紙面広告に見る萬朝報
このページは、情報技術演習Tの課題制作にあたり作成したものです。
「紙面広告に見る萬朝報」をテーマに、画像収集・加工技術、html、ブログなどの
スキルを涵養することを第一の目的としています。
また、この作品の特徴は、イメージマップを用いての画像閲覧に特化していること、
そして(当初web公開を目標としていたこともあり)閲覧者が自由に情報を適宜更新できるような形式も、
htmlの範囲内ではありますが、用意していることです。
そのため解説欄の情報・調査が不十分な部分もありますが、
全体として途上の一段階にあるとみなしていただけると幸いです。
●なお、ここで使用した画像のすべては、日本図書センター『萬朝報:CD-ROM版』(1997)に収録されているものです。サイト内で扱っているすべての画像の著作権は日本図書センターにあります。
●今回は、教育目的で例外的に使用しています。直リンク・無断で転載・加工・複製・二次使用することはご遠慮願います。
what's "YOROZUCHOHO"?
――明治のジャーナリズム、此処にあり!
萬朝報は、明治25年(1892)11月、黒岩周六(黒岩涙香)によって東京で創刊されました。紙名「萬朝報」は「よろず重宝」にあやかっています。
発行禁止の危機に何度も陥っても、けっして権力に屈せず徹底的な追求を筆によって行うその様は、「赤新聞」と呼ばれ、民衆からは喝采を浴び、政治家からは恐れられました。日清戦争時には海外特派員を派遣したり、毎号英文欄を設けるなどもしており、時事性・国際性に富んだ新聞ともいえるでしょう。
また、簡単・明瞭・痛快をモットーとし、涙香自身による連載翻案探偵小説や各種読み物、相撲将棋などの娯楽報道、ゴシップなど扱う内容も多岐にわたり、文化面での貢献度も非常に高いものがあります。
高い人気を得た結果、明治32年末にはその発行部数が東京の新聞中1位に達しました。
在籍していた人物のなかにも、数多くの著名人がいます。長年、黒岩の片腕を務めた曽我部一紅、英文欄で活躍したキリスト者・内村鑑三、文化面で貢献した斉藤緑雨ら、のちに大逆事件で処刑される幸徳秋水、堺利彦、黒岩と同じく明治の翻訳界を牽引した森田思軒らなど、それ一人で新聞一つを立ち上げてもおかしくない人間が、社員として健筆をふるっていました。
明治36年10月、日露国交の危機に臨んで、非戦を固持する幸徳、堺、内村が退社し、次第に勢いが失われていきました。また、長く「萬朝報」を率いてきた黒岩周六が、大正9年10月6日に亡くなってから経営面も悪化の一途をたどり、昭和15年10月「東京毎夕新聞」に合併されることで廃刊となりました。
明治の後半になるにつれて衰えていくものの、明治時代のジャーナリズムに燦然と輝く新聞といえるでしょう。
――広告から見た明治時代
上記のように、明治の言論界、ジャーナリズム界で非常に重要な役割を果たした「萬朝報」は、その記事内容の面では多くのデータや研究があります。
そこで今回は、紙面広告に絞って見てみることにしました。きっとそこには、当時の時代性が反映されていることでしょう。
広告を通して、どんな明治の姿が見えるのでしょうか……?
how to use
[gallery]ページの使い方についての説明。
より詳細に見たい画像にポインタを合わせてください。
サムネイルからリンクしています。
なお、広告画像については、イメージマップによって各所にリンクするようにしました。
広告種別
一つの基準として種別を分けました。
広告名
主にロゴなどで強調してある部分を広告名として採用しています。
広告主
主として大文字で書いてある個人名、企業名などを広告主としています。
備考
その広告に関しての、注釈、歴史的情報、現在との関わりなどについて、情報が残っていれば記述しています(「とりあえず」のWikipedia含)。web公開できたとして、閲覧者が書き込んでいける形を志向しました。
なお、記述を比較的厚くできたものは以下になります。
第0001号 明治25年11月01日(火) 第7、8面の銃器類について明治期の法令沿革
第0200号 明治26年07月05日(水) 第4面の「廣告について御注意」
第0330号 明治27年01月16日(火) 第4面の川上演劇について
第0485号 明治27年07月15日(日) 第4面の「帝国農家一致結合」に関わり当時の農会について