやの火災は、全国紙レベルの話題だが、これは福井新聞だけらしい。
しかし、それを京都から知ることが出来るということは、実に素晴らしい。
これが、ITのポジティブ面。

一番、驚いたのは、少なくとも一つの泉源が健在とのこと。
あれだけ焼けたのに、確かに奇跡!実は、この源泉のことを
一番心配していた。

どうやら社長さんは再建するつもりらしいし、あわらの他の旅館も、
それをサポートするつもりらしい。

実に、素晴らしい!

たまにしか、お世話になれない「貧乏学者」ですが、
再建されたら、必ず行きます!女将さん、社長さん、
従業員のみなさん(特に、いつも、お世話になる大柄で
感じの良い仲居さん)、べにやのファンは沢山いる
筈です。頑張ってください。

再建されたべにやに泊まれるのを楽しみにしています。


2018年5月6日(日曜日)

二冊の Prinzip

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時25分40秒

京都ユダヤ思想学会のコーエン・シンポジウムというものがあるので、
そこでコーエンについて話してほしいと、宗教学のPDの吉野さんに依頼を
受けたのが、1,2ヶ月前か?

少し遅れていたレジュメを、昨日、ようやく送る。

僕は、コーエンは研究したことがないので、田辺のコーエン受容の話を
する予定でいたが、4月中頃になって、慌てて、調べ出し、
コーエンの著作 Das Prinzip der Infinitesimal-Methode und seine Geschichte(以下、Prinzip)
と田辺の関係の話にすることにした。この書は、無限小を元にした形而上学、あるいは、論理の
話で、当時としても異端の問題作であると言われているが、しかし、同時に、これがコーエンの
代表作とも言えるようなものとされている。

また、田辺は数理哲学の時代、Prinzip を手厳しく批判したバートランド・ラッセルの哲学を、
数学的にはコーエンより優れているが、哲学的深さにおいてはコーエンに及ばないとした。

西田はコーエンの Ursprung (訳は源泉かな?)の考え方が、大変に気に入っていたと
西谷が書いていたように思うが、これは、京都学派にかなり影響を与えたのではないかと思う。

田辺の考え方でいえば、数学や自然科学の様な「科学的」思考法は、外延的なもので、
その背景に科学的合理性を超える内包的なものがあり、それこそが哲学が探究するものだ、
それがコーエンの「湧き出し」としてのUrsprungだという考え方。
Du-Bois Reymond の物理学の概念の由来は、物理学ではわからないという考え方に
通じるもので、多分、当時、流行った考え方なのだろうと思う。

で、そういう思考法のバイブルともいえる Prinzip が、何故か、京大田辺文庫には二冊ある。
どちらも貴重書で、書き込みがあるが、これを調査して、報告することにした。

しかし、何故、二冊あるのか。これが以前から謎だったのだが。今回の調査で、
購入時期が、古いものが1924年以前、新しいものが1925年以後、らしいことが、
蔵書印として押されている小判型古印体の印と、角型篆書体の印の使われ方から判明。
二冊の Prinzip の一冊には小判型が、もう一冊には角型が使われている。

小判型は、いかにも安物で、角型は、かなり良さそうなもの。それで、多分、
小判型が古い、と予想。京大田辺文庫の本の、すべての出版年と押印の分布を
調べれば、どちらが古くて、大体、どの位の時期に、印を変えたのかの大体の
推測ができるのではと考えて、学生にバイトを頼んで、その分布の全ての
表を作り作業を始めた。

二日はかかるだろうと思っていたが、調査を始めて30分位のころに、
Logos という雑誌の押印が、1923年号と、1924-5年号の間で切り替わっている
ことを発見。古い方が小判型で、新しい方が角型だった。

角印が押印されている1924年以後に購入したと思われるPrinzipには、コーエンの考えが
カントル的極限(Grenze)であり、デーデキント切断にも及ばず弁証法になっていない
という意味の批判が書き込まれている。1924年に、後の弁証法転向の端緒となる
「カントの目的論」が出版されていることからしても、これは弁証法研究の時代、
それもマールブルグ学派の思想を捨てた後の書き込みと見られる。

ただ、コーエンは、無限小、源泉で、収束、極限、ではないはずで、
極限は、ラッセルのコーエン批判を受けて、ナトルプが無限小の
代替物として使ったと僕は理解している。田辺の書き込みも、
極限批判を書き込む場所としては、あまりそぐわないようにも
見えるし、ここら辺を、もう一度、ナトルプの本を読み直して、
報告する予定。

印と出版年の表の件や、Logosの印の切り替わり、こういう風に、「そうだ!」
という気付きに基づいて、地道な検証をしていると、突然、思いがけない史料が見つかる。

これが一次史料ベースの歴史研究の楽しさで、ミステリードラマで刑事が
調査をするのを見ていると、結構楽しいが、それにソックリ。史料(証拠)を
求めて旅行をしたり、その地の史料館(警察署)などを訪問して話を聞いたりと、
そこら辺まで似ている。京都学派の場合、これが全国に散らばっていて、
また、観光で訪れたいような場所だったりするので、尚更、楽しい。
しかも、研究者の役得で、一般の人が見ることができないもの、
入ることができないような場所、触ることができないようなもの、
に直接親しむことができる。

以前は、それがヒルベルト研究のドイツ、ゲッチンゲン大の図書館と
数学科の読書室だったが、京都学派の方が、色々あって楽しい様な気がする。 :-)


火事

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時10分53秒

仕事をしていたら、パートナーが、ただ事ならない雰囲気で、
何か言いながら二階に上がってきた。驚いて聞いてみると、二人とも
大好きで贔屓にしていた、福井県あわら市の温泉旅館べにやが火事とのこと。
結局、全焼で、全てが燃え尽きたらしい……

癌治療の副作用による極端な筋力低下が、塞翁が馬で、僕の筋力増強の努力を促して、
長年苦しんでいた、腰痛、肩こり、腱鞘炎の全てが解消し、最後に残った、カイロプラクティックで
痛めた頚椎の問題も、かなり改善してきたため、僕は、温泉に行きたいという気持ちが無くなってしまっていて、
べにやにも、かなりご無沙汰していた。

パートナーは、僕より温泉好きなので、近々、べにやに行きたいと言っていたので、そのつもりでいたのだが、
その矢先に、この火事…

実は、少し前には、以前は、良く買っていた古川町の八百屋さんが火事で全焼。

あまりに酷いことが、知り合いに続けて起きてショック…

特に、べにやは、湯については、他の宿でも良い所があるが、食事に関しては、
連泊して、嫌なおもいをしないのは、僕の経験では、ここしかなかっただけに、
そういう宿が火事で燃え尽きてしまったのは、非常にショックだった。

もう一つの好きな宿として、朝食で有名な、Y温泉のK亭がある。
こちらの湯は、かすかに硫黄臭がする高温度の塩泉のべにやの湯とは
正反対の湯だが、そのローケーションと湯の加減は、絶妙で素晴らしく
気持ちがいい。

それで、以前は、時々、お世話になっていたが、何度か行くと、二日目の夕食の
ことを考えると、少し憂鬱になるところがあった。こちらは、夕食も創作料理風で
本まで出ているのだが、実は、何時行っても、ほぼ同じ様なものしか出ない。

あまり多くの宿を知らないが、これは、どこでも同じ様におもえる。

ところが、べにやだけは、何時も工夫があり、同じものが、まず出ない。

創作料理の様なものは出ず、伝統的な和食なのだが、何時行っても、
これ初めてだ、というような料理が出るか、以前食べた記憶が
あるが、丁度、また食べたいなと思っていた様な料理がでる。

僕等の旅行は、観光が目的でなくて、温泉に入るのが目的だから、湯と料理が
よければ、同じ宿でよい。それで自然に、べにやにばかり行く様になった。

最初にお世話になってから、多分、10数年、もしかしたら20年近くたつのではないかと
思うが、その間に、明らかに板長さんが変わっているのだが、その際に、料理の
スタイルと品質が変わらなかった。これも驚くべきことで、ここの以前や今の板長さんが、
京都にお店を出したら、評判になるだろうと、何時も思っていた。

朝食でさえ、連泊しても「今朝の朝食は、なんだろう」とワクワク感のある、
知る限り、他にはない宿であった。

まあ、大金持ちには、程遠い学者なので、多くを知らないのだが、それでも、
この宿だけは、特別だ、他には絶対にない温泉宿だと、自信を持って言える。

女将さんも社長さんも、本当に、大変だと思うが、何とか再建して欲しい。

そうしたら、直ぐに行こうと、パートナーと話した次第。

でも、本当に気の毒…


2018年3月29日(木曜日)

西田哲学館訪問

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時01分24秒

28日は、かほく市の西田哲学館を訪問。西田新史料の翻刻会議、今年度の最終回。

代表が浅見哲学館館長の科研費の研究が、かほく市のプロジェクトと並行して走っているが、
その分担者の一人として工繊大の秋富さんが来ていて、久しぶりに話す。驚いたのは、
このプロジェクトに参加している、石川工業高専の鈴木教授が挨拶をしてくださって、
以前、北大の中戸川さんを通して、電話で話したとこのこと。元は産業図書に勤務されていた
とかで、確か、そういう方の紹介があったような記憶が朧げに…

兎に角、記憶力とか判断力が衰えてきていて(というか、記憶力は以前から怪しいが :hammer:)、
今日も、最寄りの東西線の駅で、滑り込んできた反対方向の列車に、何時もの癖で飛び込んでしまい、
危うく、会議に間に合わないのは回避したものの、無理矢理乗ったので、予約した指定席などは、
全部、パーになるかと思ったが、宇野気駅の方やサンダーバードの車掌さんなど、
JR西日本の方たちの大変に親身な対応の、お陰で、数百円のマイナスで何とかなった。深謝!!!

西田哲学館は、立派な研究棟ができていて、そこで会議。満原さん、吉野さんの二人の研究員が
積極的に発言してくれて、心強い限り。来年度も、上手く行きそう。

宇野気は、京都より少し寒く、それでも桜が良く咲いていた。金沢駅の人出は、閉口するレベル…

帰宅したら、庭の桜が満開に近く、花桃や、山ツツジなどが、かなり開花してきていた。

で、夜中になって、何の気なしに、姉小路の飯田さんをググってみたら、ミシュラン三ツ星になっていた。

いい店にいくと、緊張感がありすぎることがあるが、飯田さんのお店だけは、これが全くない。
開店当初で、まだ、無名の時に、共通の知人に紹介してもらって、それから、年に、
多くても二度ほどながら、寄せてもらっている。飯田さんと女将さんの人柄が本当に良くて、
緊張感なしに、最高の食事ができるので、大変、好きなお店だ。

前回、お願いしたときには、中庭に、見かけが太々しい猫がいて、焼き魚(鰻、ただし、
並の鰻ではない)を焼く煙のせいか、「食べたいよー!!ニャーニャー」と泣き続けていた。

女将さんに聞いたら、カラスだか、他の猫だかに(どちらか、忘れた)、追いまわされて、
お店の中庭の木の上で切羽詰まっているところを、飯田さんが助けて、それから、飯田さんに大変
なついているのだとか。

こういう野良猫が中庭で、ニャーニャー鳴いているのは、センセイも僕も大好きで、
「飯田さんらしいなーー」と思って、嬉しかったのだが、でも、これって、もしかして、
これを理由にミシュランの星が一つ減らないかと心配していた。でも、星が減っても、
それが飯田さんの勲章だね。などと思っていたら、逆にあがった!!

まさか、ミュシュランも、野良猫のために星を増やしたわけではないだろうが。 :-D


2018年3月20日(火曜日)

稲葉さんとの議論

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時50分46秒

3月18日の日曜日、東京にて京大文科学哲学科学史専修出身の稲葉さんと会い、
僕の数学基礎論史観について議論。

予想以上の成果!

僕の「19世紀末から20世紀初頭の数学基礎論の成立と、主流の数学者が第二次世界大戦を境にして、
哲学から完全に離れる」という現象を、「哲学の一部であった伝統的論理学が、記号論理学と、
集合論に再編され、さらに公理的集合論ZF,BNGとして形式化されることにより、数学に必要な哲学の一部分が、
数学化(科学化)されて、哲学から切り離された」という歴史過程として理解する、という歴史観を
話したところ、大変、強い賛同を貰えた。

これには、物理学における「近代化」が、並行するように伴っていて、
そこの部分を物理学史の稲葉さんに聞きたかったのだが、
どうも、僕の素人理解でも大丈夫な感じ!

実は、この歴史観を纏める段階で、ゲーデルの物理学への言及の重要性に気づき、
そのため、数学史と物理学史を比較する必要に気づいた。

その時点で、稲葉さんと関西大学の杉本舞さんより、彼と彼女、そして、その仲間たちによる
Quantum Generations の和訳を献本していただいていたというのは、これも、
また、奇跡のような出来事。

この様な、幸福な出来事の連続で、僕の人文学研究は成り立っているのだが、
本当に、この幸運は、奇跡、としか言いようがない。

できれば、それが、稲葉さんや杉本さん、そして、僕の唯一の「弟子」と言いたい、
橋本君に継承されれば、と願う…


2018年2月28日(水曜日)

「ゲーデルの謎を解く」の新版?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時45分14秒

「ゲーデルの謎を解く」の改訂版の話が浮上。

少し前から、あれが出た平成5年とは、社会におけるITの位置が、根本的に変わったので、
今、書くとしたら、前より良いものを、ずっと楽に書けるのでは、と思っていた。

例えば、当時はファミコンでしか説明できなかったことが、
今はスマホで説明できる。

万能チューリングマシンの万能性は、スマホが電話にも、電卓にも、ラジオにも、テレビにも、
そして、コンパスやGPS、最近では気圧計にまで「化ける」という、生活実感で説明できる。
#この話し、単にたとえ話ではなくて、HCIの観点から、理論化できる可能性さえある。
#つまり、人間の視覚、聴覚、触覚が、これこれだと前提し、それとインタラクションする、
#センサーとアクチュエータ(スピーカや画面も含む)が、どれだけの機能あれば、万能HCIと
#言えるかなどという議論ができるはず。実にカント的な話!!

面白そうだと思い、書き換えの検討を開始したが、
もう25年も前の話なので、こんなものを書いていたのか、
と他人が書いたもののように読む。

このころは、まだ、龍谷の理工学部のころで、純粋の理系学者だったのだが、
自画自賛になるが、案外良い文章を書いていて、自分で驚く。もしかしたら、
人文学者になった今の方が文章は下手かも。(^^;)

大幅書き換えを考えていたが、どうも、大半は、少しだけの手直しで、
そのまま使えそうだ。

しかし、ファミコンのところは全面書き換えだな。

変身機械をどうするかは、難しい所。

面白いことに、分かり易いと思って書いたのだろうが、
変身機械でかえって分からなくなった、と言う様な
読者が当初は多く、正直、がっかりしたのだが、
最近になって、これが面白い、分かり易いという人が
増えている様な気がする(もう、新品は売られていないので、
多分、古本で読んでいるのだろう。最近は、オークションなど
で古本が買いやすいから。)

これがおそらくは、IT慣れした人が増えたためではないか、
と思っている。

そういう人をターゲットに書けば、色々と面白い話をかけるはず。

ただ、この本、どう見ても、文字数が少ない。その割には高い。(^^;)


2018年2月22日(木曜日)

〇〇の者と〇〇の人(その2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時29分53秒

昨日書く筈だったが、今日、続きを書いている。

○○者というのは、○○という学問をすることを仕事とする人。

○○の人というのは、○○という学問をしたい人。

これは、大きく異なる。

数学史上、著名な数学者中の数学者と言いたくなるフェルマー、そして、少し毛色が違うが、ビィエタ。

この二人は、数学者ではなくて、法律を職業として、そして、数学の人だった。

フェルマーも、ビィエタも、実は本業は法律なのである。

さらに言えば、メービウス、ガウス、リーマンなども、皆、天文台の学者であり、数学者ではなく、数学の人!

で、こういうことがあるので、数学を行うことと、数学者というものを分離して考えようというのが、
僕の最近の考え方。

○○の人は、○○について、本当に知りたいだけなので、○○の職業人が囚われがちな、
○○の「商習慣」から自由でいられる。その故に、才能があれば○○者より、はるかに
本質的な仕事ができる。

こんな事を考えていたら、以前、科学史の院生に、「林先生のアイデンティティが分からない」と、
批判的に言われて、意味が解らず、戸惑ってしまったことを思い出した。

要するに、僕があまりに色々なことをやるので、どの○○の、○○者か、分からない、という発言だったと、
漸く理解。

ところが、○○の人、という観点からは、これは全く的外れで、僕が、色々やっている学問は、
殆ど、全部、「近代化とは何か?自分が関わって来たことを、近代化の文脈で理解すると、
どう理解できるのか?」という、個人的な疑問に突き動かされて行なっていることを理解!
つまり、自画自賛になるが、僕の学問ほど、一貫した学問は、あまりないことになる。 ;-)

今でも思い出すが。「来年の特殊講義は、京都学派です」と言ったときに、今はグーグルで働いている、
清水君が、本当にのけぞって、数十センチ後退した。 :-D

しかし、それが、数学基礎論史の疑問を解決してくれたわけで、僕が、数学史学者ではなくて、
数学史の人だったから、この様なことが出来たのだという気がする。

京大文に転職したときに、僕のような情報工学の人間が、人文学の学部に転職して、吉と出るか、
凶と出るか、分からないという意味の事を、京大文の同窓会の雑誌「以文」に書いたが、
有難いことに、吉と出た様だ。 :-)


2018年2月20日(火曜日)

○○者と○○の人

カテゴリー: - susumuhayashi @ 04時21分59秒

かほく市の西田記念館からの依頼で行っている、西田「新」資料翻刻・調査のプロジェクトを実施するための膨大な書類を作っていたら夜中の3時を過ぎてしまった。締切は2月19日だったのだが、完成したのは、20日の未明。こういう締切は、1,2日の余裕は取ってあるものだし、かなり遅れる猛者もいるらしいから、僕のは、多分マシな方だろう。

それにしても、少し前までの京大の事務は、こういうことに非常に柔軟に対処してくれたが、大学改革とかいう、明らかな改悪のために、今まで奉職した大学の中でも、神戸大並のワースト大学になってしまった京大…。

実に嘆かわしいことで、これのツケは、これから露わになるはずだ。どうして、日本は、第2次世界大戦の教訓を生かせないのだろうか。暗澹たる気持ちになる…

ということで、寝付かれず、このブログを書いている。

3月に物理学史の稲葉肇氏と会って、最近考えていることを聞いてもらえることになった。そのための旅費の申請も2月19日がデッドラインだったが、こちらの方は、少なくとも日付が2月19日の間にメールを送れた。 :-)

これは、前にも書いた気がするが、岩波新書の「ゲーデルの不完全性定理(仮題)」で書く、新しい数学基礎論史観を、同時期の物理学史と、どの様に整合させるかという問題のために、色々な人の意見を聞いている、その一環。稲葉君は、僕のヒルベルト論文の草稿をちゃんと読んでくれた数少ない人のひとりだし、この物理学史とのすり合わせに使っている Quantum Generations という本の和訳者のひとりなので、意見を聞くには最適な人の筈。

僕の「新」史観のポイントは、数学基礎論史を、単独で見ることなく、その時代の文化史の文脈において見て、M.Weber の意味での近代化の一例として理解するということなのだが、そこまでやると、当然ながら、では、お隣にある物理学の歴史では、どうなのですか?、という疑問が湧く。

そういう質問があった場合に、ちゃんと答えられるようにするために、これをやっている。

ポイントは、○○者、たとえば、数学者、哲学者、物理学者、と、英語でいう、Men of mathematics、数学の人たち、の様なものを区別すること。

数学者、哲学者、物理学者、などという枠組で考えていると、19-20世紀に起きた変動を理解できないのではないか、というのが、最近得ることができた見解。

そうではなくて、「哲学的問題」、「数学的問題」、「哲学的手法」、「数学的手法」という、2×2の組み合わせjで考えるべきではないか、というのが、僕の史観のポイントで、そうすると、ヒルベルトは、「数学に関する哲学的問題」を、「数学的手法」で解決しようとした人、と理解できる。

こうすれば、彼の無名の若き日の哲学紛いの日記のアイテムと、哲学者を見下す1930年のケーニヒスベルグやハンブルグでの講演の内容が整合性を持つ。

…と、こんなことを考えていたら、以前から、違和感のあったことが何となく腑に落ちるようになった感じ。

もう、遅いので、また、眠くなってきたので、続きは、明日!


2018年1月27日(土曜日)

デザイン思考、パナソニック、松下幸之助

日経のニュースを見ていて、パナソニックが、シリコンバレーにデザイン思考の「工場」を作ったという記事を見つける。

調べてみたら、2016年頃から、日本国内でデザイン思考が流行っているらしい。
以前、「デザイン思考だ。d.schoolだ」と喚いていたものとしては、嬉しいような気もするが、
もう遅すぎないか、今からやると却ってマイナス面がでないかと心配になる。
アメリカで、「もうデザイン思考ではないだろう」という様な記事が書かれるようになったのは、
かなり前なのだから。もう一つジャンプした方が多分いい…

それに、この記事の「プロジェクト発足に先駆けて「米スタンフォード大学のd.schoolを経営会議のメンバーで訪問した」(宮部専務執行役員)。」という所などを
読むと、正直、ため息がでる。デザイン思考の持つ雰囲気は、こういうのにもっとも反するものだ。
デザイン思考を説明するのは難しい。あれは体で会得するしかない。
だから、d.school なのだが、パナソニック(β?)の経営会議の人たちは理解できただろうか。

実は、パナソニックにとっては、デザイン思考の最大のお手本は足下にある。

松下幸之助の二股ソケット、これこそデザイン思考そのものだ。


2018年1月24日(水曜日)

最終講義?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時00分40秒

来年度末で、京大を定年退職になる。その事もあって、来年度から、僕が唯一の教員である情報・史料学専修と、同じく、教員一人のみで、その教員の杉本さんが、
再来年度末で定年退職の二十世紀学専修が合併してメディア文化学専修になる。

科学哲学科学史専修の伊藤さんも言っていたが、現代文化学系(専攻)に、二つも「一人専修」(教員一人だけの専修)があって、良く長年なにも起きなかったものだ。
一人だけの教員が、病気や怪我、あるいは死去などということになると、一人専修は本当に大変なことになる。

教員2名体制になり、これでちょっと一安心という所。

ただ、僕は来年度最後なので、杉本さんには悪いが、講義などで、少し楽をさせてもらっている。特に、二つもやっていた特殊講義を来年度はしないことにした。

実は、この特殊講義が、僕の研究の原動力で、京大文に転職した後に、物凄く研究が進んだのは、これをやっていたから。

つまり、講義をすすめるためには、どうしても研究しないといけないという風に自分を追い込むためにやっていた。さらには、講義の参加者からの質問・コメントなどが、非常に役立った。

しかし、兎に角、しんどかった。亡くなった、哲学史の小林道夫先生が、大阪市立大学から京大文に定年前に移ったことは、大変にしんどかったと仰っていたが、これも同じことだろう。
京大文で特殊講義をすると、一種の真剣勝負のようになる。

西田、田辺なども、同じようにして、研究を進めていたらしい。少なくとも、僕が長年研究している田辺の場合は、講義ノート(メモ?)から、自信をもってそう言える。
金3の田辺演習で、先日まで読んでいた昭和9年の講座の秋くらいの部分は、明らかに種の論理が形を成し始めているのが見える。ただし、出版されたものとも微妙に違っていて、
理論が形成されていくところが見えて興味深い。西田の宗教学と倫理学の講義ノートを現在プロジェクトを組んで翻刻しているが、こちらは、特殊講義ではないようで、
それもあって、田辺のものより整然としているが、それでも西田の思考の努力の跡が見える。

ただ、僕が、特殊講義を「利用して」研究をしていたのは、西田や田辺の様な京大文の大先輩たちを真似をしたのではなくて、
京都学派の研究に手を染める前の主な研究対象だったヒルベルトの真似。ヒルベルトの講義資料を読んで、
なるほど、こうやって講義しながら、理論を作って行っていたのかと感心して、それを真似た次第。

それが許される、というより、原則としては、そうしないといけない特殊講義というものがある京大文に10年以上に渡って在職できたのは、実に幸運だった。

80ページを超える論文を書きながら結論が書けず、塩漬けにしていたヒルベルトの初期数学思想についての論文も、この京都学派研究を通ったお蔭で、漸く結論が書けそうな状況になっている。

しかも、幸運なことに、その内容を公表する絶好の機会が巡って来た。僕が、数学史の研究のベースの一つにしている、数学における modernism 研究である
Plato’s Ghost の著者の J.Gray 氏が、来日されて応用哲学会でシンポジウムをするので、僕にも話してほしいとの依頼が、名古屋の久木田さんから、極く最近あったのである。
これは、実に、願ってもないタイミングで、大変、ありがたいので、すぐに引き受けた。この講演で、僕の歴史観の最初の紹介をすることになる予定。

ただし、そのためには、ヘルムホルツやエミール・デュ・ボア=レーモンの様な自然科学者と哲学との関係を押さえる必要がある。これが、どの様にヒルベルトの哲学との関係の取り方と違うのか、
それへの理解を整理しないといけない。そのために、色々な人の意見を聞いているのだが、ゲーデルの1960年ころの歴史観における「数学だけはイデアの学問なので、自然科学とは異なる」
という意見と、非常に上手くマッチする結論になりそうだ。

というような、ことをやっていたら、先日、Gabriel Finkelsteinさんから、エミール・デュ・ボア=レーモンについてのメールが、3年ぶりに来たわけで、これも、あまりのタイミングの良さに驚く。

京大文の在籍期間は、この様な在り得ない幸運の連続であり、正に、有難いことだった。

とは、いうものの、その有難い状況は、特殊講義を中心に、講義のために懸命に努力せざるを得ない状況を作り続けていたから生まれたのだろうと思う。
セレンディピティを能力だと言うと、オカルトになるが、反セレンディピティ能力というものがあって、
その能力がないことをセレンディピティ能力であると定義すると、これは自然なものとなる。

反セレンディピティ能力とは、「そんな話あるわけない」、「そんな大変なことできない」と言って、目の前にある重要な資料やアイデアややるべき仕事を、
最初から、見もせず、やりもせず、スルーしてしまう能力のこと。こういう能力を持つ人には、実によく出くわす。つまり、実は、奇跡みたいなことは、
我々が思っているより、日常的に、我々の身辺を通り過ぎているのだが、それを自分で見ないようにしているから、
多くの人には、それが「在り得ない」と見えるのだ、というのが僕の見方。
この動画のゴリラの様なもの。 :-D

この様に考えるようになったのは、Cコンビネータと、Curry-Howard の関係が目の前にありながら、それを発見する、それ以上はない位置につけていながら、
「そんなバカな…」と見過ごしてしまったという経験をしたことが大きい。つまり、誰よりも反セレンディピティ能力を持っているのが自分だ、
と気が付いて反省して考えを変えた。それがよかった。

まあ、いずれにせよ、そういう「有難い」特殊講義の最後の回が、今週で終わった。ある意味で、最終講義で、悲しいかと思いきや、何か、肩のあたりが、スーッと軽くなった。

はあ―っ、もうこれで、あの苦行も終わりだ、と思って、自然に、そうなったらしい。苦しいから前進できるのだが、しかし、若い時のような体力がなくなっているので、
徹夜が無理なので、時間的に追い詰められることが増えてきて、すごいストレスになっていたのだが、それが突然消えたので、「すーっ。はあーっ。ほっ!」となったらしい。 :-)

で、定年はまだなのだが、亡くなった山口昌哉先生が、「林さん定年はいいもんですよ」と仰っていた事の意味を、漸く、実感として感じる。

特殊講義に割いていた膨大な時間を、今度は、今までの研究のまとめに割くことになる。まずは、岩波新書、そして、応用哲学会の講演の準備、先日の京都哲学会の「田辺元と西谷啓治」の論文も、
まだまとめていない。翻訳も二つあるし、それより、Gray 氏が見えるまでに、ヒルベルト論文の結論を書かねば。これに西田プロジェクトと、科研費萌芽、SMART-GSの最終まとめと、
橋本君のみんなで翻刻への機能移植など、やること一杯。

でも、僕の時間の半分は占めていた特殊講義の準備が無くなるので何とかなるだろう。


2018年1月22日(月曜日)

風邪が漸く治る!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時37分30秒

先々週の土曜日、朝起きたら咽喉が酷く痛かった。

これから始まり、体温が急激に上下し、最低で35.9度、再考で36.9度と変動し、胃腸も不順で下痢も伴い、もろもろの風邪の症状に1週間以上苦しんだ。

10日近くたった、今日、漸く、風邪から脱したという感触。

この間、連れ合いが、得意とは言えない食事の準備などしてくれた。

すごく嬉しい。ありがとう!!

エクササイズをする様になってから、長引く風邪は無かったのだが、今年の風邪はなかなか手強い。

学生や事務の方たちも、同じような風邪をひいているらしい。

先日は、総務掛のドアを開けたら、一斉に振り向く3名の方が、皆、マスクだった。 :-(

話しは変わるが、家の前の寮の桜が4本、切られてしまった。勿体無い!!

我が家の庭では、古家を買ったときは、小さかった桜の木が、今は、巨木になっている。

うちの桜は、何時まで元気でいてくれるのだろうか。

できるだけ、長く、咲き続けて欲しい。


2018年1月14日(日曜日)

食糧は十分!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時39分52秒

RIETI(経済産業研究所)のAIの社会影響プロジェクトの研究を行っていた際に、
大きな違和感を感じたのが、AIの社会影響を論じる人が、僕を含めて先進国の
状況しか考えていないこと。

世界には、まだ、電気も水も食料も十分でない生活をしている人が沢山いる。

そういう人たちのことを無視して、AIがどうのこうのと言っても無意味ではないのか?

もし、世界の食料生産を世界人口で割った時に、それが飢餓のラインを下回っていたとしたら、
AI議論など問題外だろうと思っていたのだが、今日、それを始めてサーチしてみて驚く!!!

http://www.hungerfree.net/hunger/food_world/
によると、食料の生産高は、現在の総ての地球人口を潤すに十分らしい!!!

なんと、素晴らしいことか!!

しかし、そういう時代に、どうして、飢餓が存在するのか???

そう考えると、IT/AIに可能性が見いだせる。

そうあって欲しい…


2018年1月12日(金曜日)

三年ぶりの返信

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時37分05秒

2014年、Gabriel Finkelstein というアメリカの歴史家による Emil du Bois-Reymond についての著作を見つけ、
購入し、それを、このブログに書いた。

それを、著者の Finkelstein さんが、何かでみつけてメールをくれたので、
幾つか疑問に思っていたことなどを問う返信を送った。

しかし、なしのつぶてだったのだが、この1月3日に返事が来た!!

どうもスパムキラーにやられていたのを、何かの偶然で見つけたらしい。

丁寧な、また、有用な返事で、Finkelstein氏の人柄に好感を持ち、また、学者としての力量が相当ある人らしいと感じる。

面白かったのは、du Bois-Reymond への興味は、M. Friedman の影響かと聞いたことへの返答が否だったこと。

この人の説によれば、du Bois-Reymond への影響が多かったのは、むしろ、フランスの哲学者たちだったらしい。

これはヘルムホルツと大きな対照を成す。

そして、そのことは、今、構築中の新史観と、おそらくピッタリ合いそう。

と書きながら、まだ、Finkelsteinさんに御礼の返事を書いてない。

あまりに、興味深いメールだったので、そう簡単に返事ができないでいる。

これって、旧世代の人間の感覚かなあ?


2017年12月30日(土曜日)

”ものづくり”という呪縛

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時08分56秒

今朝(29日朝)、昨日注文した照明スタンドがもう入荷したとビデオ近畿から電話。迅速!!
しかしながら、大学で閉まっているので、来年取りに行く。1月5日からの営業。この照明で上手くいってくれ!!

昨日、夕飯を作りながらNHKラジオを聞いていたら、池上彰さんの番組で、東大名誉教授の政治学者御厨貴さんなどの数名が座談会風に議論していた。

その中で、「今、儲けているのは、ものづくりの企業ではない」という発言がありながら、「基本はものづくりだから」という発言に、
座談会のメンバーの誰からも反論がない。一人のメンバー(NHKの解説員?)から、ニューヨーク中心地(多分、タイムズスクエア)の
広告が、以前は日本企業のそれに占められていたのが、韓国や中国の企業にとって代わられ、僅かに東芝を残すのみだったが、それも
消えることになっているという発言あり。この人たち、わかっていて、大衆に合わせるために、こういう生ぬるい議論をしているのか、
それとも、本当に、そういう生ぬるい立場を信じ切っているのか……

思うに、「日本の失われた○○年」の原因のかなり大きなものの一つに、「ものづくり神話」がある。
この言葉のために、「ものづくり日本」という言葉のために、日本は変わることができなかった。

太平洋戦争末期でも、かなりの人たち、特に少年期の若者たちが、本当に神風が吹くと思っていたらしい。
それと同じ構造が、今の時代にもある。もう、この大好きな国を見限るしかないのだろうか……


2017年12月28日(木曜日)

これが解決策となるか?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時49分17秒

群馬大での田辺元史料などの撮影の時、一番、困るのが照明。

史料を無反射ガラスやアクリル板などで押さえるのだが、
これに照明が写り込む。特に天井灯の映り込みは最悪なので、部屋の照明は
すべて消して、両側45度の角度に照明を置いて撮影する。

ただ、この際に光ムラが生じて、そのために原稿用紙の罫線消去などの
フィルター操作が不可能ですと業者の技術者に言われることがある。

そのため、群馬大図書館での田辺史料を想定して、
(1)軽い。一人で持ち運べる。
(2)色ムラが生じない
という二条件を満たす照明を見つけるため、今まで
どれだけの照明器具を試みて来たことか…

昨日、放送大学の講義のための収録に来て
下さった撮影会社に教えてもらった、ビデオ近畿という
会社を訪問して、この問題のソリューションになり得る
照明を見せてもらう。

サンテック社というところの製品で、昨日見たものより、
ずっと安い。LED電球が268個使われており、それに細かい穴が大変多数
開いているプラスチック板が取り付けられている、
という構造らしいが、非常に良さそうな光の具合だったし、
それなりに軽量。また、色温度も容易に設定できるので、
即決で2セット注文。

照明パネルのためのスタンドが入るのが1月の半ばになりそうだが、
それまでに調査旅行の予定はないので、全く問題なし!!

これで上手く行くといいのだが…


2017年12月27日(水曜日)

放送大学インタビューの収録

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時49分06秒

26日午後は、放送大学青木久美子教授の「日常生活のデジタルメディア」という講義の
最終回のためのインタビューの収録。

以前だったら、放送大学の事情を見るのに良い機会だと、東京にイソイソと出かける所だが、
最近、色々と忙しいこともあるが、出不精になっているため、京都まで来ていただいて、
僕の研究室で収録。

大阪から来ていた撮影スタッフの方たちが組み立てている照明が、目に飛び込む!

群馬大の田辺元史料には、原稿用紙を半分に折って裏表両面を使うノートにしたものが、
かなりの数あるのだが、広げて撮影するのだが、原稿用紙は、結構広いため、
光のムラなく撮影するのが難しい。

人間の目には、なんらのムラも見えなくても、プロにフィルターをかけてもらおうとすると、
「人間の目では確認できないような光ムラのためにできません」といわれることが
多々ある。そのため、なんとか京都から群馬まで携行出来て光ムラがない照明を求めて、
もう随分沢山の撮影用照明を試したが、未だに、理想の照明器具が見つかっていない。

それが、今日(26日)の撮影のために使われたライト(?)では、LEDが数百ほどならんだ
板の様なものが使われていて、スタッフの方に聞くと、肉眼では認識できない光ムラのことを
ご存じで(さすがプロ!)、この機材だと、そういう光ムラなく撮影できるとのこと!!

それに、それほど重くもなさそう。値段も十分買える範囲。

京都で売っている所の情報を後で送っていただけることになり思いがけない収穫だった!

インタビューの方は、青木先生とも、制作の責任者の園田さんとも、
僕の話を面白いといってくださって、色々と共感してもらえたので、大変楽しかった。

実は、僕の話は、かなりの確率で、意味を理解してもらえないことがある。
特に機械系などの、工学部生え抜きの様な人にはなかなか理解してもらえない。
それどころか反発を受けることも、以前は、良くあった。
まあ、少し語弊があるが、「オジサン」に話すと反発を受けることの方が多かった。

そういう中で、共感してくれる人は、建築とか、デザイン関係の方、
アメリカで教育を受けたり、仕事をした経験のある人に多いのだが、
青木先生は、アメリカでの教育と、教職の経験をもつひとだった。

園田さんは番組制作の方だが、これはデザイン関係の人と同じなのだろう。

それに、お二人とも女性で、兼業主夫である僕としては、現政府が進める女性の
社会参加の関係の話でも、共感してもらえたみたいだった。
#締切が幾つも重なる時、大学での仕事を終えて家に帰り、
#夕食の準備をして、その後、また、仕事にもどるのは、
#体力が衰えて来た僕にとっては、かなりつらい…
#50代位までは、そういう時には、睡眠時間を1,2時間に切り詰めて、
#場合によっては0時間にして乗り切っていたが、残念ながら、もう
#やれなくなっている…
#そういう仕事が、ジェンダーだけで担い手が決まるのは、実に変だ!
#ちなみに、我が家の場合は、ジェンダーではなくて、スキルの差で決まっています。 :-D

今日みたいに、面白がって、共感してもらえると、大変嬉しいため、
例によって、ちょっと喋りすぎた… 

僕は、おばさんみたいな性格で、おしゃべり大好き、な人で、喋りすぎて、仕事をしたいパートナーに煙たがられている。 :hammer:
反省…

この投稿を書きながら、メールをチェックしたら、撮影スタッフの方から、
照明を販売している会社の詳しい情報が来ていた。感謝!!!
:-)

今年度も、そろそろ予算の執行の締切が近づいて来ているので、
明日にでも電話してみよう。まだ、営業しているといいのだが。


2017年12月26日(火曜日)

早朝セミナーと京大らしくない京大

木曜日に産官学連携本部の菊川さん来訪。RIETIのPDP「AIと社会の未来」を見ての来訪とのこと。

京大オリジナルという株式会社ができるが、その事業のひとつが一般向けの講義シリーズで、丸の内に努める30代、40代の人たちをターゲットに、早朝7時台からの4回ものの講義の依頼。

内容は、必ずしもAIでなくてもよかったらしいが、多分、それが一番受けると思い、昨年度の特殊講義でやったAI論をベースにして、現在のAIの実相を暴くというテーマで講義することなった。

パートナーに、「私は70歳まで働いたのだから、あなたも70歳まで働きなさい!」と指令を受けているので、来年度末の定年退職を見据えて、以前だったら断ったかもしれない、東京での講義を引き受けた :-?

グーグルのネコ、東ロボ君、AlphaGo、オズボーンたちの失業予想、など、マスコミで話題になっているものの実相を暴き、最後に、RIETIのPDPで展開した「AIによる能力格差拡大とその社会的意味(危険性)」について話す予定。

この内容ならば、話すことに、それ程違和感はないし、丸の内あたりに勤務している人たちに聞いてもらって、実体の無い日本のAIブームの危険性に気づいてもらうのは良いことだろう。

しかしながら、このテーマに落ち着くまでに、かなり紆余曲折した。その理由は、菊川さんが説明してくれた(株)京大オリジナル、そのものへの僕の違和感。

菊川さんは、京大らしさ、を出したいというので、僕を選んだというが、僕のどこが京大らしいのか不明。

僕の持つ感じでは、京大らしさ、すくなくとも京大文学部らしさというののひとつは、講義の初日に教室に行くと、どう見ても学生には見えない年配の人が前の方に陣取っていて、
講義の前やら後に、自己紹介をしてくれて、文学部の学生ではありませんが、講義を聞いていいですか、と言われること。
以前は、これが、よくあって、お礼だとかで、宇治の茶団子を頂いたりしていたのだが、最近は全く無くなった…

下手をすると、茶団子一包で、わいろだ!などと騒ぎ立てられかねない時代になっているので、当たり前か。

そして、京大オリジナルという会社を作るということは、こういう自然発生的な大学の社会貢献まで、大学オーソリティがコントロールして、収益システムの一部に組み込もうということ。

それが菊川さんが見せてくれた、京大オリジナルなどの資料から透けて見えて、「何でこれが京大らしいのだ?!」という違和感を覚えた次第。京大の京大らしさは、
そういう「権威」を突き抜けるところにあるような気がするのだが……

そのため、菊川さんとの会話の中で「今の京大は、もっとも京大らしくない大学だ」という意味のことを言ったが、この人は動じなかった… なんでも東京の大手保険会社からの出向らしい。

本当に京大は変わった…


2017年12月15日(金曜日)

常識の差

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時55分32秒

現代史の小野沢さんとは、研究室が向いであることもあり、良く立ち話をする。
この人は、本当に優秀な人で、特に博士論文でもある「幻の同盟」()を、
読んだときには、「私は歴史家です」とは二度と言うまい、と落ち込んだ程。
ここまでやるか!?でも、やってる… ウーム。僕は歴史家と言い張って良いのだろうか……

まあ、そういうことはさて置き。トランプはオバマが生んだとか、
色々と二人の研究室前の廊下で立ち話することがあるのだが、
今日は、なかなかシビアだった臨時教授会の「毒消し」の意味もあり、
教授会閉会の後、暫く、二人のオフィスの前の廊下で立ち話。

ITの社会インパクトについての評価は、大きく分かれるが、
トランプ大統領の実現など、様々なことについて話す。
そして、多くの事は同意見。

で、その中で、少し驚いた、あるいは、実は、僕が無知過ぎた、
こととして、ラストベルトの労働者の話しがある。

小野沢さんの様な人にとっては、ラストベルトが、栄えていた頃、
労働組合の力が高まり、マフィア化さえしていたというのは、
常識らしい。

(ここから続きを21日に書いている)

しかし、このこと、というか、アメリカの自動車産業の
組合のメンバーである労働者が、例えばレイオフをされても、
それまでと同じ収入を保証されているほど優遇されていることを、
僕が知ったのはリーマンショック後、デトロイトが崩壊した時の
ことだ。

それを知って、初めて、NUMMIが、日本の工場の
様なパーフォーマンスを叩き出せなかった理由が分かったような気がした。

アメリカ人に幾ら教えても、やはりトヨタ生産方式のようなものは、
日本人の素質、精神がないと実行できないのだ、という風な
論調に違和感を持ちながらも、数字としては、その通りだという
ことなので反論できないでいたが、これで一挙に疑問が氷解した。

そんなに優遇されていれば、向上心は生まれないだろう。
そんな風に、デトロイトの崩壊の後に、漸く僕は日米の差を
納得した。

しかし、もし、小野沢さんの「常識」を知っていれば、
NISTEPの客員研究官時代に書いたものや、調査・研究の
結論も、大きく変わっていたかもしれない。

常識の差というものは怖い…


2017年12月6日(水曜日)

Boston Dynamics とソフトバンク

日本はものづくり大国、世が世ならば日本が世界一、
こういう話を「失われた○○年」の間に、何度も聞かされた。

実は、林も、意識的に、そういう風に書いていたときもある。
まあ、そうやって「勇気づけよう、元気づけよう」としていたわけだが、
最近、もう、この国はダメなのだと、ハッキリ言うことに決めた。

11月26日の「日本のIT遅れ」で書いたように、ようやく、多くの人たちが、
日本のITが世界から大幅に遅れているということに気が付いたようなので、
林の意見も普通に通るようになったようだと思い、そうすることにした。
というか、正直なところ、もう元気づけるのでは、ダメな段階まで来て
しまったと感じ始めたのが大きい。

以上は純粋にITの話だが、最近、急に、世間が本当は日本に優位性がないことに
気が付き始めたものの一つにロボティクスがある。

アメリカには軍用の四つ足ロボットで有名な Boston Dynamics という会社があり、
この開発思想が、ホンダの Asimo などと全く違うので、僕は、まだNISTEPの客員だったころから
注目していて、NISTEPの雑誌「科学技術動向」で、これのレポートを書こうとしたら、
ロボティクスは以前やった、と言って編集長に切られた。

編集長はITが分からない人だったので、言っても、意図が分かってもらえないだろうと思い、
引き下がった。

そういう時代だったので、当然ながら、そのころは Boston Dynamics, Big Dog といっても知らない人が、
ほとんどだったが、最近になって日本でも普通に語られるようになったようだ。
#などと言いつつ、一番好きな動画はこれでした。
#ウーム、このおちょくり加減、センス良すぎる!!誰が作ったのだろう???
#知っている人がいたら、林まで、是非、ご一報を!

特に、先月の中ごろ、アトラスが「バク宙」する動画がでて、これが話題になったみたいだが、
実は、この「バク宙」は、最後にポーズを決めるところなどが、まるでホンダみたいで、Boston Dynamics らしくなく、
僕は、あまり重要と思わない。どうみても、台と台との間隔などが「決め打ち」で、
アトラスが判断しているわけではない。

こういうのはデモのためのデモに過ぎない。

それより、
荒れた雪の路面を二足歩行したり、
転んでも起き上がる
ことの方が遥かに大きい。

特に蹴飛ばされても起きるのは、Big Dog のころから、是非本物を見てみたくて仕方がなかった。

それでRIETIのAI調査の際に、久米さん(当時、リクルート・ワークス、現在、
東洋大)に頼んで、取材先としてアプローチしてもらったのだが、久米さんの努力にもかかわらず、
残念ながら、梨のつぶてだった。

それが現在は、ソフトバンク傘下!

もしかして、調査が、少し後だったら見せてもらえたのかな?残念!

もちろん、コケタ Big Dog が元に戻るのもデモではあるだろうが、
日本のロボティクスと目指すところが違うのはハッキリと見てとれる。

その様なことを考えていると、本当に暗くなってしまう。
どうして、この国は、自ら自分を追い詰めるのだろうか?

生きていくということほど重要なものは、他にない筈なのに…
日本的「潔さ」は、それを許さないのか????

僕には理解できない。在日日本人と言われても、このポジションは譲れない!!!

多くの日本人が見下してきた中国が、日本のはるか先を行っていることが露わになり、
日本が、それを呆然と眺めているという図式が定着し始めた。
#たとえば、

今日、地上波テレビの池上彰さんの番組でも、そういうのをやっていて、
芸能人のコメンテータ(?)が暗い顔をしていたのが、せめてもの救い!
#ここでヘラヘラされては、本当に望みがない…

そういう中で、このところ、Boston Dynamics を買収するなど、
どんどん aggressive さが加速しているかの様にさえ見える
ソフトバンクが、唯一の日本の望みという所だろうか………


2017年12月2日(土曜日)

西田哲学館訪問

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時15分36秒

今週も忙しい一週間が終わる。

今週は木曜日に石川県かほく市の西田幾多郎記念哲学館を訪問。

今回は同館館長の浅見さんの科研費などの関係のミーティング。

この科研費の京大での研究員の吉野さん、満原さんと出席。二人の積極的な参加もあり活発な議論。このプロジェクト順調以上に進みそうな期待感大。

宇野気の駅までキューレータの山名田さんが送迎して頂き、何時もながらも恐縮。

驚いたのが、調査研究棟という新しい建物が建設中だったこと。研究員の中嶋君の本拠となるのだろう。

中嶋君のために建物が出来つつありますねというと、資料の為ですとの中嶋君の返事だった。 :-)

かほく市のどなたかが、国から予算を獲得したとか。

此の所、気の滅入る話が多い中、かほく市も、国も、クリーンヒット!!という感じ。

こういう所から、これからの日本の芽が芽生えて欲しい。

木村素衛展をやっていて、山名田さんに案内してもらい説明を聞く。

小さいスペースながら、木村のスケッチや画材などもあり興味深い。

信濃には常滑の谷川の会に劣らない集団があるらしい。

今回の木村の展示は、その方たちから史料を借りているとのこと。

取材せねば!


2017年12月1日(金曜日)

経産研究所PDPと京都哲学会講演PPTスライド

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時42分09秒

随分遅くなってしまった経済産業研究所RIETI(経産省のシンクタンク)のAIの社会影響のポリシーディスカッションペーバーが完成して公開された。
こちら:https://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/17110014.html

また、同時に、公開ができてなかった、先日の京都哲学会の講演用PPTスライドを公開。
こちら:http://www.shayashi.jp/2017Nov03NishitaniAndTanabe.pdf

どちらもホームページからリンクをはる。


2017年11月28日(火曜日)

西谷裕作などメモ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時43分22秒

一つ前の投稿に関連してサーチをしているとき、以前から気になっていたことについての情報を少しみつけたのでメモ。

西谷啓治の長男でライプニッツなどを研究して京大文の助教授だった西谷裕作のこと:

1.何時だったか立教大学数学科にいたころ、良く数学史の講義を拝聴していた村田全先生が、
「裕作君が…」といって、西谷裕作のことを僕に話されたことがあったが、どんな話だったか忘れてしまった。
村田先生が亡くなったのが2008年のことらしいので、僕が田辺研究を始めたころだったのかもしれない。
京都学派研究を始める前も J. Gougen さんから聞いて、西谷の名前だけは知っていた。
2.こういうものがある。調べること:村田全「下村先生と西谷裕作君のこと」『下村寅太郎著作集』第13巻月報
3.関連リンク:
http://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Murata/koshikata-utf.pdf
http://www.kousakusha.co.jp/planetalogue/leibniz/leib14.ht
https://books.google.co.jp/books?id=mrl1CQAAQBAJ&lpg=PT13&dq=%E8%A5%BF%E8%B0%B7%E8%A3%95%E4%BD%9C&hl=ja&pg=PT13#v=onepage&q=%E8%A5%BF%E8%B0%B7%E8%A3%95%E4%BD%9C&f=false

http://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Murata/koshikata-utf.pdf
によると村田先生と西谷裕作は、北大で短期間、同じ数学科かなにかの同級生だったらしい。


北軽井沢と軽井沢

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時00分25秒

佐藤優「学生を戦地へ送るには: 田辺元「悪魔の京大講義」を読む」を少し読む。

北軽井沢が軽井沢の一部か近くだと誤解しているらしい。

佐藤優氏は、最近、色々な所で、「太平洋戦争末期に軽井沢や箱根に住むのは「卑怯者」の証明」という議論をしているらしく(たとえば、これ)、「佐藤優 箱根 軽井沢」などでサーチすると、色々と出て来る。要するに、そういう人たちは、各国の大使館、公使館の避難先だった、軽井沢、箱根は米軍が爆撃しないだろうと考えたのだという主張。

これを使い、田辺の昭和20年の北軽沢隠遁(これに疎開の意味もあったのは、お弟子さんたちの証言からまず間違いない)を田辺の人間性に疑問符が付く証拠としていて、まず、これを前提にして田辺論が始まる。しかし、これは北軽井沢を軽井沢の一部か近くだという誤解に基づく議論だ。

北軽井沢は、本物の軽井沢から遠い、現在は寂れてしまった別荘地で、群馬県吾妻郡にある。一方で、軽井沢は、その南に位置するが、長野県北佐久群にある。

富裕層が別荘を構える軽井沢では無理だが、学者でも別荘は持てるのだ、という対抗意識もあってつけた名前が北軽井沢らしいことは、北軽井沢大学村の草創期から山荘を構えていた野上弥栄子さんの短編などからわかる。もともとは地蔵川という場所。そこに法政大学の関係者が法政大学村という学者の別荘地を開いた(鉄道の煙突から飛んだ火の粉が原因といわれる山火事の跡)。

北軽沢には二回行ったことがあるが、随分、アクセスが難しい、辺鄙な所だなとは思っていたが、距離などをちゃんと調べたことがなかったので、Google maps で距離を測ってみた。

旧田辺山荘である群馬大学北軽沢研修所(大学村の南東の外れの位置になる)から北陸新幹線軽井沢駅までを測ってみたら、13.22km だった。京都駅と大津駅の間が10km 無いので、かなりの距離。東京だと東京駅から千葉の浦安市街くらい。

Google Maps で、軽井沢駅から群馬大北軽井沢研修所への経路を調べようとしたら、なんと計算不可能だった。辺鄙…(^^;)

ということで、いずれにせよ、佐藤優氏の議論は実は成り立たない。北軽沢という地名をサーチするだけで、直ぐに解ることなのだが…。

田辺は色々言うし、本人は命がけのつもりで政府の政策批判をしたりしているのだが、最後の最後で逃げてしまうというのが、僕の持っている田辺像。

先日、京都哲学会で、田辺元と西谷啓治について話したときにも、そのことは言っておいたが、以前から、こういう問題が、つまり、田辺にそういう印象を持つ自分は、同じ様な状況でどう行動できるのか、という問が、咽喉に刺さった魚の骨みたいな感じでいる。

昭和20年に北軽井沢の夏の山荘に疎開の意味を含めて移転したことには、色々ある田辺への違和感のひとつ。北軽沢は米軍が爆撃対象にするには、あまりに小さく辺鄙で、軽井沢以上に安全であったはずだ。そして、京都から北軽沢に移住したのに疎開の意味もあったのは、ほぼ確実である。

ただ、一方で、田辺夫妻は、元々が関東の人で(田辺は東京神田、夫人は逗子辺りだったはず)、京都に染まった感じが全くないこともあり、定年退官すれば、関東に戻るのは自然な流れ。昭和20年の大混乱の中、関東に戻るとすれば、その目的地が、自分が所有する夏の山荘であることは極く自然だったろう。

明治人で、生まれた家のこともあり、田辺は大日本帝国には疑問を持たなかっただろうと思われる。それを現代から批判しても仕方がないと僕は思っているが、問題は、「国や社会の進む方向がおかしい」と判断した場合、そして、三木や戸坂のように検挙される可能性があるとき、あるいは蓑田の様なウルトラ右派から攻撃をうけそうなとき、そういう様な状況で自分がどう行動できるだろうかということ。

まだ、十分調べられてないので、確実ではないが、三木、戸坂は生命の危険をどれくらい考えていたかは疑問が残る。一番危なかったはずの戸坂さえ、死につながった二度目の収監の際に、攻撃してくるウルトラ右派に憤慨して反撃してやろうと思うという大親友西谷啓治に、戦争はすぐ終わる、自分もすぐ出て来る、そんなの無視して置けという意味のことを言ったらしい。それがああいう結果になった。歴史とはそういうもの。

大島康正は国立の帝大の教員である間は、政府に協力するのは当然で、そうでないときは、まず、国立大学の教官であることを辞めるべきだというのが、田辺の見解で、(戦後)国立大学教官でありながら政府批判をしている人に比べて倫理観として田辺の方に共感するという意味のことを書いているが、これは、田辺研究を始める前から、僕自身も考えていた問題で、それでNISTEPなどの霞ヶ関の研究所などへの協力は積極的にやるというスタンスにしていた。

僕の場合は、ITをやっている仲間たちに大企業の人が多く、そういう人たちと普通に仲間として付き合いながら、昔は強かった大企業批判に同調するのは卑怯ではないかという問題意識だったが…

僕は、諸般の理由で、30代のころから、大学を辞めても数年は無職でも生きられるような経済的条件を維持するというのを意識的にやっていた。それもあって、自分以外の教授会のメンバー全員と意見対立するというのを、龍谷でも神戸でも経験したが、こんなのは学部長になりたいとか、学内政治力を持ちたいとか、そういう気が無ければ、そして、一定の条件に恵まれれば、全然平気でできること。

しかし、田辺の時代と同じような時代に自分が置かれたとき、自分はどういう行動・態度をとれるか。正直のところ、田辺以上に毅然として立つ自信がない…

数学基礎論史とか、京都学派とか、20世紀の戦争の時代の歴史をやっていると、こういう問題に出くわしてしまった人たち、しかも、学者としての自分の先輩のような人たちの姿を目にすることになる。特に、ドイツはシビアだ。亡命するユダヤ人学者、強制収容所から逃れるため一家で自殺する学者、ナチ党に入党する学者、様々である。それに比べれば、京都学派の人々は幸せにさえ見えてくる。

今の時代は、この時代に非常に似てきている。僕と同じ時代をやっている人の多くは、そう思っているらしい。

もし、そうなったとき、僕はどう行動できるか?

田辺は、日本の敗戦が確実になり始めるまでは、恵まれたエリートコースに乗る学者だったと言える。一方で、西田は、京大に職を得た後も、小康の後、定年退職することまで、個人的な不幸続きだった。そして、京大に移るまでは職でも苦労している。その西田の晩年は敗戦の前に亡くなることも含めて比較的幸運であった。それに対して、田辺の人生は、昭和10年代ころから暗転していく。

その田辺が群馬の山奥で太平洋戦争末期を過ごしたのに対して、西田は米軍の上陸も想定された鎌倉で最晩年を送った。そのころ太平洋に面する鎌倉では米軍機の攻撃会うことが多かったらしく、同じ鎌倉に住む親友鈴木大拙に、最近は米軍の攻撃が酷くて、会いに行きたいが思う様にならない、という意味の葉書を送っている。

性格も含めて、実に対照的な二人であるが、晩年も対象的であった。

西田は海、田辺は山。


2017年11月26日(日曜日)

日本のIT遅れ

今日だが、昨夜だかに、JBPressから、
——————————————————————————————————————
すべての戦略は デジタル前提に!

現在、デジタルの世界は転換期にあります。テクノロジーやビジネスにおける変化の
速度は、私たちの理解をはるかに超えています。

いまだかつて、こんなにも多数の新しいテクノロジーやパラダイムが集中して
登場したことはありませんでした。ITとビジネスの戦略の交差が複雑になるにつれ、
事業予測、事業計画、競合優位性に関するこれまでの前提事項はすべて消え去りまし
た。

企業は今、あらゆることについて再考を強いられています。
——————————————————————————————————————
という内容の記事の配信があり、驚く。

最初、「この記事は、その通りなのだが、20年前、遅くとも10数年前に配信されるべき記事だ」と思った。
そういうことが、これからすぐに起きるので、日本はIT化に対応しなくてはならないと、
NISETPの「日本の危機としてIT人材問題」などを書いていたのが、もう10年ほど前なので。が…

しかし、よく見ると、この記事では「消え去る時代がすぐ来ます」でなくて、「消え去りました」となっている。

「消え去ったのに、日本の企業は、それに対処できていない」という趣旨らしい。

暗然となり、色々とネットブラウジングをする。

「日本 IT」でググると、何と、https://wirelesswire.jp/2017/01/58716/ というような、
日本社会のIT化は世界に遅れてしまったという趣旨の記事ばかりが出てくる。そうでもない
内容のものもあるが、日付が2010年だったりする。随分、変わったものだ。
で、やはり、遅れが産業の現場で肌で感じられるようになってきたらしい。

しかし、それは産業のレベルであって、日常生活では、まだまだ、世界のIT革命から隔離されたままという気がする。

スマホなどの普及を言う人もあるかもしれないが、スマホやタブレットを使っているだけでは、本当の意味での社会のIT化は成されない。

JBPress の記事の意味での「デジタル化」「IT化」は、日常生活もガラリと変えるものなのである。

しかし、この国では変えないようにしようという力が強く目立つ。

僕は兼業主婦なので、良くデパ地下などで買い物をするのだが、いつも違和感がぬぐえないのが、
クレジットカード式のポイントカードをだして、ポイントをもらいながら、現金で払っている人が
圧倒的に多いこと。これが、中国だと、すでにアリペイなどが、主流と聞くし、
北欧では、国が現金を無くそうとしている

そのアリペイが、日本でも使えるようになるとか、
中国人観光客が、配車サービスを使い、中国人が運転する白タクを使って、
日本のタクシー業界に影響を与えているが、それを一斉に摘発したとか、
そういうニュースが増えている。

あるいは増加する外国人観光客が日本に風穴をあけるのか?

うーん……

多分、難しいだろうな… :-(

出島の時代から、日本は、そういうのを隔離するのには長けている。
外国人技能実習制度など「現代の出島」だ。

広島の牡蠣打ちで、中国人実習生による殺人事件が起きたときでさえ、
マスコミが、本当の問題を隠蔽してしまったかのようだったし…

あれは、その少し前に放映された、広島・宮島でロケが行われた
NHK「鶴瓶の家族に乾杯」を見ていたら、ある程度、予測できた。
僕は偶然見ていたのだが、出演者が話しかけた外国人実習生の
無表情と無反応が、完全に、番組の「日本的空気」を崩していた。

多くの人は、こういうことはITと関係ないと思っているらしいが、
実は、ITは社会を根本的に変えることができる技術なので、
社会の在り方、そのもの、社会の持つ価値観と、直接、
連動したり、対立したりする。

つまり、社会のIT化とは、社会の変革そのものであり、
それを前例のないスピードで達成できるようにする技術が
ITだと理解すべきだ。つまり、変革しよう、という意思が
ない限り、ITという技術は、それほど重要な結果を産まない
のである。

幕末のころの西洋文明との対応に似て来ているが、
今度は、中韓が日本の位置に、日本が中韓の位置にいる。


2017年11月20日(月曜日)

RIETIペーバー完成とブログ再開

経済産業研究所RIETIのAIの社会影響研究のプロジェクトの成果である、ポリシーディスカッションペーバーの最終版を、漸く完成。

実は、すでにプロジェクトは終了しているのに、遅れていたもの。RIETIの担当者の方たち、特に小林さんには、本当に御迷惑をおかけしました。平にお許しを!!我ながら、実に困った奴です。 :hammer:

これで、一応、AI研究は終わりにして、歴史研究にもどる。来年度末で定年なので、それまでに、積み残しの数学基礎論史関係の本やら論文やら、何とかしたいのだが、とても1年半でできる量ではないものが残っている。 :-?

まあ、一部は定年後にやるしかないか…

こういうことを避けるために、定年までは、新規の仕事を引き受けたり、始めたりをしないことにした。

それに伴い、長く書いてなかったプログを再開。新規の仕事を避けるようにしたためか、少し時間に余裕がでてきたように思うので。

と、いいつつ、先日の京都哲学会で話した「西谷啓治と田辺元――空と種」の論文版を書かねばならない。

当面は、主な仕事は、岩波新書の「ゲーデルの不完全性定理」(仮題)の原稿だが、これ以外にも、西田幾多郎記念館から引き受けている仕事も結構忙しい。また、これは事務的なことが忙しく、何とか、定常状態に入りつつはあるのだが。

いずれにせよ、以前の様に、プログを書けるだけの時間を見いだして書きたい。

このブログは、僕があまりに沢山新しいことを始め、色々なことを同時に行うものだから、学生が林が今この時に何をやっているのか見えない、というのを聞いて、研究室の学部生・院生たちに、林が何をしているのかを伝えるために書き始めたもの。

その研究室「情報・史料学専修」も、新メンバー募集は、昨年度で終わり、今年度は、来年4月から発足する「メディア文化専修」の学生・院生だけを募集している。

この新専修は、情報・史料学専修と、二十世紀学専修が合併してできるのだが、僕は発足後、1年だけいて辞めるので、新専修の学生さんの卒論を見ることがない。つまり、このプログの本来の役目が、必要なくなりつつある。

それもあって、今後は、今までのブログの方針「学術的なことしか書かない、専修の学生や院生、そして、(広い意味での)同僚に、林が何をやっているのかを伝えることに目的を限定する」を取っ払って、好き勝手に書くことにしようと思う。 :-)

まあ、あんまり羽目を外すと、僕のことだから、何を書き出すかわからない。 :-D
注意、注意! ;-)


2017年3月29日(水曜日)

西田幾多郎田中上柳町旧宅について

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時10分44秒

京都哲学会機関紙「哲学研究」600号記念号に依頼されて登校した論説「西田幾多郎田中上柳町旧宅について」林、市川共著。公開の許可いただいた京都哲学会に感謝します。(編集の中畑さんの話では、許可もなんもなく、自由にやってください、とのこと。 :-)


2017年3月7日(火曜日)

みんなで翻刻してみた ニコニコ生放送

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時52分54秒

SMART-GS の開発ミーティングで、橋本君から、古地震研究会のニコニコ生放送「みんなで翻刻してみた」の報告。視聴者が1万5千程度あったとのこと。ますます上手く行きつつある。

これは月に一度の生放送になるそうで、橋本君は、4月から千葉県にある国立歴史民俗博物館の助教になるので、月に一度京都に戻って来ることになり大変そう。

「みんなで翻刻」が成功しつつあることを受け、また、そのアーキテクチャを使うと、SMART-GSを比較的容易にWEBサービス化できる目途がついたので、現在やっている科研費基盤Bの研究の中心を、「みんなで翻刻」にシフトさせることにし、SMART-GSの定例ミーティングも名称も変えて、史料画像ベースのWEB上のデジタル・ヒューマニティ―のWEBミーティングにする予定。

もう随分前になるのだが、北大の田中譲先生のすすめで、SMART-GSを中心にした重点領域(科研費)研究に応募してはどうかということになり、現代史の永井さんや情報学研究科の山本さんなどと一緒に申請をしようとしたら、その年から重点領域が「新学術領域」というものに化けてしまい、新しい学術分野を作るという種目になってしまった。これは困ったと思ったが、既存分野のイノベーションでもよいと書かれていたので、正統的人文学が、ITで進化するのだということにして、これに応募した。

実は、この話が最初にあったとき、僕は、こういう大きな額のプロジェクトでやると、SMART-GS プロジェクトが変な方向に向いてしまうと思った。しかし、SMART-GSの成立の際に画像検索で、お世話になった田中先生の御意見であるので困った。それで情報学研究科の山本さんに相談したら「止めた方が良い」といってくれるのではないか、田中先生の信頼があつい山本さんの意見を口実にして断ろう、と思って山本さんに相談に行ったら、予想に反して「是非、やりましょう」という返事で、僕は逃げ場がなくなってしまった。 :-(

それで覚悟を決め、永井さんや山本さん、そして、NIIの相原さんなどにお願いして、申請を2年ほどだったか行った。こういう億単位の申請は、最初から面接にまで進むのは難しいとのことだったが、初年度、次年度とも、面接までに進んだ。その時、僕にはひとつ大きな拘りがあって、「このプロジェクトでできるのは、伝統から離れた新領域ではなくて、伝統的人文学がITで進化したものだ」というスタンスを崩さないことにした。そうでないと、また、役にも立たない、面白いだけで終わる技術をいっぱい作って終わり、という風になると思ったからである。

案の定、そのあたりを面接では聞いてきた。若い審査委員(?)のひとりが、あきらかに助け舟として「新領域を作ると言えばいいんですよ」と大きな声で言っていたが、これは僕の絶対譲れない線だったので、言っている意味は分かったが、従わなかった。

パートナーの八杉は、もし本当に採択されたら、僕の健康が大変なことになるのではと心配していたし、僕自身も、これが採択され、大型資金にまつわる「風習」に完全に従っていたら、本当に人文学者が喜ぶオープンソースのツールを作るという方針で作っていたSMART-GSが死ぬ、とおもっていたので、最後の拘りだけは絶対に譲らなかった。しかし、それもあって(というか、それが最大かも…)、協力してくれた仲間には悪かったのだが、2回とも面接で落ちて、それで3回目はやらないことにした。

その後は、比較的僕一人の意見で自由になる小さい資金をもらって、SMART-GSの開発を続けた。そういう中で、橋本君が大学に帰って来て、デジタル・ヒューマニティをやることになり(最初はドイツ数学教育史の予定だったのだが…。でも、変えてよかった)、新学術領域の申請の際には、全く考えもしなかった「学習ベースの古文書のクラウド翻刻」という技術によって、そのころ将来是非やりたい、そんなものが出来てい欲しいと思っていたことが出来つつあるというこは、実にすばらしい!

おそらく、このまま上手く行くだろう。地震史料、くずし字の江戸期以前の古文書という、現在の条件がなくなったら、どうなるか、という問題はあるのだが(たとえば、田辺元史料では、こういうことは起き得ない。 :-D)、おそらくは、地震史料ではなくても、「くずし字の鎌倉から江戸期の古文書」の殆どでは上手く行くのではと思う。

そのためには、広報が大切なのだが、「みんなで翻刻してみた」の様なものは、それに大きな貢献をするだろう。

最初、放映の話を聞いたときは、古地震研究会の様子など放送しても、何も面白くないのではないかと訝しく思っていたのだが、実際の放送を見せてもらうと、予想と全く違い、ドワンゴがシナリオを作り、NHK第2(Eテレ)の語学講座か何かのように作り上げていた。そういうものを見たい人には、面白くみられるようにできていたのである。

「講座」なので、これも「まなび」のシステムの一つである。橋本君の「学びベースのクラウド・ソーシング」の体系の一つに入るだろう。まだまだ、「学びベースのクラウド・ソーシング」は色々と拡張できそうだ。これからの進展に期待したい。

と他人事のように書いているが、橋本君が京都からいなくなるので、彼が帰って来てないときなど、僕がかわりに時々でも古地震研究会に参加することになった。で、崩し字の勉強をしなくてはならない。大変だ…… ;-)


2017年2月25日(土曜日)

みんなで翻刻

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時10分42秒

またまた久しぶりに、ブログを書いている。

今日と明日は入試監督で、そのストレスが書かせている面がある。 ;-)
#続きを書いているのは、もう試験が終わった26日の深夜

それで思い出すのが、確か3年前の入試監督の日のこと。文学部では、色々な研究所の人たちが、入試監督の手助けをしてくださるのだが、この年は、それが宇治の防災研だった。

その助っ人の一人が、防災研地震予知研究センターの加納さんで、彼が「SMART-GSを作っている方ですよね」と切り出したのには驚いた。

なんでも江戸期以前の古文書から、地震の情報を引き出すという研究分野があるという話で、それにSMART-GSを使えないかということだった。

東北の震災から間もないころであったし、何より歴史学が人命を救うかもしれないというのが良い。
#実は歴史学は国境線を決定したり、戦争責任を決定したり、凄くプラクティカルな学問。

あの悲惨な津波の半年ほど前だったか、確かアメリカ(もしかしたらカナダ?)のドキュメンタリで、北米の北西部を高さ10メートル超えの大津波が襲った跡が、上流の河岸の地層の発掘で判明し、今は、学校などでも避難訓練をしているというのを見た。

東北の津波の映像を見ながら、この番組を思い出し、もしかして、日本でも、あの番組で紹介されていたのと同じことができたのではないかと思っていたら、貞観地震というのが記録されていて、それと殆ど同じ地域が被害にあったことが段々と報道されるようになり、「ああ、またか、この国は…」と暗澹たる思いをした。

そういうなかで、こういう話があり、大変興味を持ち協力を約束した。もしかしたら、歴史が人命を救うかもしれないのである。素晴らしいことだ。

その後、京大古地震研究会を主宰している理学研究科の中西さんが、研究室に尋ねて来てくれて、地震学には現代地震学、古地震学という分類があること、地質学を使う考古学的古地震学は、情報が得られるタイムスパンが何百万年になる一方で精度が100年単位くらいになる。一方でスパンが1000年単位に減るものの古文書による古地震学は精度が数時間になり、現代地震は精度が秒単位だがスパンが100年単位となる、というような話や、南海地震があると土佐の地盤が一端下がるため高潮が増える、それが数十年かけて戻るということも、高潮被害についての古文書記録を見ていくとわかる。だから、「地震」というキーワードがある文書だけ読めているだけでは足りないというような、非常に興味深い話を教えてもらえた。

その話は、まさに、我々情報屋がビッグデータやIoTの様な世界でのヘテロな情報の質と量のトレードオフにもっている感覚に似ていた。そういうのをどう上手く組みあわせて有用な情報を引き出すか。それが問題なのである。

これは、まさに情報技術を適用するにうってつけの分野だと思い、非常に強い関心を持ち、まだ、学位論文のテーマを決めかねていた院生の橋本君に、こんな重要な分野がある、将来的にきっと重要なものとなる、などと話した。

橋本君は、僕が彼を京大古地震研究会に送り込んだようなことを言うが、これは間違いで、そんなことをした覚えはない。単に、重要な分野の存在を伝えただけで、後は、橋本君の自由意志で進んだこと。

いずれにせよ、橋本君は、以後、京大古地震研究会に参加するようになり、今や、その主要メンバーの一人。

そして、その後の橋本君の様々な頑張りが実を結び、加納さんと僕の「入試監督での邂逅」は、「みんなで翻刻」という大きな成果を生みつつある。

この成果は、1月にプレス・リリースされたのだが、何故か、入試一日目の土曜日の京都新聞夕刊1面に掲載されていて(これが電子版)、それで入試監督と重なり、思い出して、このブログを書いている。

現在まで、くずし字古文書の crowd-sourced transcription、つまり、みんなでやる翻刻は、成功したものがない。現代の印刷物でも、青空文庫ぐらいだろう。

まだ、公開して間もないので、まだまだ予断を許さないが、みんなで翻刻は、その最初の成功例になりそうだ。

今の所の成功のポイントは、橋本君の発案の「学習ベース」のクラウド翻刻にしたこと。つまり、くずし字解読のスキル上達ができる「みんなと交流できるまなびの場」であることが、成功しつつある理由だろう。

これは、橋本君が研究協力者、加納さんが分担者で、僕が代表の科研費基盤B「古文書のWEBを目指して」での成果だが、僕は代表として、お金の管理をして、後は、時々、橋本君に指導教員としてコメントする程度で(「みんなで翻刻」は橋本君の学位論文で大きな部分を占める)、橋本君、加納さん、中西さんの研究成果。

名前の発案者は中西さんだそうだが、設計やコーディング、改造は、橋本君ひとりでやっているが、これは京大古地震研究会なしでは考えられないものなので、古地震研究会を始めた中西さんや、加納さんの貢献は大きい。とくに、加納さんは自身が、WEBベースの古地震研究サイトを作っていて、みんなで翻刻も、そちらのサイトでのサービスらしい。

ただし、京大古地震研究会のサイトは、僕が代表の東大地震研の共同利用のプロジェクトの成果です。とはいっても、これもプロジェクトメンバーの加納さんの活躍がすべて。僕は資金集め以外は威張れない。(^^;)


2017年1月27日(金曜日)

哲学の道と西田幾久彦さん ( 1月29日に大幅編集)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時28分31秒

今週、木曜日は、西田記念館より館長の浅見先生たちが来訪。予定していた仕事の相談は順調に進んだのだが、その際に、西田幾久彦さんが急逝されたと聞きショックを受ける。WEBで検索してみたら武蔵高校の卒業生物故者リストを見つける。昨年の11月に亡くなっていた。

西田幾久彦さんは、西田幾多郎のお孫さんで、直接お会いしたことはなかったが、9月ころだったか、哲学の道と西田幾多郎の事で電話でお話し、機会をみて林が訪ねていく約束をしていた。その時、お見せしようと、あるものの写真を探していたのだが、それでボヤボヤしている間にお会いできないことになってしまった。

左京区田中上柳町の西田幾多郎旧宅の一部保存の活動をやっていたとき、西田が哲学の道を散歩しながら哲学したという証拠がない、という話を新聞記者さんたちにすると、一様に驚かれた。

僕は、哲学の道歩勝会の方に、「実は少し場所が違うらしい」と聞いていたこともあって、記者さんが皆の様に驚くということに驚き、少し調べて、高山のエッセイを見つけて、6月24日の投稿、哲学の道と西田を書いた。

それを見た、読売新聞日曜版名言巡礼の担当者が興味を持ち、こういう記事になったのだが、それを見た幾久彦さんから、西田記念館を通してコンタクトがあり、電話でお話をした。

何でもおともだちが読売日曜版の記事を読み幾久彦さんに電話をしてきてくれたと言うことで、結論から言うと小さいころに御爺様の兵児帯にぶら下がるようにして、哲学の道あたりを歩いた記憶があるということであった。

検証は必用だが、西田幾多郎が哲学の道を散歩したという、唯一といっても良いほどの確実な証拠だろう。

その検証のための写真探しの間に残念なことになったわけだが、初めての電話ながら波長が合ったというか、話が弾み、その他にも色々と教えていただけたので、調べつつあったことも含めて、記憶が薄れる前に記録しておく。

幾久彦さんのお父様の外彦さんは2回召集を受けた。幾久彦さんの手になるエッセイ「祖父の思い出」(西田全集月報昭和41年7月、下村「西田幾多郎 -同時代の記録-」、pp.294-297)によると、一回目が幾久彦さんが小学校4年のときで、二回目が中学校の時とのこと。一回目がおそらく1938年前後だろう(小学校の就学年齢資料)。

上記のエッセイや電話でのお話によると、週末になると、幾久彦さんは、芦屋の自宅から京都まででかけ、御爺様や御婆様から、漢文などの古典や英語の教育をうけ、また、京都の名所旧跡を訪ねた。西田の交友関係などから、通常は拝観できなかったお寺なども見学できたらしい。これは幾久彦さんが書かれたエッセイにも書かれている事実。

その訪問先に、どうも哲学の道あたりの寺院か神社などが含まれていたらしい。また、これとは別と思われるが、西田家は、家族で連れだって弁当も持ち、遠足かピクニックのようなものをしていたそうで、その際にも、哲学の道の辺りを歩いたらしい。

その頃の疏水(分線)沿いの道は、今のような散歩道ではなく、草が繁った田舎道であった。また、歩いていると、向こうから人が来て、「やあ」という風に手をあげて挨拶する。誰かと聞くと、大学の関係者とのことだったという。疏水沿いは、やはり昔から散歩道で、京大関係者は多く歩いていたことが推測される。

これらの際に、祖父の兵児帯に手をかけながら歩いた記憶がある、と仰っていたが、小学校4年の時の話にしては、兵児帯に手をかけて歩くというのは、些か幼い。おそらくは、もっと前に、つまりお父上の召集の時ではなくて、西田家のピクニックの際の話なのかもしれない。

人の記憶というものは曖昧なもので、時期場所など、改めて調べてみると自分の記憶と異なって驚くというのは、齢を重ねている人ならば共感してもらえるだろう。(^^;)

それで、こういう記憶から歴史的な情報を引き出すには、必ず史料による裏付けが必要となる。

幾久彦さんからは、この話を、どこかに書きますか、このままにしますか、と聞かれたのだが、もちろん放置というのは歴史の虫が許さない(^^;)。お話をしながら、幾つかの点を確認する必要があると考え、凡その調査計画を組み立てられたので、どこかにちゃんとした文章として出したいので、書いたら、西田哲学館の山名田さんを通してお送りしますので、ご覧いただけますか、また、機会があったらお会いしたいのですが、というと、東京に用事があったときにでも訪ねてきてくれれば、という話だった。

それで、色々調べ始めたが、手がかかりがなかなかなく、多忙に追われて先に進めることができずにいた間に幾久彦さんにお会いできないことになってしまった。

では、何を調べていたかというと、それは昭和のころの蹴上周辺の風景。より正確に言えば、山科を通って京都に入った琵琶湖疏水の蹴上・岡崎あたりの様子の変遷。

哲学の道は、琵琶湖疏水分線の一部分だけを言い、疏水の周辺を歩いたからと言って、現在の、哲学の道の辺りを歩いていたとは言えない。僕は西田は京大農学部あたりの疏水沿線などを歩きながら哲学した可能性は高いと思っている。それならば、6月24日の投稿、哲学の道と西田に引用した高山の証言と非常に整合する。

実は、お名前などの記憶があいまいで思い出せないのだが(ハッキリおぼているのは、現役時代は瓜生山学園で教務の仕事をしていましたと仰った点。確か教務課の課長さん?)、かなり以前、哲学の道歩哨会の幹部らしい方から、突然研究室にお電話があり、哲学の道沿いのマンション建設を防ぐ方策など相談を受けた。その時、その方が「実際は若王子のあたりを歩かれたらしいですが」という意味のことを言っておられたので、哲学の道を西田が歩いたという証拠は本当は無いのだろうと思うと同時に、哲学の道というのは、実は琵琶湖疏水分線の、かなり限定された領域であることを、その時始めた気が付いたのだった。

だから、この哲学の道の関係者の方のように、厳密に言うならば、本当に西田幾多郎が哲学の道を歩いた証拠を見つけるのは、実は、それほど簡単ではないのである。

一般には、僕もそうだが、疏水分線全部を哲学の道、あるいは、それの「延長」位に思っているのが普通だと思う。それで幾久彦さんにも、それを少し言ったのだが、意図が伝わったかどうか怪しかった。観光地図でもお見せして、説明しないと、この話は、そう簡単には理解できない。一般的認識と公式の定義がずれているのだから仕方がないのである(京都では、他にも同じようなのが色々とある。大学近くの吉田本通は、どうも国土地理院の名称では吉田東通というらしい。そして、ビリケン理髪店があった狭い道が吉田本通らしい。しかし、タクシーの運転手さんなど、皆、吉田東通を吉田本通と呼ぶ。こういうの他にも沢山ある)。

そこで、幾久彦さんに、「御爺様と、どの辺りまで、歩かれたのですか」とボンヤリした質問をしたら、「疏水が山から下りて来るところまで歩いた」という、非常に面白いお返事だった。

こういう印象的な言葉で語られる記憶は、それから何かの情報を引き出せる場合が多い。しかし、「疏水が山から下りて来るところ」という言葉で表されている記憶の意味を明らかにしなくてはいけない。こういう時には、何かの構造的誤解が入っていることが往々にしてあるのからだ。重要な記憶が、字義どおりに解釈しては誤解のもとになるような言葉で語られていることが多いのである。その「誤解の構造」を史料を使って解きほぐしていく、それが史料ベースの歴史学なのである。

これはTVのサスペンスものなどの推理のシーンが好きな人にはお分かりいただけると思う(^^;)。実は、史料ベースの歴史学研究は、そういうドラマの探偵の調査・推理にすごく似ている。しかも、歴史はフィクションではなく現実なのだから、解きほぐせたときには、凄く嬉しい。 :-D

話を戻しまして…

そこで、地図で調べると、琵琶湖から山科盆地を通って京都市街に入った疏水・疏水分線は一箇所を例外としてフラットであり「山から下りて」こないことが分かった。

そして、その唯一の例外が、僕が通勤の時に、何時もの様に通る蹴上の発電所の辺りなのである。ここは、疏水を挟んで動物園の「向い」でもある。

実は、西田幾多郎は、動物好きで、動物園も好きで、良くお嬢さんたちを岡崎の動物園に連れて行き、お嬢さんたちが大きくなってからは、それが途絶えていたが、幾久彦さんが少し大きくなって、動物園行きが再開されたことが、お嬢さんたちのエッセイでわかる。この辺りのお嬢様たちの描くエピソードがなんとも微笑ましく、読んでいてついニコニコしてしまうのだが、どうやって左京区田中から、岡崎の動物園まで行ったのだろうかというのが、前から気になっていたのである。電車が、それとも近衛あたりをテクテク歩いたか…

しかし、この蹴上の辺りまで、兵児帯にぶら下がって歩くような、小さなお孫さんと散歩をしていたのならば、この動物園へのルートの問題も解決する。

夜間動物園にも行ったとあるので、この様なときは電車やら街中を歩いたりであったろうが、幾久彦さんが言う、田舎道を通ってのピクニックのようなものならば、銀閣寺道あたりから、疏水を辿って動物園に向かえば、遠回りにはなるが、いかにもピクニック的な経路となる。これはきっと楽しい道だったろう。今でも歩いていると疏水を琵琶湖の魚が泳いでいるのが見えたりして、凄く楽しいのだから。

哲学の道は、正確に言えば、銀閣寺道あたりで始まり、若王子橋で終わる。若王子橋より南は疏水が「地下に入る」ので、ここから西に進めば、平安神宮、美術館、などがある岡崎地域の北東に出る。そして、今度は、白川沿いに南西に下れば蹴上の発電所と動物園に辿り着くことになる。

当時は、かなり長閑な道であったろうが、今でも車は多いものの十分観光ルートになりえる道のりである。

この様な、東山沿いの長閑な道を歩いて動物園の辺りまで歩く場合、おそらく哲学の道あたりを通るのが最も自然であったろう。つまり、西田が、幾久彦さんの勉強を兼ねての散歩、家族とのピクニックの際に、狭い意味での哲学の道を歩いたことは、まず間違いない。

ただ、僕が書いていたのは「哲学の道で哲学したことはまず無かったはずだ」ということで、ここを散歩することが一度もなかったということではないので、そこの所が、幾久彦さんも、少し誤解されていたように思う。当時、すでに知られた散歩道になりつつあったらしい、哲学の道あたりを、西田が一度も歩いたことがないとえば、それはむしろ不自然なのだから。

しかし、子煩悩で家族思いの西田が、家族と連れ立って歩くときに、哲学に没頭したとしたら、それも不自然なのである。幾久彦さんも「(祖父が)denken(思索)しつつ哲学の道を歩いたかどうかはわかりません」と仰っていた。

哲学の道と呼ぶには、西田が、歩きながら、そこで思索した、それがちゃんと目撃されて記録に残っているのが理想である。しかし、あまり学問上のことに拘って無粋なのも、観光地として主に知られている「哲学の道」のような場合には困りものだ。別に西田が歩いたというだけが、名前の由来ではないらしいのだから。

そこで、西田が哲学の道を歩いたかどうかをすごく気にしていた読売の記者さんには、西田の石碑があるのだから、それで哲学の道でよいのでは、と言ったら、記事にそう書かれていた。幾久彦さんの証言で、これにさらに「哲学の道」の名前に「由来」が加わったと言えるのではないか。家族や孫と歩きなれた道を、哲学をするための散歩のときにも歩いたというの自然だろう。

跡取り息子、外彦さんの証言によると、激しい気性だった西田も、晩年には、その晩年の書が示すように、丸い人格になっていったらしい。残念ながら証拠となる史料は見つけられていないが、闘う様に歩きながら思索した「場所の論理にいたる時代」ではなく、晩年の西田が悠然と「哲学の道」を歩きながら思索をしたというのは、鎌倉時代の散歩の様子を語る女婿金子武蔵(東大倫理学教授)のエッセイの西田晩年の描写からすれば十分考えられることなのである。

エッセイ「秋風の高原に立つ 岳父さながらに」(西田全集月報昭和40年4月、下村「西田幾多郎 -同時代の記録-」、pp.276-282)で、金子は、鎌倉の家で、哲学の議論が終わって、女婿としての自分と連れ立って散歩するとき、京大名誉教授としての西田の「ワク」が外れ、高坂、下村、高山などの京大のお弟子さんたちに対する態度と違う態度となったと書いている(下村 pp.278-279)。

その様な時にも、時として西田の壮年のころまでの激しい気性が蘇り、岩波「思想」の「西田哲学特集号」(昭和11年1月号)の諸論文を評して、「文句のいえるのはやはり田辺だけで、あとは皆物マネにすぎぬ」と批判したり、おそらくは自分が京都への招請に関わったはずのB.ラッセルの品行を批判したり、杖で小石をはねとばしながら、激しく語った、という。

しかし、それは例外的であり「このような放談には少々面食らったのは事実であるが、多くの場合、物静かな回顧談であった」と金子は書いているのである。この記録は、あまり語られることが無かったように思うが、金子武蔵という人は、非常に実直な人だったというから、また、唯一と言って良い「身内の哲学者」の記録としても、この金子のエッセイは大変貴重であり、また、それからすれば、「物静かに哲学の道を歩く晩年の西田」という姿を、証拠がないと言って否定するのは間違いだろう。(もちろん、だからと言って、「そうだ!}というのは、さらに不味い。それが歴史学というものである。)

兎に角、「疏水が山から下りてきている」そういう情景を写した蹴上発電所あたりの昭和初期の写真を見つけて、それを幾久英彦さんに見て頂き、確認が取れたら、こういう話をどこかに書こうと思っていたのだが、そういう風景写真の調査などしたことがなくて、なかなか写真の目途がつかなかったのである。

しかし、正月ころに、地下鉄の駅を歩いていたら、疏水の観光ポスターが目に入った。その時、蹴上の疏水博物館ならば、たしかジオラマがあったから、それの元になった写真を持っているのではないかと思いついたのである。そう思ってAmazonで調べてみると、疏水関係の図版などがかなりあることがわかった。図書館や博物館に行くともっと見つかるはずである。授業期間が終わり、時間がとれるようになったら、博物館を訪問し、資料も調べ、その上で幾久彦さんに確認して頂こうと思っていたのだが、幾久彦さんが亡くなってしまった以上、もう確認する方法はないのだろう…


2016年10月30日(日曜日)

京都から北軽井沢へ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時01分06秒

田辺の昭和20年7月の京都から北軽井沢への移転について、調べて分かったことを記録。

実は、かなり前に分かって一度ブログに「書いた」のだが、操作ミスか何かで書いたものが消えた。

その後、色々な締切やら2週間近く続いた咽喉風邪などで書けず今日まで来てしまった。

昨日で、漸く、哲学研究に寄稿を依頼された「西田幾多郎田中上柳町旧宅について」の校正が終わったので、これを書く余裕が生まれた…

と、書きつつ、もう夜も遅いので、概要だけ書き、それにもとづいて、明日にでも詳しいデータを記録。

9月24日のエントリ「西谷啓治と田辺元」で大島のエッセイを色々と引用したが、この大島の文章がかなり間違っていることが判明。

ひとつは京都から北軽井沢への移動について、田辺が珍しく哲学以外のことなのに日記に書いているのを見つけたこと。

もう一つは、昭和20年7月の国鉄の時刻表の復刻版を手に入れて、大島の証言の矛盾が明らかになったこと。

大島の京都から北軽井沢への田辺の転居についてのエッセイは、そのイベントより遥か後に書かれていて、時間についての confusion が相当にあるらしいことがわかった。

簡単に纏めれば、大島は、同年7月のある日の朝、京都を立ち、その日の内の午後に北軽井沢に到着したかの如く書いているが、これは間違い。

このころ、全国で国鉄の急行は東京門司間の一往復のみ。特急は皆無という状況。おそらくは燃料不足が主な理由だろうが、軍用列車の優先、米軍の攻撃など、色々な理由があったはず。

いずれにしても、昭和20年7月の時刻表によれば、こういう状況下で、最短ルートの中央線経由をとったとしても、その中央線が、一日に4往復しかないという状況。

田辺夫妻、大島、西谷の4名が京都から群馬県北軽井沢に向けてとったルートは、京都から名古屋まで東海道線、名古屋から塩尻まで中央線、塩尻から篠ノ井まで篠ノ井線、篠ノ井から軽井沢まで信越本線、そして、国鉄軽井沢の向いのある新軽井沢駅から北軽井沢まで、草軽電鉄、という経路であったことは、おそらく大島の記述どおりだろう。

田辺の日記には、大島が書いたような完全なルートの記述がないが、田辺の記述は、大島の記述と矛盾しないし、昭和20年の状況からして、他の可能性は考え難い。

ただ、田辺は、朝に京都を出立し、あくる日に北軽井沢に到着と書いている。

大島のエッセイが、「田辺元 思想と回想」の中の一編として出版されたのが、1991年。

大島が亡くなったのが、1989年で、大島の原稿を元に返事達が最終版を書いたらしい。

たとえば昭和が平成に変わる1989年に、その原稿を大島が書いたと想定すると、44年前の出来事を記憶をもとに再現して書いたことになる。

つまりは、還暦を過ぎた大島が、自分の20代の出来事を書いている。

還暦を過ぎた我が身として、考えてみると、そんなに正確に日時を思い出せるとは思えない。

まあ、そういう能力を持つ人もいるが、晩年はアルコールが過ぎたのではないかという人もいる、大島の場合は、おそらくは、質的出来事は記憶に強く残りながら、日時の様な量的な記憶が曖昧になっていたのだろうと思う。

あるいは、大島の死後に、大島の原稿を編集をした人たちが、昭和50年代の感覚で、大島のテキストを勝手に変更していしまったことも可能性としてはある。

しかし、ひとつの日の間に移動することと、一夜を経て移動することには、質的と言っても良い差があると言える。

その様な、質的差異を、何故、大島の記憶は混同してしまったのか?

もし、駅のベンチで一夜を過ごす、あるいは、途中下車して旅館かなにかで一夜を過ごすということがあれば、質的出来事として、記憶に残る可能性が高いが、それへの言及がないのである。

それが疑問だったのだが、昭和20年7月の中央線の時刻表をみて、その理由と思えるものが判明。

名古屋からの、一日4往復のみの中央線の最後の列車が夜汽車なのだ。

京都から名古屋への東海道線の列車の時刻を見ても、おそらくは名古屋駅に到着して、そこでかなり長時間を過ごし、その後で、中央線の最終列車に乗ったと思われる。そして、その最終列車が夜汽車なのである。

今は、贅沢な寝台列車は別として、夜汽車というのは無いのではないかと思うが、僕が20代だったころには普通にあった。それは、今で言えば深夜の長距離高速バスのようなもの。

昼の連続として、昼間に来ていたものと同じ衣服のまま、列車の椅子の上で一夜を過ごす。そして、早朝、目的地について、そのまま活動を始める。それが「夜汽車」である。

学生時代に、夜汽車を何度も使っていた経験からすると、その様な「夜」は、前の夕刻や、次の朝に連続している。

僕の場合だと、次の日の朝に連続的につながっている。

おそらく、これがほぼ半世紀の時間の後に、大島の記憶を錯誤させた原因だったのであろう。

ということで、大島の錯誤の原因と思われることのみ書いて、その詳しい所、史料ベースの詳細記録は、次回!


2016年9月24日(土曜日)

Russell と伝統論理学についてもう少し覚書

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時30分02秒

Russell, The principles of mathematicsにおける伝統論理学への言及で、講義で使えそうなところを幾つか記録:

Claas と class-concept (extension v.s. intension)
Chap. II
B. The Calculus of Classes
§21. The insistence on the distinction between and the relation of
whole and part between classes is due to Peano, and is of very great
importance to the whole technical development and the whole of the
applications to mathematics. In the scholastic doctrine of the syllogism,
and in all previous symbolic logic, the two relations are confounded,
except in the work of Frege*. The distinction is the same as that
between the relation of individual to species and that of species to
genus, between the relation of Socrates to the class of Greeks and the
relation of Greeks to men. On the philosophical nature of this distinc-
tion I shall enlarge when I come to deal critically with the nature of
classes; for the present it is enough to observe that the relation of
whole and part is transitive, while e is not so : we have Socrates is a
a man, and men are a class, but not Socrates is a class. It is to be
observed that the class must be distinguished from the class-concept
or predicate by which it is to be defined: thus men are a class, while
man is a class-concept. The relation e must be regarded as holding
between Socrates and men considered collectively, not between Socrates
and man. I shall return to this point in Chapter VI. Peano holds
that all prepositional functions containing only a single variable are
capable of expression in the form “x is an a,” where a is a constant
class; but this view we shall find reason to doubt.

Categorical proposition についての議論:
命題の基本を subject, copula, predicate で考えるのはおかしい。
動詞を無視している。という議論。
 "Socrates is a man" を、
 Socrates | is | a man ではなく、
 Socrates | is a man と divide する。
Chap. III: Implication and formal implication
§43. Assertions
It has always been customary to divide propositions into 
subject and predicate ; but this division has the defect of omitting the
verb. It is true that a graceful concession is sometimes made by loose
talk about the copula, but the verb deserves far more respect than is
thus paid to it. We may say, broadly, that every proposition may be
divided, some in only one way, some in several ways, into a term (the
subject) and something which is said about the subject, which something
I shall call the assertion. Thus “Socrates is a man” may be divided
into Socrates and is a man. The verb, which is the distinguishing mark
of propositions, remains with the assertion ; but the assertion itself,
being robbed of its subject, is neither true nor false. In logical dis
-cussions, the notion of assertion often occurs, but as the word proposition
is used for it, it does not obtain separate consideration. Consider, for
example, the best statement of the identity of indiscernibles: “If x and y
be any two diverse entities, some assertion holds of x which does not
hold of y.” But for the word assertion^ which would ordinarily be
replaced by proposition, this statement is one which would commonly
pass unchallenged. Again, it might be said: “Socrates was a philo=
sopher, and the same is true of Plato.” Such statements require the
analysis of a proposition into an assertion and a subject, in order that
there may be something identical which can be said to be affirmed of
two subjects.

Termについての議論:Chap. IV: Proper names, adjectives and verbs.
§46. Proper names, adjectives and verbs distinguished
§47. Terms
Whatever may be an object of thought, or may occur in any true
or false proposition, or can be counted as one, I call a term. This,
then, is the widest word in the philosophical vocabulary. I shall use
as synonymous with it the words unit, individual, and entity. The
first two emphasize the fact that every term is one, while the third is
derived from the fact that every term has being, i.e. is in some sense.
A man, a moment, a number, a class, a relation, a chimaera, or anything
else that can be mentioned, is sure to be a term ; and to deny that such
and such a thing is a term must always be false.
§48. Things and concepts
 Among terms, it is possible to distinguish two kinds, which
 I shall call respectively things and concepts. The former are the termsindicated
 by proper names, the latter those indicated by all other words.
§49. Concepts as such and as terms


A relation is not a class of couples

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時43分07秒

Tuple を使うと、アリストレス論理学の Categorical proposition だけで、RDBあるいは Datalog の方法を使うと、述語論理の論理式をシミュレートできるが、

But this derivation (上でシミュレーションと読んでいるもの)fails, as Russell points out, because the selected
couples tacitly exhibit, in the order of their presentation, the very relation they are called on to define.
The notion of relation cannot be reduced to that of class; it must be treated as primary.

という、Skidelsky “Ernst Cassirer” 2008, p.60 の記述は、Russell, The principles of mathematics, Chap. IX,
§98. A relation is not a class of couples を指している。


西谷啓治と田辺元

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時58分54秒

今、日本哲学史専修の紀要に投稿する「西谷啓治と田辺元」という論文を書いていて、そのために久しぶりに「田辺元 思想と回想」(筑摩書房、1991)を読む。これに昭和20年に定年退職した田辺が、その夏、京都から北軽井沢大学村の山荘に疎開というか、引っ越すときの情景が書かれていたと記憶していたので、それを論文で引用するために調べるため。

この論文は、実は田辺と西谷の間柄が、西田と西谷の間柄より、遥かに親密であり、実は哲学の理論上でも、西谷に「否定的」な意味で田辺の影響があることを示すというもの。西谷と田辺は、西谷が波多野の退職の後に講師となってから、非常に多く議論したらしい。しかし、その割には、西谷の哲学に、田辺の哲学の直接的影響の形跡を直接的に示す証拠は、ほとんど見られないのだが、面白いことに、最晩年の「空と即」には、田辺を意識したとしか思えない用語の使い方などが多くみられるのである。そういうことを書いている。

田辺と西谷の議論の逸話を最初に読んだときに印象的だったのが、田辺は、そのころ病気がちで、毎日、一日の半分位は寝込むほどの状態ながら、京都から北軽井沢まで、田辺と西田の二人が延々と哲学の議論をしていたということ。

数年ぶりに、その本を読み返してみて、この田辺とその夫人の京都から北軽井沢への移住の際の逸話の著者が、大島であったことが分かった。また、西谷による田辺についてのエッセイも、数年ぶりに再度読む。この数年で、京都学派への理解が各段に深まり、以前、読んだときの印象と大きく違い、沢山の情報が得られたという気がする。

まだ、当時の時刻表など調べてみないと良くわからないのが、北軽井沢に、まだ日があるころに到着している点。学生時代、普通を乗り継いで、東京から広島県の郷里まで帰るということを何度かやってみていたが、その経験からすると、もっとかかったのではという気がしていたのだが、日本の内陸部、つまり、中央線などを使い、京都から北軽井沢まで移動すると距離的には案外近く、東京と広島県との距離より随分近いのに気が付く。

その京都から北軽沢へのルートが気になっていたのが、田辺が東京の焼け野が原を見ていたかどうかという点。大島の記述から、やはり中央線を通るルートで、田辺は出身地の東京の米軍の爆撃による焼け野原を目撃していないことが分かった。これは、そうではないのかと思っていたが、一方で、東京より酷かったとも言える名古屋の焼け野原は見ていた可能性が高い。

正直に言って、日本の京都を除く、大都市の焼け野が原を見れば、太平洋戦争というものが、この日本の伝統に対して犯した限りない罪が見えるはずなのだが、そういう気持ちが戦後の田辺の著作に一切見えない。そのことが、僕には非常に違和感としてあって、きっと、昭和20年の日本の大都市の惨状を、田辺は見ていないのではないかという仮説を立てていたのだが、これはどうも間違い。

どうも、田辺や西谷は、そういう惨状を無視する人たちであった可能性が高い。それは大島が岐阜当たりの駅舎がB29の焼夷弾で燃えているのに驚いている様に、田辺、西谷が、しょうがない奴だという風な顔をして、大島の様を一瞥し、自分たちは哲学の議論を続けていたという大島の記述からわかる。明治人の特質か?

いずれにせよ、久しぶりに「田辺元 思想と回想」を読んだことにより、西谷と田辺の人間的な近さが、間違いなく確認できた。
それにより、京都学派の文化史的な理解は、まだ、殆どなされていないのだという感を強くする。


2016年9月19日(月曜日)

Markus Rehm

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時46分33秒

パラリンピックが、突然、NHKなどで大きく取り上げられるようになったので、あれあれ、と思ってみていた。
義足などによりサイボーグ化した人が、その努力と知恵により、所謂「健常者」というものより高い能力を獲得するという
話はかなり前から知っていたので、講義で、「近い将来、高い能力を得るために自ら手脚を切断する人がでる」などと
言って、案の定、男子学生から、それはあり得ないという反発、女子学生からは、賛同を得たりしていたのだが、
このRehm という人のことは知らなかった。

で、NHKスペシャルで、この人の事を取り上げたのが分かったので、NHK オンデマンドで見たら、何故か、
取り上げられいない。幸い、YouTube で番組を見ることができて驚愕&感激!

脳の働きまで変えて、飛んでいる!

踏切の方法が全く違うらしいので、Rehm と「健常者」のジャンプが同一のものとして扱われるのは、
確かに、unfair だが、この人の記録が無視されるのは、さらに unfair と言える。

どういう条件下であり、人力だけで、どれだけ遠くに跳べるか?

そういう競技があっても良い。その時、「健常者」も、例えば水泳で疑問視されたスイムスーツとか、
あるいは、さらにフィンとか、そういうものを使っていいとしたらどうか?

そういう条件下で、「健常者」と、Markus Rehm が競う姿が見れたら素晴らしいだろう。


2016年7月27日(水曜日)

Google 東京オフィスなど

産業総合研究所の人工知能の社会インパクトプロジェクトの一環で、TensorFlow など、Google の機械学習への対応の話を伺うために、Google 日本オフィスのGCP(Google Cloud Platform)部門を訪問。佐藤一憲さんから色々教えて頂く。パロアルト的立場からは、実に自然な流れであることがわかり納得。大変良い方向に進んでいるという気がする。ただ、これは「機械が職を奪う」という方向に繋がらないとも限らないと言う懸念も抱く。少数の機械学習の「職人」+マシン(AI)が、多くの「職人」を代替する可能性がある。

この時、MITのAutor教授が言うような、別のセクターの職がどれだけ生まれて来るのか、それが問題。Autor氏の主張では、アメリカの農業労働人口が劇的に減少したかわりに、工業の労働人口が爆発的に増加したわけだが、この工業セクターでの労働人口にあたるものが、まだ見えない。それが Autor 「理論」の弱いところ。果たして何か、生まれるか…

この訪問の前に、僕の研究室の出身で Google で働いている清水君と会う。Google Culture Heritage の相談で、京都に来てくれたのが、もう数年前で、それ以来。

彼との話で面白かったのが、サンフランシスコのイメージの、清水君と僕とのズレ。清水君によると、最近、サンフランシスコについての歌を聞いて、その歌詞にサンフランシスコが、ロマンチックな場所の様に歌われているのに違和感があったらしい。僕は長らくサンフランシスコを訪問してなかったので、分かってなかったが、どうもアジアの沸騰都市の様になったサンフランシスコは、2000年代に始まったらしい。だから、清水君は、それしか知らない。

そのために、10階建て以上の建築など、殆どなかったサンフランシスコの風情は、清水君には無縁のものらしく、それで僕などが抱く昔のサンフランシスコのイメージに「なぜ?」と思うらしい。世界はすっかり変わってしまったことに、今更ながら思いを馳せる。

Google 訪問の後、私用を済ませた後、岩波新書の編集長の永沼さんと会って、随分前に依頼された新書の書き方の変更を相談。思いがけず、面白いと言ってもらえたので、その方針で進む。僕も、定年まで後、2年と少ししかない。アカデミズム一辺倒の姿勢から方向転換をすべき時期だろう。


2016年7月19日(火曜日)

失敗しなきゃ、始まらない

雑誌としては、唯一、良く買うアエラの7月18日号の特集のタイトルが「失敗しなきゃ、始まらない」だった。

大体、僕がいつも言っている事に近い話ばかりなので、楽しく読む。

アエラは働く若い女性をターゲットにしている雑誌らしい。創刊当時から良く買っていたのだが、長らく女性がターゲットであることを知らずにいて、連れ合いに指摘されて驚いたのが、もう10年近く前か?分かってみると、確かに女性をターゲットにした記事が多いので、納得した。

この特集の「失敗こそ最大の財産」というメッセージは、実は「お父さん」たちに聞いて欲しいのだが、ダメなのかなー。

やはり、女性に期待をかけるしかなさそう。


2016年7月11日(月曜日)

差は広がっているのか…

経済産業研究所のAIの社会影響研究のプロジェクト(中馬プロジェクト)のMLで、こういうページのリンクが流れ、日本の企業が何処にも現れないという話になったが、AIを含むITの日米の差は、そういう風な議論が無意味なほどに開いている様に見える。航空機以上の差かも?

若い人たちの中に有望な人がかなり出てきているというのが、安浦さんのさきがけのお手伝いをしていて感じることなのだが、以前、この文章で書いたように、僕の理解では、この差は社会が作り出しているところが大きい。だから、若い良い人が出始めていると同時に、差はむしろドンドン開いているのではないかという懸念を持ち始めている。

そう感じ始めたのは、中馬プロジェクトで、カリフォルニアの bay area の調査旅行の際に使った Uber のシステムと、日本のタクシー配車のシステムのあまりの差に気づいてから。

Uber で感心したことは色々とあるが、狭い意味での技術の問題で感心したのは、そのリアルタイム性の良さ。今の、GPSの性能からしたら当たり前なのだが、近くのすべての車が配車前からリアルタイムに動くのが見える。これが小さな甲虫がノソノソ動いているようで大変に可愛い。車の位置は、配車を依頼する前も見えるが、乗車した後も見えるので、実際の位置と表示される位置をくらべてみたら、すこしズレはあるものの、せいぜいが100~200メートル程度でしかなかった。

それに比較すると、MKタクシーのスマホ配車は、配車が完了するまで、タクシーの位置はわからないので、どれ位かかりそうか、全く予想がつかない。また配車後にはタクシーの位置が見えるには見えるがリアルタイム性は非常に悪い。また、配車の効率の悪さは全く信じられないほどの低レベルで、目の前に何台も空車が通って行くのに、うんと遠くの車が配車されたりする。つまり、天国と地獄ほど違う。

他のものはどうかと思って使って見た全国タクシー配車は、到着までの希望時間を指定できるなど、MKのシステムよりはましだが、これも配車前のタクシーの位置は見えないし、配車後のタクシーの位置の表示も、500メートル程度でとびとびという感じで、リアルタイムとは言い難いもの。後者が5年前のシステムで、おそらく、それから、あまり進化してないのだろう。MKはもっと前か?

どちらもタクシー会社(やそのグループ会社)が作ったシステムで、運転手さんたちの話では、スマホによる配車の率は、非常に少ないらしいので、タクシー会社も改善しようという気はないのだろう。今の Google map のGPSの性能を考えると、技術的には、信じられないほどの低性能なのだが、真剣に使うつもりがなければ、古いままで低性能というのも納得ができる。つまり、デマンドの低さがシステムの低性能を生んでいるのだろう。つまり、この文章のシナリオどおり…

一方で、Uber は、サービスとシステムで生きているのだから、ドンドン改善されているはず。導入当初が、どれ位の性能だったのか、調べてみないとわからないが、もしかしたら、生まれた時から、すでに日本とは大きく差があった可能性も高い。

イギリスのEU離脱では、若者から年寄りにむけて「我々の未来を奪わないでくれ」というメッセージが投げられた。日本でも、同じことが起きているのに、なぜ、日本の若者は、同じようなメッセージを投げないのだろうか?メッセージを投げられるべき側の世代の人間ながら、それが不思議であり、また、歯がゆくも思う。


2016年7月8日(金曜日)

さすが Google!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時18分01秒

西田幾多郎旧宅の内部を Google インドアビューとして撮影して保存する件、
報道された予定日では、既に出来ていないといけないのだが、まだ出来ていない。

理由の一つは、僕がマイビジネスの登録方法を良く理解できず、
登録手続きに、もたついたこと。これで数週間位遅れた?

もう一つが、Google 社内の手続きの問題。
撮影をお願いした Google の認定会社の JTB プラネットが、
ストリートビューを担当する、マップの部門に、
消えてしまう建物のインドアビューを残してもらえるという、
異例の対応をしていただけると確認を取ってくれていた。

ところが、いざ、登録手続きを始めてみると、インドアビューには、
マイビジネスというサービスが伴っていることを、
僕を含む関係者のみんなが見落としていて、
マイビジネスの部門で建物などが消えていると
色々問題が起きることが判明。

ソフト/サービスというものは、まあ、こういうものなのです。
あまりに自由で多様だから。見落としは幾らでも置きる。
これを見落としとして批判するか、「あら見落としか、では対処しよう」
とアクションを起こす契機にするか、どちらの態度をとるかで結果は大きく変わる。

この後者がパロアルト流。その方が実は効率が良いし気楽。

で、昨日、JTBプラネット社の大西さんから
研究室に電話があり、マイビジネスなしで、ストリートビューだけの
登録という、今までにないやり方で、やって貰えることになり、今、
その動作確認をしています、という連絡が入った。

これは、多分何かシステムを一部書き直してくれたのではないかと思う。
ごく簡単な修正のはずだが、こういうこのために、わざわざシステムを
書き直してくれるというのは、日本の大企業では、想像し難いこと。

世界有数の大企業 Google が、1週間程度(もっと短い?)で、
そういう対応を取ってくれるというところが、さすが Google!!

以前、僕があまりに Google を褒めるものだから、Google Japan の
初代社長だった村上さんに、「Google 愛をありがとうございます」
と、からかわれたことがあった。(^^;)

まあ、それ位に、僕は、Google が好きだ。

正確にいえば、Tim Winograd さんがいう「パロアルトの
精神」が好きで、Google がその精神で行動している
ということなのだが。


2016年7月5日(火曜日)

闘う西田幾多郎 –ある同僚の証言–

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時36分00秒

田中上柳町の西田幾多郎旧宅の一部保存に関わったことで、色々と調べが進んで面白いということを一つ前の投稿で書いたが、実は、その投稿の前に書きかけて、途中で入力が飛んでしまった話を再録。

西田幾多郎「悲哀の哲学」の現場 西田幾多郎田中上柳町旧宅についてで、静かな泰斗というイメージが強い西田幾多郎が、実は壮年時代、特に京大時代、少なくとも場所の論理の前までは闘う人であり、その背景に「悲哀の哲学」があるという「新しいイメージ」を出して記述した。

で、「新しいイメージ」に括弧がついているのは、そのページでも引用した藤田正勝さんの岩波新書「西田幾多郎」などで詳しく論ぜられているように、西田の「悲哀の哲学」というイメージは、多くの専門家に共有されているイメージだと思うからである。確か、関西学院大学の嶺さんも悲哀の哲学のことを書いていたし、哲学館にいくと、吹き抜けの空間に、こういう巨大なタペストリーがかかっている。

しかし、「闘う西田幾多郎」というイメージは、藤田さんの本でも、それほど強調されているようには思えない。嶺さんの著作でも、あまりこれは強調されていないように思える。

で、「闘う西田」には、証拠が必要だが、その一つとして、西田のある同僚の話を記録。

それは下村の「西田幾多郎 同時代の記録」の pp.73-6の朝永三十郎の「古人刻苦光明必盛大ー西田博士の書」というエッセイ。オリジナルは西田全集、昭和26年10月月報。

朝永三十郎は、西田と一歳違いで、西田が京大哲学の教授であった時代に、哲学史の教授であった人。京大文への赴任は西田の1910年より三年早い1907年(明治40年)。

この人が、次のような面白い話を残している。実は、大半は「闘う西田」とは直接の関係はないのだが、こういう人物の証言ならば信用できるだろうという意味で、これをここに採録。

———–
私の長男が家庭を離れて東京で独立の修業生活を営むことになつた際、私は西田さんに、何か若い者を鼓舞するやうな言葉を、と言つて揮毫を願つた。気軽るに引きうけて数日後に持つて来て呉れられたのは、「古人刻苦光明必盛大」といふ慈明和尚の語であつた。それを掛け軸に仕立てたのを長男は、下宿の自分の部屋の床の間に掛けて居たらしかつたが、どれくらゐか経つたあとに帰省した際、家内に、あの軸を掛けて置くと何だか始終叱りつけられてるやうな気がして、苦しくて仕様がないから、折角いただいたのだが、何か外のものに取りかえてほしい、と言つて代りの軸を持つて行つた、といふことであつた。
 その後このことを西田さんに打あけたところ、西田さんは一寸軽い感動の色を示したやうであつたが、ただ静かに、さうかと言つただけであつた。それで私は、此語が与へるこの様な圧迫感は語から来るのだらうか、筆の力から来るのだらうかと問ふて見たところ、語の力さ、といふ簡単な答へであつた。(あとで考へると、私のこの問は甚だデリカシーを欠いた問であつたといふことに気づいたのであつたが。)その後鈴木大拙さんに会つた際私は、何かの話しのきつかけに此事を話し、且つ同様の問をかけたところ、それに対する答へは、そりや筆の力だよ、といふのであつた。これは西田さんなほ存生中のことである。
———–

この後、朝永は、「西田さんの一生は、はげしい戦ひの連続であつた」と書いたのである。

朝永三十郎という人は、軽妙洒脱な人であったのではないかと思う。今、京都学派アーカイブの新版の用意をしているが、そのトップページには、西田、田辺を始め、朝永を含む20数名の思想家たちの肖像写真が並ぶ。その写真群の中で、ある意味で最も異彩を放っているのが、朝永三十郎の写真である。

朝永の写真で解像度が良いもので著作権処理ができそうなものがなかなか見つからなかった。解像度が比較的良い写真の朝永は、何故か奇妙な服装をしていたが、それを使うことにした。しかし、変な服装だなと思って、よくよく見てみると、朝永が着ていたのは割烹着らしいのである。キャプションによると、どうも鰻の蒲焼を作っている際の姿らしい。僕等のような「旧帝大の小遣い同然の、現代の旧帝大の教授」と違って、朝永の当時の教授職の地位は高かった。そういう人が割烹着を着て料理を作り、その写真を撮らせるというのは、拘りが少ない、自然な人だったはずである。

三木が西田を「激しい魂」と呼んでいるが、三木自身が激しいので、少し割り引いてしまいたいところがある。しかし、朝永が「西田さんの一生は、はげしい戦ひの連続であつた」と書いたものは額面通りに受け取れると思うのである。

ところで、西田が書いた古人刻苦光明必盛大とは、猛烈に精進せよ、という意味である。その西田の書に「叱られているようで苦しい」といった、朝永の長男というのは、後のノーベル賞物理学者朝永振一郎である。東京での修行生活というのは、1931年に理科学研究所の研究員になったことをいうのだろう。そうすると、このとき朝永三十郎は60歳、西田は61歳である。

朝永振一郎が1965年に日本人として二番目のノーベル賞を受賞したき、新聞で朝永の写真を見た。それはまな板の上で大根か何かを切っている図で、料理は遅いが上手なのだ、という説明がついていた。まだ子供で、家庭科以外では料理をしたことがなかったが、それを何か妙に好ましく思ったのを思い出す。


2016年7月4日(月曜日)

村山知義と戸坂潤

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時59分59秒

このところ京都学派の人脈を調べ続けている。

京都学派の研究を続けているが、僕が見たいのは、本当は、近代というものの正体。つまり、モダニズム研究、近代化研究が、僕がやりたかったことで、それで理系・工学系の学問を止めて、人文学に移った。

京都学派の時代と、その周辺を知ることは、哲学における近代を見ることに通じ、それで数年で止める筈の田辺元研究が、西谷、西田の京都学派研究にまで発展してしまったのだが、「自分の研究は、哲学史ではなくて、哲学の思想史だ」、とは言ってみても、哲学の理解に時間と労力がかかるものだから、哲学者の哲学史とあまり変わりがなくなって来ていて、自分では、不満というか、面白くなくなってきていた。

しかし、田中上柳町の西田旧宅の保存に関わったお蔭で、なぜ、西田の現在の様なイメージができたのか、それは京都学派の世代の移り変わりから来てはいないかという仮説がでてきて、そういうことを調べる内に、大正の中ごろに、いささか上滑な哲学ブームが起こり、それもあって京都学派の隆盛があったらしいことなどが分かってきて、京都学派の研究に文化史的側面が出てきて、面白くなりつつある。

そのころの証言を讀むと、そういうことが起きたことが、当たり前であるかの様に語る語り口に出会う。これは日本文化史の、こういうことの専門家には当たり前の話に違いないのだが、果たして、現在、そういうことの専門家がいるのかどうか、実は、それが怪しい。しかし、昔存在した専門家が書籍や論文にまとめていた可能性はある。が、しかし、兎に角、見つからない。

ということで、自分で調べるしかなく、また、調べると芋づる式にドンドン史料が地中から出て来るので、面白くなってきて、今、熱中しているところ。こういう時が研究のフェーズとして一番面白い。

で、そういう話が今日(4日)、一つあったので、記録。

3日に、高坂節三さんの著書に引用されていた梯明秀のエッセイの『唐木順三が、「あそこに四天王子がいる」とささやいた』という一節のオリジナルを見るために、注文していた「回想の戸坂潤」(1976)の古書が届いたので、その目次を開いて、著者の欄に村山知義の名を見つけて驚いた。本文を読んでみると、戸坂と村山は開成中学で同級生であった。(ちなみに、この四天王子というのは、木村素衛、高坂正顕、西谷啓治、そして、戸坂のこと。場所は、p.50)

村山については、2011年に京都国立近代美術館であった、ハンガリー出身のアバンギャルド、モホイ=ナジの展覧会で、村山の著書を売っていたのを買ったのが契機で興味を持った。

この頃は、僕は、まだ自転車通勤をしていて、2,3ある通勤経路の一つが、近代美術館の前の神宮道の歩道を南行しフランス惣菜のお店「オ・タン・ペルデュ」で晩御飯を買って帰るという道だった。それで、近代美術館で面白そうな展示があると、寄り道したり、土日に出かけることがときどきあった。

モホイ=ナジは、勿論、モダニズムからの興味で、特に Ein Lichtspiel が気に入って、DVDを買ったり、同時代の日本のアバンギャルドとして、村山の「構成派研究」の復古版も売っておりこれを買って読んだのだが、数学のモダニズムと芸術のモダニズムの類似性を考える様になったのは、これが切っ掛け。それで村山には大変興味を持ち続けていた。

その村山が京都学派の文脈で出てきたので驚いたのだが、梯のエッセイなどを読むと、これらの人物の関係は、当然という感じもしてくる。要するに土俵が小さいので、大抵の人が結びついてしまうという、当時の日本の状況の、これも一例だろう。

その梯のエッセイの中に、子供の頃に親に連れられて行った昔の洋食店の雰囲気が残っているので、時々、利用する南座前のレストラン菊水の話がでてくる。今は宴会場、ダンス場になっている、僕もCMUのSiegさんが来た時にパーティを開いた3階は、昔は、バーであり、そこで三木や梯、戸田などが、一高会を開いたのだそうだ。僕が昔住んでいたアパートのすぐ近くが西田の旧宅であったように、また、田中上柳町の西田旧宅に昭和30年代に住んでいた画家・音楽家の家族が山科に建てた家が、僕が買って、今住んでいる古家だったなど、京都に住んでいると、京都学派の痕跡に度々出会う。定年退職したら離れることも考えていた、この街に住み続けることになりそうだが、その理由は、こういう所にあるような気がする。


2016年7月3日(日曜日)

植田と天野 京都学派の黎明

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時02分44秒

一つ前の投稿で、三木清こそが京都学派形成のキーマンだと書いたが、これは三木が一高から京大に来たころから京都学派というものが形成されたと言う意味ではない。これ以前に、例えば務台や三宅などがいる。

しかし、西田と京大哲学が有名になり、多くの人材が、それに引かれて集まってくる「華やかな」時代と、務台たちの時代は明らかに違う。「三木清こそが京都学派形成のキーマン」と書いた意味は、その華やかな時代の幕が三木により開けられたということである。堀維考宛に書いた手紙の一節は、西田が、その時代の「華やかさ」に違和感を持っていたことを示唆するが、この華やかさに軽薄な部分が全くなかったとは言えないものの、確かに充実した時代であったのであり、また、西田は、自分を慕って、わざわざ一高から京大文に来てくれた三木のような若者、特に三木が可愛くて仕方がなかった様に見える。

とはいうものの、こういう時代以前の、西田が京大に来る前から京大にいた人物たちのことも無視することはできない。桑木、朝永などの同僚は、それに入るが(ただ、桑木はさすがに京都学派に入れるには躊躇する。やはり、東大の哲学者というイメージが強すぎる…それで桑木は僕の意味での京都学派には入れていない)、西田、田辺を中心とする京都学派という時、やはり、同僚よりは、西田、田辺に影響を受けた人たちのことを考えないといけない。

それで、そういう人たちを、西田との関係で分類すると、次のような類があり得る。

類1.西田を慕って、京大文学部を目指した人たち。
類2.類1ではないが、西田に大きな影響を受けた人たち。

類1は、もちろん、三木、西谷、さらには学生ではないが田辺が入る。

一方で、類2の代表格としては、植田寿蔵と天野貞裕をあげることができる。この二人と西田の関係を非常に良く物語るものとして、また、何故、西田が、あれほどまでに人を引き付けたのかということを理解するために、非常に良いのが、下村の「西田幾多郎 同時代の記録」、p.103 からの植田の「西田先生」という文章、オリジナルは西田全集、昭和28年4月月報。その時、文学部の3回生であったはずの植田は、天野とともに参加した西田の京大での始めて哲学の講義(明治43年9月22日)の印象を、次のように綴っている: 

これが2時間つづくうちに、その地味な講義の、今まで聴いたどの講義とも違った思いのする、人間味と言おうか、温かさと、段の違ったような深さがありありと感ぜられた。講義が済んで、インキの栓をして立ち上がると、傍らの席にいた天野君と目が合った。どちらからともなくその2時間の印象を話し合った。言葉はすっかり忘れてしまった、その時の感じを、窓の高い広い教室の初秋の明るさとともに、今もはっきり覚えている。40年間の深い尊敬と帰依がこの日からはじまった。

戸坂潤は、西田を称揚する人たちは、結局、西田ファンなのだ、と書いたが、どうも西田哲学の内容より、西田という人の魅力が、人を引き付けたという面が、相当にあるようだ。これは三木についても見られることに注意。植田の記述も、三木の記述も、内容は忘れてしまったとか、良く理解できなかった、という風に書かれている。つまり、植田や三木の様な人たちでさえ、最初は「西田ファン」であったわけで、これは実に興味深いことといえる。

そういう人物は内容を伴わない場合が多いが、西田の場合は、そういう「人気」が先行しながら、場所の論理以後の内実が伴うところが実にユニークで面白い。要するに西田は周囲の受けなどは一切無視して、懸命に戦っていたのであり、その姿に人びとが魅かれて「ファン」になったということだろう。だから、西田自身にとっては、ファンなどいようがいまいが関係なかったのであろう。そういうところが、また、西田が人を引き付ける原因であったろう。


2016年7月2日(土曜日)

三木清と西田幾多郎

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時07分03秒

 京都学派について論じる時、常に伴う問題として「京都学派とは何か?」という事がある。
 京都学派とは西田幾多郎の思想に端を発する絶対無の哲学であるとすると、マルクス主義に傾倒した、所謂、西田左派とか言われる人たち、三木清、戸坂潤、船山信一、こういう人たちが、すべて京都学派から滑り落ちる。しかし、それは西田のお子さんたちの証言に見られる、西田が最も心配していたのが三木と戸坂のことであったという事実にそぐわない。
 マルキスト戸坂の最も親しい友人が、戦前はヒトラーを称え、その故にか、あるいは、悪名高い座談会「近代の超克」に参加した故か、戦後GHQによる公職追放にあった西谷啓治であったように、この時代の人間関係を、その後のイデオロギーの目から見ることは空しい。
 それは『後知恵』に過ぎない。そういう後知恵で、過去を裁く行為は、空しく、また、歴史学として間違いである。思想史家と自称する以上、如何に難しくとも、その時代に生きた人たちの、あるいは、それにより近いマインドで、その時代を理解したいと思う。
 もし、私のこの方法論が正しいとしたら、三木や戸坂、特に三木を西田から遠ざける如何なる解釈も妥当性を持たない。三木こそが「京都学派」形成のキーマンだからである。
 以下、三木清全集からの引用。

西田幾多郎先生のこと
三木清全集17巻、p.245
 西田先生に初めてお目にかかつたのはちやうど先生が『自覚に於ける直槻と反省』を書き上げられた頃であつた。「この書は余の思索に於ける悪戦苦闘のドッキュメントである」と云はれてゐるが、先生に接して私のまづ感じたのは思想を求めることの激しさであつた。私は嘗て先生の如きほんとの意味において激しい魂に會つたことがない。
 この激しさは先生がつねに何物かに騙り立てられて思索してゐられることを示すものである。それは先生のうちに深く藏せられた闇、運命、デーモンと云つても好いであらう。先生の哲學から流れてくるあの光はこの闇の中から輝き出たものである故にそれだけ美しいのである。先生は早くからロシア文學を好んで讀まれたやうであり、つい最近にも、ドストイェフスキーは非常に面白いと話してゐられた。意味深い事實である。先生は自分自身に大きな問題を負うて生れて來られた。この問題の大きさが先生の哲學を大きくしてゐるのだと思ふ。

西田先生のことども
昭和十六(一九四一)年八月『婦人公論』。
三木清全集17巻、pp.295-312
 大正六年四月、西田幾多郎博士は、東京に來られて、哲學會の公開講演會で『種々の世界』といふ題で、話をされた。私は一高の生徒としてその講演を聴きに行つた。このとき初めて私は西田先生の馨咳に接したのである。講演はよく理解できなかつたが、極めて印象の深いものであつた。先生は和服で出てこられた。そしてうつむいて演壇をあちこち歩きながら、ぽつりぽつりと話された。それはひとに話すといふよりも、自分で考へをまとめることに心を砕いてゐられるといつたふうに見えた。時々立ち停つて黒板に圓を描いたり線を引いたりされるが、それとてもひとに説明するといふよりも、自分で思想を表現する適切な方法を摸索してゐられるといつたふうに見えた。私は一人の大學教授をでなく、「思索する人」そのものを見たのである。私は思索する人の苦悩をさへそこに見たやうに思つた。あの頃は先生の思索生活においてもいちばん苦しい時代であつたのではないかと思ふ。その時の講演は『哲學雑誌』に発表されて、やがてその年の秋出版された『自覚に於ける直観と反省』といふ劃期的な書物に跋として收められたが、この本は「余の悪戦苦闘のドキュメント」であると、先生自身その序文の中で記されてゐる。
 その年、私は京都大學の哲學科に入學して、直接西田先生に就いて學ぷことになつた。私がその決心をしたのは、先生の『善の研究』を繙いて以來のことである。それはこの本がまだ岩波から出てゐなかつた時で、絶版になつてゐたのを、古本で見附けてきた。その頃先生の名もまだ廣く知られてゐなかつたが、日本の哲學界における特異な存在であるといふことを私は聞かされてゐた。その後先生の名が知れ亙るやうになつたのは、當時青年の間に流行した倉田百三氏の『愛と認識との出發』の中で先生のこの本が紹介されてからのことであつたやうに記憶してゐる。『善の研究』は私の生涯の出發點となつた。自分の一生の仕事として何をやつていいのか決めかねてゐた私に、哲學といふものがこのやうなものであるなら、哲學をやつてみようと決めさせたのは、この本である。その時分は、一高の文科を出た者は東大へ進むことが極まりのやうになつてゐたが、私は西田先生に就いて勉強したいと思ひ、京大の哲學科に入らうと考へた。高等學校時代にいろいろお世話になつた速水滉先生に相談したら、賛成を得た。かやうにして私は友人と別れて唯ひとり京都へ行つたのである。<中略>
 その時分は九月の入學であつたが、七月の初め、私は歸省の途次、速水先生の紹介狀を持つて洛北田中村に西田先生を訪ねた。どんな話をしたらいいのか當惑してゐると、先生は出てこられるとすぐ「君のことはこの春東京へ行つた時速水君からきいて知つてゐる」といつて、それから大學の講義のこと、演習のことなどについていろいろ話して下さつた。哲學を勉強するには先づ何を讀めばいいかと尋ねると、先生は、カントを讀まねばならぬといつて『純粋理性批判』を取り出してきて貸して下さつた。その頃は世界戦争の影響でドイツの本を手に入れることが困難で、高等學校の友人の一人がレクラム版の『純粋理性批判』のぼろぼろになつたのを古本屋で見附けてきて、得意氣にいつも持ち廻つてゐるのを、私どもは羨みながら眺めてゐたといふやうな有様であつた。
 最初にお目にかかつたとき親切にして戴いた印象があつたからであらう、その後私は學生時代、月に一二度は先生のお宅に伺つたが、割に氣樂に話をすることができた。先生は自分から話し出されるといふことが殆どなく、それでせつかく訪ねてゆきながら、どんな質問をしていいのか迷つて黙つてゐるうちに半時間ばかりも時が經つて、遂に自分で我慢しきれなくなり「歸ります」といふと、先生はただ「さうか」と云はれるだけである、―― そんなことが多いと學生仲間で話してゐた。考へてみると、あの時代の先生は思索生活における悪戦苦闘の時代で、いはば哲學に憑かれてゐられて、私どもたわいのない學生の相手になぞなつてゐることができなかつたのであらう。私は通學の途中、先生が散歩してゐられるのを折々見かけた。太い兵兜帯を無造作に巻きつけて、何物かに駆り立てられてゐるかのやうに、急いで大股で歩いて行かれた。それは憑かれた人の姿であつた。先生の哲學のうちにはあの散歩の時のやうなひたむきなもの、烈しいものがあると思ふ。

 
 
 


2016年6月24日(金曜日)

哲学の道と西田

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時51分29秒

西田が哲学の道を歩いたかどうか、何か客観的証拠はないかと探していたら、高山岩男の文章を発見。

これは燈影舎燈選書13「西田哲学とは何か」に収録された雑誌「心」掲載の「西田哲学と私」(昭和54年, cf. p.260)という文章の「田辺先生のこと」pp.204-213のp.207-8の次の部分:

これより余程前からですが(注1)、先生(注2)は午後に吉田山界隈を散歩されます。戦後、私は京都を去りましたが、疎水支線の桜の並木道を「哲学者の道」と名づけていることを数年前に知りました。西田寸心先生も波多野精一先生も散歩をするが、疎水べりでお見かけすることはなく、もっと北の田圃道が多かったように思います。「哲学者の道」という名はハイデルベルグのネッカー川に沿う山道から来ているに違いなく、大学側の反対の、散歩道としてまことに優秀なものですが、数年前或る人が"先生の頃から疎水支線の道を「哲学者の道」と名づけられていたそうですね"と申されたのには驚きました。私の頃にはまだそんな名称はなく、橋本関雪という日本画家が妻君の死を悲しんで桜の苗木を疎水支線に沿う何丁か植えた河べりがいい繁道となっていたのは事実です。まだ人家はまばらの時代で、私はこの近くに止宿していましたので、毎日散歩は致しましたが、「哲学の道」などという洒落た名前などはありませんでした。田辺先生もここまで足を延ばされていたかどうかは、詳しいことは知りませぬ。

注1. 「これ」とは、高山が田辺と吉田山を散策中に、種の話を聞いたという田辺研究者ならば皆良く知っているはずの逸話の時。
注2.田辺元のこと。

この文章で良くわからないのが、「「哲学者の道」という名はハイデルベルグのネッカー川に沿う山道から来ているに違いなく、大学側の反対の、散歩道としてまことに優秀なものですが」の、「大学側の反対の、散歩道としてまことに優秀なものですが」という所。おそらくは、ハイデルベルグの「哲学者の道」がネッカー川を挟んで大学と反対側にあるという意味だろうが、もしかして、この「大学側の反対」の大学が、京大だとすると、高山が「哲学者の道」を今出川通り北の疏水の部分を意識して書いたことになる。しかし、この部分は正式には「哲学の道」ではない。http://souda-kyoto.jp/map/area_04.html

公式には、東山に沿って南北に走る部分のみが哲学の道。気になるのが、高山が、西田、波多野が散歩した辺りとして「もっと北の田圃道が多かったように思います」と書いている点。疏水は「哲学の道」の北の終点から、ほぼ東西の流れに変わり、農学部裏を通って北白川の現在は住宅地となっている地区へと続く。高山のころには、この辺りは田園であったはずで、こちらの方が「もっと北の田圃道が多かったように思います」と書いている「北の田圃道」として自然。西田が良く散歩をするようになったのは、飛鳥井町の家に移ってからだが、現在、スーパーマーケット Grace たなかの西の裏手辺りにあったはずの、この家から現在の「哲学の道」の北の出発点までの道のりと、その出発点から「哲学の道」の南の終点までの道のりが、ほぼ同じ。ということは、現在の「哲学の道」にあたる地域を歩くために、その北端まで歩くというのは不自然なことになる。西田の散歩の目的は考えることにあったはずであり、風光明媚な風景を愛でることではなかったはずである。西田の散歩は、云わば、真剣勝負だったはずなのである。

そして、飛鳥井町から東に散歩するならば、東大路を超えて、百万遍知恩寺の裏手の辺りを通り、京大農学部の裏手辺りを歩くのが自然だろう。その時、気が向けば、さらに南に南下して、現在の「哲学の道」を歩くこともあったかもしれない。しかし、北行した可能性も高い。そう仮定すると高山の記憶に一致しているように見える。もし、高山が、当時、どこに住んでいたのか、書簡、葉書の住所などで特定できると、もしかしたら、ハッキリするのだが。


2016年6月23日(木曜日)

西田の三高寄贈書と旧宅部材の燻蒸

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時00分36秒

今日(23日)も西田幾多郎関係の仕事が二つ。

吉田南図書館の依頼で西田幾多郎寄贈の三高図書館蔵書の書き込みを調べる。
西田の筆跡とは異なるものや、西田ならば書き込まないだろう初歩的な
ドイツ語の読解に関する書き込みなど、やはり、どれも西田のものではない。
おそらく新品を買って寄贈したはずだから、西田の書き込みはないと見るのが自然
だろう。しかし、西田の墨書の筆跡が、良く知られている西田の手書き文字と比べて
非常に綺麗。本当に西田のものか、少し疑ったが、署名の特長的な「郎」の字など、
確かに西田のものらしい。他に、あの様に綺麗な楷書で書いた西田の手書き文字は
あるのだろうか?また、寄贈の時の台帳を見せてもらったが、
この台帳自体が、すでに貴重な史料と言える。

その後、博物館に行って、横山研究員に「哲学の廊下」などの部材の燻蒸を見せて
いただき、京都学派アーカイブ用に撮影もさせてもらう。燻蒸は、僕が想像していた
ものと異なり、大きなビニールのテントに部材を入れ、二酸化炭素を充満させて、
後は中で扇風機で送風するだけらしい。殺虫剤をドンドン入れるのかと思っていた。
しかし、ちゃんと殺虫が出来ているか、生きている虫を入れて確かめるというのは、
ちょっとかわいそう…… まあ、僕もムカデやゴキブリがでたらすぐに殺すから、
勝手なものだ。

キャンパス内の道路で土蜘蛛が歩いているのを見る。潰されないといいけど。
土蜘蛛というのだと思っていたが、地蜘蛛(ジグモ)の方が正式名らしい。


2016年6月18日(土曜日)

北軽井沢のひぐらし

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時33分00秒

今日は、本当に久しぶりで北軽井沢大学村を訪問。群馬大学田辺記念館の撮影をさせて頂く。

帰りに田辺記念館の管理人をされている茂木さんのご厚意で、僕の連れ合いの実家の八杉山荘を訪問。

多分、10数年振りだが、心配していたよりは、状況は良かった。

岳父が健在のころ、四人で八杉山荘の母屋から満月を仰ぎ見た時をおもいだす。

日暮らしが鳴いていた。山科のひぐらしとは歌い方が違うような…


2016年6月8日(水曜日)

西田幾多郎「哲学の廊下」解体保存

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時22分19秒

この5か月ほど、一番力と時間をつぎ込んでいた西田幾多郎とその家族が大正元年から11年まで住んだ家の一部解体保存の仕事が、今日で一応の目途がたった。
所有者のプライバシー保護のため、これについては一切具体的なものを公開しなかったが、解体して博物館に持ち込み、プレスリリースも終わり、今日から解禁。

最初は、1,2社にでも書いていただけたら、それが将来の展示につながれば、と思って計画したプレスリリースなのだが、驚くほどの反響で、新聞や通信社だけでなく、TVも毎日放送、京都放送、NHK京都と取材があった。

どうもみなさん西田や京都学派に興味があるらしい。若い女性の記者さんが西田旧宅の内部をみて、こんなところに住みたい、もったいない、と言っていたのが印象的だった。こういう人がもっと増えてくれればよいのだが。でも寒いですよーー。

それから、どうも二階外廊下を、僕が勝手に「哲学の廊下」と名付けたのが、面白がられたみたい。

この名前は、初めて内部に入り、廊下を行き来してみたときに突然浮かんだもの。

僕も考えに詰まると部屋の中をうろうろしながら考えるのだが、僕の家は、それほど大きくないので、歩きにくい。しかし、この廊下、歩いてみると、長さと幅が、考えながら歩くのに、実に具合がよかった。

で、「わー、こんな廊下があると考えるときに歩きやすいな。哲学の廊下だ!」と思った次第。

興味がある方は、http://www.shayashi.jp/nishidakitaroukyutaku/を見てください。

しかし、今日は、早朝から、講義が終わる6時まで、本当に忙しく、この5か月を象徴するような日だった。そのため4時半からの講義に少し遅れてしまった。今日は、僕が弁士になって ;-)、無声映画のSFの名品メトロポリスを見せる日だったので、映画を見る時間が10分ほど短くなり、学生さんたちは不満だったかも… ごめん!

しかし、福井工大の市川さんにも言ったのだが、実は、まだ、中間点。保存したものを展示できるようにして初めて仕事が完成する。

これは資金の問題もあり簡単にはできない…

がんばります!

おお、今日から、また、ブログが書けるぞ! :-D


2016年5月31日(火曜日)

今日も不如帰忍

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時46分14秒

今日もホトトギスの鳴き声。

今夜は昨年つけてもらったインナーサッシを超えて聞こえた夜半の鳴き声。

ということは、かなり近くで鳴いたか?
鳴き声の方向からすると、最初は、うちの桜で、
次は裏山か?うちの桜なら珍しいことだ。

一つ前の投稿で、

>この4か月(5か月かも)ほど、最も時間を割いていたことに、
>一応、今日で目途が立つ。

と書いたが、「一応」を入れた様に、懸念があったのが、
顕在化。(^^;)

本当に、退屈している暇がない…
#このフレーズわかる人、どれくらいいるかな?
#ハハ。(^^)

おっと、また、ホトトギス。
これは例年通り裏山から。

初夏が近いか。


2016年5月29日(日曜日)

ホトトギス忍音

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時08分30秒

土曜の夕方ごろ用事を終えて家に帰ってきたら山から不如帰忍音。
例年は夜中に窓を開けていて聞くのだが、本当は、
夕方から鳴いているんだな。

この4か月(5か月かも)ほど、最も時間を割いていたことに、
一応、今日で目途が立つ。


2016年5月25日(水曜日)

SMART-GS 0.10.1 リリース

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時31分02秒

SMART-GS 0.10.1 をリリース。
0.10.0 をリリースしたばかりだが、直ぐに、現代史の都留さんからバグレポートがあり、ケアレスミスのバグで作成した文書をsaveできないと判明。
直ぐに修正したが、ついでに別のバグがみつかり、それを担当の久木田さんに fix してもらうなどしていたら、結構遅くなってしまった。

しかし、これでかなり安定したかもしれない。β版だということにしてあるがβではないかも…

また、研究員の Thompson 君が、英語の video tutorial の凄く良いのを作ってくれていて、
これで海外での使い始めの「壁」が一挙に低くなるはず。今回の科研費研究の
ターゲットは江戸期以前の古文書が主なのだが、
結構、これが海外での需要が多いので、こういうものを作っている。

今日のミーティングでは、Thompson 君の video tutorial が非常に良いので、
これを日本語化しようということになった。ナレーションの上手な人を
学生課を通してバイトで募集するか?

また、ネット上共同翻刻も、橋本君のアイデアで出来そうな目途がたち、
遅れている科研費研究に光が指す!


2016年5月23日(月曜日)

京都学派形成の研究

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時49分56秒

最近、ブログを書いていないが、これは活動をしていないのではなくて、ブログに書けない活動が忙しすぎるから。
これは、6月の中頃の少し前位には、公開できるはず。多分…

で、それに関連して、またまた新しい研究計画を思いつく。

以前から、西田や田辺の現在からは信じがたいポピュラリティーが何であったのか、知りたかったのだが、それの手がかりになるかもしれない文章を、下村の「西田幾多郎―同時代の記録―」で見つける。

それは同書の、p.125の菅円吉の「西田先生のことなど」と、相原信作の「師弟」。

前者では、一高の首席だった三木清が、西田のもとで学ぶために、わざわざ京都に来ると言うことがあるまで、京都帝国大学哲学の地位が低かったこと。たとえば、菅の同級生たちは、皆、京都帝国大学哲学でなく、東京帝国大学哲学に進学してしまったという逸話が語られている。しかし、三木の頃以後、京都学派の哲学の隆盛は目を見張るものがある。

これに関連して気になるのが、下村の同書の相原信作著「師弟」の内容。p.144で、父親に、喰えない哲学に進むことを反対されたが、実際には、岩波書店を巡る空前の哲学ブームで、ドイツへの留学さえ、哲学書一冊を翻訳すれば、ドイツ留学の費用など簡単にでると岩波茂雄に示唆されたという話など、非常に興味を引く。

こういうデータ、京大の資料や、岩波の資料で、実証できないか?

できたら、凄く面白いと思う!!!


2016年4月27日(水曜日)

アオバズク

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時20分54秒

今日は暑い位だったので、締め切っていた僕の書斎は28度まで気温が上昇。
夜、窓を開けて冷気をいれていたら、アオバズクの鳴き声。
去年のブログを見たら5月なので、かなり早い。

ムカデも動き出していて、先日、戸外で一匹退治。今日は車につぶられたらしい死体を一匹発見(本当に大きなアカズムカデ)。

昼は、SMART-GS meeting。リリース用の変更が、すべて終了したことを確認。
橋本君がリリースビルドを自動生成し、大浦君がリンクしてリリースする予定。
そして、林が説明を書く。また、トンプソン君が、英語のVideo tutorial を
作成中。これは3ヶ月ほどかけて作る。

また、縦書き、TEI対応の新エディタのSMART-GSも連休明け位にαリリース予定。

説明案:
新機能:Line Segment Editor, 画像マークアップエディタの Redo/Undo、
Tesseract-OCR の呼び出し機能、MacOS上での外部画像サーチ、Reasoning Web の整備(未完)、
など。他には何が?


2016年4月5日(火曜日)

SMART-GS およそ2年ぶりのリリース

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時19分07秒

本日、定例のSMART-GSミーティング。2年ぶり以上たってのリリースの最終の相談。
ビデオ・マニュアルを作ろうかと思ったら、かなり、LineSegEditor にバグがある。(^^;)

取りあえず、完成は諦めて、β版で公開することに決定。
実質は十分使えるので、これで良いだろう。

永崎さんが、LineSegEditor のマニュアルを作って下さっていることを
橋本君から報告。

実にありがたい。ということで、SMART-GS開発グループに入って頂くように
お願いすることにした。

永崎さん、橋本君から連絡があります。どうか、よろしく、お願いします。m(_ _)m


2016年3月27日(日曜日)

永井和先生の送別会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時41分34秒

未だに、忙しさは続き、岩波文庫の修正など書けていない。

その中で、今日は、永井和先生の送別会。
永井先生は、僕と同じ京大文学研究科現代文化学系の教授なのだが、
今年度で定年退職。

同じ現代文化学系で次の定年退職は、僕。(^^;)

これから現代文化学系は、定年退職が続き、本当に大変。
若い人たちに申し訳なく思うと同時に、まあ、これが現実ですね、
という気持ちもある。

永井先生は、京大文学部情報・史料学の公募に応募して、最初に
コンタクトした文学部の方。

大変良い方であり、SMART-GSプロジェクトを、実質的に生んで
下さった方(永井先生の存在がなければ、僕は、SMART-GSプロジェクト
はやってない可能性大!)なので、感謝の念しかない。

永井先生の期待に応えられるべく、SMART-GSプロジェクトをすすめたい
ものである。

みなさん、よろしく!


2016年2月27日(土曜日)

Regionの Redo/Undo 完成!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時35分35秒

1週間程度で完成する予定だったSMART-GSの region の redo/undo 機能が漸く完成。実際には半年以上かかった。
理由は、SMART-GSのリンク機構が、HTMLと全く違うため。正確に言えば、redo/undo だけならば簡単にできるのだが
(実際、これの大雑把なところは1週間かかってないはず)、リンク切れの状態を表示したり、どこまで
undo/redo できるようにするのかという妥当なスペックの考案、そして、save/restore の仕組みが難しかった。

できあがったものは、結局、非常にシンプルなものだったのだが、そういうシンプルなモデルをなかなか見い
だせなかったために時間がかかってしまった。

昨秋の兄の急逝、歯性上顎洞炎、そして、これ、が咽喉に刺さった魚の小骨の様になって、色々な仕事が遅れに遅れたのだが、
兄の死の余波もようやく落ち着き、歯性上顎洞炎の方は北山吉川デンタルクリニックという、アメリカ流の治療をしてくれる
良いお医者さんのお蔭で劇的に良くなっていたが、これが出来て、咽喉にひっかかっていた最後の小骨が取れたような気持。

仕事がなかなか進まなかった理由のひとつは、また、一つ新しいプロジェクトを始めてしまったことも大きいのだが、
#これはプライバシーの関係で、まだ、何か書けない。もし、本当に進んだら、物凄く面白いのだけれど。
やはり、プログラミングでかなり時間を取られてしまったことは否めない。なにせ、一回のコミットで、
クラスが20個くらいかわるというのがザラだったので。(要するに「正しい方式」をなかなか編み出せなくて、
書いては消し、書いては消ししていたわけ。)

で、その間に、岩波文庫「不完全性定理」の、かなり大幅な修正を施した12刷も出たが、これをWEBページに
記録することもできていない。最も、これは長くなるので、そんなに簡単には記録することはできないのだけれど……

とりあえず、今は、年度末に向けて、京都学派アーカイブの新版の完成と、3月6日からの経済産業研究所の
人工知能の社会影響研究プロジェクトの調査旅行の準備に注力せねば…


2016年1月28日(木曜日)

切ない???!!!

2016年6月24日追加:院生の橋本君によると、「切ない」というのは読者が自身の身を切ないと思っているのだとか。なるほど、そうなのか。

以前公開しておいた「あるソフトウェア工学者の失敗」が、結城さんがツィートしてくれたために、
11月ころに一時評判になっていたらしい。アクセスを調べてみたら、ほんの数日のことで、
評判といっても小さなもの。

反響を見てひとつ大変驚いたことがあった。それが、あの文章が「切ない」という反応が
かなりあったこと。あの文章は、日本のITは弱いという前提で、それの理由を書いてくれ
という依頼だったので、ダメな理由だけ書いているので、否定的トーンが多くなるのは
当然。そうでないとタイトルが偽りになる。

しかし、本当の結論は、一番最後の、たとえそうであっても、微風を送り続けるぞ!という所。
これは、パートナーが好きなあるアニメのセリフをもじって書いてあり、その意味で、
軽いジョークにさえなっているのだが…
#まあ、全国区のアニメではないので、気づいた人がいなくて当然だが。

絶望したのも国の政策研究所での活動が何か役に立つはずだと思っていたが、
それが無理だったということだけのことで、だから日本は永遠に駄目だ、
などとは、全く書いてない。だから、本人は全然切なくない。
それにより自分が何をすべきかがわかったのだから、むしろポジティブ
ともいえる話。やるべきことは、大変になったが、それはやることが
増えたということ。つまり、退屈している暇がますます無くなっただけのこと。

Wenn ich wüßte, daß morgen die Welt untergeht, würde ich heute noch ein Bäumchen pflanzen.
Martin Luther


2016年1月15日(金曜日)

復帰!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時04分45秒

前回の投稿から、2ヶ月位のブランク。

最大の原因は、体調不良だが、その最大の原因が、意外なことに歯にあることが、
かかりつけの耳鼻科の先生(名医です。林以上にユニークですが(^^;):石川耳鼻科、東山区、京都)の
お蔭で分かり、これも日本のシステム外といえる保険診療が、あまり効かない歯科のクリニックを見つけて(この人も
凄いみたい。まだ、診てもらって浅いので、断定はできないが)、そちらに通い、今までの不調の原因の、
かなりの部分を解消できそう。

これにより、日本の保険システムがもつ、矛盾点を明瞭に認識できた。NISTEPに残留していてたら、
これで一つレポートが書けそうな話。ただ、そうなると厚生労働省との兼ね合いが難しいかも…
#こういう気遣いが必要なことが、日本の統治機構の最大の弱点!!!

今は、どうなのだろう?霞ヶ関も、かなり変わって来たという印象を経産省の「稼ぐ力」の担当者にお会いしてから、
感じているが、このセンスが、もし霞ヶ関全体に広がっていれば良いのだが…
#10年弱前の僕が知っている「官僚」は、皆、ネクタイをしていた。でも、稼ぐ力の人たちは、
#皆、ノーネクタイだった。この変化が、本質的ならば良いのだが…
#霞が関の最大の矛盾点は、奇妙なまでの等質性だから。
#規格外も、良いものだとおもえれば、認めて欲しい!!


2015年11月13日(金曜日)

RIETIプロジェクトと学習院西田史料調査2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時33分32秒

金曜日に京都学派資料の科研費で鎌倉、西田幾多郎旧宅、学習院寸心荘へ。その後、また、RIETI(そこからは、RIETIの予算)。
なぜか、また、このパターン。

寸心荘は、大正・昭和時代の家で、質素なものだが、子供の時代を思い出す懐かしい感じ。(僕は江戸期に作られて大正・昭和に手を入れたと思われる、商家として建てられた家で育った。)

管理をされている学習院の岡野先生にお世話になる。

と始まる投稿を書いていたのが、多分、「金曜日」である9月25日の数日後。
結局、この投稿は完成せず、このブログの投稿は2ヶ月ほど無しになってしまった。

こんなに間が空いたのは多分ブログを書き始めてから最初。
最大の理由は、おそらく、あまりに多くの
ことにコミットし過ぎて、デッドラインが集中してしまった
ことだが、これに兄が急逝したのに休講をしたくなくて(と言っても、
葬儀と重なる日時の講義は休講にせざるを得なかった)、1日しか忌引きを取らず、
JRで故郷の尾道と京都の間を何往復かしたこと。これで、すべての
スケジュールが大幅に崩れた。
#甥や姪の話では、今は、多くの会社で忌引きは配偶者の場合でも1日だけ
#とのこと。京大は昔のまま。労働環境の厳しさを感じる。

この間、石川県の西田幾多郎記念哲学館や金沢市のふるさと偉人館を訪問したりして、
燈影舎にお電話して、京都哲学選書の写真を使わせていただけることを確認したり、
多くの京都学派史料関係の情報を収集し、京都学派新アーカイブを開設するために、
十分なデータや写真など集めることができたのだが、その原稿を書けないでいる。

この間、講義のために西田哲学の勉強もせねばならず、まあ、そのために講義に
したともいえるのだが、色々と重なってかなり厳しい状況となってしまい、
数日前には強烈な眩暈で1,2時間、立てない状況となる。月曜日の深夜に
起きたのだが、影響で月曜日の二つの定例ミーティングはキャンセルし、
5時限目の講義だけなんとか済ませた。

これは、毎年の様に、この時期に一度は起きる症状の特別強いやつで、
お医者さんの話では副交感神経が上手く機能していないためらしい。
ストレスや疲労などから来るらしく、例年は、温度変化というストレスから、
天井が回って見えるような症状がでるのだが、すぐに治ることが多い。
しかし、今年のは立とうとしても平衡感覚が機能せず、立てないという
いままでない強い症状だったので、おそらくは非常に強いストレスが
かかっているのだろうと推測。田辺が「認識論的」な哲学から、
「社会形而上学的」な哲学に抜けていく契機として、身体論を
あげることが多いが、こういう時に、ハイデガー Ontologie的に、あるいは
西田的に認識することと、今の様に「ストレスから来た副交感神経の異常」
と理解して、さらに「最近、忙しすぎてストレスがかかりすぎている。
仕事をキャンセルするしかない」と判断することと、どちらが田辺などの
言葉でいう「抽象的」かというと、僕は、実は、前者の方ではないかと
思う。西田は自分を捨てて認識する、行動するというようなことを強調し、
これの重要性は明らかなのだが、どうも、それが西田の場合は、「哲学者であることの
実践」でとどまっている、田辺の場合は、それを超えようとするのだが、
やはり、「哲学者であることの実践」からは抜け出ていないと言う気がする。
この点で、戸坂などの方にシンパシーを感じるのだが、まあ、これは僕が
哲学者ではないのだから当たり前ではある。

科研費申請の時期が終わり、少し時間に余裕が出て来ているが、まだまだ、
色々と仕事が山積。若いころと違い、朝から晩まで、休まずに仕事というのが
出来なくなっているのがつらいが、なんとかやらねば…


2015年8月23日(日曜日)

RIETIプロジェクトと学習院西田史料調査

19日に、新井紀子さんのRIETI/BBLセミナーがあったので、これを機会にRIETIのAIプロジェクトのメンバーの一部が集まる。また、さらに、この機会を利用して、学習院史料館の西田史料を調査。

BBLセミナーは新井さんが東ロボプロジェクトでTVにも出る様になっているので大盛況。セミナーの前の昼食会に中馬さんや僕もよんでもらったが、そちらでの議論でも、セミナー・トークへの質問でも、やはり誤解が深い。セミナーで、新井さんが、実は、東大にAIは当分合格できない、それを予想してのプロジェクトだと説明したのにもかかわらず、それでも誤解している人が殆どのよう。昼食会の際か、セミナーの時か、実は、東大は関係なくて、中堅以下(?)の大学が生み出している人材の多くがAIで置き換え可能であることを示すプロジェクトであることをNIIの所長さんに説明したら、プロジェクトが採択されたと言っていたが、大変正直な説明で、また、重要な説明。ただ、これの意味が理解できた人が、殆どいなかった様な…。理解できていれば、そこで大きなため息がもれるはずなのだが…

RIETIプロジェクトの相談は、中馬さん、リクルートの戸田さん、久米さんの4名で行う。これはやってよかった。その後もメールで議論を継続したが、どうも、中馬さん、リクルートのお二人、そして、僕の間で、かなりイメージにすれ違いがあるような。これをうまく合わせていかねばいけない。これから大変だが、やらねばいけないプロジェクトなので頑張る!

翌20日は、一転して、学習院史料館で、京都学派の思想史の研究(だから、予算の出所が違う)。予め、お願いしていた、京都学派関係の史料を拝見し、撮影。これらを用いて、京都学派アーカイブの新バージョンを作る。掲載可能かどうかの判断は、WEBページができてから。

担当は、学芸員の長佐古さんで、詳しく説明していただき、また、写真撮影をさせていただけた。書簡は、ちゃんと、中性紙の箱や、古史料用の透明フィルムケース、その中に紙の酸性成分の中和させるシートなどに入っている。こういうフィルム状の保管用フォルダーは知らなかった。多分、清水光芸社の清水さんが言っていたが、予算が全然足りず、使わなかったものだろう。

学習院史料館は、旧図書館の古い平屋の洋館で、非常に感じがよい。僕は、どうもこういう建物が好きなようだ。長佐古さんは、旧華族家の史料の調査などもされていて、その膨大な史料の冊子も拝見する。これが、なんともすごい。ただ、僕の経験と同じで、そういう調査の意味が最初はなかなか理解してもらえなったとのこと。ただし、それらの努力の重要性を、学習院は理解してくれて、結局は、史料館に学芸員や助教が常駐する今の体制ができたとのこと。実に、素晴らしい。

学習院史料館の充実ぶりを褒めると謙遜されていたが、これはどうも江戸期以前の古文書の保全に比較してのことだろう。明治以後の近代文化遺産については、最近、工場跡などは世界文化遺産に登録さえされるようになったが、文書の場合は全く駄目とさえいえそう。実に困ったもので、長佐古さんが、これを理解できる人なので、二人で仕切りに嘆息…

資料も沢山いただけたので、「史料をたずねて」の良い記事がかけそう。


2015年7月30日(木曜日)

RIETIのAIプロジェクト

RIETIというのは、経済産業省の建物の上の方の階にある研究所。一応は、別の組織(独立法人)なのだが、部外者の印象としては、両者は大変近い。

で、以前、ブラウンバックランチというののスピーカーをやらせてもらったが、僕のRIETIへの関係は、その程度であった。

が、この研究所に以前から深く関わっている経済学者の中馬さん(なぜか、昔から意見があうので仲が良い)から、AIの社会インパクトを研究するプロジェクトをやるので、林さんも手伝ってほしいというメールが、急に来たのが6月の終わり位。

で、のんびりしていたのだが、一つ前に書いた投稿の様に、超スピードで進み、どうも今年度中に、久しぶりに海外に調査旅行をすることになりそう。また、今までやったことがないアンケート調査もしなくてはならない。後者は大変重要なポイントとなるはずなのだが、専門家の方が一緒にやってくださる予定なので、何とかやれるだろう。でも、ちょっと変わった conventional でないアンケートとなるかもしれないので、社会学の太郎丸さんや溝口君にも意見を聞く予定。

このAIの社会インパクトの話は、日本では、以前、NIIの新井紀子さんが本に書いていて、ご本人に指摘されたのだが、このブログにも、その本について書いていた(僕は、忘れてしまっていたが…)。で、それは2012年のことで、本がでたのは2010年。これは一般向けの書籍としては、世界的に見ても、最も早いものと言える。研究者たちは、Google などが凄まじい力を発揮し始めたころから、これでは人間がいらなくなってしまう、かなり高い能力を持つ人以外は必要なくなってしまう、と気づいていた人が多いと思うが、それをちゃんと書いた人は、日本語では新井さんが最初なのではないかと思う。

で、偶然にも、先の投稿で書いた安浦さきがけで、新井さんも僕同様にアドバイザーなので、RIETIプロジェクトのことを説明して、新井さんの本のことなど質問したところ、僕が思っていたより早い時期の本だと分かった次第。どうも、NII内部での若手研究者のインタビューから気が付いたらしい。

この本は、アマゾンの書評の数からしたら、かなり売れたはずだが、新井さんが期待したようではなかったらしい。それで、これは良くない、日本社会に、これを知らせなくてはいけないと思って始めたのが、東ロボ君のプロジェクトだったとか。

僕は、マスコミは、新井さんの意図とは別な取り上げ方をしているのではないかと思っているが、新井さんの話では、最近では、意図通りの取材が多くなっているという話。ただ、問題は、これからで、都合が悪くなると、つまり、実は、日本の大学の半数以上は、大学と呼べないものであり、その卒業生が担う仕事の多くは機械で代替できる日が近いと言う現実があらわになって行くに従い、新井さんの期待に反して取材が減っていく可能性が非常に高い(そうでないことを祈りたい!)。

日本のマスコミは、自分たちが見たくないもの、読者・視聴者がみたくないものは、見せない。これは、太平洋戦争の前からそうで、大本営発表の嘘も実は同じ構造。この国が強権的な全体主義国家だつたというのは、嘘で、これは戦前から、実に近代的な、近代の悪いところバリバリのポピュリズム国家だったのだ。でも、それでは歴史のしがらみのために、現実には社会を動かせないので、「天皇」と「その統帥権」という上からの装置を使って、下から動かしたのが太平洋戦争。僕は、そういう風に考えている(多分、素人考えだ、と永井和さんなどには叱られそうだが。 ;-))

このAIの社会インパクトについて、僕と同意見の人は、今まで話した日本人とか、その人が書いたものを読んだ日本人の中では、今の所、新井さんだけ。ということで、新井さんには、RIETIプロジェクトに取材などで協力を仰ぐ予定。

話していて気になったのが、東ロボプロジェクトに対応するものが中国で国家プロジェクトになり、それに呼ばれていって、非常にショックを受けたという話。このAIの社会インパクトの話、実は、ひとつの重要ファクターは、僕は中国ではないかと思っている。現代のAIは自立しているのではなく、人間のネットワークと連結している。映画 Matrixのマトリックスそのもの。ただ、流れているのは動物電気でなくて、情報。そうなると中国ほど多くの、また、質の良い「部品」を持つ国は他になく、その個数と標準化度は、他国とは比較できないはず。それが、僕は、北京オリンピックの開会式の「活字のパーフォーマンス」に現れていたと思っている。いわゆる、検閲の為の「現代の長城」も、ある意味で一種のサイボーグAI。これは、どうも欧州製だったらしいが、もう、新幹線と同じことになっているのではないか?そうなると中国に取材に行くことになるのかな… アレルギーがあるので、空気悪いところ駄目なんだけど…


まだまだ忙しかった日々

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時45分10秒

7月は今日まで全く投稿していない…

最近、歳を取ったためか、あまり投稿しなくなっているが、まあ、忙しいのもある。

僕は講義を通して研究をするタイプで、今年は、一般講義で、ピケティを取り上げて、ピケティが指摘してなかった「所得格差の拡大の理由」を、下1%の格差(ピケティの格差)と同様にバベッジ原理に求め、ただし、それに1960年代の理論である、managerial revolution (つまり、もう成し遂げられてしまっている革命)を組み合わせて、上1%の(資産でなく)所得格差の増加を説明し、また、ITの影響もある、というようなことを考えて講義したので、色々と調べるために随分時間がかかった。

これに比べれば、最初は、大変だと思っていた「ITと哲学の相即」という特殊講義は、それほどしんどくなかった様な…これは、予定していた、Page rank と Scheler の実質価値倫理学、ユクスキュルの Umwelt とロボット制御(サイバネティクス)、Winograd さんのデザイン概念と Sein und Zeit の話をする時間が全くなったためが大きい。これらを全部、詳細を押さえながらやると大変な講義となったはず。(とは言いながら、これは、どう考えても欲張り過ぎ。半期でできるわけがない…計画をたてるときには、つい欲張ってしまう。)

また、科学哲学・科学史から日本哲学まで、分野の分布が広かった学生さんたち、特に英米系哲学風思考の影響がつよい人たちが、講義の基礎的部分をなかなか理解できず、説明していたら、中々進めなかったのもある。驚くべきことに、哲学の学生さえ、西洋哲学の基礎であるプラトンとかアリストテレス、近世の伝統論理学を知らない。それを丁寧にやっていると、凄く時間がかかった。問題は、古い世界観の理解というより、それと近現代の物理学的世界観の思考法との差を理解してもらうところ。これが案外難しい。

というわけで、大変だったのだが、前期が終わりに近づき、段々と授業が最終回を迎え始めてからが、またまた忙しかった。

先週は、東京で、九大の安浦さんが総括のJSTさきがけの面接選考会。朝から夕方まで面接で、本当に大変。これは、大体、3年で3千万から4千万円を標準にして、若い研究者に個人研究費を渡して、研究室のしがらみなどもなく自由に研究してもらい、次世代の中心的研究者に育てようと言うもの(と僕は理解している)。だから、日本の研究費では珍しく、自分で自分を研究費で雇用できるようにもなっている。(もっとも、これをやる人は滅多にいないのだが…)

で、その場では、「この研究は、もうすぐ実用化するのではないか、そうなったら採択しても途中でパロアルトあたりに引き抜かれるのでは?、いやいや、そうなったら、むしろ成功だ。」「この研究分野だと一事例でも億単位だから三千万四千万では全然足りないのでは?、いやいや、基礎研究をターゲットにしているので十分やれるでしょう」、というような、議論をしていたのだが、京都に帰ってきたら、土日は、工繊大での西田哲学会で、一挙に別の世界。

僕も「西田・田辺・西谷の「論理」」という題で研究発表をさせてもらったが、全然、準備が間に合わず、PowerPoint ファイルに至っては、発表時間直前に会場についたタクシーの中で完成する始末(なぜか、USB3.0の外付けSSDが認識されず非常にあせった。今から考えれば、省電力モードにしていたための可能性が大。JSTにカバンを忘れてしまい、それに入れていたACアダプタを新幹線で使えず、東京からの帰路は省電力モードにしていて、それをそのまま忘れていた。)。

資料作成も大変で、この週末は、ひどい睡眠不足という状況だったのだが、発表に対して、関西学院大学の嶺秀樹さんや名古屋大学の米山優さんから、僕が提示した「西田の限定に田辺が言うような否定性が本当にないのか」という問題に、非常に良いコメントをいただけて、後期の特殊講義に向けて、大成果。前日に懇親会で名誉教授の片柳先生と話したときも同じようなコメントをもらったのだが、要するに、西田の限定には、何らの制約もない、ある意味では田辺が想定していた否定以上のドラスティックな変化も受け入れるものということらしい。これは、種の論理への反論が「論理と生命」であるように非常に納得。生命とまで持っていかれると、田辺的な政治・社会の問題はぶっ飛んでしまう。

ただ、田辺の視点からすれば、そこにこそ問題がある。西田的に、そこまで「悟って」しまうと、田辺が欲した「この現実の歴史・社会・政治に対峙する哲学」は、どこかに消えて行ってしまうのである。つまり、「こんな社会問題があります。大変ですよ!!」と議論しているときに、「いやいや、恐竜の絶滅を思い出しなさい。小惑星の衝突である日突然人類は滅びる可能性もあるのです。それを思えば、そんな問題など…」という議論をしていることになりかねない。政治、社会などの問題を自分が取り組む義務と感じるに人には、はぐらかされている、としか見えない。

西田を読んで、たとえば、岩波講座「哲学」(昭和6年より)の「歴史」という西田の文章が、実は時間論で、最後のパラグラフになってようやくランケへの言及がでてきて、本当は歴史でもなんでもないことに非常に強い違和感をもった。歴史を真剣に考えたら、そういう文章は書けない。

また、田辺の種の論理への反論のタイトルに、何故か、「論理と生命」というように「生命」が入っていしまうことへの違和感を以前から感じていた。

そういうことなどが、以前から、非常に、モヤモヤしていたのだが、嶺さんと米山さんのコメントで、漸く、その原因を納得。西田の様な立場で世界観を構築されてしまうと、社会科学的観点とか、現実の社会にコミットしようとする立場は台無しになってしまう。西田哲学は、実は、それに対する冷水なのである。(実際には、野中経営学など、そうでなく良いアイデアの源泉になっている例が多いのだが、それは「応用」している人たちが勝手に自分の都合が良いところだけを読むからだ。そういう「懐が深い」ところが西田の思想にはある。)

要するには、これは禅僧が、幕府など武士という武力勢力の庇護を受けながら、平穏に暮らすようなもの。これこそが、田辺の西田への最大の違和感であったのではないかと僕は思っているのだが(もちろん、田辺も、そういう僧院にいる。帝国大学教授なのだから。「しかし、だから、こそ」という気持ちが、明らかに田辺のテキストから読める。どれだけできたかは別としても。それが僕が西田より田辺に好感をもつ理由になっている)、その僕の印象に『ダメ押し』をしてもらったような感じがしている。

つまり、あまりの自由、あまりのカオスの許容は、実は、現状肯定への道になるということ。仏教、特に禅宗などは、常に、この道を通っていると僕は思う。同じような印象を抱いたのは、西谷が戸坂全集に寄せた文章で(著作集21巻、p.132)、戸坂君東京で活動していたころ、西田先生が、戸坂もああいうことでなく科学哲学をやればよいのだがと仰っり、その時の自分は同意したが、(昭和40年ころの)今の自分は、それは違うと感じる。あれも、つまり、マルクス主義にかかわり、戸坂は検挙され、2度投獄されたが、それも、戸坂君らしいことだと感じる、という意味のことを書いている。

戸坂は、マルクス主義にかかわり、検挙され、2度投獄されたが、二度目の入獄(要するに自分で監獄に入りに行ったらしい)の直前に、親友西谷に会いに行った。この二人、政治的立場が両極端ながら、余程、仲が良かったのだろう。そして、「いよいよ入獄する、しかし間もなく出てくるから、また会おう」と東京の戸坂からの葉書が来たが、彼は帰らなかった、と西谷は書いている。戸坂は昭和20年8月9日に政治犯として劣悪な環境の牢獄で病死した。西田は、同じ昭和20年6月7日に亡くなっている。

この件に最終的に気が付けたのが、今回の西田哲学会にわざわざ入会までして発表した最大の収穫。これで、西田・田辺・西谷の哲学の比較という、僕の今やっている研究の一つに最終的な目途がたった。

また、前の日の懇親会で、随分ご無沙汰としていた上智の田中先生、親鸞研究センターの名和さん、常滑の谷川の会の森口さんやらとお会いできたのも良かった。また、嶺さんが、京都学派アーカイブが役立っていると言ってくれたのは、凄くうれしかった。名和さんが、学習院の西田史料の調査に照合元として使ってくれたりという事例があるにはあったのだが、例が少ないので、本当に役立っているのだろうか、と作ってはみたものの「不安」だったのだ。久しぶりにお会いした田中先生にも褒めていただけて、やっぱり作って良かったな、という感じ。 :-)

ああいうものは、縁の下の支柱のようなものなのだから、一つ一つの事例では、軽く、役立てば十分。しかし、長く、じわじわと役立つようにしないといけない。そうすれば作った意味がでてくる。西田哲学会の懇親会で、すくなくとも3名の人からアーカイブについて聞けたことは(中嶋君をいれると4名か!でも、中嶋君は「身内」すぎる)、十分に役立っている証拠と思ってもよいだろう。

と信じたら、正直の所、かなり「くたびれていた」心が元気になって、新アーカイブ構築の意欲がわいてきた。ということで、頑張ろう!中井正一と大島康正も入れるぞ!

というような、日々を過ごしている間に、さらにもう一つ、メガトン級の仕事が落ちて来たのも、忙しさがさらに増幅された。

6月の終わりころに、旧知の中馬さん(現成蹊大学、元一橋大学イノベーションセンター教授)から、経済産業研究所RIETIで、AIの社会インパクトの研究プロジェクトが始まり、自分が一つのグループのリーダーとなるので、林さんも手伝ってくれ、との依頼が来た。

この問題は、この数年講義のテーマにしていて、凄く気になっている問題だったので(情報・史料学専修という研究室は、ITの社会的影響を考えるというのが、主な目的である教室なので、この問題を逃したら、存在の意味がない!)、忙しくて、もう無理ではとは思いつつも引き受ける。

ただ、物凄い誤算だったのが、これがRIETIの所内プロジェクトで、そのために霞が関スピードで、物凄い速さで事が進むということを理解してなかった点。
#誰だったか忘れたが、マスコミに良く出る人が、霞が関は実は「官僚的でスロー」などといのはうそで、すさまじいスピードで事が進む、
#と書いていたのを本か、新聞か、WEBで読んだ記憶があるが、これは、僕も賛成。進むときとは、進む。ただし、ブレーキが別に存在する。 ;-)

さきがけの選考会の最後の日の28日(日)には、もうプロジェクトが内定して、9月から動くことになってしまった。来年4月以後だと思っていた僕は大慌て。

また、この内定に向けてのヒアリング用資料の原稿が中馬さんか何度も飛来して、実際に、何をすべきか等考えていたら、結構時間をとった。

結局、前期が漸く収束しかけてきたころから、さきがけ、西田哲学会、AIの社会インパクトについてのRIETIプロジェクト、さらにはSMART-GSの開発や(これを書いている今日は、プログラミングをやっている)、古地震学などの科研費関係のデジタル・ヒューマニティの話、と、自分でも良く色々やるものだと思うが、実は、これらは全部繋がっている。だから、こそ大変なのだが…

で、長くなったので、投稿を変えて、RIETIプロジェクトについてちょっと書く。
#これは研究室の学生さんや、科研費プロジェクトの仲間たち、SMART-GS チーム、その他の関係者の人たちへの
#言い訳でもあります。SMART-GS チームの人たちには、水曜のミーティングの際に、直接、予定より減速するかも、
#と言い訳(謝罪)しておいた… しかし、このプロジェクトや、凸版のOCRとか、中京大のプロジェクトとか、
#実に、イベントは、向こうから波の様に押し寄せて来る。まあ、そういう時が、研究者としては幸運・幸福な時。
#こういう時には、波に流されなくてはいけない。これは「時流にながされる」のとは全くちがう。


2015年6月18日(木曜日)

猛烈な忙しさと厚切りジェイソンさんの正論

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時28分54秒

今日締切のレビューが山の様にあるのだが、午前中は木2の出席・課題提出確認のための作業で費やす。
考えていた方法だと、ある種のセキュリティー・ホール(といっても学生が他人の出席状況をわかってしまう
可能性が、数名分だけあるというだけのことなのだが。それも相当意図的にやらないと無理)があることが
わかり、これを解決する方法を考えていたら、随分と時間がかかってしまった。

で、もっと大変なレビューの作業の方にかからなくてはならない。
大体全体は見ているので後は細かいところと、一回読んだだけでは良くわからなかった提案書を分析する、
そして、全体のコメントを書いていくだけで済むので、何とかなるのだが、兎に角、量が多い。
ファイルを開くだけでも時間がかかる。

その作業の前に、ちょっと一休みと思い、少しWEBを見ていたら、IT Pro の、この記事を見つける。
アメリカ人でお笑い芸人もやっているジェイソン・ダニエルソンさんのインタビューの後半だが、前半を含めて、
正論ばかり。僕がNISTEPの客員研究官時代から言っていたことと同じことなので、こういう人がいると、
変な共感というか安心感みたいなものを感じる。ただ、一番、そうだよね〜と思う点が、

 何か話し合っている間に、他の国に追い抜かされるだけなんですよね。グローバルではやっていけないと思っている、日本は。もうダメです。

だったり、最も共感したのが、

 変えたいんですけど、個人で何ができるのかを考えると、ほとんど日本については諦めています。一人が説得できるようなものではありません。

 国自体で、「こんなに意思決定に時間をかけすぎている状態が続くとダメになっていく」と自分自身が気づくまでは、何もできないと思っています。

という点なのは、本当に嫌な感じだ。「あるソフトウェウア工学者の失敗」で書いたのと同じなのだが、
これの結論は、しかし、教育にかける、若い世代にかける、ということになっている。
僕は日本人だし、教育者だから、諦める自分を許せないので。

でも、素直に現状を見ると、ダニエルソン氏と同じ気持ちになる。
それを立場とか、価値観で、自分を奮い立たせている。
#これが価値というものの最大の利点。(ただし、下手に動き始めると、
#それ故に、最も怖いもの。)

記事を読んでいて、最後で非常に落ち込む。記者が、

 同氏の言葉を聞いて「それはあまりに極論では?」「見方が少し偏っているのでは」といった印象を受けた方もいるかもしれない。

と書かれている。実際には、「IT Pro を読む人のかなりの数が、ダニエルソン氏の意見を極論として反発するだろうが」という意味のはずだ。
そう書くと反発されるので、こう書いている、と思う。僕も、そう書くことがあるので。

矢張り、駄目かな……

しかし、それでも!


2015年6月9日(火曜日)

Collective noun, 集合名辞

月曜日の特殊講義で、オブジェクト指向におけるクラス概念の誕生を、Hoareさんの Record Handling の論文(レポート)に求めて、説明をしていたとき、科哲史の川西君が、僕の説明に「えっ?」というような顔をしていたので、何か変な事を言ってしまったかと思って調べてみて、この4年ほど「創造的間違い」「創造的勘違い」をしていたことに気が付き驚く。

木曜日後期の「論理学の歴史」で、少なくとも2011年から、尾崎咢堂の文章の非常に稚拙な読み違いをしていた。それは、アリストテレス論理学の term(名辞) が特称の場合(これの1の意味)に、オブジェクト指向や集合論でいう singleton と解釈する(前者では、singleton pattern で使うインスタンスが一つのクラス, 後者では要素が一つの集合として理解する(すればよい)という立場。つまり、ソクラテスとは、ソクラテスというオブジェクトのみをインスタンスとして持てるクラス、集合ならば、ソクラテスだけからなる集合。この見方は、実は、随分昔にATTTという形理論を作ったときに考えたものなのだが、憲政の神様尾崎咢堂行雄が若かりし頃書いた論理学書11ページの集合名辞の説明を間違えて読んでしまい、すでに明治時代位の伝統論理学の見方では常識だったのだと考えていた。

そして、さらにそれに、term の原語 horos, terminus の意味を利用し、また、西田が西洋的論理を分別(ふんべつ)に基づく論理と理解するところを利用して、伝統論理学を term により、個も、集団も、それ以外と分別して、区切り取ってしまい、塀や壁の中に閉じ込める論理、と理解することにより、ハイデガー流に、論理を拒否する、あるいは、避ける、西谷の回互連関が、実は、一般者、類、種が、上から押さえて来る、あるいは包んでくる「縦の論理」ではなくて、個も類も種も横倒しにして平等にしてしまった「論理構造」として理解して、西田、田辺、西谷に共通の柱を通す、という昨年度の後期の特殊講義から始めた作業(今年の後期も前年は全く時間不足だった西田の部分をやります。今年夏の西田哲学会でも発表予定。完成したら「日本哲学史研究」に投稿させてもらうよう上原さんにお願いしてある)に発展させた。

で、この term, term logic の見方、伝統的論理学をちゃんと知っている人には常識で、オリジナルとして主張しては駄目なんだろう、それを西谷の空・回互連関に結び付けたところだけがオリジナルだと思っていたのだが、ポール・ロワイヤル論理学や、19世紀を中心にして、様々な伝統論理学の教科書を見てみると、どうも、それほど明瞭には理解されていなかったように見えて来た。

おそらくボンヤリとは理解されていて、分かっていた人には、当たり前と思われていたのだろう。しかし、明瞭な言葉で図まで使ってハッキリ言いだしたのは、僕が始めたことと思っていいらしいことがわかり驚いた。

で、11ページの集合名辞の説明を、どんな風に読み違えていたかというと、「集合名辞(collective term)は、特称名辞でも、通称名辞でもありえる」、つまり、G7 は集合名辞で、その意味は、the group of G7 でも the nations of G7 でもあり得るというような話なのだが、これを「特称名辞と通称名辞を合わせて集合名辞という」と誤解して読んでいた。その誤解を元に書いた講義資料が、これ

実は、Hoare さんが、変な言葉の使い方をしていて、Record Handlingの 1.3 節で、The objects of the real world are often conveniently classified into a number of mutually exclusive classes, and each class is named by some collective noun, s.uch as “person”, “bankloan”, “expression”, etc. と書いている。"people” なら良いのだが、"person” は、集合名詞 collective noun ではない。集合名辞を集合名詞と結び付けて理解していなかった僕は、それに気が付かず、「僕の意味集合名辞」として理解して話してしまい、それで川西君は「えっ?」という顔をしたらしい。Hoareさんの間違い(ここでわざわざ collective nouns という必要ない。Plural nouns と書けば十分)と、僕の間違いが重層し、それに川西君が否定的に反応し、それに僕が気が付く、という契機が触媒して、見つかった事実。まあ、発見とは、こういうものですね。実に面白い! :-D

で、それが契機となって、全体が明瞭になった。とはいっても、伝統論理学やらヨーロッパ言語文法における名辞、名詞の分類は、非常に曖昧に見えるし、納得いかないというところがどこかにある。恐らく、多くの日本人には、そうなのでは?この辺りが、西田の出発点の一つではないのかとも思うのだが、そうなると、結構、良い議論ポイントを探し当てていたといえそう。

いずれにせよ、この誤解は、大々的に言い立てて、修正せねば!まず、来週の特殊講義、その後で、今も出している2014年の月曜日後期の資料を修正。また、今年の月曜日後期では、伝統論理学の教科書をもってお extensive に survey して、その上で、自分の見方として提示する必用あり。このテキストが役立ちそう。ようするに、僕のATTTのアイデアはラッセルの記述理論から来ているのだな… (昔、Logic of Partial Term というものを考えていたが、その型理論版だった。) :-D

#ところで、今年の前期は、この特殊講義もそうなのだが、間違いと発見とか、自由な視点をどうやったら持てるかとか、
#そういうことに関心をもって、僕の講義を聞いてくれている人たちが何人かいる。その関連でいうと、この事例は、新たな発見が間違いを伴う形で生まれ、
#しかし、間違いを伴いながら、それには重要な発見があり、しかも、数年も間違いの部分に気が付かれないままに、それは進化を続け、
#ある小さな契機により、間違いが見つかり、しかも、間違い部分だけを切り離すことができて、むしろ、残ったものは、
#当初思っていたものより大きなものだった、という事例。実は、学者をやっていると、すくなくとも、僕の場合は、
#何か、手応えあるものを見つける場合の大半は、このパターン。大半と書いたが50%よりは少ないかもしれないが
#それに近いくらい多くある。で、ポイントは、学生さんの「えっ?」というような表情のように、どんなに小さなことでも、
#見逃さず、「徹底的に違和感の払拭を試みる」こと。大抵の場合には、何もない。たとえば、学生さんの誤解だったりする。
#しかし、極たま(このケースでは4,5年たっている)、大きなことが見つかる。
#そして、こういうことが起こるために、大変に大事な条件がある。それは「自分の間違いを素直に認めてしまう」こと。
#この場合は、おそらく2011年から2014年まで(おそらくと書いているのは、2011年の講義資料に該当する部分がないため。
#同じ尾崎の資料を使っているのは確かなのだが、集合名辞の説明をしてない可能性がある。黒板に書いた記憶がぼんやりとは
#あるのだが…)4年も間違えたことを講義していたことを素直に認める必要がある。ただ、それは、僕の見方が、
#昔からあったというのが間違いとなるだけであることに注意。つまり、新しい重要な見方を獲得したと主張するには、
#2011年から4年も、本当につまらない誤読をして、それを講義していました、と素直に認める必要がある。
#大きな主張のために、恥をさらさねばならない。間違いを見つけたら、ドンドン認めるべきは、学者の倫理
#として当然なのだが、そうでなくとも、こういうこともあるから、間違いの恥をさらす、などという
#のは気にせずに、ドンドン認めた方がよい。これは、そういう間違いを認めても、そんな失敗を軽々と乗り越えて、
#自分は進めるんだという、自信、あるいは、矜恃でもあるのです。若いころは中々できませんが、その内、できるように
#なりますから、それを目指して努力しましょう。 :-)


2015年5月21日(木曜日)

藤田正勝さんの種の論理論文

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時01分24秒

水曜日5限の講義に向かう直前、教室がある建物の前で藤田正勝さんと久しぶりに会う。
講義直前だったのだが、岩波「思想」2015年第5号No.1093に掲載されたばかりの『「種の論理」はどのようにして成立したのか―田辺哲学の成立への道―』という論文の別刷りを頂いて、それを読んで、「田辺研究も、ここまで来たのだな」と感慨深かったばかりなので、講義の開始時間が迫っているにも関わらず、つい話し込んでしまった。お蔭で講義開始が3分ほど遅れたが、そんなことはどうでもよい。むしろ、僕が藤田さんと、そういうことを「話さずにはいられない」という、その気持ちの方が、本当の学問というものを育む。

と、思ったから、何故遅れたか、講義に出てきてくれている学生さんたちにも話した。あまり詳しく話さなかったので、伝わっているといいのだが…

という懸念があるので、このブログを書いている。学生さんたちの中に、このブログを読んでいてくれる人がいると良いのだが…


2015年5月8日(金曜日)

アオバズク

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時51分28秒

おっ!アオバズクの鳴き声。
青葉の季節。


2015年4月28日(火曜日)

勘違いのグローバル人材育成

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時40分11秒

このブログは研究室の学生さんとか、講義をとってくれている学生さん向け、あるいは、「同僚」(英語のcolleagueの意味です)に向けて書いているのだが、時々、それを逸脱する。

今回は、それ。

原因は、昨日、ネット放送で聞いていたNHK第一のNHKの審議会か何かの報告で、NHKのテレビの番組に対する委員会の意見の報告を聞いたこと。

連続ドラマか何かについての歯の浮くような賛辞の後で、ETV特集「“グローバル人材”を育成せよ〜京都大学・改革への挑戦〜」という番組で「グローバル人材」の京都大学における育成について論じていたがグローバル人材の意味がハッキリ定義されていない、という委員からの指摘があった、というコメントが読みあげられた。

つまりは、予定調和で、シャンシャンと褒められるべきもののなかで、「えっ?!それ変ジャン!」というコメントがあったということ。

このコメントを言った「委員?」の人に好感と共感を感じる。

自分では京大の競争力を増したと誤解しながら、実は京大の良き伝統をボロボロにしてしまって、京大の真の国際的競争力を地に落とした松本体制というものは、
要するに、文系などの教養のもつ深みに対する松本紘前学長の無理解、無知がシンボライズするように、理系で名を成した人が増長して、
自分が自分の専門以外でも何某かのものだと誤解して起こしてしまうゴタゴタの典型。

同じようなのが松本さんが、その職を継いだ理研の理事長の前任者でノーベル賞受賞者の京大理系出身の野依さんなのだから、本当にため息しか出ない…

この国は、この程度の人たちが動かしている…

こういう人たちのメンタリティーが、日本の「失われたXXX年」の最大の原因なのだが、ご本人たちはそう思っていない。こういうのを理系バカという。

それが、この国の、悲しいいながら、最大の問題…

そして、僕は、それに対して、こういう嫌味を書く以外に何もできない…

若い人たちには、このノーベル賞級学者たちの stupidity から自由であって欲しい。

自由であってよいのです。こういう人たち時代の変化を理解できない老人たちは無視しましょう。

それが本当の意味で、この国を救うことに繋がるのです。

既得権をかたくなに守ろうとする年寄りなんか、単に無視!!!!

それでいいのです。未来を拓くのは、過去を否定する若い皆さんなのですから。


2015年3月28日(土曜日)

また間違えて書いてしまった…

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時24分28秒

もうすぐに新学期が始まるので、準備のためにKULASISのシラバスを見ながら、講義の構想を練っていたら、また、人文社会科学を人文社会学と書いてしまっているのを発見(前期、月曜日5の特殊講義「ITと哲学の相即」)

僕は人文科学という言葉が嫌いで、必ず人文学というようにしているが、これが社会科学と合わさると、さすがに人文社会学ではおかしいので、仕方がないので人文社会科学と書くことにしているのだが、良く無意識に「科」を取ってしまう。これは今まで何度もやってしまった間違いだが、今回もやっていた…

シラバスを既に読んでいる学生さんたち、単なるケアレスミスですので、誤解の無い様に願います。


2015年2月22日(日曜日)

清沢満之は無名???

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時46分16秒

1,2週間前か、たまたま、生協で、この本を見つけて購入。最近は、殆ど amazon か楽天などの online 書店で買うのだが、仕事が一段落して珍しく生協の書店に立ち寄ってみつけた。

司馬遼太郎が、清沢を高く評価していたなど、僕が知らなかったことが、色々と書かれていて大変に興味深い本なのだが、何故か違和感を感じた。

その原因は、おそらく、清沢が殆ど知られていないという、この本の主張だろう。

僕は、どうしても思い出せないのだが、おそらく京大文に転職するかしないかのころから、清沢を「歎異抄を発掘することにより、日本の思想の世界に近代をもたらした人」と理解していて、つまり、「歎異抄という、真宗本流からみれば異端の書を発掘して、真宗が持つ西欧、特にキリスト教、とりわけプロテスタントとの親和性を発見した人だ」と、清沢を理解するようになったのではないかと思う(時期については自信はない!!)。

有名なマスコミ学者で、親鸞の思想が歎異抄ではなく教行信証にある、ということを自分が「発見」したかのように書いた人がいるが、僕のように龍谷大学の教授をつとめ、また、家も真宗(しかも、西!清沢は東)という人だと、そんなの当たり前!なんで、そんな当たり前のこと言うの???という感じ。

実際、(西)本願寺のお土産スペースでは、歎異抄なんて、殆ど売ってない。確か、あるにはあったはずだが、凄く端の方にあったような…

要するに、歎異抄が、それほどまでに明治期以後の「知識人」に持てはやされたのは、西洋近代を取り入れないと生存できなかった近代日本が、それを目指すことにより生まれる違和感を解消できるかもしれない日本の歴史に根差した存在として、歎異抄を見たからだろう。

だから、近代化研究がライフワークだと思っている僕にとっては、清沢とか暁烏という人たちは(東本願寺系統ながら)、大変に重要な存在。

だから、清沢は良く知られていると思っていたのが、どうもそうでもないらしい…

Google でサーチしてヒットの数をみて納得。しかし、…


2015年2月15日(日曜日)

京都学派アーカイブ、remodel 開始

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時52分55秒

MMJの松本さんにやってもらっている京都学派アーカイブの新デザインの一部が送られて来たので、テスト用に谷川史料についてのページを作る。

そのために、まず、新デザインの一部をUPした。ただし、デザインは進行中で、最終版は少し変わる。
今度のはスマホにも対応し、非専門家にも親しみやすいものにする予定。

担当授業の採点登録が終わり、今年度の教育の仕事が終わったので、これからアーカイブと、SMART-GSと、岩波新書の原稿と、Labyrinth of Thought の和訳に戻る。おっと、その前に、岩波文庫の解説の「数学か、哲学か」の部分を新知見で書き換える作業も早くやらなくては!それと、来年度の前期の特殊講義と「哲学研究」に論文を投稿するための、「ITと哲学の相即」の detail も固めていかねばならないし、後期特殊講義のために西田も読まなくては。あっと、トンプソン君への返事がまだだ。パスポートの書き換えやら私学共済の手続きもまだだ… こうやって書いておくと、忘れても思い出すかな…


2015年2月14日(土曜日)

講義 論理学の歴史など

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時49分24秒

月5(後期)の2回生向けの講義「論理学の歴史」の採点登録が終わり、漸く、今年度の授業関係の仕事がすべて終了。

なぜか、今期(2014年度後期)は、授業準備が滅茶苦茶に忙しく、その理由が良く分からず不思議だった。例年と大きく違うのは、木2の文学部英語(全学科目扱い)がエキストラであったこと。昔から細部を読みたかった Everdell のモダニズム論のオムニバス The First Moderns を教科書にしたが、読んだところがカンディンスキーとシェーンベルクで分かりやすく(とはいえ、音楽のところは僕も分からないことが多かったけれど。それに比べて絵画はわかりやすい。とにかく目に見えるので)、学生たちもおもしろがって良く調べてくるし、僕もそれに応えるべく、この授業にかなり時間を裂いたことが主な理由。

ただ、それだけで、あれだけ忙しくなるわけはなく、もう一つの原因として、水5の「京都学派、ある思想の系譜:西田幾多郎、田辺元、西谷啓治」で、西谷や田辺、そして、西田の関連性と相違を「形而上学的・存在論的(つまりは、伝統論理学的)側面と、政治との関わり」という、今まではあまり議論されていない側面に光を当てて、史料で実証するという特殊講義をやったので、これも忙しさを増したのは当然。もしかしたら、文学部英語より、こちらの方に時間をかけていた可能性も高い。何せ、こちらは、オリジナルな研究そのものなのだから時間がかかる(これは肝心の西田の部分まで十分到達できず、来年度、後期、西田を中心にして再度講義して、それを論文にまとめる予定)。

で、この二つが忙しくて、月5の2回生用講義だけが、だいたい昨年までの講義と大差ない内容で済ましていて、全体として何とかやれていると、自分では思っていたのだが、この講義のレポートを採点してみて、実は、この「例年どおり」と思っていた講義も、実は、例年と大きく変わっていたことに漸く気が付いた。つまり、やっていた講義・特殊講義三つとも、「新しい試み」だったわけ。それは忙しくて当然だ。ただ、論理学の歴史の新しい部分は、水5の特殊講義と連動していたために、なんとなく、これを無視していたらしい。実際、講義をしていて、「あれ?!これどこかで、すでに話した記憶があるけど…」と戸惑うことが何度かあった。要するに、同じ内容を、少し視点を変えて、週に2回話していたわけだ。

水5の講義のレポートのテーマは、「アリストテレス論理学の特徴について思う所を自由に述べよ。特に、terminus の概念を使って、京都学派や記号論理学との関係を議論できたものに高い評価を与える」。このアリストテレス論理学というのは、いわゆる伝統論理学、つまり、ポール・ロワイヤル論理学を意味している。

で、これを今年は、伝統論理学の別名である Term logic の term が, ラテン語で terminus, 古代ギリシャ語の horos のことであり、どちらも柵とか壁の様なものを意味していて、要するに、西田などが使う「分別」という言葉が象徴するものがこれで、西田の用語である「対象論理」は、基本的には、対象 Gegenstand を terminus が分別する論理であるアリストテレスの構想に基づく論理学のことを意味していて、この「分別」つまりは、terminus による「分別性」をいかに取り除くかが京都学派、特に西田、田辺、西谷の「論理(学)」(注1)の目的だったというスタンスに明瞭にたったのが、今年が初めてだったことに漸く気が付いた。この議論は、今期の水5の講義で、西谷に「空」概念と、論理、論理学、ロゴス、理、理法などへの言及(これらは、ハイデガーの用語、Logik, Logistik, logos などとほぼ同じ使われ方がされている)を分析していて気が付いたものだったはずで、水5の講義準備で、それに気が付き、それを月5の講義のアリストテレス論理学の説明に応用し、哲学を知らない2回生にも、わかりやすくするために、こんな図ソクラテスという個
を作成するなどして、自分の考えが非常に明瞭になっている。これは、今から見れば、昨年度まで、というよりは、おそらくは、今年の前期ころまでは、まだ、自分自身でぼんやりとしか掴めていなかった様に思う。それが、今期の水5、月5の二つの講義を通して、はっきりとした形を持ったわけだ。

どうして、これに気が付けたかというと、主に2回生が書いたレポートの大半が、以上、説明したような形を、次の様に、実に明瞭に説明していたから:アリストテレス論理学の最大の特徴は、それが terminus の論理であること、そして、記号論理学は、この特性故に複雑になってしまう複数の対象の関係性の記述を改善するためのものであり、実は、それが成立する過程で、数学の概念が多用された。また、ラッセルなどは、意識的・無意識的に、生物の分類論をモデルにしたアリストテレス論理学が持っていた「動的側面」を排除し、数学のような静的世界に論理学のモデルを変更したが、それにより個は却って、その「内面」を失い、世界は無内容な個の関係性のみで記述されてしまうことになった。一方で、このことは、京都学派の哲学者たちが、アリストテレス論理学に見出していた「問題点」、それを克服しようとしていた「問題点」、そのものであり、彼らは、特に、西田、田辺は、terminus の論理学の構造は、そのままに保持して、しかし、terminus による「分別」を、「峻別」ではないもの、非連続の連続(西田)、切れていて繋がっているもの(田辺)、ある意味で東洋的な「より連続的な分別」に置き換えることにより(注2)西洋の論理(学)、論理的思考を克服しようとした。

この話は、構成要素の、それぞれの理解が大変難しくて、また、それらの組み合わさり方も大変複雑なのだが、僕が書いた授業史料が論文や書籍なみに詳しいということはあるものの、別に哲学志望でない、2回生のかなりの人が、ここまでハッキリ理解してくれていることに驚き、多様体みたいに局所、局所で繋げていっていた講義でありながら、ちゃんと背骨が大局的に通っていたことがわかり、見かけ上は、似ていても、今期の月5の講義は、昨年までのものとは異質であることを漸く理解した。

ということで、今期は、要するに三つも新しい講義をやっていたようなもの。それは忙してくて当たり前だ…、と納得。

これにより、2012年度から始めた「論理学の歴史」は、漸く完成の域に、ほぼ達した。後は、パースやカッシーラなど、横の広がりをつけたいところだが、最終回の質問票に、内容が濃すぎる、通年にしてゆっくりやってほしいという要望があったように、ちょっと、色々と盛り込みすぎた。たとえば、一階述語論理をアリストテレス論理学の基本命題に変換する方法まで書いてしまった。で、記号論理学のそういう話をする度に出席の学生の数が減った。  ;-)

このことからして、一方で、記号論理学のテクニカルな内容などは別として、それの思想史的意味などは、ちょっと驚くくらい2回生でも理解できることを考えると、来年度以後の構成は、こんなところか?:

    • 以下の三つは、講義の骨子として維持:

    • アリストテレス論理学(ポール・ロワイヤル論理学)・ドイツ観念論の論理学=terminus の論理
    • 数学をモデルにした静的論理学としての記号論理学とその特徴
    • terminus の壁を破ろう、消そうとした京都学派
  1. ただし、記号論理学の具体的説明は極力やめて、副読本的な資料(これに、アリストテレス論理学による述語論理学の記述の正確な証明も書いておく)として置いておくだけで、講義では使わない。
  2. 京都学派の論理学の説明で、田辺、西谷への言及を追加、また、関連したもの、あるいは、背景として、レヴィ・ブリュール、ハイデガーやエミール・ラスク、シェーラーの論理学や哲学などに言及。パースの連続の哲学、ベルグソンの持続なども調べて、追加を検討。ただし、これらは、すべて「リマーク」的にする。

注1.西谷の場合は、独自の論理(学)を打ち立てようとはせず、師であるハイデガーのように「論理学批判」になっていて、意識的に新論理学を打ち立てようとした形跡はなく、むしろ、意識的に、やはり師である西田・田辺が行った「新論理学の構築」という路線を避けているのが見える。アリストテレスに始まる伝統論理学的な西洋哲学の思考法・暗黙の前提の克服を目指す「存在と時間」期のハイデガーは 、Wahrheit の意味を「現象学的アプローチ」で entdecken に求めることにより、体系性を排除している。つまり、Dekonstruktion している。その後、Heidegger が、体系構築を行ったかどうか、ハイデガーをよく知らない僕ははっきり断言できないのだが、多分、やっていない。ところが、西谷の場合は、段々と、特に最晩年に至って、仏教的用語を頻繁に使うようになってからは、実質的に体系構築、ただし、緩やかな体系構築をやっている。たとえば、大谷大講義で、西田の信濃哲学会での「私と汝」の図とそっくりな回互的連関の図を基礎として、家族中のコミュニケーションを論ずるところ、また、それがさらに「空」の概念の導入で「世界理解」の半ば形而上学となっていっている。その意味では、西谷も、最終的には、ドイツの師ハイデガーとは袂を分かち、日本の師である西田・田辺の路線に近づいていったといえる。これは、戻ったのではないことに注意。西谷は、後期から晩年より前には、独自の「形而上学」を展開していない。

注2.ただし、田辺の場合の連続は、実は対立・否定という連続(ジンメルの相互行為でも対立が入る)。また、西田の場合は鈴木大拙へのはがきが示しているように、明らかに東洋が意識されているが、田辺の場合は微妙。彼は、懺悔道などの時代に、東洋、日本の優位性に言及しているが、実は、こういう考え方は、Bergson, Levy-Bruhl, Scheller, そして、数学の哲学では Brouwer たち、つまり、ヨーロッパの、もっと具体的にいうと仏・独の思想家たちにより、20世紀にもたらされたもの(アメリカの James, Pierce も重要だろうが、よく知らない…)。そして、西田は、明らかに Bergson を意識しているし、田辺は、Bergson, Levy-Bruhl, Scheller, Brouwerのすべてに言及しているし、影響を受けているし、Brouwer などは、種の論理の理論的展開の導き手であったとさえ、論文中で述べている。


2014年12月12日(金曜日)

Everdell, W.R.: The First Moderns

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時45分49秒

今年度後期に全学科目として担当している文学部英語Bの教科書,William R. Everdell の The First Moderns の Kandinsky の章がやっと終わった.20ページもないのだが,学生たちが詳しいレジュメだと高い点をつけるといったこともあるだろうが,どうやら,内容に興味があるらしく,詳しく調べて詳細なレジュメを作るので,英語の講義(演習?)なのだか,ゼミだかわからない様になって,なかなか進まない.まさか2回生がここまで調べて来れるとは思わなかったので,そういう方針にしたのだが,嬉しい様な,困ったような…

いずれにせよ,Everdell の英語は,かなり美文調というか,文学的なので,単純に辞書を引いただけでは読めない.そういう意味では,学生たちには,あまり進まなくても良い経験になるのだろう.ひとつ,驚いたのは,idiom が殆ど Google 検索で調べられる点.何年か前に,英書購読を担当したときには,こんなことはなかったような気がする.これは大変な進化だ.

ただ,学生たちが,そういうことが出来ることを知らず,辞書だけに頼ろうとする人がかなりいるようにみえる.これは驚きだし,高校以下の英語教育に疑問を感じる.辞書程度の文例では,一つの言語を理解するのは無理だ.だから,ほんの少し昔まで外国語のテキストを正しく読むことは本当に大変だったのだが,今はWEBを使えば,かなりのことができる.今日あった例では,”…, there wasn’t much in decorative art that could be called representational,…” の that が decorative art のことだと学生が誤解していたというのがあった.(ただし,この人は,その部分が自信がないと,良くわからないと,ハッキリ言っていた.これは半ば分かっているということだ.一番駄目なのは,自分がわかっていないことが,わかっていないということ.自分が,わかっていないということを知っているのは,場合によっては,単にわかっていることより素晴らしい.)

これは, There isn’t much that I can do,… の様に使われる慣用表現の much と that の間に, in the decorative art が入った文章.これもサーチすると,いくらでも例文が出て来る.ただ,授業中は,自分は正しく読めながら,その根拠を示すことができていなかった.言語はやはり「直観」なのだと納得.しかし,実は簡単でサーチすればよかったのである…ただ,単純なサーチだと駄目だが.

言語の教育は,大きな転換点を迎えているはずなのだが,この保守的な国では,それへの対応ができていないのかも知れない…


2014年12月9日(火曜日)

人文学者としてもう20年か…

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時39分35秒

月5の学部2回生向け講義「論理学の歴史」で,ラッセルにとって数理論理学がなんだったのか,ということを説明するために,何故,僕が最初は数学をやっていたのかという質問票への答を伏線として使い,そのために随分昔に書いた「世界をまるごと理解できるだろうか」を使おうと思ったらリンクが切れていた.気づくと,何個もリンクがきれている(Xoops のモジュールで管理していたのを忘れていたのが原因).で,古いHDDの内容を保存しているディスクで古いファイルを探し出しリンクを回復.

その中の一つに,「この5,6年,数学史の研究をしており,そちらの方が,本業の情報工学より中心になりつつある」という様な文章を見つける.で,これがなんと2000年ころ.ということは,もう文系の研究歴が素人時代をいれると20年になるわけだ.アマチュア時代が10年近くあったとは… 5年位だと思っていた.人文学者としては,まだまだ,駆け出しだと思っていたので驚く.僕は論理学の研究者として出発したが,論文を書き始めたのを学者としての起点にすると,たしか修士1年の夏休みのころだから,22才くらいかな?となると,ほぼ,研究者としての生涯の半分くらいは人文学者として過ごして来たことになる.驚き.ただ,プロになってからは,まだ,10年に過ぎない.やはり,まだまだ駆け出しだな.


2014年12月5日(金曜日)

京都学派アーカイブ大改造を開始

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時26分23秒

常滑市の「谷川徹三を勉強する会」と市立図書館を取材させて頂いて以来、
こういう「地方の力」とでも言うべきものに、凄いものを感じ、
それをプロモートする手助けになるように京都学派アーカイブを変更し、
そして、それにより京都学派の思想家たちが残した史料の所在情報を
できうる限り収集するという計画が生まれたが、京都学派アーカイブを
デザインしてもらった京大近くのMMJ、特に今の京都学派アーカイブの
デザインをしてくれた松本さんとの二度の議論を踏まえて(二度目は、
実際にアーカイブを動かす院生の橋本君も参加して3名のミーティング
を木曜12月04日に実施)、この目標の実現に向けて歩を進めることに
決定!

なかなか大変な作業だが、やりがいがある作業になるだろう。

でも、またまた、忙しくなるな〜〜〜。ハハ…(^^;) 


2014年11月29日(土曜日)

京大時計台占拠!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時55分19秒

この「ブログ」は、基本的には研究や教育のことしか書かない方針なのだが、
時々、このルールを破る。今日は実に面白いことがあったのでルール破り。

インフルエンザの予防接種をするので、体力をつけておこうと、何時もは
食べない昼ごはんをカンフォーラの前の屋台に買いにいったら、熊野寮の
学生たちが時計台を「占拠」していた。これが何とものんびりしていて、
僕等が若いころの学生運動も、最近まで続いた松本体制も、全部、皮肉って
パロディ化しているようで何とも良い。特に熊野寮歌の下手さ加減が最高!
計算しているとしか思えない。

で、先日、公安警察と熊野寮の学生がもめたので、その関係かと思ったら、
どうも僕が知らなかっただけで、恒例行事らしい。

卒業式の仮装とか(仮想ではないが炬燵を卒業式会場に持ち込んで
オデンを囲んでいた学生たちの動画を見つけたときはパートナーと一緒に大笑い(^0^)。
なんという発想だ。そういうの大好き!でも、その能力を少しは学問の方に向けよ!!!!)、
入試の時の折田先生とか、京大の学生は実に面白くて、
そういう所が好きだ。でも、英語もう少し勉強してね…
#最後のは僕が担当している文学部英語Bに出ている学生さんや、僕の研究室の
#学生さんたちへのメッセージです。
##おや?最後はやはり教育に…


2014年11月26日(水曜日)

「…の到達点」:思想史と哲学の違い

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時52分01秒

明日の特殊講義「京都学派 ある思想の系譜」の準備中に面白いことに気が付く。

できれば明日、西谷のパートを終えて、次回から田辺に移りたいのだが、
その纏めで西谷の「空」思想が中期から後期にかけて本質的に変わったのか
どうかに色々な見方があることを指摘するために資料を探していたら、
宗教学専修の紀要に良いものを発見。

これを使って、僕の講義の観点からすると、昭和20-30年代の「虚無と空」「空の立場」から、
昭和59年の「空と即」までの変遷は、確かにあるが、あまり関係ないことを説明する予定。

しかし、この紀要を見ていて、氣田さんが書いていること強く反応。それは、この部分
「三人の発表は、いずれも「根源的構想力」を西谷の空の思索の到達点、終極と見なし、
それを実存的境位の深まりの事柄に納め込む方向性をもっているように見える。」
これの「西谷の空の思索の到達点、終極と見なし」という言い方を見て、僕が日本哲学(史)の
多くの人たちに感じる違和感(中嶋君や竹花君などの若い人たちにはあまり感じない)の
理由が分かったような気がした。

分析哲学や英米哲学と呼ばれるものは、少なくとも僕が知る日本のものは、
哲学的側面は言うに及ばず、記号論理学のようなテクニカル面でも、
信じられないくらいレベルが低い思考ゲームに堕していると僕は
考えているが、それとは異なり、所謂「日本哲学(史)」は、意味の
ある議論が多いと感じている。

しかし、さりながら、常に何らかの違和感を、「日本哲学(史)」に感じていたのだが、
その原因が氣田さんの文章を見て分かった。「…の到達点」という言葉は日本哲学(史)の
論文や著書などで比較的見かける表現であるが、これは「ある思想家の思索は歳と共に深化し、
その晩年に頂点を極める」という、東洋的というか日本においては強い支持を集めるだろう
「前提」を仮定している。

つまり、こういう言い方をする人は、何かしら修行の様なものを経て、自分が西谷や
西田のような先人と同じ「精神の高み」に近づこうとしているのではないかと思う。

僕の場合は、そういうことは全くなくて、思想家を「対象」として突き放してみている。
だから、田辺元の最も注目すべき思想は、戦後に彼がそれを恥じた昭和一桁と10年代の
種の論理だということになる。これが最も田辺らしいし、もっとも彼が社会から受け入れらていた
時代の思想だからである。

しかし、「到達点」の立場からすれば、これは忌むべき「通過点」にしか過ぎない。

この様な違いで、僕は「日本哲学(史)」に、ある種の違和感を覚えるようだ。


2014年11月18日(火曜日)

怒涛の一か月半

常滑市の谷川の会や図書館におじゃやましてから、もう1ヶ月以上がたつ。
その間、森下さんや森口さんから手紙など頂いたのに、お返事も書いていない。
もし見ておられたら、ここでお詫び。大変に申し訳ありません。

遅くなったのは、後期になってから、兎に角忙しくて、人間ドックの予約やら、
インフルエンザワクチンの接種とか、そういうことさえしている暇がなかったため。

忙しさの主な原因は、新学期の講義で、新しいことを三つもやっていることだが、
それ以外に、外部資金関係の仕事にも時間を取られた。三菱財団に頂いたSMART-GS
のTEI対応化の研究費の収支報告は、財団の柔軟な対応と文系共通事務の岩村さんのお蔭で、思ったより楽だっ
たのだが、科研費申請に凄く時間がかかった。

SMART-GSの科研費を狭い意味のテクノロジーの範囲で出していたのだが、
完成に近づきつつあり、もうその範囲では、やることが無くなったので、以前から考えていた、
ある意味一番大事な社会テクノロジーの方向に舵を切ることにした。
つまり、この記事で言っている、古文書のWEB、オムニプレズントWEB
(同時にどこでもがユービキタス、オムニプレズントは、同時にどこでも、かつ、いつでも。
つまり、未来は無理だが、過去の情報資源ならば、ほとんどすべてにアクセス可能という意味)の実現を目指そうということ。

そのための第一歩として、京大防災研・理学部の古地震研究会へ参加している
院生の橋本君や、同会を運営している、防災研究所の加納さんなどとの議論で、
ロンドン大学でやっているベンサムのクラウド翻刻 (crowd です。cloud では
ありません。cloud を使うけれど)で古地震史料翻刻などをやると面白いことに
なるのではないかと考えつつあったときに、常滑の谷川の会を実地で拝見し、
また、森下さんのお母様から参加しておられる翻刻の会のことを伺い、
30代、40代くらいまでの比較的若い人たちが中心のベンサムの crowd 翻刻の場合と
違い、我が国における古地震史料翻刻の場合は、古文書の勉強会、講習会に参加
するような高齢の方たちが実現の鍵であることに気が付き、その方向で計画を練り上げた。

これにかなり時間がかかってしまった。なんせ分野を工学から文化資源保全に変えた
のだから、大チェンジ!その方向転換は、またまた「他力」で、自分で考えたのではなくて、
関西大学の喜多さんに示唆してもらった。それまで、そういう分野での応募など考えてもみなかったので、
自分では考え付くことができなかった。日頃、テクノロジーの箍(たが)を外せ!、と言っているのに、
その自分の頭に箍がはまっていた(^^;)

箍の話は、色々な講演で話してきたが、文章としては、思修館の山口さんの編集で出版の準備が進んでいる本の
9章で始めて詳しく書いた。これが「プレプリント」
要するに原稿の古いバージョン。タイトルも「あるソフトウェア工学者の失敗」と最終版では副題に
なったもののままで、まだ、てにをは、も直してないもの。完成版を見たい人は本を買ってあげてください。
#他人事のように言っているのは、これは山口さんのグループの研究報告集で、僕と
#成城大学の中馬さんは「友情出演」しているようなものだから。

そして、この1ヶ月半の間に、丸山君の白眉採用、溝口君のプロジェクトのグッドデザイン賞金賞、
岩波の互さんから転職の知らせなど、随分色々な目出度いことも続いた。で、実にめまぐるしく、
ほんとに忙しかったなあ。最近にない忙しさ…

と、NF(11月祭)を目前に控え、ここで少し一息つけそうな状況。とはいいつ休めるということではなくて、
締切のある仕事が大体片付いたので、これでNFの期間に積み残しの仕事ができそうという意味。

積み残しの仕事は、山ほどあるが、当面の仕事としては、まず、京都派アーカイブの全面改装の開始。
常滑訪問で互さんから示唆のあった、全国の史料館、図書館などに保管している文書がないか問いあわせるという方向を、
文書での問い合わせと同時に、京都学派アーカイブを、現代の西田幾多郎、田辺元に限定したものから、
京都学派全体に広げ、それを通して史料についての情報の提供をお願いするという方向に再変更。

これは常滑での取材の情報を京都学派アーカイブで公開しようと思って、京都学派アーカイブをデザインしてくれているMMJの松本さん
と議論した結果、現在のデザインが、西田・田辺に最初からターゲットを絞ってもらったものであるために、
この目的にそぐわないと言う結論になり、最初からデザインしなおしてもらうことなったため。今度はスマホなどにも対応予定で、
橋本君が開発してきた JavaScript のツールなども、ふんだんに使うことになる。そういう動きの部分は、
全部橋本君に任せ、彼のサイトという性格が強くなる。ただ、コンテンツは僕が全部書くのだけれど。

と、いいつ、これの試験公開開始までにでも2ヶ月はかかるだろうから、とりあえず、常滑の取材情報を
現在のデザインの範囲でまとめて公開しないといけない。これが、まずやる仕事だな。


常滑市、谷川徹三史料調査

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時47分44秒

これは10月半ばに書いた記事。文章途中のまま一度投稿したが文章が途中で終わっていたので、一度消して、あまりの忙しさに、そのままになっていたもの。少し手を入れて、1ヶ月遅れで投稿。土曜日というのは10月11日のこと。

ここから本文

土曜日に科研費プロジェクトの出張で常滑市に。

市立図書館の谷川徹三文庫、谷川徹三を勉強する会が岩波書店から借り受けた
谷川史料などを保管している「収蔵庫」(中心的会員の森下肇さんが借りているマンション
の一室)、森下さんのご自宅、常滑市文化会館での谷川徹三を勉強する会の月例会、を訪問。

常滑駅に、会員で同会作成の資料の作成を一手に引き受けておられる杉江孝夫さんと
森下さんが迎えに来てくださった。

お二人と、同会の代表で、法政大で谷川の薫陶を受けた、杉江重剛さん(谷川の
御親戚とか)と合流し、常滑市立図書館へ。

市立図書館では、僕が、電話でご連絡した後、担当の古橋さんなどが、
資料を探してくださったとのことで、なんと、日本経済新聞の
人気連載記事「わたしの履歴書」のための谷川の手書き原稿など、
相当数の谷川の文書や、そのコピーがあることが判明。

図書館では館長の田中邦夫さんにも臨席頂いて恐縮。
文化遺産として、こういう史料を大切に保管頂くようにお願いした。

どうも、丸まま丸善系のTRCという会社に図書館業務を委託しているらしく、
名刺からすると、館長さんも、その会社の方らしい。
同社のグループでデジタル画像アーカイブ関係を担っている
TRC-ADEACの社長の田山健二さんまで東京から見えていた。
TRC-ADEACは、高速の地図などのWEB画像提示の技術を持っているようで
古地震の地図への応用など興味深い。時間ができたら連絡を取る予定。

谷川の会や、常滑図書館の様に、貴重な京都学派史料をもつグループ、
機関、あるいは、個人のお役に立てるように
して、結果として、京都学派の史料を保全するのが、現在の
科研費プロジェクトの主な目的になりそうだが、これから申請する、
次のプロジェクトでは、これが京都学派を超えて行われなくてはならない。
その布石になりそう。(11月18日:次の投稿参照)

谷川史料を保管している「収蔵庫」では、岩波からの借出し
史料など、面白いものを沢山見せてもらった。谷川が、
行った、国策ラジオ放送ともいうべきものの史料が実に
興味深い。歌手藤山一郎の「戦争協力」など、
戦後の異様なまでの「平和主義・平等主義」の立場からは
理解できないものが、ここにあるのではないか?

史料について同会が纏めた冊子を頂いたので調査・研究の予定。

旧家である森下家では、森下肇さんの御母上を始め、
奥様など、ご一家をあげて歓待を受け恐縮。
それにしても森下さんのお母様は凄い。
八杉の母を連想。

谷川徹三を勉強する会に出席させて頂き、京都学派アーカイブの説明。
杉江重剛さんのご依頼で、田辺についても一言。谷川の会の後、森下さんの
お宅に返り、暫く懇談。森下さんのお母様から古文書の勉強会について、
資料付で色々教えて頂く。これが科研費申請に向けて大変ありがたかった。

次の投稿「怒涛の一か月半」に続く


2014年10月9日(木曜日)

丸山君が白眉センター助教に

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時55分52秒

溝口君に続き、また、研究室での目出度い話。

オックスフォードに留学している丸山君が白眉研究員に採用され、
4月から同センター助教となる。基本的には研究しているのが仕事で
5年も継続できるのだから、こんないいポジションはなかなかない。
その間に文系の学位も文学研究科で取得予定。

僕が受け入れ教員なので、少し前から聞いていたが、今日見たら
発表されていたので、公開!


溝口君たちのプロジェクトがグッドデザインに!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時21分44秒

僕の専修の重要メンバーである学振研究員の溝口君が主催する「思い出サルベージ」が、
グッドデザイン賞を受賞。おめでとう!!

思い出サルベージこそは「デザイン・シンキング」の典型的な成功例だと思っているが、
それを自分で作り出してしまう溝口君には驚嘆する他ない。

で、そういうことを京大デザイン・スクールの中小路さんに話したら興味を示していた。
彼女の講義か何かで講演して欲しいとのこと。溝口君、一考お願いします。

こういう若い人たちが、さらなる高みを自然に目指す、そういう日本になって欲しい。


2014年10月7日(火曜日)

京都学派アーカイブ更新と講義「論理学の歴史」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時55分23秒

約2年ぶりに京都学派アーカイブを更新。昭和9年講座の全画像ファイルをアップロード。また、田辺元史料研究会による翻刻の最新バージョンも公開。

2年近く、何も問題が起きなかったので、これからドンドン、各史料の全公開が行われる。取りあえずは、ハイデガーの Ontologie 講義ノートと、手帳(日記)。後者は、その位置が明らかだが、前者は一体何の史料なのか、未だに解らない。ハイデガー全集の Ontologie の巻を文学部図書館から借りて来たのだが、ざっと見ると対応しない。内容まで検討する必要あり。

月5の2回生向け講義「論理学の歴史」が始まり、これで後期のすべての授業がそろった。

今年は、最初目指した高みに少しは近づけた感じ。ラッセルのインタビューや、ハイデガーの論理学講義(Sein und Zeit を準備したと言われるもの)、日本人と論理の葛藤、などを通して、近代化における論理学の役割を分析する。そういう講義になるのだが、今日は、予想外に多くの学生が来ていた。来週は半分くらいに減るか?この講義の場合は、それの方が良い。前期の水5の情報歴史社会学のような広いオーディエンスは、本来的には期待できない内容だから。もし広いオーディンスを得たら、そこで何か道を外してないか考え直した方がよい。


2014年9月6日(土曜日)

「20世紀現代数学とゲーデル」、序章、一章完成!!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時31分44秒

前回書いたような経緯で、数年前に引き受けた岩波新書の序章と1章が完成!!!

ここまで出来ると、後はテクニカルな問題が主になる。つまり、漸く、何をどう描くかが決まったということ。

しかし、ここまで20世紀の代数幾何学・数論の歴史と、集合論・論理学の歴史が重なるとは思わなかった。実に驚きだ。

フェレイロスの「思惟の迷宮(Labyrinth of Thought)」の翻訳プロジェクトと合わせて、これが日本の、もう維持できなくなった歴史観を変えてくれたらなー、と思う。

しかし、マックス・シェーラーが東北大学の教員として赴任する直前に書いたように、この国の人々は、実に保守的だ。良い意味の保守ではなく、単に、現状を維持したいとう言う意味の、姑息に保守的なのである。

しかしそれでも、僕等のような老人は退場していき、新しい世界が訪れる。それを信じよう…


2014年9月2日(火曜日)

上から目線

カテゴリー: - susumuhayashi @ 04時17分38秒

二つの締切は、まだ、出来ていないが、お蔭で、他の仕事がはかどる。 :-D :hammer:
締切というものはストレスなので、それから逃避しようとして、他の、まだ、締切が
迫っていないもの、締切のないもの、締切を設定した人(編集者など)が、半ば
諦めてしまったもの ;-)、そして、新しい展開、などが、却って、捗ってしまうのである。

ということで、なかなか進まない岩波新書「ゲーデルと数学の現代」の歴史部分が、
進みつつあり、また、締切の仕事とは殆ど関係ないのだが、教育学部の名誉教授の
竹内洋さんの本を幾つか買って読むなどしていた。

で、後者の竹内さんの本なのだが、時々、「この人ならばやれるかな?」という
学生さんに出会った時に、話していた、第2次世界大戦後の日本の超大衆主義と、
その中における学者の生き方の分析、特に、マスコミ学者、丸山眞男に代表され、
その政治的対極としての田中美知太郎とか、そういうマスコミに出ることを自分の第一の
仕事とするような学者たち、現在で言えば茂木さんのような人たちの存在が、
如何に生まれたか、また、その意味は、ということを、歴史学的に解明できたら、
すごくおもしろいよ、とすすめていた話が、ほぼ、説明がついていることを
発見!竹内さんは自分も公共知識人(マスコミにでることを主にする学者など)と
定義しているらしいが、確かに読者の想定の関係で、学術書とは言いかねるところがあり、
その分、まだ、学問にできる余地があるが、多分、そうしても、結論はあまり変わりそうに
ない。そういう意味で大変良い仕事に見える。(もちろん、見えると、そうだ、ということは
一致しない。これが一致しないことを実証できたときに、偉大な学問が生まれる。)

この竹内さんの歴史観のポイントは、「上から目線を躊躇しない」ということ。
僕も、この立場には、大変に共鳴する。

何と言われようとも、上から目線で、やります。

学生たちに、少なくとも一度は、上から目線で世界、
社会を見てほしいから。


2014年8月22日(金曜日)

システム・クラッシュと二つの締切(T_T)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時53分49秒

ときどき、直接とか、学生たちから聞いて、このブログが色々な方たちに読まれているのを聞くことがあるが、
もともとは、このブログは自分と自分の周りの人、特に専修(研究室)の学生さんたち、に見せるために始めたもの。

自分に見せるというのは、未来の自分に見せる、つまり、本来の意味でのWEB上のログということ。
時々、どう見ても誰にも意味が解らないだろうと思われるような投稿があるのは、そのため。
特に新しいことを考え始めたり、史料調査に行ったときの投稿は、そうなる。

それ以外は、基本的に、あなたの指導教員は、あなたの colleague は、今、こんなことをしてますよ、
というスタンスで書いているのだが、カテゴリーが、今回の様に「泣き言」になっているときには、少しトーンが違う。

これは、本当に泣き言。

実は、数日前に、突如、家の仕事用の、しかも、大学の研究室においてある
公費で買ったのを含めて、もっともパフォーマンスが高い自腹のPCがクラッシュした。
HDDかと思い換装してみたが、もうOSがぐしゃぐしゃらしくどうしようもない。

ということで、泣く泣く、Windows8.1 をリフレッシュ。2年弱しか使ってない水冷の高級機なのに…
#水冷にしたのは、僕の書斎が暑いから。34度はあたりまえ。
#でも、冷房に弱いので昼は冷房は使わないので、夏になるとマシンが遅くなる。
#で、少しでもCPU冷却能力の高いものをと思い水冷。

原因が特定できず、もしかしたら、マザーボードの問題かもしれないので、
念のために、同じ会社の半額程度のマシンを予備機として注文。
古い方はHDDを2TのHDDにコピー用の機器を使って換装。
で、リフレッシュ。(再インスト―ル用のデータは、SSDに
入って、マシンに取り付けられていた。こういう時代になったのか。
若いころにメイン・フレームのラインエディタでリスプ・プログラミング
をしていた御爺さんとしては感慨…)

で、面倒なのは、ソフトの方だが、何とかセーフ・モードで立ち上がるので、
その状態で、インストールされているソフトをリストして記録(デジカメ!)。
昔は、良くクラッシュしていたので、こういうのは、全部、再インストールの手順ごと記録していたのだが、
プラットフォームの信頼性があがり、再インストールの必要が減って来たので怠っていた…

で、数日かかって、なんとか、ほぼ、普通の仕事ができるレベルまで回復…
というのが、現在の状況。あっと!まだ、SnagItを入れていない…

これで3,4日予定が狂ってしまったが、31日に締切が二つもある。
#その間に、講義・演習の採点の締切も!明日!!!

で、今回は、この締切の「債権者」の方たちが、このブログを
見ていてくれたらなーーーー。

という、話。


2014年8月7日(木曜日)

Substance and Function

プログラミング言語の多くがオブジェクト指向化する中、MapReduceのような関数型言語もどきのものが、
復活していることに、昔、関数型言語陣営に属していたものとして、意味があってよかったという
気持ちと同時に、概念的に納得のいかなさを持っていたが、Skidelsky の Ernst Cassirer で引用されている
Substance and Function の一節

The content of the concept cannot be dissolved
into the elements of its extension, because the two do not lie on the
same plane but belong in principle to different dimensions. The
meaning of the law that connects the individual members is not to
be exhausted by the enumeration of any number of instances of the
law; for such enumeration lacks the generating principle that enables
us to connect the individual members into a functional whole.

を読んで納得。要するに、Term logic 的、あるいは、ライプニッツ的に、
そのなかに、そのすべての可能性を所有する個として、Termを見る場合と、
シェーラーや、上のカッシーラや、京都学派の場、場所、種のような、
見方で、Term を見る、二つの見方がある。ビッグデータのような場合は、
各データの「個性」などというものは無視して、それを「点」として
扱うので、後者の見方が有利となるケースが圧倒的で、だから、それを
扱うプログラミング言語が関数型的であることは自然。

しかし、一個一個のもの(オブジェクト)を、その内部に座って
(ユクスキュルの Innenwelt に座って)、その動きをアニメイト
しないといけないプログラミング、たとえば、ブラウザやエディタ
などでのフレームなどのGUIとイベントハンドラーのコーディング
を行うときは、全面的に前者の世界観に浸らないと、コードできない。

だから、二つのスタイルとも、ともに必要ということになる。

しかし、カッシーラの上の文章は面白い。into a functional whole の
原語は、zu einem funktionalen Inbegriff。これは Manfred Frings
がいう functional existence と同じ(Frings, The mind of Max Scheler, p.24)。
また、西田の「場所」と同様の発想。この当時の流行というべきだろう。

そういう哲学者が考えた、個と関係性、Substance and Function (この時代の
哲学者や Frings は、function を、つながるもの、つなげるもの、という
ような意味で使う。だから、実は、Relation だったり、operation だったり
する。ユクスキュルの Funktionskreis も同じような使い方)が、
IT、特に、ネットの時代に、alienated されて現われ、それが実際の
人たちの感情をリアルタイムで繋ぎ、むしろ、それが魂を外化の方向に
引きずっているということは、実に、驚くべきというか、恐ろしくさえある。
この先、どこまで引きずられるのだろう…


2014年8月6日(水曜日)

この数日で考えたこと

Labyrinth of Thought 2章の翻訳作業を開始。著者はスペインの
科学史家フェレイロス。

この人の手法は僕の手法によく似ている。

それで思ったのだが、フェレイロスや僕がやっているようなことは、
数学史ではあるが、より適切には数学思想史と呼ぶべきだろう。

つまり、数学に興味があるのではなくて、むしろ、それをやっている数学者の
ものの考え方に興味がある。だから人間関係とか、手紙とか、日記とか、
未発表原稿とか、講義資料とか、そういうものに大きな興味を持つ。

僕の場合は、特にそうで、数学の歴史を理解したいのではなくて、それを通して「近代」を
見たいのであって、専門の一つだと言っている数学の歴史は手段に過ぎないとさえいえる。

元が、一応は数学者だったので、ある程度まで数学をちゃんと理解する能力があり、
それが人文学者としての強みになっているから、情報技術史とともに、
それを多用しているが、もし、元が生物学者だったら生物学史を使っていただろうし、
物理学者だったら物理学史を使っていただろう。
#同じことが生物学でできるというのは、Reenchanted Science を講義してみて実感した。
#ユクスキュルの存在は大きい。しかし、ヘルムホルツの存在を考えると、おそらく物理でも
#同じことができるはずだ。エホバがいれば必ずルシファーはいる、ルシファーがいれば
#必ずエホバがいる。ただ、ユクスキュルにあたる人がいるのか、だれになるのか、
#物理を知らない、僕は解らない。丸山君が解明してくれるかな?

昨日(5日)は以前調べておいたワイルの哲学関係の講演などをまとめた本を読む。
キンドル版なので、たちどころに手に入るがのがうれしい。これが大変に
面白い。ニーチェ、キルケゴール、ディルタイ、ハイデガー、ヤスパースなどに
まじり、シェーラーも出てくる。この人がブラウワーを、この系譜でとらえていた
ことは明らか。1949年の Man and the Foundations of Sciences という
未発表のマニュスクリプト。この中で、ハイデガーの Sein und Zeit の思想を、
英語圏の人々に何とか解説しようと延々と語っている。

「ゲーデルと数学の近代」に関連して、Mind&Nature, Kindle版、コロンビア大200年祭のパラグラフ17が面白い。

Last but not least, I have seen our ideas about the foundations of mathematics undergo a profound change in my lifetime. Russell, Brouwer, Hilbert, Gödel. I grew up a stern Cantorian dogmatist. Of Russell I had hardly heard when I broke away from Cantor’s paradise; trained in a classical gymnasium, I could read Greek but not English.9 During a short vacation spent with Brouwer, I fell under the spell of his personality and ideas and became an apostle of his intuitionism. Then followed Hilbert’s heroic attempt, through a consistent formalization “die Grundlagenfragen einfürallemal aus der Welt zu schaffen” [to answer the fundamental questions of the world once and for all], and then Gödel’s great discoveries. Move and countermove. No final solution is in sight.

フォン・ノイマンの「変心の系譜」と並行して、これも使うこと。

他の面白い点を記録:

  1. I have wasted much time and effort on physical and philosophical speculations, but I do not regret it. I guess I needed them as a kind of intellectual mediation between the luminous ether of mathematics and the dark depths of human existence. While, according to Kierkegaard, religion speaks of “what concerns me unconditionally,” pure mathematics may be said to speak of what is of no concern whatever to man. It is a tragic and strange fact, a superb malice of the Creator, that man’s mind is so immensely better suited for handling what is irrelevant than what is relevant to him. I do not share the scorn of many creative scientists and artists toward the reflecting philosopher. Good craftsmanship and efficiency are great virtues, but they are not everything. In all intellectualIendeavors both things are essential: the deed, the actual construction, on the one side; the reflection on what it means, on the other.Creative construction is always in danger of losing its way, reflection in danger of losing its substance.

今朝(8月6日…)は後期の特殊講義準備のために西谷のニヒリズムのシュタイナー
のところを読もうと思って全集を読み始めて、むしろ、リアリズムとの
関係に目が行く。以前、読んだときには理解できていなかったが、
シェリング、キルケゴールなどの西谷の意味でのリアリストの位置づけと、
上のワイルの construction を重視する人たち、というのは同じ。

西谷のは、明らかに、西田の純粋経験とダブっている。で、西谷の意味のリアリスト
たちはヘーゲルのイデアリズムを通ってリアルに接続する運命にあった
という点を読んでいて、自分の立ち位置をようやく理解。
#また、これは上に書いたワイルの哲学の議論と完全に連動している。
#ただし、飽くまで西谷は哲学者の、ワイルは数学者の立場にたって
#語るため、見かけ上は、かなり異なるのだが…

要するに僕が哲学に最終的には違和感を持つのは、この点。つまり、僕の
ようなプラクティスもやっている人間には、これは哲学の範囲の中で
哲学でできないことをやろうとしている無謀な、まるで、気持ちの問題により、
*安易に*太平洋戦争に突入した大日本帝国の行為のようにみえる。
#太平洋戦争突入が、犹澆爐忙澆泙譴名況”に置かれたからだ、
#などという*言い訳*は、僕は絶対に受け入れない。人間は這いつくばって
#でも生きるべきだ!!

だったら、歩き回れ、蹴っ飛ばせ!、と言いたくなる。

で、実際、僕は、そういうときは歩き回るし蹴っ飛ばす。

ただし、それだけでは危うい。僕は、ワイルの

Creative construction is always in danger of losing its way,
reflection in danger of losing its substance.

に共感する。そして、これはウェーバーの理想型の思想でもある。
だから、ウェーバーが好きなのだな。


2014年7月11日(金曜日)

DH 2014 ポスターセッション

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時42分23秒

現在、スイスのローザンヌでDH2014が開催中。これに、SMART-GS開発チームから、院生の橋本君と名古屋大の久木田さんがポスターセッション発表に行っている。目的は、SMART-GSの海外初のデモだが、橋本君から状況報告。1時間で30名も見に来てくれたとのこと。二人だけで、こんなに集中的に来れられるとさぞかし大変だったろう。まずは、よかった!今頃、橋本君と久木田さんは祝杯をあげていそうだな。 :-D

これに向けて、発表者の橋本君は当然として、院生のThompson君とそのお友達や、学部生の秋元君、伊藤君、沼田君に色々とバイトで仕事をお願いし、僕自身も LineSeg Editor のコーディングや(これで、またまた、sourceforge.jp 活動ランク14位になった!)、英語マニュアルの作成などで、研究室は大忙しだった。名古屋大の久木田さんもバージョン管理システムHCPの英語マニュアルの作成で大変だっただろう。

で、みんなの努力が報われたようで、まずは、目出度し! :-)

SMART-GS は、この1年で、見違えるほど進歩しているが開発が忙しく、リリースに時間を割いている暇がないので、もう1年ほどリリースをやってない。できれば、TEI対応が終わってから、次のリリースをしたいところだが、この分だと、夏休み後あたりに、TEI非対応版のリリースをやった方がよいかな?すくなくとも現在の LineSeg Editor が入った版を、できるだけ早くリリースした方がよさそう…


2014年7月5日(土曜日)

Du Bois-Reymond と Gödel

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時09分44秒

一つ前(July 3)の du Bois-Reymond と Gödel の類似性はテキスト上では、全く確認できなかった。使っている単語がかなり違う。Gödel の
… daß man sich begnügen muß, Beobachtungsresultate vorausszusagen; was eigentlich das Ende jeder theoretischen Wissenschaften im üblichen Sinne ist…
は、igonorabimus とは、直接の関係はなく、最初に持った印象どおり、量子力学などの発展を受けた1960年代の感想と理解した方が妥当のようだ。しかし、この類似性は実に興味深い。まあ、ウェーバーの、Wissenschaft als Beruf での聴衆への戒めとしての Entzauberung の強調も同じラインだから、時代精神というべきか。そうなるとやはり、ゲーデルは、再魔術化の方で、ユクスキュルに近いという僕の判断は、相当に正しい。この線、もう少し追う事。

調べたのは、Über die Grenzen der Naturerkennens-Die sieben Welträthsel の Kindle版。価格0円! こういうとき、直ぐに手に入り検索もできので、Kindle版は実に便利。ただし、書き込みやブックマークをしにくいのが欠点なので、ハードコピー版も別に注文しておいた。しかし、なんだか見たような本だったので、もしかしたら、すでに買っていたかも…

よく、同じ本を二度買う。シェーラーを調べていたときだか、同じ解説書を確か三度買いそうになったこともある。しかし、表紙に見覚えがあって、とどまった。年を取って記憶力が怪しくなっているのもあるが、本の購入がITのお蔭で便利でやすくになったのと、僕が色々同時に沢山のことをやりすぎていることの代償。読もうと思って買って、読む前に別なことを始めると買ったことさえ忘れてしまう。怪しいときは、一応、本棚を点検するが、大学と家の両方にあるのと、多種類の本に埋もれているので、新書位のサイズのシェーラーの解説書などは、別の本の間に埋もれてしまって見つからない。しかし、この本は表紙のシェーラーの写真だったか、イラストだったかで買ったのを思い出して調べてみたら、すでに二冊あった。 :-(

特に困るのがドイツの岩波文庫というべき stw suhrkamp taschenbuch wissenschaft やら UTB Uni-Taschenbücher などのシリーズ。装丁が、すべて全く同じ!Religonssoziologie II, Religonssoziologie III なんて一文字違い。全く同じに見えてしまう…岩波文庫ならば、安いし、まあ、二冊あっても大学と家の両方におけるしよいかという感じだが、UTBのReligonssoziologie IIなど3000円近くするので、間違えて複数買うのあまりうれしくない。 :-(

それはさておき。du Bois-Reymond の Reden を調べていて、ドイツ語ならば Emil du Bois-Reymond の本が、ほんの少しでかつ古いものの数冊はあることを発見。さっそく注文。明日には来る!著名なダーウィニスト Anton Bohrn との Briefwechsel まで見つかる。これは期待できそうだ。手紙には本音がでるものだ。また、色々な時間的事項の identification には手紙が一番手がかりとなる(日付があるから)。ドイツは、こういう学者間の Briefwechsel が実に充実している。ただし、やはり殆ど売れないらしく、直ぐに廃刊になってしまうが、兎に角、どこかの図書館にはあるので、それで十分。今は、ILLがあるので他校の資料でも簡単に読める。学問がブンブン進む、実に良い時代になった。しかし、これも Entzauberung=Rationalisierungだな…


2014年7月3日(木曜日)

History, Man and Reason

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時58分22秒

Du-Bois Reymond の関係で注文していた History, Man and Reason: A Study in Nineteenth Century Thought by Maurice Mandelbaum が届く。1971年刊だが著者は Johns Hopkins 大の哲学者。しかし、この本を見る限りでは思想史家と言ったほうがよい。しっかりした歴史になっている。

Du-Bois Reymond は、Part IV The Limits of Reason の chap.14 Ignormus, Ignorabimus: The Positivist Strand の 1. Helmholtz: Science and Epistemology で、Helmholtz 理解のための「前座」として出てくる。扱いはカッシーラ、ハリントンと同じで、自身の生理学的研究の成功により、物理主義、力学主義的世界観を生理学の世界までに広げると逆にでてきてしまう不可知論だ、という理解。限界論は限界論なのだが、立ち止まるための限界論ではなく、むしろ、広野を猛然と進みつつ、遠い将来にしか到達できないほどに遠い地平線の彼方に限界を見る立場。足元の平原では、自身の目前では、それこそ手に余るほどの新知見が広がっているので、限界を嘆いている暇がない。そういう意味での限界。だから、それをハリントンは「傲慢」と呼んだわけだ。

Maurice Mandelbaumによれば、Du-Bois Reymond は、この限界を限界のままとして放置したがヘルムホルツやスペンサーは、その問題を考察したという。自分自身や現実の科学にとっては、まったく限界でないのだから、Du-Bois Reymond にとって、それに必要以上に立ち入る必要はなかったのだろう。Helmholtz が Hilbert, Du-Bois Reymond がBourbakiなどの主流数学者に対応する。

それに関連して、ゲーデルの歴史観論文の一節を彷彿とさせる文章が、Maurice_Mandelbaum にあった。ゲーデルは現代の自然科学が左傾化しニヒリズムに陥り、世界の本質を探る学問から、入力から出力を予想するための方法の学問に「堕して」いるとし、しかし、それは、TVや atomic bomb を作れるほどにプラクティカルには優れている、と書いた。

それに対応して、Maurice Mandelbaum p.292 に、Thus we cannot know the world as it exists independently of how it appears within our experience; all that we can say of such a world is that all events in it are in principle predictable on the basis of a single set of absolutely uniform laws, the laws of theoretical mechanics. という文章がある。これは、Du-Bois Reymond の ignorabimus の主張の二つの内の二番目として説明されている。

ゲーデルは、Zilsel講義で Hilbert の Über das Unendlich での無矛盾性証明の意味の説明を、ほとんど、そのまま(冠詞の一つが、片方ではAkkusativ で他方では Dativ)に引用している。TV や atomic bomb という1960年代を象徴するものがでてくるので、ゲーデルの議論は彼独自の文章で書かれたと思っていたのだが(もちろん、内容は少なくともニーチェにまで遡るが)、ゲーデルは、Du Bois-Reymond の Rede を再現している可能性がある。Du Bois-Reymond のドイツ語を見つけて比較すること。幸い、ゲーデルの文章もドイツ語で書かれている。


2014年6月24日(火曜日)

Emil du Bois-Reymond の伝記

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時28分29秒

Emil du Bois-Reymond の伝記が昨年出版されていたことに気が付き昨日注文。ハードカバー版が、もう今日大学に届いていた。

Anne Harrington は、Ignoramus et Ignorabimus を、物理万能主義、機械論的世界観に基づく傲慢として理解しているようだが(物理学、化学などの19世紀的自然科学で語ることができること以外については、科学者は語るべきでないという意見だという理解)、ビスマルクとローマン・カソリックとの間の Kulturkampf を背景とするものだという解釈まであるらしい。この時代らしい、科学の大政治家の発言だから、複合的なものか?

Harrington の解釈は、おそらく、このページに引用されている Cassirer の Determinismus und Indeterminismus in der Modernen Physik 1937 の解釈と同様だろう。Emil du Bois-Reymond の科学的・社会的背景を考えれば、Cassirer, Harrington の解釈が自然だ。Cassirer の文章の、Accordingly the demand for “explanation” not only cannot be fulfilled here - strictly speaking it cannot even be raised: ignorabimus is the only answer that science can give to the question of the essence and origin of consciousness. というフレーズが面白い。この解釈は Wittgenstein の Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen. の意図の哲学を科学に置き換えたものになっている。 Tractatus logico-philosophicus は1921年刊。これが第一次世界大戦の戦場で書かれたのは有名な話。一方、Cassirer の Determinismus und …. は 1937

Cassirer の次のフレーズが面白い:

Of course the attempt was made to escape from the radical consequences he had drawn. There was no ready surrender to the apodictic dogmatic conclusion of du Bois-Reymond’s speech. But there seemed to be no doubt that here an important and pertinent problem had been raised with which epistemology and science had to wrestle using every power at their disposal. Even the neo-Kantian movement, which began in the early seventies almost at the time of du Bois-Reymond’s speech, did not at first alter the situation substantially.

Cassirer は、新カント派の哲学も、du Bois-Reymond の materialism に答えられなかったと自ら書いていることになる。第一次世界大戦という経験の意味の重さ…

いずれにしても、これは、容易に判断しがたい。調査が必要。Cassierer の1937の原典も読むこと(人文研図書館にあり。なんと、山本義隆さんの和訳がある!)。

この調査のために、この本は実にありがたい。Harrington の本では決定論者についての情報が圧倒的に欠けていたので、これから一次史料にあたって調べるのは大変だなー、と思っていた所だった。医学部図書館に行くと、こういう時代の資料がちゃんとあって読めるのだが、僕の知識が圧倒的に欠けている生物学史・医学史をやるのは大変だなー、と思っていた時に、この本を見つけたのだから、\(^ ^)/ バンザーイ・バンザーイという感じ。それに、大好きだった岳父龍一と同じ分野の研究ができるのが何かうれしい。 :-)

ヒルベルトの、あの過剰ともいえる反応は何だったのか?ヒルベルトは、Emil du Bois-Reymondの半世紀近く後の時代の人だ。慎重な判断が必要。

いずれにせよ、忘れ去られていたEmil du Bois-Reymondの伝記が、しかも、英語で出版されるということは、今の歴史研究の状況の象徴だ。

これからの10年、20年で、日本でも数学基礎論論争がらみの既存歴史観が音たてて崩れ、新たな史料ベースの歴史観が広まるだろう。これに向けて、岩波新書と、フェレイロスの和訳を頑張らねば。もうすぐ7月、フェレイロス和訳プロジェクトに参加している人たちに一度集まってまらわなくてはいけない!

京都学派の史料保全の仕事もしなくていけない。今日、常滑市の「谷川徹三を勉強する会」から、田辺元から谷川への書簡をまとめた簡易製本の書籍が届いた。ご自身たちでは「勉強する会」と謙虚に称されているが実に立派な仕事。大学の先生方も、特に哲学(「史」が付かない哲学)と称している人たちには、見習ってほしいほどだ。それなのに「勉強」と称しているのは、ちゃんとしている人ほど謙虚だという経験則の例のようだ。

今回の挑戦的萌芽研究の科研費は、こういう、それぞれの地域、グループ、個人で、行われている京都学派の資料保全の努力を社会と未来に伝えるための「場」を提供することを目的とする旨、先日決まったが、こういう活動は、正に我々が記録し紹介すべき活動だろう。実に、素晴らしい!他にも同様な動きがきっとあるに違いない。


2014年6月20日(金曜日)

自立ロボットと Umwelt

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時56分20秒

ついに、京大も後期から全科目授業評価をすることになった。別に悪いことではない。

僕は自分の授業はすべて全力投球している自信があるし、神戸大時代にエンターテイメントを目指してやった全学授業(250名位かな…質問票で後ろの人がうるさいので静かにさせてくださいとあった、そのうるさい声が僕には聞こえない位の広い部屋でやっていた)で、自分でも「あり得ない!」と思うほどの高い評価を貰ってから、あまり授業評価は信じない。そのころの全学授業は、TVの番組をモデルにしていた。

その様な状況で「受ける」のは、今の京大の状況ではどうでもよい。少数の学生しかいないが、こちらが考えさせられる質問が、高い確率で帰ってくる、今の状況での、質問票による学生たちとのインタラクションの充実の方が遥か意味があるし、そういう優秀な学生を持つことができない殆どの大学教員の方たちには申しわけないとは思うものの、この幸運を手放すつもりはない。

同僚たちはサバティカルを取るが、僕は賢い学生たちに話を聞いてもらえる権利を手放すなど短期間でも信じられない。授業があるお蔭で僕の学問はコンスタントに進む。実に有り難い。

で、前置きが長くなったが、月曜日の特殊講義が、自分でも滅茶苦茶面白いフェーズに突入してきた。Uexküll の Umwelt 概念が、ハイデガーの Sein und Zeit に関係があることは知っていたものの、これが現在の、計測やシステムとここまでピッタリ合うとは思わなかった。Uexküll は、アン・ハリントンの本によると、チェンバレンへの手紙で「太陽は自分の周りを廻る。それが subject としての自分の信念だ」という意味のことを言っているが、これを工学的に言い替えると「自律ロボットを制御するプログラムは、主観的アプロ―チを採らざるを得ない。利用できるセンサー・データは、自分の周り(Umwelt)に貼りついているセンサーしか前提できないだろう。それだけの外界データ、センサーデータだけで、ロボットを制御するとしたら、Uexküll の Umwelt 概念、Funkitionskreise の概念に依拠するしかないだろう」ということになる。やはり、工学は好きだな。現実が、理想を超えていくから!


2014年6月15日(日曜日)

何種類かの数学

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時58分02秒

八杉のお供で、科学基礎論学会のワークショップに参加。

上野健爾さんの20世紀代数幾何学の発展の話がすごく良かったので、スライドをお願いした。

ヴェイユからグロタンディエクへの道を中心とした、数論幾何学的・代数幾何学、それを取り巻く数学、が20世紀数学の最大の精華というのは、僕も賛成だが、どうも、「一般化=本質を見る」という方向しか見ていないところがあるので、物理現象、非線形現象を研究する応用数学系の仕事が、ブルバキ以後に評価されるようなっているが、そういうものはどう考えるか、数学ではないのか、と質問したところ、良い数学の理論の出発点となるという返事。しかし、そういう応用数学系の数学にフィールズ賞が多く出る様になったのが20世紀の終わりころからの話で、これは出発点というより、それぞれが終了点、あるいは、カルミネーションだからだろう。そこを指摘したら、そういうのも数学だと思うと、どうも渋々認めるという感じだった。

また、後の議論で、Atiyah の数学がブルバキと随分違うというような話もあった。これは恐らく、Atiyah が物理など、ブルバキの主流ならば手を出さない様なものにも手を出したことを言うのだろう。で、数学には色々とある。たとえば、公理的アプローチの20世紀数学に限っただけでも、

  • グロタンディェク
  • ブルバキ
  • ヒルベルト:幾何学基礎論、物理の公理化、積分方程式論
  • フォン・ノイマン:ゲーム理論、量子力学

など皆違うし、アーノルドなどの力学系の理論もかなり違う印象を与える。フォン・ノイマンに近い?
ネーター、ファン・デア・ウェルデンなどは、ヒルベルトとブルバキの間あたり。

これが非線形微分方程式となると、もう全く違う世界。上野さんが語った「本質=一般化」の数学が、砂漠や宇宙のような、遠い視界が約束された場所で、遠くを見通すことを目的とする数学であるとすれば、僕が龍谷で同僚だった人たちの粘菌の動きを説明するための数学とか、あるいはパンルべなどの仕事は、いわば局所の「現実」の数理を見ようとする態度。西田、田辺の積分と微分の違いのような話。もちろん、「局所の現実の数理」も数学で、歴史的にはこちらの方が古いし、むしろ、今は、これが盛り返しているし、社会の役に立つのは実はこちらの方だ。その点、上野さんも話にだしていた、ルレイがナチの捕虜時代に非線形現象の数学をやると、ナチを利するので、層の理論を創始する研究を行ったという「逸話」(本当かどうかは不明だが、今は信じておく)は、非常に示唆的。つまり、層の理論は、まさに「見はるかす数学」なのだが、「局所の現実」をバリバリ解明するための道具ではない。やはり龍谷の別の同僚が、佐藤理論は美しいが、それでは自分が解きたい現実の問題が解けない、といっていたことも、この話。

岩波新書の原稿で、こういう異なった立場、価値観を、モダニズムの「主義」の群に例えて説明し、それで、数学者と数学基礎論学者がすれ違う理由を説明したのだが、これは、どうも数学の中の価値のすれ違いにまで拡大した方がよさそう。そういう節を一つ入れること!今は、脚注ひとつですませている。つまり、20世紀現代数学=ブルバキに代表される数学、というのと、20世紀の数学、の違いを説明する。もっとも、僕は、ヒルベルト、フォン・ノイマンまで20世紀現代数学に入れているので、それの中での違いと、非線形現象の数学とか、物理数学とか、数理論理学とか、計算数学とか、そういうものの違いも説明する。ただし、「ゲーデルと数学の近代」で必要なのは、数学基礎論と数学の主流との価値観の違いのみであることを強調すること。

帰りの道すがら、八杉とも話したのが、現実には、すべてが、それぞれの場所で、それなりの意味を持っている。その規模と深さ、というようなことを言えば、明らかに20世紀の数学の代表は、「見はるかす数学」だろうが、それは、あまりに空を飛び過ぎていて、その反省というか反動として非線形現象、解析学、物理数学などへの回帰が20世紀終わりに起きたというべきだろう。今はビッグデータなどが出て、神戸の同僚だった統計学者が「数学と見てもらっていない」(実際、数学ではないのだそうだが、これはもちろん、数学などではない、つまり、物理や数学などではない同じにしてもらっては困る、というのと同じ意味)と愚痴っていたが、それが今では「統計は最強の科学」などと言われる。何かの価値観に拘るのは、実にバカらしいのだが、どうして、みなさんこだわるのだろうか。しかも、かなり古いものに…

上野さんと話をしている間に、シュバレーのブラウワー理解が深いことを話して、ついダメットの方向でブラウワーの直観主義を説明してしまっていた野家啓一さんの話と比較してしまった。もちろん、これはシュバレーがエルブラン追悼集会の基調講演で語ったように、ブラウワーの本質は時間直観。ダメットのものは、ハイティングによるブラウワーの「外延化」のさらなる「外延化」。一瞬、僕の後ろを上野さんが見ていたところをみると、野家さんが後ろにいたらしい。(^^;)

後で、調べてみたら、野家さんという人は、数学の哲学の人ではない。「何で自分が」と講演で仰っていたが、まあ、そういうことだろう。比較するのが気の毒。失礼しました。(^^;)ただ、分析哲学の人は、本当に歴史を調べないなと、つくづく思う。アン・ハリントン Reenchanted Science のp.18で、謙虚な態度として理解されることが多い Ignoramus-Ignorabimus が、「ニュートン力学で語れないものは科学的には語れない。だから、科学者は、それについて語ってはならない」という、実は「偏狭」な態度の例として引用されている。これはヴィトゲンシュタインの Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen. という態度に一致しているわけだが、これが野家さんのスライドにあった。もし、これを「科学的哲学者の価値観」の表明と理解すると、これを最も強く受け取ったウィーン学団、分析哲学的価値観とは、哲学化したアリストテレス論理学としての数理論理学、集合論を使って哲学を行うこと、つまり、「科学者、数学者の様に語ること」が最大の目的と化した人たちということなる。だから、何を語るのかは、その「語りの方法」でしか評価されず、内容などというものはないのだとされる。だから、僕や八杉には、それが空疎なゲームに見えるのだろう。科学や学問は、形式だけでは進歩しない。それは、たとえ流動して変容するとしても「実質」Materie が無ければ学者は仕事ができない。


2014年6月7日(土曜日)

”リアリスト”はユートピアン

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時01分56秒

今日、金3の演習で、沼田君がEdward Hallett Carrの有名な著作を紹介してくれたが、
改めて、リアリストとイデアリストの対立について考える…

カーは、僕ならば、イデオロギーと呼ぶだろうものを、ユートピア、ユートピアンと
呼ぶ。また、彼は、「リアリスト」を、あまりに極端な「リアリスト」の意味に使う。

カーの意味の「リアリスト」は、僕には、この世ではあり得ない、あってはいけないユートピアを
求め、その不存在に失望した、ユートピアンの裏返しとしての「リアリスト」に見える。
実は、そういう「リアリスト」は、隠れイデアリストなのである。

本当のリアリストは、そういうものではない。


2014年6月1日(日曜日)

昭和30年代西谷の科学技術論

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時57分17秒

特殊講義「再魔術化」は、もう後、8回しかない。明日からは、Ann Harrington Reenchanted Science で、19-20世紀ドイツ生理学の話。もちろん、これにはヒルベルトが意識していたヘルムホルツもデュボアレイモンも、そして間接的ながら、クロネッカーの弟、ヒューゴ・クロネッカーも関係を持つ。つまり、数学基礎論史と同時代で、それに深く近接し、しかも、数学より深く哲学に関連していたともいえる話。

その準備でしんどくなって、西谷の方に「逃げた」ら、丁度、同型のテーマの所が目に入る。

第10巻「虚無と空」、pp.89-95の、科学・技術の話。技術に「目的論」が現れるというところあたり、僕や他のソフト関係者が言っている「目的因の目的=仕様」というのと同じなのだが、これが1960年代(50年代?)に書かれたものであるために、情報、特にソフトの話が日常的に人々の目に触れる以前、環境問題が温暖化のような大問題として立ち現れる前であるため、実に古臭い印象を与える。

まあ、おそらくは(勉強していないのでわからないが)、これはハイデガーの技術論と多くは違わないのだろう。そして、西谷が言いたいのは、この部分の後の、pp.95の二以後の方なのだから、まあ、これは大きな問題ではないのだが、この二以後も、現在の「感情マシンとしての人間」「感情というエネルギーを持つ部品(資源)としての人間」という、感情労働という言葉が社会学を超えて一般に使われるようになっている現在の状況も無縁の時代に西谷は生きて、そして、死んだ。

彼の議論は、現在、どこまでの意味を持つのだろう。しかし、感情を燃料として燃やすことを強いられる現代人の状況を「ニヒリズム」という単純な言葉で処理できるのだろうか?疑問!時代は、そこまで来てしまっている…


sg: タグは維持!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時14分58秒

永崎さんの suggestion を詳細に検討した結果、いずれも使えないことが判明。
属性云々は、属性値が自由だという意味だったが、属性がないタグがあり、
任意の要素がリソース化可能としてるため(意味があるかどうかは別。
設計の一貫性の問題)、属性値なしと定義されたタグの要素がリソース化でき
なくなるので、これは駄目。

また、sourceDoc と zone, line を使う行表現は、これから導入する予定の
画像の line segments を集めて、一つの line にするという新しいアーキテクチャ
をカバーできない。これは SMART-GSでは画像行と翻刻行が対応できるという
前提を置いているため。(理由は翻刻作業時、特に協働翻刻作業時の作業点の
分かり易さと、現在の WordSpotting方式による画像サーチの特性、の二つ。)

sg:…タグをTEIモジュールと関係がない特殊な透過性のタグとして、
SMART-GSでは扱い、これを XMLなどのエクスポートする際には、コメント
にする。つまり、
<sg :r uri=”…” resourcedby=”….” time=”….">…

は、

<!−− sg :r uri=”…” resourcedby=”….” time=”…."――>…

と変換する。


2014年5月30日(金曜日)

5月27日東京出張

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時01分00秒

火曜日に、久しぶりに東京出張。
JADHの永崎さんに、SMART−GSのTEI対応化の進捗状況を見てもらい、意見を聞くのが主目的で、その間に、岩波で互さんにあって西田幾多郎全集で、西田の書簡を集めた際の話を聞いた。

TEI対応については、SMART-GS用のモジュールは必要ないという話になった。これもタグを絞り切っていたお蔭。大浦さんのハイライトによる「括弧」表示は好評で、重なった時に対処法についても良い提案をもらった。全般に好評で、現在あるトップのTEIツールに近づきつつあるとのこと。翻刻・手描き史料研究用ツールが本来の姿だが、TEIエディタとしてのみ利用するユーザが出てくるのも期待したい。詳細は、来週のミーティングで、同行した橋本君が報告予定。

互さんの方は、改めてDBを見せてもらい、話を聞くと、意外にも、(1)文書館などで見つけたのが多かった、(2)書簡での依頼ではなく電話による依頼がおもだった、とのこと。文書館のあたりのつけ方は、別荘など、その人物に関連する何かがあることで、かなり意外なルートでつながることがあると、芥川の全集を担当したときの経験から教えてもらった。また、文書館のキューレーター間には人脈があるので、それからも探せるかもしれないとのこと。

この全く意外な話から、当初の、「田辺元の往信を下村文書の来信の住所を元に、来信の送り主の子孫を探し出し、子孫に書簡を送って書簡の存在を確認する」という計画は、これも行うものの、主には「網羅的な京都学派の学者のリストを作り、それを各地の文書館に送り、それに該当する書簡を持っている場合は教えてもらう。また、その際に、文書館同志の横の繋がりの使い、また、それを増進する手伝いをする」という方針に変更。他の科研費チームのメンバーにも相談しなくてはいけない。書簡だと返送に手間がかかり、送ってもらえない可能性もあるので、WEBでのアンケートの様にすると良いかもしれない。

また、7月に古書市があり(これか?三省堂古書館 古書フェア 6/20〜7/8、http://sgenji.jp/search/wholesale.html)、そこで目録にかなりのものがでるそう。そういう古書店が持っているものは「全集にも掲載されていない」というのが、売り文句となるのでアクセスが難しいそうだが、内容は見せないで、「XX書店所蔵、田辺元発西田幾多郎宛、昭和??年、…」などのメタデータだけならば、広告にもなるので、協力してもらえるのではないだろうか。そういうパンフレットを作って、日本中の文書館やら古書店やら関係ありそうな個人に配布し、京都学派アーカイブのDBに自由にデータを登録できるようにするというのはどうか?プライバシー保護のメカニズムを特に慎重に作れば、協力を得られるかも。たとえば登録しても、GOサインのボタンをクリックするまでは、ブロックされていて、入力した本人にしか見えないようにする(たとえば、PASSをメールで送るなど)、そして、それを確認したら公開GOサインを出すとか。また、WEBを使わない人のためには書簡やFAXでの対応もしなくてはならないだろう。人間の介在を感じさせることも重要。

今夜は山でアオバヅクが盛んに鳴いていた。アオバヅクの声を聴くと夏は近い。今年は大船鉾と後祭が復活。楽しみ :-)


2014年5月20日(火曜日)

不如帰忍音

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時07分01秒

不如帰忍音 1:00AM近く


2014年5月15日(木曜日)

この2ヶ月ほどの仕事

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時42分14秒

2ヶ月近くブログを書かなかった。

この間、多くの仕事をしたが、
それに忙しくてブログを書いている暇がなかった。

漸く一段落というところで、この間に見つけたこと、
考えたことをメモっておく。

このブログは、自分の研究の覚書と、専修の学生さんたちに、
自分の指導教員が、今何をやっているのかを伝えるためが、
最大の目的なので、今回の場合は、後者が目的。

1.何年も前から執筆中の岩波新書「ゲーデルと数学の近代」の
書き方を、最終的に決定。序章を書き終わる。これがもっとも
時間を割いた仕事。書き方を変えたら、
1章以後もドンドンかけるようになった。 要するに、いままで、
まだ完全には理解できていなかったということ。
 最大のポイントは、不完全性定理の数学への影響を、
「数学者に哲学を忘れさせることにより、数学の近代化の最後の
ステップを踏ませたもの」と理解すること。ヒルベルト計画は、
ヘルムホルツのカント哲学に絡ませた生理学研究のような、19世紀
ドイツ的な哲学の問題を科学で解くという方向性の研究が、偉大な科学者
たちにより実行されたものの最後のひとつと考える。これで、
新カント派研究にも自然につながった。しかし、まだ、ウェーバーの
背景の西南学派との繋がりが見えない。これが見えれば、さらにヒルベルトと
ウェーバーの類似性の本当の意味が理解できるだろう。中嶋君の研究に期待!
 しかし、ヘルツホルツ・ヒルベルト的なものが時代遅れだと分かるのは、もちろん、
現代から見ているからで、この時代には、数学では、まだ可能性が残っていた。
だからこそ、フォン・ノイマンやエルブランがヒルベルト計画に関わった。
しかし、不完全性定理でそれが完全に変わる。
 そして、数学化されたポール・ロワイアル伝統論理学である
公理的集合論(シロギズムの数学化である述語論理の上に、
クラスの理論の数学化である集合の公理系を乗せたもの)を、
哲学から切り取り、数学の中に置くことにより、逆に数学から
哲学を完全に排除したのがブルバキ的な現代数学という立場を
とる。この見方を、フェレイロスの説「リーマンの影響
を受けて、デーデキントが、集合概念を哲学(論理学)でなく数学の一部だと
見なしていた」を根拠にして主張する。また、このフェレイロスの説のサポートの
ひとつして、Russell の The Principles of Mathematics の「数学者がいう
集合」についての言及、つまり、彼が自分のクラスを集合と一応わけて考えて
おり、それを伝統的論理学のクラスを元にしたものと考えていることを使う。
 代数幾何学の浪川先生や、整数論の三宅先生に教えていただいた、
これらの分野でのクロネッカーへの高い評価、特にヴェイユによる
高い評価(ヴェイユ予想の背景)を物語るヴェイユのICM1950での招待講演
と、それと見事なコントラストをなすザリスキの招待講演の対比や、
ヴェイユ、エルブラン、シュバレー、そして、フォン・ノイマン
の間の関係や、彼らの書簡や、ヴェイユとシュバレーのエルブラン回顧、
そして、ワイルの Die Idee der Riemannschen Flaeche の前書きの1-3版
での変化や、ワイルの Open world 講演末尾のハイデガーへの言及、
子息による回想、フォン・ノイマンの The Mathematician 講演などを
根拠史料として使い、今は、忘れられている哲学と数学の固い絆の理解と、それが
不完全性定理により、数学の側から切り離されてしまう過程を描き出す。
 これで、20世紀後半以後からみれば、実に奇妙な、
デーデキントの無限の存在の哲学的証明や、ヒルベルトの「過剰」な
哲学への関与が、彼らにとっては自然なものだったことが
理解できるようになった。(しかし、すべての人に自然であったのではない。
Kronecker, Friedrich Wilhelm Franz Meyer, Study のような、
反応、なぜ、哲学を数学に持ち込むのかというベルリン系の否定的
反応がこれ。どちらかというと、結果としては、こちらが近代。)
 浪川先生の若いころの解説や、伺ったお話が、重要なキーになって
理解できた。深く感謝。

2.後期の特殊講義に向けて、西谷と西田、特に前者を本格的に読み始める。特に
大谷大学での講義記録が、西谷、田辺、ハイデガー、西田の関係を読み取る
ために、非常に良い手がかりとなる。これが、昨年の後期講義「論理学の歴史」の
最後に試験的にやってみた、ハイデガーと論理学(伝統論理学と、それを継承した
新カント派などの論理学)の関係と、見事に連動していることに気が付く。
これと1に書いた話を合わせて、ゲーデルの歴史観と
西谷のニヒリズム論の類似性も、自然な話として理解できるようになった。
 これに伴い、出口さんのネオ西谷主義論文での西谷哲学の解釈が完全な誤読であり、
また、どの様な構造で誤読が起きているかも分かった。分析哲学の人は、
どうして現実の歴史を無視してモノを考えるのだろうか。
自分で自分の脚を縛って歩いて独りで転倒しているように見える。
僕の学生さんたちは、そんなことはしないでね。(^^)
#ある思想家の説が正しいかどうかを客観的に論証することは不可能でも、ある思想家が
#何を言いたかったのかは、歴史的史料を時代背景を考慮して、
#綿密に分析していくと、ほぼ客観的に解明できるのに…

3.古地震学の人たちとの交流が始まる。これは主に橋本君が担当。
これができたら、凄く面白い。まさに、古文書に閉じ込めれらた知を開く、
知のネットワークができる。しかも、これが集合知とかビッグデータの
社会的仕組みの典型例になっている。育つと良いが。
うまく行けば歴史学が人命を救うことになる。
いずれにせよ、知は力であることは間違いない。歴史の知は国力。


2014年3月21日(金曜日)

久木田さん送別会

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時10分39秒

久しぶりに、実に目出度いことがあった。SMART-GSの重要な開発メンバーで、
僕の田辺元研究の協働研究者の久木田さんが、長い非常勤生活に
終止符を打ち、名古屋大の准教授に採用され、その祝賀会というか、
追い出し会があった。

伊藤邦武先生まで参加されて、やはり、伊藤先生も、
随分喜ばれているのだなという印象。 :-)

久木田さんは、長い非常勤生活、大変だったでしょう、
と僕が聞いたとき、僕は自分の好きな(ということは納得する)ことしか、
しませんから平気でしたと言っていた。

しかし、そう簡単な話ではないはず。久木田さんらしい、
素晴らしいやせ我慢!奥さんは大変だったはず。
でも、まともに生きていれば、いつかは、奇跡は起きる!(ことがある)

僕は、自分自身のことで、それを実感しているから、
久木田君にも、それが起きたことが本当にうれしい。

できれば、他の、本当に頑張っている人たちにも、
それが起きますように。

そう願わずにはいられない。

ちなみに、この祝賀会で、森田さんに会う。

丸山君、森田さんは、自分自身で「数学者」と名乗ったことは、
一度もないそうだよ!それと中沢新一さんが変だというのが、
あってみてわかったとのこと。岡潔に入れ込み過ぎているのは、
閉口だけど :-(、丸山君が違和感をもつ様な人ではなさそうだよ。

苛めないように。 :-D :-D :-D

ところで、ご自身の哲学の論文、頑張るように! :-x


2014年3月19日(水曜日)

大学人の責任

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時29分57秒

小保方晴子さんのSTAP細胞の問題がマスコミやWEBの世界をにぎわしている。
実は4月からの2回生向け講義で、iPSやSTAPが目指すエピジェネティクスの
リプログラミングの問題を取り上げることにしていたので、STAP細胞は、
僕にも興味深々の問題だった。

STAP細胞の報道を見たとき、感じたものは、ある種の違和感だったが、
もし、これが本当に正しいのならば、僕がもつ日本における科学・工学や、
特に日本の大学が持つ問題への意見が間違いだったことになるのか、と思って
いたのだが、結果としては、自分の意見の正しさを再確認することに
なった。しかし、それは悲しいことである。

もし、STAP細胞の現象が現実に存在しても、小保方さんは、科学の世界からは
追放されるしかない。気の毒だが、この人はそういう人なのである。

しかし、この問題の責任は、小保方さん一人にあるのではなく、
我々、日本の大学人全体にある。ある意味では、小保方さんは、その日本の大学人
が犯した犯罪の被害者だともいえる。

ただし、これは自戒の意味で言っているのであり、僕は、絶対に小保方さんと
いう人の行いを許容するとか、見逃すべきではないと思う。この人は、絶対に
科学の世界から去る必要がある。こういう人がいると科学は科学でなくなる。

この人を許容するならば、僕が大学人として、それが正しい道と信じて、
自分の学生たちに、彼ら彼女らからみれば、厳し過ぎる態度で当たって来た、
そのすべてが虚妄になる。僕が、学生たちに、自分で後で考えても、
厳しすぎる対応をするのは、自分の学生たちには、小保方さんのような人に
なって欲しくないからであり、それが彼ら彼女らの未来の手助けになるはずだと、
教育者として微力な自分が、彼ら彼女らの未来に、たとえ少しでも貢献できる道
だと思うからだ。

しかし、これも弁明に過ぎない。我々の罪は重い。

僕は、この様な事態を招いた大学人の欲望による日本の大学の劣化に抵抗してき
た自信がある。しかし、その抵抗はあまりに微力で、何の効果もなかった。
それならば、言い訳の証拠づくりでしかない。

僕という大学人の罪も重い…


2014年3月6日(木曜日)

入学試験と人間とIT・AIの能力 その2

京大の入試では、室長がマニュアルに従い、「机の上に置いてよいのは、黒鉛筆、シャーブペン、…時計、ただし、計時機能のみのものに限ります、…」というような意味のことをアナウンスすることになっている。定規やコンパスの使用さえ認めない。(定規くらい良いだろうと思うのだが、これはかなり厳しく禁じられている)時計の条件も厳しくて、翻訳機能や辞書機能、計算機能があるものは絶対に駄目だということなっている。こういうのを使っているのを見つけたら、即時、受験不可となり失格、つまり、受験できなくなり、当然、合格はできない。(不合格の外に、失格というのがあるわけだ。true, false 以外の例外のようなものだなこれは…)

つまり、これには


入試においては、自分の能力を補助するものとして、時間を測るということ以外には、自動翻訳ソフトはもとより、記憶・計算などの知的活動をサポートするもの、IT機器はもとより定規・コンパスさえ用いてはいけない。

という意図が込められている。これは京大の例だが、東大、そして、おそらく他の大学も同じだろう。

ところがである。人工知能はもともとがIT機器なので、その存在自体が、この意図と矛盾してしまう。つまり、どの様な形態で受験しても、京大のルールに従うとAIが、その中に計時機能以外のIT機能を持つので、それだけで失格になってしまう。
#で、これは将来、チップを皮下に埋め込むようになるだろう、究極のウェアラブルができたときには、
#今の入試システムを維持するのがほとんど無理・無意味になるかもしれない、ということも意味している。
#つまり、人間がIT化してしまったら、サイボーグ化してしまったら個人の能力とは何なのか、
#という大きな問題が湧き上がってくる。これは、すでに、オスカー・ピストリウスの場合のように、
#身障者の人が能力を非常に高める補助具を使ってスポーツ競技を行うことをどう考えるかというのに
#共通する問題。一時問題となった高速の競泳スーツの問題もこれと類似。これは「衣服」なので、
#あまり問題とならなかったが、骨格・表皮・体毛に手を加えて抵抗を少なくしたのだとどうか。
#実はドーピングはなぜいけないのかという様な問題さえ出てくる。「新イデアリズムの時代」となるはずの、
#これからの時代、こういう問題はどんどん出てくる。話を戻して…

コンピュータ、人工知能には、当然ながらクロックがあるだけでなく、自動翻訳とか計算機能が備わっている。京大の入試では、そういう機能がある時計を使っていたら、それだけで不正行為になりますと、室長が注意する。ということは、そういう機能があるのが当たり前のコンピュータ、人工知能は、入試に挑戦した段階で、その存在自体が不正行為とみなされてしまうことになる!!つまり、合格云々という前の段階で弾かれてしまうのである。

しかし、そもそも人間でないので、受験資格の所で弾かれそう。高校どころか小学校も行ってないのだし。でも、文部科学大臣が認めると受験できるので、その手もある。などなどと考えが連鎖。

で、結局の所、一番可能性があるのは、東大に協力をお願いして、AIが作った解答を、誰かが手書きでそれらしく書きうつし(答を準備するためのメモもあり、これも採点対象となるらしいので、そちらもそれらしく偽造する!)、それがAIの解答であることを伏せて、採点の教員に解いてもらい、それをそのまま教授会にかけて、合否の判断をしてもらう。これならば「人工知能は東大に合格した」と言えるだろう。

もしやれたら凄く面白い。でも、東大は、これは嫌ってやらないだろうな、などと考えていたのだが、一日目の数学(文系)の問題を見ていて、東ロボ君プロジェクトの話を聞いて、僕が、そして、多くの人が考えたであろう、その社会的意味と、実際の社会的意味が大きくずれているらしいことに気が付く。

僕が、そして、多くの人が、直観的に思う、このプロジェクトの社会的意味は、「AIは平均的な人間並の知力をもつか、あるいは、平均的なそれより賢い、ということが示される」ということだろう。しかし、東大が協力して、上の様な意味でAIが合格しても、そういう結論にはならないのである。

で、このように思うようになったきっかけの問題は、僕が監督していた文系の数学の第4問の(2)。実は、これはAI/ITには、最も簡単な問題なのだが、人間には難しい問題であり、その故に数学の入試として良問なのである。まず、そのことを以下で説明する。

その問題は、これ http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/14/k01-23p.pdf

実は、このPDF文書の問4の(2)と問5は、単に定義に基づいて計算するだけで答えがでる。もちろん、出題者たちは、それを求めて出題しているのではない。ここがポイント。それは後で説明するとして、どれ位、これがAI/ITに易しい一方で、人間には難しく、その故に受験生の数学の能力を試す問題になっているかを説明しよう。

まず、これが受験生にとって難しいということは、予備校の解説からわかる。駿河台予備校の分析シートでも、代ゼミのこのページにある概評でも。今年の京大文系で、最も難しい問題という評価であることからわかる。(今は、両方ともリンク切れ)

しかし、実は、この問題は、数値を求める問題なので、コンピュータの数値計算能力を使うと、全問題中、おそらく最も易しい問題なのである。普通のPC上のExcel があれば、5分程度、おそらくは2,3分で答えがでてしまう問題なのである。

これが、そのExcelによる解答:xlsx, xls

もし、受験生が、この様な数値計算による正解を書いたら、京大の数学の採点者がとる自然な行動は、「この受験生はコンピュータを使う不正を働いた可能性が高い。この様な計算を人間ができるわけがない」という風に考えることだろう。つまり、先に説明した時計を巡るルールの背景意図にある不正が成されたとみなすに違いない。

たまに、フォン・ノイマンのように、そういう計算をする能力を持つ人がいるので、もし、そういうケースだと分かったとしても、多くの採点者は、駿河台などの回答例にみるような、計算をほとんどしない回答でないために、そういう計算の天才の回答に低い点をつけるだろう。センター試験とか私大の試験だと、答えだけを書かせるが、本来数学者ならば、答えが全然間違っていても、考え方が「賢ければ」良い点を与える。大体、ノイマンのような人を例外として、数学者は数値の計算が苦手な人が多い(式は別。)つまり、現代の数学者には、数値計算はアホらしいという価値観がある。これが、映画(小説も?)の「容疑者Xの献身」で、犯人になる大神が学生時代に湯川に言う「四色問題の(コンピュータによる)解決は美しくない」という価値観。実際の数学者の多くも、こういう価値観の人が多い。(大部、変わってきているらしいが。)

もし、ノイマン的な計算能力で4の(2)を解いた学生が数学科を受験した学生(これは文系の問題なのであり得ないのだが)だったとしたら、京大の数学の採点者は不合格点をつけたいだろう。計算能力だけ高い人は、現代の数学科には全く合わないからである。また、文学研究科・文学部の教員としても、そういう人は入学して欲しくない。もちろん、国語・英語の能力が高く、おまけとして、そういう計算能力があるのならば、是非、合格させたいところなのだが、数値計算の能力だけならば、文学部においては邪魔にはなっても、プラスにはならないからである。そういう能力は補助の能力に過ぎず、僕ら京大文の教員が期待している能力とは全然違うのである。

という風に、考えれば、人工知能を東大に合格させる、という命題は、例え、上に書いた一見よさそうな方法で実現しても、実は、「私の自動車は、ウサイン・ボルトより速く走れる」と言っているのと同じようなこととなる。もちろん、そういうことに意味を感じる人は少ないだろう。逆なら別だが(つまり、「ウサイン・ボルトは、自動車より速く走れる」ならば多くの人がへ〜!と感心するだろう。実際、ボルトは瞬間的には時速40km以上で走っているらしく、市街地の車よりは速いらしい。へ〜ッ!)。

これがどういうことか説明してみよう。

世の中は、多くの場合誤解しているが、入学試験というのは、ある人の実用的能力、また、大学に入ってからの学習、さらには研究大学ならば、将来、研究者になったときの能力を、絶対的に測るためのものではない。そういうのは、誰にも事前には測れない。AO入試とかでも、実は駄目。実際に長期間学習させてみないとわからない。だから、本当はアメリカの様に沢山いれて、入学後にドンドン落として大学をやめさせる、下位の大学に移ってもらうというのが一番良いと多くの教員は思っているはず。研究者養成が目的の場合は特にそう。

たとえば、以前勤めていた京大の理系の研究所で世話をしていた院生A君が、大変いい人なのだが、こと研究になると、やる気も能力も全然なくて修士論文も書くことができないので、指導しているものとしても大変に困っていた。そのとき別の院生B君(後に東工大の先生になった)が僕に話してくれたところでは、A君はB君も出た有名進学校で開学以来の神童と言われたそう。どうして、A先輩ができないのだろう、と後輩のB君は不思議そうな顔をしていた。しかし、実は、これは一流大学の大学教員は良く経験することで、僕は、今まで何度も経験した。京大文の同僚たちも、皆、同じように思っている。

ある人が、あることに、能力を持つかどうか、それを測るには、実際に、それをやらせるしかない。しかし、それが社会的条件で無理だから(たとえば、研究をしたいという人を全員院生にするのは無理。特に京大でそれをしたいという人を全員京大にいれるのは物理的に無理。キャンバスの面積、教室、教員、すべてが足りない。)、「その条件を満たせば、多くの場合、本当に欲しいと思う能力が、それを満たさない人より、圧倒的な場合に多い」という「条件」を見つけてきて、それを使って蓋然的に能力を測っているのである。まあ、天気予報、市況の予測、のようなものでしかありえないのである。

で、そういうコンテキストで考えると、京大文系数学第4問は、全5問の与えられた時間が計2時間であり、また、解答を書けるスペースが下書きを含めてもB5で10ページであり、また、受験生は人間であって、計算のための機械的補助を一切使用していない、という前提で、その条件下で、どれだけの知的能力を発揮できるのか、ということを見ているのである。つまり、スポーツで、ドーピングは禁止、特別な競泳スーツは禁止、などというのと同じわけである。しかも、スポーツの場合は、それ自体が目的化していて、それに優れたものは職業的スポーツ選手になり経済的にも成功することができるが、入試の場合は職業的受験生などというものはないので、事情が大きく違う。つまり、こういう「人間の学術的知的能力の可能性を蓋然的に測るために作られた知的ゲーム」に、IT,AIが「合格」するということには、それだけでは、社会的意味はなくて、AI研究者のために人工的に設定したゴールというだけに意味を持つ(ただし、それを応用して、工学の現場などで簡単な問題を解けるようになると社会的意味を持つ。実は、こういうことは、すでに色々なソフトにより、かなり実現されているので、これに役立つ可能性は高い。例えば、Mathematica や MatLab など)。

東ロボ君プロジェクトの意味は、Watson のケースの様な明確な実用的アプリの意味を持たない可能性が強く(これは最初から良く指摘されていたこと。ワトソンの方は、商業化が進行中らしい。しかし、実現できたら、かなり応用もあるのではと、僕は思う)、新しい技術が生まれるときの社会に向けてのアピール、あるいは、研究者が仕事を進める上での便宜的ゴールなのだろう。NIIでは技術の中心になられているらしい宮尾さんという方が、研究のために立てたゴールだと発言しているので、それで良いのだと思うし、人間とAIの能力の質的違いという、H. Dreyfus の古典的AI諭の問題に良い貢献をするのではないかと思う。

問題は、それをどう社会の意見、実際にはマスコミの評価、と調整するかだろう。妙に乗ってしまうと、FGCSでの渕さんの場合のような悲劇となるかもしれない。あるいは、日本の大学システムの問題が浮き彫りになるという、「予期せぬ」結果になるのかもしれない(新井さんは実はこれを狙っているのではと僕などは思ってしまうが…)。つまり、私立大学の高い偏差値のカラクリ(注1)が広く認識されるとか(すでに初年度の成果報告で、これが解るのだが、マスコミは気が付かないらしい…)、最初の意図と逆の方向の結論、つまり、AIが人間なみに賢いという結論ではなくて、「日本の中堅以下の大学はいまのままでは存在意義がない」というような結論になってしまうかもしれない。(注2)

しかし、分析が進み過ぎて、山口さんの本の内容とはあまり関係ないAI諭まで来てしまった。

山口さんの本の原稿に戻らねば…(^^;)

注1.これは龍谷大学の教員をやっているときに気が付き本当に驚いた。そのころはまだ平成の最初で、沢山の大学を受験する人が多く、合格しても辞退する人がすごく多かった。そのために、追加合格を出すための教授会が頻繁に開かれ、ある年などは、3,4回、もしかしたら、もっとやったような気がする。つまり、私学に実際に入学する人のかなりが追加合格の人たちなのだが、教授会が追加合格を出す前、最初に合格して、実際には、より上位の大学に入学する人たちの成績が、正式な偏差値として発表されているらしい。これが当時、産近甲龍の偏差値が東北大並だったことの仕掛けだった。慶応でさえ、あまり事情は違わないらしいし、今も、大きくは違わないらしい。当時、広島大学であった学会に行った際、乗ったタクシーの運転手さんが、僕が京都から来た大学教員だと知って、「先生、私の息子は京都産大に入ったのですが、偏差値が東北大より上ですよ。たいしたもんだ」と、凄く嬉しそうに話しておられたのに、僕は「(゜-゜)うーん」と黙るしかなかったことがあった。

注2.存在意義がないとは、僕は思わない。ただ、今のままでは駄目で、中堅以下の大学では、もっと実学に力を入れるべきだと思う。むしろ、大学レベルでの実学教育の社会的ニーズはどんどん増えている。大学生が専門学校に通うのがその証拠。これは、それより上の神戸大クラスでも考えないといけないこと。神戸大工にいたときは、僕は公にそう主張していたが、誰も賛成してくれなかった。これも神戸大工が嫌になった理由の一つ。背伸びをしなければ実績も多い良い学部なのに…


2014年3月5日(水曜日)

入学試験と人間とIT・AIの能力 その1

25,26日と京大の入試で監督。27日にIPAで社会とITの関係について講演。3日もハードな仕事が続き大変だったが、お蔭で2つ、思いがけない収穫を得た。それを忘れないように記録。長くなるので、幾つかの投稿に分割。ひとつは社会におけるITの複雑性、もう一つは、SMART-GSの様なデジタル・ヒューマニティ―の地震学・火山学への応用の可能性。

IPAの講演では、ITがなぜ「社会的に複雑」かを説明したくて、講演開催の担当者の方には悪いのだが、資料送付のデッドラインを無視して、色々考えていた。

で、いつものことながら、悟りは足下にあり! :hammer:

僕は年齢の関係で試験監督の室長の仕事が毎年のように来る。監督の要領は毎年微妙に変わるので、試験の前日に細部を舐めるように分析しておくのだが、いつもアナウンスする「時計」についてのアナウンスで面白いことに気が付いた。

室長マニュアルに従い、「机の上に置いてよいのは、黒鉛筆、シャーブペン、…時計、ただし、計時機能のみのものに限ります、…」というような意味のことをアナウンスすることになっている(要領はIDがついていて、試験後に回収されるので記憶によるもの)

これを見て、NIIで新井紀子さんをリーダーとしてやっている「東ロボ君」のことを思い出す。このプロジェクト、社会とITの関係を考えるときに大変に示唆的で面白いのだが、「東大に合格」ということの意味を定義せずに進んでいるようで、果たして、やっている人は、「入学試験」というものの社会的複雑性・社会関係性に気が付いているかどうか、もしかして、FGCSの時と同じように(注)、それを無視して単純に技術としてやっているのではないか、それが後で社会から叩かれる原因になるのではと気になっていたのだが、京大の入試におけるルールが、上手く、その疑念・心配を表す例になりそうだと気が付く。そうだと、IPAでの講演で使えるわけだ(実際に使った)。

東ロボ君プロジェクトのモデルになったのは、明らかにIBMのWatson projectだろうが、この際にも「コンピュータは回答するためのボタンを押すという行為を電子的にできる。人間は力学的にそれをしないといけない。これは人間に不利で不公平だ」という objection がでた。

つまり、「TVのクイズ番組、 Final Jeopardy でコンピュータが人間のチャンピオンに勝利する」という目的の意味が、どこにあるのか、例えば、本当に全く同じ条件、つまり、コンピュータにも「腕」があって、それで回答用のボタンを叩くという条件を課すべきか、というよう問題が生じたわけである。(こちら参照)

この例を元にすれば「東大の入試において人工知能が合格する」という東ロボ君プロジェクトのゴールの意味が、非常に不明瞭になることがわかる。プロジェクトメンバーの方たちは、ロボットが他の受験生と机を並べて、つまり、人間と同じ条件で、受験するのではありません、ということを繰り返し述べられている。IT関係者のひとりとしては、僕も、これはそれで良いと思うが、NHKで、このプロジェクトをモデルにした寸劇をやっているなかでは、実際にアンドロイドが合格して、学生と一緒に講義にでているということになっていた。いくら説明しても、社会は、そういう風に取る傾向が強いだろうから、十分な説明が必要だし、「人工知能が○○に合格する」という言葉の意味を詳しく定義しておかないと、注に書いたようなFGCSでの過ちを繰りかすことになりかねない。

で、最初は僕は「人工知能が○○に合格する」の意味のある定義はできるかもしれないと思っていたのだが、この時計についてのアナウンスを手がかりに分析を続けたら、入学試験というものは、Final Jeopardy の様な「人工的にシンプルに設定された」クイズ番組と異なり、実に社会的に複雑で、社会が納得する合理的な定義が不可能そうだと思うようなった。

この「人工知能が○○に合格する」というフレーズは、「ITがらみのことが、社会的になりがちで、しかも、そのために、それは非常に複雑で、社会的に統一した判断を下すことが難しい場合が多い、そのためにITの、特に SIer 系、エンタープライズ系のプロジェクトは困難に陥ることが多い」という、僕が日頃主張している意見を、非常にうまく説明していることに気が付いたわけである。

で、これを、4月から京大思修館(現同志社ビジネス・スクール)教授になる山口栄一さんに依頼されている、イノベーション関係の本の第2章(1章は一橋の中馬さん)に使うことにし、さらに分析を続けていったら、面白いことに、入試第一日目に、まさに、ドンピシャの問題が出題されていた。で、その内容を忘れないように、ここに書いている。

長くなったので、続きは、別の投稿…

注:通産省のFGCS(第5世代コンピュータ)プロジェクトが成功したか失敗したかは意見が分かれている。以前調べたら通産省を継いだ経産省関係では成功したとされているらしいが、総務省の研究会の資料などでは失敗と書かれていたりする。プロジェクトメンバーが困るほど持ち上げたマスコミは一斉に「失敗」と書き立てた。僕は最初からマスコミが書くような目的は達成できないと思っていたが、当時の若手人材が世界のトップレベルの研究者と日常的に交流できる場をつくり、それにより、日本のITの世界を世界レベルに持ち上げる効果は絶大だった。戦闘機を何台か買うと飛んでしまう位の金額を、10年間、そういう学術に投入するのは決して高くない、とプロジェクト当時から言っていたし、マスコミが失敗と言うようになっても、僕は成功と言い続けていた。多分、そのことがあって、プロジェクトのリーダー、渕一博さんが亡くなって1年後の追悼集会で基調講演を依頼されたのが、今度は歴史家として発言しないといけないので、色々史料を集めて、分析したところ、「これは失敗という他ない」という意外な結論に到達した。その理由は、WIKIPEDIA(2014/3/5)にファイゲンバウムの評価として書かれたこの文章と同じ趣旨:

第5世代は、一般市場向けの応用がなく、失敗に終わった。金をかけてパーティを開いたが、客が誰も来なかったようなもので、日本のメーカはこのプロジェクトを受け入れなかった。技術面では本当に成功したのに、画期的な応用を創造しなかったからだ。

これはプロジェクト後の評価だが、実は、ほぼ同じ結末が、プロジェクト前に、ヴィノグラードさんの1986. Understanding Computers and Cognition: A New Foundation for Design (with Fernando Flores) で予見されている。ただし、この二人の研究者の意見(それは僕の初期の意見でもある)と、一般社会の意見が分かれるのは、ハードウェアはできたので成功、という判断だろう。社会の場合は、ハードができても、それが使われなかったら失敗とみなされる。

そのハードの話は別として、なぜ、FGCSは失敗とみなされるべきだったのか。日本のIT研究力を底上げする効果は絶大だった。また、確かに並列の論理プログラミングベースのプラットフォームは、あまりに巨大ながら一応完成した。マスコミが書き立てないプロジェクトならば、これ位の費用(一年に約60億円)でも、それほど非難されなかったはずだが、問題は、FGCSが社会に強くアピールしていた点だ。FGCSのキックアップの集会では、社会的にこういう効果が生まれるという、生み出すべき成果が、数多くうたわれていたのである。また、当時のFGCSの社会的な扱いには、すごいものがあり、渕さんは世界的有名人になった感があった。つまり、FGCSは、社会的アプリケーションの可能性を見せることにより、明らかに、社会的な後押しを得ていた。それが望んでの事か、望まなくての事かは、別として、確かに存在したそれを利用していたことは、集めた資料から明らかだったのである。これに気が付いたところで、愕然としたが、歴史研究者としては意見を変えざるを得なかった。しかし、昔の知人たちには悪いので、失敗だったと明瞭に言うが、でも「さりげなく言う」ことにして、基調講演で「失敗」と言った。なるべくさりげなく言ったためか、古川さんたちの旧メンバーの大半からは反発はなかったが、ある中心メンバーからは、非常に強い反発が来た。彼の言い方では、渕さんが実現すると言っていたプラットフォームは確かにできたのだから、成功だというのである。もちろん、そのころ若くて、プロジェクトの立ち上げメンバーでさえなかった彼にFGCS/通産省の約束の責任を押し付けることはできないのだが、しかし、その約束による社会的恩恵を受け続けた組織の中心的位置にいた以上、その責任を引き受けたことになるので、社会的意味では失敗とされることを引き受けなくてはならないと僕はおもう。ここの意見は、分かれたままで、議論の結論はでなかった。


2014年1月26日(日曜日)

さきがけ領域会議 特別講演

25日に、アドバイザーをしているJSTさきがけ「知の創生と情報社会」の領域会議で特別講演。

http://www.shayashi.jp/ で公開:
「JST さきがけ、知の創生と情報社会、2014年1月領域会議特別講演版 社会とソフトウェア:あるソフトウェア工学者の経験」
のリンク。リンク先は、
http://www.shayashi.jp/Sakigake20140125.pptx

この領域はビッグデータなどに関連した人も多く、たとえば、中心的なアドバイザの一人に
統計数理研究所の樋口さんが入っている。僕は、そちらは疎いソフトウェア分野の人間だし、
なにより、そういう理工系の研究を完全に止めてからかなりたつ。

現役バリバリで、ソフトは利用するだけで、研究対象ではない研究員の
人たちに向けて、意味のある話をするには、どんなテーマが良いか
相当に悩んだ。研究者向けなので、僕が研究分野をコロコロ変えて来た話が
面白いかなとも思って書き始めてみたのだが、何か世間話のようなスカスカ
した議論になって面白くない。

で、この領域では、自分の研究を社会にどう生かすかということを
真剣に考えている研究員が多いことに思い至り、
そういう話をすれば、話題がソフトウェア工学でも参考になるだろう、
ということで、2年前のSPI2012の講演を研究者向けにエディットして
話した。

結果、大変反応が良く、非常に本質的な質問・議論の、質問攻め議論攻めにあう。
#講演して、こういうのが一番うれしい。(^^)

ソフトウェア業界だけでなく、この社会では、特に日本社会では、
みなさん、同じ悩み・問題・障害を抱えていることを実感。

みなさん、頑張りましょう。応援するよ。僕でできることがあれば
駆けつけます。まあ、大した力はないけど。(^^;)


2013年12月10日(火曜日)

岩波文庫 不完全性定理 修正予定・検討項目記録2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時04分43秒

久しぶりに、解説を大量に読み返してみて、執筆時に比べて僕の歴史認識が基本的部分でかなり変わっていることに気が付く。

最大のものはクロネッカーの位置づけか?エドワーズはクロネッカーの主張は有限主義が中心ではないとしているが、以前は、これに些か疑問を持っいたので、それが記述に透けて見えている。しかし、数学の近代化研究が進んで、エドワーズの意見が腑に落ちて来るようになり、クロネッカーは要するに極端な近代主義者・科学主義者なのだと思えるようになったので(ただし、数学のやり方は、解る人にだけ解ればよい、自分の独白でよい、というスタンスであるという意味で「非近代的」)、その辺りのこと(下の1)を書き直したい。また、これとある意味で対称の位置にあるが、ヒルベルト、特に彼の数理哲学が、今から見れば、19世紀的な思想、ある意味で新カント派の時代的、代表的例で言えばヘルムホルツ的な思考法を1920年代でも引きずるものであり、それがゲーデルの不完全性定理によりあらわにされた、という現在の僕の歴史観からすると、「うーん。こんなこと書いていたか… (゜-゜)」と感じるところが幾つかある。こういうの治したいな…。そういうのが無い様に、慎重に書いたつもりだったけれど、やはり解釈がどうしても入る。まあ、以前は、歴史的史実と歴史解釈は、なんとか分離できる、困難でもやってみせる、という風に考えていたが、最近は、これは完全にやるのは無理という風に思う様になっている。そういうこともあるな…

しかし、これと同じことだけど、この数十年の歴史学の進歩(スピードとスケール)は、本当にすごい。それで一般向けの本でさえ、「昭和の歴史教科書と平成のそれは凄く違う」というのが沢山でている。先日も、全然関係のない情報技術振興政策の仕事で訪ねてこられた方が、僕と世代が同じなのだが、高校生のお子さんをお持ちだそうで、「息子の歴史教科書を見ると、自分たちのときのものと、あまりに違うので驚く」という意味のことを言っておられた。僕は、そういう歴史の書き換えを、教授会とかで、いつも聞いているので(学位論文審査要旨説明)、これが当たり前になっているが、翻って考えてみると、驚くべきことだろう。何か理由があるのだろうか?それとも僕の認識が貧弱で、過去も同じようなスピードとスケールでの書き換えが常態的にあったのだろうか。これ、ヒストリオグラフィーの問題。だれか卒論か修士論文でやらないかなー。

と、毎度の、お喋りは、これまでにして、記録、記録!

1.2.4節「無限への批判」で、特にp.98あたりで従来の「構成的対非構成的」の視点が強く出過ぎている。これは、実は、ヒルベルトの視点である可能性が高い。クロネッカーを見てみると、構成可能性への言及は、実は、非常に少ない。数学論文でライバル関係のデーデキントのイデアル論を脚注で批判するところ位の様に見える。纏まった「数学思想」論文(講義録)が二つあるが、このどちらでも、構成可能性は、ほとんど議論されていないと思える。<= これ厳密にチェック!! 一方で、ヒルベルトは、「自分の若いころ、自分たちの周辺では、クロネッカーの意見に従って、構成化するのが流行っが」と書いているが、これはかなり後のことで、ヒルベルト以外には、同じような記述がみられない。とすると、実は、これは、ヒルベルトの意見だった可能性が高い。我々は、ヒルベルトの、そして、それに影響を受けたブラウワー、さらには再帰関数論を経た realizability 解釈などの目を通して、アナクロニズムをやっている可能性が高い。おそらくは、クロネッカーにおいて重要だったのは、代数学的思考法のモードの方で、構成性は、それのおまけ、アンドレ・ヴェイユが、ヴェイユ予想などの整数論・代数幾何の、自分(たち?)の研究を振り返って、なんと有限的なのだろう、とリフレクトした、そういう感じでの構成性、である可能性が高い。このヴェイユ関係の数学をやっている数学者のご意見を伺うと、エドワーズ的視点を持っている方が多いように思う。まあ、エドワーズ自身が、Divisor theory を書いた、そういう分野に数学者である(特異ではあるが)、ともいえるので、そういう分野の標準的見方か?
 で、そういう視点からすると、100ページの「この様な奇妙な現象や、無限にまつわる宗教的理由により、無限集合を数学の対象から排除するという伝統がヨーロッパには長くあった」のフレーズは、良くない。あたかも、クロネッカーのカントール忌避の裏に、宗教的理由があったというような印象を与える。ここは、通俗史観に汚染されている。こういう伝統があったのは、間違いないだろうが、19世紀、特にドイツでの無限忌避は、実は、近代主義者的合理性の発揮である(ゲーデルの歴史観)とする方が歴史学的合理性がある。この辺りの書き方は、全面的に見直すべきだ。

2.同様に、ヒルベルトの19世紀的科学主義的・新カント派の時代的思考法(その当時の有名な例をつかって、「ヘルムホルツ的思考法」というのは、どうか?しかし、他にデュ・ボア・レイモン的とかブント的と言ってもよいかも。「デュ・ボア・レイモン的」にすると、その思想に強く反発したヒルベルトの思想も、実は、同じ傾向の思想の中の意見の相違に過ぎず、実は、Wir müssen wissen. wir werden wissen は、面白いことに「デュ・ボア・レイモン的」ということになる。これ面白いかも。(^^)アン・ハリントンが指摘した(p.99) Karl Wilhelm von Nägeli-Constantin von Monakow の wir wissen und wir werden wissen という発言も同じく「デュ・ボア・レイモン的」となる。ウーム。面白い!発言者の研究分野がモナコウ・ネーゲリの場合は同じ生物・医学関係なので、ヒルベルトよりさらに典型的か?
 で、これに関連してpp.261-2 で、ヒルベルトの「基礎論傾倒」が、パラドックス契機ではないか、その背後に不変式論での経験があったのでは、という所は、不十分で、彼の19世紀的なヘルムホルツ的思考法を付け加えるべきだ。

3.6.2節のZilsel講義の内容の引用で、p.254の「この講義でゲーデルは、ヒルベルトの無矛盾性証明の目的を(A)…(B)…の二つからなると主張した」というところ、これは「ゲーデルは、ヒルベルトが、こう言った、と言った」という文章になっている。これは間違い。ゲーデルは、そこまでははっきり言っていない。これは講義録末尾(全集版では最終ページ)にある議論で、「もしヒルベルトの計画が最初の方針どおりできていたならば、(A)(B)の両方が達成されるはずだった」と書いている部分。
 「万人が納得するような原理への還元」(…auf…einigen..なので、逐語訳ではagreeなのだが、ここは納得とか認めるの方が自然だろう)という(B)の方は、ゲーデル全集編者が脚注(ee)で、ヒルベルト1926のある箇所の paraphraseだと注記しているように(下記)、ヒルベルトは、そう言っていて、(A)の方は有名な主張だし、それをゲーデルが書いているとみなしてよいのだが、厳密に言えば、ゲーデルは、そういう書き方をしていないので、「ヒルベルトの無矛盾性証明の目的を」を「ヒルベルトの無矛盾性証明の意義を」にする方が良い。これは次回の刷で直ぐに直すこと。渕野さん書評を見ていて気が付く。ただし、渕野さんは、これが講義録の最初の方の別の文章のしかも翻訳だと誤解して議論している。実際は講義録の最終部分の議論の解釈。
記:編集者というのは Siegさんと Parsons。編集者が指摘した該当箇所はÜber das Unendlische M.A.版の180頁、第2パラグラフ。… auf einer konkreten Basis, auf der sich alle müssen einigen können…というところ。仲裁裁判所 Schiedsgericht での仲裁に例えている。ゲーデルのは、auf eine konkrete Basis reduziert worden, auf die sich alle müssen einigen können. なので、ほぼ verbatim。ここまで忠実に引用しているとは… やはり、ゲーデルはヒルベルトを大変に良く読み込んでいる。
 修正は「


2013年11月18日(月曜日)

2013年11月田辺文庫(群大)調査&撮影

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時12分39秒

2013年11月田辺文庫(群大)調査&撮影メモ

1.手帳とノートが中性紙のボックスに入った。他の史料の置き場所が変わったらしいが
 週末でバイトの学生さんしかおらず、その場所を聞けず。後で、お礼&確認のメールを土師さんに送ること。→ 2013.11.26追記:燻蒸中と判明。
2.ScanSnap SV600での初めての史料撮影。その結果:
2.1.解像度が思ったより低く、自分の研究程度には十分かもしれないが、EOSやプロのカメラで
 撮影している京都学派アーカイブの既存の写真との落差が大きすぎて使えない。
2.2.実際にたくさんの画像を撮ってみると、試にスキャンしたときの印象と違い、スキャン速度が
 遅い。通常、1日には500枚くらいは撮影するだろうから、1枚が1秒以下か数秒かは大きな違いを
 作る。
3.昭和20年代の手帳の撮影のみを行ったが、この程度では60センチ台の撮影用支柱で十分。
 綺麗な画像がとれる。ただし、天井灯の光をふせぐために考えた白のボードは機能せず。結局、
 天井からの光の遮断は行わずに撮影。うまくいかなった理由:光が強すぎる。おそらく白いボードによる光の
 散乱と屋根を付けることによりランプが近づきすぎたのが良くなかった。また、ランプが近づきすぎるために、
 無反射ガラスにランプが映り込む(ただし端のみ)など。
4.この3に反して、SV600付属の撮影用の黒い「背景マット」FI-V60BP
 http://www.pfu.fujitsu.com/direct/scanner/detail_cable_v60.html#a
 はカメラの撮影においても大変有効。
4.1.今後、このマットを撮影に用いる。切り込みも支柱撮影の場合はちょうど良い。
4.2.携帯可能な撮影用の箱を、スチレンボードと、FI-V60BPと同じような材質の黒い布で作ることを考える。
参考 http://www.qidenus.com/product/smart/
5.手帳のページめくりによる置台の上下について:片方を下げ、もう一方を上げるというの諦めて、
 左のみ下げたらどうか?摩擦の少ないシートを両方に変動する量を左のみに2倍積み重ねておく。
 右には1倍の高さになんでもよいから置いておく。そして、左にページを繰って行くと左が上がり
 過ぎるので、左のシートを引き抜いていく。右が史料の厚み分だけ上がっているので、後は引き抜いて
 いくだけで最後まで高さをほぼ平坦に保てる。ただし、史料面の高さは変わるのでフォーカスを変えない
 といけないことには注意。
  摩擦の少ない比較的廉価なシート http://www.haikanbuhin.com/shopping/detail/60342/?gclid=CPu0i5Cc7boCFQPipAodxDQABA
6.昭和20年代の手帳を撮影。その内容について。
 番号は群馬大図書館田辺文庫手帳の通し番号
#49 S22.2-5月
 #50 S22.6-8月
#52 S23.1-6月
#51: 1948(S23) 1948.10.22-24という記述が本文最初の行にある。しかし、税の計算などなく、
  あきらかに日記ではない。後のものと思われるタグがはられてあり、「哲学入門草稿?」と書いてある。

  おそらく、#50と#52の間のS22.8.9−年末までの日記は失われている。
 他の手帳の間にも同様の切れ目はないか?
 #53 1948.7-9月
 #54 1948.10月-1949.2月
 #55 は夫人の住所録とみられる
#56 1950.1-3月

 ここでも1949.3-12月が失われているのか?それとも日付は田辺元本人のものではない?
 悉皆調査を行うこと!!
7.#56に集中して西田哲学への考察。Nov.22のページ(記載日とは関係なく手帳の項目の日付)には
 「西田哲学対論」というタイトルのようなものもある。田辺の発表論文・書籍との対応をとる。


2013年11月10日(日曜日)

岩波文庫 不完全性定理 修正予定・検討項目記録

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時13分48秒

1.ヒルベルトがデーデキントの方法を genetisch と呼んだ理由。実数の一つ一つが自然数から対や集合を使って、細胞からひとつの
生命体が作られるような意味で発生、という風に説明している。しかし、ヒルベルトは引き続く数概念の拡張 successive Erweiterungen
des einfachen Zahlbegriffes と書いているので、一つ一つの数ではなく、複雑な概念が、単純な概念から進化発生していくというイメージ
の方が強そうだ。段階的に発生するのが数概念であるという風に書きあらためる。八杉の数学概念の拡張についての哲学論文の原稿を読ん
でいて気づく。八杉がテーマにしたデーデキントの Habilitation thesis をヒルベルトが読んでいる可能性も大。図書館にいけば簡単に
読めたろう。本人に直接聞いた可能性もある。… そういえば、デーデキントとヒルベルトの直接の交流の逸話が殆ど知られていないのは
不思議だ。デーデキントは1894年に引退している。1890年結成のDMVでもこの人物の影は薄い。控え目なデーデキントは活躍し始めた
ヒルベルトと交替する様に数学のシーンを去ったのだろうか?

2.上記の修正は少し長い文章の追加が必要かもしれない。出版から少したって、新しい研究成果なども出て来たので、「哲学か、数学か」の節の
様に、書き直したい節などもでてきた。この節で、未解決と書いた、ゴルダン問題の解決時期と可解性ノートの時間的前後関係は、Max Noetherの定理の
一般化(つまり、今でいうNullstellensatz)についてのメモをキーにして、一応解決している。Corryの物理学の公理化の本の話とか、入れたい所。
岩波はOKと言ってくれるだろうか?
#文庫の解説が、部分的に、時々ながらも、書き直されるのは、嫌がられるかも…  :-(
#どれくらいのコストがかかるのかな… 昔と違って植字しているわけではないしやすいのでは。
#僕の古い本は明らかに手で組んだ植字で、そのために文字が上下に揺れている。(^^;)
#PXの本はレーザープリンターでTEX原稿を印刷して版を作った
#極く初期のもので、綺麗なレーザープリンターが高価でMIT Pressにはないので、AMSのプリンターを
#使って印刷するのだと聞いた。今は、それくらいのプリンター、学生でも買えるだろう。隔世の感…


2013年10月31日(木曜日)

来年度特殊講義予定2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時10分57秒

西谷:回互、田辺:切断の思想の関係論に、西田の「非連続の連続」論も関係づける。
非連続の連続は、おそらく、昭和8年(1933)の「哲学の根本問題」と翌年の続編、で登場しているので、
田辺の種の論理をわずかに先行している。その議論は、田辺の種の論理の種と個の関係とよく似ているが、
よりオーダー(時間順序)に強く注目しているようにも思える。そこらあたりを分析。
彼等を明らかに先行しているのが、シェーラーであり、ハイデガー。また、ベルグソン、ブラウワー。

西田とも比較すべきこと、藤田先生の suggestion。どうもご自分でも考えて
おられたのかも。田辺と西谷の関係は、Rickert の自然科学の限界論への Cassirer の批判
と似ており、西南学派とマールブルグ学派の対比とも関連付けると面白そう。


2013年10月25日(金曜日)

歴史学の未来

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時37分03秒

来年度の情報技術演習I,IIの擦り合わせのために関西大学喜多さんと相談。

その際、歴史学者の能力(喜多さんの言葉では expertise) や digital humanities の話になり、数十年後の歴史学が、史料が電子媒体に主に記録されていることにより、
大きく変わるのではないかということで意見が一致。

それについて、僕は、現代史の小野沢さんとの議論を通して、あまりに膨大な史料が残ると歴史学がビッグデータ解析になってしまわないか、その際に、僕らのような
史料ベースの研究を行う、つまり、テキストを深く読む能力で生きている人間は能力を発揮する場所がなくなるのではないかと思っていたのだが、喜多さんは、そんな
ことにはならないという。その理由は、たとえばオバマの意思決定は、オバマが残した記録の読み込みでしか解明できないからというもの(オバマという例は、ただし、
僕のもの)。

これは正しい!僕は完全に思い違いをしていた。データの数が多くなるということだけで、なぜかそれがフラットなWEBのようなものだと誤解してしまっていた。
考えてみれば、一国の意思決定のほとんどの部分は少数の人々によってなされる。つまり、史料の重要性にはムラがある。そのことを考えれば、歴史研究の中枢部分は、殆んど
変わらない。しかし、たとえば、太平洋戦争、第二次世界大戦を引き起こしたのが、軍部だったのか、国民だったのか、そういうことの分析は、今まで量の問題で
できなかったようなことができるようになるかもしれない。そういう部分にも、僕らのような歴史学者のスキル(expertise)が生きるのではないか、というのが
喜多さんの意見(ただし、太平洋戦争云々というのは、僕が考えた例)。これも実に納得!!!

となると、SMART-GSのようなテキストを読む人の力を増強するためのツールは、そういう歴史学の仕事に大変役に立つものになるだろう。
そういう機能を考えるのも面白そうだ。

しかし、喜多さんは、まるでリッカートのような議論をしていた。理系の人はジェネラルな方法で自動的に問題を解決したがるが、
歴史家は、一つしかない歴史を相手にするので、それと方法が全く異なる、というもの。その通りなのだが、まるで西南学派そのもの
の議論。リッカートを踏まえて言っていたのだろうか。後で気になってきた。今度会ったら聞こう。


2013年10月5日(土曜日)

後期始まる

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時22分34秒

後期の演習が始まり、久しぶりに学生さんたちの顔を見る。

カッシーラからの引用で、ヘルムホルツが出て来たところで、Thompson君から、
今読んでいる、ロシア(ソ連)におけるサイバネティクスについての本にも、
ヘルムホルツへの言及が何か所かあるとの指摘。彼はマルクーゼの孫弟子なので、
この辺りに詳しい。ウィーナーの人間機械論には、最初、資本主義への
不信が見えるが、それが後の版では、アメリカの企業人たちのお蔭で、
人間の機械化への懸念が避けられたという記述になる。

この辺り、カーネギーたちの時代の猛烈熾烈な資本主義が、批判を受けて
ビナインなものになり、アメリカがある意味で、社会主義的になっていった
点や、ギデンズたちの Japan model v.s. ウェーバー官僚制モデル、との
話とも関連するだろう。(クロッペンバーグによれば、そのアメリカにおける
社会民主主義とでも言うべき、プラグマティズムの伝統の体現者の
オバマが、またまた、左右イデオロギーの対立のために苦しんでいる…)

いずれにせよ、ロシア、共産主義、社会主義、ルートの
話は重要。Thompson君に、関連した話をしてくれるよう依頼。英語でやってもらう
かな… :-D3回生の人たちには、またまたきつ過ぎる。やはり日本語だな。 :-)

演習には久しぶりにPDの溝口君も参加。相変わらず宮城県山元町で
思い出サルベージの活動を続けているが、
アンケート調査を開始するなど、社会学への実質的反映が出て来て期待大。

こういうボランティア活動の当事者、しかも代表、が社会学者というのは、
珍しい。いってみれば、ある社会学者の研究対象が、その社会学者自身
ということ。このリフレクションにはプラスの面もマイナスの面もあるだろうが、
昔は、そとから見ること=客観性、という思い込みがあったように思える。実際は、
見る位置で客観性が自動的に担保できたり消えたりするわけではない。見る人の
心構えと方法のみが客観性を担保する。

僕の情報学、数学の歴史学的、社会学的、研究ものこの自己参照的性格をもつ。
ただし、数学の場合は、元がつくし、やはり、僕は本質的に数学者とは
言えない人なので、情報の場合とは少し違うが。ここ辺りが、最近、
学問として漸く、まとまった形になってきた、僕の「数学を対象とする歴史学、
歴史社会学」の研究が、数学史に興味を持たれる数学者のひとたちに、すれ違って
受け取られる原因だろう。ただ、文系の学者のなり立てのころは、それが自分でも
良くわかってなくて、数学史家と名乗っていたので、それも誤解を招いているのかも。
実際、そのころやっていたのは、本当に数学史だったのだが、今は、それは、
僕のアクティビティの全体のなかでは、ちいさい一部分に過ぎなくなっている。

といいつつ、早くその純粋数学史のヒルベルト論文を完成せねばならないのだが、
今年の夏休みもダメだった。(^^;)
#数学の歴史社会学の岩波新書「ゲーデルと数学の近代」も進まず。
#先日の特殊講義に来ていた理学部の学生さん(もう大学院進学なんだな。
#時がたつのは(老人には)速い…)に、まだ、ですか、と言われてしまった。(^^;)
#頑張ります!
#…と何時も言っているような。 :-D
#でも新しいことが夏休み中に随分沢山わかったよー。 :-)


2013年10月4日(金曜日)

Turingの本

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時01分26秒

京大文現代文化科哲史出身の佐野勝洋さんと杉本舞さんによる
アラン・チューリングの論文の和訳・解説本の原稿新版を見る。
非常に良い本になりそう。素晴らしい!

特に、まだ、和訳が出たことがないはずの、人工知能関係の部分、
非常に興味深く、学術書として意味があるはずだ。

佐野君は文学部出身のロジシャンだが、歴史的な部分もよく頑張っている。
大変だったろう。

若い(ん?もう二人とも中年か?)力に期待!


2013年9月27日(金曜日)

来年度特殊講義予定

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時02分56秒

来年度の特集講義の計画 ver.2013.10.02

1.前期月曜日5の特殊講義
1.1.題名:再魔術化の概念
1.2.内容:1980年代以後に、歴史学、社会学で様々な形で登場した再魔術化の概念を概観し、その再検討と分析を行う。手法は、歴史社会学、および、社会哲学。
1.3.検討対象(増やす)
   Morris Berman history, sociology (social criticism?)
   Anne Harrington history of science
   George Ritzer sociology
   Alan Bryman Organisational and Social Research
など。
  直接、再魔術化と言っていないものも検討。Bryman は、それ。
  日本的経営。感情労働。WEB上の die Materie としての Scheler の
  Wissenssoziologie 的意味での集合知。
1.4.理論化:
ウェーバーのスケール的概念構成からすれば、2分的な、魔術 v.s. 脱魔術
  では世界は説明できないことは自明。しかし、ウェーバーは時間軸の未来を見ることが
  なく、しかも、脱魔術化が最高潮にかかる時代の人で、まずは、その分析が
  急務だったのだから、これが強調されないのは自然。
  しかし、それはウェーバー理論とは全く矛盾しない。
1.5.「再」の意味:
  これは広く言われていることだが、再は、もとに戻ることではない。
  田辺などの言い方での「否定」。肯定的変化。
1.6.ゲーデルの「左右と中央」論を、これに適用すると、現代的数学は、
  最初から再魔術化されていたことになるのか?この問題を解明。
  リーマンとワイルの Perle。クライン。
1.7.ハイデガーの位置: ハイデガー哲学は再魔術化か否か。
  京都学派の哲学者たちの位置は?西谷、田辺、西田、その他の人たち。
1.8.情報と再魔術化: なぜ情報技術は再魔術化を引き起こすのか。
   ハイデガー、ビノグラード。ハイデガーAIも調べる。

2.後期水曜日5の特殊講義
2.1.題名:田辺元と西谷啓治:ある思想の系譜
2.2.内容:
 西田と田辺、西田と西谷が比較議論されることは多い。しかし、田辺と西谷という
 テーマは、殆んど取り上げられることがなかったようの思われる。しかし、この
 二人は、ドイツに留学して同じハイデガーに師事し、その後、ハイデガー哲学との
 対峙が、その哲学の重要な柱となった人たちであるばかりか、西谷の回想からすると、
 西谷の子供たちが、子供がいなった田辺の家で遊ぶなど、個人的にも非常に近い
 関係にあったといえる。この近さは、その夫人同士の人間的近さの故らしいが、
 田辺のS19年の北軽井沢への疎開の際の京都から北軽井沢までの鉄道旅行の際、
 田辺と西谷が二人で間断なく哲学の議論を続けていたという逸話が記録されて
 いるように、その関係は個人的関係を超えたものがあったと考えられる。
  一方で、西谷の田辺への言及には、師に対する敬意とともに、明らかに「冷やか」な
 ものが感ぜられる。「田辺先生には、結局、これは解らぬ」というような西谷の
 田辺への視線が感ぜられるのである。それは田辺哲学の本質を見事の見切っていた、
 田辺に最も近かった、しかも、ハイデガーにも身近に接した宗教的哲学者の視線であり、
 その西谷の態度は、彼のニヒリズム論と密接に関連している。この両者の
 関係を、史料ベースの思想史の手法で解明する。
  西谷の「回互構造」は田辺の「切断構造」に形態的に非常に近い。
 また、西谷ニヒリズム論の「世界」概念も、田辺の図式「世界」論に近い。
 しかし、田辺と西谷の思想の根本的相違は、田辺の世界は、時間がハイデガーの
 時間であっても、西谷には、それはニヒリズムである点。西谷はハイデガーの
 存在と時間の思想さえ、ニヒリズムとする、というより、それこそがニヒリズムの
 頂点とするわけだから、ある意味では当然。
2.3.史料分析:田辺、西谷、書簡。西谷→田辺は下村文書。逆はないか?
 大谷大?特に西谷のドイツ時代と、戦後。
2.4.前置:この話の前置きとして、田辺の切断論の発生史を、新カント派と 
 その没落の思想史の中で説明。なぜ、田辺は、ハイデガーを微積分の哲学を使って
 批判したのか。その歴史的背景。そして、これが西谷の「世界」の概念の理解を
 通せば、田辺への冷やか視線に深く結びつく、ことの説明。


2013年9月21日(土曜日)

応用哲学会サマースクール (続きの続き)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時42分03秒

応用哲学会サマースクールについての投稿について2件

久木田さんから、自分は司会ではなく、運営の手伝いとチューターの役割で、また企画にも一部
タッチしていて資料も事前に見ていたので、自分にも責任があるから、僕の書いた記事を訂正
してほしいとのこと。ということで訂正。久木田さんも真面目な人だ。 :-)

僕のイートン校云々の記憶のもとになったのは、映画「いまを生きる」ではないかと、
このブログをみた方から教えてもらった。この映画、見た記憶がなく。
また、イギリスのパブリック・スクールでなくて、
アメリカのボーディング・スクールの話なのだが、
主演が僕の好きな役者さんのロビン・ウィリアムスだからあり得る。

今は、殆んど日本からでないが、昔、よく海外に行っていたころ、機内や
ホテルで映画を見るのを楽しみにしていた。英語もたいしてできないし、
大体、時差ボケで半分寝ているような状況で見るので、記憶が混濁している
のが多い。これの可能性大だな…

特に忙しかったころは、飛行機に乗ったら疲れがでて、
時差ボケも手伝い、本当にボーッとしていたことが多い。
ダーラムに呼ばれたときなど、さいわい、真ん中の
4人掛けの席を一人で占拠できて、寝ていたのだが、なんだか滅茶苦茶に
だるい。それほど疲れているのかと思っていたが、なんだか変なので、
イギリスについて、体温を測ってみたら38度くらいあった。
しかも、全然下がらない。で、結局、自分の招待講演以外は全部ホテルで寝ていた、
というようなこともあった。多分、他にすることがないので、映画ばかり見ていたはずだ。
こういう時の記憶は、本当に霞がかかっているような感じ。
もっとも、年取ってからは、殆んどの記憶が曖昧なのだが。 :-(

しかし、見たら思い出すかもしれないと考えて、レンタルビデオを予約。

どうだろうか…


2013年9月15日(日曜日)

田辺と西谷

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時05分20秒

後期特殊講義のシラバスが、どこか気に入らなかったのだが、
前期特殊講義の関連で始めた西谷啓治研究のお蔭で、その理由が判明。
事務の方には申し訳ないが、シラバスを更新予定。

後期講義は「危機の時代の思想家たち」がテーマなのだが、
問題は「何が危機だったのか」を簡単な言葉で説明することが
できていなかった点。これが西谷哲学を使うと、「ニヒリズムという
危機」として綺麗に説明できる。

西谷のニヒリズムの思想はニーチェ以来、繰り返されている思想の系譜
にのるものだが、それを説明する文章の明晰さが、僕の知る限りでは、
他に比べるものがない。そうそれが僕の言いたかったことなんですよ、
という感じで読んだ。やはり、この人は凄い。

これが解れば、「ハイデガー哲学が徹頭徹尾詩から生まれ、
田辺哲学が徹頭徹尾数理から生まれた」という彼の文章の
意味が実によくわかる。この立場から、すれば、ハイデガーも
田辺もニヒリズムなのである。

で、面白いことにゲーデルの歴史観の文章が、ほぼ、この西谷の
ニヒリズム論と同じ論調のこと。ただし、西谷の意味からすると、
ゲーデルの立場もある種のニヒリズムとなる。そこには
M.フリードマンの意味での parting ways がある。ゲーデルは、
西谷がいう「世界」*から一歩も出ない。そうなると、その世界には、
H.Weylがいう Perle が確かにある。しかし、宗教学者西谷の立場からすれば、
その様な淡水の海の Perle は真の Perle ではないのだろう。
数学者はある意味では、この世を生きていない。アルキメデスの死の
逸話がその象徴。クロネッカーの Ueber den Zahlbegriff のトーンが、
そして、ヒルベルトの1930年の講演が、それを良く物語る。

*この用語は、田辺の「図式世界」の「世界」
とほぼ同じ使い方。ただし、田辺が「存在と時間」以後、世界図式の
中の時は、外延的なものでなくハイデガー的になると言っている
ことに注意。彼は divide されてないから。これに反して、divide
されながらも、その division にこそ最大の問題を見る西谷がいう
世界は、田辺の言葉では外延的世界だろう。ただし、「存在と時間」
をニヒリズムの完成とみる西谷の立場からすると、田辺の「内包的世界」
も西谷の「世界」なのかもしれない。ここは調べる。

田辺が見たハイデガーの内包的時間も、西谷には、すでにニヒリズムの
産物。ハイデガーは、これを否定したようだが、どうも西谷の
方が正しい。死に至る時間という形式から倫理性を生み出そうとすると、
結局は 内包のWissenschaft になる。Wissenschaft は、どの様に
足掻いて、努力しても、本質的に外延的・形式的となる。
この構造は、ゲーデルが無限集合論を「右」と呼び、公理的集合論
まで「右」と考えていたように思われる点と重なる。

これは結局、ハイデガーが Sein und Zeit で、哲学が、心理学などの科学(諸学)
に解体されると書いたことに当たるか?しかし、淡水の Perle は、本当に
真の Perle ではないのか。もし、人間のすべてが Lotophagen ならば、
確かに社会は文明は滅びる。しかし、それ故に、数学者を lotus-eater を
呼ぶことも不自然だ。クロネッカーやヒルベルトの楽観には、確かに根拠が
ある。これは自分が数学者だった経験があるからか?一人の数学者がオルテガ・イ・
ガセットの意味で大衆となっている場合、末人と呼ばれるにふさわしいだろうが、
完全な Lotophage は大衆とは程遠い、たとえば、ゲーデル、小平。
この様な数学者を末人と言えるか。ニーチェの意味では?ウェーバーの(引用の
意図の)意味では?…


応用哲学会サマースクール (続き)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時18分11秒

21日に訂正とさらに追加の投稿あり。応用哲学会サマースクール (続きの続き)2013.09.21

応用哲学会サマースクールの司会だった久木田さんから、丸山君と僕にお礼のメール。(僕はなにもしてないのだけれど。 :-)

講師の森田さんは、自分の理解が浅いこと、専門家(丸山君)から色々間違いを正してもらったことに
レクチャーの際に、ちゃんと言及していたとのこと。

久木田さんに、圏論のレクチャーの司会をしなくてはならないという話を聞いたとき、
なんで応用哲学会で、と嫌みを言っておいたのだが、久木田さんのメールによると、
水谷さんが、初日のレセプションでの挨拶で、「圏論はトンでも哲学を誘発する危険がある、
そうならないよう圏論の基礎をきっちりと学んでおく必要がある」と発言していて、
それが企画の本旨だったらしいとのこと。(久木田さんは司会を頼まれただけで、
企画とかはまったくタッチしてないらしい。)

そういう趣旨ならば大変良くわかる。丸山君が国内にいなくて、相談に
のれなかった(どうも彼は応用哲学会の関係者らしい)ために、騒動が
起きたらしい。

しかし、今回のこと、森田さんという方の清々しい対応といい、丸山くんの頑張りといい、
若い人たちは実にすばらしい。

丸山君のメールによると、最初ちょっと感情的な行き違いがあったらしく、
自分は言い過ぎた(書きすぎた?)ので、謝罪したそうだが、
そういう風に、ちゃんと謝罪して修正できること、また、森田さんという
人が、資料改善の努力をし、また、自分の理解ががまだ十分でないことを
素直に表明するということ、これは、何も起きないより、よほど素晴らしいことだ。

現在の日本の「おとな」たちは、なんらの失敗も許さない
という非現実的態度に終始している。要するに問題が起きたときに対応しないといけない
(これを responsibility という。土下座して謝って見せることではない)のを
避けようとしているだけ。僕からみれば、これは大人げない態度だと思う。

多分、失敗することを恥だと思っているのだろうが、もしそうならば、
「恥を回避し続け、恥をかかない人生」なんて恥ずかしいのだろう。
#うむ、われながら名言。ハハ :-D  :hammer: なんだ?某アニメのOPテーマのパクリだろうが!

僕は、そういう人生を送るのが嫌なので、平気で恥をかくし、失敗する。
#でも、書類の間違いは、事務の人には迷惑。いつも、すみません。誰も読まないだろうけど…
しかし、一旦、間違いがあることがわかれば懸命に修正する。そして、そういう間違いと、
修正から、よりよい理解や社会が生まれるし、何より生きているのが楽しくなる。

日本のアカデミズムは、いわゆる庶民という怪物(正確に言えば、マスコミと大衆の
モンスター的共同体)を恐れて、発言を控える傾向があり、これが変なマスコミ学者を
産む温床になっている。アカデミズムを単に「お上」の一種として、最初から
ケンカ腰に対応する大衆の肥大化が現代日本の知の状況の最大の問題であることは明らかだが、
その状況を生んだ原因の大半は、むしろアカデミズムの努力不足にあったのではないか、
と僕は考えている(これは明治以来の知識歴史社会学、文化史として、ちゃんと検証
すべき、大きな問題なので、今は結論・意見でなく、ただのスペキュレーション・仮説
としてのみ書いている)。

で、アカデミズムの権威が地に落ち始めたころ(この権威は日本の近代化の特性のため、
主に権力に依存するところが多かったため、日本のアカデミズムは脆弱だったのだと思う)、
早めにアカデミズムが積極的に動いていれば、なんとかなった可能性もあるが、
今は、あまりに問題が肥大化し過ぎていて、何かしようと思っても茫然として、
大河の濁流の前で立ち尽くす、というような感がある。

それでも、アカデミズムで生きているものの仕事・責任(responsibility)として、
何も効果はないだろうことは半分以上わかってはいながら、
濁流に抗すべく、石を投げいれたり、懸命に櫂をかいたりするのだが、
僕自身の場合は、今のところうまく行ったことがあまりない。

その点、応用哲学会というアカデミズムの場所で起きたことではありながら、
森田さんという独立系の数学者を自称する方と、アカデミズムの世界の住民の
丸山君の間に、そして、応用哲学会との間に、こういうインタラクションが、
起きたということは、実に希望を抱かせる。

でも、森田さんは、数学者と名乗るより、サイエンスコミュニケータ、
数学コミュニケータと名乗った方がよいだろうけど。僕は、結城浩さんが
学者と名乗ったことを知らないし、本人は、全くそう思ってないようだ。

優秀なコミュニケータ、著者、教師は、ちょっと位優秀な学者
よりずっと凄いと、僕は思っている。
これはパートナーに聞いたのだが、*)(一昔前の?)イギリスの若者の
理想の人生は、イートンなどの教師になることだったとか。
どんな偉人でも、人生の長さを考えれば、一人で達成できることには
限りがある。しかし、自分が名前を残さなくても、自分から
教えを受けた多くの人たちが、歴史に名の残すようになることは
ありえるからだろう。そういう人たちが、あの時、あの先生に
教えを受けたことが、今の自分に繋がったのだ、と言ったり、
書いたりしたのを見たら、それこそ満足して死んでいける。
そういう考えからのことらしい。実にイギリス的で、パートナー
が教えてくれた多くのことのなかでも、僕は特に好きな話だ。
結城さんの活動には、その様な気持ちがありありと見えて、
だから僕は彼が好きだし尊敬するのだが、こういうメンタリティーの人が、
一人でも多く増えてほしい。
森田さんにも、それを期待したい。

*) このブログを見たパートナーが、それはあなたから聞いた、
ワタシじゃない、とのこと。??? なんじゃらほい…
老人(一歩手前)の記憶は怪しい。どこで聞いたんだろう、あるいは、
読んだのだろう… 同じの見た人がいたら教えてください。m(_ _)m
連絡はこちらまで:susumu@shayashi.jp
#ちなみに、当ブログは、本当のブログではなく、
#僕の活動や独り言を周囲(主に僕の研究室の学生さん)に
#知ってもらうためと、自分の研究上の記憶のために書いているだけ
#なので、コメントは一切できません。世間的意味のブログじゃないのよね、
#実際!要するに、僕のログなのです。


2013年9月13日(金曜日)

応用哲学会サマースクール

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時58分39秒

オックスフォードに行っている丸山君からメール。応用哲学会サマースクールでの
森田真生さんという人の圏論に関する講義資料が酷い、指摘しても理解してくれない。
どうしたものだろうか、との相談。

資料を拝見してみて、確かに丸山君の言う通り。あまり知らない人が頑張って書いているのはわかるのだが、
圏論における論理の勘所を完全に誤解している。これでは丸山君が心配するのもわかる。

ただ、八杉の父が筆一本で家族を養っていたころに(売れっ子でラジオ、テレビなどにも出ていた)、
母が常に将来のことが不安だったと言っていたことを伝えて、フリーランスの人なのだから、
あまり非難しないようにと言っておいた。

僕らは給料をもらえるので、その時は徒労に見えることにでも、時間をフンダンに使うことが
できる。しかし、フリーの人は、これができない。本当に大変だろうと思う。
#その点、結城さんは、本当に頭が下がる。
#まあ、情報関係だということが有利だということはあるが。
#それとは関係なく、よくあれだけ勉強するなと感心する。
#そういう人なら、少し位間違えても何にも言う気にはなれない。
#第一、僕の方が遥かによく間違う。(^^;)

この場合、森田さんという人は、丸山君もそう思っているらしいが、
誠意のようなものが感じられるので、問題だったのは、
むしろ、トポスが良くわかっていない
素人さんに講師を依頼してしまった、応用哲学会の判断だと思う。
サマースクール開催を広報するウェブページが妙に軽薄な感じ。

応用哲学会は、僕の知人、同僚たちが中心になって始めたらしいので、
波風がたつので、あまり言いたくないが、最初の印象どおりで、本当に変なのかも。(^^;)
もちろん、みんなが変だとは思わないが、変な人まで清濁あわせのみ過ぎという
感じかな。清濁でなく濁濁になってしまわないことを祈るのみ。
#まあ、最初のころは、何かと変な人が多数紛れ込むものだから。
#こういうのも歴史をやってから解るようになった。
#京都学派だって、凄いのが混じっていたりするので… ハハ。


2013年9月10日(火曜日)

共立数学文献を読む会 講演資料

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時49分29秒

先週末、東京の共立出版で、数学文献を読む会で講演。前回が2007年。
講演資料:http://www.shayashi.jp/kyoritu2013.pdf


2013年8月28日(水曜日)

McLartyのGordan論文の問題点3

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時27分46秒

同題名の1,2、特に2を史料再調査の結果、書き直し。

1889年M.A.のbinary form のゴルダン問題の短い証明と、1888年、Goett.Nachrichten、1890年、M.A.のn変数formのゴルダン問題の証明、および、それへのゴルダンのかかわり方。

1.1889年M.A.の証明、Leipzigでゴルダンに助けてもらってかんがえ,ゲッチンゲンに向かう前に、手紙でクラインに知らせ(Klein,Hilbert書簡集)、(論文の最後にある)1888年3月30日ゲッチンゲンという日付と場所の記述から、ゲッチンゲンでクラインに直接渡したと思われる、この証明は、ヒルベルトの1897年の講義、英訳、Theory of Algebraic Invariants, Cam.Univ.PressのII.1に証明がある。これは、I.11で示された2変数x1,x2のformとx1/x2の1変数多項式の対応を使い、invariantを、その1変数代数方程式の根の差の関数として表す方法を元にしている。全集2巻、Nr.11, S.163, の第2パラグラフで、Die vorgelegte Grundform f ..in den homogenen Valiablen x,y stelle man als Produkt ihrer Linearfaktoren dar, … の所で代数学の基本定理が使われている(Linearfaktoren が x/y=z として、f を z の一変数多項式としたときの因数分解の因数の一次式にあたる。講義英訳のp.98では、陽に「代数学の基本定理により」と書いている。

2.その故に、同訳書、p.116(II.1)に注意されているように、これは2変数でしか使えない。

3.それを一般化できる証明が有限基底定理による証明であり、ヒルベルトはこの2証明の関連を説明していない。内容を検討してみたが、僕の理解ではまず関連はない(僕の代数の理解は良くないから、一度は専門家に聞く必要あり。広大の木村さん?)。
3.1.最初の証明は速報のそれは証明が殆どないので難しいが、上記の英訳された講義は、入門講義なので、大変詳しく、僕でもわかる。それによると、概形は2変数同次式を1変数多項式に変換し、代数学の基本定理による因数分解により得られる。ただし、その形をする式は無限にあるので、パラメータをある線形方程式系の正の解として抑える。つまり、正の解をすべて生成する有限個の*正*の解の存在を示し、これが有限性のポイントとなる(現在、整数計画法のヒルベルト基底として知られるものの起源)。
3.2.代数学の基本定理がクロネッカーなどに言わせれば、純粋な意味では代数的でないだろうが(こう書くと本当に矛盾的。(^^;))、ゴルダンは多分、気にしなかっただろう。クラインによればリーマンのアーベル関数論をやりたがっていた人なのだから。

4.だから、McLartyの、ゴルダンがヒルベルトのtheologyを実は助けていて、ライプチッヒでそれについて二人が議論していたという記述は歴史資料の勝手な読み込み、自分に都合が良い読み込みによる錯誤であることになる。

5.McLarty は、ゴルダンの「数学でない。神学だ」が、ネーターの1914年のゴルダン追悼文で最初に現れることを指摘し、それが1890年のイベントの遥か後であって信憑性にかける、また、その発言の意味もネーターの文章では明瞭でないとして、この「神学」の話の信憑性に疑問を呈している

In the myth Gordan denounced Hilbert’s proof and his anathema rebounded against himself when he said: This is not Mathematics, it is Theology!
The quote appeared a quarter century after the event, as an unexplained side comment in a eulogy to Gordan by his long-time Erlangen colleague Max Noether (1914, p. 18). Noether was a reliable witness speaking to an audience that knew Gordan well but he says little about what Gordan meant. A series of Göttingen mathematicians took it up in succeeding decades.

しかし、この話は、Mathematische Annalen という専門誌に掲載されて、その後の世代にはほとんど読まれることがなかったであろうMax Noether による追悼文ではなく、クラインの有名な著書「19世紀の数学の発展」の言及から広まったと判断するのが自然。該当箇所は、S.330-1で、Noether の unexplained side comment と異なり、かなり詳しい数学的歴史的背景と状況の説明が書かれており、さらには、Gordan war anfangs ablehnend: “Das is nicht Mathematik, das is Theologie.” Spaeter sagte er dann wohl: “Ich habe mich ueberzeugt, dass auch die Theologie ihre Vorzuege hat.”… と書いている。この「後にゴルダンは「神学にもメリットがある」と言った (sagte)」は、ネーターには言及がない。このクラインの歴史講義録が出版されたのは1920年代だが、クーラントなどによるそのまえがきからすると、実際に講義されたのは第一次世界大戦中から1919年まで。ゴルダンの死去は1912年で、ネーターの追悼文の日付が1913年で10月なので、確実にクラインの講義よりネーターの追悼文の方が前なのだが、実はネーターの追悼文のタイトルの直下に、Max は、「クラインと(娘の)エンミ・ネーターの助けにより」と書いている。McLartyの言う通り、ネーターの記述は非常に短く説明がない。一方、クラインの記述は生き生きとした、おそらく、ゴルダン本人との会話の記録に基づいて書かれた関係者による記述であることが想像できる。しかも、そのクラインにネーターはゴルダンの追悼文執筆の助けの感謝をしている。つまり、この場合、ネーターの記述は早かったものの、それは Gordan-Klein dispute に関係していなかったネーター自身の記憶によって書かれたものではなく、次に説明するように、そのdisputeの当事者で、しかも、それをもっとも客観的に眺めることができたはずのクラインの記憶を元に書いたもの、と考える方が妥当なのである。

M.A.編集長として、ヒルベルトの論文をハンドリングした、つまり、Gordan に Hilbert の論文の(今の言葉でいう)査読を依頼し、Gordan < -> Hilbert の対立を引き起こし、また、それを調停して、Hilbert 論文をM.A.に出版したのはクラインなのである。しかも、dispute と書いたものの、実は Gordan と Hilbert は、直接には対峙していない。クラインを通しての正確な言葉の意味からしたら dispute とは言えない対立にすぎない。つまり、この Gordan-Hilbert dispute を引き多し、最初から最後まで関わったのは、実はクラインだけなのである。そのクラインの印象と記憶以上に正確なものはないはずだ。(実は、ヒルベルトの書いた日記などは、かなり感情的になっており、客観性にかけるのではないかと思えるところがある。しかし、その故に、それはヒルベルトの「考え方」を知る上では最適の史料である。一方で、ゴルダン、クライン、ヒルベルトの三者間で何が起きたかを知るには、ヒルベルトの日記の彼自身の考えの記述は、そのまま信じてはいけないのである)クラインは、ヒルベルトの方法はあまりに革新的で色々問題を引き起こした。たとえばゴルダンは最初批判した。しかし、自分は、逆に、この仕事を見て、ヒルベルトをなるべく早くゲッチンゲンに呼ぼうと考えるようになった、と書いている。これが正しいイベントの内容を表しており、McLartyの「神学は伝説」説は、信憑性を持たない。これは、有名な話であり、知られておらず、また、Gerhard Kowalewskiのような関係のない人物の評などを持ち出して、ゴルダンが最初からヒルベルトを評価していたとするのには大変な無理がある。

補足情報メモ1:ヒルベルト・クライン書簡集、クライン・ゴルダンのクライン・アーカイブの書簡によれば、クラインは、ゴルダンにヒルベルトの論文への意見を聞き、それに対しゴルダンは結果は高く評価しながら、証明法に否定的な意見を書き、それにヒルベルトが強く反応してクラインに手紙を書いたのが3月3日。そして、4月14日にクラインがヒルベルトに手紙を送り、Gordan ist jezt 8 Tage bei mir gewesen und wir haben viel mit einender verhandelt. Ich muss Ihnen doch mittheilen, dass er ganz anders ueber Ihre Arbeiten denkt, als dies nach dem an mich gerichteten Brief scheinen konnte…. という、この時までに、Gordan の意見が大きく変わっていることを示唆する、しかも、その前置きで haben viel mit einander verhandelt と書いていること、しかも、8日もすでに滞在した後で極く短い書簡が送られていることを考えると、クラインがゴルダンを説得して、それで意見が変わった可能性も高そうだ。
補足情報メモ2:クラインは、後の手紙、Nr 65 で、新しい仕事(零点定理などを含む、ゴルダン問題の第2証明)の長い仕事をどのように読みやすくするかに言及した際に、Nur diese eine Bemerkung moechte ich mir aus der frueheren Gordan’schen Kritik (mit der ich mich sonst keinewegs identificire) aneigenen, … と書いている。
補足情報メモ3:クラインは、ゴルダンと非常に近しい人だったと言われている。史料としても、クライン・アーカイブの、ゴルダン・クライン往復書簡の量は凄い。しかも、お金の話など、近しさを感じさせる文章が多い。

McLartyの間違いを証明するために行った調査のお蔭で考えたこと:
この時代の数学者には、解析学と代数学で、使える方法を分けているような傾向がみられる。この「不純」さを嫌ったのが、クロネッカーの「有限主義」。実際には、「代数主義」だったはず。これはニュートンが微積分学で得た結果を、プリンキピアでは、すべてユークリッド幾何学で書き直した、セルバーグの素数定理の初等的証明(つまり、解析整数論を使わない証明)に、フィールズ賞が与えられた、というのと同じ、数学のセンスの問題。

これはクロネッカーについて、エドワーズが主張したことだが、ゴルダンの気持ちの悪さは、こういう数学の「センス」の問題であった可能性はないか?ゴルダンは、ヒルベルトの最初の2変数の場合の証明の、代数学の基本定理を嫌った形跡がない。また、クラインのEntwicklung… Sibentes Kapital, S.307-8 に、.. suchte nun Gordan in die Riemannschen Theorien einzu dringen. Diese Gedankenwelt war aber doch nicht fuer ihn geschaffen. Seiner Veranlagung fuehlte er sich viel staerker zu der formalen Seite der Invariantentheorie hingezogen (die er durch Clebsch kennen lernte).という文章があり、面白い。このリーマンの思考世界というのは、リーマンのアーベル関数論のこと。クラインは、このリーマン思考世界で、それ以前の幾何学者たちが多くの計算を駆使して得られた結果が、単純な概念的思考で理解できることを強調している。つまり、Hilbert の Kummer-Kronecker/Riemann-Dedekind 対比と同じ。ネーターの追悼文にも、それを示唆する言及がある。ただし、ネーターが Algorithmiker という言葉で追悼文を結び、また、クラインが、リーマンの思考世界は、彼には向いておらず形式的方法が彼に向いていた、と書いたように、リーマン・デーデキント・ヒルベルト的なものには敬意をもちつつ、苦手だった、なかなかそのセンスを持てなかったと考えるのが、良いのかもしれない。ちなみに、ネーターは追悼文で、ヒルベルトの有限基底定理の証明を、begrifflichen Deduktionen と書いている。Algorithmiker は、概念的思考は苦手だったのだろう。

数学基礎論史に見られる誤解の数々は、それが有限・無限の問題に、なまじ、関連していたために起きた不幸だったのだろう。McLarty も、それをパラダイムにしていると思われる、Edwards の thesis を僕流に解釈すれば、「実は数学基礎論論争として描き出される数学者の方法論的対立は、数学の文脈で考えれば(これは論理学を含む哲学にも関連するので、こういう必要がある)無限・有限の問題というよりは、こういう整数論・代数学対幾何学・解析学のようなセンスの問題から来ているのではないか」となるが、このエドワーズのテーゼを、この時代のテキストの分析で示せないか。ただ、マイヤーの報告論文では、Wissenschaftとして疑問がでているという記述あるので、こういう点だけでないことには注意。この時代、数学は数学だけで閉じることはできなかっのだから、どうしても哲学的問題が絡む。問題は、両者の関係、および、その影響の大小だろう。エドワーズのテーゼとは、哲学的な有限・無限の議論だけではなく、数学的センスの問題が大きい、と解釈すべきだろう。

しかし、理解不可能なのは、Hilbert の全集やHilbert,Klein書簡集など、少し丁寧にチェックすれば、すぐに解る、1889年の2変数の場合の証明と、1890年公刊の証明との違いを、全く読めていないこと。結論ありきでトップダウンに議論を進めてしまったのだろう。ヒルベルト・クライン書簡集では、間違えて Ihnen と書かれているものを、正しくihm となおしているので、オリジナルを読んでいる可能性が高く、それは評価すべきなのだが、他のがあまりに酷いので、最初は故意に読み換えたのかと疑ったし、今でも、なにかの偶然で、そうなってしまったのかと疑ってしまう…


2013年8月6日(火曜日)

Telugu文字の解読ワークショップ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時32分45秒

定例ミーティングで久木田さんよりTelugu文字の解読ワークショップの報告。
志田さんたちが作成したSMART-GS資料は、
行対応、検索まですべて可能となっており、見事なので驚く。
Telugu語はアルファベット表記。志田さんの学生さんが頑張ったの
だとか。

非常に短期間に機能を学習し使いこなし、我々が気が付かなかった
色々な提言までもらえた。

若い人文学者にとってSMART-GSは難なく使いこなせるレベルにまで来ている。

問題は行きりだしの面倒さ。今改造しているSMART-GSの行エディタが完成すれば
かなり事情が変わるものの面倒は面倒。

翻刻・内容理解に比較すれば非常に小さいものの、ある程度、内容や言語の
理解が関係するので、完全な自動化は難しいだろう。
#各資料ごとに自動化は可能かも。

ここがビジネスが入ってくるチャンスではないかと
思う。何かお金が動くようにしないと、一定以上の
普及はしないというのがITの歴史的法則。

技術革新の余地が大きく、しかし、完全な自動化は難しく
経験も生きる。AMTにもぴったりの作業。
うまくビジネスモデルを
作れば人文学まわりの企業にとっては、
良いビジネスになるはずだ。


2013年7月7日(日曜日)

若い研究者にとってのSMART−GSの可能性

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時18分34秒

インド古典の志田さんが、久木田さんの助けを借りて、SMART−GSを利用したインド古典Telugu文字の解読ワークショップを開くとのこと。また、伊藤和行さんがガリレオ史料をSMART−GSで解析することになり、幸にもラテン語が理解できる院生の秋田君がいたので、彼に前処理作業を依頼(こういう時、多言語ができる人は強い)。この伊藤さんの研究は、内容が面白そう。SMART−GSがそういう研究に貢献できると大変うれしいのだが。事前の打ち合わせからすると、相当に使えそうだが、こういうのはやってみないと分からないので、keep crossing fingers で待つ。

木曜日の技術演習で、学生さんたちが、内海日記は読むのが難しいといいながらも、SMART−GSでドンドン翻刻を進めていたのとか、この二つとか、昨週は、なにかと、SMART−GSの仕事が多かった。で、考えたこと。

伊藤さんと話していて、もう僕らより上の世代の人でないと、一次資料を読んで歴史をやるという人がいないとのこと(ただし、科学史でのこと。現代史では一次資料読みが、すくなくとも、京大文では標準)。その理由として、若い人は論文の数を出さないと認めてもらえない時代になり、一次資料読みなどという手間がかかることをやっていられなくなったのが一番大きそうだという話になった。実際、年配の研究者は、もう地位が安定していて、そういう人たちが(僕もその一員)、十分な時間と、蓄積した読みの技術、を使って一次資料を読んでいるのに対して、若い人たちが対抗するのは、現在の状況では無理なので若い人たちに、一次資料を読めというのは、酷だという話になった。
#推薦状を書く立場からすると、学振の研究員とか、論文の数があればとおる、という感じ。
#僕は内容が駄目だと思ったら、推薦状でも誉めないが、他の分野の研究員などみると、
#内容など酷くても、論文数だけで通っているらしいと思われるケースがある。

で、学部生、しかも、主に低学年の人たちが、マニュアルもろくに見ないで、ちゃんと、SMART−GSを使いこなして内海日記を翻刻しているのを見ると、もしかして、SMART−GSが、この現状を打破する一助になるのでは、と考えた。やはり、ITを、年配の人が使いこなすのは難しい。だから、その点で、SMART−GSが楽に使えるという強みが若い人たちにある。また、ITが人文学の力になることを、認識できれば、さまざまな工夫を自分でてきるようになる。

そうすると、SMART−GSによる一次資料研究は、従来の手法に比べて

1.一次史料を読むことに置いて、若い人の方が年配世代に対して優位にたてる。
2.従来必用だった時間と手間を大幅に低減可能で、これからキャリアを築かないといけない若い研究者にも一次資料研究がaffordableになる。
3.しかも、一旦、「鉱脈」が見つかると、関連史料を見つけやすいので、論文をドンドンかける。

という長所を持っており、若い世代にとって有利な武器になると思われる。

で、これが本当ならば、一次資料研究の復活に貢献できるかも。そうなってくれると良いのだが。

一次資料のレベルから、歴史が書き換わるときの、書き換わり具合は、凄いものがある。逆に言えば、一次資料にまで手を付けないと、同じ様なところをグルグル回りばかりする可能性が非常に高くなる。そればかりか進むことによって、かえって悪くなっているケースが多々見られる。一次資料は自然科学の実験・観測のようなもの。天から、真実が降ってくる。
天から降ってきた真実ほど、力強いものはない。


2013年7月5日(金曜日)

Kronecker と Brouwer

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時45分01秒

パートナーのために読んだ学生さんのレジュメで、クロネッカーがブラウワーの先駆と書いてあった。

この見方は、あまねく広がっているが Edwards も指摘していたはずだが、あまり当たっていない。もし、ブラウワーの思想と数学を見たら、クロネッカーは、カントールの数学と同様に、それを嫌った可能性がある。数学基礎論論争に絡んだ人物の中で、もっともクロネッカーに近い人をさがすと、実は、パラドキシカルなことに、ヒルベルトになる。このあたりのこと、数理論理学ベースでしか数学を理解できない人には、大変に解りにくいだろう。しかし、クロネッカーや若きヒルベルトは、記号論理学が、まだ胡散臭い新興分野しかなかった時代に生きていたのである。

クロネッカーは有限性を保障するために数学を制限したと思われているが、おそらくは、間違いで、数学を代数化・整数論化したかっただけ。エドワーズがクロネッカーのカントール宛の手紙で明らかにしたように、クロネッカーにとって、哲学を数学から排除し、数学を代数式という、実もふたもなく即物的な、しかし、数学者にとっては、集合などより遥かに豊かな構造を持つ存在の中に埋め込もうというのが、クロネッカーの(老年の?)「夢」。

つまり、狭い意味の算術化をしたかっただけ。そのセンスは哲学ではなく、あくまで、アンドレ・ヴェイユが称賛するような数学者のものだったろう。だから、こういうと、申し訳ないけど、数学を数学として本当に理解できてはいない哲学者には、クロネッカーの真意は絶対に解らない。モントリオール大の、(名前忘れた!)哲学者のように、ちゃんと代数学などが解る人にしか解らない。

クロネッカーが、論文の脚注などで、デーデキントのイデアル論を、「計算できない」などと批判しているが、これは自身のモズル理論とライバル関係にあるイデアル理論を批判するために持ち出した、分かり易い条件でしかないはずだ(そう理解すると、脚注でしかなかった理由も納得できる)。実際、クロネッカーの論文を見てみると、案外、計算が少ないのである。あんなに難しいものを、わかっているなどという気は全くないが、印象では、代数式を使って、抽象代数学をやっているようにみえる。浪川先生が、クロネッカーの研究を評して、Ringの概念もない時代に(スキームの話なのです)、クロネッカーは、その真意を的確に語る言語を持たなかった、と書かれているが、まさにそんな感じ。


内海日記の画像サーチ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時21分36秒

金曜日2の演習で学部生(主に2回生?)の諸君に内海日記を翻刻してもらっているが、後ろから見ていると画像サーチを自然に使っている。

で、一つの例では画像サーチで「本」という字が読めた(はず)。この「本」という字、大の下に十が書いてあるようにしか見えないのだが、サーチしてみると、宮本章という人名と思われるフレーズの「本」の部分が見つかった。内海日記は、SMART−GSで研究するには、大変良いテキストのようだ。学生たちは、初めての翻刻のはずだがバリバリ翻刻を進めている。すばらしい!!


2013年6月27日(木曜日)

McLartyのGordan論文の問題点2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時14分15秒

2013.08.28 に調査をし直し、大幅に修正。同日、投稿の同じ題名の投稿の3にそれを置く。

1889年M.A.のbinary form のゴルダン問題の短い証明と、1888年、Goett.Nachrichten、1890年、M.A.のn変数formのゴルダン問題の証明、および、それへのゴルダンのかかわり方。

書きかけのヒルベルト論文など調べたら、昔、理解していて、史料に線を引いたり論文に簡単な説明を入れたりしている。それをすっかり忘れていた。(^^;)

で、再度忘れないようにメモ!

1.1889年M.A.の証明、Leipzigでゴルダンに助けてもらってかんがえ,ゲッチンゲンに向かう前に、手紙でクラインに知らせ(Klein,Hilbert書簡集)、(論文の最後にある)1888年3月30日ゲッチンゲンという日付と場所の記述から、ゲッチンゲンでクラインに直接渡したと思われる、この証明は、ヒルベルトの1897年の講義、英訳、Theory of Algebraic Invariants, Cam.Univ.PressのII.1に証明がある。これは、I.11で示された2変数x1,x2のformとx1/x2の1変数多項式の対応を使い、invariantを、その1変数代数方程式の根の差の関数として表す方法を元にしている。

2.その故に、同訳書、p.116(II.1)に注意されているように、これは2変数でしか使えない。

3.それを一般化できる証明が有限基底定理による証明であり、ヒルベルトはこの2証明の関連を説明していない。もしかしたら、ない。あっても、簡単ではないのだろう。

4.だから、McLartyの、ゴルダンがヒルベルトのtheologyを実は助けていて、ライプチッヒでそれについて二人が議論していたという記述は歴史資料の勝手な読み込み、自分に都合が良い読み込みによる錯誤。歴史学者の立場から言わせてもらえれば、学部の学生でも許せずに、長々と説教をしないといけない程度の錯誤!!!

で、一つ、収穫。McLarty がとんでもをやってくれたおかげの収穫:おそらく、1889年のバイナリの場合には代数学の基本定理が使われている。この時代の数学者には、解析学と代数学で、使える方法を分けているような傾向がみられる。この「不純」さを嫌ったのが、クロネッカーの「有限主義」。実際には、「代数主義」だったはず。これはニュートンが微積分学で得た結果を、プリンキピアでは、すべてユークリッド幾何学で書き直した、セルバーグの素数定理の初等的証明(つまり、解析整数論を使わない証明)に、フィールズ賞が与えられた、というのと同じ、数学のセンスの問題。

ゴルダンの気持ちの悪さは、こういう数学の「センス」の問題であったはずであり、また、ヒルベルトは、「既存のセンスを無視するとよりセンスの良い数学ができる」ということを示したわけ。それが有限・無限の問題に、なまじ、関連していたいのが不幸だったのだろう。おそらく、数学的センスによる代数・解析の対立は、有限・無限で特徴づけることはできない。大幅に重なってはいるはずだが。(解析学の算術化が始まる前のことを考え、歴史的に言えば、解析学とは実は無限次元多項式による無限次数代数学なのだから。)他の書簡などで、こういう点を示せないか。ただ、マイヤーの報告論文では、Wissenschaftとして疑問がでているという記述ある
ので、こういう点だけでないかもしれない。しかし、これはクロネッカー派の人たちが言っていた可能性もある。これもベルリン系の数学者の間の手紙でいけるのでは?

この二つの証明の成立の歴史と、LCMによるその構成性のdegreeを分析する論文を別立てで書く必要あり。

しかし、理解不可能なのは、Hilbert の全集やHilbert,Klein書簡集など、少し丁寧にチェックすれが、すぐに解る、1889年の2変数の場合の証明と、1890年公刊の証明との違いを、全く読めておらず、そればかりか、勝手にクロネッカーについてのエドワーズの研究のパターン(これはすばらしいもの!)をゴルダンの場合に、検討もなく適用し、結論ありきでトップダウンに議論を進めて、挙句の果ては、活字でIhnen と書かれているものを(Hilbert,Klein 書簡集)、ihn と読み替えてしまい、himと英訳までして論文に書いてしまうこと。

これが招待講演なのだから驚く。最近の経験で「史」の文字が付かない(つくのは西哲史など)哲学の人の中にはテキスト読解能力が、僕ら歴史家の常識からしたら、信じられない位低い人が多いらしいとわかって、茫然自失に驚いていたのだが、これは国内だけでなく、アメリカでも同じなのかも…
#Sieg さんとか、Paolo Mancosuさんとか、まともな人もいる。そのあまりの落差…

英米系の哲学者の書く歴史は今後信用的できないな…
もちろん、それらが全部うそという意味ではない。
かなず、最高レベルの懐疑をもって読まないといけないという意味。
しかし、そういう作業を必要とする論文、書物を読むのは時間の無駄だと思うのは自然なことだろう。
また、そういうことをして平然としている凡才とか、あたかも哲学史をやっているように書く人たち
を批判するのは当然のことだろう。クリプケのヴィトゲンシュタインは、哲学史には見えず、それを
ネタに自分の考えを書いているのは明らかだった。そういうのならば、僕も文句を言う気はしなし、
内容が良いので、素晴らしいと思う。しかし、いかにも歴史めかして、努力不足のものを書くのは
歴史家の立場からしたら、止めてほしいと思う。迷惑だ。

先日、伊勢田さんに頂いた面白い本の伊勢田・須藤論争で、
須藤さんのあまりの不勉強と物理帝国主義に付き合わされた、
伊勢田さんに同情したが、この点に関しては、まったく、
面識のない須藤さんに共感。
#伊勢田は、問題のあるものを書いたのを見たことがないが、
#ただ、同じ哲学の業界人として、この問題を理解しながら、
#許容しているらしい。しかし、ポストモダンや現代思想ならば、
#すでに、その「トンでも」性が広く知られているから、ある意味では、
#何を書いてくれてもよいことはよいのだが、アカデミックな哲学者がそれを
#やるのは理解できない…


2013年6月23日(日曜日)

McLartyのGordan論文の問題点

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時56分24秒

2013.08.28に編集。間違いを削除。同題名投稿の3に詳細。
1888年3月に発見して1889年のUeber die Endlichkeit der Invariantensystems fuer binaere Grundformen, Math. Ann. Bd.33, S.223-226, 1889で発表した2変数の場合のゴルダン問題の短い証明(4ページ)を、1888年のフルのゴルダン問題の解決と混同しており、ゴルダン問題の有限基底定理による証明がゴルダンの助けでできたと書いている。

ゴルダンのクラインへの手紙で、Rekursionによる証明で再帰的な呼び出し側のFORMがeinfacherになるようなFormenのEinteilungsprinzipが必要で、それがないからヒルベルトの証明はだめなのだ、と書いているところを引用せずに(…にしている!??!?)、他の部分の文章を利用して、ゴルダンの批判は数学の内容ではなく証明の仕方が不明瞭でよくないといっているだけだと主張している。さらに、その引用中のIhnen=Klein を ihm と読んで、ヒルベルトのことだとして、「あなたにライプチッヒで言ったように」を「ヒルベルトにライプチッヒで言ったように」と変えてしまい、ヒルベルトに問題点を説明していたいかのように説明している。手書きのIhnenとihmが読みづらいのならわかるが、これは出版された Klein-Hilbert書簡集から引用しているので意図的に読み換えた(翻刻間違いだと強引に理解した)か、ドイツ語ができないのか、どちらかとしか思えない。(2013.08.28追加:ここは、オリジナルで確認したら、McLartyの方がただしかった。オリジナルが、ihm と書いてあるところを、Klein-Hilbert書簡集では Ihnen になっている。なぜ、ドイツ語を母国語とする人が、かなり明瞭な手書きを、こう読み間違えたのかはわからない。また、それを正しく読んでいるところをみると、もしかしたら、McLartyは原典を読んでいるのかもしれない。それとも僕の持っているKlein-Hilbert書簡集が古くて、どこかで誤植が修正されていて、それを読んだのか?いずれにしても、これが1888年春のライプチヒでのゴルダンとヒルベルトとの議論のことであるかどうかは不明。2年近くも前のことなのだから。一方で、1888年3月にゴルダンの助けによって発見したとクラインに報告した証明が、1888年にゲッチンゲン紀要で概略が速報された有限基底定理による2変数の場合のゴルダン問題の証明でないことを支持する強い証拠が多くあるので、従来の理解、僕の理解の方がずxっと蓋然性が高い。)こう読むと、この書簡集の該当部分の向かいのページにあるヒルベルトのクラインへの手紙の内容と食い違う。

その他、間違いだらけ。良く読むと、歴史的イベントの時間的同定の検討が、ほとんどなされていないらしいことがわかる。

解釈に続く解釈の塊。伊勢田さん言っていた「変わった解釈をするのが仕事」というタイプの哲学者か?哲学だからと言って、こういう勝手なことでいいのか?梅原法隆寺論のレベルだ…歴史家の立場からは、あまりのずさんさに茫然自失という感じ。(まともな学者が、こんなことをできるということが理解できなくて、ショック!、ということ。)

この論文はクロネッカー論文と同じパターンをとっており、「神学」はジョークで言った、本当はほめている、という風に解釈している(ジョークであるのはそうかもしれない)、これではクロネッカー論文も信用できない…検討しなおし。


2013年5月26日(日曜日)

Kronecker の20世紀数学における位置 2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時10分43秒

Weil 予想は1949年のNUMBERS OF SOLUTIONS OF EQUATIONS IN FINITE FIELDS c.f.http://en.wikipedia.org/wiki/Weil_conjectures#CITEREFWeil1949

これには Kronecker への言及はない。

1950年に Kronecker に言及した意味は何か?

竹内先生が言っていたこと「Weilは日本人が好きだが論理学者が嫌い。プリンストンで遠くからWeilが歩いてくる。日本人だと思って、ニコニコしながら近づいてくるが、知けづいて自分だと分かったら背を向けて歩き去ってしまう」。論理学嫌いだから1950年の主張になったのか、その逆か、それともあまり関係ない?

竹内がプリンストンに行っていたのは1950年よりかなり後。

Zariski 1950年の講演。


2013年5月25日(土曜日)

Kronecker の20世紀数学における位置 1

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時06分11秒

Edwards はKroneckerのModulによる代数的数学の基礎はスキームのようなものではなかったか
ということを書いているが、その数学的・歴史的意味は詳しく論じていない(はず)。
で、「ゲーデルと数学の近代」で、クロネッカーの真の位置について書くときに、
Ernst Steinitz
Algebraische Theorie der Körper (German: Algebraic Theory of Fields, Crelle’s Journal (1910), 167–309).
だけでは、せいぜいがガロア理論なので数学的には深みがたりないので、これについて書きたかった。
#Steinitz 論文を見ると、その記述枠は Dedekind の数学の上にあるが、内容のほとんどは
#Kronecker からきていることがわかる。Dedekind の名前は、2度ほどしか、しかも、非本質的
#な仕方ででてくるだけ。一方で、Kroneckerは再三、数学的ソースとして引用され、また、
#「Kroneckerは有限的制限を置いたので、ここまでだが、本論文では、それはおかないので、
#こうなる」というようなフレーズが繰り返される。つまり、Zahlberichtのイントロでヒルベルトが、
#「Kummer-Kroneckerの計算的装置を、Riemann-Dedekind の概念的思弁的装置に
#置き換えた」と書いたのと同じことをやっている。つまり抽象体論の元はKroneckerの
#多項式枠組みをDedekind の集合論的枠組みに置き換えて、できており、それにより、
#Dedekind-Hilbert-Noether-van der Werden の系譜が、Kronecker の系譜を吸収し、
#Kronecker の成果が、現代では、あたかも、Dedekind の系譜の成果に見えてしまうという
#現象が起きている。

しかし、数学的知識が足りず、これがずっとわからなかったのだが、先日、名古屋の
浪川先生に、Weil->Serre->Grothendieckというのがスキーム系譜で、てぇr
Weil generic概念->Serre Sheaf-> Grothendeieck Scheme, Topos
だと教えていただいて、調べたらわかってきた。想像していたより、ずっと凄い。

しかも、これを名前などは知っていた Colin McLarty が大変丁寧に調べていることが判明。
非常に良い仕事!(2013.06.23追記:McLartyの歴史の調べ方が滅茶苦茶であることがわかったので、
これも信じられないかも…哲学者というのは、こんな人が多いのか?Siegさんなどは
大変にしっかりしているのに…)

The Rising Sea:Grothendieck on simplicity and generality I
http://www.math.jussieu.fr/~leila/grothendieckcircle/mclarty1.pdf
“`There is no ontology here’: visual and structural geometry in today’s Arithmetic,”
http://www.cwru.edu/artsci/phil/In%20press%20There%20is%20no%20ontology%20here.pdf

数学の内容は、McLartyのこれらの解説でわかるが(解説が大変良い。僕でさえホモロジー、
コホモロジーの背景と意味が腑に落とせる!)、Kroneckerのインパクトを何より如実あら
わしているのは、Weilの1950年のICMでの講演(これ、Weil予想の講演。
これ以前に、Weil予想は別の場所ででているのか?調べる!

A. Weil, NUMBER-THEORY AND ALGEBRAIC GEOMETRY
http://www.mathunion.org/ICM/ICM1950.2/Main/icm1950.2.0090.0102.ocr.pdf

The previous speaker concluded his address with a reference to Dedekind
and Weber. It is therefore fitting that I should begin with a homage to Kronecker.

# http://www.math.harvard.edu/history/icm1950/program/1005.html
# The previous speaker は Zarisiki
# Zariski The fundamental ideas of abstract algebraic geometry
# 内容をチェック!

There appears to have been a certain feeling of rivalry, both scientific
and personal, between Dedekind and Kronecker during their life-time; this
developed into a feud between their followers, which was carried on until the
partisans of Dedekind, fighting under the banner of the “purity of algebra”,
seemed to have won the field, and to have exterminated or converted their foes.
Thus many of Kronecker’s far-reaching ideas and fruitful results now lie buried
in the impressive but seldom opened volumes of his Complete Works. While
each line of Dedekind’s Xlth Supplement, in its three successive and
increasingly “pure” versions, has been scanned and analyzed, axiomatized
and generalized, Kronecker’s once famous Grundzüge are either forgotten, or are thought
of merely as presenting an inferior (and less pure) method for achieving part
of the same results, viz., the foundation of ideal-theory and of the theory of
algebraic number-fields. In more recent years, it is true, the fashion has veered
to a more multiplicative and less additive approach than Dedekind’s, to an
emphasis on valuations rather than ideals; but, while this trend has taken us
back to Kronecker’s most faithful disciple, Hensel, it has stopped short of the
master himself.

Now it is time for us to realize that, in his Grundzüge, Kronecker did not
merely intend to give his own treatment of the basic problems of ideal-theory
which form the main subject of Dedekind’s life-work. His aim was a higher one.
He was, in fact, attempting to describe and to initiate a new branch of mathematics,
which would contain both number-theory and algebraic geometry as
special cases.

Edwardsが指摘していたKummer全集のイントロのWeilの書き方から、Kroneckerを
相当に称揚していたらしいとは思っていたのだが、代数幾何の知識がなくて、
まさか Weil予想が、もろにKroneckerの数学の構想に関連付けられていた
とは思わなかった。かならずしも、Kroneckerの数学から、Weil予想が生まれたの
でなくとも、WeilがこのようにKroneckerのGrundzuegeを位置付けていることだけでも
重要。いや、むしろその方が重要な位だ。(ただし、それが他の代数幾何学
整数論研究者と共有されていたかどうかという問題があり、それは重要!)

これで、さらに類体論も持ち出せば、Kronecker の20世紀数学への影響を
「特異」とかいう評価が、20世紀数学の本流、代数学・代数的整数論
の観点からは、実に奇妙であることは明瞭にわかるだろう。

行うべきこと:
1.ヒルベルトの「Kummber-Kronecker を Riemann-Dedekindで書き換えた」の
書き換えポイントを正確に理解する。つまり、Zahlberichtのどこに、そして、
どのようにKummer-KroneckerとくにKroneckerが埋め込まれているかを正確に
把握する。
2.このような状況を、なぜ、Weil以外の代数幾何研究者が発言していないのか?
#浪川先生に聞く?まずは、浪川歴史論文みつける。
3.ICM1950以前に、WeilはKroneckerについて何か語っているか?
4.どうして、こういう重要なことが永らく、無視されてきたのか?
 単に論理学、歴史学、哲学の関係者の単なる無知のため??
 ウーム… 
 しかし、経済学史の人と僕の間で、「えっ、Jevonsって論理学もやってたのですか?!!」
 「えっ、Jevonsって経済学で有名だったのですか?!!」(Economicsという言葉
 自体が、Jevons によるものとか)という会話が成り立つように、まあ、歴史という
 ものは、驚くほど「無視」「無知」が横行しているものではある。だから、歴史家は
 常にフレッシュな風にあたることができる(19世紀終わりから20世紀初頭の米国の
 歴史家たちの危惧はまったくあたらない!!)のだし、いつまでも忙しい。 :-)


2013年4月19日(金曜日)

Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時26分54秒

„Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.“ 
ヴィトゲンシュタインの有名な言葉だが、これを高校生のころ読んだときには、
「何とかっこいい言葉だろう」と思っていたのだが、物事が解るようになるに
つれ、この言葉が嫌いになった。

正確に言えば、(おそらくは)ヴィトゲンシュタイン本人の意図ではなく、
以後の論理実証主義、分析哲学の「哲学ゲーム」、つまり、哲学者という過去には確固たる存在だった
人たちの生活や語りの形だけ真似たい人たちが、その仕事や生活の形(様式))が現代では無効になっていても、
どうしても形だけでも真似たいので、この命題を悪用する、その悪用された場合のこの命題が
(ようするにそれを悪用している似非学者が)嫌いなのである。

で、これを「語りえぬものこそ、語らなくてはならない」などと言い換えていたのだが、
どうもしっくりこなかった。しかし、明日の田辺哲学資料の読解演習の資料を編集していて、
「語りえぬものは語り続けなくてはならない」というのを考えついた。要するに、
これが田辺の切断なのである。

ただ、こういう風に「続けなくては」という temporal な表現
にすると、ブラウワーやドゥルーズと区別がつかなくなる…

ウーム、やはり、内包を外延から区別するのは難しい。
#それがTuringテストの意味。

ヴィトゲンシュタインが小学校の教師になった意味は
そこにあるのだが、それが実践できないところが、
この人の弱い所。やはり、この言葉と曲げた人たちと、
実は同種の人間なのだろう。だから、後期哲学は
奇妙に捻れている。その意味ではローティやドレフュス
が、この人をキルケゴールやニーチェとならべるのは、
間違いなのではないかと思う。


2013年4月3日(水曜日)

まさかナトルプでは???

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時56分05秒

月曜日、文学部前を歩いていたら、たまたま伊藤さんに遭遇。
ひとつ前の項目と、前から気になっていた新書の最後の項の
「宇宙における人間の位置」について教えてもらう。
後者は、シェーラーを意識したのではなく、シェーラーの時代の
前に、同じよなフレーズでの問いかけがかなりあり、その全体を
意識したものとのこと。たとえば、
http://www.scottishphilosophy.org/andrew-seth-pringle-pattison.html

ドォルーズのセリーの方は、畑違いで、ご存知なかったが、数列由来ではないかとのこと。
それならば、メシアンなどのトータル・セリエリズムの影響があると思われるドゥルーズの
セリーの概念、位でよいだろう。ポイントは、メシアンやトータル・セリエリズムではなくて、
それと本質的に同じブラウワー集合論との類比なのだから。しかし、時代的にいえば、メシアンたち
音楽家もドゥルーズも、ともにブラウワーからインスピレーションを得た可能性もゼロではない。
おそらくは、違うだろうが。しかし、そうならば、ソースが何かあるのではないか。ベルグソンの
持続では連続性が出過ぎているように思う。ナトルプではないだろうな….


2013年3月31日(日曜日)

メシアンとドゥルーズの関係を間違えていた

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時44分01秒

澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について―田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)―のメシアンとドゥルーズのセリーの関係の記述は間違いだろう。もとはヘーゲルあたりかと思っていたが、今朝、伊藤さんの最近の新書でベルグソンの項目を読んでいて直接にはベルグソンだと知る。これを知ったら、澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について―田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)―を書いているときに、メシアンがドゥルーズの素だと信じてそう書いたものの、その歴史的根拠を検証しなかったことに気が付いた。メシアンもドゥルーズもベルグソンなどの「歴史主義」に影響されたと理解する方が遥かに自然。その作業仮説で調査中。

で、どうして、安易にああ書いてしまったか、今となっては、全く自分自身を理解不可能。あれを書いていたときは、そうとうに「追いつめられて」いたので、ブラウワー、ホワイトヘッド、メシアン、ドゥルーズの類似性に気が付いて、全体がパッとつながり視界が開けためだろう。多分、こういうのが哲学的直観で、哲学としては、もしかして、あの論文で一番評価されるべきポイントなのかもしれないが、思想史で、それをそのまま使っては駄目だ。反省。

もう少し調べてから修正予定。ただし、この同型性は、思想史論文としても、田辺のシェリング的な絶対弁証法と、ドゥルーズの違いを明瞭に描くためには重要なので欠かせない。歴史的には間違いか根拠薄弱なのだが、説明のためのレトリックとしては本質的。ここが僕の理解・解釈が入る処。メシアンのセリーがドゥルーズのセリーの由来だという記述を、メシアンのセリーでドゥルーズのセリーを説明する or 理解する、に変えればよいだろう。ベルグソンからの由来や、この二つの思想の何らかの歴史的関係性を言えれば、それで十分だろう。最大のポイントは、ドゥルーズの様な立場だとスピノザ的に神が世界を演奏してしまうと言う思想に自然に結びついてしまい、田辺とは違うという解釈にあるのだから。

これは「自由」の概念をどう理解するかと関係していて大変難しい問題。実際、実存主義的に言えば、神が演奏していようと実存には関係なく、それは自由とみなせるのだが、しかし、ブラウワーの自由選列にすでに決定論を見出す田辺にとっては(ブーレーズが音列を選べるのだから創造性があるのだと主張したらしいが、これの対極。田辺的な音楽だと、さっき演奏した音は良くなかったので変えます、というような音楽になる。 :-()自由ではない。ここが田辺哲学の複雑なところで、田辺は「図式世界の軽視」に、どうしても傾いてしまうハイデガー的実存主義を批判し、「絶対」を想定して、これは決して手放さないのだが、同時に個の「自由」も死守しようとする。この両者を融合させると、殆ど、論理的必然性として、個の自由な選択・行為において絶対が顕現する、という「絶対還相」、つまり、懺悔道以後の切断概念に行きつくことになる。戦前の種の論理だと、この切断が「種」のレベルで起きていて、それは別の言い方をすれば、絶対である類が、国家として、この世にすでに顕現している(権現、菩薩のようなもの。神の代理店。神そのものではない)という、戦後、田辺が間違えていたと「種の論理の弁証法」のイントロで書いた思想に「留まって」いる。しかし、懺悔道で、この種が方便という名で、類と個の媒介、メディア、通信媒体の地位に落とされ、個と類が直接に切断で関わることになる。で、絶対も個を契機としなければ行為を現出できないと考えることにより「個の自由」が確保される。しかし、これも外延的に考えれば、スピノザ系の世界観と何ら区別ができない。つまり、位相モデル的な思想が簡単に作れる。そういう意味で、田辺はハイデガーの「世界の軽視、無視」に哲学的には反論ができない。ただし、個人の生き方のレベルで、この両者は大きな差をもたらす。しかし、田辺の人生はむしろハイデガー的だった気がする。ここが、僕が、この人を理解できない点だ。なんだが、畳の上の水練をものすごく真面目に懸命に命をかけてやっているというイメージ。即物的な僕としては、そんなことやってないで、溺れるかもしれないけど、兎に角、水に飛び込めばいいじゃないの、と言いたくなる…


2013年3月23日(土曜日)

SMART-GS 0.9.1 リリース、すぐに0.9.2 も!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時46分31秒

SMART-GS 0.9.1 をリリース。バグが大幅に取れたし、
Spread ごとの行方向概念で、画像文書とテキストの
対応具合が改善されたなど。

で、リリースした直後、一か所、長年不満に思っていた
マークアップの中にマークアップを描くときのUIの簡単
な改善方法を思いつく。で、久木田さんが改造してくれたら、
「今までのは何だったんだー?!!」と叫びたくなるほど
拍子抜けに快適になった。なんだろ、こりゃ?
#八杉の知人の数学者の方に、こんなのやってますとデモをしてみせたときに、
#いつもどおりの不具合で、みっともないな… と思っていたら、翌日、
#突然、トイレの中で解決策を思いつく。トイレの中というのが、
#ありふれていますね。 :-D で、今日になって、この問題を反芻していたら、
#なぜか、あまり関係ないはずの、
#画像マークアップのundoの正しい方式も思いつく。
#これも長年懸案だったが、あまり強い要望がないのと、正しいデザインを思いつけ
#なくて放置しておいた。技術的には、単にundoなので、やろうとさえ思えば、すぐに
#できるのだが、普通のやり方になぜか強い違和感があったので、わざと実現を
#先延ばしにしていたもの。やはり、使用経験の蓄積の問題か?

実用的なソフトを作っていると、こういうことが度々ある。
しかし、今回のは、その簡単さと、効果の大きさからして、
異例に大きい。

PXのような実験室レベルのソフト開発では、こういうことは、
滅多にない。どうして、実用ソフトだと、こういうコロンブスの
卵というか、アホみたいな見落とし、というのが良く起きるのだろうか?
これが前から不思議でならない。きっと何か理屈があるに違いない。

本質的には、僕が形式技法の限界と考えるものと同じだなこれは…
だけど、それだけでは、うまく説明できていない!!
考えねば。

とにかく、これで随分使いやすくなった。で、すぐに、0.9.2 として
リリース予定。


2013年3月19日(火曜日)

Radiation Therapy 終わり!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時46分21秒

昨日で、IMRT/IGRT 治療の28回の照射がすべて終わり! :-)
今日から、気分的にも、スケジュール的にも、ずいぶんと楽になった。
副作用がかなり酷くなって辛かったのも、昨日、薬を増やしてもらったら
改善された。早速、ヒルベルト論文執筆にもどるために、新しいPCを買って
からほっといていたLaTeXのインストールを開始。その他、色々、溜まっていた
仕事を再開!25度以上で、ようやく少し暖かいと感じる寒がりの僕としては、
暖かくなってきたのがありがたい。快適温度はやはり30度以上かな…
ただし、湿度が高いのは嫌いです。乾燥して33度などというのは、
大変に快適。35度は、少し暑いかな..程度。長年の京都の猛暑に馴れて、
ジャミラ状態。 :-D


2013年3月17日(日曜日)

続けて癌の話題

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時35分03秒

前回に続き研究以外の話題。

放射線照射は明日で終わりの予定。副作用は終わってから1,2週間は
むしろ強いらしいが、毎日の通院が終わるのはメンタルには楽。

で、この投稿を書く気になったのは、今朝の京都新聞で、僕としては、
驚きの記事をみたから。その記事の内容は、こちら:
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130316/trd13031617480010-n1.htm

驚いたのは次の2点:
1.癌が見つかるかもしれないという恐怖心から検診を受けないというのが受けない理由の2位で36%もある。
2.癌が見つかった場合、治療を続けながら仕事を続けらないと多くの人が思っている。

僕が前立腺癌の早期ステージという、癌の中では一番、良性に属する癌を
持っている点と、病院と仕事場が極めて近いという特殊事情があるものの、
癌になっていろいろと調べた感じでは、癌が不治の病とか、かかっていたら、
もう終わりとか、仕事と治療が両立しないとか、そういうのは、どうも、
この10年くらいの医学の進歩により、相当数の癌、とくに多くの初期癌
については、完全に過去のものとなりつつあるという感じ。多分、僕が一番警戒すべき
肝臓癌だと、まだまだ、そうはいかないのだろうが、前立腺癌とか乳がんなど
だと、早く見つけて治療し、その後も転移・再発に注意していれば、殆どの場合は問題なし、
という感じらしい。これよりは糖尿とか、ずっと透析が必要な腎臓病とか、
そういうものの方がよほど厄介なはずだ。

しかし、30代から、叔父叔母や母親の癌を見て、これは自分には確実に来る
だろうと警戒して、ずっとマーカーの検査などやって、実際に前立腺癌を
超早期で見つけることができたものとしては、1のメンタリティは驚き。
悪いことは、突然やってくる。それは人間にはどうしようもない。
そういうものだ。だったら、それにできるだけ対処して置くしかない
と思うのだが…

これは、癌に対する恐怖心が、社会にあまりに強くインプリントされている
ということもあるかもしれない。癌になってみると、まわりに「だれだれさんも、
これこれ癌で、今はピンピンして仕事をしている」というような話をたくさん聞く。
「えっ?!あの人も癌だったの?いつ手術したんだろう???気づかなかった!!」
というのもザラ。

で、考えたのが、こういうのは、僕みたいに、まわりにもっと触れ回るべき
なのではないのではないかということ。

僕の場合は、(せっかく?)癌になったからには何か利用せねば損だと、
「僕は癌です、僕は癌です、だから、雑用は勘弁ね」、
とか触れ回っている(実際、現在は確かに辛い。単なるいいわけ
ではありませんので、誤解のないように!それに通院も忙しい)。
反応はまちまちで、病気扱いにしてくれないで、思わず「軽いとは言いながら、
癌は癌なんです。それはないよー。もっと心配してくれーー(T_T)」
といいたくなる場合(^^;)と、ありがたいけど、心配され過ぎという場合
とまちまち。前者は少し性格悪いとして(Mさんご夫妻ごめんなさい(^^))、
後者の方には、もっと実情を知ってほしくなる。

癌になった人は、もっと、周りに積極的に触れ回って、正しい現在の医療の情報を
伝えるべきではないかな。そうすれば、1の36%はうんと減って、
癌はさらに治る病気になるのでは?


2013年3月10日(日曜日)

IMRT/IGRTで治療中

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時36分52秒

このブログは学生などの僕の周りの人に僕の活動を伝えるためと、
自分で自分の考えたこと、調べたことの記録を目的としているので、
基本的には研究・教育と関係ないことは書かないのだが、今回は例外。
1ヶ月以上、ブログを書いてない、その理由ではあるので、その意味では
近況報告ではある。

昨年の人間ドックでPSA値が少し高いので検査をしたら前立腺癌だとわかり、
現在、京大病院で放射線治療中。IMRT/IGRTという、他の臓器への負担が
低い放射線治療。物理だけでなく、IT,数学の塊のような技術で、実に
興味深い。通常、平日は必ず治療で38回だが、僕は、
IGRTという技術で精度を上げた上で一回の放射線量を少し増やし、回数を
少なくしてすませる、という方法の臨床試験に参加したので28回
ですむ。

もう残りの照射回数もすくなくなったが、10回の差は大きい。この後さらに2週間以上
と思うと、かなりしんどいだろうが、もう実質来週だけと思うと随分違う。
臨床試験の目的である1回の照射量を増やすことによる副作用の心配も、
従来の治療の副作用程度しかでていないらしい。トイレが近くなるのが、
辛いが、従来の方法でも、同じようなことらしいし、放射線治療の副作用は、
人によりまったく違うので、従来の方法でも、強い副作用がでる人がいる
らしい。それを考えると、僕のはどうもかなり軽い方らしい。最初、別の病院で
勧められた手術で1ヶ月入院に比べたら、月とスッポン。

一回の治療は30分程度で終わるし、オフィスからあるいても20分程度の
場所での治療なので、その点、実に楽。そういう治療が日本で一番得意
な病院のひとつが京大病院だったというのが、実にありがたいことだ。
#ちなみに、この治療法は、手術を勧められた後に、WEBで探しました。
#やはり、WEBは便利だ。

とはいいながら、やはり放射線治療に入ってこのかた、何か、体に力が
入らない。気力が萎えている。八杉が調べてくれたところでは、そういう
ものらしい。まあ、自分の臓器の一部を破壊しているのだから、当然だろう。
本当に何もなかったら、かえって心配でさえある。毎日、病院に通って、
巨大な放射線治療機で放射線を照射されているという心的ストレスも大きそう。
#最初は、やはり、ソフトウェア工学
#をやっていたとき、本やら講演やらで盛んに引用していたTherac-25のことを
#思い出してナーバスになった。

と、いうことで、ブログを書く気力もなく、1ヶ月と少しが過ぎてしまった次第。
SMART-GSの開発も、この間、大幅にスローダウン。やはりプログラミングは体力を
使うので…ただ、この間に「ゲーデルと数学の近代」の原稿だけは、かなり「進んだ」。
進んだ、に括弧がついているのは、実は、これで最終版と思っていた
導入部の1章を、大幅に修正中であるため。こんどのは納得がいくはず…
いずれにせよ、これだけは、やってて本当に楽しいので、しんどくてもやって
しまう。僕は家事も終わり、ちょっと休んで、大部遅くなって仕事を再開し、
夜中に猛烈に頑張る、ハッと気づくと夜明けのホトトギスの鳴き声が…、という
のが、若いころからのパターンなのだが、年を取ってきて、猛烈に眠くなって
起きていられなくなるようになってきたのだが、放射線治療が始まって以来、
これが特にだめ。年をとっても、まだまだ3時くらいまでは平気だったのが、
1時台でダウンのこのごろ。

この1カ月の間に、日本哲学史の修士論文の副査を頼まれたお蔭で、
E. Lask と Heidegger の関係についての最近の研究を知ることが
できたし、Lask を初めて真面目に読んだりとか、大変に勉強になっり、
橋本君とThompson君が大学院後期課程に合格したり、色々と収穫あり。
#この2名、4月からの、溝口君との3名のコラボが実に楽しみ。

とはいえ2,3月での講義準備がほとんどできなかったので、
来年度の前期の特殊講義は、昨年度のものの積み残し程度。
前期は、Michael Friedman の本のセミナーが
中心で、特殊講義は、これを補強するという感じかな?セミナーは楽しみ。
時間を合わせたでの哲学の学生さんも来てくれると良いのだが。


2013年2月2日(土曜日)

完全版「澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について―田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)―」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時01分16秒

京都大学大学院文学研究科日本哲学史専修紀要「日本哲学史研究」9号、2012年10月、pp.23-74
林晋「澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について―田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)―」
検索可能PDF(透明テキスト付画像)、修正あり(修正1:三二頁での節の説明の間違い、修正2:同一性を中心にした論理、同一性論理を、一貫して「同一論理」と書いていた。これはシェリングなどの「同一哲学」という用語と混同していた。これをすべて「同一性論理」に修正。また、一か所、同一性論理に基づく哲学という意味で、同一哲学、という言葉を使っているところがある。これは削除。)

出版後、4か月が経過したので、完全版を公開します。公開を許可頂いた、京大文日本哲学史専修藤田教授に感謝します。


2012年12月13日(木曜日)

誤解

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時25分29秒

月曜日に白眉セミナー(水谷さんの応用倫理のセンターと共催)のデジタル人文学
(デジタルヒューマニティーズとか人文情報学と言われることが多いもの)の集会で久木田さんが
SMART-GSについて講演、僕は講義で出られず、懇親会だけ出席。

その懇親会で、僕のことを田辺研究者として知ったという人がいた。うれしい。 :-)

「田辺をやっている人がいるのかとびっくりしたが、調べてみると
デジタル人文学とか色々やっているのが分かって….」というようなことを
言っていたが、如何に田辺が忘れられているかの証拠。

その後、たまたま、今夜、著者の一人からいただいた、金森修編「昭和前期の
科学思想史」を見ていて、金森さんが(ちなみに面識はありません)、
「田辺元をつぐはずだった下村寅太郎」という表現をしているのをみる。

金森さんは新カント派に言及しているのだが、おそらく、新カント派も、
田辺も、ちゃんと読んだことはなく、「田辺は日本最初の科学哲学者」という
流布した理解をそのまま使ってしまったのだろう。田辺は確かに日本の
初期の「科学」哲学者なのだが、科学を括弧で囲ったように、
この科学哲学とは、新カント派マールブルグ学派の意味での
科学哲学なのである。

しかも、それに善の研究あたりの西田の思想に基づくことにより、
マールブルグの「論理主義」に依拠しながら同時に反発したの
が田辺の「科学哲学」なのである。

新カント派マールブルグ学派の「科学哲学」は、その祖 H. Cohen を、
B. Russell がボロボロにくさし、それにCohenの後継者Natorpが真面目に
答えようとしたように、現代の科学哲学とは、似て非なるものなのである。
それに近い現代でもよく知られたものをあげるとすれば、おそらく
極めて逆説的ながらハイデガー哲学しかない!(ウームなんたる皮肉!!!)

下村は、金森さんが書くように確かに晩年に科学哲学を逸脱していくし、
僕の論文で何度か書いたように、田辺を否定する。しかし、それは下村が、
本質的に合理的で、田辺の持つ「闇の部分」を、おそらくは感じながらも
理解できなかったからではないかと思う。この「闇」を的確に理解した人
が西谷啓治であり、下村は西谷に比べると「合理的」すぎる。つまり、
田辺の本質を、なんにも理解できてない。あるいは、見えていても理解
したくない人なのである。

そういう意味で、下村と田辺ほど異質なペアは京都学派の中には、
おそらく他にない。これに比べれば、田辺と戸坂、そして、田辺と
三木というペアが、どれだけ共鳴していることか。田辺が三木の
女性関係を嫌ったので三木を避けたなどという理解が広まっている
ようだが、確かに田辺ならば三木の女性にたいするルーズさ
は嫌ったであろうが、田辺が女性を嫌いだとか、理性ばかりで
熱情がないなどというのでは全くない。鎧を着ている人なので
(これは久野収の表現)それが見えないだけ。それは、晩年の
プラトニックラブの相手、野上弥生子の日記で読める田辺に対する
評価がなによりもよく表していると思う。

それらに比べても、さらに深い対が田辺と西谷。
西谷は田辺に、その性根にある自然科学性に辟易して
(うん?本当かな?西谷を調べる必要あり!)、
限界を見出しながらも、
田辺の最大の理解者だったと思う。

その一つの理由は、田辺、西谷の夫人たちが、
仲がよく、それによる家族ぐるみの
付き合いという、田辺としては稀有のことが
あったことが、あるのだろう。
#おそらく田辺にとって夫人の存在は何よりも
#大きかったはず。田辺は夫人が亡くなったとき
#「妻が私を救ったのです」
#と言って涙したという話さえ語り継がれている。

西谷が回想した、自分の子供たちが
田辺家で遊んでいるのを、田辺が、それを怒りも
せずに覗いたというエピソード(子供達は
田辺を大変恐れたらしい。その一人が西谷祐作)は、
田辺の性格からすると驚くべきことのように思える。

おそらくは、子供のない田辺にも「おじいさん遺伝子」が
出現したのだろう。これを初老になった僕は実感として
感じる。最近、特格、なんでも、子供がかわいい!
自分と何にも関係がなくても、子供、赤ちゃんというだけで、
可愛い!

僕は昔から、子供好きだったが、田辺と同じく、
こどもがいない僕の場合、甥や姪にその対象は限られていた。
しかし、今、状況は、自分でも驚く程で、兎に角、
子供だ、ということだけで、体の芯の部分から、
「カワイイー!!!」と反応してしまう。
#ほとんどお婆さんの状況。
#もともとがおばさんおじさんだったので。 :-)

前立腺がんでホルモン治療をしているので、
完璧色気抜きのお爺さんになっているということもあるだろうが、
(なんでも色事に根拠を求める人がいるが、それが
間違いだということを経験しているこのごろ。
実に得がたい経験だ。うれしい!!!)、それ以前からも、
そういう傾向があったので、要するに、これは、
お爺さんになった人に出現する性向なのだろうと
思う。実に、おもしろいし、ある意味楽だ。

人間の本質は、やはり、シェーラーが言うように、
欲望とかいうものとは違うのだろう。


2012年12月12日(水曜日)

Scheler メモ1

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時49分35秒

B.7. S.240: ..; und in diesem Strome bilden sich erst allmaehlich fester gestaltete Wirbel,..
der Wirbel を生み出すder Strom は Ich-Du が起こす流れ: sich auf Ich-Du indifferenter Strom der Erlebnisse fliesst <<zunaechet>> dahin,
田辺の渦流と似てている。田辺文庫に Wesen und Formen der Sympathie はなかったか?
—————-
同、p.168 ein <<unbegruendbares>> Plus.
das Plus: 単純には surplus。日本語選集では「余剰」と訳している。
unbegrundesbar に注意。基礎づけられない何か。割り切れないなにか。
余りの様なもの。恐らくこれが、田辺S9年史料、冒頭の + の意味。
田辺文庫で、この部分に何かないか?
—————-
11巻、252-3頁:形相や本質を主題とする制度化された形而上学を駆逐したのは(コントが考えた様に)
科学(Wissenschaften)ではなく、正しく政治がこれを完遂したのである。….
Es ist daher aufs tiefste soziologisch getruendet, dass die revolutionaern Unterklassen des
<<vierten Standes>> und ihre Fuehrer die <<Wissenschaft>> ebensowohl zum Religions- wie zum
Metaphysikersataz zu machen tedieren und …. rationalen Scientisfmus der … Buergerklassen…
einen paragmatistischen technologischen Scientisfmus schone lange vor
dem Pragmatismus Booles und W. James’ usw. zu ihrer Leitidee machen.

dem Pragmatismus Booles und W. James’
確かにブールの数学論はプラグマティズムだが、Scheler はそれを読んだのか?
なぜ、数学以外には直接にはかかわらなかった Boole を James の前に
出したのか?
#ただし、Boole の平民学校(?)の努力が政治的なものを含まないわけはない。
#その意図は数学論の中にも明瞭に見える。しかし、政治論までは書いてないのでは?
#人脈の問題あるか?

Scheler のプラグマティズム論を調べる!

Gesammelte Werke の Logik の巻、手に入れる、調べる!
文 宗教 E||2464 2040893039


die revolutionaern Unterklassen des <<vierten Standes>> und ihre Fuehrer

コンドルセ、Condillac に影響された ideology の創始者? Destutt de Tracy,は、Fueher たちなのだろうか?

Klein, Daniel, “Deductive economic methodology in the French Enlightenment: Condillac and Destutt de Tracy,” History of Political Economy, 1985, 17:1, pp. 51-71

http://www.studyplace.org/wiki/Educational_Legacies_of_the_French_Enlightenment

Condillac -> Destutt: Condorcet との関係は?

Kloppenberg route!

———
13巻206頁- 「知識の諸形態と教養」
Band 9, S.85-: Die Formen des Wissens und die Bildung
1925年1月17日。一般向け講演であるために、非常にわかりやすく論点が提示されている。
Scheler 理解に重要。亡くなる3年前?
コスモスとミクロコスモス(個)
———-
13巻 Die Stellung des Menschen im Kosmos の、まえがき 死の数週間前のもの
ほぼ via media の哲学。哲学とは人間を中心としたもの。哲学的人間学。
12−3頁
…人間の自己問題性は….現代においてこそ最大限に達したのである。
人間とは何かについて厳密な知識をいつの時代にもまして持っていないとうこと、
そしてこの問題に対するどのような可能的解答も人間をもはや驚かせないということ、
そのことを人間が認めたときに、次の様な誠実性の新しい勇気も
(Mut der Wahrhaftigkeit: 正直さの勇気?)
また人間のうちに湧きおこったように思われる。
その勇気とはすなわち、この種の本質問題を神学的・哲学的・自然科学的な
伝統との従来普通に見られる結びつき…を断つことによって新しい仕方で
提起しなおすとともに、人間の自己意識と自己観察の新たなる形式を–
人間に関する種々の科学が獲得してきた個別的知識の膨大な宝庫を基礎としながら–
展開するという勇気である。

via media !! Hartmann 的であり、ある意味、ハイデガー的でもある。
しかし、ハイデガーは「人間に関する種々の科学が獲得してきた個別的知識の
膨大な宝庫を基礎としながら」という部分がない。Hartmann ?


2012年12月3日(月曜日)

経済学史学会ヤングスカラーセミナー

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時22分58秒

土曜日に経済学史大学のヤングスカラーセミナーでSMART-GSの講義と講習会。

講義の方は最初が僕のこのPPTを使っての説明。
後半は久木田さんのHCP関連の説明。久木田さんの説明は、
いつもながら的確で分かり易い。
特にバージョン管理方式の説明の図が秀逸。
久木田さんのスライドは、近いうちにリンクします。

講習会の方は、この資料をもとに説明するも、
予定時間を大幅にオーバー。最初は講習会風だったが、
途中からは時間がなくてほとんどデモの状態。
いつに間にか、こんなに機能が増えていて、説明が大変とは。 :lol:

こういうのを嬉しい誤算という。で、もう一つの嬉しい誤算(?)が、
ヤングスカラーセミナーというだけあって、若い人が多く、
講義もそうだが、懇親会で大変楽しかったこと。 :lol:

ひとつ面白かったのが、Nathan Rosenberg
その論文
の話をしても、誰もご存知ない!これはおかしいと思いつつ、
家に帰ってWikipeidiaのRosenbergの記事など見て、誤解に気付く。

Rosenberg の著作集など色々ともっているが詳しく読んだのは、
Babbagge, Mill, Marx の分業論の関係のみ。実は、その僕が詳しく読んだ論文が、
Rosenberg としては異例な作品のはず。

誤解していたが、彼は経済学史家ではなくて、経済史家であった!

この誤認が原因で、経済学史学会の人ならば、皆さん Rosenberg をご存知だろうと誤解していた。
しかし、Rosenberg の作品を読めば、実は、その研究の主要部部分は第2時産業革命のころの、
アメリカからドイツへの視線など、産業界の話が主で経済学史が視線に入っていないことがわかる。

Babbage についての論文も、そう思って読めば、Babbage の分業論の、他の分業論
との比較の議論があるので、一見、経済学史に見えるのだが、まだ、この当時は、経済学という
ものが確立されていたのだから(economics という言葉は Jevons からだとYSSの懇親会で
教えてもらった。面白い!)、Babbageは経済学者ではなくて実践家とみなすべき。
うまり、Babbageの本は、経済学書ではなくて、たとえば、大野耐一が、自身の
トヨタ生産方式について語っているようなものであって、だから、Rosenberg の
Babbage, Mill などの比較は、いってみれば、大野と Goldratt を比較しているようなもの。
ということは経済史なのだ!

Rosenberg の論文は、思想史的な観点からみれば、かなり分析の仕方やエビデンスの
つけかたが甘い。しかし、これも経済史だと理解すればわかる。
つまり、Adam Smith, Babbage, Mill などの分業論の内容の比較が中心で、彼らが
どう考えた、どう書いたかの検討が、あまり行われていないわけだ。でも、
それが少し入るので、僕は、そちらを見て経済学史と誤解してしまったのだろう。

だから、僕が講義で時間をかけて説明し、学生も面白がる、
de Prony の知的分業による階差計算プロジェクトの機械化が
Babbage の Difference engine であるという、
Babbage が力を入れて書いている部分も、
分業論の比較検討にくられべると、随分とあっさり
終ってしまっているわけだ。その部分は経済史には
ならないのだから。

そのために Rosenberg の論文は、情報史的な議論も経済学史的な議論も希薄となり、
Babbage, Adam Smith, J.S.Mill における分業論の内容の比較という、経済史としても
許容できる話が中心になっているのだろう。

そして、そのために情報史家からも経済学史家からも、
その重要性が見落とされてしまっているのでは
ないだろうか。

そうなると、 Rosenberg のテーマのもとで、
Adam Smith, De Prony, C. Babbage, そして、多分 Jevons の、
関連性を思想史や経済学史として研究する、ということが
考えられる。これは面白そう!!!


2012年11月23日(金曜日)

ソフトウェアプロセス改善カンファレンス2012 基調講演

10月10日に大阪であった、日本SPIコンソーシアム (JASPIC)主催、SPI Japan 2012
ソフトウェアプロセス改善カンファレンス2012で話した基調講演「社会とソフトウェア:あるソフトウェア工学者の経験」のPDFスライドが公開されていた。こちら、
http://www.jaspic.org/event/2012/SPIJapan/keynote/keynote.pdf

この講演の内容とも関連するが、最近、研究室の学生さんとか若い人たちと話しているとセレンディピティ(いままで、セレンディビリティだとおもっていた… :-()の話になることが多い。どうも、これを「運が良いこと」と「運が良いという能力」と思っている人がいるように思うが、そうではなくて、それは結局、物事を見落とさないことだと思う、というようにしている。実は、我々の目の前には、驚くようなこと、新しいこと、素晴らしいこと、重要なことが、沢山、そして、いつも通り過ぎている。しかし、それを気づかずにやり過ごしている。だから、本当はあるのに、ありがたい=滅多にない、と思ってしまうのである。

僕はプログラム検証論を捨てることを決意した後、驚く程セレンディピティが高まった。そして、今でもドンドンより高まりつつある。で、どうしてだろうと思って自分を観察してみると、簡単なことで、それまで超こだわる人だったのが、一番こだわっていたことをパブリックの前で捨ててしまったので、もうこだわること、つまり、格好良く見せようという気持ちがなくなったのである。もちろん、全然ないわけないのだが、それが検証論を捨てて半分以下にドンッ!と減った。そして、それから減り続けている(減り続けているのは、年取ってなんでも忘れてしまうようなったこともある。こだわりや怒りさえも忘れてしまう。 :-))それに伴って(反相関して)、セレンディピティがドンドン高まっている。

過去を振り返ると、自分のこだわり、自分の現在をそのままで保存しよう、という気持ちが、良いものを排斥して捨てさせていたことがわかる。コンピュータサイエンス関係で、一番大きかったのは、多分、古典論理とCコンビネータの関係だろう。Cコンビネータの発明者のMatthias Felleisenに、お前がやっているPXの様なコンテキストで、自分のCコンピネータに対応するものは何なのかと聞かれたのに、そんなものはないはずだ、と言ってしまって考えようともしなかった。苦労して作ったPXシステムが可愛かったのである。つまり、自分が、自分の作ったものが、一番で、それより良いものがあるはずはない、という奢った気持ちである。しかも、その後に、それと本質的に同じことを中野君が言い出したのに、その関係にまったく気がつかず、小林君と二人でアラを探して潰してしまった! :-(

で、その1、2年後にでてきたのが、Griffin の Cコンビネータの型が、古典論理の Peirce のルールである、という衝撃的な結果だった。Griffin は、そのころGUIみたいなことをやっていて、関係なかったのだが。

Felleisen に直接質問され、さらに、中野君が、Cコンビネータのことも知らないで、同じことを発想したのも聞かされて、その両方を聞かされて、それでも気がつかないというのは、これはわざわざ自分で目隠しをしていたとしか言えない。論理学の知識やら、Curry-Howard関係の知識・経験、Felleisen、中野君から話を聞いていたことからしたら、これに一番近いところにいたのは、Griffinではなく、明らかに僕だったのだが、そういう風に、ありがたい諸条件が、実際に目の前にあるのに、自分で、押しのけていたわけだ。

振り返ると若い頃は、そういうことを一杯やっていたのがわかる。だから要するに反セレンディピティ能力を人一倍持っていたわけだ。どんなに、美味しそうな料理が目の前に出されても、絶対に食べないぞ!と決めて、そんなもの不味いと言い張っていたわけである。 :-)

で、それで評価を受けていた検証論を捨てた途端、その反セレンディピティ能力が指向していた中心的存在がなくなったものだから、その反セレンディピティ能力が、憑き物が落ちたように「発揮できなくなった」。つまり、「物事を発見できなくする能力」がなくなったので、普通に存在する「ありえない幸運」につながる道を自然に歩けるようになっただけだ。そうなると遠くにぼんやりと見える行くべき道も見えるようになるので(遮るものがなくなるからだ)、ありえないことが連続して、常に起きるようになる。要するに、ありえない事は、実は、ありふれたことなのである。それをありえないことにしているのは、憑き物のような、自分のこだわりである。先に「京都学派の思想家の霊に呼ばれているような気がする」と書いたが、それも同じ仕組み。要するに何も抵抗せずに風に流されているので、自然にある場所、吹き溜りに、吸い寄せられているわけ。(吹き溜りというとなんか悪印象ですね。吹き寄せというと、実に美しい!丁度、今の季節だ。今年の京都の紅葉は事のほか綺麗なようだ。)

今のこの国の状況も、ほとんどは、そういう憑き物のためだと思う。まあ、そういうようなことを伝えたくて、あの基調講演をしたのだけれど、最後は、やっぱり、綺麗にまとめすぎているな… うーん、まだまだ反セレンディピティ能力が残っているのかも。 ;-)

後記
風に吹かれて飛ぶと、どこに落ちるかわからない。それに風に吹かれているというと何も努力しないで楽チンみたいだが、
実は、風に吹かれて飛んでしまうと、とんでもなくシンドイ仕事をするハメにも陥ることがある。先に、目の前にやるべきことがきたら、
それがシンドイことでも「よしやってやろうじゃやないか!」と楽しく思えるかどうかで、
人生が楽しいかどうかが決まると書いたが、それと同じこと。
しかし、純粋の不運というものはある。「幸運」が実はありふれているのと同じで、「不運」もありふれている。
それを避ける努力(左右確認とか、鍵をかけるとか)を、我々はいつもしている。
だから、不運は滅多に起きないが、我々の努力を軽々と超える不運はいくらでも存在するから、それは起きる時には起きる。


2012年11月16日(金曜日)

京都学派アーカイブ記者発表

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時25分53秒

11日に京都学派アーカイブを公式公開したので、京大広報室にお願いして、
13日に京大記者室で日本哲学史専修の藤田さんとともに記者発表。

思いがけず記者さんたちの質問攻めにあい嬉しい悲鳴。
予定時間を過ぎてまでも記者さんたちの質問攻めで、
藤田さんも僕も嬉しくも大変だった。
僕は画像を依頼されたので、ついでに携帯番号を伝えたら
追加取材攻めで、講義に遅れて行く程になり、藤田さんと
二人でビックリやら嬉しいやら。

なんといっても、大変地味な話題のはずなのだが、
西田のネームバリューの力に驚く。

いずれにせよ、ありがたい話だ。

記者さんたちが、みなさん感じが良い人たちだったのが嬉しい。
僕は日本のマスコミに批判的で、2チャンネルに乗じて、
マスゴミなどと悪態をつくことさえあるが、一方で、
日経の編集委員の松岡さんのように、尊敬に値する方が
いることも知っている。

記者発表を広報に相談したとき、嫌な奴がいたら嫌だな(うん?
tautology か?(^^;))と思っていたが、完全に杞憂だった。
さすがに司馬遼太郎がいた京大記者クラブということか。

いずれにせよ。嬉しい!

今日、教授会であった藤田さんも喜んでいた。
で、ついでにというと怒られるが、うれしいのが、
藤田さんが文学部ではないものの、来年度も京大にいる
こと。これはともかく嬉しい。さらに上原さんが
合流してくれるのだから凄い!実に幸運といえるだろう。

北大の中戸川さんが夏に見えたときに「京都学派の哲学者たちの
霊に呼び寄せられたような気がする」と半ば冗談でいったら、
真顔で「そういう気持ちでいることが大切だ」と言われた。

正直、中戸川さんの反応にビックリしたが、まさにその通りですね。

こういう幸運(ありがたいこと)にであったときに、
お天道様(public)のために「やってやろうじゃないの!」と
楽しく思えるかどうかで、人生が嬉しく終わるかどうかが
決まるような気がする。

今のところ、「ありがたい」の一言に尽きる。

….

結城さんだと「神に感謝します」とでも言うのかな….


2012年11月12日(月曜日)

京都学派アーカイブ正式公開

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時03分46秒

京都学派アーカイブを漸く正式公開。予定より2年近くも遅れた。
しかし、そのお陰で当初計画に比して、かなり充実した内容
にすることができた… が、疲れたー _| ̄|○

しかし、これも世のため他人のため。頑張ります!!


2012年11月7日(水曜日)

K.T.君の research proposal

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時25分46秒

科研費やら、京都学派アーカイブ新聞発表の資料やら、複数の書類の締切と、
Googleジャヤパンの清水君たちの訪問など、なぜか、この数日に5、6個の
用事が全部重なってしまい、呆然とする程の多忙。書類は、一つを残し、
先ほど、ようやく全部片付く。残りのひとつは同僚が書いたものに手をいれる
だけだし、大変しっかりした人の文章なので、金曜日までには楽勝で間に合う
だろう。

で、今日の昼間は、書類書きの合間を縫って、来春、ドクター
を受験予定の留学生のK.T.君と、research proposal の検討。

これが滅法面白い!TPS, Steve Kline, T. Winograd, Agile, Lean,
OSF, Giddens (たち)の Japanese model などにマルキスト、社会主義者の
カウンターパートがある。K.T.君は、そちらの系統の教育を受けているので、
すべてそちらから攻めているが、このリストの中で、唯一、Left系の
Winograd さんで接点発見。F.Flores は、F.T.君が注目している
チリ革命の立役者のひとり。しかも、この革命では、サイバネティクス
が重要な役割を果たしているとのこと。となると、当然、リックライダー
人脈につながる!

僕の背景は、どうしても資本側になってしまうが、ネグリと
Grundrisseを読んで以来、気になっていたマルキストのルートが
K.T.君のお陰で勉強できそう。是非、合格して欲しいものだ。
で、まあ、彼の実力からすると、当然合格なのだが、それでも
語学の試験があるので、合格するまでは、一応、フルネームは
避けて、イニシャルで refer。
#まあ、英語のresearch proposal の検討が全部日本語でOK
#の人だから、語学でダメといのも考え難いが、しかし、
#世の中何が起きるかわからないので、一応、慎重に…

で、Giddens やら、それからマルキストルートということで、
渕一博さんのことを話す。おもしろがるので、僕の渕さんについての
論文が掲載された本を貸した。黒川さんはどういうかな。そういえば、
メールにまだ返事していない。すぐに返事します、黒川さん!

思えば、これから調べる予定のSPDルートは社会民主主義、これと、
このルートの市場社会主義は関係あるのだろうか。実に興味深い。

思い出サルベージの発案者溝口くんの学振PDの申請(社会学)が
受理されて、来春から、彼が研究室に合流する。溝口くんと
K.T.君のシナジー効果が期待される。おもしろくなりそう。
卒業生のY.H.君もドクターで帰ってくることを希望しているので、
3名そろうと、相当におもしろそうだ。内、2名は吉田純さんの
紹介。吉田さんには感謝感謝!

と、希望は膨らむが、兎に角、明日は清水君たちグーグル社の
人たちの来訪と、Participationの思想の特殊講義。おっと、
まだ、講義準備ができてない!明日、午前かな?動員と
participationの関係など。

おっ!そうだ。コペンハーゲン交響楽団などの Smart mobs
の画像を見せなくては。おっと。先週、教室のネットが不調だった
のだった。午前中に必ずcheck!!!!

はー、忙しい。コピーロボットが欲しいな…


2012年10月23日(火曜日)

少しましになってきた咽喉

カテゴリー: - susumuhayashi @ 10時44分57秒

昨日、耳鼻科に行ったら、内科から出ていた抗生物質を
別の強いものに変えてくれた。これを飲んだら随分
情況が改善。お医者さんの話では、鼻の雑菌が、寝ている
間などに咽喉に洟として下りてきて、それで咽喉が腫れている
とのこと。だから、雑菌を減らしたら改善するということらしい。

しかし、最近思うことに、昔、僕の父が開業医だったころは、
医者は経験がものを言ったのだが、医学の進歩が速いために、
それがもう成り立たないらしいということ。大学病院などの
少数の病院でしかできないような、特殊な外科手術とかは、
別として開業医レベルでは経験より設備と知識の方が有効に
なっている。つまり、若い医者の方が、統計的には上手という
時代になっている。

しかし、おそらく古い世代はそれを理解できない。というより
理解したくない。これが現在の日本の最大の問題なのだが、
僕のまわりの世代は真実を見たくない人が本当に大半らしい。
そういう時代に老人社会になる日本の未来は老人がどれだけ
賢い隠居になる気になるか、それにかかっている。
#しかし、こういう人生観が国を滅ぼすというのは、
#まるでインカ帝国ではないか。

停年を迎え、社会・組織のしがらみからかなり自由になったはずの
最大集団の団塊の世代が、後藤田正晴の予言が実現しかけていることに
奮起して、この予言を潰すような行動にでてくれれば、
この時代は一挙に好転する(すくなくとも楽しく生きられる
ようになる)はずなのだが、難しそう。

高倉健あたりが変身してくれないかな…
#健さん日本を救う、とか。 :-)


2012年10月21日(日曜日)

声が出ない!!(T_T)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時58分49秒

先週の月曜日に起きたら咽喉の調子がおかしく、風邪のような感じ。
それを押して講義をやったら、どんどん悪化。
火曜日には、すでに殆ど声がでなくなった。

昔、東館の寒い寒い階段教室で(その一番下、つまり、一番寒いところで教員は喋る!)、
風邪を押して全学共通の講義をやって、半年ほど声がちゃんとでなくなった
ことがあるが、それと良く似た状態。その時は夜中に口蓋垂(要するに「咽喉ちんこ」)
から血がぽたぽた滴り落ちていたが、今回は、そこまでではないものの、
やはり血が出た。

で、ここで無理すると半年、講義がろくにできないことになりそうだし、
それ以上に、前回以上に声がでないし、筋肉痛がして物凄くだるい。
#かつ、体温が低下。

で、結局、休講にして、内科、耳鼻科と受けたが、内科の先生に
紹介してもらった耳鼻科の若いお医者さんの医院の設備がよくて、
ファイバーで自分の咽喉を見せてもらった。自分でも、
エッ!と驚くほどにパンパンに腫上がっており、白いはずの
声帯もしっかり赤い。

東京の知人も同じような目にあったらしく、明らかに風邪なのだが、
しかし、どうも酷すぎる。いつまでたってもなかなか良くならない。
家をリフォームしたてで、どうもシックハウスが風邪で傷めた
咽喉をさらに傷めている可能性が高い。あるいは、リフォーム中に
たまったホコリか?(リフォームしたところは綺麗にして渡して
もらったが、手を入れてない部屋などはホコリが蓄積している。)

咽喉だけでなく筋肉痛も酷かったが、土曜日ころからようやく
それだけは治まってくれて、で、今日は、来年度の予算の申請書書き。
しかし、咽喉の方は殆ど悪い状態維持のまま。これでは講義ができない。
どうしよう….

学生さんたち、もし読んでいたら、そういう事情です。

喋らず、スライドを示しながらの講義というのは、
どうもインパクトがないな…

お医者さんには、強弱をつけて話すな、フラットに声を出せ
といわれた。ということは、良い講義・面白い講義をすると、
咽喉を傷めるということか。職業病ですね、これは。


2012年10月9日(火曜日)

この数日が楽しく忙しかったこと

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時32分27秒

京都学派アーカイブが今までに作成した田辺資料のリストを除き、大体できたので、
記者レクチャーをしようと思い9月の20日ころに大学の広報に相談に行ったら、
10月の前半はノーベル賞の件で大変なので、9月終わりにするか10月ならば終わりころ
にして欲しいといわれた。

医学部の山中さんのことだろうと推測ができたが、日本が生んだ科学技術の
最大のものであることは間違いないものの、まだ実用になってないから、
もう少し先のはずだと多寡をくくり、生理学・医学賞の発表が終わったら
いいのだろうと考え、それまでに何とかアーカイブを完成することにした。
#八杉が産大理学部長時代、毎年、益川さんの結果待ちで、この時期は
#帰宅が遅かった。受賞したら益川さんの隣に座ることになるので、
#もしかして写真やTVにうつるかもしれない、というので、
#いつもノーベル賞発表の時期になると美容院にいってた。 :-)
#某国営放送第一の漫才コンビの「学問」番組からアクセスがあったときは、
#完全無視していたから複雑。まあ、八杉のことだから、
#でたくなくても理学部長だと責任上でるしかないという
#ことだろう。NHKの方、もうウン十年若かったら出たとか言っていたが、
#確かに、僕が二十歳のころ、最初に静岡に尋ねたとき、素敵でした。(*゚ー゚*)ポッ
#ム、私事でした….

それで、この連休に登校して資料整理と更新。
家のリフォーム中で、仮住まいなので、FTTHが使えず、大学で
やるしかない。

ところが、この間、仮住まいの目と鼻の先の粟田神社でお祭りがあり、
その見物やら、以前から機会があったら会いましょうと約束していた
結城浩さんが用事で京都に見えたので、3人で会食やらで、
実に多忙。もちろん、理由が理由だけに、実に楽しい多忙。

しかし、これでは、生理学・医学賞の発表開け位にまでに間に合わないな…
と焦っていたら、なんと予想に反して、山中さんが受賞!!
僕のいろいろな予想はよく当たるのだが、自分の忙しさに関係する予想の場合は
大抵外れる、はは… ;-)
これでは記者レクは11月ころまで延期かな…

その山中さんの存在を初めて知ったのは、NHKのニュースを
見ていたとき、突然話が変わって、山中さんのインタビュー
に切り替わったとき。この人の存在を知り「こんな科学者が
日本にいるのか!?」と大変に驚いた。驚いたのは学問
上の「業績」ではなくて、この人の研究の原動力が、患者
を助けたいという気持ち、しかも、具体的な患者をイメージして
基礎研究を懸命にやっているということ。

こういう人は、実は、アメリカなどのキリスト教圏(プロテスタント圏?)
には少なくないのだが、大変残念ながら現代日本ではほとんど見たことがない。
だから、驚いたのだが、色々調べて、この人の研究上のルーツがアメリカ留学
にあるらしいことを知り納得。ある意味残念ではありますが…

実は、結城さんの存在を初めて知った時に、僕が感じたのが
同じく「えっ、こんな著者が日本にいるのか?!」だった。
研究室の学生の谷内上君が、試読しているデザイン・パターンの
本がすごくいい、といって、ゲラ刷りを持ってきてくれたのを
一読してガーン!正直、名前も知らず、全く、期待してなかった
だけに衝撃は大だった。

兎に角、読者がどう考えるかを考え、なんとか読者にわかってもらい
たいというデディケーションがヒシヒシと文面から伝わってくる。
著者の独りよがりや、やっつけ仕事としか言えないような情報系の
和書ばかり読まされてウンザリしていたので、結城さんの原稿は、
本当に衝撃的だった。

僕は「プログラムを書くということは、それを使う人の
仕事の肩代わりをしてあげることなのだ」と思っていた
から、その意味でも、結城さんの仕事はすばらしく思えた。

このお二人、今回WEBで調べてみたら、面白いことに1歳違いらしい。
そのお二人に、同じような印象を受けるということは面白い。

30代位までの若い世代に素晴らしい人たちが生まれてきているが、
その人たちが社会の主導権を握るまで、僕らの年代以上の
世代が完全退場するまで、この国の余力がもちこたえることができる
のだろうか、と暗い気持ちになっていたのだが、こういう人たちが
50歳前後に自然にいることを見ると、僕の予想は、
またまた外れるのかなと、少しうれしくなっているこのごろ。

こういう予想は、是非とも外れてほしい。


2012年10月2日(火曜日)

今年の「日本哲学史研究」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時56分23秒

僕の、中沢新一・澤口昭聿多様体哲学批判論文が掲載された、今年の「日本哲学史研究」を頂く。
ひとつ前の巻頭論文が、岡山の行安先生の論文であるのがうれしい。僕の西田・田辺記念講演の
際のもう一人の講演者だった方。なんでも定年後の方が、著作数が多いとか。西田や田辺のようだ。
僕も頑張ろう。岡山弁だったが、僕は尾道なので、その点でも感じがよかった。
その行安先生の研究テーマとして知られるT.グリーンの思想が、最近の僕の研究に
関連を持ちそうなのも面白いし、何か、うれしい。

僕の論文は書いているときから、やたら長いな、とは思っていたが、
印刷されてみると、本当に長い。よくこんな長いのを出版していただけ
たものだと思う。藤田さんに深く感謝。

しかし、人の思想の批判なので、変なことを書いてはいけない。
丁寧にやるしかないので、これ位の長さが必要ということだろう。
もう批判論文はできたら書きたくないな。あまりうれしくないし….
しかし、随分苦労しただけあって、結構な自信作。

このブログに貼れるのは、2月以降。4か月経過したら、ということらしい。

そうだ多様体哲学というものがあるので、「フィロソフィア・ヤポニカ」
という本を読んでみては、とすすめてくれた中戸川さんに論文を
送らねば。沢口さんは中戸川さんの
学位の主査だった。中戸川さんは、沢口の哲学には辟易していたらしいが、
その気持ちはよくわかる。しかし、中戸川さんは沢口が、最初の
多様体哲学の提案者だとは知らなかったらしい。実に因縁めいている。

田辺の「公理主義」や、北軽井沢の、野上と田辺の話といい、
どうも僕の京都学派研究は因縁が多い。
京都学派の哲学者たちの霊に呼ばれてたりして。 ;-)


2012年9月16日(日曜日)

JADH2012

カテゴリー: - susumuhayashi @ 21時59分24秒

東大の永崎さんにすすめられてSMART-GSについて講演したJADH2012からの帰りの新幹線の中。

技術志向の講演・デモなどが多そうで、これでは興味をもってくれる人が少なくて、デモの手伝いをお願いした、久木田さん、大浦さんも手持無沙汰になってしまうかと懸念したのだが、実際にはデモが非常に好評でお二人とも大忙しの状況だった。お蔭で僕は、長尾先生に教えて頂いて、前から気になっていた東大の「思想」の電子化のグループのポスターセッションを見て議論をすることができた。しかし、予想に反して実によい手ごたえ。よかったよかった。 :-D

お蔭で「ゲーデルと数学の近代」の筆もすすむ。このところ、すごく文章の組み立てがカシャカシャと組み合わさり始めてよい感じ。千葉さんご安心を。 :-)


2012年8月30日(木曜日)

情報の宝庫 二つの田辺文庫

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時46分19秒

2012年1月号「思想」の田辺史料紹介記事。公開を許可いただいた岩波書店に感謝します。


田辺元の「数理哲学」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時42分29秒

2012年1月号「思想」の田辺哲学論文。公開を許可いただいた岩波書店に感謝します。


2012年8月26日(日曜日)

京都現代哲学コロキアム

カテゴリー: - susumuhayashi @ 09時31分42秒

25日午後、京都現代哲学コロキアムで講演させてもらった。
https://sites.google.com/site/kyotocolloquium/home/meetings

お願いして聞いていただいた社会学の吉田さん以外は、大変若い人たちばかりの
小さな集会。やっている研究が溝口さんとの議論で何かようやく方向が完全に
わかったと思えたので(感情というそれまで考えていなかったファクターが、
彼との議論が切っ掛けでシェーラーを通して、ワッと全体とつながった)、
久木田さんの誘いにのり話させてもらったものだが、若い人たちの小さな集会。
僕の研究の全体像を初めて出すことにした講演だが、それに適した場だったようで、
大変良いコメントと反応をもらいうれしい。

溝口さんには無理難題であることは承知で、講演をしてもらったが、
やはりちょっとつらかったみたい。すみません。m(_ _)m
でも、興味を持つ人が多くて人的関係もできたみたいで、
とにかく、よかった。僕も彼と話せたし。

Moore はマッキンタイヤなどの倫理学史を調べ始めたところだったので、
少し気になり始めたところだったが、オーストリアは考えてなかった。たしかに、
ブレンターノとか無視してウィーン学派の時代を語ってはおかしいだろう。
モダニズムを通しては着目してはいたのだが、こちらに考えがまわっていなかった。
ハプスブルグを無視するのは完全におかしいのは当たり前だが、見えないときは
見えないものだ。こういうのを教えてもらえるのが知らないところで講演などをする
ことのよい点。京都学派を通して中国、韓半島などの極東の問題もあるし、
まだまだ、いろいろありそうだ。

そのときの講演スライド(8.30に修正)。今後、これを柱として進むことになる。

Oxford の丸山君が夏休みで帰国していて参加してくれていたが、ひとつ前のブログをみて、
間違いを教えてくれた。僕が見たのは、このブログの古い Google search cash らしい。
今は、ああいう間違いはないので訂正。カナダの大学の学生さんの林さんと僕を混同して
起きたまちがいとのこと。この25日の投稿、講演スライド準備中(できたのが、講演30分前。
いつものことだが、そういう時の方が良いものができるのがおもしろい)に逃避行動で書いたもの。
で、ろくにしらべずに書いた。反省。まあ、軽い話題なので… ;-)


2012年8月25日(土曜日)

なんじゃこりゃ???!?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時06分55秒

この投稿、次の投稿で修正

Wikipedia のこの項目で、

ゲーデル研究者で京都大学教授の林晋は、東のゲーデルへの言及に「東浩紀の知的誠実さ、
そして、そもそもの知的能力を疑わせられる」とtwitterで激しく批判している。

とあったけど、僕は Twitter 使わないのだけれど….

ゲーデル研究者で京都大学教授の林晋は、これを書いた人の知的誠実さ知的能力を疑うと自身の
ブログでやんわり批判している、とか。 ;-)

この本、以前買ったが、ちゃんと読まなかったので批判することはない。
でも、東さんの別の著書をちゃんと読んで、昔の講義資料で批判して、
それをWEBに置いていたことはあります。
#著作権が問題にならない限り、僕は全部公開してしまいます。
#制限かけるの面倒くさいので。それを読んだ人が書いたのかな?

ただ、最近書いた中沢多様体哲学批判では、そんな感じの批判をしています。
#ただし、中沢さんの正しいところは評価しています。

僕は大変嫌味な人間ですが(嫌味を言うのが生きがい :hammer:)
正しいところは誰でも評価します。


2012年8月17日(金曜日)

漸く通常モード?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時51分18秒

約25日ぶりにSMART-GSのコミット。2回の引っ越しやら病院がよいで時間を取られて思うように進まなかったが、この数日でかなり前進!

原稿と内海日記の件、京都学派アーカブなど予定山積!!!!!

今日考えたこと:人間より遥かに高速の思考しコミュニケイトする生物がいたとする。もし、マイクロ秒が人間の1年に対応するが、
思考レベルは人間と同じとしたら、その生物の社会の思想は人間にはランダムに見えるのではないか?少なくとも人間はコミュニケーション
を観察できないので。

価値と実質の相違も、そういう時間の差異ではないか?

田辺のヒルベルト公理論への歴史主義的評価。歴史主義とは知識社会学的ということ。社会こそが歴史のメディア。

これはライプニッツ新理論の神の必要真理が人間には偶然とうつるというのと同じ思想。

これらの思想は完全に外延的。

これはドゥルーズ・スピノザに自由を見る観点、カオスの観点と同傾向の思想。

それに抗したのが、前期、ハイデガー。(後期は?)


2012年7月29日(日曜日)

ゲートボール科学史家増加中?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時27分24秒

先日、I君のドイツ留学壮行会に参加したとき聞いた話。

最近、理系の専門家が科学史の論文を専門誌に投稿してくる人が増えているらしい。
これに科学史の学会は相当に困っているとのこと。本当に気の毒。

どうも、日本の理系の研究者は、その分野の歴史は自分ならば直ぐに分かると
思っているらしい。よほど人文学の素養がないらしく、歴史学、人文学の蓄積
などはまったく無視でそう思うらしいので本当に困る。

それぞれの分野でそれなりの仕事をした人たちが、そういう風に振舞うことが
往々にしてある。僕も、自分の講演の後の、老数学者のあまりに外れたコメント
に唖然としてしまい、声がでなかったことがある。

本人はニコニコしていたから、洒落たことを言ったつもりだったようだ。
僕の絶句の意味も理解できでいないようだったが…

RIMSで秘書をやっていたSさんが、「溝畑先生や山口先生の世代までは、
ドイツ語やフランス語もわかって歴史の議論などよくされていたが、
今の先生方にはそれができない」と言っていたが、その出来ない世代が、
今、停年を迎えている。

どこまで、この国の文化程度は落ちるのだろうか。
団塊の世代とともに悪貨の帯が消えて行ってくれるとよいのだが、
むずかしいかな…

うん?Kさんは団塊より10年以上年長か!
落ち込みの根は深いようだ…

日本の悪い時代しか知らない若い人たちに期待しよう。


2012年7月12日(木曜日)

何が忙しかったのか???

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時54分15秒

この1ヶ月ブログ投稿がなかったことに気付く。
何でだろう。いそがしかったのに…

僕は雑用でなく忙しいと考えたことを記録する
ためにブログのエントリーは却ってふえる。
プログラミングは別だが、このところ特に
プログラミングの時間が増えているわけでは
ない。忙しいとはいえ、記録しておくような
ことがなかったのか、というとそうでもない…

おそらくは、新しく考えたことは、講義資料のHTMLファイルと
田辺元史料演習用のSMART-GS のファイルに書いて
いたから、ここに書く必要がなかったのだろう。

で、そういう講義の一つ、月5の特殊講義
(ただし今週は月曜日の休み対策で水曜日にも実施)で、
ライフワークとでもいうべき、社会学と数学基礎論史、
ソフトウェア工学などの連結の話をしている。まだ
十分ではないが、まずまずの手ごたえ。

この講義で、形式系を結城さんの
「知らないふりゲーム」のコミック化で説明したら、
物凄く良い反応。やはり、あのコミックの力はすごい。

で、講義をしていてわかったが、僕ら専門家はつい
形式系を内側から、種から段々と増やすという
inductive definition としてだけ説明して
しまう。これは形式的な定義としては正しいのだが、
多くの人にとっては、それにより
取り残される自分の実質的直観の方が問題となる。

僕ら学者は、そんなの自分で処理するべきだ、
それについては数学は語れない、という位に思っているので、
これについては、あまり語ろうとしない。
そのために素人さんは谷に突き落とされる。

学者として形式系を理解したいというような場合には、
そうやって谷底に落ちて、自分で這い上がれないような
人は静に去って欲しいので、こういう態度も良いのだが、
学者を目指さない人たちに、それを求める必要はまったくない。

では、それをどうあらわすかとなるのだが、
コミックでは、そういう時に起きる心的葛藤を、テトラちゃんが
呆然とした白目になって、そのまわりには
「親しい」数たちが舞い、混乱の極みに落ちているという
絵で示している。そして、「それでも知らないふりをしなと
いけないのですね」といってテトラちゃんが、あこがれの
先輩との会話の中で、先輩が提示した形式と親しい実質との
乖離を、おそらくは先輩との「あこがれ」という人間関係を
梃子にして、飲み込むように引き取る、
という「形式系の理解者の心的動き」を再現している。
それ故に、見るものはテトラちゃんへの共感を通して、
完全には理解できなくても、何か、そこに自分が理解できない
までも、何かあるのだ、ということで納得できるらしい。

これ実に面白い。色々なものに繋がりそうでさえある。


2012年6月12日(火曜日)

田中煕

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時22分55秒

書籍名  社会哲学から政治哲学へ
著者名  田中 煕
著者紹介 大正15年京都帝国大学文学部哲学科卒。昭和4年から西山専門学校教授。昭和4年同志社女子専門学校講師。12年高田専門学校教授。15年台北高等学校教授。17年台北帝国大学助教授。21年関西大学教授。22年立命館大学講師。23年京都大学講師。36年同志社大学講師。39年(京都大学)文学博士授与。46年関西大学名誉教授。西山短期大学教授。
発行社  田中煕博士古稀記念事業会
総頁数  244
定価・頒価  非売品
発行日  昭和46年12月10日 1971
判サイズ(mm×mm) 211 150
貸出料金 480円

http://library.main.jp/index/jst31276.htm

自伝的もの
http://ci.nii.ac.jp/els/110004640761.pdf?id=ART0007357162&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1339428112&cp=

広辞苑に「分有」あり。普通に使われる言葉(だった)か?


2012年6月10日(日曜日)

西哲叢書 弘文堂

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時50分23秒

金2演習で山田さんが調べてきた田中著「シェーラー」は田辺の監修の弘文堂西哲叢書の一冊で、佐藤省三の「コーヘン」もそうだった。そして、ライプニッツを下村が、下程がフッサールを書いている。

これについては、これの、3.2.1に引用されている言語学者泉井久之介の著書の序言に情報がある。

田中のシェーラーでは teilhaben が分有と訳されているらしい。


2012年6月6日(水曜日)

不如帰

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時54分59秒

おっ!不如帰忍音?夜中だな…
今年は少し遅い。

日曜に未生流笹岡の御呼ばれで、宇治のミュージアムで
都名所図絵の展示を見たときに、山科は昔、不如帰の名所だったと
八杉にいったら、徳富蘆花の不如帰の旧山科駅のシーンは、
そのためかと問われた。考えても見なかった…

どうなんだろう。ありえるかも。


シェーラー!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時45分37秒

金曜日の演習の準備のために春に買っておいたシェーラー全集を見る。改めて全体のタイトル屋内容を見て唖然。共感は親密圏、文化社会学の基本公理は現代のWWWなどを連想させ、すべてが現代を先取りしているかの様にさえみえる。まだ、それが本当かどうかは分からないが、どうして、この様な思想家がハイデガーの陰に「忘れ去られた」か。これは思想史の大きなテーマだし、現代の情況を考える上で大きそうだ。

西田・田辺講演での中川久定先生の田中美知太郎の(おそらくは)田辺への嫌味についてのコメントのソースを探すのは難しそう。田中がこんなにマスコミでもてはやされていたとは思わなかった。量が多すぎて… しかし、図書館で全集を捲ってみて、田中美知太郎という人の哲学者としての業績がさっぱり見えてこない。基本的には紹介者かつ論壇の人であったらしい。これと戦前の京都学派の対比、さらには西などとの対比が、現代日本の「思想」、特にそれと大衆との関係の理解という、以前から気になっていて、どうアプローチして良いかわからずにいたテーマに近づく道を示唆しているような…. (だとよいけど。)

データマイニング、ビッグデータの本とともに、新井紀子さんの本が来たのでざっとみる。このテーマは日本ではマスコミの殆ど乗っておらず、それが気になっていたが、新井さんの本は、そういう意味で良い本だ。しかし、後半の数学云々は蛇足のような。数学は必須だが、数学だけは乗り切れない。むしろ「人文系」が重要。

とは言いながら、刺激を受けて、色々考えている内に生命工学との関連に思い至る。コンピュータは職を奪わない(すくなくともコンピュータが完全に自立するまでは)。職を奪っているのは、バベッジ・マルクスの時代も、現代も、機械(社会システム、官僚制などを含む)で武装したサイボーグである「資本家」や「ビジネス」。(ただし、これはアダム・スミスがいうように職を生むものでもある。)つまり、人。経済・経営学の「バベッジの原理」がポイント。格差が水力発電のための水位差として利益を生む。

そうなると昔僕が超忙しかったころにマンガのパーマンのコピーロボットが欲しかったのと同様に生命工学を利用した自分の脳の拡張とか、自分のスペアや、自分の分身として使う肉体を生まれたときから育てておく、ということが起きるだろう。早晩、脳と機械は連続に繋がる。その時、機械(マシン、コンピュータ)を介して、自分(?)と、自分の分身がシャム双生児のように繋がることは「当たり前」のことだろう。それをどう「使う」かは、社会的には法律の問題となるだろう。「分身」が「本身」に従うべきというようなルールは社会的な方法、例えば法律でしかコントールできないはずだ。となると、これは倫理学などが重要な役割りを果たす。その時、多分、シェーラーが出てくる。

それを見てから死にたいような、見たくないような….


2012年6月3日(日曜日)

西田・田辺記念講演会 藤田正勝講演

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時24分47秒

2012の西田・田辺記念講演会の藤田さんの講演を聞いた。

昨年まで特殊広義に出席させてもらっていたが(今年は担当している講読とぶつかり出席できず残念)、
その内容とほぼ同じで新味は無いはずなのだが、数年の間に藤田さんがその研究を発展させながら話した内容を、
1時間余に纏めた形で聞くと多いに違う印象で、特に田辺のドイツ留学から以後のタイムスケールを僕は正確に
つかめていなかったことがわかった。

で、兎に角、大変に面白かった。講義で聞いているときから、「おおっ!極めて慎重な人が随分大胆なことを言うな」
と驚いていたが、纏めて聞いてみると、これは大変な研究で、田辺と西田の関係の通説を否定する、実に大胆かつ
真っ当な提言。確実で真っ当なものは大胆になれる。

宗教学の杉村さんの質問への回答にあった研究方法の示唆とともに、これは今後の日本哲学史研究の行方を
決定づける重要な提言だと思う。土日は大学には極力出ない方針にしているが、今日は出て本当によかった。
藤田さんの後任がどうなるのか心配だが、藤田さんのような学者としての実力のある人が来て、この路線を
継いでくれることを願う。

善の研究出版後の百年が過ぎ、西田に加えて田辺の著作権がもう直ぐなくなる。また、戦後、田辺や京都学派に
貼られたレッテルから自由な世代の研究者が主流となってきた。京都学派研究は、こういう時間の問題で言えば、
これからが始めて中立的研究が可能な時代に入る。つまり、正当な学問としての京都学派研究は、これから
始めて可能なのである。西田、田辺、九鬼、和辻、朝永、三木、戸坂、西谷、高山、….,この多彩な
人脈を考えれば、これからの思想史、文化史、哲学史、哲学を担う若手にとっては、京都学派研究は、
大きな可能性を秘めた領域だろう。

そのためにも旧時代となりつつある第2次世界大戦後、特に戦後民主主義の時代以後の京都学派観を
根底から見直す必要がある。


2012年5月20日(日曜日)

この「ブログ」はブログではない

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時14分24秒

一つ前の Jevons, Babbage の投稿は、僕の講義に出ている人たちに見せる、僕の研究に関心を持ってくれている人たちに見せるという意味も大きいが、何より大きいのは、自分が考えたことを纏めるためと、忘れないため。例えば、この投稿の内容は、中井さんへのメールを自分のために纏めなおしたもの。メールは良く迷子になるので… ;-)

で、もしかしたら前にも書いたが(同じことを繰り返し書いていたとしたら、僕が老人であることの大きな証拠!老人は大切にしましょう! :-D  :hammer:)、このブログは、いわゆる世間一般の定義でいうブログではない。これは巨大な独り言集なのである。だから、喜多さんがブログにコメントしようとして出来なくてメールで書いてくるとか、理学部の三輪さんに「ブログ(?)」という風にクエスチョンマークをつけられたりする。 :-)

以前、ゲーデル関連のBBSを主催していたころ、2ちゃんねらの先祖のような人々がたかってきて、大変迷惑して、最後は面倒になってBBSを閉鎖したことがある(このころ、まだ2ちゃんねるはなかったか、あっても知られてなかった。この人たちは、Newsで跳梁跋扈していたのがBBSができて、そちらに移動してきた人たち。多分今はもう50歳代以上?)。

その時の「闘い」の経験から次の様なことを考えた:

自分がバカであることを理解する能力もない人が結構な数いて、リアルな世界では窓際とかマイナーの立場であることが多くて発言ができない、そういう人たちが、日ごろの鬱憤を晴らすためか、匿名で掲示板などに好き勝手なこと、ただし、本人達は、自分の存在意義になっている「考え」「思い」「思想」を書いてくる。それはリアルな世界では、自分(の仕事や勉強)に関係ないか、あるは、関係ある場合、表に出すと周りにバカにされることなのだが、その人たちにとっては、それが自分の価値を確認するための重要なものになっている。

そういう人たちは、致命的な間違いや誤解を指摘して、死亡状態になっても、自分が死んでいることを理解することもできないために、平気で「生きている」。つまり、彼らは、殺されても死なないゾンビなので、撲滅することはできない。そうでない人たちを増やして、そういう人たちを包囲して封じ込める、あるいは、少数のそういう人たちが跳梁跋扈しても、平気なほどの健全な仲間の多数派を形成するしか、こういう人たちに対処する方法はない。

間違い、誤解、トンでもの撲滅は無理で、もしやろうとすると独裁主義にでも堕すしかない、ということに気が付き、それ以来、出来る限り「トンでも撲滅」の運動とか、物凄く間違えていて修正不可能か修正に物凄く時間と手間がかかりそうな人への対応はせず、無視したり、あしらうだけにしている。(ただし、自分の学生だったりしたら、とことん付き合う。まあ、そういう時には、学生さんは徹底的にやられるので、大変そうですけど。 ;-)

で、そのため、僕の「ブログ」では、ブログ本来の最大の特性の一つである、双方向インタラクションの機能が意図的にOFFにされている。つまり、コメント欄など「読者」から「著者」である僕への非リアルでの反応の回路を意図的に遮断している。これはリアルの著書の場合も同じで、昔は読者からの手紙などに丁寧に答えていたが、最近では特別な場合を除き、あるいは、リアルに知人だとか、講義の参加者であるとかの場合を除き、基本的には無視するようにしている。

というような次第で、この独り言集がブログである理由は、ただ一つ。ブラウザーがありさえすればすぐに書けるという条件を持つことだけ。それ以外は以前、HTMLで書いていた「日記」とまったくかわらない。

で、このような次第で、僕の「ブログ」は、喜多さんや三輪さんのような「アレレ??」という反応が起きるように、本来のブログではない。今週、水5の講義でWEB2.0の話をして、それをブログとGoogleの時代、として説明するので、学生さんたちが「林のブログは林の説明と違うではないか」と言いそうなので、ちょっと書いておいた。

つまり、学生さんから質問がでれば、「ブログ見てください」と言えるわけ。書きたい!お喋りしたい!という欲求を満たしつつ、こういう実利面がおおいのが「ブログ」のよいところ。 :-)
しかし、ちょっと、といいながら長い!だから僕はTwitterは駄目!文字数制限されたらフラストレーションが溜まり過ぎる。


Babbage, Jevons, … computing と economics

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時13分25秒

金曜日に2011年度西田田辺記念講演会での僕の講演がきっかけで知己となった経済学史家の中井先生(近畿大学)が突然研究室にお見えになった。京大で学会か研究会があったらしく、龍谷大学の経済学史家小峯先生と一緒にお見えなり、関西学院大学が最近購入した Foxwell 文書とか、中井先生の秋からのケンブリッジ留学、近藤先生の内海日記研究、ロンドン大学のベンサム・プロジェクトなどについて話す。

経済学史研究におけるSMART-GSの利用の関連で挨拶に見えたわけだが、これがきっかけで、情報思想史、社会思想史上の重要な連関を見つける!

関西学院大学が巨額の費用を使い、そのアーカイブを手に入れたHerbert Foxwell は英国経済学で重要な役割りを果たした人物で、JevonsとBabbageとの関連で現れる。Campbell-Kelly と Asprey の教科書でロンドンの為替交換所として紹介されているLondon のClearing Houseの話をBabbageが著書で書いている。(不明な点:独立した本で著書ではあるのだが、Babbage の生前の代表作 On the Economy of Machinery and Manufactures との関連は?)、その clearing house についての著書を、Jevons が論文で書いており、死後にそれは著作集の一つに収録される。この著作集を編集したのがFoxwell。Jevons を彼のlogic pianoによりビクトリア時代の人工知能の祖とみなせば、その人と、ビクトリア時代のコンピュータの祖とみなせるBabbage が経済学を巡って交差しており、それに Foxwell が絡んでいて、それを契機に、僕は、それを経済学史のルートで知ることなったわけだ。しかも、Jevonsは限界革命という古典主義経済学を超える新経済学の三人の祖の一人なのだそうだが、もう一人が C. Menger (ウィーン学派の K. Menger の父)なのだから、やはりこの時代の人的つながりというのは、物凄く dense。

友達の友達の友達…とやると7段くらいで世界中の人が繋がるという話があるが、それを知っていても、こういう連関が、この時代にドンドンみつかるというのは、単なるグラフ論の問題ではなかろう。要するに、人が少ない?、ともいえるが、その思想のもつ傾向の近似性から、やはり近代性のような特定の「モチーフとしての思想」が流れていると考えるべき。

これは月曜日の特殊講義、水曜日の講義の両方に深く関連。

大変、興味深いのは、この歴史的関連性の発見の経緯。
1.林が田辺元についての講演を西田・田辺記念講演(2011)として行なう。
2.この講演会は2名が講師だが、もう一名が 、その思想と西田の思想の関連性などを指摘されているT.H. Green の研究で知られる行安茂先生だったわけで、中井さんは僕のことは知らず、行安先生の講演が聴きたくて聞きにこられた。ところが、そこで、もう一人の講演であった僕の講演で、歴史研究用ツールSMART-GSについて、偶々知る。
3.そして、SMART-GSに絡む交流という偶然の媒介上で、僕の経済学史への興味を通して、 Jevons, Foxwell, Babbage の関連が見つかる。

これは一見不思議なのだが、ここで米国プラグマティズムの思想と German social democracy の伝統を関連づける、James T. Kloppenberg 視点を考慮すると、京都学派、プラグマティズム、T.H.Greenが結びついてしまうために、むしろ、この経緯は自然にさえ見えてくる。行安先生が、僕の講演で紹介したブラウワー、田辺の思想とグリーン、西田の思想の同形性に大変関心しておられたが、むしろ、それは当たり前なのだろう。しかし、それは、祖の時代にはある程度見えていたのではないか?そのことを「思い出す」のは、WEB時代の現代では寧ろ簡単だろう。それよりは、どうして、我々はそれを「忘れてしまったのか?」。その問いの方が重要なのかもしれない。

これでKloppenbergの仕事の重要性がますます大きくなった。


2012年5月11日(金曜日)

思想論文の公開可能日

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時37分45秒

「思想」1月号の二つの文章をWEB上に公開してよいと岩波に言われた期限は、半年以後=7月6日以後。
日本哲学史研究の掲載は11月ころか。


2012年5月10日(木曜日)

喜多さんから教えてもらったこと

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時54分48秒

非常勤をお願いしている関西大の喜多さんと廊下でばったりあう。彼女がスタンフォードに在外で行く前にあったきりだから、もう2年近くあっていない?

でスタンフォードで仕入れてきた話などで大変に面白いことをいろいろ伺う。今のマン・マシン系の講義も同じ方向とか。

すぐ忘れるので覚書。

1. Wiener の人間機械論の初版では、人間が機械に使われるというくらいイメージだったが、2版か何かで、そこが書き変わっていて明るいイメージになっている。それはオートメーションの現場を見て、むしろ「余暇、余裕が生まれる」という(これはアダムスミス以来の議論)面を見たから。
2. Sage system のデザインの中に、高度のユーザとしての人間以外に、部品としての人間(認識とか、操作とか)が入っている。それは computer museum の Sage の動画を見ればわかる。また、何とかという???文書でもわかる?
3. Amazon mechanical turk 。こういうやり方は知っていたが、このサービスは知らず…。これがもうずいぶん使われているとのこと。
4. まだ何かあったような… 情報処理学会の記事のこととか。初音ミクがなんとか… もう忘れている。老人になって記憶力が落ちるのはは悲しい… :cry:
#まあ、いやなことを忘れてしまうというメリットもあるけど。 ;-)

その他、Winograd さんの1986年の例の本が生まれた時の経緯がわかる資料をもらってきたとか、もらう約束をとりつけたとか。これはすごい!ぜひ見せてもらいたいものだ。Steve Kline の資料もでてきたら、この当時のスタンフォードの雰囲気がわかり、両者の関係もわかるかも… 関係といっても、人間関係はないことは WInograd さんに直接聞いて確認済み。しかし、Kline の思想が書いてあるWEBページを見せたら、自分と同じ考えだといってえらく喜んでいた。オフィスは数百メートルしか離れていなかったはずだが。Kline はスタンフォードの機械(熱力学関連の工学)

Wiener と SAGE は是非調べる!!

Amazon も、ピッカーと合わせて一緒にやろう。

喜多さんと話すと、いつも本当にためになる。 :-)


2012年5月6日(日曜日)

京都学派のデータ何とか回復…できたかな?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時11分58秒

京都学派研究用のHDDの情報は何とか回復。どうもバッファか何かを持っていて、そこへの書き込みが間に合わないらしい。まだ1年たってないHDDなのに…. 修繕に出そうかと思ったが値段をみたら手間に合わないような気がして新しいものにかえることにした。今度はメーカーを変えよう。

しかし、壊れたディスクと、データの移転先のディスクの比較ができない。やろうとすると、読み出しの際にデータが失われるか、バッファへの書き込みが間に合わないらしい。量は膨大だし、うまく行っていると信じるしかなさそう。

数年間の年月と(この間、何度前橋までかよったか)、ウン百万円の予算をつぎ込んで作ったデータが1万円代のHDDの故障のためにとんだのではどうしようもない。もっとこまめにバックアップしなければ…

しかし、これのせいで、連休中の仕事の予定がかなりくるった。近藤先生の内海忠司日記のサーチ実験ができず…


思い出サルベージプロジェクト

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時49分30秒

6月6日水5の情報歴史社会学で、日本社会情報学会の東北震災支援
思い出サルベージプロジェクト
の活動を紹介をしていただけることになりました。プリゼンターは人間・環境学研究科吉田研究室の溝口佑爾さんです。

溝口君は、この活動を大黒さんという社会学者の視点を利用して、後期ルーマンのメディア論で理解しようとしているが、ルーマン・大黒・溝口の視点は、シェーラー、田辺、ハイデガーの社会哲学、技術論や、J. Dewey のmedia論などと、非常に深い関係がありそうだ。特に、ルーマンの形式とメディアの関係などが、月5の特殊講義「形式と実質の思想史」の内容に見事に連動する。実に、おもしろい!

溝口君と思い出サルベージについて色々と議論したときの覚書:

  1. 写真を残すというアイデアは、どこかのフィルム会社の人のアイデアらしい。
  2. しかし、各地にある同様のプロジェクトの発足は、それぞれの地域で異なりに別々に始まっている。主体もバラバラ。被災者がリードした所も、支援者がリードしたところもある。
  3. 写真も一種のメディア。家族の集合写真が親密圏のメディアとなる?
  4. 日本社会情報学会のチームは、こういう支援をすることは全く想定せずに被災地(山元町)に入った。そこで被災者の人たちの声によりプロジェクトが始まった。
  5. 写真をそうまでして残すというエートスか、海外の人には理解されないことがある。
  6. アメリカの人には、ハリケーンカトリーナの時には、こういうことがなかったといわれた。

2012年5月4日(金曜日)

HDDが….(T_T)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時18分06秒

西田資料全体サーチをSMART-GSでやると、DscSearchが capacity overflow をするようなので、
マルチスレッドでやろうと思って、SMART-GSから京都学派用のHDDにアクセスしたら読めない…
色々やってみたら、どうもHDD自身が危ない。このデータが全部飛んだら大変なことになる。
最近のHDDは信頼性が高くなった(というより、僕が電車通勤しなくなってHDDに振動がかからなくなった
ことの方が大きいか?)のでバックアップをサボっていたので、ちょっと気にはなっていたのだが… :-o
#バックアップをサボるのはデータの量が巨大化していてバックアップに時間がかかりすぎるという
#こともある。何とかならないか… 完全にクラウドにするくらいしか解決策はなさそうな…

研究室の京都学派用HDDのかなり部分が共通している筈なので、そちらを元に回復を試みるしかない。

ということで、明日は連休中ながら登校。連休というのは学者にとっては、思い通りに
仕事ができる時間なのではあるが、そういうときに限って、こういうことが起きる。 :cry:


2012年5月3日(木曜日)

COLLABORATIVE MANUSCRIPT TRANSCRIPTION

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時57分56秒

良く似たことをやっている人のサイト:
http://manuscripttranscription.blogspot.jp/search?updated-min=2012-01-01T00:00:00-06:00&updated-max=2013-01-01T00:00:00-06:00&max-results=8

テンプレートに使えないか?

同様のプロジェクトの調査結果もあった!:
http://manuscripttranscription.blogspot.jp/2012/04/crowdsourced-transcription-tool-list.html

JAHD2012のアブストラクトで collaborative transcription と書いて、英語としての妥当性を
調べるためにサーチしたらヒット。


2012年4月24日(火曜日)

Gamification

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時10分18秒

今週のアエラにゲーミフィケーションという記事がトップで掲載されているのを発見。

これはディズニー化やトヨタ生産方式、再魔術化と同じトレンド。

ウェーバー「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」を斜にかまえて
読めば、実はこれも同根だとわかる。

ゲーミフィケーション:時代のビジネスは「仕事」をゲームだと思って行なう
 無数の大衆(消費者)が担う。

ウェーバーの「プロ倫」:現在の(二〇世紀初頭の)ビジネス世界、あるいは、
 さらに広い「世界」は「仕事」を信仰における実践と看做す人たちにより
 構築された。これを近代資本主義という。

ゲームと宗教を、共にビジネスの形式から逸脱するものとして理解すれば、
これら二つが似ていることがわかる。

そして「消費者とは進化しようとしない人、変わろうとしない人である」という
僕の定義よれば、「人間の部品化」と、これは連動する。部品が変わろうという
自由意志をもってしまうと、ネジや錠前は使い難い。これらが有用なのは、
いわば人間がJISなどの標準に従って採用され、行動するので、
予測可能性・計算可能性が促進されるからだ。

しかし、いまや、その計算可能、予測可能を超えた何かこそが
ビジネスやアカデミズムで「勝ち抜く」ための条件だという
認識が世界に広がっている。


2012年4月21日(土曜日)

SMART-GS: 2011年度下半期トップ20!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時38分13秒

研究員の大浦さんから、SMART-GS project が sourceforge.jp の2011年下半期の
活動活発度20位に入っていたとの知らせ:
http://sourceforge.jp/magazine/12/02/02/025207
確かに良く働きました。 :-)

でも今年の上半期は落ちているだろうな。
最近は思想史ばかりやっていたから。


2012年4月14日(土曜日)

内海忠司日記研究 SMART -GS ツールを応用したテキストデータ化と分析

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時03分09秒

近畿大学の近藤正己先生の科研費研究「内海忠司日記研究 SMART-GS ツールを応用したテキストデータ化と分析」が内定(基盤研究C、課題番号 24520784)!! :-)

関連情報:内海忠司日記1928-1939: 帝国日本の官僚と植民地台湾総力戦と台湾―日本植民地崩壊の研究

またひとつ応用が始まります。今度は、どんな使い方をされるのか、またまた楽しみです。
それぞれの史料ごとに、また、研究者ごとにSMART-GSの使い方がちがうので、ユーザが増えると
急に経験が広がりますし、なんといっても史料研究ベースの歴史学の現場で今すぐ使うために作っているので、
本物の歴史家に使ってもらえるのは本当に嬉しいことです。 :-D

早く英語マニュアルを書いて海外にも出さなくては!! :-x


2012年4月10日(火曜日)

テンソルの哲学者田辺元:「澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について」脱稿

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時30分27秒

2013.02.02更新。完全版の公開を始めたので、こちらのPDF論文も完全版に差し替えました。
(完全でない場合はキャッシュの影響である可能性が大。その場合は、こちらを見てください。)

「日本哲学史研究」に投稿の「澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)」を漸く日曜日に脱稿。疲れた…..

直ぐに書き終る予定が何ヶ月もかかってしまった。この間、微分幾何学、力学系、
ドゥルーズ、現代音楽、と色々勉強できました。(^^;)

一番意外だったのが、ドゥルーズの哲学がブラウワーのspread理論(集合論)と
殆ど同じものだった点。翻訳でセリーとかフランス語で格好をつけるから、
分からなくなるので(僕はフランス語できません!)、田辺のように「系列」とか、
あるいは、もっと即物的に「列」でよいのに….

で、これを切っ掛けに種の自己否定の発想の裏に佐藤省三のテンソルの論理
があり、佐藤の「コーエン哲学を微分でなくテンソルで理解する」という
提案から切断が生まれた可能性が高いことに気が付く。見つかっている史料の関連付けと
新たな関連史料の発見の作業が必要。多分、いけそうだ。

その結果、思いがけず、中沢新一さんの「フィロソフィア・ヤポニカ」を部分的に
だが褒めることとなった。大変、予想外。 :-?
やっていると最初の「おもい」とは別の結果になる。これが論理的・合理的方法
の特性。どういう人でも良い所は良いと言わねばいけない。しかし、何度読んでも、
その弛緩した怠惰というべき執筆態度だけは、どうしても馴染めないので、それは
書いておいた。

で、それに比べて田辺の何と緊張感に満ちていたことか。というより緊張感あり過ぎ。
だから「鎧を着た人」と言われたのだろう。その人物がテンソル(伸張子:林の私訳)
をアナロジーとして使って自身の哲学を開拓したという事実は実に面白い。
ある意味で田辺自身が「テンソル」だったといえる。あまりの緊張力に、今にも
張り裂けそうなのだが、鋼鉄の意志力で、剛体のように統一されたままで耐えている。
田辺は「テンソルの哲学者」だったのだろう。隠遁した賢者然としたところがある
西田の人となりにも、そういうところで反発を感じたのだろう(野上に話した、
西田への印象の変化は多分それを意味しているのではと邪推!)。

最初のページだけ貼り付け。Preview! :-D  :hammer: おおげさ!!
2013.02.10更新。完全版の公開を開始しています。そちらをご覧ください。


2012年3月29日(木曜日)

旋回

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時37分18秒

田口茂『「転換」の論理」p.159(岩波「思想」):「旋回」が、ヘーゲル弁証法の時代にすでにある。
全集3、p.199。この時点では、これが悪の自由に結び付けられている。ここで旋回があると、
Voigt への書き込みも、戦前でありえる?

「旋回」にもっと「元」はないのか?


2012年3月12日(月曜日)

物理 v.s. 数学、歴史 v.s. 哲学、実質 v.s. 形式

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時36分53秒

「日本哲学史研究」の論文執筆にために、さらにシンプレクティック幾何学、物理学などの勉強。
田辺をやったお陰で(せいで)、ハイデガーから、物理学、数学、はてはドゥルーズ・ガタリまで
読むハメになった。大変。 :-?

でも、そのお陰で以前から気になっていた物理学と数学のセンスの差など、
腑に落ちるレベルでわかるようなった。やはり、物理の人は、どれだけ
数学的装置を使っていても指向しているのは「物」。数学は形式が中心で、
それが「もの」になっている。これが擬ベクトル pseudo vector とか、
contravariant, covariant の議論にでている。これ全く、Stone dualityなどの
dualityと、同じ話。だからカテゴリ論で、同じものがでてくる。と、漸く納得!

で、僕はやはり物理の人たちに近い。人文学でいえば、もの(史料)がある
歴史と、そういうものがない哲学の違いにこれが対応している。僕が哲学には
どうしても違和感をぬぐえないが、史料がでてくるとウキウキというのと、
同じ。ITの世界だと、理論的計算機科学は、covariant、余接バンドルの世界。
ソフトウェアづくりは、接バンドルの世界だろう。

もっと端的にいえば、これは実質vs形式の話。
#4月からの講義につながった! :-)

最初、数学やらTCSをやっていたのに、ソフトウェア工学に移ったり、
さらには社会学的な考察に移るのは、こういう傾向があるからだろうな。
で、思想史の場合、やはり、思想よりは史の方に軸足があることになる。

色々と納得。

これも澤口・中沢の思想を解明する(それが種の論理理解としては駄目だ
ということを理論付けること)という、厄介で、アカデミックな常識からは、
損な役回りをやったお陰。対象が異形とか奇妙であればあるほど、解析は
しんどく、しかし、それが出来た時の見返りは、しんどくあればあるほど
多いようだ。
#でも、本の代金がバカにならないな…


『具体的』=直観的=実質的

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時10分33秒

二つ前の田辺の引用での「具体的」の使い方をみると、それが直観的というか、
演繹を経ずに直接にわかるものと読める。

演繹は否定的媒介とはことなる。否定的媒介は、たとえば、失敗により、
ある肯定的事実が「腑に落ちる」こと。これが直観。ブラウワーの
直観ではない。これは実は形式であり演繹。西田の純粋経験などと
同じで、形式が支配する現代へのアンチテーゼであるが、体系性を
得るために、それ自体が形式となっている。うーんと、西田は
体系的でないかも。個人の資質ですね。田辺は過剰に体系的であって、
また、歴史に翻弄されたために(歴史に「否定」(的に媒介)されたということ)、
体系的でなくなって「しまって」いるところがある。
#ハイデガーとかドゥルーズなどは、それを断ち切りたくて、
#ああいう文体になるのかも?しかし、それも結局形式になる。
#形式に抱きついて、しっかり抱え込み、ロデオをするしか、
#形式を超える道はないはず。うん?これギデンズだな。 :-D


翻訳すると!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時59分26秒

p.82 基軸ヴェクトルは分極変位ヴェクトルと同列に置かれるべきものではない。前者は後者の超越だからである。
すなわち一度テンソルによって場の力学に転換せられた力の力学は、却って前者の完成により再びその主体的な
る特色を回復せられ、旋回ヴェクトルの絶対否定たる超越性を発揮するといわれる。

基軸ベクトルは、おそらく axial vector = pseudo vector = covariant vector。つまり、1−形式。
分極変位ベクトルが、おそらくpolar vector = vector = contravariant vector。つまり、ベクトルというか速度。

訳:1次の微分形式(1−形式)は共変ベクトルではあるが、それは真のベクトルとしての反変ベクトルと同列に置かれるべきものではない。
前者(微分形式)は、後者(速度としてのベクトル)の超越だからである。
すなわち一度テンソルによって場の力学に転換せられた力の力学は、却って微分形式の理論の完成により再びその主体的な
る特色を回復せられ、旋回ヴェクトルの絶対否定たる超越性を発揮するといわれる。

……

何か変…

これおかしい。どうしてだろう。??? :roll:


回転、スピノール、類(=超越性)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時53分57秒

2012.02.11に書いた、田辺の回転が A の意味大体わかる。やはり、量子論のスピン、スピノール。
このことから、Voigtの書き込みは、戦後でほぼまちがいなし。古典力学の弁証法(昭和24年)、
#夫人の死去の2年前。
pp.78-79: ディラックの理論というものは、歴史的に力学の発展の現在に於て達した頂点に相当するものであって、
もはや力の概念を超え、その具体的根底としての愛の極限にまで迫るものではないか。<中略>
又彼の力学の特色をなすスピン、スピノールとかいう概念は、愛に於ける反対方向の両旋回の統一を象徴するものと解して、
始めてその具体的意味が明らかになるのではあるまいか。スピノールが半ベクトルと規定せられて、それの二成分の合成がヴェクトルに相当すると解せられるのは、ヴィクトルが力学的存在の存在性を表す概念として、
存在の自然存在性を位置と速度とにより規定するであるのに対し、それが不確定性原理により崩壊せしめられることを通じて
絶対無に転換せられ、自己否定的愛の復活存在としてのみ媒介的に実存する、その交互的否定の両契機を意味するものと考へられる。
すなわちベクトルの平常的自然的存在を表号するに対し、スピノールはその否定即肯定なる分裂崩壊を通じて始めて達せられるる
宗教的実存の反対契機、
すなわちその自己否定的両面の転換を象徴すると解される。それはまさに愛の自覚すなわち無の自覚に相当するのである。
自己否定的旋回としてのスピンの在り方に対応すると考えられるのも、この理由によるであろう。

スピノール。知らなかったが、之面白い!バリ島のカップトリック!田辺に見せたらどんな顔をしただろうか。 :-D
Balinese cup trick / candle trick / spinor demonstration
Your palm is a spinor
Dirac belt trick
以上、つぎからのリンクhttp://en.wikipedia.org/wiki/Plate_trick :evil:

p.82 基軸ヴェクトルは分極変位ヴェクトルと同列に置かれるべきものではない。前者は後者の超越だからである。
すなわち一度テンソルによって場の力学に転換せられた力の力学は、却って前者の完成により再びその主体的な
る特色を回復せられ、旋回ヴェクトルの絶対否定たる超越性を発揮するといわれる。
<続く>
この後、旋回してぐるりまわった連続がでてきて、それが切断となる!だから、切断は力学的で、解析が力学の
数学だった根拠をこれに求める!!!

この旋回が懺悔!

ウーム!なんという人だ…


2012年3月3日(土曜日)

フラクタルでなく連続体

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時28分41秒

フィロソフィア・ヤポニカ p.112

「論理の社会存在論的構造」からの引用。この論文での、唯一のテンソルへの言及。ただし、回顧的・説明的
とでもいう言及:

<1行略>
その際特に重要なことは、質料が分裂性多様性というごとき抽象的規定を意味するのではなく、
その自己否定は種が種を否定することであり、しかもそれらの種が互いに対立する別個のもの
として単に並存するのではなくかえって相互に含み含まれ連続的に相違なるものの内部において
一部が他部を否定することを意味するにある。いかに分割するももはや分割するあたわざるい
わゆる不可分者(原子)に到達することなく、かかる単純要素を有するのでなくして、いかに
分割を進むるも分割しない前と相似の、反体力の張り合う構造を示すのが種の特色であって、
私がこれを前にテンソル力場に比したのもそのためであった。<以下略>(「論理の社会存在論的構造」)

<ここから中沢の文章>
「種」はどのように分割を進めていっても、分割しない前と相似の構造を示す、力学的な構造を
している、と田邊元は考える。彼の思考は、ここであきらかに今日「フラクタル」と呼ばれてい
る構造を、はつきりととらえている。
<中略>「種的基体」は反対力の張り合う力学的な多様体(シン
プレクティック多様体)として最初描き出されたが、ここまでくると、田邊元の直観のとらえて
いる空間は、今日私たちが手にしているような多様体論(その数学は基本的には微分可能な、
「滑らかな多様体」を扱っている)ではとても手におえない複雑さ、深遠さをおびてくるように
なるのだ。そして、それが自然のなかに存在している、もっとも具体的な空間の構造をしめして
いる。それは無限小の超薄領域に、非有(無)を折り畳みこんだ「バシュラール・パイ」のよう
な出来上がりをし、いたるところに対立する力の緊張が張り渡された空間なのである。田邊元の
思考は、じつにとてつもない構造を直観していたものである。

<ここから分析>

中沢がフラクタル的な自己相似集合の構造を読み取った「いかに
分割を進むるも分割しない前と相似の、反体力の張り合う構造を示すのが種の特色であって」は、
そういう無限に降下するフラクタルのツリー構造を言っているのではなくて、その後に
「私がこれを前にテンソル力場に比したのもそのためであった。」という文があるように、
これは応力テンソルのような剛体内部の力のようなイメージ。田邊が言いたいには、
部品のようなものから種が成り立っているのではなく、それが連続体であること。
連続体の局所的な切片は、幾ら分割しても、同じ相似な切片となる。
現代数学的に言えば稠密姓にあたる性質だが、これが一九世紀終わりに、
デーデキント、カントールなどにより、連続性が一種の完備性として
明瞭に定義される以前の連続性のイメージのかなりの部分をしめており、
たとえばパースなども、一次は稠密性が連続性を導くと考えていたらしい。
田邊の初期科学哲学の時代の1922年の「実在の無限連続性」では、
この稠密性の議論をもちいてデーデキント切断のカントール基本列に対する
哲学的優位性が主張されており、このころ、まだ、これが我が国においては、
消化されるべき問題であったことがわかる。1874年に連続性の最終的定義
が登場してから、48年後のことであり、現在で言えば2012−48=
1964年、つまり、東京オリンピックのころの数学的発見の哲学的意味について
議論している感じになる。代数幾何のSGAが、このころ。

とにかく、この場合のテンソルとは佐藤省三のケースと同じく、テンソル概念の
創始者Voigtから来ているので、応力テンソルをイメージしていると考えるのが、
妥当だろう。外から力がかかっている剛体中の一点にかかる力、たとえば、その剛体が
木の円柱で、その両端から大きなプレス機で力をかけたばあい、その円柱の中の
あらゆる点で、両側からの力がかかる。そのときある点pにかかる点を決定するには、
pを通るベクトルmを考えて、その方向の応力を考えればよさそうに思うのだが、
そうではなくて、pを通る面Sを考え、その面を通して働く応力のベクトルm方向成分
を考える必要がある。これが応力テンソルであり、n,m二つのベクトルにより、
決まる量であるために2階のテンソルとなる。(たとえば、山本義隆、中村孔一
「解析力学I」、例1.5.1.応力テンソル、pp.76-78のp.78の記述を参照。)
そのテンソルの計算では、面Sを有限の大きさにとり、その面を通しての応力を
計算し、その後にSを無限小にまで小さくして、点pにおける面Sを通しての応力を
考える。これを説明するのにVoigtは、pを含む小さい立方体を考えて、それの
三次元の三つの方向の面での応力を考え、これを Tensortripel (tensor triple)
と呼んだ。立体は小さくしても、より点pに近づくものの、また、同じ情況(相似)
の応力を考えることができて、応力という力のTensortripelが円柱という「種」
のなかに張り巡らされていることになる。そこには原子のようなものはなく、例え
点という極微の極限があっても、それは佐藤がいうように局所近接作用の場、
つまり、「環境」の中で考えるしかないものである。

中沢が、ここでフラクタルを持ち出していることから、中沢が、イメージテいるものが、
ドゥルーズ、ガタリの「千のプラトー」などに現れた思想であることがわかる。
「千のプラトー」ではマンデルブローが引用されフラクタルの図も掲載されている。

中沢がいうように田辺の種のイメージ、より精確には、絶対弁証法のイメージは、
多様体のようにノッペリしたもので理解することはできない。それはどのような一点も、
世界の全体を反映するようなホリーズムを前提にしており、それがたとえば晩年の
絶対還相の議論、絶対無が、この世に顕現できるは、各個の行為を通してのみ
だという議論につながっており、実は、この思想は彼の戦前の切断論にすでに現れている。
WHHERE?どこだった?「論理構造」か?


2012年2月28日(火曜日)

佐藤のテンソルの論理と田辺の種の論理

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時19分58秒

風邪で潰れて1日休んだら久しぶりの休養になり、資料が届いたこともあり、
絶好調となり田辺の力学関係の思考法がかなり解明できた。で、がんばり
すぎてダウン。今度は1週間近く寝込むハメに。漸く今日から何とか再開。
明日は会議…

種の論理の成立、発展における「力学」の役割りの理解のために佐藤省三
の「テンソルの論理」論が鍵。

佐藤は種の論理の前駆をなす「図式時間から図式世界へ」を意識しつつ、
種の論理より10ヶ月ほど先行しながら、新自然学である量子力学、一般
相対性理論の論理をもとめて、テンソルの論理の必要性を提唱する。
それは集合論に比すべき、孤立した質点のあつまりと「無媒介的に直達する
所謂遠隔作用」(p.28)に基づくニュートン的古典物理学から、「空間をば
連続的に充たせる力の場が作用伝播の媒介となる(p.28)」電磁論(電磁気学)
への物理学のシフトを意識したものである。そして、ニュートン的力学は、
幾何学的な運動学 Kinematik から、ガリレオにより『「幾何学的なるもの」
に還元することができない物体の質量とか、非外延的な「力」の概念』(pp.5-6)
が導入され、それにより Dynamik が誕生したのであるが(pp.5-6)、それに
対応する論理は一次の方向量の論理、つまり、ヴェクトルの論理である、
コーエンの論理学であった。(この幾何的運動学のレベルが0次の方向量の
であるスカラーの論理。)しかし、新物理学は、場の上の近接作用の学であり、
それをコーエンの微分の論理学で理解することはできず、その故に、近接作用
(古典物理学の範囲では、典型は剛体内の応力) を表す2次の方向量を
表すテンソルの論理が、これらの新自然学の論理となる。これが佐藤の論文
の主旨。その哲学的内容は、ほとんど最初の昭和9年1月の「近代に於ける
自然の論理」に現れており、その10ヶ月後の11月号の「哲学研究」に、
「社会存在の論理」の最初の部分が、12月の号に2番目の部分が発表される。
そして、翌昭和10年の1月号では「社会存在の論理」の最後の部分が
発表され、同じ10年の9月号と12月号に佐藤の論文の続編というべき
「高次の方向量の論理」が現れ、10、11、12月号に田辺の
「種の論理と世界図式」が現れる。そして、昭和11年の「論理の社会存在
論的構造」では「高次の方向量の論理」が引用される:「其限りコーヘンの連続
の論理は微分に止まるべきでなくテンソルにまで発展すべきものであったということも
出来る(佐藤省三氏『高次の方向量の論理』の着眼は此点から推奨に値する。)
併しそれが為には、コーヘンの如くカントの分析論に留まるのでなく彼の弁証論の
立場に進み、一度思惟を自己否定せしめなければならぬ。斯して連続の根源は、単に微分の如く
欠如の極限を課題の存在に繋ぐ肯定的原理にあるのではなくして、自己否定の極、
無からの行為に於て絶対否定の肯定に転換せしめられる否定即肯定の弁証法的原理となる。

以下、重要部分:

p.28:今や相互作用は空虚な空間を距て(へだて)て互いに独立的に存在する
質点の間にではなく、場によつて互いに近接し一体を成す力心(りきしん?)の間
に成立することとなる。

p.30:かくて近接作用の物理学を俟って(まって)初めて孤立され固定せしめられた
関係点 Relata に重きを置くのではなくして、これらの個物並びにその個々の作用
を寧ろ自己の抽象体とする、相互作用の共通の地盤、媒質たる全体者、普遍者が
顕揚され合理化され得るに到ったのである。
 上来の所論によって近接作用の物理学に於ける場の概念の意味は最早(もはや)
機械観からは理解し得られないことが明らかになったであろう。< 以下略>

p.33:古典的物理学に於ける因果律の範疇の位置に代る可き(べき)新しい範疇は、
機械観的物理学よりしては独立した新しい学的方法としての意義が承認されなかった
所の「相互作用の範疇」である。然し相互作用という語が関係点に優先が置かれる
遠隔作用の物理学に於いて生じたものなることを表示し、相互作用の地盤たる全体者、
普遍者を顕現していぬ点で不適当であるならば、新しい全体的な範疇の有する論理的
構造を先述のテンソル概念を用いて特色づけることが出来るであろう。

pp.33-34: 然らば「テンソル」とは如何なるものかと言うに、一方「ヴェクトル」が「スカラー」
の方向を有しない量であるのと異なり方向量として区別せられ而も一方向きの方向を有するに
止まるに反して、ヴェクトルよりも更に高次な、正反対の方向が互いに等しい資格を持った
方向量の謂である。故にヴェクトルは通常一本の矢←を以って表されるに反し、テンソルは
←→或いは→←の如き記号によって表される。

pp.34: テンソルの語は元来W.Voigtによって初めて名付けられしものである。然し彼の
考えたのは六つの。。。

pp.38-39:テンソル←→に於いて→と←とは常に相伴い一の存する所必ず他が存し、一が
増大すれば他も増大し、一が減少すれば他も減少し一が消失すれば他も消失し、全体は
それに従って増大し、減少し或いは消失するのを意味し... 浸透し、張り合ひ、緊張しつつ
一つの内面的統一、平衡的全体を形作る点に於いてテンソルの含む二動向は寧ろ一つの
全体者が二つの反対の方向に分化したものと考えられる可きである。

pp.76-77:相対性原理に於ける非ユークリッド的、双曲線的空間に属する時空の四次元融合体
としての世界テンソルを、ユークリッド空間に於けるフォァグトの所謂Tensortripelとしての
Ellisoidと同一視する事は勿論許されないにしても、今簡単の為にその相違を無視して時空融合
体をかかる Tensorellopsoidと考うるならば、時間軸そのものが一つのテンソルとして考えられない
であろうか。
#ここの種の論理における「切断」の芽がある。
#S9年の講義録 S09_004.jpg 右ページ最後から、左ページトップにかけてのテンソル的な図
#との関係!

右最下部

左最上部

丸で囲むのは、そこで絶対弁証法の渦流が起きているということと理解できる。「哲学通論」の絶対弁証法の
図を参照。


2012年2月21日(火曜日)

二つの多様体論の意義

カテゴリー: - susumuhayashi @ 09時51分17秒

二つの多様体論は、田辺哲学の「核心の理解」には貢献しない。

一方で、思想論文で指摘したような、田辺哲学を世界思想史の文脈におくという点では、
英米分析哲学(澤口)、フランス現代思想(中沢)の出発点としての意味を持つ。
特に後者は、フランス現代思想における擬似数学の利用という田辺哲学にも見られる
方法での両者の比較という大きなテーマにつながる。しかし、中沢は、これを田辺理解
としてしまった。そこに批判が起きる(田中裕や京大宗教学専修雑誌の論文)原因がある。
しかし、これを単にマスコミ学者の論とするのは間違い。
#ただし書きとして、中沢のアプローチ、特に調査、議論の問題点
#の批判。澤口論文の引用、アブラハム、野上、シンプレクティク幾何学、微分形式などもろもろ。

Plotnisky論文使う。quasi-math. という概念。

また、これを通して、math の概念の使い方の違いから、
逆に思想の違いを見る。たとえば、ドルーズ・ガタリの
リーマン多様体はどのような意味でもhomogeneousではない、
という文。田辺ならばハイデガー哲学など Hier-Jetzt の
思想から、これを批判するだろう。

非モダンという中沢の用語をモダンでない
もの一般に意味を変えて使う。たとえば、前モダン、
反モダン、脱モダン、超モダン、超(克)モダン。

田辺、京都学派は最後のもの。新カント派もそうだろう。
モダンは一応承認している。

これをギデンズなどのXXモダンと比較。


Voigtでなく佐藤?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時03分50秒

Voigtの教科書の田辺の書き込みには「テンソルは2次元」と読めるようなものは見つからず。
しかし、佐藤に次のような部分がある。おそらくこれか?

佐藤省三「高次の方向量の論理」、哲学研究、第234号、1022ff.

元来方向の一面性を持って特徴付けられるヴェクトルにあっては、
それが方向の規定を自分の外に有し、方向との間に偶然的、
外面的な関係を残す所の量と考えられるが故に、
その根底には上述のテンソルの如き方向の規定を自分の中に
含み之を必然化する所の一つの閉じられたる自己完結的なるものが
存しなくてはならぬ。方向の必然化とは勿論之を不動の一方向にのみ
固定化することではなくして、方向並びに大きさの可変性を容れ之を
自分の中に成立せしめることに他ならない。
<この後に、テンソルがベクトルの Operator であるという議論など
が続く>

かかるヴックトルとテンソルの関係が又成文の上から前者に対応せしめ
らるる系列と後者に帰せしめられる「系列の系列」としてのマトリックス
との関係を示唆し、ここに「テンソルの論理」と「マトリックスの論理」
とが必然的に連関し相通ずる所がある。我々が高次の方向量の論理
として特色付けた近代の自然の論理は又他方に於いて一次元的な
「系列の論理」ではなくして二次元的な、かかる系列としての
「マトリックスの論理」であるとも言うことが出来るであろう。
然しマトリックスの論理的意義については後章に於いて論ぜんとする。

<以上>

ここでは佐藤も「次」でなく「次元」としている。


微分->極微

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時17分20秒

初期科学哲学の時代には、一貫して微分と言っているようにみえる。極微はまだ、
見つけていない。極微の最初のものは、細谷が指摘した「カントの目的論」の
ものが最初か?

私は一般に当為というもおはかならず極微 infinitesimal を現実を含まずしては成立しないものであると思う。


2012年2月20日(月曜日)

田辺の「局所的科学」、ドルーズ・ガタリ、多様体の論理

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時31分34秒

多様体は局所的にはニュートン的な絶対空間と同形。ドルーズたちが言うように、
それのバッチワーク。ドルーズたちは、それを The Mathematical Model として使った。
田村が葉層構造について説明したことを強調してアナロジカルにいえば、多様体的な社会(種)
は、互いに同形の小さなコミュニティーのパッチワークとなる。

この社会の多様性や、ツリー構造の不在ということがドルーズたちの
論点だったのだろう。それに対するものとしてマルクス主義唯物弁証法が
あげられている。(TODO: ここ正しいか?杉村さんに教えてもらう!!)
たとえば、The Mathematical Model の冒頭に(英訳、p.482)、次のような
フレーズがある:
It was a decisive event when the mathematician Riemann uprooted
the manifold from its predicate and made it a noun, “manifold”.
It marked the end of dialectics and the beginning of typology
and topology of multiplicities.
#脚注で、RiemannのMannigfaltigkeitがHerbartの教育心理哲学から来ていることを
#注意。これがわかったのが、Scholzの1980年代最初の研究だから、ドルーズ・ガタリの本(1980)が出版された頃に
#研究されていることになる。ちなみに、ドルーズ・ガタリの索引で、Riemann が Georg Reimann になっているの
#愛嬌。(^^;)確かに、Georg Friedrich Bernhard なのだが、普通 Bernhard という。

田辺の用語でいえば、多様体の哲学は一般相対性理論と同じレベルになるので、局所性の哲学ということになるだろう。
これは、その基礎が局所的なものからできているという意味。その局所的なものの多様性に眼を向けて、それを研究すれば
多様体のローカルな研究となるが、葉層構造は田村が書いたように、特にその大域的な性格に注目する理論。
中沢が葉層を持ち出したのは、単に模様を入れたい、田村の2つの図を使い、それを田辺の文章に重ねたかった
だけなのだろう。また、フラクタルもイメージしたのかもしれない。
中沢の多様体の哲学は、それを意図的に同一論理化した澤口の…

ToEdit

決定性のフラクタル コーエン・ナトルプの微分>非決定性のフラクタル〔海岸線など) ブラウワーの自由選出列>田辺の切断

フラクタルは、そのものが複雑だから面白いのではなく、単純な決定形のはずなのに、
繰り返しや再帰を入れると複雑だったり、非決定的システムのように振舞うというのがポイント。
しかし、それには随分ルールが入っている。たとえば、ハウスドルフ次元。これはせいぜい、
量子力学の確率的予測のレベル。あるいは、どんどんせばまるブラウワーの自由選出列。
田辺の切断には、そういう制約がまったくなく、自分の環境さえ変える。

だから、フランス現代思想だと、全然、田辺の絶対弁証法に到達できない。

近傍はコミュニティのアナロジになる。バザー vs カセドラル。
しかし、田辺はコミュニティなどどうでもよい。彼にとっての問題は国家・社会と個の対峙の問題。
種の論理とは、実は、「種に対峙する個」のための論理。
田辺は自立した個として国家を愛する明治人であった。

しかし、そこに猛烈な複雑性の絶対弁証法が極微のレベルで入っている。

中沢の多様体哲学は、確信犯澤口が、田辺哲学の心臓を切り落としてくれていた
ために、フランス現代思想的な枠に埋め込むことに成功したもの。しかし、それは
田辺哲学の死骸のようなもの。

田辺哲学の哲学の理解を助けるために、丁度、田辺がテンソルを持ち出しかけたように、
そういうものを考えることができるかもしれない。しかし、其の場合、多様体では足りない。
せめて、ブラウワー的な層モデルくらいを持ち出す必要がある。しかし、それは無限に
精度を高めることができるだろうが、それは決して田辺哲学ではない。


ToEdit:数学的にテンソルが行列式の発展(3)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時09分53秒

佐藤省三には「2次」(スカラー量のindexが二つ必要という意味)はあるが、
「2次元」を連想させるものはないし、行列式云々も該当しそうなものはない。
Voigtは、田辺が書き込みをしているあたりにはない。

佐藤、Voigtともに3個の異なるベクトル対で直行したもの Tensortripel (Voigt)
で、その点における全ての方向の応力(など?)を表すという方法。

これでは、(1),(2)のような説明での「2次元」にならない。これで2次元といっている
のではなさそう。佐藤に該当するものが見つからず、どういう意味で言ったのか不明。
佐藤の論文は「高次の方向量の論理」。田辺もおなじく「高次の方向量」と書いている。
これはこのころの一般的書き方か?Voigtにないか?

しかし、このテンソルの「2次元的」とういう言い方は、中沢が引用した部分くらいに
しかでない。まず、テンソルが盛んに議論されるのは、論理の社会存在的構造のみで、
ここでは20以上の出現がある。しかし、それ以後の論文では、ほぼなくなり、
「種の論理の意味を明らかにす」全集6巻,p.499、では、おそらく1つ。しかも、
次のように「社会存在的構造」でなぜテンソルを議論したかを説明しているだけ。
これが、前に私が連続を、統一と封立との封立として力の張合に比し、テンソルに依ってその構造を考へようとした理由である。

種の論理と世界図式では、p.237(全集6)にあるが、これは相対性理論のテンソル。

6巻のほかの論文にはテンソルがないらしい。また、戦後も議論はない。関係ないと見たほうがよい。

また、田辺のテンソルが応力テンソルをイメージしていることは、上の「明らかにす」の記述や、
次の記述からわかる:

論理の社会存在的構造
全集6、p.316
実に力の場は錯動原因の互に活動し抑圧し合ふ場所なのである。物理学者
が数学的にテンソル量として力の場を’相反封し合ふ量の交互性の統一として考へようとしたのもこれが為めであらう。


極微=コーエンの無限小の証拠

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時09分31秒

種の論理に対する批評に答う
全集6.p.408
併しそれだからといって’逆に微分法が弁証法の代用となるものでな
いこと’後者の本質の否定媒介にあることを理解するものにとって’明白でなければならぬ。弁証法の質的否定たる
無を無限判断の述語たる非有で置換へ’之を欠如として極微有と解したコーへンの微分論理は、たしかに私の探く尊
敬する偉業である.併しそれはその標榜にも拘らずプラトンの論理を徹底するものでなく、却てそれが不当に貶斥す
るアリストテレス論理への接近に外ならないのである.

追加21日:
これより
http://www.shayashi.jp/xoopsMain/html/modules/wordpress/index.php?p=199
の例の方が良い。そちらを使う。


2012年2月19日(日曜日)

来年度の追加アイテム(2)

存在とは「もの」とは?

「ものづくり歴史観」「ものづくり論」の観念性・狭小性。

形而上学的なものが存在かどうか。
ゲームを行う時、このアバターは実はCGが生成した
画素のパターンで…と考えるかどうか。それでゲームが
できるかどうか。DeNAのモバゲーのCMを見せる。
http://www.youtube.com/watch?v=rf5MpFxZyKY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yVHd0LT5zjU
http://www.youtube.com/watch?v=I6UXRZPBl8o&feature=related

ゲームができないならば、Wordはできるか?アイコンの認識は?
ものとは?世界観とは?

アイコンと数や円、点、を比べてみよ。


局所性、微視性、極微性

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時38分41秒

田辺の微分、西谷:積分 vs 微分、細谷:局所的微視的

局所的=一般相対性理論=葉層構造的見方 これは多様体でもよい。絶対空間の拒否。ノッペリした、どこまで均質で見渡せるものへの否定。
微視的=量子力学。これに対応する哲学的観点はないか?

全集12, 「局所的微視的」p.47:
新物理学の局所的微視的自覚内容は、古典物理学の普遍的巨視的概括に於ける二律背反的矛盾の
分裂危機を救活し(cf.古典力学の弁証法)或はそれから脱出するために、革命的に物理学の理論に
導入せられたものである。

全集12, 「局所的微視的」p.39:
ハイデッガーの実存主義が、私のいわゆる即今 Hier-Jetztの自覚の立場に立つことは、
彼の『形而上学とは何か』の劈頭に明示する所であって、彼はそこで形而上学的の問が、常に
全体の立場から発せられるものとして、必然に形而上学そのものを同時に問題とするものであると共に、
また問者自身のここに今現存する境位から問を発するという、即今の自覚に立脚しなければならぬことを
宣べて居る(のべている)。これは全く私のいわゆる局所的微視的自覚の立場を表明したものであって、
まさに、この特徴を有する現代的思惟が、その性格上実存主義的という傾向を有することを疑念の余地
なきまでに明示するといってよい。

全集12, 「局所的微視的」p.55:
哲学は宗教と科学との行為的媒介であるという一般的関係を、即今の立場に於いては、実存主義と
マルクシズムとの歴史的対立の尖端に於て具体的に媒介するのが、今日の弁証法的哲学の課題で
あると考えられるゆえんである。

西谷、細谷による、積分が西田哲学(西谷の別の言い方「上からの哲学」。「西田哲学」p.285)
微分が田辺哲学という観点とこれの関係:
微視的=微分=極微ではない
「局所的微視的」での議論では常に大きさを意識している。特にイントロで、局所的微視的に
local, microscopicと原語をつけている。


田辺の否定原理 by 西谷

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時58分07秒

西谷「西田幾多郎」p.218.:内容としては、その前のページまで。
高坂正顕「西田哲学と田辺哲学」
西谷:「西田哲学をめぐる論点」これは同書のp.246以後。


ToEdit:田村の説明:葉層構造=大域構造

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時41分21秒

田村一郎「葉層のトポロジー」岩波文庫数学選書、序:
トーラス上の特異点のないベクトル場において、軌道はトーラスにストライプ模様を与え、
トーラスを軌道(複数)の和に分解する(図1.10)。葉層構造(Foliation)
とはこのように多様体を葉とよばれる弧状連結な部分集合の和に分解することに
よって得られる’模様’で、葉(複数)が局所的にはEuclid空間を幾重にも層を
なして積み重ねた形になっているものである(図4.2,図4.4)。上述のトーラスの
例では一つの軌道が一つの葉である。葉はそれ自身多様体であって、もとの
多様体の次元と葉の次元との差をその葉層構造の余次元という。

一つの多様体の(与えられた余次元の)葉層構造はしたがって局所的にはすべて
同じ構造
であるが、大域的にはその’模様’はさまざまに変化している。’コンパクトな
葉が存在するか’、’稠密な葉が存在するか’或いはまた’すべての葉が同相であるか’
といった葉層構造の大域的な性質を位相的視点から論ずるのが’葉層のトポロジー
(Topology of Foliation)’である。

++++++++++++++++++++++++++++++++++
この序に引かれている図4.2,図4.4が「フィロソフィア・ヤポニカ」pp.104-5で
多様体のイメージを示すために使われた図。中沢は、p.103で、田辺全集6,pp.

To edit!

http://www.shayashi.jp/xoopsMain/html/modules/wordpress/index.php?p=185


田辺とBeck: 西谷,Habermas

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時45分25秒

両者の思想の類似性を西谷、Habermasによる説明からし示す:
西谷:「西田幾多郎」p.222の三の直前:先に言ったような、相対有としての自己の実践において絶対無が
絶対否定として現成するという思想を突き詰めてゆけば、そのような絶対媒介の立場に当然帰着するのである」
として refer されている話全体。
Habermas:ベック「<私>だけの神」,pp.100-101の引用。元は政治エッセイ集,
pp.229-230


来年度の追加アイテム(1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時48分29秒

Surveillance

http://en.wikipedia.org/wiki/Mass_surveillance
日本語項目無し

drones:
NYTimes
http://topics.nytimes.com/top/reference/timestopics/subjects/u/unmanned_aerial_vehicles/index.html
とくに drones による surveillance
SFなどの映画のシーンに結びつける。部屋の中を飛び回るスパイ昆虫。シンドバッドの映画?たしか、他にもあった。
Wikiのhttp://en.wikipedia.org/wiki/Unmanned_aerial_vehicle
引用100超える。日本語は10にも満たない(殆どがリンク切れ)。

オウム平田信(まこと)容疑者の写真
http://aoiumihakodate.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-e9f0.html

http://cacm.acm.org/blogs/blog-cacm/146122-most-smartphone-apps-are-spyware/fulltext

http://cacm.acm.org/magazines/2011/12/142547-visual-crowd-surveillance-through-a-hydrodynamics-lens/fulltext


数学的にテンソルが行列式の発展(2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時26分51秒

「ここが佐藤の論文,Voigtの本ではどう説明されているかチェック。
行列式のシグマ使い方から、テンソルのそれができたのか?
形式的には確かに行列式は、特殊例(0,N)−型テンソルでそれでよい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor
しかし、発展といっているので、これは田辺の数学史の認識の問題になる。調べる!」
という点について。

どうも行列式の研究からテンソル計算が生まれたということはなさそう。
ルーツの一つは不変式論とか代数形式(ヒルベルト!)らしい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor#History
Die Entwicklung des Tensorkalküls, Karin Reich:
http://books.google.co.jp/books?id=O6lixBzbc0gC&redir_esc=y
大学にない!
しかし、Google Books!!
http://books.google.co.jp/books?hl=ja&lr=&id=O6lixBzbc0gC&oi=fnd&pg=PA11&dq=Die+Entstehung+des+Tensorkalk%C3%BCls&ots=z4o8wcWlw9&sig=J57YrpH6tJwbgSfJ3Ga4V1uqO2o#v=onepage&q=Die%20Entstehung%20des%20Tensorkalk%C3%BCls&f=false

数学史的には関係ないらしい。しかし、佐藤、田辺がどうおもっていたかは別。

しかし、おそらくは、「発展」は「拡張」の意味。


数学的にテンソルが行列式の発展(1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時44分46秒

全集6のp.321。「数学的にテンソルが行列式の発展としてかんがえられる意味をもつのも
この構造に由ってその根拠をある程度まで理解し得られはしないか。
「ある程度まで」に注意!テンソルになると外延。
「とにかくテンソルの2次元的伸展凝収の力的緊張は、変化運動の一次元的ヴェクトル構造に対し
明瞭に区別せられなければならぬ。是に由りそれが運動の無限なる重畳を却って静止の緊張に
湛え(たたえ)、極微的に運動の沸き立ち張り合う根源たるのである」という文章がくる。

ここが佐藤の論文,Voigtの本ではどう説明されているかチェック。
行列式のシグマ使い方から、テンソルのそれができたのか?
形式的には確かに行列式は、特殊例(0,N)−型テンソルでそれでよい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor
しかし、発展といっているので、これは田辺の数学史の認識の問題になる。調べる!!

これ以外の部分の意味:「それが運動の無限なる重畳を却って静止の緊張に
湛え(たたえ)」というところから応力テンソルをイメージしていることがわかる。
物理学の本来(古い)意味のテンソルは、外から力がかかっている
剛体の内部の微細な平面を通る任意のベクトルmに沿う伸展あるいは凝収の力(テンション)がテンソル。
この平面をその法線 n で表すので、それを記述するときに二つのベルトルn,mが必要となる。
C.f. 山本、中村、解析力学I、pp.76-78。二つのvectorに対して力が決まるので、
応力テンソルは(0,2)-tensor、2階共変テンソル。
要するに2つの covariant vectors のテンソル積。それでくテンソルの2次元的伸展凝収の力的緊張
と書いたのだろう。
C.f. 山本、中村、解析力学I、pp.70-71および
http://en.wikipedia.org/wiki/Stress_(mechanics)#Equilibrium_equations_and_symmetry_of_the_stress_tensor

nの方向のテンソルの力が対立の大きさを表すから、それが横の「次元」、そして、
mが対立が起きる場所(面)を表すから、これが縦の「次元」。そういう (横、縦)-型
テンソル場を考えるということ。テンソル・バンドル?
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor_bundle


2012年2月17日(金曜日)

内部対立では種としては不十分

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時27分56秒

全集6、論理の社会存在論的構造、p.320: ところで種が自己否定を本質とし、
無限なる反対とその抑圧との二重の否定的対立性の重積であるとしたならば、
一見種の内部に於いて相異なる種と種とが否定し合う如く見えるでもあろう。
併し仔場合に重要なのは、若し互に否定し合うものが相異なる種であってそれが一の
種の内部に対立的に並存するならば、両種を其内部に含む一の種は類的性格を現し、
恰も赤と青とに対する色とふ如きものとなり、同一の種が自己否定をなすとは
いい難いことである。赤と青との何れとも限定されずして而も何れでもあり得る如き
種的類としての色は、例えば音の如き異なる種的類に対して相異の関係を有するものとして
種の性格をもつとしても、自己の内部に赤と青との異種を共存せしめる限り類的であって、
種が種として自己否定をなすということにはならぬ。寧ろ赤自身が自己の両立
し難き青を自己の内部から発展せしめ、又青が自己の否定者としての赤を自己の
内部から産出するという如き事態にして、始めて自己否定的とふことが出来るであろう。
併し其様に一を否定する他が一の内部から発生してそれが一に更わるならば、
其事態は変化であって、一の種が他の種に代わるに止まり、種がテンソル的構造を有する
といふことにはならぬ。それは単にヴェクトル的運動的というに止まる。
———————————-
種がテンソル的力学的構造を有する為には、その自己否定をなす媒介となるものが、
飽くまで依然当該種そのものとしてそれの外に離れ出でることなく
それと統一せられるのでなければならぬ。即ち否定的なるものも其自身として
それの対立が種の統一に禁圧せらるという二重の対立性に於いて有るので
なければならない。従って種の統一は種の自己否定に由り自己の内部に無限の
層をなして自己とその否定者との交互的緊張を引渡し、
横に自己とその否定との対立する均衡を、縦に自己自身の内部に無限の層を
成して重ね合はせる如きの構造をもつと云ってよい。
数学的にテンソルが行列式からの発展として考えられる意味をもつのも此構造に
由って苑根拠を或程度まで理解し得られはしないか。
とにかくテンソルの二次元的伸展凝収の力的緊張は、変化運動の一次元的ヴェクトル的構造に
対し明瞭に区別せられなければならぬ。
是れに由りそれが運動の無限なる重畳を却って静止の緊張に堪え、プラトンのティマイオス篇の
質料を狂乱怒涛の大海に比した其比喩
の正確なる意味は、此の如きものでなければならぬ。
———————————-
斯かる種の激動的自己否定態に於いても、勿論分析的外延的に考えれば一の種を否定するものはその種に
対する他でなければならぬ。自己否定に於ける否定者といえども、単なる否定者という一般的概念ではなくして
特定の積極的内容をもつ種そのものでなければならぬ。ただ、その他たる種がその否定すべき一の種の外に
外延的に並存するのでなくして一の種の内部から内包的に湧出し、而も(しかも)それの否定的対立性が依然として
一の種の統一に圧えられ(おさえられ)、それの内部に保たれるのに由って、他の種が他にしても而も一に
帰し一の種と内面的に繋がるのである。相違する二つの種が連続する場合に、一つの種の外に
他の種が並存するのでなく一の種が他の種に入込み他の種が一の種から滲出すること、ベルグソンの純粋持続
の構造に比すべきものがあるとすれば、その所謂相互貫入の統一は即ち種の自己否定の構造に他ならぬ。


2012年2月16日(木曜日)

切断は本来力学的

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時05分29秒

全集12、古典力学の弁証法、pp.82-83:旋回回転についての議論で:
回転運動は並進運動と独立なる第二種の運動として、第ー種の運動たる後者と相俟ち、主体基体相即の力学世界を構成するのである。
之を集合論的に観れば、テンソルが伸長を意味する空間―時間の総合として、その伸長の方向が一点から無限に多くの方向(それの濃度c)
に向うと考えられた極限の場合に於いて、その濃度cなる無限多の縦線ヴェクトルの
総体が、すなわちその超越的自覚として旋回に相当するものと認められる。集合論上濃度cなる連続は、可算的有理系列の絶対的否定的
根源として思惟さられ、その要素としての無理数或は切断は、系列の否定即肯定なる転換の象徴として無を原理とするものであり、超過即不足
なる反対統一を表号するものとして、それ自身旋回回転の運動を行なう主体に相当するものと解せられるならば、無理数或は切断はもはや単に
数論的乃至幾何学的概念と規定さられるべきではなく、むしろ本来は力学的ともいうべきものであろう。解析が力学の数学として発達した歴史的
理由はここにあると解釈せられる。


2012年2月14日(火曜日)

勤務時間

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時50分22秒

総務掛長のWさんに教えてもらったこと。忘れるから、ここに書いておこう。ブログは本来、こうつかうべきものだな。 :-D

僕らの勤務時間は昔は8時間だったが、今は7時間45分になっている!
非常勤の研究員の人たちの勤務時間は、それ以内で計画しないと
いけない。そのため普通は7時間でやることが多い。(ここを間違えていた!!!)
7時間45分を越えると、0.25のオマケ(?)がつく。

給料計算しなおし!


理系が多い…

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時51分53秒

全学共通科目「ゲーデルと数学の近代」の採点完了。登録者の半分くらい、出席者の2/3位しかレポート無し。
まあ、これは京大では当たり前でむしろ多いほうだが、ということは出席者のかなりの数が抽選に外れたのに出ていて
くれたということか… 可愛そうなことをした。100名といわず、200名くらいにしておいてもよかったかな…
でも、そうすると多分毎回部屋が2/3以上埋まってしまい、あまり環境としてはよくない。大きな部屋だったし…

と考えてみたら、米国の全学共通レベルの講義とか、京大でも法、経の講義などを、外からチラと除くと、
数百人規模の大教室にギッチリというのが多い。神戸大でオートマトンと形式言語など教えていた時は、
それに近かかったな… もう7年目になり、文学部のスタンダードに染まったのかも。しかし、あまり
多いのは関心しない。あのくらいだから、講義の後に熱心な学生と議論しても、せいぜい(?)、
15−20分程度しか、後の演習に遅れなかったが、もっと増えたら、もっと大変で僕の研究室の学生は
困ったろう。

最近、マスコミで見かける京大で一番人気の特任教員Tさんの講義と同じ時間だったらしく、
もっと少ないかと思ったのだが、理学部の諸君はあまり起業とか興味がないのかも…

と思うほどに理学部の1回生のレポートが圧倒的に多く、しかも、良い点を奮発したくなるレポートがかなり
あった。1回生で大したものだ。

で、ハタと考えた。今は、文系向けとして書いている岩波新書だが、これはもしかして理系向けに書くべき
なのか?講義にでてくれた諸君は、半分以上はお世辞の学生さんもあるだろうが、かなりの数は、
本当に面白がっていた。つまり理系ながら、自分がやっていることの文系的文脈にも興味がある、あるいは、
僕の講義で、その部分が刺激されたということらしい。これは物凄くうれしい。

NISTEPを辞めた理由に、政府の政策で、さらには経団連のような民間の努力で、
日本のIT業界を良くしようとおもっても駄目で、日本の理工系の人の意識、さらには、日本社会
全体の意識を変えないと駄目だ、幾ら遠回りで、百年河清を待つ行為だ、
と言われても、その努力を続けるしか解決策はない、と現場の
取材を通して考えるようになったことがある。
#それが可能だ、だから協力すべきだと本気で思っていた。
#それを「アホ」といわれれば、そのまま受ける。しかし、最初から、
#斜に構える奴等を僕は全く評価しない!!!

政府や大学の努力で、優秀な人材は間違いなく作れる。実は優秀な若者を育てることは、
それほど難しくない。気が付いていない人が多いようだが、
それだけの若い人材が、この国にはいるということだろう。

しかし、彼ら彼女等を社会に送り出すと、変化していない既得権を維持したい老人たちの社会が、
#僕ももちろん老人です。
その若者達を、まるで琉球列島に群がる米国艦隊の対空砲火が特攻機を打ち落とすように、
「打ち落として」下さる。(^^;)

この特攻隊の光景、米軍の対空砲火に、それほどの戦果もなく虚しく海上に落ちる、
其の座席には若者が一人か二人のっている….
繰り返しTVや映画で見せられたその光景、が、国内で最も成功しているIT教育と僕が評価した、
はこだて未来大の演習の担当者(発案者)を取材していたとき、「では、親御さんは、
そういう風に教育した学生さんをどう思っていますか?」と質問したきに、なんとも悲しそうな
表情で、その担当者が話してくれた実例を聞いた時に、僕の心のなかかに浮かんだ映像。

悲惨な太平洋戦争から半世紀以上がたちながら、同じことを我々はしている。そう思ったときの
絶望感….

「これは僕の今のやり方では駄目だ….」と、とてつもない
絶望感に襲われた。まあ、それまでNISTEPで威勢の良いことを言っていた手前(^^;)、
これは黙っておくことにして(恥です。認めます!!!まあ、雰囲気としては、言っても、
1,2名の人が黙ってうなずくだけで、反発だけで終るだろうと
思ったことの方が大きいかも。あまりはっきり書くと大臣官房を通らないだろうとも言われたし)、
本心は隠したまま、レポートをまとめて暫くしてからNISTEPに行くのは止めた….

脱線したが、兎に角、その時に感じた絶望感からしたら、今回の学生諸君の反応は実にうれしい
ものだったといえる。たとえ百年かかっても河の護岸工事を進め、浚渫を進め、河を清くせねば
ならない。そうやって生きることは、百年ただ川岸に座っているのとはまったく違う生き方だ。
僕はあと数十年も生きられないだろうが、僕の後に、きっと誰かがおなじことをやるはずだ。
だからその人にバトンを渡すために、自分の前にも、そういうことを不完全ながらもやっていた
バカがいたという共感・安心感を、未来の仲間にもってもらうためだけにでも〔実は、
チャールズ・バベッジの”コンピュータの父”としての効用は、それだけだった。それでも、
エライ!こういう共感がどれだけの励ましになるか、誰もやっていないことをやったこと
がある人にはよく判るはずだ。始めての場所って、新鮮ではあるが、同時に物凄く不安
な場所でもあるから…)、今は僕はやるべきだ、と、思っていたが、実際に、少しだけ
できたのかもしれない。もし、本当にそうだったら僕はうれしい。

ということで、これを岩波新書にもつなげたい。

其の場合、ターゲットは理系中心化か、文系中心か。採点するまでは、
文系中心と原稿にも書いていたのだが考えたが揺らいだ。とは言うものの、
この講義は文系科目にしたので、それで理系の諸君が「これで文系科目が1つ
楽勝」と思って殺到した可能性は否定できない。

うーむ。わからん!千葉さんに相談しようと
思い電話するも留守。また、かけよう。

しかし、むずかしい…..


2012年2月12日(日曜日)

調査する: Planck, Max; Mach, Ernst

カテゴリー: - susumuhayashi @ 19時37分50秒

Planck, Max:Einfuehrung in die allgemeine Mechanik, 2. Auflage. 1920.
群馬大文庫 432,P71, **

Mach,Ernst: Die Mechanik in ihrer Entwicklung.
F. A. Brockhaus, 1912. ***

ともに目録p.206。どちらも京都にはない。

そのそばにポアンカレのドイツ語の本、Die neue Mechanik, 1920.
科学と仮説もドイツ語で読んでいる!


2012年2月11日(土曜日)

Voigt 書き込み:A が回転

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時48分25秒

Voigt, Elementare Mechanik als Einleitung in das Studium der theoretischen Physik, 京大田辺文庫、田辺||42||26
Seite 9, 第二パラ。

Die Vectoren V_1 und V_2 unterschieiden sich nach dem Gesagten
dadurch, dass bei dem ersten ein Verschiebungssinn, bei dem
letzteren ein Drehungssinn zur Charakterisirung ihrer positiven
Richtungen herangezogen ist. Man nennt die erste Art von Vectoren
polar, die letztere axial. Auf weitere Unterschiede beider Arten
werden wir weiter unten eingehen.

その右の書き込み

tanabe kakikomi

Vektor B
Dreh R (Drehungsrichtung か) A
Massenpt (Massepunkt だろう) E

個である質点 E と種である運動 B を類である回転方向が媒介する????

古典力学の弁証法、全集12, pp.70-71

(空間から時間を論じた後、半面には反対に、として、時間から空間へを論ずる。個から全へ)
すなわち点の不可分性を延長の両端が逆転的に重なり合う如き回転として理解するという方向がなければならぬ。
時空の統一としての「世界」は、啻に(ただに)テンソルの延伸性をその構造として有するのみならず、
各点に於ける回転旋回性をその要素としてもつのでなければならぬ。
これによつて始めて延伸延長と区別せられるところの、主体の絶対否定的突破行為が
確立せられるのである。

全が個に於いて現れる。書き込み、やはり戦後か?


2012年2月4日(土曜日)

Hertz の力学への田辺の書き込み

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時14分18秒

京大文、田辺文庫、貴重書、42, 25, Bd.3 Die Prinzip der Mechanik… の調査。
Einleitung に大量の書き込み。ほぼ、「古典力学の弁証法」の内容と連動。
ただ、1910年刊の本。何時手に入れ、何時書いたのか不明。おおきな問題。
力概念の矛盾的性格を議論。ハミルトニアンなどは否定的に議論されているとして
良いだろう。

これをキーに、多様体の哲学が、田辺哲学を誤解し、「否定」さえする
ものであることを指摘。


2012年2月3日(金曜日)

Mach, Kirchhoff, Hertz

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時53分33秒

田辺全集12, 古典力学の弁証法。ちから概念が「合理的」でないとの初期の意見として、Mach, Kirchhoff, そして、Hertz.
Mach は Die Mechanik in ihrer Entwicklung 7te Auflage の S.251-238. Kirchhoff は「力学講義」の序文。

前者は群馬文庫にある。Kirchhoff は、京都、群馬、どちらの文庫にも無し。
ただし、1897年版が0001

哲学
G||139
8694622611
152819
にある。

Herz は群馬と京都の双方にGesammelte Werke がある。群馬は書き込み無し?京都は貴重書。
42, 25, Bd.3 Die Prinzip der Mechanik…
この巻だけ京都か?チェック!
その次のが京都文庫のカタログでは Voigt…


2012年2月2日(木曜日)

Structure and agency

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時34分36秒

Wikipedia の Structure and Agency
The question over the primacy of either structure or agency in human behavior is a central debate in the social sciences. In this context, agency refers to the capacity of individuals to act independently and to make their own free choices.[1] Structure, in contrast, refers to the recurrent patterned arrangements which influence or limit the choices and opportunities available.[1] The structure versus agency debate may also be understood as an issue of socialisation against autonomy, and can be contrasted with the “nature versus nurture” debate.

もとは、Barker, Chris. 2005. Cultural Studies: Theory and Practice. London: Sage. ISBN 0-7619-4156-8 p448
人文研
書庫2F 洋書人文部
361.5||B/21
2000690885
00069088

ほぼ、Mengeと Wahlfolge の定義と同じ。比較のために良い
定義の候補:
http://www.psiquadrat.de/downloads/heyting1931.pdf

そこから種と個へ。ただし、最も初期の種。
まだ、自己媒介しない段階のもの。
Giddensだとagencyがstructure に reflectする。
ただし、直接。これは田辺が陽に排したアプローチ。
種の論理とGiddens理論の比較。
agency には intensional な実存がない。
というより、sociology は外延的なので、
それを無視する。シェーラーの社会哲学では?


2012年1月28日(土曜日)

コミック 数学ガール ゲーデルの不完全性定理

カテゴリー: - susumuhayashi @ 13時56分35秒

物語「京都学派」の前日についたコミック「数学ガール ゲーデルの不完全性定理」1,2巻
を繰り返し2度も読んでしまった。内容が正確なのは、原作者の結城浩さんが
チェックしたらしいから当然として、解説書の文章では、僕の「ゲーデルの謎を解く」
とか、結城さんの原作でも表現できていない、形式系や形式的証明、あるいは、
数学の推論(証明)を前にしたときに感じる「感情」が見事に表現できている。
こんなの見たことがない。

二巻pp.142-3の「数学の樹」。僕が形式的証明や、
論証的なハイパーテキストをココロのなかでイメージするときの、殆ど、
そのままが絵になっている。信じられん!!

と言いつつ、そういう感情はWEB時代を新時代と感じる旧世代の人間のもので、
作者のように(おそらくは)WEB時代が自分のネイティブな時代の人には、
あたり前のことなのかもしれない。ネットワーク可視化技術は当たり前の
ツールになっているから、こういう図を専門家でなくても自然に目にするはずだから、
若い人の場合は、少なくとも深層心理にこういう図が自然なものとして最初から
潜んでいるのかもしれない。
#僕の場合はプログラム検証などやっていた時代に、R. バーストールさんが
#Mac 上の HyperCardで ProofCheckerを作っていたのを見たのが
#最初の芽だな。

形式的ルールや、形式的体系の説明は難しいものなのだが、
それがテーマパークでのシーンに見事にダブらせてある。
僕は形式的システムの説明に巨大宇宙船の中に作られた自然とか、
マトリックス(映画のです)とか、ディズニーランド(これは社会学由来)
を使うのだが、そのイメージが実際に可視化されたものがみられるとは….

「知らないふりゲーム」という用語も見事だ。これは結城さんのものなのだろうか?
原作には、ここまではなかったような。

コミックを研究テーマにしている20世紀学の杉本さんがコミックにしかできない表現が
あると言っていたが、このコミックを見て納得した。

兎に角、これは凄いので、今後不完全性定理について説明したり、書いたりするとき、
何等かの形で使わせてもらおう。

でも、どうしてもマネができないものがある。それはコミックの形式自体。
複数のキャラクターが同時に目前にあり、それらがコミュニケーションを行なう。
しかも、それぞれが読者のアバター的存在になっている。数学の場合では、
「でも、そういわれても理屈は追えるけど納得できないな」というときの
不安な感情とか、「あっ!そうか!」という時の明るい感情とか、それらが
キャラクターの表情、現在の会話の様式、それらすべてを、イラストと文字情報
という、自分のスピードで見ることができる形式で(ここが動画と違うところ)、
2次元の広がりに配置されている(ここが文章では絶対にまねできないところ)。
かつ、時間軸がある。それもいつでも簡単にもどれる時間軸が。

文章では、著者と読者のトポロジーをこういう風に配置することはできない。
どうやっても無理だろう。良いところで著者と読者の会話くらいだ。
工夫しても会話形式にするくらいだが、1次元の表現形式に本質的に
グラフ構造をもつ複数人の「会話」形式を押し込めると、どうしても無理がある。
実際の会話では、複数の人が声を上げたり、誰かが話しているときに、
他の2人が顔を見合わせて「エーッ?」という印象の共有をやっている
ことがあり、この共有が、ある意見に対する、その2人の印象を強く決定
したりするのだが、こういう情景を、文章で書くのと、コミックにするのとで
は伝わり方が雲泥の差だろう。

PositLogの作者の久保田さんに非常勤講師をやってもらっていたころ、
彼が4コマ漫画を使って、色々なものを見事に表現してみせるのを見て、
これはマネができん、これからの研究者は、漫画を描く能力も必要では
と驚いたものだが、あれより凄い。

コミュニケーション・ツールのモデルになるな!

ところで、一見、1日に二つ投稿しているように見えますが、
前のは寝る前。今度のは起きた後です。実質、2日間。


物語「京都学派」

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時42分43秒

竹田篤司、物語「京都学派」が届く。ざっと読んで、ムムムムムッム……….
という感じ。僕が知らなかった大変多くの史料のことが書いてあり、一応は、
京都学派の思想史をやっている(と言張っている)人間としては、多いに恥じ入ると
同時に、この史料の扱い方は何だーーー!???!!???!!!!
という感じ。岩波の西田全集の編集委員を務めた方だから期待していたのだが、
これでは興味本位のジャーナリズムと変わらない。
色々と理由がつけてあるのだが、世俗的意図が透けて見えるような気がして、
ゲンナリ…..

藤田さんが、竹田さんを「細部に神宿るという考えの人でした」と言って
いた。ちょっと揶揄したように聞こえた(だけなのかも)ので、
歴史家としてのプライドとして、「僕もそうです」と言っておいたが、
#細部に神が宿らない歴史学を僕は信じない。
#細部こそが個を軽々と越えていく現実だ。
なるほど、藤田さんの気持ちがわかる。これはないだろう….

これでは、歴史家の品位とか矜恃とか、そういうものが何もない。
おそらく歴史には基本的に興味のない哲学者の方で、
凄い史料が手に入ったので、なんとか世間にアピールしたい
という意図が先走ったのだろう。こういう書き方をしてはいけない。
折角の史料が台無しだ!!!

公開と暴露は本質的に違う。こんなのが歴史だと思われたら、
歴史学の品位が下がる。いや、こういうものは歴史学ではない。
歴史を知らない哲学者の歴史もどきだ。キツイと思われるかもしれないが、
歴史家としての矜恃の問題だから、あえてキツイままでおく。


2012年1月27日(金曜日)

歴史学が消える?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時36分56秒

超長期のデジタルデータを保存する千年メモリの研究について質問され、
それ以来、omnipresent log (あらゆる場所のあらゆる時間のログをとるという意味で、
僕の造語。以下 oplog)が実現された時代以後の歴史学、あるいは、歴史、がどうなるのか、
そのことが頭を離れない。これは学問の問題ではなく、人間の社会・文化、人間存在
そのものを根本的に変えてしまうものかもしれないからだ。

僕は oplog が達成されたら、歴史学はやりやすくなると思っていた。しかし、同僚の小野沢さんと、
それについて議論して認識が変わった。oplogは歴史(学)という現在の概念を崩壊させる可能性も
ある。何でもスエズ運河を巡るエジプトと米英の間の紛争、スエズ紛争、については、時単位で
人々の行動が残っているのだそうだ。しかし、それを見ても歴史が描けないのだそうだ。

歴史学というのは、消えてしまう時々の事実が、記録、たとえば、公文書、メモ、通信記録、
日記、当事者の記憶とその証言、などにより、その一部が、ほんの一部が残されているとき、
それを通して、過去を再構成することだ。これは(再)構成であり、実際には、多くの部分は、
歴史家の創作である。別な言い方をすると解釈なのである。

一方に史料が物語る事実があり、一方で、歴史家の推理や解釈がある。
最初の方に忠実であることに重点を置けば歴史学となるし、後の方に
重点を置き、少々の矛盾、大きな矛盾が、史料との間に生じても、
面白さの方をとる、つまり、物語であることを重視すれば、歴史小説とか、
梅原猛日本学になる。

この時、史料の数が、それほど多くないからこそ、それに整合する歴史を
物語れるのであるが、その数が、途方もなく巨大だったら、そういうものを
作れるだろうか?これはデータマイニングのような、ビッグデータの話になって
しまうのである。

最近、オウムの平田容疑者が出頭してきて、その後、彼の映像を、
駅の監視カメラの記録から抽出したものを報道していた。それらの
映像は、平田容疑者が出頭する前に撮影されたものなのだから、
平田容疑者は駅構内の群集の一人に過ぎなかったのである。それが
記録されていて、必要ならば、それを抽出できるということは、僕についても
同じことができるわけだ。

これはGoogleやFacebookのさまざまなプロダクツについて
よく言われる問題と同じなのだが、それは主に現在のWEBの広がりの中で
語られることが多い。こういう透過性、一望性により、WEBは世界の経済と社会を
変えたわけだが、もう一次元増えて過去まで一望できてしまうと何が起きるのだろうか。

少なくとも一人の人間として、過去が何年たっても現在と同じような明瞭さで見えるとしたら、
これほど辛いことはないのではないか?昭和20年8月6日の広島の情景は、それを経験した人、
それを翌日経験した人の誰もが忘れたいものらしい。
昭和20年8月6日の広島の情景が、永遠にそのまま残るとしたら、
人間はそれに耐えられるだろうか。2012年3月11日に稼動していた監視カメラ、報道のカメラ、
アマチュアのカメラ、ケータイのカメラ、は、すでにこの問題を引起しているはずだ。それが
一見ないようにみえているのは、報道や、個人が、それを隠しているからだろう。
インド洋の津波の場合には、流される人々の映像がかなりあった。それが全くといって
ないというのはおかしい。要するに隠しているのだろう。しかし、それをもし全く隠さなかったら
耐え切れなくなって生き続けることができなくなる人が沢山いるはずだ。

死と言うものが大変すばらしい「発明」であることは、年をとってからヒシヒシと実感できる
ようになった。人は死ぬから、その後の世代が可能となる。誰も死ななければ、世界は混雑
し過ぎるから誕生というものが不可能となる。死があるから生がある(ムムッ!田辺に乗り移られたか!)。

冗談はさておき。

大方の過去の記憶が消滅するから、人間は過去を耐えることができるのであり、
また、大方の過去の事実が消滅するから歴史と言うものは可能なのだろう。

過去の全ての情報が、丸侭残ってしまったら、それは混沌とした現在と何も違わない。
つまり歴史学が持つ「理性的」な側面は維持できなくなるのだろう。

では、その時、少しでも「理性的」であるには、どうするか。

現在のWEB社会で行なわれている、ビッグデータで世界を動かす
という方法、キャッチコピーで言えば、集合知、データマイニング、
データ同化などの言葉が表していること、もっと、簡単に言ってしまえば、
「統計的」推論を使うことなのかもしれない。

しかし、それで一人の人間が圧倒的な現実を耐えられるとは思えないが…


2012年1月26日(木曜日)

次は美学だ!..???

廊下で、たままた、美学の吉岡さんに出会ったので、迷惑かとはおもったが、講義でやっていた、
美術・建築におけるモダニズムと数学のモダニズムの関係について、僕の意見をどう思うかを聞いた。
で、興味をもってもらえたようで、素人美学ながら、案外、いい線いっていたらしい。
僕が、学生さんたちに話していた内容は、メインストリームのモダニズム(?)解釈らしく、
グリーンバーグのものだそうだ。驚いたのはハウスドルフが文学者(?)であることを
吉岡さんが知っていた点。美学などでは有名なのかも知れない。それともポストモダン
の方かな?

原稿を書いたら、読んでもらえることになり、大変に嬉しい!! :lol:
で、調子に乗って「次は美学をやる!」と言って八杉に笑われた。(^^;) :hammer:


2012年1月21日(土曜日)

忙しかった今日 御殿荘の大山桜

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時58分49秒

今日で、全学共通の「ゲーデルと数学の近代」が終わり。ちょっと、最後ははしょり過ぎだったが、まあ、さすがに、これ以上講義をすると学生さんたちも嫌だろう。

しかし、今日も沢山来ていたな… 感心すると同時に、つい、教師などに依存しないで、もっと自分で勉強してね、とも言いたくなってしまった。
京大の教員の場合、その使命は、自分より優秀な次世代の研究者を育てることにある。その場合、自分が助言してしまうと、
結局、経験で勝る自分が勝ってしまい(実は目先で勝っているに過ぎないのだが)、次世代の新しい展開の芽を摘む。
#学生ではなくて若手の研究者にだが、これをやってしまったことが僕にはある。Nさんごめん!
#20年以上前の話なのだが、思い出すと、今でも悔やまれる。

で、自分よりエライ奴を「育てる」最善の方法は、遠巻きにして介入せず、そっと見守るしかない。
だって、自分には、そういう奴を育てる能力などないのだから。もし、自分の考えで
育てられる人材ならば、それは、自分よりエライ奴にはならない!これは自信を持って言える。
#ただ、明らかに変な方向に行っているときは、先輩として何か言うが。

これに京大文に転職して、暫くして気が付き、僕の癖である、すぐに答を言ってしまう。しかも、
なるべく分かり易いように努力して言う、という性格をできるだけ矯正するように努めた。
これは、お喋りででしゃばりな僕としては、正直、相当に辛いことなのだが、それが自分の京大教員としての
使命だろうと思ったから、かなり努力して、そうしてきたので、最近では割とうまい
阿吽の呼吸が身につきつつある。しかし、やはり、これは難しい。つい、(自分の)答を
言ってしまう。当然、まだ、経験の浅い1,2回生は僕ベッタリになってしまい、それは
大きな間違いのもととなる。

で、今日、講義の後に、いつも前の方で来ていた諸君に後で聞いてみたら、
文学部から来ている3、4回生とかは別として、
殆ど1回生だったので驚く。本当に、大変な知識と理解力だ。
と、感心しつつ、ちょっと気になったのは、彼らが、僕の思想にあまりに賛同しすぎているように
見える点。まあ、単なるおべんちゃらかもしれないし、1回生なのだから、数年たてば、
僕の考えに疑問を持つようになるだろう。そうあって欲しいと思う。ただしかし、僕には、そうであっても、
駆け出しの学者などには負けないぞ!という自信はある。

講義の前後は、情報処理学会、デジタル・ドキュメント研究会。といいつ、「後」の方は、学生からの
質問で時間を喰い、懇親会にしか参加できず。その懇親会で、よく、その前を通る、御殿荘の
中に初めて入った。中庭にある立派な大山桜に驚く。こんな大山桜が、京都の市街地の中に
あるのは、今まで見たことがない。一度、咲いているのをみたいものだ…

これは嬉しい発見だったが、先日あった悲しい発見は、柊屋の道を挟んだ東隣、俵屋の北隣の
低層ビルが、どうやら、巨大マンションに建て替えられそうなこと。これは第二次世界大戦中の
疎開の余波が一因なのだが、もう少し近隣の人は考えてくれないものだろうか… まあ、
俵屋は外は殆ど見えないので建築時の振動など以外は、あまり影響はないか…(と祈る)。
しかし、柊屋は東西の両方を巨大コンクリート建造物に挟まれて、庭にでたときなど、
かなり辛いのではないのかな…
その内、俵屋も柊屋も、建物ごと、亀岡か嵐山に移転してしまうかも。


2012年1月12日(木曜日)

石川県西田幾多郎記念哲学館

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時26分49秒

一昨日、石川県西田幾多郎記念哲学館を訪問。学芸員の大熊さんに丁寧に案内してもらえた。感謝!

大熊さんの説明と展示品により、どうも、西田を誤解していたような気がしてきた。

田辺への現在までの評価が、西田への強い評価によりバイアスがかかっているのは明らかだが、
それへの反感で、僕の西田評価には、その逆のバイアスがかかっているように感じた。
一つ前のブログの投稿の最後の部分など、その典型だろう。反省!

このようなバイアスからフリーでなくてはならない。そのような状態になると、西田の人間的魅力は、
否定できないものだと展示から感じた。特に戦後民主主義的な雰囲気に馴れた人には、
西田は相当に魅力的であるはずだ。

僕は、戦後民主主義の「恩恵」にあずかりながら、どうも1970年代以後のそれには、
強い違和感を感じる。それが西田への違和感にも通じていたが、西田の全体主義と個人主義
への言及の録音などを聞いて、かなり感じ方が変わった。

やはり、西田・田辺「論争」の研究は、全く進んでいないと理解すべきだろう。
もし、あの時、西田が、田辺の『批判』をガッシと陽に受け止めていたら。
その後の、日本の思想界の流れは大きく変わったかもしれない。
この点、西田の田辺の「批判」への対応があまりに日本的に過ぎて、ある意味で稚拙なのは
実に残念だ。その態度は、思想の対立の回避にしか過ぎないからである。


2012年1月7日(土曜日)

「多様体の哲学」について(2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 04時31分14秒

澤口論文 (二) p.51

引用:「田辺博士の晩年の数理哲学は結局のところ「種の論理」の数学化に帰着する。」
分析:「晩年の数理哲学」は第2次世界大戦敗戦終結以後の哲学のこと。この文で一番問題なのは「数学化」
の意味が不明であること。これより後の文章を吟味しても、あまり明瞭な答は得られない。解釈は、おそらく、
二つあって、(1)種の論理を数理論理学的にする、(2)種の論理で、数学(の特定の理論)を理解する、
つまり、種の論理を数理哲学に応用する、のふたつだろう。つまりは、目的が、(1)種の論理の理論体系、
(2)数学、ただし、数理哲学の対象としての数学、のどちらか、ということ。

おそらくは、後者(2)が正しい。

引用:そこで数学化に必要なかぎりで種の論理の要点を摘出しておかねばならない。
分析:先ほどの(2)が正しいとして、数学に適用する限りで「必要な種の論理の特徴」を考えよう、ということであろう。
「必要な限りで」という言い回しに、すでに澤口の思想の問題点を感じざるを得ないが、それは置いて、
澤口の思想を即物的・客観的に、しかしながら、解釈学的に解明すべきだろう。

引用:この論理の特質はいうまでなく、<略>、これとともに種の論理はもう一つ特異な側面を持っている。
それは矛盾の相のもとでものを見るといういわば裏返しの論理であることである。
分析:是に続けて澤口はヘーゲルの弁証法では、時間がたてば矛盾は統一・解消されるが、
田辺の絶対弁証法では、収束することがない、「次のより深き矛盾へと下る」とする。
かなり正確な理解と言える。

引用:それではこの裏返しの論理にては何ゆえに中間段階たる種が決定的役割を演ずるのであろうか。
これは個と類は同一性的性格が強いからであろう。
分析:この様に主張し、それの裏づけの議論が続く。それは論拠が明瞭でない断定的な推論であるが、
この「種に矛盾が集約される」という澤口の理解が、後の「種=シンプレクティック多様体」という
断定に繋がっていると思われる。つまり、シンプレクティック多様体は、座標系の様なもので、
非常に抽象的である。澤口は「抽象」を、群・環・体のような抽象数学と関連づける。
抽象性=捨象性=不定性、という特質により、各個における矛盾が解消されると考えていると思われる。

引用:博士は種として何を考えているであろうか。まず国家、人倫が典型的な種としてあげられている。
これは政治的種といわれるべきであろう。<中略>そして国家は方便性を持つという。
分析:「方便的性格」という言及から澤口が、その脚注(3)で述べているように、
戦後の「種の論理の弁証法」で、種の論理を理解しているということが明瞭である。
澤口の種の論理論の議論では、その思想の変遷が考慮してあるとは思えず、
「種の論理の弁証法」でフィックスすれば、種の論理が理解できるという
前提で議論が進めらていると思われる。また、その思考法には狭義の歴史主義、
思想はその最終系に向かい進歩するものだ、従って、その最終段階を理解すれば、
その思想を理解できる、という悪しき「歴史主義」が見て取れる。田辺哲学を歴史的存在として、
理解する場合、これが大きな間違いを招くことを指摘したい。田辺哲学は昭和一桁から
十年代への国家主義への流れと、その後の敗戦という、歴史的現実と無縁であることは
できない。これは田辺が背負った歴史的な条件であり、それが田辺の哲学を思想史的に
みれば、最大の難局の時代にすでに世事から引退していた幸運な西田の哲学より
遥かに深みのあるものとする。西田の選科時代の不遇などは些細な不幸に過ぎない。
家族との死別は確かに西田に大きな陰を落としたであろうが、子供や家族の死亡は、
この時代では『当たり前』のことでさえある。むしろ、子供ができないことを知りながら、
貞節を保持した田辺の方が、明治人としては異例なのではないか。再婚のことなど考えると、
西田の後半生は、信じられない程の幸運に満ちている。それに反して、知的エリートなどと「揶揄」される
田辺の方が、実は、その人生の最盛期に、第二次世界大戦と日本のファシズムという
「世界史的」条件に対峙・関係せねばならなかったという「歴史的不遇」を抱えている。
2011年3月11日を、1945年8月6日を、「腑に落とす」ことができるための
哲学は西田哲学なのか田辺哲学なのか、と問われれば、後者の方が、「より良い」と
言える。「竹林の賢者の思想」は、個を容易に捻り潰す圧倒的な「世界史的条件」には応えられない。
それが北森の西田・田辺への評価に顕れていると思う。
かなり『脱線』してしまったが、澤口の議論には、こういう視点は全くなく、
田辺哲学の分析哲学化、あるいは、戦後日本でも共用される哲学に変えること
しか念頭にないように思える。それは田辺哲学の正反対を目指す途だろう。


2012年1月2日(月曜日)

「多様体の哲学」について(1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時39分47秒

澤口昭聿「田辺元における数学の形而上学」分析1
 澤口昭聿「田辺元における数学の形而上学」、pp.48-76、武内他編「田辺元 思想と回想」、筑摩書房、1991の分析1

引用1p.48:博士晩年の著作『数理の歴史主義展開』は特異な数理哲学書というほかない。<略>
数学者が本書を読むならばほとんど真意を把握できないであろう。そきにはあまりにも強く形而上学が出ており、
直接には数学的に理解不可能である。
分析:評価が師である下村のそれと非常に近い。下村が澤口の師であることは、澤口の「連続体の数理哲学」東海大学出版会、
1977の序からわかる。

引用2p.48:したがって問題は第一に数理哲学においてはたして形而上学的な方法が必要であるか、ということである。そして、
その場合に田辺博士の歴史主義が適切であるかが第二の問題となる。
分析:文章に癖があり意味がわかりにくいが、本文の展開からすると、要するに「したがって第一に数理哲学においてはたして形而上学的
な方法が必要であるかが問題となる。そして、もし必要であるというのならば、田辺博士の歴史主義が数学の形而上学として適切であるかど
うかが問題となる。」という意味。

引用3p.48:結論をいえば、博士の方法は外見はともかく真相においては意外に現代数学に適合性をもっている。
分析:前の文章からの繋がりが悪いので、これも意味不明だが、pp.60-61の切断では「"抽象"が行なわれない」という記述、
および、p.63の「種の論理の真の活動の場は、”多様体"の哲学においでてあると考えられる。博士はリーマン面に触れているから、
特殊な多様体は考えているわけであるが、もっと全面的に拡大すべきである。」という記述、および、その後の、シンプレクティック幾何学、
シンプレクティック多様体の幾何学としての「多様体の哲学」の導入と、そこにおける類種個の解釈、および、「種の論理は「矛盾部分」
と「無矛盾部分」を持つ」という澤口の考え方からすると、種の論理が、シンプレクティック幾何学と似た構造を持つということを、
「意外に現代数学に適合性をもっている」と述べているらしい。しかし、澤口の最初の問い「数理哲学に形而上学は必要か」また、
「田辺の歴史主義が、数理哲学における形而上学の中で適切であるか」という問いと、この結論は、かなりずれている。
澤口という人の議論は、こういうものが多く合理的な分析は難しい。
このような情況なので、澤口の議論を分析にするには、文章をそのまま
理解しようとしては無理で、全体の流れを掴んで、言いたいことを類推するしかない。以下、それを行なう。

引用4p.48:現今の数理哲学は論理学的方法に集中された観がある。これはラッセル以来生じた顕著な傾向である。
初期の田辺哲学に見られるごとき数学の認識論はとうに学界の関心の外に忘れられている。
分析:現代の数理哲学は英米系の分析哲学に集約され、それ以前の数理哲学、たとえば田辺の新カント派的な
初期数理哲学は、現代(1991)では数理哲学として受け入れられなくなっている。と、いう議論。
つまり、フリードマンの2つの道の一方から歴史を見ている。

要約1p.49:ラッセルのプリンキピア・マテマティカで論理学が現代化され、それを利用して集合論が再建された。
思惟法則まで含めた数学が建設されたのである。このプリンテキアも「還元可能性の公理」という問題を含んでいた。
これは数学を実行可能にするための純然たる仮説である。しかし、この問題はゲーデルの構成可能性の公理に
よりほぼ解決されたとみなせる。ゲーデルのこの公理は還元可能性の公理を含み、さらには、「完全な形で
古典的集合論の論理学的再現を果たしたものと考えられる。さて、この集合論の論理学的再現は同時に他の
可能性に道を開くことになる。」と主張して、公理的集合論における独立性・無矛盾性のなどの研究への言及がされる。
分析:主張は三つだろう。プリンキピアで公理的集合論への道が開かれたこと。構成可能性の公理で還元性公理の
妥当性が保証されたこと。そして、さらに非標準的集合論の研究に構成可能性の公理が道を開いた、ということ。
澤口はコーエンの「連続体仮説」の訳者の一人だが、公理的集合論が分かっていたのかに疑問がもたれるような
議論である。構成可能性の公理は還元性公理、つまり、非可述的なcomprehension axiomより遥かに強い公理
である。これは非可述的なcomprehension axiomと本質的には同じ前提に立つような超限順序数の体系を前提
にすれば、その順序数で番号付けた変数、個体定数、述語記号などを持つ、超限的な論理学により構成される
集合論モデルLと「標準的集合の全体」Vが一致するという公理なのだが、一見、順序数の体系の中に、
非可述的性が入っているのが見えない。ヒルベルトはこれを非可述性なしでやれると思ったらしいが(それが、
かれの「無間に就いて」)、それで失敗して、それを見たゲーデルが、相対的無矛盾性という手法で、
それを前提にしてヒルベルトの議論を再構成して、構成可能性公理V=Lの無矛盾性を示し、それにより、
選出公理と連続体仮説の相対的無矛盾性を証明した。というわけで、このp.49の第2パラグラフの議論の
一番多い部分は澤口の数学的誤解と思われる。この部分は、その後の議論展開には影響はもたない。
しかし、澤口の記号論理学への理解に疑問が持たれる理由となる。他にも、そのような議論が、
この論考にはある。生前の澤口を知る数理論理学を正確に理解する哲学者の話では、
澤口の数理論理学理解には疑問がもたれるとのことである。おそらく、数学としては理解できて
いない。

引用5p.50:現代の集合論はさらに再拡大された同一性論理であると考えられる。
分析:p.49終わりの議論から、同一性論理=伝統論理学<記号論理学<集合論、と捉えていることがわかる。

引用6p.50:記号論理学を本質的に使用する数学を「形式的」formalと呼ぶならば、形式的数学が
現代数学の本姓をなすかどうか。これに対して多くの数理哲学者は肯定の答えを与えるであろう。
<略>しかるに数学プロパーの現状に目をやるならば、依然として別種の数学論理が働いている
と考えざるを得ない。<略>形式的数学に対して抽象的 abstract数学がそれであろうと思われる。
<略>ところで、田辺博士晩年の思索はこれに対してある種の示唆を与えるものと考えられるのである。
分析:澤口が言う抽象数学というのは、ブルバキ構造主義の数学、つまり、ヒルベルトの初期形式主義が
発展したモルフィズムが保存する性質により、数学の本質を語る数学のことである。特に、抽象という
ところが重要で、ヒルベルトと異なり、一意性を無視する、という所に、澤口は、弁証法的な
矛盾を回避する術があると考えている(これは後ででてくる議論)。


2011年12月25日(日曜日)

田辺元の思想―没後50年を迎えて

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時33分48秒

雑誌「思想」2012年1月号田辺元の思想―没後50年を迎えてが2冊昨日届く。(店頭にでるのは12月27日か?)。
田辺史料の画質がゲラ刷りでは今ひとつで心配していたが、紙質が大変よいので相当に明瞭。定価2100円。
雑誌というよりは書籍だな。値段も紙質も僕には驚き。WEBで値段を見たときには、高すぎだろうとおもったが、
この紙質ならばむしろ安い?

ざっとみて僕の二つのアーティクルだけ、文体が全然違う。竹花君のとかは、内容を講演で聞いて、僕自身の田辺研究がえらく影響を受けたので、
これは比較的楽にわかるが、他は何を言っているのかわからんのが多い。経歴、分野をみると、僕だけが哲学関係者でないので、
まあ、そういうことなのだろう。ちなみに、藤田さんのは、まだ読んでない。もう2年間(3年?)も、
講義を聞かせてもらっているので、藤田さんの田辺理解はよく判っているつもりなので後でいいやと思って後回しにしてしまっている。
杉村さんのも原稿をもらったが、これは、その時点で読んでギブアップ。(^^;)

そういう中で、合田さんという人のアーティクルは、文章も内容も例外的によくわかる。この人の田辺像は僕のものにかなり近そう。
僕が見逃していた史料的事実も書いてあった。デーデキント切断に田辺が肩を持ち始めたのが、留学前とは気が付かなかった。
(調べてみたら、これは昔読んだ所だった。切断を基本列より哲学的に意味があるとしているが、これは数理哲学的に意味がある
というだけで、後年の意味づけとは全く違う。「思想」では、他の人も、これに注意しているが、之は単に田辺がよくやる
良いと思いこんだら、何かと理屈をつけて、それに価値をつけてしまうという議論の一つに過ぎない。ただ、それだけ高校生の
ころに読んだ高木の切断の解説が、田辺にとっては印象深いものだったということの傍証にはなるだろう。2012.02.27)
コーエン哲学にも弁証法があるので、そこらあたりか?田辺自身が書いたものかすると、これが本格的な弁証法を意味するものとは、
まず考えられないが、初期の西田哲学に依拠しての論理主義批判などと合わせて、留学前の弁証法的なものへの興味を再検討した方がよさそうだ。

中には、岩波文庫の田辺元選集だけを読んで書いたのだろうか、などと疑いたくなるようなことが書いてある記事もある。
また、いくつかフィロソフィア・ヤポニカを褒めている著者がいて、エーッ!?、という感じ。後者の方では、中沢多様体哲学論の
一番問題のあるところ、つまり、幾何学的で静的なもので田辺の種の論理を説明するところあたりが、一番、受けがいいらしい。
やはり、ここは一度、ちゃんと書いておかないと駄目だな…そうしないと、際限なく誤解が続きそう。

幸い、今朝、中沢の多様体の哲学の種本である澤口の1991年の論文の議論の構造が漸く分析できたので、
「日本哲学史」に書かせてもらうのは、こちらの方が良いかも。中沢批判だけでは、中沢氏がアカデミック
な学者ではないから、学術論文にならないが、澤口さんのは、一応、その形を成しているので、これを
ちゃんと分析できれば、一応、学術論文になりえる。藤田さんに相談してみよう。

最近、偶々、山本夏彦の文庫本を色々読んでいるが、今朝来たのが、「私の岩波物語」。
明日、岩波本社に行くので、どれくらい悪口が書いてあるかと興味本位で読んだのだが、
悪口ばかりかと思ったら、そういうことは書いてない。諧謔で道理が通っている。お江戸のセンス。
#正義が通っているのではなくて道理ですね…

チクリとやってもブスリとはやらず、正義を振り回さない姿勢など、
故前原先生の世間話を思い出す。僕は若い頃、江戸東京古典落語が好きだったから、こういうのは大好きだ。

唯一、違和感をもったのが、田中美知太郎を引用しての西田・田辺の文体の批判。
彼らの日本語が、不必要に難解で、ほとんどドイツ語のような日本語であることは正しい。
それはそれを苦労しながら何年も読んでいる(読まされている?)僕は良く知っている。
「…といわれる」などというのは、どうみても man sagt … だ。
最初は、何か深い意味でもあるのだろうか、と思っていたものが、
分かってみると「なーんだ!」というのが結構沢山ある。この点、
西田・田辺に限らず京都学派の文体には直感的に反感を覚える。
#といいつつ、最近何か学術的なものを書くと、時々文体が田辺になる
#ことがある。慣れというものは恐ろしい…

しかし、では、田中の批判が適当かというと、それは半分しか妥当性を持たない。
田中は、西田・田辺は日本語で語りえるものと語りえないものを知らないと言ったと
山本は書いているが、これが本当ならば、そこが、一番のポイントで、
田中には大きな誤解(?)があることになる。

西田・田辺が日本的宗教観に影響されていたのは、
間違いないが、京都学派の哲学の中心が、そういうものだというのは、すくなくとも
僕は十分読んだ田辺に就いては間違いだと断定できる。田辺の日本思想は、
西洋人が日本思想を読んでいるようなところが明らかにある。現実の浄土真宗の
土着的雰囲気は田辺の理解する親鸞とは当然ながら随分違う。近代化・
西欧化が著しい本願寺でもそうなのである。

また、最近の藤田さんの講義など聴いていると、西田についても禅とか言い過ぎる
のは間違いらしい。今の一般に流布するイメージは西谷や上田の戦後の活動による
the invention of tradition だろう。

僕には、田辺は、ドイツ人に見える。西田は随分日本的らしいが、それでも
普通の日本人ではない。この二人は、本来日本にはない、ドイツ語ならばピッタリ
くるような思考法を身に着けようとしたと理解すべきだろう。だから、日本語の限界などといっても
こまるのである。目的が日本的なものも越えることだったのだから。
(「も越える」である。つまり、西洋も日本も越える。)

田辺の日記の最初の方のものには、ほとんど日本語がない。ヨーロッパの言語で
メモが記されている。おそらく日本語で適当に語るための方法がないのである。
つまり、西洋的哲学者になろう、その中で、同時に日本的・
東洋的なものを出そうとしたのが、この人たちであるわけで、できたら、全部、
ドイツ語で語りたかったであろう人に、日本語の限界を言っても仕方がない。

で、田中美知太郎は、全部、日本語の限界のなかで語ったのだろうか?
そうだとすると、ちゃんとした哲学(史)はできなかったのではないかと、
疑問に思えてくる。


2011年12月4日(日曜日)

田辺「思想」特集号論文校了

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時08分47秒

岩波「思想」2012年1月号の最終校正をメールで送る。これで校了。ふーッ。

再校が来る直前に新しいことに気が付いて、かなり手直しをさせてもらった。
岩波の対応は、今回も他の出版社とは違い、この際だから、良くできるものは、
ちゃんと良くしましょうというものだった。批判も多いが、やはり岩波は学術的には、
他の出版社と一線を画す。またまた脱帽。

物理、特にテンソル関係の話が、田辺の「切断」の着想の一つになっている可能性が
大きい。全集の種の論理の冒頭の論文が、種の論理以前の「図式「時間」から図式「世界」へ」
であるように、物理、特に一般相対論の世界のイメージの、「世界」の問題が、種の論理の
先駆として大きいことは、以前から指摘されている。それに加えて、「数理哲学」も、この
物理に対する思想がカタリストになっている可能が大きくなってきた!ますますコーエン的というか、
「科学概論」の時代の田辺のコーエン哲学の解釈との同型性が顕になってきた。
そう考えると、田辺の「トンでも性」は、実に腑に落ちる。むしろ「保守的」だったのだ。
#ヒルベルトが「保守的」だったというのと、同じ意味での「保守」。数学では、
#それが本当に保守すべき主流になったが、哲学では消え去ってしまったので、現代からみると、
#「トンでも」に見える。

ちなみに、テンソルとは W.Voigt が作った
用語で、テンションから来ている。このVoigtが使い、佐藤省三も昭和9年の哲学研究の
論文(「社会存在の論理」と同じ号)で引用しているテンソルの図示の方法が、
切断に似ている。Voigtのもとの図式は、それほど似ていないのだが…
ちなみに、Voigtは独逸語読みではフォイクトだそうだ。デンマーク読みだとフォークト。
独逸の人がオランダの読み方だと違うかもしれないなどといっていたから、
どちらかというと独逸本体以外の名前なのかもしれない。
FORVOでは、デンマーク読みでフォークト、独逸語でもフォークト。
http://ja.forvo.com/word/riborg_voigt/#d
http://ja.forvo.com/word/voigt/
佐藤はフォーグトと書いている。
ゲッチンゲンの物理の教授で、学長もつとめていて、ヒルベルトの物理の公理化の
研究についての Leo Corry の著作でも取り上げられていた。


2011年11月30日(水曜日)

忙しすぎる…

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時23分53秒

演習資料をUPしてハタと気がついたら11月の今日が最終日で、全くブログを書いていない。忙しすぎたんだんな…


2011年10月26日(水曜日)

消費

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時04分50秒

以前、社会学で「羽入・折原論争」というのがあって、ある意味で日本社会を象徴するような、
がっかりするような事態が起きたのだが、そのとき、このサイト「羽入・折原論争」の作成者の北大の橋本さんに、
お願いして、その中でコメントをしていた学者でない人を紹介してもらい、メールで議論をさせてもらったことがある。
議論は羽入・折原のそれと同じく、全く噛み合わず、「砂を噛むような」という使い古されて陳腐なはずの言葉がピッタリ嵌る状況を経験した。

その時のことを時々反芻し、それがその後の僕の執筆の態度にも影響をしている。それまでは「一般向け」の良い本を書きたいと思っていたが、
それからは、それがこの国では不毛だと思うようになった。それで、岩波文庫の「不完全性定理」(の解説)を書くときなど、
京大で教えている院生や、学部生の優秀な人たち、そして、お医者さんとか、別分野の学者さんを読者として想定して書いた。
#僕もその人種の一人だが「一般向け」の本は大好きだ。ただ、楽しめるもののほとんどが、
#そのオリジナルが海外の言葉で書かれているのが悲しいが…

で、そういう読者の設定の理由として、なんとなく「そうでない読者は、僕の本を消費する。
たとえ印税が沢山入っても、その代償に消費される本を書くのは嫌だ」と思ったことがあるのだが、
でも、その肝心の「消費」の意味が、自分でも分かっていなかった。

ところが、突然、それが分かった。多分、岩波「思想」1月号の結局は削除してしまった中沢新一批判の部分を書くために
中沢さんのテキストの分析を真面目にやったとこと、そして、卒論を書いているS君と、ハーレクイーンのような「消費される小説」
について議論したことなどがそれの原因なのだろう。

で、結論として、「AがBを消費する」とき、Aはそれによっては本質的に変わることがないという特性がある。
要するに消費者というのは、自分が本質的に変わることを嫌がる人である。哲学や数学、あるいは、
思想の古典などの「難解」と呼ばれるテキストと格闘し、それこそ何年も格闘し、それを「理解」したと思ったときには、
大抵の場合、自分自身が大きく変わっている。「理解」という言葉は、自分は円の中心にあり、動かず、変わらず、
何か外にあるものを摂取するかのようなニュアンスが少なくとも現代日本語ではつきまとうが、実は「本当の理解」
というのは自分がその「理解の対象」と融合し、あるいは、絡め取られることでもある。
外国語が自然にわかるようになるという経験をした人には、この意味がわかるだろう。
この様に変化する。そうでなくては、新しい自分の段階は得られないのだから、
たとえば、学者としては、消費としての「理解」は理解というに値しないものとなる。
学者の言う理解とは、それ以前ものを壊し否定することだから。

しかし、文化やテキストを消費する人は、一回ごとのエピソードで自分が変わることなど考えてはいない。
癒されました、とか、感動しました、とかいうのは、実は自分の本質は何も変わっていないという意見表明だ。
本当に変わったら言葉はでない。変化に圧倒されて言葉を出すことなど無理になる。
圧倒的に美しい自然を目にしたときのようにただ黙って見つめているしかなくなる。

これが消費される本か、消費されない本かの違い。つまり、消費者とは、怠け者だといえる。
しかし、ハーレクイーンならば、消費者は怠け者でないといけない。そのために、つまり、楽しむために、消費するために、その本は書かれているのだから。
ハーレクイーンを読んで「地下生活者の手記」を読むようなセンセーションを受けたのではかなわない。
以前、亡くなった森さんがおもしろいことを書かれていて、学生が感動するような講義をせよという人が多いが、
もし、全部の講義が感動ものだったら、学生は一日に幾つも講義を聴くのだから疲れて大変だろう、というのである。
なんと、真っ当な意見だろうと感動しつつ、大笑いした。

そういう意味で消費されるものはあるべきだ。むしろ、大勢は消費されるべきものだ。素人と玄人の人口比を考えれば、それは当然のことだ。
ただ、今は、玄人がなにもかもえらいのだという、僕らの学生のころまであった、いまとは逆向きの非現実的な支配的意見への反発として、
単に、それの裏返しが起きている。戦前の天皇陛下は神だ、の裏返しとしての、消費者は神だ、というのと同じ。
これらは方向が逆なだけで、実は同じ思想。僕は、こういうのが一番嫌だ。

だから、僕は売れる本は書きたくない。もちろん、しょうもなく世俗的な僕はお金は欲しい。しかし、そうでない要素も持っている僕は、
自分の感情に素直になると、印税より気持ちよさを取る。「僕の本が、現在の日本で、売れに売れたら、それは恥だ」と思うし、
そのまま発言して同僚に訝れたりする。もちろん、自分と同じ考えの人が増えて売れに売れたのならば、
もう、その時点で死んでもいいぐらいにうれしい。デモ、死ねません。センセイの世話をせねば。 :-)

ということで僕の意味での「消費」が漸く自分で理解できたいう話….. ウン?
学生諸君、以上の「理解」についての議論から、この「自分の意味での消費が漸く自分で理解できた」という文の意味を説明せよ!レポートの提出は….
#冗談です

ところで、全然関係ないのですが、sourceforge.jp のユーザ活動順位が月間7位、週間4位になってしまった。
どうなっているのだろう。玄人の学者が、こういうのをやるのは珍しいということかな…
#エートっ。この文をテキスト分析すると….


2011年10月23日(日曜日)

sourceforge.jp

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時17分49秒

今日、10月23日には、sourceforge.jp の活動ランキングが週間4位, 月間9位に!!

プログラミングをしなくなったのに変だと思ったがWikiで簡易マニュアルを書いているかららしい。あまり信頼できない順位だな…


2011年10月20日(木曜日)

SMART-GS0.8作業終了

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時09分00秒

SMART-GS0.8の僕の担当作業分完了!

(´◇`;)疲れたー…..

おかげで(?)、sourceforge.jp 活発度ランキング月間18位!、週間では9位になった。ちなみに3年ほど前のメンバー数が3万人超だから、今はもっと多いだろう。その中で18位!

若い頃のことを考えれば大したことはないが、もう数年で還暦であることを考えると自慢したい。 ;-)老眼でのコーディングは本当に辛い。よく見えてなくて、あてずっぽうでやってたりする。若い頃に視力にもどれたらなあー。僕の場合、現在が今までで一番充実した仕事をしている時期なので、若がえりたいとかは全然思わないけれど、視力と持久力だけは回復できるものならば回復したい。それでないと折角の楽しい仕事が十分できない。この一ヶ月で、コーディングだけでなく、全く新しい講義を2つ開始、「思想」の論文を書き、系代表の仕事を沢山行い、2、3回会議を忘れてすっぽかし :hammer:、実に良く働きました。 :-)しかし、これも優秀な同僚や、特別研究員のお二人、+の謎を解いた院生の小林君などの若い優秀な人達が周りにいてくれるからだな…それになによりセンセイのおかげ。実にありがたい。南無阿弥陀仏。

などと感傷に浸っている場合ではない。次は、京都学派アーカイブを何とか年内に開設せねば。あっと、来年の開講科目の世話が… そうだ、明日は教授会… :-(


2011年10月14日(金曜日)

「思想」田辺特集号ゲラ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時00分34秒

岩波「思想」田辺特集号のゲラが来た。僕のは田辺の『数理哲学』と、田辺文庫の話の二つ。

『数理哲学』の方は西谷の議論を使って田辺哲学が数理抜きでは理解できないことを主張。
京大文情報・史料学を立ち上げるときに、アメリカからわざわざ来ていただいたJ.Gougen さん*が、西谷、西谷と言っていて、知らない僕は何なのだろうと思っていたのだが、西谷哲学自身は読んでないものの、田辺全集14巻の西谷の解説を読むと、この人は只者ではないと感じた。下村とは大分違う。やはり哲学にも天才とそうでない人がいるようだ。西谷の田辺評価は、田辺を師として敬いつつも、そういう意味での天才的な才能が田辺には欠けているというように主張しているかに見える。しかし、田辺の場合、恐るべき緊張感と努力で天才ができないようなことを成し遂げているともいえて、西谷もそういう評価なんだったろうと思っている。単に師を敬っているだけではない、自分とは全然違うが、それはそれで凄いといような評価だと読んだ。ただ、西谷もちょっと辟易していたのかも。 ;-)

この『数理哲学』論文では、澤口・中沢の「多様体の哲学」批判をやることにしていたのだが、50枚が60枚になり、70枚になり、で、これはバッサリ切らんとしょうがない、ということになって、全体を眺めたら、やはりその部分だけが浮いていたので、バッサリ削除。ということで、特に中沢新一批判ができなかった。ただ、これはマスコミ学者とアカデミズムの学者を同じ土俵に置いて評価する、今の世の中を見ると、やはり出しておいた方がよいだろうと思うので、田辺特集号のころに、僕のWEBページにでも置いておこう。

で、結論として、澤口昭聿さんは、まあ時代の問題もあったのだろうが、方向が悪すぎる、哲学的才能の欠如というか… と言うのが評価。
中沢新一さんは、兎に角、不勉強、努力不足、というのに尽きる。ちょっと、酷すぎ。もし、フィロソフィア・ヤポニカが学術論文だというのならば、澤口多様体哲学に対しての剽窃の問題がでてくる。まあ、文芸賞を取っているから一般向け文芸作品として考えれば、岩波書店でさえ脚注はあまり書くななどと言うのだから、引用がなくても仕方がないともいえるので、それならば、僕は黙る。しかし、努力不足というのは、ありありと見えて、それなりの才能(うまく「こなす」才能)のある人らしく、ヒラリとかわしているようなところがあるのだが、それゆえにこそ、その対極にいる田辺を理解できなかったらしく、澤口を利用するものだから、全く変な所に着地してしまう。マスコミ学者の悲劇というところか…

まあ、文章は上手だし、センスのよさみたいのなのは見えるので、それほどコテンパンに伸ばしてしまう気はないのだが、しかし、田辺がもしフィロソフィア・ヤポニカを読んだら、どれだけ怒ったことか…

でもないか。田辺が批判しているのは、田辺自身が説明しているところがあるのだが、実は田辺が最も評価している人たち。たとえば、ハイデガーであり、西田。この人たちへの批判は、実は、田辺がこの思想家達を最も評価していたから起きたこと。それに比べてニコライ・ハルトマンへの評価など、最初、種の論理がハルトマンに依拠しているのではと誤解して、ハルトマンの著書への書き込みやら、講義ノートやら調べていたのだが、その過程で、正直の所、本当に背筋が凍った。群馬大の図書館でハルトマンの本への田辺の書き込みを読みながら撮影してて、なにやら、あまりの冷たい態度に、自分も学者だけに、他人に、これだけ冷たくされたらどれだけ落ち込むかな、とゾーッとした次第。そういう次第で、おそらく背筋も凍るほどの無視を中沢多様体哲学論に対して示した可能性が大きい。

まあ、面識もない中沢新一さんには、気の毒だが、学者の力量というのは、ハッキリでるものなので仕方がない。

*)京都に来て南禅寺の知人などを訪問して、本当に嬉しそうで興奮していたが、帰米されて少しして急死された。今でも、呼んで良かったのかな、カンフォーラでシンドソウなときに、もう少し気を使っておけば… などと思うことがある。昭和20年8月6日に,もし,…というのと同じ想い。歴史的真実、歴史的現実は、本当に重い…


2011年10月9日(日曜日)

ゲーデルは有名になったんだなー!!

金曜日に5年ぶり位の(4年か?)全学共通の講義初日。
岩波新書「ゲーデルと数学の近代」をこれで使う予定だったのだが、まだ、4分の1くらいしか書けてないので講義をしながら書くという感じ。系代表も忙しいが、SMART-GSにえらく時間がかかる。しかし、使いたいという人が増えているので頑張らねば…

学生から理学部で評判になっている(?)という噂を聞き、急遽大きな部屋に変えてもらい、履修者数も無作為抽出で100名にしてもらったが、立ち見が30−40名か?その後の演習で、僕の研究室の学生が「入ろうとしたが多すぎたので諦めた」と言っていた。125名入る部屋だが、3列がけの真ん中を座らないので、こういうことになる。しかし、真ん中に座っても少しはあふれたろう。

前回は、理系文系両方に分類したし、文学部東館の階段教室だったからか、文系の学生も、それなりに多かったが、今回は吉田南キャンパスの教室で、文系分類のみの講義にしたので、想像通り殆どが理系の学生。手を挙げさせたかんじでは、多分90%くらい。

同じく手を挙げさせて驚いたのは『ゲーデルという人を知っている人』という質問で80%位は知っていたこと。僕が学生のころゲーデルなど知っている人は極少数だった。ここまで有名になっているとは思わなかった。ゲーデル自身の話はあまり必要ないのかも。

日本でゲーデルを有名にした人として柄谷行人さんを紹介したので、『柄谷行人という人を知っている人』も聞いてみたら、せいぜい5%位。パラパラという感じだったから、もっとすくなかったかも。殆どが理系学生ということもあろうが、時代の流れを感じる。実際最近の学生はポストモダン・ニューアカというのがあったということを、文学部の学生でも殆ど知らない。まあ、学問ではないから、当たり前と言えば当たり前。

ブランクーシはさらに誰も知らなかったような…聞いてみたわけではないが、鳥の飛翔を見せたときの反応から、そう思う。まあ、僕も最近まで知らなかったし…(^^;)