先週の土曜日(7月13日)から、講義のページにレポートの情報が掲示されています。「レポート出題 2019.07.13」というリンクです。
これに関する質問を質問票の裏に書いて提出してください。7月20日今週土曜日の補講(1時より。場所はTEホール)の時間に、その質問に答えます。ただし、意味不明なもの、答える必要がないもの、答えるのが不適当なもの(例えば、答えるとヒントになりすぎるもの)には答えませんので悪しからず。
7月20日は全員に出席点を与えていますので、特に質問が無い人や、質問への回答を聞く必要がないと判断した人は遠慮なく欠席してください。
ここからが、講義の最終章。
現在起きていることを、これから近未来に起きるであろうことを、今まで学んだ歴史と社会学の知識を通して考える。
講義は、現代のAMZONの話から始まった。
そして、AMZONがFCで行っていることのルーツを、日本では江戸時代の終わりに当たる、19世紀英国のビクトリア王朝のバベッジの階差機関と経済学理論、特に分業論にみた。
バベッジの分業論は、そのルーツである、グラスゴー大学道徳学教授アダム・スミスの国富論の分業論の、人間への視線を忘れないものと違い、労働者を機械部品として使い倒す、資本側の視点しかないものだった。
そのバベッジの経済学に影響されて、逆に労働者の側に立った経済学者がマルクスだった。
そのマルクスの経済学理論に影響されて作られた、第一次世界大戦に敗戦した故に生まれた、リベラルなドイツ、ワイマール共和国が生んだ、映画史に残るSF大作フリッツ・ラングの「メトロポリス」に、今から約100年ほど前の人たちが思い描いた、未来のディストピア、資本主義と科学技術のディストピアの姿を見た。
このディストピアの仕組みは、バベッジの階差機関と同じ、ツリーを用いて、複雑な仕事を単純な仕事に分解して実行する、社会学者マックス・ウェーバーの意味での官僚制システムであった。
しかし、このディストピア映画の先駆けは、実は、最後は確信的なハッピーエンドで終わっていた。
この映画メトロポリスでは、筋肉労働者を HAND(手)、Fredersen の様な知を使い社会を動かす人を HEAD(頭脳)、そして、Freder 君のような他人の気持ちを思いやることができる感情豊かな人を HEART と呼んだ。そして、HANDとHEADの対立をHEARTが調停するのだというのがメトロポリスのテーマだったのである。
この100年前のイメージからすれば、現在恐れられているように、機械とAIが HAND と HEAD を置き換えても、まだ、人間には感情 HEART というものが、残されている、つまり、人間には感情労働が残されている様に思える。
しかし、本当にそうだろうか?
感情労働の理論からすると、実は、その感情こそが、現代の社会の搾取の手段の様に見える。
現代はメトロポリスが作成された時代から比べて遥かに複雑怪奇な時代になっている。
現代と近未来の姿を映し出している最近のハリウッド映画「エリジウム」と、1927年の「メトロポリス」を比較することにより、現代と、そして、近未来の世界を理解する。
最初にメトロポリスのあらすじを復習した後、2013年に公開された映画「エリジウム」を見て、100年前と現在の違いを、この二つの映画の類似点と相違点に見出す。
2020年台の未来都市メトロポリスにおいては、資本(家)はその頭脳 BRAINあるいはHEAD(科学技術のこと)により世界を支配し、労働者は、その手足 HAND となって働く。HEADは物理的にHANDを支配・搾取している。その統治の機構は、メトロポリスの街の構造が象徴するように、頂点のバベルの塔の先端に位置するのオフィスの Fredersen から、Josaphat に率いられる、その直接の部下たち(これもBRAIN)、そして、職長 Grot が率いるハート・マシン(都市の心臓)よりさらに地下深くに住まう労働者 11811 Georgy のように番号で管理される労働者たちにいたるピラミッド型官僚制であり、その厳格さは、緊急事態の連絡不備だけで Josaphat が回顧され自殺を図るほどである。
資本家たちにさえ、やさしい感情を持つ地下の宗教的指導者 Maria は、Frederson の息子で彼女に一目ぼれしてしまった Freder のやさしい気持ちを見抜き、彼に HEAD と HAND を調停する魂 HEART としての役割を託す。科学技術の象徴ともいうべき Rotwang と、彼が生み出した機械人間 Maria のために、メトロポリスは労働者の蜂起で大混乱に陥り労働者の子供たちが死の危機に瀕する。しかし、Maria, Freder, Josapaht の活躍により子供たちは助けられる。蜂起した労働者は、機械人間 Maria の機械としての正体を知り、また、子供たちが自分たちのために死の危機に瀕していることを悟り悲嘆にくれる。
マッド・サイエンティスト Rotwang は Maria を大聖堂の屋根に追い詰めるが、Freder (HEART) が Rotwang (機械、科学技術) に闘いを挑み、Maria は救われ、Rotwang は、その機械人間とともに滅びた。
そして、 Freder, Maria (HEART)により、自分たちの子供が救われたことを知った労働者たちは、ついには HEART である Freder の調停により資本と握手をし、ストーリーはハッピーエンドに終わる。
資本と労働者、頭脳(HEAD)と肉体(HAND)を仲介するものは心(HEART)である。
注1.時代設定は、リリースの1926年の100年後といわれるが、確たる証拠を見つけていないので、2020年代としておく。
ここには、まだ、未来への希望が見える。当時のドイツを支配し、多くの人々が、その恩恵を得ながらも敵意も抱いていた「機械文明」を打ち破ることにより、資本家と労働者の対決という、抜き差しならないように見えた事態を、キリスト教のような伝統的なヨーロッパの価値観が解決するというストリーになっている。
また、Fredersen のオフィスの「ディスプレイ」など情報機器を暗示するものも登場するものの、「ハイテク」の象徴は、すべて機械、つまり、金属などの個体でできた機械であった。
それが約90年後の2013年に作られた映画「エリジウム」では、どうかかわっているか。上の説明赤文字に注意しながら、見てみよう。
その前に、3点:
2154年の地球では、少数の超富裕層が静止軌道上のスペースコロニー、エリジウムに住み、多くの人々は地上で現在のスラムのような場所に住んでいた。地球とエリジウムの治安は、エリジウム自身を作ったカーライルのアームダイン社 Armdyne Corp. のロボットや兵器で保たれていたが、その機械的・形式合理的・官僚的な支配は貧困層には過酷だった。この時代の官僚制はすでに官僚・警官ではなく、機械により行われるようになっていたのである。そして、その兵器やロボットは地上で作られていた。
そのような地上の工場で働いていた一人が、主人公、マック、マックス・ダ・コスタである。彼は元伝説的自動車泥棒だったが、今は工員としてまじめに働いていたが、自分たちを支配する機械官僚システムに敵意をもっており、つい発した皮肉のために、警官に骨折を負わされてしまう。
その骨折治療のために病院を訪れたマックスは、そこで看護師となった、少年時代のあこがれの美少女フレイと再会する。マックスの夢は、いつの日にかフレイをエリジウムに連れて行くことであり、そう約束していたのである。
マックスが生産するロボットが、21世紀の中ごろには実現されていそうな程度のものである一方で、22世紀の生命科学の進歩は著しく、あらゆる怪我や病気を、簡単なスキャナーのような機械で瞬時に直すことができるほどであった。
それは若返りも可能にし、エリジウムの住民の多くの年齢はおそらく100歳を軽く超えているはずだが、一見、50代、60代のように見えた。この時代、たとえば、エリジウム政府とアーマダイン社の間の契約は、100年単位で語られていたのである。
一方、フレイが務める地上の病院の医療のレベルは、21世紀の現代とほぼ変わらず、たとえばシングルマザーのフレイの娘マチルダの白血病をフレイはどうすることもできなかった。21世紀の現在では多くの癌が次々と治る病になっている。しかし、140年後の地球には、現在、先進国とアフリカなどの貧しい地域に存在する以上の医療格差が存在したのである。
そのため、病気や怪我の子供を抱える母たちは、エリジウムに密入国してでも子供たちの病気を治そうとした。その様な動機だけでなく、密入国を企てる人々を少なくなく、それを請け負う密入国業者も存在した。それは、現在のメキシコの貧困層が命がけでアメリカを目指す、まさにその構図そのものである。
その様な密入国業者の一人スパイダーは、3機のシャトルをエリジウムに送り込んだが、彼のいささか甘い予想に反し、エリジウムの防衛長官デラコートは、地上に住むエージェントで荒くれ者のクルーガーに命じて、地上からのミサイル攻撃で3機の密航船を撃ち落とさせようとした。2機は到達前に破壊され、最後の一機だけがエリジウムに到達した。一人の少女がその骨折をいやすことに成功したものの、結局全員逮捕あるいは殺害された。
デラコートの過酷な対応はエリジウムの官僚たちにさえ不快に思われた。市民はなおさらである。エリジウムの大統領パテルは、地上のエージェントを使ったことが命令違反であることを批判し、クルーガーを解雇させるとともに、次の命令違反によりデラコートが解任されると告げる。
これを機に、デラコートはクーデターを計画する。カーライルを呼んだデラコートはエリジウムの制御プログラムを自分を大統領にする様に書き換え、その新プログラムでシステムをリブートすることを命じた。見返りは契約期間の200年延長である。
カーライルは、地上で、そのプログラムを書きあげ、それを自らの脳の記憶域にアップロードし、安全のため、もしダウンロードされたとき、その記憶を持つ者が死に至る様に暗号をかける。
一方、地上のマックスは、工場で放射線を浴びてしまい、後5日の命と宣告され、症状を和らげる薬を与えられただけで解雇される。マックスは生き延びるため、旧知のスパイダーに自分をエリジウムに送ってくれるように懇願する。マックスが必死であることを知ったスパイダーは、以前から温めていた計画、エリジウムの住人の誰かを誘拐し、その脳の記憶域のすべての情報をダウンロードして、一挙に富を盗み取るという計画を実行に移す。スパイダーは、マックスの脳に記憶装置を埋め込み、また、弱っている彼にパワード・スーツのような人工骨格と筋肉をとりつける。
これによりサイボーグ化したマックスは、おりしもクーデターのためにエリジウムに帰ろうとしていた、恨みあるカーライルを標的として、地上で追跡し、大怪我を負った彼が死亡する直前に、その脳内記憶域の全情報を盗み取る。当然、それにはクーデーター用のプログラムも含まれていた。スパイダーは、そのプログラムを分析し、地球の住民すべてをエリジウムの市民にすることかが可能なプログラムであることに気がつく。
カーライルの記憶がマックスに盗まれたことを知ったデラコートは、クルーガーにクーデーター用プログラムを取り返すことを命じ、クルーガーとマックスの死闘が始まる。
死闘の末、クルーガーとその手下に捕まったマックスは、自らの脳を破壊すると脅して、自分をエリジウムに連れて行かせる。実は、その時、クルーガーの船には、やはりクルーガーにとらえられたフレイとマチルダが乗っていた。そして、場面はエリジウムに移る。
スパイダーも自らの船で侵入に成功しており、登場人物たちは、皆、エリジウムに終結し、マックス、フレイ、スパイダーたちは合流してクルーガーと対峙し、また、カーライルのプログラムを使い、自分たちの病を治そうとする。
ここでさらなるクルーガーとマックスの闘いが続くが、なんとかクルーガーを倒したマックスは、スパイダーとともに中央制御室に侵入し、プログラムをダウンロードして、地球の住民全員を市民して、マックスとマチルダの病を治そうとする。
スパイダーは、それを行うとマックスが命を落とすように防御がかかっていることに気がつく。マックスは、自らの命をあきらめたとことをフレイに電話でつげ、自らの死と引き換えにダウンロードのボタンを押す。エリジウムはリブートされ、マチルダはいやされ、そしてエリジウムの医療システムは、地上の「市民」たちをいやすために、医療船を地球に送る。
以下、上段がメトロポリス、下段がエリジウム
支配層の位置
労働者・貧困層の位置
労働者・貧困層の境遇
富裕層と労働者・貧困層の距離
支配層=資本家(富裕層)と技術者とエージェント
富裕層の豊かな生活を維持するハイテク
反乱で打ち壊されるもの
結末
エリジウムには、次の様な、メトロポリスにはない要素がある。
この講義はITの歴史なので、2、そして、それが生み出す1について検討し、3については検討しない。時間がないこともある。
エリジウムの監督ニール・プロムカンプが言う、エリジウムが描く現代とは、どんな時代なのか。
まだ、エリジウムの警官ロボットの様なものは存在しない。
しかし、今はAIブームである。
すぐにそれはやってくるのか?
この講義の大きなテーマは格差とITの関係。
「格差の原理」と、この講義で呼んだバベッジの原理は、バベッジの蒸気コンピュータと双子のようにして生まれていた。
そして、現在のIT社会の象徴の一つ、アマゾンでは、そのFCで、バベッジの精神を継承した、巨大なHDDの様な仕組みが動いていた。
その「人間部品」、ピッカーたちの扱われ方は、まさにバベッジの原理そのものだった。
そのバベッジの経済学の影響を受けたのが、カール・マルクス、そして、マルクスの影響を受けたのがフリッツ・ラング。
そして、そのラングが監督したメトロポリスで、1920年代のドイツにおける未来館、資本主義観を見たが、そこには、実際の未来、つまり、現代の社会における大きな要素であるITが欠けていた。
そして、メトロポリスから約90年後の、エリジウムでは、ITとAIと生命工学がスーパーリッチたちの豊かな生活を支えていた。
そのエリジウムの生命工学、医療ポッドは、現代の科学の延長上では、とても考えられないもので、「荒唐無稽」と言ってもよいもの。
それ以外のエリジウムの科学技術は、近い将来現実になりそうなものが多かった。
特にロボットと人工知能AIは、現代のものに近い形で描かれていた。
あの程度のものは、おそらくは近い将来現実のものとなる。Atlas
ただ、まだ、大きく欠けているのは、AI。
しかし、これも大変な勢いで発展している。
そして、このAIがITによる格差に拍車をかける可能性が高い。
AlphaGoというAIが、世界最強と言われる中国の棋士に勝って話題になった。
現在は、第3次AIブームと言われ、AI 人工知能の話を聞かない日はない、と言って良いほどになっている。(少し下火にはなってきたが、まだまだ多い。)
そして、それが、現代問題となっている格差の問題をさらに深刻化するかもしれないと言われている。
エリジウムのディストピアをひとつの手がかかりとし、林が経済産業省のシンクタンクである、経済産業研究所 RIETI の研究プロジェクトメンバーとして、研究した成果をもとに、AIと格差の問題を考えてみる。
この研究の成果は、数編の論文にまとめて公開されている。こちらが、そのうちの林が書いた論文 「AIと社会の未来―労働・グローバライゼーションの観点から―」
これをもとに話すので、詳しい話は、この論文を読んで欲しい。それほど難しくはない。
その前に、現時点で、ITとスーパーリッチがどれほど連動しているか、また、世界に比較すると、まだまだ格差の幅が狭い日本でさえ、どれだけ格差が開きつつあるかを見る。まずは、ITとスーパーリッチの関係から。
アメリカは南北戦争の後、およそ30年間、未曽有の経済繁栄を経験した。
この時代を、歴史学では「金ぴか時代」とか「金メッキ時代」という。(英語では、Gilded Age メッキされた時代)
この時代に、石油王ロックフェラーや鋼鉄王カーネギーなどのスーパーリッチが生まれた。
それはメトロポリスの社会が象徴する様な、いわゆる第二次産業革命の時代だった。
そして、IT社会である現代の社会は、第二の金ぴか時代であるといわれることがある。
第二次産業革命の時代、最初の金ぴか時代の主役は、鋼鉄、石油、化学だったが(第一次産業革命の主役は、軟鉄、石炭、機械だった)、第二の金ぴか時代である現代の主役は、ITと生命科学、特にITである。
それを、世界、そして、日本の長者番付にみる。
これでわかることは、世界でも、日本でも、IT関連の人が長者番付の上位を多く占めているという事実。
日本の場合、もろITのソフトバンクの孫さんを除くと、ユニクロの柳井正さんの存在が目立つが、実は、ユニクロの様な、世界に展開する小売業者の成功のポイントの大きな一つはIT.。
つまり、在庫などの管理や、中国など、他国への製造の委託(オフショア)の管理、そして、消費者の性向をどれだけ把握できるか、ということ。そのため、ユニクロで何か買うと、ユニクロのアプリをお使いですか、などと聞かれるのは、その証拠。実は、ユニクロは、すでにIT業界に属している、とみなすべきなのである。
現代の世界的な小売業は、IT企業と化している。2018年現在、その事の最大の証拠は、世界最大のIT小売業、アマゾンの創始者、ベゾスが、ビル・ゲイツを超えて、世界第一の富豪となったことだろう。
平等意識が強い日本では、世界的傾向の、スーパーリッチと貧しい人たち、というエリジウムの悪夢からは、少し遠い。
しかし、データからは、この日本の特徴が、急速に消えつつあるように思える。
エリジウムの冒頭のスラムと化した、ロサンゼルスが、実際に存在したメキシコのゴミ廃棄場で撮影されたように、実は、未来の姿をとりながら、エリジウムは、現在を描いている。(参考)
数年前、フランスの経済学者ピケティの「21世紀の資本」が世界的ベストセラーとなったように、世界的に、大きな格差が問題視されている。
北欧や、日本では、アメリカに比べれば、この格差の問題は少ない。しかし、それでも格差が拡大しているとは、よく言われていることである。
実際、日本の格差について、この記事で示されているようなデータもある。
一部の企業では、年収1億円を超える役員の数と、その報酬総額が、この数年で急増しているのに対して、年収の総額は停滞、あるいは、むしろ、定年後も低賃金で働く人が増えたためもあって、年収百万円以下の層が増えている。
国税庁によると、一五年の給与所得者の平均年収は四百二十万円(正規四百八十四万円、非正規百七十万円)で、一〇年比の上昇率は2%。収入層別では平均年収近辺の人数は横ばいだったが、高収入の人、百万円以下の人は増えたとされている様に、中間層が減り、超富裕層と、平均以下の層が増えるという、「二極化」が起きている。
この二極化の理由の一つとして、欧米型の報酬導入が要因といわれている。ただ、それは上の方向の原因のひとつ。下の方向の原因、つまり、多くの人たちの収入が減ったのは別の原因。その下の方向の格差の問題に追い打ちをかけるかのように、AI 人工知能により、仕事が機械、ロボットに奪われる。特に中間層が下層に落ちてしまうと言われている。
たとえば、 オックスフォード大学オズボーン准教授の研究。この人は、THE FUTURE OF EMPLOYMENT: HOW SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION? という論文で、10年後に、多くの職が、コンピュータ化され無くなるということを、試算して話題になった人。紹介記事、論文。
日本でも、野村総研が、日本の場合について、同じ試算を行い、49%の労働人口がAIやロボットに代替される可能性があるという結果を得た。これがその報告。
エリジウムでも、そういう設定になっていた。
中間層の一つとして、治安に関わる下級官吏、たとえばヒラの警察官とか、保護監察所の窓口掛などがある。
エリジウムでは、これらが機械化されていた。特に警官は、最期のシーンに登場する、数名のパワードスーツ姿の人たちを除き、ロボットだった。たとえば、このシーン。
そして、エリジウムの保護観察所のシーン(DVDで00:09:05辺りからのシーン)
このシーンでは、最期に「人間と話すか?」と窓口ロボットが聞いている。
つまり、通常の窓口業務は、無人化されていて、特別な事情のときのみ人間がでてくるという設定。
AIでITで中間層を減らすということ。
この様な対応は、すでに起きていることは、IT化が遅れている日本でも、最近は良く経験するところ。
少し前までは、各企業は、問合せ窓口の電話番号を公開していて、何か起きたら、そこに電話するという風になっていた。
つまり、コールセンターの電話番号が、公開されていて、問題が起きたら、まず、コールセンターの窓口掛(人間)が対応してくれるという方式だった。
しかし、例えば、アマゾンでは、そういう風な、問合せ窓口、コールセンターというものを見えにくくしてあり、まずは、WEBやメールで対応するという形になっている。
これにより、コールセンターで働く人を削減している。
エリジウムの保護観察所のシーンは、アメリカでは、日本より遥かに多い、そういう「機械化」を描いている。
そして、その様な機会化が中間層の仕事を減らし、収入の二極化を生む、と広く信じられている。
経済格差は、当然ながら、様々な、別の格差を生む。
たとえば、住居の格差、教育格差などである。
そして、エリジウムでは、巨大な、寿命、健康の格差が描かれていた。
エリジウムの住人たちは、若く見えるが、実は大変な年齢だという設定だった。
これはハッキリとは語られていないが、エリジウムの制御プログラムを書き換えるというITクーデターを、アーマダイン社の社主カーライルにもちかけたデラコートが、見返りに、アーマダイン社との 契約の200年延長を持ちかけていたところからすると、少なくとも、二人とも、後200年位は生きるという前提になっていることがわかる。
これはエリジウムの医療ポッドで病気も怪我もたちどころに治り、また、老化も解消できるという設定になっていたからである。
そして、地上の住民たちは、その医療ポッドの恩恵を受けることはなく、受けたければ、命がけで密航するしかないという設定になっていた。
つまり、地上と宇宙という巨大な空間的メタファーが示す、巨大な医療格差と寿命格差が描かれていた。
医療格差と寿命格差は、現在も、たとえば、日本とアフリカやアジア諸国の間に存在する。
日本の平均余命は、男性が80才程度、女性は90才に近づこうとしている。一方で、コートジボアールの平均余命は50才程度である。
実に40年近いほどの寿命の差があるが、エリジウムの世界のような数百年単位の差ではない。
医療が進歩していない時代には、権力者や富を持つものも、病に倒れ、やがえて老いて死ぬ、という点において、平等だと考えることができた。
しかし、再生医療の進歩などで、その前提が崩れつつあり、万能医療ポッドという、荒唐無稽な装置を使ってブロムカンプが描き出したかったことではないかと推測できる。
林は、ポッドを最初に見たとき、技術的には、あまりに荒唐無稽だと思うと同時に、不自然さを感じることがなかった。
これは程度は違いながら、同じようなことが現実に起きつつあることを目にしているからだろう。
そして、林は、米国での調査から、あまり指摘されていない、もう一つのAIが生むだろう別の格差があることに気が付いた。
それがAIが生む、能力格差。
これは、教育格差に近いのだが、それより大きな不公平感を生む可能性が高い格差である。また、教育格差同様、格差の固定化、というより、格差の増幅を生む可能性が高いものである。
まずは、この米国での調査が、その一環だった、RIETIプロジェクトの話から始める。
すでに述べたが、経済産業研究所(以下ではRIETI)は、経済産業省所管のシンクタンクで、日本の経済の問題などを研究するための機関。
そのRIETIで、「人工知能が社会に与えるインパクトの考察:文理連繋の視点から」という経済学の研究プログラムが実施され、林もこれに参加した。
研究プログラムのリーダーは、一橋大学名誉教授で、現在、成城大学教授の中馬宏之氏。
この中馬教授と、IT技術者の人たち数名の班と、林と、2名の若い労働経済学者の班の二班に分かれて研究を進めた。
2015年秋ころから、林のチームの研究が開始され、主に次のような活動を行った。
林が、AIが大きな不公平感を生む、「能力格差」を生むのではないかと考えるようになったのは、この活動のため。
特に、2と3から、そういう考えを持つようになった。
その結論は、決して明るいものではないが、北欧や日本が行っているような、累進課税のような「規制」をかければ、AIの負の側面を回避できるという結論でもある。
RIETIプロジェクトで行った、上に説明した1-4の活動の内、4のアンケートで驚いたことは、日本人がアメリカ人に比べて、AIを真剣に考えていない可能性があることだった。
アンケートは、日本とアメリカで行ったのだが、「AIの導入で、あなたの職は無くなると思いますか?」という様な質問に、日本で圧倒的に多かった答えは、「わからない」「どちらともいえない」という答えだったのである。
もともと、日本では、こういう傾向が強いらしいので、断定できるだけの証拠はないのではあるが、林は、日本人がアメリカ人に比べて、AIや自動化の現実を体験したことが少ないからではないかと思っている。プロジェクトメンバーとの議論でも、この林の説に強い反対は出なかった。
林が、この様に考えるようになった理由のひとつは、前回話した通り、アメリカ調査の際に、タブレットを、飛行機のシートに置き忘れたことで、偶然にも、ユナイテッド航空の飛行機で何か忘れると、人間に対応してもらえないということを、現実に体験したことがある:
- 2016年3月に経産省のシンクタンクである経産研究所の、人工知能の社会インパクトの研究プロジェクトの仕事で、アメリカで調査を行った。
- そのとき、ボストンからサンフランシスコ行きのUnited Airlines (以下UA)の飛行機のシートに、マイクロソフトのタブレット Surface 4 を置き忘れた。
- サンフランシスコのホテルについて気が付き、UA の窓口の電話番号を探して、連絡しようとした。
- しかし、いくら探しても、人間が対応する窓口がない。UAの紛失物の扱いは、chargerback という会社が下請けで行っており、紛失物の届は、WEBから行うようになっていた。
- ところが、置き忘れたのが、タブレットだったので、その入力は、iPhone に頼るしかなかった。林は強い老眼で、実は老眼の度が進んでいて、メガネがあっておらず、世界がぼんやりとしか見えてなかった(この騒動の後でレンズを変えました)。タブレットを忘れたのも、それが大きな原因だった。
- そのため、iPhone で入力は大変に難しく、何とか人間と直接コンタクトしようとして、色々試した。
- 一度は、「英語が聞こえて来た万歳!」と思ったら、それは音声認識で受け答えをする機械だった。
- それでも機械が行うのは用件の種類の判別だけで、最後は人間のオペレータにたどり着けるかもしれないと思い、質問に従って答えていくと、最後は、WEBから入力せよという指示だった。
- 保護観察局でのマックスのシーンを思い出し、まさにそれが今起きていると感じ、UAへの怒りがこみあげて来た!!
- 人間と話すかと聞かれて、苦笑いして諦めたマックスのような気分で、しかたなく、何とか iPhone で入力を済ませた。
- 経済産業研究所が、そこからチケットを買った日本の旅行社にも何度も電話して、人間に直接コンタクトする方法がないか調べてもらった。
- その結果わかったのは、本当に人間にコンタクトできないようなシステムになっているという事実だけだった。
- 幸い、Surface は見つかったものの宅配便で日本に送ってくるまで、結局、UAや chargerback の人間とは、全くコンタクトができず、すべて自動化されたシステムでの対応だった。
- この話を、アメリカ在住が長い人にしたら、今のアメリカは、一般の客には機械が対応し、一部の得意先にだけは、人間が対応する電話番号を渡す、と教えられ、まさにエリジウムの様になっているのを知った。
しかし、この体験までは、この様なことは、薄々感じているだけで、まさか、アメリカが、そうなっていること、日本でも、そうなりつつあることは、ハッキリとは認識できていなかった。
林も、アンケートに答えた人たちと同じだったのではないか、ということから、上の様な説を取る様になった。
もし、この説が本当に正しいならば、日本社会は、待ち構える大きな問題に気が付かないまま、前に進んでいることになる。
この様に考える様になった大きな契機のひとつは、RIETIの研究プロジェクトの一環として、アメリカのAIスタートアップ8社に取材したこと。
その結果は、驚くべきもので、殆どのスタートアップが、まるで金太郎飴のように、同じ二つのことを話してくれた。
その二つとは…
情報が得られなかった1社を除き、7社すべてが、「人知の置換えでなく強化」という方向性を持っていた。
これの原因としては、次のような二つのものが可能性として考えられる:
AIやロボットの実用化に伴い、「人間の仕事が、AI・ロボットに奪われる」といわれている。
しかし、今現在、AIやロボットには、たとえば、仕事をした対価の給与を受ける権利はない。
実は、仕事を奪うのは、AIやロボットではなく、それを所有している「人」なのである。
その事を認識し、また、AIスタートアップが強調する「AIは人知の置き換えでなく強化だ」ということを認めるならば、実は、一見ヒューマンな「AIは人知の置き換えでなく強化だ」という主張が、大きな社会問題になりかねない、ある格差の増大を示唆していることがわかる。
2016年、将棋の三浦九段が、対戦中に、秘かに、AI将棋を使い、いわばカンニングをしていたのではないかという疑惑が持ち上がった。
これは結局、そういう事実はなかったいうことで終わったのだが、いずれにせよ、人間である将棋指しが、AIを身にまとうと、その力が、大きく増強される、それ故に、使わない人に対して不公平だ、と人々が考えていることを明瞭に示した出来事だった。
実際には存在したと認定されなかった、AIで強化された人知 将棋ソフトで強化されたプロ棋士、将棋ソフトで強化された素人将棋指し、の様な存在を、 Augmented Intelligence という。
Augmented とは「強化された」という意味で、Intelligence は「知能」。 ガンダムの様に、人間が「着用」して巨大な能力を得るものをパワードスーツという。 パワードスーツは和製英語で、英語では Powered exoskeleton パワード・エクソスケルトン(カニなどの外骨格、殻)という。ちなみに、これが最初の Exoskeleton Hardiman.
要するに、Augmented Intelligence とは、知的パワードスーツを着た人間。
つまり、エリジウムのマックスやクルーガーの、この姿:
筋肉による労働の多くは機械により代替された。 知的労働のかなりの部分も、IT(情報技術)の発達で機械により代替されている。
一方で、第3次AIブームの現在も、まだまだ、人間にしか出来ないと思われている知的労働は沢山ある。しかし、この様な仕事も、 exoskelton としてのAIが充分発展してきている現在、それを使って人間がさばくことは不可能ではなくなりつつある。
これが、「人間をAIで置き換えるのではない。人間の能力を augment するのだ」という、林たちがインタビューした、AIスタートアップの殆どが金太郎飴のように語った主張の意味であろう。
特に、人間が出来る作業でも、AIで強化された人間が、その仕事にあたれば、現実的に多くの知的労働の効率・品質を向上させることができるという事例が実際にある。
林たちがインタビューしたスタートアップの一つである Gild 社は、AIをIT技術者の能力や適正を、履歴書や、IT技術者が公開しているプログラムなどから知るために使っている。
なぜ、それが必要かということについて、林たちに対応した広報担当者は、「従来の方法では、履歴書一枚を見る平均時間は、たった7秒しか使えない。しかし、それでは良い判断をできない。出身校等だけでなく、もっと技術者の能力を理解した上で、マッチングをしたのだ。だから、AIを使うのだ」と語った。
つまり、Gild社は、AIにより、自分たちはよりよい仕事ができるようになると主張しているのである。
そして、これは、すでに使われていた。つまり、これから開発する技術ではなくて、既存技術を上手に組み合わせることにより、こういうことを可能にしていた。
日本や韓国でも同様なことは、すでに始まっていて、みなさんの多くがこれから経験するであろう就活に同様の技術が使われている。1 2
AIはExoskeltonだ、パスワードスーツだ、という考え方は、我々の最初のインタビュー 先であった Cogito 社での取材中に考え付いたこと。
最初の取材先である Cogito 社は、電話によるコールセンターの労働者を、phone experts 電話エキスパートと呼び、電話で顧客に 対応するには creative な才能が必要で、それを Cogito の AI が補助するというビジネスモ デルを展開している。
これはエリジウムのAI保護観察官と同じように、コールセンターに電話をしてきた顧客の声の調子などで、顧客の気持ちを分析し、また、phone exparts たちに、どうふるまうかをガイドとしてくれる。
つまり、コールセンターでの感情労働を支援するというサービス。感情労働の問題であることは、同社のサイトにアクセスすると再生されるビデオから明らか。顧客と phone expart の表情に注意。
さらにくわしくは、こちらの動画を見るとわかる。
同社へのインタビューで、その事業内容を聞いて、林とニュージーランド人の創業者の間で、次のような応答があった:
この時、この創業者は、大喜びだった。どうやら、エクソスケルトン、パワード・スーツというたとえを、林から聞くまで、考えていなかったらしい。
この様に、米国のAIスタートアップたちは、AIは、人間の知的労働を代替するのではなくて、強化するのだと主張する。
この主張は、少なくとも当分の間は正しいだろう。 また、彼ら、彼女らが、人間への大きな信頼と愛を持つことを示す。
しかし、これは、実は、AIにより雇用の機会が失われることはない、ということを意味しない。
最後に、このことを考えてみる。
現在のアメリカでは、ある人は、そのパーフォーマンスにより、底辺の人々の数百倍、数千倍の年収を得る。その人たちの能力が、(もし測れるとして)、そうでない人たちの数百倍、数千倍あるかどうかはわからないし、明らかに、そう見えない例も少なくない。
少なくとも、どの様に優秀なビジネスエリートであろうとも、その力は会社などの組織により支えられた力である。つまり、多くの人々の能力の上に、その能力がある。
しかし、AIで武装したAIエリートたちは、本当に、数千倍、というより、数万倍、さらには数億倍の能力差を、他人の力を必要とぜすに持つ可能性がある。
そして、そのためには生産資本としてのAIが必要であり、それは誰もが持てるようなものではないであろう。
これを説明していくが、この様に考えるようになった、その理由の一つが、このAIと雇用の問題を、アメリカの歴史を使って考えるということをしているMIT経済学部教授の Autor 氏へのインタビューだった。
我々は、AIや機械と労働の問題について発言しているので有名な二人のアメリカの経済学者の意見を聞いた。一人が、ハーバード大学の労働経済学者 Freeman 教授で、もうひとりがMIT経済学部の Autor 教授。そのAutor教授の説とは:
この話を、Autor 教授自身が、TED talk で話しているものがある。こちら。
この Autor 教授のシナリオが、AIと社会の最も望ましい未来像だろう。
しかし、大きな問題は、現在、その工業分野が、AIやロボットにより浸食されると考えられているが、それに変わるような新産業分野が思い浮かばないこと。
もちろん、アマゾンの様な流通や、Google のようなサービスの分野が考えられるが、これらこそ、最もAI導入に積極的で、また、実現の可能性が高い分野である。
そして、Autor 教授が語っていない、また、エリジウムでも描かれていない、ある問題、能力格差のAIによる増幅という問題も存在するのである。
その問題というのは、現在、問題視されている教育格差の固定化と関連している。
政府は 2017 年 5 月 23 日の経済財政諮問会議で新たな重点課題として「格差を固定化さ せない人材投資・教育」を追加した。これは、
(1) 経済格差⇒教育格差⇒能力格差⇒経済格差⇒…
という負のループを懸念してのことである。
東大の入学者には、比較的高収入な世帯の子供が多い、これは塾や高校など、入学まで の教育に対する投資額の差によるものだ、というような説がある。それが客観的に正し いかどうかは別として、その様な認識は、「東大生の親は金持ち」は本当だった! もはや「教育格差絶望社会」なのかに見られるような、機会の不公平感という 強い負の感情を掻き立て、社会を不安定にする。
政府の新たな重点課題は、これを意識したものであり、親の経済格差により、その子供 たちが受けることができる教育の質や量に格差が生まれ、それが子供の世代の能力格差を 産むという懸念に基づいてのものであろう。もし、このフィードバック/ループの図式が 正しければ、格差が固定化されるだけでなく、格差が増大することさえありそうだ。
この政府の新重点課題が対応しようとする負のループの図式を、パワードスーツ型 AI を意識して書き換えてみよう。そうすると、大きな問題が浮かび上がってくる。
質問票への回答で説明したマルクス・レ ームなど、義肢のような装具をつけたスポーツ選手が、生身のスポーツ選手より高い能力を発揮するという事が多くなっている。この様なサイボーグ化して生身の人間を超える能力を発揮する Augmented Human(拡張人間)の研究は、近年盛んになっており、そのことの労働の領域への影響も意識され始めている。
パワードスーツ型 AI というのは、マルクス・レームの義肢の知的バー ジョンというものであるので、「拡張人間」という用語にならい、「パワードスーツ型の AI で拡張された後の個人の能力」を「拡張能力」と名付けることにする。つまり、
(2) 拡張能力=個人が生身の人間としてもつ能力+個人が所有する AI の能力
である。
「拡張能力」という用語を使い、先ほ どの負のフィードバックの図式(1)、つまり、 経済格差⇒教育格差⇒能力格差⇒経済格差⇒… の「教育格差⇒能力格差」の部分を「拡張能力格差」に置き換えてみる。
そうすると、次 のようなループになる:
(3) 経済格差⇒拡張能力格差⇒経済格差⇒…
この図の「経済格差⇒拡張能力格差」の「拡張能力格差」を、その定義(2)の右辺で置き 換えると、
(4) 経済格差⇒個人が生身の人間としてもつ能力+個人が所有する AI の能力
となる。そして、この式(4)は、
(4.1) 経済格差⇒個人が生身の人間としてもつ能力
(4.2) 経済格差⇒個人が所有する AI の能力
という経済格差の二つの影響が、AI をパワードスーツとして装着した個人の能力に及び、 そして、それらの「和」により、その個人のパーフォーマンスが決まることを意味してい ることが分かる。
この二つの経済格差の影響の内、前者は、字義通り、生身の人間の能力への影響であり、 「経済格差⇒教育格差⇒能力格差⇒経済格差⇒…」のループの「教育格差⇒能力格差」に 該当する。つまり、「教育格差によって生まれる能力格差」と同じ種類のものである。
こういう能力の格差には、自然条件から来る格差の上限がある。幾ら親が子供の教育に 投資をしても、子供に資質がなければ、また、意欲がなければ、その成果には限りがある。 さらに言えば、人間には、寿命があり、また、老化による能力の低下もあるので、A とい う人の能力が、B という人の能力に比べて、2 倍、3 倍、4 倍、…と限りなく開いていくと いうことはありえない。これが、やがて人は皆土にかえるというような、諦念による公平 感を生む。
ところが、もうひとつの経済格差の影響先である「個人が所有する AI の能力」には、それが機械・人工物であるために自然条件から来る上限がない。コン ピュータ・ハードウェアの性能は、天文学的ともいうべき進化を遂げたが、この「個人が 所有する AI の能力」は、その天文学的な技術進歩の恩恵を直接に受けるこ とができるという点で、(1)の「経済格差⇒教育格差⇒能力格差⇒経済格差⇒…」のループ における「能力格差」などと本質的に異なる。
つまり、人間の能力に、エクソスケルトンが加わることにより、経済格差の能力格差への影響が天文学的に増幅される可能性が高いのである。
エリジウムでは、マックスの頭脳に埋め込んだ記憶装置に、アーマダイン社の社長カーライルの頭脳にある情報をすべて移すというシーンがあった。
しかし、その後でもマックスは、カーライルが記録した、エリジウムをリブートするプログラムのことなど、何も理解していなかった。これも、エリジウムの変な設定の一つで、実際に頭脳にコンピュータや記憶装置を埋め込むようになったときには、例えば、考えるだけで辞典を引いたり、ネットにアクセスしたり、コンピュータの様なスピードと正確さで計算ができるようになったりするだろう。すくなくとも、現在の研究は、その方向を向いている(今は、埋め込むのでなくてヘッドギアを被るという研究の方が多い様に思う。)
そういう時代に、関西大学を受験したとイメージして欲しい。となりに座っている金持ちの受験生の頭脳には、高額だが、非常に優秀なコンピュータが埋め込まれていて、スイスイ問題を解いていく。そして、あなたの頭脳の中には、そういうものが何もない、あるいは、安物の性能の悪いコンピュータしか入っていない。そのため、思うように問題が解けない…
そういう状況に陥ったら、どう感じるだろうか?
考えるだけでコンピュータで検索ができる、というのはSFの様に思えるが、すでに開発は始まっている。
この様な未来が来たら、世界はどうなるのだろうか?
エリジウムの世界の様な格差社会が、ITの力で実現されてしまうということは、決して単なる妄想ではない。
その時、おそらく社会が大混乱に陥るか、ロボット警官の様な強圧的手段で、貧困層が支配され、悲惨な生活を送る、そういう可能性は低くない。
ITは素晴らしいものだが、バベッジの階差機関が、格差の原理でありバベッジの原理とともに生まれたように、それは放置すれば格差を生み、増幅するものでもある。
明るい未来は、過去にも学び、自ら建設して行く必要がある。
終