「情報技術の現代史」メモ 2019.06.27

前回までの資料から

丁度100年前に成立したドイツ・ワイマール共和国において想像されていた社会・資本主義の未来を映画メトロポリスに見た。そして、その後、世界の人々が実際に見た歴史は… 2019.06.27追記

現実の歴史では?

様々な歴史的要因・社会的要因により「解消」された資本主義の悪夢

しかし、資本主義の負の面が消えたというのでは、全く無い。むしろ、ITや生命科学により、悪夢は再現されつつある。

その話の前に、日本の話を。

資本主義の問題の(一時的?)解消の要因の一つ「日本型モデル」

これ以下、歴史学から社会学へ: 歴史学で史料にもとづいて確認した系譜(スミス、バベッジ、マルクス、そして、アマゾン)の意味を社会学理論で考える(解釈する)。つまり、歴史的事実に意味を与える。

なぜ社会学か?

これからの話で社会学の理論が果たす役割:

二つの注意:

  1. 上の1と2を完全に分けることは難しい。  
  2. 歴史学という名前のものに社会学の理論が陽に使われることは少ない。

どの様な社会学理論がどういう風に使われるか:

まずは、ウェーバー社会学から。

ウェーバー官僚制論

ウェーバーが「現代的」官僚制の特徴として挙げた条件を Anthony Giddens, Sociology,7th edition, p.826 の記述を使って説明したもの

  1. 職権の階層構造:官僚機構はピラミッド構造を持ち、トップから 底辺へ命令が整然と流れる。各メンバーは、その直下のメンバーをコントロールする。 いわゆる、トップ・ダウン型意思決定で動くということ。
  2. 成文化されたルールで動く。ただし例外はあり、より上位のメンバーは、より多くの意思決定の自由を持つ。
  3. メンバーはフルタイムの給与制で雇われる。給与は「職」により定義される。 
  4. 成員の「生活」(人生)は、その「職」と分離されている。
  5. 官僚制システムのメンバーは、そのシステムの所有者ではない。

注意:ギデンズの説明を、さらに林が纏めたもの。ウェーバー自身の言葉やリストによるものではない。たとえば、ウェーバーは「ピラミッド型」「トッ プ・ダウン」などの現代的用語は使っていない。これはギデンズによる。ウェーバーの元の説明は、ギデンズのもののように判り易くはない。

ウェーバーの官僚制の意味するもの

ウェーバーの意味の官僚制とは官僚という人間を部品とする組織機械のための設計思想

官僚制の悪口に使われる

は、それが人間という生身の存在を部品とする機械なのだから当たり前!丁度、バベッジとマルクスの分業論がローゼンバーグが弁証法的な裏返しとジョークを飛ばすほど似ているが表裏一体なのと同じ。

官僚制システムが効率的な理由と今まで見て来たものとの関連

官僚制システムの効率性の源その1 人間的要因

官僚制システムの効率性の源その2 組織構造的・情報学的要因

実は、上のような話と全く違う、数学のような仕組みが官僚制の効率を支えている。

それは分業ということ。また、分業の効率性の根源は、「ツリー状、ピラミッド状の構造の効率性」ということ。

その「ツリー状、ピラミッド状の構造の効率性」の象徴は対数(高校では数学II)というもの。

対数は指数の逆。対数関数は指数関数の逆関数。

バベッジが当時の航海や砲撃なのどのために必要な数表を人間を介さず計算から印刷まで行うために階差機関を考え付いたことを説明したが、彼が作ろうとした数表の最も重要なものが、この対数の計算に使われる対数表であった。(もう一つ重要な表があり、それは三角関数の表だった。)

ツリー状・ピラミッド状のシステムとは

官僚制のシステムの説明で、それが形としてはピラミッド状、ツリー状だと説明した。

その意味は?

まず、ピラミッド状とツリー状の意味

ピラミッドとツリー(木) 一見なにも似ていないが??

ITにおけるツリー状ということの意味

ツリー状とピラミッド状は同じ意味 

今までに出てきたツリー・ピラミッド構造

ドプロ二―プロジェクトの人員配置だけでなく階差計算自体がツリー・ピラミッド構造を持っている

以後、ツリー・ピラミッドと言わず、単に、ツリーという。

なぜツリーは効率がよいのか?

いろいろな要素を無視して、簡単にいってしまえば、ツリー構造は仕事を分解する、つまり、分業化するということ。

ドプロニープロジェクト、階差計算がツリー構造をしているのはすでにみた。

これは仕事を分解して簡単な仕事に還元することにより、それを非熟練工に行わせていた。

仕事のプロセス、仕事を行う組織の双方に、分業化の構造が反映され両方ともツリーになっている。

仕事は分解すると効率が良い!

その理由は倍々ゲームの裏返しになるから

倍々ゲームとは: またの名をネズミ算。 曽呂利新左エ門 の話。湖を覆う水草の話としても有名。

倍々ゲームは人間の直観を超えるスピードで増加する。

それならば、一回ごとに半分になる「半々ゲーム」だと、直観を裏切るくらい小さくなることになる。

実は、辞書が、その仕組みをつかっていて、単語が簡単に引ける(探索する)ようになっている。

英和辞典の単語が5万項目あったとする。もし、それが単語カードのようにカードに書いてあって、5万枚のカードが、バラバラに箱の中に入っていたとする。Apple という単語を探すには、運が悪い場合(最後に見るカードが、それであった場合)、5万枚のカードすべてをチェックする必要がある。ただし、49,999枚については、「Apple ではない!」と、「排除していく」だけ。

これを実際にやったら、膨大な時間がかかる。ところが現実の辞書だと、すごく早く見つかる。これは単語がアルファベット順に並べられているから。この辞書を引くという作業が、二分探索の本質。

たとえば、Zoo という単語の場合、後ろの方になるので、最初から1単語ずつ探していくと、バラバラのカードと、あまり変わらない。しかし、実際の探索では、

  1. Zoo なので、Yまでのページは関係ない。それはすべて排除。(これで殆どのページが排除される。)
  2. Zで始まる単語のページの大体半分くらいを開いてみる。
  3. そのページの最初の単語が Zombie だったら、Zoo と最初の二文字が同じなので、三番目の m と o に注目する。
  4. o は m よりアルファベットの順で後にくるから、Zoo は、Zombie より後にあるはず。
  5. つまり、Zombie より前にある Z で始まる単語のページは探索する必要がなく、探索すべきページが、大体半分になった。
  6. これを繰り返せば、大雑把に言って、半分、半分、半分、と探索すべきページが減っていく。
  7. これが二分探索の原理。

実は、この探索法は、2分探査木と呼ばれるツリーの構造になっている。
辞書の項目が11万項目ほどあり、ページ数は1600だとしよう。裏表2ページのシートは800枚。
下の図のように考えれば、それはツリー状になっていると考えられる。

そして、このツリーの一番上の頂点から、「左に進む」か「右に進む」かを、各頂点で判断しながら、一番下に並んでいるページにたどり着く行程は、上に説明した二分探索の原理と、本質的には同じものだとわかるだろう(出だしの所が、少し違う!)。

サーチと人間の組織としての官僚制や官僚制的な組織との関係

関大も組織のひとつ。そのツリーの全体像

会社、政府、NPO、NGOなど、さまざまな機構や組織もすべてツリー。

基本的に組織の長の仕事の多くは、仕事を部下に割り振り指示を行うこと。

教育関係の仕事は教育担当に理事に振られ、その時点で他の理事は、その仕事と無縁となる(ただし、原則の話)。
これは英和辞典で、Zooを探すとき、半分にわけたページの片方が、「その中にZooはない」とわかって検索の範囲から
除外されるのと同じこと。

膨大なデータのうち、関係ないものを大量かつ高速に捨てていく(逆の言い方では関係があるものだけを絞り込んでいく)
ことができるかどうかが、高速に大量のデータ(仕事)をこなすポイント。

ツリーは、このように使われる。

この技法は、ITでは「分割統治」 divide and conquer とよばれるが、これはローマ帝国の統治方法のこと。
歴史上の大帝国のほとんどは、この方法を使って広大な領土や征服した民族を統治している。
元寇のときに攻めてきた兵隊が実は韓半島の人々だったというのもそれ。他にはオスマン帝国など。

つまり、近現代の統治装置、官僚制のツリーも、基本的には同じ仕組み

ツリー構造には、深く関連しながらも異なる二つの側面がある:

側面1は、ツリーの図などを使いながら上で説明した話。つまり、アダム・スミス、バベッジ、ド・プロニーの分業の効率性のこと。

側面2はウェーバー官僚制の定義で話した内容の幾つかを言い換えたもの。

ツリーとしての官僚制の欠点と Japan model による改善

先にギデンズの日本型モデルの話をしたが、ギデンズが日本型モデルの特徴としたものは、実はウェーバーの官僚制論の「官僚制の特徴」、特に側面2の特徴に反するものだった。

ウェーバーが「現代的」官僚制の特徴として挙げた条件を Anthony Giddens, Sociology,7th edition, p.826 の記述を使って説明したもの(先に示したもののコピー)

  1. 職権の階層構造:官僚機構はピラミッド構造を持ち、トップから 底辺へ命令が整然と流れる。各メンバーは、その直下のメンバーをコントロールする。 いわゆる、トップ・ダウン型意思決定で動くということ。
  2. 成文化されたルールで動く。ただし例外はあり、より上位のメンバーは、より多くの意思決定の自由を持つ。
  3. メンバーはフルタイムの給与制で雇われる。給与は「職」により定義される。 
  4. 成員の「生活」(人生)は、その「職」と分離されている。
  5. 官僚制システムのメンバーは、そのシステムの所有者ではない。

これに対してギデンスの日本型モデルは、次の5つを特徴とした from Giddens "Sociology"(6th edition より):

  1. ボトムアップ型意思決定
  2. 非専門化傾向
  3. 確実な雇用
  4. グループ生産
  5. 仕事と従業員の個人的生活の融合

以上の5つを説明

小泉改革あたりからかなり様がわりしているが、日本の工業の強さが世界的に注目されて、21世紀は日本の世紀に なると言われていた Japan as No.1 の時代(一九七〇年代終わりからバブル崩壊まで)、日本企業の強さの原因としてあげられたものに次のようなものがある:

「グループ生産」以外は、これらの特徴が、ギデンズの1-5に相当する、あるいは、それを導くことがわかる。

そして、これらの多くが官僚制という言葉が与える「冷たい」「非人間的」「機械的」な印象に反するものになっている。

日本型モデルと感情労働: ブラック企業/ブラックバイト問題

2000年代後半からネットで使われるようになり、いまでは、すっかり定着している言葉にブラック企業がある。

「ブラック…」と言う言葉は「ブラックリスト」など、昔からあった言葉だが、「ブラック企業」以前は「犯罪的」というような意味で使われていた。

しかし、「ブラック企業」の「ブラック」には、それらと違う、独特のニュアンスがある。

ブラック企業は、

今では、ブラック企業は、普通に使われる、誰でも知っている言葉となり、また、ブラックバイトが問題となり、今では、「ブラック」という言葉が普通の形容詞として定着した感すらある。ブラック大学ブラック研究室など。

実は、このブラック企業が日本型モデルの負の側面が顕在化したもの。

日本型モデルは、官僚制が切り捨てた感情を、生産のために再導入した。それがブラック企業を生む結果となった。

そして、実は、日本に限らず、現代は、この「生産のための感情」「競争に勝つための感情という燃料」の問題が大きくなっている時代。

この意味での「ブラックな管理手法」こそ、映画メトロポリスには全く現れていなかった管理社会の新しい側面。

次に、メトロポリスで問題となった物理的・肉体的な管理や格差より、実は、もしかしたら、更に辛いものかもしれず、また、皆さんが近い将来に経験する可能性が高い、この問題を社会学の「感情労働」の理論を使い分析する。

ここから今回の資料

感情労働の理論

感情労働 感情を使用しておこなわれる労働

アメリカの社会学者ホックシールドによる著書 The managed Heart: Commercialization of Human Feeling (1983)、邦訳「管理される心―感情が商品になるとき」で提唱され広まった概念。

この著書のタイトルに注目

The managed Heart: Commercialization of Human Feeling

Metropolis では、Hands と Head を仲介する希望の存在だった Heart が manage されているという話。

Metrololis の manager = Fredersen だったことに注意。

以下では、このホックシールドの「感情労働」の概念を拡張した意味で使う。少なくとも、現在の日本の一般的用語としては、これから説明する様な意味で使われているケースが殆ど。ホックシールドのオリジナルでの使い方は、林は最近ものでは見たことがないほど。

このオリジナルの定義と今日の日本での使われ方の違いは、Wikipediaの英語版と日本語版を比較すると明らか。

まず、オリジナルの説明

原著、2012版、p.7での定義と林の訳:

原著本文:This labor requires one to induce or suppress feeling in order to sustain the ourward countenance that produces the proper state of mind on others...

原著脚注:I use the term emotional labor to mean the management of feeling to create a publicly observable facial and bodily display; emotional labor is sold for a wage and therefore has exchange value.

本文訳:この労働(感情労働)では、それが他者(顧客など)の然るべき心理状態を生み出すことになる、自分の表情・外見を保つために、感情を誘発したり抑圧したりすることが必要とされる。

脚注訳:私はこの用語(感情労働)を「公的に観察可能な表情や仕草を生み出すための感情のコントロール」のこととして用いる。感情労働は賃金のために売り渡されるものであり、その故に交換価値を持つ。

ホックシールドの著作では、感情ルール(feeling rules)、などによる、感情(feeling)の管理(management)が組織(institutions)により行なわれていることが示された。

ホックシールドの著作ではデルタ航空のキャビン・アテンダントのケースなど、主にサービス業における感情労働が分析された。(デルタ航空の訓練所での感情管理などが分析された。)

他の例としては医者、弁護士など挙げられている。たとえば医者が氷の様に冷たい対応をすると、医療行為自体が優れたものであっても、患者が不安感を抱くことになり医療の結果にも影響すうることがある。そのため、医師は感情面でのケアも考慮して仕事をしなくてはならない。

これらの場合は感情労働者が労働の結果として提供する生産物そのものが感情であるケースが多い。例えば、笑顔、客の難題に対する忍耐、同情、など。

重要なポイント: surface acting と deep acting

ホックシールドは、感情労働をロシアの演出家コンスタンチン・スタニスラフスキーの演劇理論(Stanislavski's system)の概念を援用して、次の二つに分類した:

マクドナルドで働くには無料の笑顔の surface acting で十分だが、ディズニーランドのキャストは deep acting を求められている。

surface acting は、それほど大きな問題ではない。問題は deep acting。

これは労働者からみれば、自らの人格がシステム(会社、組織)によりコントロールされる、あるいは、自らでコントロールする(これも自発的コントロールと他者からの間接コントロールの二つがある)、ことを意味し、要するに人格が、自己の内部だけでなく、外界の何かにより、あるいは、何かを志向して操作(コントロール)されることを意味し、自発的な感情でない感情、が強いられることとなる。

自らが強いることもあることに注意。「こんなことで負けてはいけないんだ。辛くても頑張ろう!」など。

この講義の意味での感情労働とは?

この講義では、Hochshcildの感情労働の定義のうち、次の三つの部分を削除したもので感情労働を定義する:

また、surface acting は、本当の感情労働から除外する。

その結果、上の三つの削除を行い、脚注訳を先にし、本文訳を続けて書き、さらに deep acting であることを付け加えると、次のような、 この講義での感情労働の定義になる。そして、これは日本語 Wikipedia での説明によく似たものになっている。(少し文章を補ってある。)

なぜ、この様に変更したか?

ホックシールドの研究は、ブルーカラーの筋肉労働(Heart)、ホワイトカラーの頭脳労働(Brain)、という単純な二分法ですませていた労働概念に、労働とは無縁のものと考えられがちだった感情(Heart)の問題が導入されるべきことを明らかにしたことで、理論的に興味深いものだった。

しかし、この当時、感情労働が、大きな社会問題となっていた形跡は、全くない。この当時(80年代)は、まだまだアメリカの中間層が豊かだった時代で、感情労働者の例としてあげられた、フライト・アテンダント、大学教授、医師、弁護士、などの職に大きな問題があったとは言えない。

この講義でこれを取り上げるのは、、また、今の日本で言及されることが増えているのは、こういう比較的良い社会クラスの人の感情労働ではなく、日本型モデルの成れの果てであるブラック企業などにおける、弱い立場の人たちにおける感情労働が、現実に、この日本で存在するから。

それを分析するには、1980年代のアメリカの感情労働概念では十分ではない。だから、ホックシールドの理論に纏わりついていた労働の種類の特殊性をはぎ取り、また、日本で問題となっている「企業・組織による感情コントロール」を強調した定義にした。

その定義が、Wikipedia 日本版の定義と似通ったものになっていることは、この問題が、社会的に憂慮されていることの一つの証拠だろう。

もう少し変更理由の説明

deep acting の問題点

surface acting は、acting する人(actor, 労働者)の人格の変更を強いることが少ない。しかし、deep acting は情況によっては人格も変えてしまう。

役者の場合は、映画の撮影、演劇の公演は一過的。撮影中に役になりきっていても、撮影が終われば自分に戻れる。

しかし、通常の職業の場合、職業に従事する人生の期間は長い。終身雇用の場合などは、人生のほとんどすべてが特定の職場での労働の期間と、殆ど一致してしまう。これが日本型モデルの「会社と人生の融合」にあたる。そのため、企業により人が変えられてしまう(良い方向に変わる場合もある)。つまり、人が企業・組織により操作される。これは一般に好ましくないと理解されている。

「他者(顧客など)の然るべき心理状態を生み出すことになる」という部分を削除した理由

これは Wikipedia 日本語版でも落ちている。すでにブラック企業、日本型モデルの問題点を理解しているはずの、みなさんには、これを落とした理由は明白だろう。日本型モデルで、例えば、自動車生産工場で行われる、労働者の「熱意」「家族の様な一体感」のような、日本的労働の世界で起きる deep acting で生産されるものは、顧客に感情に限られていない。日本で今問題にされている感情労働は、確かに接客業に多いが、それに限られていない。そのために、これを削除する。

その他ふたつの削除した部分

これらは、ともに感情のコミニュケーションにおける伝達の仕方についての部分である。しかし、これでは、ホックシールドの理論の後に登場したネット社会での感情労働における感情コミュニケーションが説明できなくなる。

ITの世界、WEBの世界では、主な感情コミュニケーションは文字情報やアバターを通して行われる。

したがって、感情労働は労働者の表情や動作を通して行われるというホックシールドの定義では、WEB上での「感情労働」が存在しないことになる。

しかし、実際には、会社の twitter, facebook, blog における、顧客対応、とくにクレーム、さらに炎上などのように、感情が、the outward countenacne 以外の媒体(メディア)を通して伝達されるケースは数多い。

それどころか、WEB上の匿名の書き込みによる方が、より深く感情が傷つけることが多い。

また、Twitter, Facebook などの SNS での「上司からの意図しないパワハラ」が部下にストレスを与えていることが問題となっている。

ということで、これも、現在では余計な条件になってしまっているので削った。

さらに、感情的社会行動

実は、さらに言えば、感情労働を「給与を対価として交換される価値」として定義してしまうと、たとえば、ボランティア的に行われている活動(社会行動)が考察の対象から抜け落ちてしまう。

しかし、Wikipediaのようなボランティア活動を落とすと、WEBやツイッターなどの現代社会、特にネット社会の重要な要素の大半が視界から消える。

だから、現在のWEB世界を理解しようとすると、「労働」 という用語を使うと、一番大切な状況をとらえられないこととなる。

そこで、ホックシールドが、アメリカでのコマーシャリズム的な感情操作の実態と問題点を探るために考え出した概念である感情労働を、社会学者ウェーバーにならい「社会(的)活動」(Soziale Handlungen)に拡張して考える必要がある。拡張された「感情労働」である、「感情的社会行動」の一応の定義は、

そして、人格労働、人格社会行動へ

ホックシールドは deep acting による感情労働が人格のコントロールに及ぶことを指摘している。

そのレベルに達し、自らのアイデンティティ、つまり、人格、感情、知能、などの、個人のすべてを、そのものとして(つまり、社会的ロールではなくて)、提供することを求められるような労働や行動。

一時、日本政府が提唱し持て囃された「人間力」(Wikipedia 人間力、行政における動向)は、現代においては人格レベルまでの力が労働生産性を決定することに陽にか陰にか気がついた提案であると思われる。

一見良いように見えるのだが、人格労働で、労働を低く評価されたら、人格を否定されたことになる。

入試で面接による「人格の判定」がペーパー試験より重視されたら?100点だったのに、面接で落とされたら、自分の人格を否定されたと感じる人もいるだろう。

感情を燃料として燃やす社会:感情資本主義社会

以上の様に、感情労働の定義を何段にも拡張して考えれば、ブラック企業、SNS疲れ などの問題は、すべて、過剰な感情の操作と、「流通」の問題であることは、明らかだろう。

つまり、現代社会は、資本主義システムや、IT(ネット、スマホ)などによる感情資本主義社会「感情を燃料にして働くこと生きることを強いられる社会」となっている。

もちろん、感情を燃やすことは、人間が社会的動物である以上、当然のことだ。しかし、現代は、それがITなどのシステムで、数十年前には想像さえできなかったレベルのスピードと規模で燃やされるようになっている。それに伴って、大きな問題が起きつつあるといえる。

続く…